その他短編
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古臭いニオイが漂う、本に囲まれた空間。
鈴木咲也はこの学校の図書室をよく利用していた。
元々本を読む習慣があったということと、静かな場所が好きだった、ということもある。
あまり人は多くない。試験前になると利用者は増えるが、それ以外で図書室内の人が増えることはなかった。
特に読みたい本があるわけではなく、適当に本を見て歩く。良さそうなものがあれば手に取って、その辺の椅子へ腰かける。これがいつもの流れだ。
しかし、その日は少し違った。
何気なく椅子に腰かけた咲也は、本を机に置いて顔を上げた瞬間にぎょっとした。
「っ……!」
思わず大きな声が出そうになったのをなんとか堪える。
窓際、咲也の斜め前に先客がいたのだ。
人の少ない図書室だ。わざわざ人の座っている近くの椅子に座ったりはしない。
(ずっと、いたのかな。だとしたら、めちゃくちゃ影薄いぞこいつ……)
今更立って席を変えるというのもあからさま過ぎる。
咲也はそのまま気にしないフリをして本を開いた。
しかし、残念ながらこの男子生徒が気になって本に集中出来ない。むしろ、少し意識を外したら居たことを忘れそうな程に薄いのに。
咲也はそれからというもの、図書室に行く度に影の薄い少年の姿を探した。
いくら影が薄いといっても、広くない図書室を探していれば見つけることが出来る。
たいてい同じ場所に、同じように座っていて。たまに眠そうだったり、本に頭を預けて寝ていたり。本を読みながら、ふと窓の方を見てぼんやりすることもあった。
日に日に楽しさは増していく。
少年は、なんだか可愛かったのだ。
・・・
お、昨日と同じ場所だ。
バレないように視線を送って少年のことが見える位置に座る。
静かな図書室に、彼はいつも溶け込んでいた。たぶん自分以外誰も気付いていない。それが少し嬉しい。
「くしゅっ」
身を屈めた少年は小さなくしゃみをして、鼻を少し擦った。
初めて見る少年のアクションに、咲也の鼓動が早まった。びっくりした、のと同時にその可愛らしいくしゃみに笑いそうになる。
きっと、しゃべっても可愛いんだろうな。
そう思った翌日。
少年は初めて友人を連れていた。
影の薄い本人とは違って、図体のでかい男。そいつのことは知っていた。
確かバスケ部の一年エースだ。クラスは違うが帰国子女で、ガタイが良くて、顔もいい。
「お前、いつもこんなとこ来てたのかよ」
「火神くん、図書室では静かにして下さい」
「わ、わぁってるよ……」
口の前に人差し指を立てて、しーっと息を出す。
一年の火神と親しいということは、少年も恐らく一年で間違いないだろう。
「黒子、まだかよ」
黒子。初めて耳にした少年の名前。意味もなく心臓が煩く鳴り響いて、顔に熱が集まってくる。
黒子は少し高めの棚に手を伸ばして目当ての本を手にすると、貸出口へと向かって行った。
火神はようやくか、とでも言いたげに息を吐き出す。
その火神と目が合った。
「なぁ、お前さ」
「え、俺?」
火神が黒子の方に向かわずにこちらに近付いて来る。
咲也はごくり、と唾を飲んだ。どうということはない、ただ火神の威圧感にびびっているだけだ。
「もしかして、黒子に用あったか?」
「い、いや、別に」
「なんか、ずっと見てただろ」
火神の親指が、黒子を示してくいっと反っている。
「俺、そんなに見てた……?」
「オレにはそー見えたけど、違ったならいいんだ。悪かったな」
「いえ、お気遣いどうも」
それだけ言って火神は黒子の方へと戻っていく。
そしてそのまま、貸し出しを終えた黒子と共に図書室を出ていった。
「何、この……」
