リクオ夢(2011.10~2015.03)
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夜、縁側に立っていた狐ノ依は外で話すリクオの声に気が付いた。
丁度狐ノ依からは見えないところから聞こえ、曲がり角の向こう側を覗き込む。
「君は誰?」
「お初にお目にかかります。私は窮鼠組、浮世絵町の一番街に住むものです」
そこには少しサイズの大きな鼠と、不思議そうに目を丸くしているリクオ。どうやら面識はないようだ。
「私、見てしまったんです。花開院ゆら様と、家長カナ様がさらわれるのを」
思わず声が出そうになり、狐ノ依は口を押さえた。
あの二人にさらう価値があるとは思えない。強いて言うならば、リクオの友人だから。
だとするならば、リクオは二人を助けるに決まっている。
「そ、そんな…! 皆に伝えなきゃ!」
「駄目です、ゆら様は陰陽師。誰も助けようなどとは考えないでしょう。こちらへついて来てください」
「……う、うん!」
リクオが慌ただしく飛び出していく。
狐ノ依はばっと立ち上がって、リクオの後ろ姿を見つめた。
「え、え……!?」
誰にも言わずに、一人で行ってしまうなんて。
狐ノ依は素早く人間の姿に変わり、リクオの後を追った。
どう考えても怪しい。ゆらとカナがさらわれたのが本当だとして、リクオを一人で行かせるのは危なすぎる。
(リクオ様までさらわれてしまう!)
夜の街は危険だ。それくらい狐ノ依でさえ感じる。
しかし、狐ノ依に足りないのは自身への危機感だった。
「お、そこの君、どこの店?」
「は、はい?」
「男の子? 可愛いね。うちの店で働かない?」
肩に手が置かれ、強引にも腕を引かれる。
「すみません、ボクは急いでいるのでっ」
「いーじゃん、ちょっとだけ」
「ごめんなさい!」
少し乱暴になっても仕方ない。そう思って腕を弾く。前を見ると、もうリクオの姿は見えなくなっていた。
「ね、ちょっと話だけ」
「何かあったら貴方がたを許しませんから!」
男を振り払ってリクオの消えた方へ走り出す。煌びやかな建物が並び、夜だというのに辺りは明るい。
しかし、リクオの姿を見つけることは出来なかった。
・・・
先に家へと戻った狐ノ依は、ずっと縁側から外を眺めていた。リクオが戻らなかったらどうしよう。何かされてしまったら。
「狐ノ依……冷えてしまうよ。大丈夫、すぐに戻ってくるさ」
「でも、ボクが……気付いていながら……」
首無の手が狐ノ依の肩を抱く。
俯いてしまったままの狐ノ依の瞳からは、ぽろぽろと涙が零れ落ちて止まらない。
首無も、狐ノ依を元気づけながらも不安に眉を寄せていた。数匹の妖怪が探しに出ているが、まだ報告はない。
「リクオ様がお帰りになられたぞ!」
その後すぐに聞こえてきた声に急ぎ玄関へと向かうと、声の通り、息を切らしたリクオが帰宅したところだった。
「りっ……リクオ様ぁ……!」
「わ! 狐ノ依?」
「心配、しましたっ……途中で見失ってしまい……」
「、気付いてたの?」
はっとして顔を上げたリクオの目には、妖怪達の無数の目が映る。
狐ノ依が途中までついて来ていたというのなら、皆にはもう伝わっているのだろう。
「今すぐに回状を廻さなきゃ! ボクが、三代目を継がないってこと!」
狐ノ依の肩を掴んで退かすと、リクオは自分の部屋へと走り出した。
二度も置いて行かれた。もしかしたら、ついて行ってはいけないのかもしれない。
迷い立ちすくむ狐ノ依の肩を、小さな手が叩いた。
「来い、狐ノ依」
「は、はい……!」
狐ノ依の背筋がぴんと伸びた。
ぬらりひょん、リクオの祖父も、今の事態には怒りを感じざるを得ないらしい。
リクオの後を追うと、その手には回状「三代目を終生継がない」と書かれた紙が握られていた。
たんっと襖を開けて入ってきたぬらりひょんと狐ノ依。二人の表情は対照的だ。
ぬらりひょんは、そのままリクオに近付くとその回状を破り捨てた。
「あぁ! 何すんだよ、じーちゃん!」
「それはこっちのセリフじゃこのバカ孫め! 昼間は陰陽師を連れてくるし……ワシら妖怪を破滅させる気か!」
総大将の言うことは最もだった。横でカラス天狗もうんうんと頷いているし、狐ノ依もそうだ。
人間であろうとするリクオには、胸がざわざわと騒ぎ、苦しいばかりだ。
「仕方ないだろ! 妖怪が“悪い”からいけないんじゃないか! それにカナちゃんと花開院さんをさらった奴らがうちの組にいるなんて……」
「それは違います! 若!」
リクオが叫ぶのとほぼ同時。
横から猫の妖怪、奴良組系「化猫組」当主の良太猫が現れた。
「本当に一番街を預かってんのはワシらなんですわ……」
「え…? どういうこと?」
「若は、窮鼠に騙されてるんです」
初めに来た鼠は、一番街の窮鼠組だと告げた。それが嘘だとしたら。
リクオは黙って良太猫の話に耳を傾けた。
「自分達は奴良組の“畏”の代紋に傷がつかないように場をおさめてきました。なのに奴らは現れた途端に街を変え、小娘を誘い込み、むさぼりくっているんです」
リクオも狐ノ依も見た、明るすぎる街。
そこには若い女や怪しげな男がたくさん集まっていた。
「若、どうか町を救ってくだせぇ!」
「でも、ボクには回状廻して友達を助けることしかできない」
「あんた、いいように利用されてるだけだ、どの道人間なんて殺されるぜ!」
良太猫の言うことは正しい。リクオが回状を廻して用済みになれば二人は殺されるだろう。それに気付かないくらい、リクオは焦っていた。
「ボクには力なんてないんだ!」
悲痛な叫びだった。確かに、今のリクオには子供二人を助ける力さえないだろう。
しかし、だからって。狐ノ依はずかずかとリクオに近寄っていった。
「リクオ様はそれでいいんですか」
「狐ノ依……?」
「リクオ様のことを信じて生きてきたボクらは? リクオ様にとってはその程度の存在だったということですか……?」
狐ノ依の我慢は既に限界を迎えていた。
人間のせいで惑わされている。少なくともリクオはもっと、冷静な判断が出来る人間のはずだ。
そう信じているのは狐ノ依だけではない。
「リクオ様は、ボク達妖怪がどうなってもいいんですか。そうまでして、人間でいたいんですか……!?」
「狐ノ依……?」
「リクオ様を慕い、ついて来た自分はどうなるのですか……!」
普段リクオに文句の一つも言わない狐ノ依だからこそ、誰もが言葉を失っていた。
リクオもその一人だ。狐ノ依の言葉がずきずきと刺さる。狐ノ依の声が頭にがんがんと響いてくる。
―本当は知っているはずだぜ。自分の本当の力を―
リクオの頭の中に、低い声が響いた。
―もう、時間だよ―
再び同じ声が頭に流れ込み、その瞬間、夜は訪れた。
リクオの体は入れ替わるように、夜の、妖怪の姿に変わっていた。
「狐ノ依……初めて、オレに意見したな」
鋭い眼が狐ノ依を見下ろしている。
その雰囲気に呑まれて、狐ノ依は呼吸も忘れ見惚れていた。
「狐ノ依?」
「あ、あ、リクオ様……」
「それでいい。狐ノ依、お前はオレと対等であれ」
狐ノ依だけでなく、そこにいた妖怪達が皆、言葉を失いリクオを見ていた。
昔一度だけ見たあの姿。そう思うものもいれば、初めて見るものもいる。
それは父である鯉伴にもよく似た姿だった。
「カラス天狗……皆をここに呼べ。夜明けまでの鼠狩りだ」
そのリクオの凛々しく力のある声に、百鬼が続いた。
百鬼夜行、狐ノ依は初体験だった。
鯉伴の時代には数回あったことだが、狐である間は当然戦うことなど出来ない。
「リクオ様、不謹慎ですが、わくわくしてます!」
「あぁ、オレもだよ」
初めは人間を助ける為、という内容に戸惑う者も多かったが、それをまとめたのもリクオだ。
天敵に“かし”作るのも悪くない。その一言で、迷っていた者も皆リクオに従った。この百鬼はリクオのものだ。
その美しく誇らしい姿に、狐ノ依にも力が宿っていた。
リクオだけは一度訪れていた、ピンクの装飾のされたホストクラブへと乗り込んだ。
「待たせたな、鼠ども……」
「何者だテメー! 回状は廻したんだろーなぁ!」
昼来た少年と今来た妖怪が、同じ奴良リクオだと気付かない窮鼠達。