胸を手できつく抑える。湧き上がる痛みと熱は治まらなかった。
・・・
がらがら、と横開きの扉が音を立てて閉まる。
静かで堅苦しい空間から解放されて、火神ははぁあ、と大げさに息を吐き出した。
「火神くん。彼と、知り合いなんですか?」
少し後ろを歩いていた黒子が、速足になって火神の横に追いつく。
火神を見上げる黒子の顔がいつもの無表情と何か違っていた。切なげに眉を下げて、焦っているようにも見える。
「彼って、オレがさっき話かけた奴か?」
「はい」
「いや、初対面だと思うけど」
今度は残念そうで、そして少し安心したような表情に変わる。
「なんだよ。あいつ、なんなんだ?」
「いえ、別になんでもありません。よく見かけるので気になっただけです」
そっけない黒子に、火神は諦めて小さく頷いた。
よく見かける、というだけの相手に対する反応ではなかった、と思う。しかし、黒子は何を聞いても答えないだろう。そういう奴だ。
「さっきの奴」
「その話はもう終わりましたよ」
「割と小綺麗な顔してんな」
「……そうですね」
ちらりと黒子の顔を確認すると、嬉しそうに口元を緩めていた。
「例えば……」
今度は黒子の方が積極的に語り出す。
「図書室で毎日同じ場所に来る人がいたら、火神くんはどう思いますか」
「また来たのか、ってか」
「それが美女だったらどうしますか」
「どうって、……気になる、とか」
そこで黒子は何も言わなくなった。
なんだ今のは、どういうことだ。
火神は意味がわからずに、黒子の言い出した妙な話を考えた。話の流れ的に察するには。
「その、美女ってのが、お前にとっては……さっきのあいつ、だったり」
「火神くん。ボクにとっては、見つけてもらえる、ということがとても嬉しいんです」
「はぁ……」
脈絡のない話に、火神は考えることを止めた。考えてもロクなことにはならない、なんとなく察した。
黒子は、やはり少しいつもより楽しげだった。
・・・
もう何度目になったか昼休みの図書室。
黒子という名前を知った今、図書室にこだわる必要などない。彼が何組にいて何部に所属していてどんな生徒なのか、情報を集めることは出来ただろう。
しかし、この昼休みの図書室、ここに来ることは譲れなかった。
それなのに、いつもの席に黒子が座っていない。
咲也はその周辺の席も一つ一つ確認して、それから肩を落とした。
ここで黒子を探すことを咲也が楽しんでいても、黒子がここに来ないのでは本末転倒だ。
仕方なくいつも黒子が座っている席に腰掛けて、それから机に頭を伏せた。
いつもここで何を考えているのだろう。
この図書室に、黒子を探す為に通い始めた頃は席なんて固定されてなかったのに、ここ最近はこの席にしか座っていなかった。
つまり、咲也は探してなんかいなかったのだ。
咲也も黒子が見える、同じ席にいつも座っていた。丁度、空間を一つ挟んだ、向こうの机の端だ。
あれ、ってことはこっちからも見えるじゃん。
初めて黒子の場所に来て、その事実に気付く。もしかして、黒子も毎日来る咲也の存在に気付いていたのでは。
そう思った瞬間、急に恥ずかしいことのように思えてくる。
咲也はぱっと立ち上がると、昨日ここで読んだ読みかけの本を手に取った。そして貸出口へと向かう。
「これ、借ります」
そこに座っている、恐らく図書委員の生徒だろう人に本を渡す。
もう今日は帰ろう。もし黒子が来たら、なんだか居た堪れない気持ちになりそうだから。
「名前の記入をお願いします」
B5の線が入った紙とボールペンを渡されてそれを受け取る。
その時ほんの少し指が触れて、なんだか少女漫画のようだな、と思いながらその人の顔を視界に映した。
これが可愛い女の子なら、そう思っていた咲也の頭は真っ白になった。