リクオはにやっと笑い、前に出た。
「ヤツが書いたのなら破いちまったよ」
「それが答えか……なら皆殺しだ!」
暴れ出す窮鼠達には、ゆらとカナという人質がいる。
それでも挑発したのは自信があったからだ。
「首無、二人を頼む」
「はい」
リクオは真っ直ぐに窮鼠のリーダーに向かって行った。
その背中に狐ノ依はついて行く。
「狐ノ依、オレの姿、よーく見ておけ」
「はい、勿論でございます……」
自信に満ちた美しい姿。狐ノ依はうっとりと目を細めた。既にほとんどの敵は倒されている。残すはリーダーのみだ。
「くそおおおぉぉおおお!!」
辛うじて優男のままでいた窮鼠の男も、一気に禍々しい狐の姿に変わる。汚らしい鼠の姿。
それも、リクオにを動じさせるには足りなかった。
「……明鏡止水“桜” 夜明けと共に塵となれ」
桜が舞うのが見える。リクオの力が敵を圧倒する。
それは、あまりにも美しかった。百鬼夜行を引き連れその先頭で敵を圧倒する姿は、主であるに相応しく、そして誇りだった。
・・・
敵を倒し、そこに平和が戻る。
狐ノ依はときめく胸を押さえながら、リクオの腕を掴もうと手を伸ばした。
「お前が妖怪の主か!」
それを遮る声。その声の方へと目を向けると、そこに座り込んでいたゆらがリクオを睨みつけていた。
「次会う時は絶対……倒す!」
「……せいぜい気を付けて帰れ」
リクオは笑みを浮かべていた。負ける気などさらさら無い、それが空気を通して伝わる。
狐ノ依もゆらに何か言ってやろうと思っていたが、その必要はなかったようだ。
とはいえ気に食わず、唇を尖らせ、ゆらをきっと睨み付ける。
「狐ノ依」
すると、何故かリクオの手が頬に当てられ、そのまま顔ごとリクオの方に向かせられていた。
「っ、あ、あの……?」
「オレ以外の奴に、熱い視線を送るってのはよくねぇな」
「そんな、違います! 今のは、」
「オレだけ見てな」
触れられている部分が熱い。リクオの目に狐ノ依だけが映っている。
「も、も、ッ勘弁してください……」
「ハッ……可愛いな、お前は」
真っ赤になって視線を泳がせる狐ノ依を見て、満足そうにリクオは笑う。
反対に、雪女と首無はどこか不服そうに眉をひそめているのだった。
・・・
次の日。
昨日のことで疲れがたまったせいか、リクオは熱を出した。そのせいで朝から妖怪たちは慌ただしく走り回っている。
勿論狐ノ依も、床に就くリクオに寄り添っていた。
「あ、鴆様いらしていましたか」
「おぉ狐ノ依か。お前も出入りに行ったんだろ?」
「……えぇ。リクオ様はとても頼もしいお姿でした」
頬を赤くして笑う狐ノ依に鴆はオレも呼んで欲しかったと繰り返す。
とはいえ鴆は体の悪い妖怪。もし居たとしてもリクオは止めただろう。
「でもよぉ、リクオは覚えていないんだろ? 本当に出入りに行ったことも覚えてねーのか?」
「まぁまぁ、鴆様。リクオ様はご病気なのですから」
確かに病人の前で余計なことを騒ぐもんじゃない。とわかっても悔しいものは悔しく、鴆は「義兄弟の自分が」とぶつぶつ繰り返していた。
「鴆様こそ、体を休めていた方が良いのでは?」
「いや……オレはそろそろ会議があるからな」
すっと立ち上がって、鴆は狐ノ依の頭を撫でた。
手が動くたびに、耳がぴくぴくと揺れる。
「鴆様……?」
「あぁ、悪い。撫でやすい頭してたからな」
「な、なんですかそれ……」
「嘘。可愛いからだよ、狐ノ依」
耳がピーンと立ち上がった。顔を上げれば、鴆がニッと笑っていて。
「じゃーな。リクオのこと、任せたぞ」
「は、はい!」
何故だか緊張して背筋を伸ばし、狐ノ依は鴆を見送った。
髪を直しながら、狐ノ依はリクオに視線を戻す。リクオは目を薄ら開けて、狐ノ依をじっと見つめていた。
「ねぇ狐ノ依……?」
「はい、どうかしましたか?」
「いや、あのさ……狐ノ依も“あの”ボクの方がいい? 狐ノ依は今のボクより……」
“あの”が示すのは、あの夜の姿のことだろうか。
「あれ、でもリクオ様……」
昼のリクオには、記憶が無かったのでは。