「黒子、くん……!?」
ボールペンを落として、思わず自分の口を覆った。
顔が熱くなる。こんな初コンタクトになるなんて思いもしない。
取り落としたボールペンを拾おうと腰を屈めた咲也に声が降り注いだ。
「何か、探していましたね」
「は、はは……」
「毎日、飽きずに」
やっぱりバレてる。
「今日は見つからなかったようですが。もう見つかりました、よね」
さっき見た通り、黒子にも咲也の姿は毎日見えていたということだろう。これは変人確定だ。
「黒子くん、あの……ですね」
「早く名前を記入して下さい」
「すみません……」
とんとん、と紙を指で叩かれ、急かされるまま咲也は自分の書き慣れた名前を細い欄に書き込んだ。
「鈴木咲也……」
「、はい」
「ようやく名前を知ることが出来ました、咲也くん」
にこりと笑う黒子の顔は、しっかりと咲也に向けられていた。とくんとくんと心臓は煩くて、今までない程高鳴っている。
「っ黒子くん、あの……!」
「図書室では静かにして下さい」
咲也はしゅん、と頭を下げて、貸出許可をもらった本を腕に抱いた。
「もし……ボクとの会話を希望するなら、放課後、体育館に来て下さい」
咲也は緩む頬をそのままに、強く頷いて図書室を後にした。
触れた指からではなく、とっくに始まっていた恋心を胸に抱いて。
・・・
放課後の体育館は、バスケ部の練習場所となっている。
どこにいれば良いのだろうとソワソワしていると、大きな影が重なって、咲也は恐る恐る振り返った。
「ここで何してんだ?」
「火神……!」
同学年であることを知っているからか、友達でもないのに安心する。
放課後が楽しみ過ぎて、図書室以外で黒子に会えることが嬉し過ぎて、HRが終わると急いで来てしまった。
まだ黒子は来ていないようだが、体育館の中には少しずつ人が集まりつつある。
「呼び捨てかよ」
「い、一度話した仲じゃん、な」
「どんな仲だよ。つか、見学か何かか?」
そういえば、火神と仲良かった黒子はバスケ部だったのだろうか、と今更ながらに思い当たる。
「黒子って、……バスケ部?」
「そうだけど、知ってて来たんじゃねーのか」
「知らなかった」
「来てくれたんですね」
びくっと体を震わせたのは火神だった。
火神の背中から顔を覗かせた黒子は嬉しそうに笑っていた。
「呼んでいておいてなんですが、これから部活なんです。咲也くんは、部活前ですか?」
「いや、俺、部活動入ってないんだ」
「それは良かったです」
黒子は足音なく体育館の方へ向かうと、ついて来いと言うように手招きをした。
「もし時間があればですが、見て行って下さい。今日は、練習試合があるので」
返事を待たずに黒子が先に体育館の中に入って行く。それに、当然のように火神がついて行く。
咲也は、迷うまでもなかった。
キュッキュ、というシューズの音。
監督だという二年生の女の先輩に許可をもらい、咲也はステージの上から試合を眺めていた。
バスケットの試合を直に見るのは初めてだった。授業でやったことがある程度の知識、それでもこの高校が上手いということはわかる。
「黒子くん……かっこいい」
何よりも、彼がとても格好良かった。
火神との相性が相当いいようで、綺麗にパスが渡る。
素直に見惚れた。本を読んで図書室に溶け込む黒子はどこにもいない。
「ずるいよ、こんなのさぁ」
増々好きになってしまう。初めて見る、彼の真剣な表情に、流れる汗に、ひたすら胸が高鳴った。
・・・
「待たせて、すみませんでした」
部活が終わり、制服に着替えた黒子が咲也の顔を覗き込んだ。
既に日は落ちて、黒子の顔がはっきり見えなくなっている。
「お疲れ様、黒子くんってすごいんだな」
「君が見ていると思ったら、いつも以上に頑張っちゃいました」