それを言及しようとした時、どたどたとこちらに向かう足音が近付いて来た。
「リクオ様ぁああ! すみません、側近なのに!!」
「わっ……」
リクオの具合が悪いことに気付かず学校に向かったつららが戻ってきたのだろう。
襖をスパンッと開いたつららが、狐ノ依を押しのけリクオに駆け寄った。
「ぁ……」
リクオの手を握って自分の失態を泣きわめくつららに、リクオも狐ノ依も何も言えなくなってしまった。
リクオの不安そうな顔が脳裏にやきついている。
答えることは出来なかったが、狐ノ依はリクオの問いを考えていた。
“あの”リクオ、なんてない。リクオはリクオだ。
しかし、妖怪の姿のリクオを見たとき興奮したのは間違いなかった。無意識に、求めていたのかもしれない。
そう思うと申し訳なくて、狐ノ依は問いの答えを口に出すことは出来なかった。
・・・
暫くして一人になったリクオは、過る記憶に迷っていた。
“あの”自分。そして“あの”自分を見る狐ノ依の顔。自分とは、どう考えても違う存在。
「夜、ボクはあんな姿に……」
覚えている。確かに、記憶に残っている。
それに対してどんな気持ちになれば良いのかも分からなくて、リクオはため息を吐いた。
その時、遠くからばたばたと足音と騒がしい声が聞こえてきた。
それはリクオの部屋へと近づいてくる。
「やっほ!」
顔を出したのはこの家の人間ではなかった。
「カ……カナちゃん!?」
「家長くんばかりじゃないぞ!」
「清継くん!?」
ずらっといつものメンバーが現れ、リクオは驚いて体を起き上がらせた。
額に乗っていた氷がカランと音を立てて落ちる。
「ど……どうしたのみんな」
「お見舞いに来たのよ」
カナはリクオに近寄りそこに座ると、寝るよう肩を押して促した。
ぽすんと布団に背中を戻したリクオの額に、氷の袋が置かれる。
「ちょっと待ってて、お薬もらってくるね」
「あ、ありがと……」
「さっすが幼馴染! いい嫁になれるねー」
「ちょ、やだやめてよー」
カナの行動に友人である巻がはやし立てる。
満更でもない顔でカナが否定した直後、障子の影からガシャン、と何かが落ちる音が聞こえてきた。
驚いてカナが覗き込むと、コップやらタオルやらをのせていたお盆を落とした狐ノ依が目を丸くして立っている。
その表情たるや、なんとも言えないものだ。
「あれ、狐ノ依くん?」
「あ……あぁ、カナちゃん……皆、来てたんだね」
人間の姿に化けていた狐ノ依は落としたものをいそいそと集めて、ごめんねと呟いた。
それからゆっくり顔を上げるとカナを見つめる。
「どうしたの?」
「あ、いや……。その、誰が、お嫁さんって」
狐ノ依の声はがちがちと震えていた。ついでに顔は真っ青だ。
それに対し、カナの顔は一気に赤く火照りあがった。
「う、ううん!? それは違うの! それは……」
「あ、狐ノ依くん? いやね、カナってリクオくんといい感じじゃない? って話!」
狐ノ依は少し後ずさり、カナを凝視していた。
「いや……ボクには、あはは、ごゆっくり」
明らかに困った顔で笑った狐ノ依はそそくさと来た道を戻って行った。
・・・
リクオの看病へ向かったはずの狐ノ依が変な顔をして帰ってくる。
丁度すれ違った首無は足を止めた。
「狐ノ依? どうかした?」
「あ、首無……。特にそんな、何もないよ。友達が来てたみたいだから、ボクは用無しかなって」
「え? 狐ノ依もリクオ様の友人とは親しくしていたよね」
いつもなら、友人がいるなら尚更リクオの傍を離れようとしないはず。しかし狐ノ依は少し寂しそうに眉をひそめた。
「リクオ様とは……同じ時間に生きてきたつもりだった」
「狐ノ依?」
「いつの間にか……リクオ様は人間との関係が深くなっていて。そこにボクの入れる場所はなくて……」
ぬらりひょんも鯉判も人間の女性と交わった。そして今のリクオがいる。つまり、リクオは妖怪でもあり人間でもあるわけで。狐ノ依とは違う。
それを実感して落ち込むのは今日が初めてではなかった。今一番狐ノ依の胸に刺さっているのは。
「お嫁さんは、女性がなるものだものね……」