「はは、なんだそりゃ」
試合は黒子達のチームが圧勝した。
その時と今で、また彼の表情は違っている。は穏やかで、しかし汗のニオイがまだ残っている。それにドキッとした。
「咲也くん、話しながら帰りましょう」
「ん、そのつもりだった」
「良かったです」
立ち上がって黒子の隣に並ぶ。
黒子は咲也よりも背が低かった。といっても、そこまで差があるわけではないが。バスケ部にしては小さい方だろう。
「あの、今更ですが咲也くん」
「何?」
「ボク達の関係って、なんだと思いますか?」
さっきとは違う意味でドキッとした。
今日名前を知って、そして初めて言葉を交わした。しかし、見ていた時間は長い。
それでも、咲也は黒子のことを何も知らなかったのだと、さっき試合を見て自覚した。
「なんだろうな、どっちかっていうと……これからって感じだからな」
「これから、ですか」
「え、まさかこれだけってことはないよな?」
これで終わるなんて嫌だ。
咲也は立ち止まって、黒子の手を取った。
「あの、さ。もう気付いてると思うけど、俺……ずっと黒子くんのこと目で追ってて」
「はい。とても分かり易かったですから」
「……そ、れはいいとして。それはつまり、黒子くんが気になってしまったからでして」
胸が激しく鳴り出す。
何も考えずに口走った矢先、どこまで言って良いのかわからなくなる。
黒子は何も言わずに咲也の言葉を待ってくれた。
「今日、誘ってくれて嬉しかった。見たことない、黒子くんを見れて……すごくカッコよくてさ、実はそれまで可愛いと思ってたんだけど」
「それは心外です」
「はは、ごめん」
こんな風に話せていることが、とても嬉しいのだ。
見ていただけの相手が、横に立っている。名前を呼ぶ。思いは募る一方で、止まる気配がない。
「こんなこと言ったら、黒子くんを困らせると思うんだけど。言ってもいい……?」
「言ってくれなければ分かりません」
黒子の目が、穴が開くのではないかと思う程に見つめてくる。若干上目になる黒子は可愛くて、また胸がとくんと鳴った。
「っ、……す、……」
言葉に詰まる。
視線を落とせば、繋がれた手が見えて、じわじわと汗ばむのが感じられた。
「茹でダコみたいですね」
「わ、わかってる……っホント、今顔熱くて……」
「可愛いです」
「……へっ!?」
裏返った変な声が出た。
視線を黒子の顔に戻すと、にこりと微笑んでいる。
「黒子くん……」
「はい」
「好きです、惚れちゃった、みたいです……」
「はい、ボクもです」
一世一代の告白は、あまりに呆気なく。
「ボクも、咲也くんが好きです」
「だって、そういう意味だよ!? 俺、男なんだけど、そういう」
「愛している、の方であっていますよね?」
「そうそう、そっち……で、いいの!? 本当に!?」
「はい」
あまりに呆気なく成功してしまった。
無駄に緊張した時間の方が長くて、咲也は未だに現実を疑っている。
自分だって、まさか男に惚れて告白する流れになるとは思いもしなかったのに、それがこんな簡単に。
「……これから、図書室以外で会ってもいい?」
「咲也くんのせいでここ最近は図書室に通いすぎました、暫くは行きたくないです」
「え、何それ、俺の為に図書室に来てたってこと……?」
「君こそ、そうでしょう」
探さなきゃ見えなかった彼が、今はよく見える。
繋いだ手から、そこにいる感触が伝わってくる。
「昼休みは、一緒にご飯を食べましょう」
「うん」
「君が探さなくて済むように、ボクから行きます。待ってて下さい」
「……黒子くん男前」
「当然です。あと、名前で呼んで欲しいです」
男同士で名前呼びなんて当たり前のようなことなのに、何故か嬉しくなって、そして茫然とした。