深刻な顔で通り過ぎて行った狐ノ依に、首無は何も言えずに背中を見つめることしか出来なかった。
2022/05/08
丁度狐ノ依からは見えないところから聞こえ、曲がり角の向こう側を覗き込む。
「君は誰?」
「お初にお目にかかります。私は窮鼠組、浮世絵町の一番街に住むものです」
そこには少しサイズの大きな鼠と、不思議そうに目を丸くしているリクオ。どうやら面識はないようだ。
「私、見てしまったんです。花開院ゆら様と、家長カナ様がさらわれるのを」
思わず声が出そうになり、狐ノ依は口を押さえた。
あの二人にさらう価値があるとは思えない。強いて言うならば、リクオの友人だから。
だとするならば、リクオは二人を助けるに決まっている。
「そ、そんな…! 皆に伝えなきゃ!」
「駄目です、ゆら様は陰陽師。誰も助けようなどとは考えないでしょう。こちらへついて来てください」
「……う、うん!」
リクオが慌ただしく飛び出していく。
狐ノ依はばっと立ち上がって、リクオの後ろ姿を見つめた。
「え、え……!?」
誰にも言わずに、一人で行ってしまうなんて。
狐ノ依は素早く人間の姿に変わり、リクオの後を追った。
どう考えても怪しい。ゆらとカナがさらわれたのが本当だとして、リクオを一人で行かせるのは危なすぎる。
(リクオ様までさらわれてしまう!)
夜の街は危険だ。それくらい狐ノ依でさえ感じる。
しかし、狐ノ依に足りないのは自身への危機感だった。
「お、そこの君、どこの店?」
「は、はい?」
「男の子? 可愛いね。うちの店で働かない?」
肩に手が置かれ、強引にも腕を引かれる。
「すみません、ボクは急いでいるのでっ」
「いーじゃん、ちょっとだけ」
「ごめんなさい!」
少し乱暴になっても仕方ない。そう思って腕を弾く。前を見ると、もうリクオの姿は見えなくなっていた。
「ね、ちょっと話だけ」
「何かあったら貴方がたを許しませんから!」
男を振り払ってリクオの消えた方へ走り出す。煌びやかな建物が並び、夜だというのに辺りは明るい。
しかし、リクオの姿を見つけることは出来なかった。
・・・
先に家へと戻った狐ノ依は、ずっと縁側から外を眺めていた。リクオが戻らなかったらどうしよう。何かされてしまったら。
「狐ノ依……冷えてしまうよ。大丈夫、すぐに戻ってくるさ」
「でも、ボクが……気付いていながら……」
首無の手が狐ノ依の肩を抱く。
俯いてしまったままの狐ノ依の瞳からは、ぽろぽろと涙が零れ落ちて止まらない。
首無も、狐ノ依を元気づけながらも不安に眉を寄せていた。数匹の妖怪が探しに出ているが、まだ報告はない。
「リクオ様がお帰りになられたぞ!」
その後すぐに聞こえてきた声に急ぎ玄関へと向かうと、声の通り、息を切らしたリクオが帰宅したところだった。
「りっ……リクオ様ぁ……!」
「わ! 狐ノ依?」
「心配、しましたっ……途中で見失ってしまい……」
「、気付いてたの?」
はっとして顔を上げたリクオの目には、妖怪達の無数の目が映る。
狐ノ依が途中までついて来ていたというのなら、皆にはもう伝わっているのだろう。
「今すぐに回状を廻さなきゃ! ボクが、三代目を継がないってこと!」
狐ノ依の肩を掴んで退かすと、リクオは自分の部屋へと走り出した。
二度も置いて行かれた。もしかしたら、ついて行ってはいけないのかもしれない。
迷い立ちすくむ狐ノ依の肩を、小さな手が叩いた。
「来い、狐ノ依」
「は、はい……!」
狐ノ依の背筋がぴんと伸びた。
ぬらりひょん、リクオの祖父も、今の事態には怒りを感じざるを得ないらしい。
リクオの後を追うと、その手には回状「三代目を終生継がない」と書かれた紙が握られていた。
たんっと襖を開けて入ってきたぬらりひょんと狐ノ依。二人の表情は対照的だ。
ぬらりひょんは、そのままリクオに近付くとその回状を破り捨てた。
「あぁ! 何すんだよ、じーちゃん!」
「それはこっちのセリフじゃこのバカ孫め! 昼間は陰陽師を連れてくるし……ワシら妖怪を破滅させる気か!」
総大将の言うことは最もだった。横でカラス天狗もうんうんと頷いているし、狐ノ依もそうだ。
人間であろうとするリクオには、胸がざわざわと騒ぎ、苦しいばかりだ。
「仕方ないだろ! 妖怪が“悪い”からいけないんじゃないか! それにカナちゃんと花開院さんをさらった奴らがうちの組にいるなんて……」
「それは違います! 若!」
リクオが叫ぶのとほぼ同時。
横から猫の妖怪、奴良組系「化猫組」当主の良太猫が現れた。
「本当に一番街を預かってんのはワシらなんですわ……」
「え…? どういうこと?」
「若は、窮鼠に騙されてるんです」
初めに来た鼠は、一番街の窮鼠組だと告げた。それが嘘だとしたら。
リクオは黙って良太猫の話に耳を傾けた。
「自分達は奴良組の“畏”の代紋に傷がつかないように場をおさめてきました。なのに奴らは現れた途端に街を変え、小娘を誘い込み、むさぼりくっているんです」
リクオも狐ノ依も見た、明るすぎる街。
そこには若い女や怪しげな男がたくさん集まっていた。
「若、どうか町を救ってくだせぇ!」
「でも、ボクには回状廻して友達を助けることしかできない」
「あんた、いいように利用されてるだけだ、どの道人間なんて殺されるぜ!」
良太猫の言うことは正しい。リクオが回状を廻して用済みになれば二人は殺されるだろう。それに気付かないくらい、リクオは焦っていた。
「ボクには力なんてないんだ!」
悲痛な叫びだった。確かに、今のリクオには子供二人を助ける力さえないだろう。
しかし、だからって。狐ノ依はずかずかとリクオに近寄っていった。
「リクオ様はそれでいいんですか」
「狐ノ依……?」
「リクオ様のことを信じて生きてきたボクらは? リクオ様にとってはその程度の存在だったということですか……?」
狐ノ依の我慢は既に限界を迎えていた。
人間のせいで惑わされている。少なくともリクオはもっと、冷静な判断が出来る人間のはずだ。
そう信じているのは狐ノ依だけではない。
「リクオ様は、ボク達妖怪がどうなってもいいんですか。そうまでして、人間でいたいんですか……!?」
「狐ノ依……?」
「リクオ様を慕い、ついて来た自分はどうなるのですか……!」
普段リクオに文句の一つも言わない狐ノ依だからこそ、誰もが言葉を失っていた。
リクオもその一人だ。狐ノ依の言葉がずきずきと刺さる。狐ノ依の声が頭にがんがんと響いてくる。
―本当は知っているはずだぜ。自分の本当の力を―
リクオの頭の中に、低い声が響いた。
―もう、時間だよ―
再び同じ声が頭に流れ込み、その瞬間、夜は訪れた。
リクオの体は入れ替わるように、夜の、妖怪の姿に変わっていた。
「狐ノ依……初めて、オレに意見したな」
鋭い眼が狐ノ依を見下ろしている。
その雰囲気に呑まれて、狐ノ依は呼吸も忘れ見惚れていた。
「狐ノ依?」
「あ、あ、リクオ様……」
「それでいい。狐ノ依、お前はオレと対等であれ」
狐ノ依だけでなく、そこにいた妖怪達が皆、言葉を失いリクオを見ていた。
昔一度だけ見たあの姿。そう思うものもいれば、初めて見るものもいる。
それは父である鯉伴にもよく似た姿だった。
「カラス天狗……皆をここに呼べ。夜明けまでの鼠狩りだ」
そのリクオの凛々しく力のある声に、百鬼が続いた。
百鬼夜行、狐ノ依は初体験だった。
鯉伴の時代には数回あったことだが、狐である間は当然戦うことなど出来ない。
「リクオ様、不謹慎ですが、わくわくしてます!」
「あぁ、オレもだよ」
初めは人間を助ける為、という内容に戸惑う者も多かったが、それをまとめたのもリクオだ。
天敵に“かし”作るのも悪くない。その一言で、迷っていた者も皆リクオに従った。この百鬼はリクオのものだ。
その美しく誇らしい姿に、狐ノ依にも力が宿っていた。
リクオだけは一度訪れていた、ピンクの装飾のされたホストクラブへと乗り込んだ。
「待たせたな、鼠ども……」
「何者だテメー! 回状は廻したんだろーなぁ!」
昼来た少年と今来た妖怪が、同じ奴良リクオだと気付かない窮鼠達。
リクオはにやっと笑い、前に出た。
「ヤツが書いたのなら破いちまったよ」
「それが答えか……なら皆殺しだ!」