「黒子くん、の、名前……?」
「ボクは黒子テツヤです」
「はは、わかった。テツヤ、ね」
いろいろ順番を間違えたけれど。今こうして共に歩いているのだから、それでいい。
胸の中でテツヤ、テツヤと繰り返して、咲也は明日から始まる新しい日常を期待するのだった。
新しい、黒子テツヤとの日々を。
鈴木咲也はこの学校の図書室をよく利用していた。
元々本を読む習慣があったということと、静かな場所が好きだった、ということもある。
あまり人は多くない。試験前になると利用者は増えるが、それ以外で図書室内の人が増えることはなかった。
特に読みたい本があるわけではなく、適当に本を見て歩く。良さそうなものがあれば手に取って、その辺の椅子へ腰かける。これがいつもの流れだ。
しかし、その日は少し違った。
何気なく椅子に腰かけた咲也は、本を机に置いて顔を上げた瞬間にぎょっとした。
「っ……!」
思わず大きな声が出そうになったのをなんとか堪える。
窓際、咲也の斜め前に先客がいたのだ。
人の少ない図書室だ。わざわざ人の座っている近くの椅子に座ったりはしない。
(ずっと、いたのかな。だとしたら、めちゃくちゃ影薄いぞこいつ……)
今更立って席を変えるというのもあからさま過ぎる。
咲也はそのまま気にしないフリをして本を開いた。
しかし、残念ながらこの男子生徒が気になって本に集中出来ない。むしろ、少し意識を外したら居たことを忘れそうな程に薄いのに。
咲也はそれからというもの、図書室に行く度に影の薄い少年の姿を探した。
いくら影が薄いといっても、広くない図書室を探していれば見つけることが出来る。
たいてい同じ場所に、同じように座っていて。たまに眠そうだったり、本に頭を預けて寝ていたり。本を読みながら、ふと窓の方を見てぼんやりすることもあった。
日に日に楽しさは増していく。
少年は、なんだか可愛かったのだ。
・・・
お、昨日と同じ場所だ。
バレないように視線を送って少年のことが見える位置に座る。
静かな図書室に、彼はいつも溶け込んでいた。たぶん自分以外誰も気付いていない。それが少し嬉しい。
「くしゅっ」
身を屈めた少年は小さなくしゃみをして、鼻を少し擦った。
初めて見る少年のアクションに、咲也の鼓動が早まった。びっくりした、のと同時にその可愛らしいくしゃみに笑いそうになる。
きっと、しゃべっても可愛いんだろうな。
そう思った翌日。
少年は初めて友人を連れていた。
影の薄い本人とは違って、図体のでかい男。そいつのことは知っていた。
確かバスケ部の一年エースだ。クラスは違うが帰国子女で、ガタイが良くて、顔もいい。
「お前、いつもこんなとこ来てたのかよ」
「火神くん、図書室では静かにして下さい」
「わ、わぁってるよ……」
口の前に人差し指を立てて、しーっと息を出す。
一年の火神と親しいということは、少年も恐らく一年で間違いないだろう。
「黒子、まだかよ」
黒子。初めて耳にした少年の名前。意味もなく心臓が煩く鳴り響いて、顔に熱が集まってくる。
黒子は少し高めの棚に手を伸ばして目当ての本を手にすると、貸出口へと向かって行った。
火神はようやくか、とでも言いたげに息を吐き出す。
その火神と目が合った。
「なぁ、お前さ」
「え、俺?」
火神が黒子の方に向かわずにこちらに近付いて来る。
咲也はごくり、と唾を飲んだ。どうということはない、ただ火神の威圧感にびびっているだけだ。
「もしかして、黒子に用あったか?」
「い、いや、別に」
「なんか、ずっと見てただろ」
火神の親指が、黒子を示してくいっと反っている。
「俺、そんなに見てた……?」
「オレにはそー見えたけど、違ったならいいんだ。悪かったな」
「いえ、お気遣いどうも」