暴れ出す窮鼠達には、ゆらとカナという人質がいる。
それでも挑発したのは自信があったからだ。
「首無、二人を頼む」
「はい」
リクオは真っ直ぐに窮鼠のリーダーに向かって行った。
その背中に狐ノ依はついて行く。
「狐ノ依、オレの姿、よーく見ておけ」
「はい、勿論でございます……」
自信に満ちた美しい姿。狐ノ依はうっとりと目を細めた。既にほとんどの敵は倒されている。残すはリーダーのみだ。
「くそおおおぉぉおおお!!」
辛うじて優男のままでいた窮鼠の男も、一気に禍々しい狐の姿に変わる。汚らしい鼠の姿。
それも、リクオにを動じさせるには足りなかった。
「……明鏡止水“桜” 夜明けと共に塵となれ」
桜が舞うのが見える。リクオの力が敵を圧倒する。
それは、あまりにも美しかった。百鬼夜行を引き連れその先頭で敵を圧倒する姿は、主であるに相応しく、そして誇りだった。
・・・
敵を倒し、そこに平和が戻る。
狐ノ依はときめく胸を押さえながら、リクオの腕を掴もうと手を伸ばした。
「お前が妖怪の主か!」
それを遮る声。その声の方へと目を向けると、そこに座り込んでいたゆらがリクオを睨みつけていた。
「次会う時は絶対……倒す!」
「……せいぜい気を付けて帰れ」
リクオは笑みを浮かべていた。負ける気などさらさら無い、それが空気を通して伝わる。
狐ノ依もゆらに何か言ってやろうと思っていたが、その必要はなかったようだ。
とはいえ気に食わず、唇を尖らせ、ゆらをきっと睨み付ける。
「狐ノ依」
すると、何故かリクオの手が頬に当てられ、そのまま顔ごとリクオの方に向かせられていた。
「っ、あ、あの……?」
「オレ以外の奴に、熱い視線を送るってのはよくねぇな」
「そんな、違います! 今のは、」
「オレだけ見てな」
触れられている部分が熱い。リクオの目に狐ノ依だけが映っている。
「も、も、ッ勘弁してください……」
「ハッ……可愛いな、お前は」
真っ赤になって視線を泳がせる狐ノ依を見て、満足そうにリクオは笑う。
反対に、雪女と首無はどこか不服そうに眉をひそめているのだった。
・・・
次の日。
昨日のことで疲れがたまったせいか、リクオは熱を出した。そのせいで朝から妖怪たちは慌ただしく走り回っている。
勿論狐ノ依も、床に就くリクオに寄り添っていた。
「あ、鴆様いらしていましたか」
「おぉ狐ノ依か。お前も出入りに行ったんだろ?」
「……えぇ。リクオ様はとても頼もしいお姿でした」
頬を赤くして笑う狐ノ依に鴆はオレも呼んで欲しかったと繰り返す。
とはいえ鴆は体の悪い妖怪。もし居たとしてもリクオは止めただろう。
「でもよぉ、リクオは覚えていないんだろ? 本当に出入りに行ったことも覚えてねーのか?」
「まぁまぁ、鴆様。リクオ様はご病気なのですから」
確かに病人の前で余計なことを騒ぐもんじゃない。とわかっても悔しいものは悔しく、鴆は「義兄弟の自分が」とぶつぶつ繰り返していた。
「鴆様こそ、体を休めていた方が良いのでは?」
「いや……オレはそろそろ会議があるからな」
すっと立ち上がって、鴆は狐ノ依の頭を撫でた。
手が動くたびに、耳がぴくぴくと揺れる。
「鴆様……?」
「あぁ、悪い。撫でやすい頭してたからな」
「な、なんですかそれ……」
「嘘。可愛いからだよ、狐ノ依」
耳がピーンと立ち上がった。顔を上げれば、鴆がニッと笑っていて。
「じゃーな。リクオのこと、任せたぞ」
「は、はい!」
何故だか緊張して背筋を伸ばし、狐ノ依は鴆を見送った。
髪を直しながら、狐ノ依はリクオに視線を戻す。リクオは目を薄ら開けて、狐ノ依をじっと見つめていた。
「ねぇ狐ノ依……?」
「はい、どうかしましたか?」
「いや、あのさ……狐ノ依も“あの”ボクの方がいい? 狐ノ依は今のボクより……」
“あの”が示すのは、あの夜の姿のことだろうか。
「あれ、でもリクオ様……」
昼のリクオには、記憶が無かったのでは。
それを言及しようとした時、どたどたとこちらに向かう足音が近付いて来た。
「リクオ様ぁああ! すみません、側近なのに!!」
「わっ……」
リクオの具合が悪いことに気付かず学校に向かったつららが戻ってきたのだろう。
襖をスパンッと開いたつららが、狐ノ依を押しのけリクオに駆け寄った。
「ぁ……」
リクオの手を握って自分の失態を泣きわめくつららに、リクオも狐ノ依も何も言えなくなってしまった。
リクオの不安そうな顔が脳裏にやきついている。
答えることは出来なかったが、狐ノ依はリクオの問いを考えていた。
“あの”リクオ、なんてない。リクオはリクオだ。
しかし、妖怪の姿のリクオを見たとき興奮したのは間違いなかった。無意識に、求めていたのかもしれない。
そう思うと申し訳なくて、狐ノ依は問いの答えを口に出すことは出来なかった。
・・・
暫くして一人になったリクオは、過る記憶に迷っていた。
“あの”自分。そして“あの”自分を見る狐ノ依の顔。自分とは、どう考えても違う存在。
「夜、ボクはあんな姿に……」
覚えている。確かに、記憶に残っている。
それに対してどんな気持ちになれば良いのかも分からなくて、リクオはため息を吐いた。
その時、遠くからばたばたと足音と騒がしい声が聞こえてきた。
それはリクオの部屋へと近づいてくる。
「やっほ!」
顔を出したのはこの家の人間ではなかった。
「カ……カナちゃん!?」
「家長くんばかりじゃないぞ!」
「清継くん!?」
ずらっといつものメンバーが現れ、リクオは驚いて体を起き上がらせた。
額に乗っていた氷がカランと音を立てて落ちる。
「ど……どうしたのみんな」
「お見舞いに来たのよ」
カナはリクオに近寄りそこに座ると、寝るよう肩を押して促した。
ぽすんと布団に背中を戻したリクオの額に、氷の袋が置かれる。
「ちょっと待ってて、お薬もらってくるね」
「あ、ありがと……」
「さっすが幼馴染! いい嫁になれるねー」
「ちょ、やだやめてよー」
カナの行動に友人である巻がはやし立てる。
満更でもない顔でカナが否定した直後、障子の影からガシャン、と何かが落ちる音が聞こえてきた。
驚いてカナが覗き込むと、コップやらタオルやらをのせていたお盆を落とした狐ノ依が目を丸くして立っている。
その表情たるや、なんとも言えないものだ。
「あれ、狐ノ依くん?」
「あ……あぁ、カナちゃん……皆、来てたんだね」
人間の姿に化けていた狐ノ依は落としたものをいそいそと集めて、ごめんねと呟いた。
それからゆっくり顔を上げるとカナを見つめる。
「どうしたの?」
「あ、いや……。その、誰が、お嫁さんって」
狐ノ依の声はがちがちと震えていた。ついでに顔は真っ青だ。
それに対し、カナの顔は一気に赤く火照りあがった。
「う、ううん!? それは違うの! それは……」
「あ、狐ノ依くん? いやね、カナってリクオくんといい感じじゃない? って話!」
狐ノ依は少し後ずさり、カナを凝視していた。
「いや……ボクには、あはは、ごゆっくり」
明らかに困った顔で笑った狐ノ依はそそくさと来た道を戻って行った。
・・・
リクオの看病へ向かったはずの狐ノ依が変な顔をして帰ってくる。
丁度すれ違った首無は足を止めた。
「狐ノ依? どうかした?」
「あ、首無……。特にそんな、何もないよ。友達が来てたみたいだから、ボクは用無しかなって」
「え? 狐ノ依もリクオ様の友人とは親しくしていたよね」
いつもなら、友人がいるなら尚更リクオの傍を離れようとしないはず。しかし狐ノ依は少し寂しそうに眉をひそめた。
「リクオ様とは……同じ時間に生きてきたつもりだった」
「狐ノ依?」
「いつの間にか……リクオ様は人間との関係が深くなっていて。そこにボクの入れる場所はなくて……」
ぬらりひょんも鯉判も人間の女性と交わった。そして今のリクオがいる。つまり、リクオは妖怪でもあり人間でもあるわけで。狐ノ依とは違う。
それを実感して落ち込むのは今日が初めてではなかった。今一番狐ノ依の胸に刺さっているのは。
「お嫁さんは、女性がなるものだものね……」
深刻な顔で通り過ぎて行った狐ノ依に、首無は何も言えずに背中を見つめることしか出来なかった。
2022/05/08