それだけ言って火神は黒子の方へと戻っていく。
そしてそのまま、貸し出しを終えた黒子と共に図書室を出ていった。
「何、この……」
胸を手できつく抑える。湧き上がる痛みと熱は治まらなかった。
・・・
がらがら、と横開きの扉が音を立てて閉まる。
静かで堅苦しい空間から解放されて、火神ははぁあ、と大げさに息を吐き出した。
「火神くん。彼と、知り合いなんですか?」
少し後ろを歩いていた黒子が、速足になって火神の横に追いつく。
火神を見上げる黒子の顔がいつもの無表情と何か違っていた。切なげに眉を下げて、焦っているようにも見える。
「彼って、オレがさっき話かけた奴か?」
「はい」
「いや、初対面だと思うけど」
今度は残念そうで、そして少し安心したような表情に変わる。
「なんだよ。あいつ、なんなんだ?」
「いえ、別になんでもありません。よく見かけるので気になっただけです」
そっけない黒子に、火神は諦めて小さく頷いた。
よく見かける、というだけの相手に対する反応ではなかった、と思う。しかし、黒子は何を聞いても答えないだろう。そういう奴だ。
「さっきの奴」
「その話はもう終わりましたよ」
「割と小綺麗な顔してんな」
「……そうですね」
ちらりと黒子の顔を確認すると、嬉しそうに口元を緩めていた。
「例えば……」
今度は黒子の方が積極的に語り出す。
「図書室で毎日同じ場所に来る人がいたら、火神くんはどう思いますか」
「また来たのか、ってか」
「それが美女だったらどうしますか」
「どうって、……気になる、とか」
そこで黒子は何も言わなくなった。
なんだ今のは、どういうことだ。
火神は意味がわからずに、黒子の言い出した妙な話を考えた。話の流れ的に察するには。
「その、美女ってのが、お前にとっては……さっきのあいつ、だったり」
「火神くん。ボクにとっては、見つけてもらえる、ということがとても嬉しいんです」
「はぁ……」
脈絡のない話に、火神は考えることを止めた。考えてもロクなことにはならない、なんとなく察した。
黒子は、やはり少しいつもより楽しげだった。
・・・
もう何度目になったか昼休みの図書室。
黒子という名前を知った今、図書室にこだわる必要などない。彼が何組にいて何部に所属していてどんな生徒なのか、情報を集めることは出来ただろう。
しかし、この昼休みの図書室、ここに来ることは譲れなかった。
それなのに、いつもの席に黒子が座っていない。
咲也はその周辺の席も一つ一つ確認して、それから肩を落とした。
ここで黒子を探すことを咲也が楽しんでいても、黒子がここに来ないのでは本末転倒だ。
仕方なくいつも黒子が座っている席に腰掛けて、それから机に頭を伏せた。
いつもここで何を考えているのだろう。
この図書室に、黒子を探す為に通い始めた頃は席なんて固定されてなかったのに、ここ最近はこの席にしか座っていなかった。
つまり、咲也は探してなんかいなかったのだ。
咲也も黒子が見える、同じ席にいつも座っていた。丁度、空間を一つ挟んだ、向こうの机の端だ。
あれ、ってことはこっちからも見えるじゃん。
初めて黒子の場所に来て、その事実に気付く。もしかして、黒子も毎日来る咲也の存在に気付いていたのでは。
そう思った瞬間、急に恥ずかしいことのように思えてくる。
咲也はぱっと立ち上がると、昨日ここで読んだ読みかけの本を手に取った。そして貸出口へと向かう。
「これ、借ります」
そこに座っている、恐らく図書委員の生徒だろう人に本を渡す。
もう今日は帰ろう。もし黒子が来たら、なんだか居た堪れない気持ちになりそうだから。
「名前の記入をお願いします」
B5の線が入った紙とボールペンを渡されてそれを受け取る。
その時ほんの少し指が触れて、なんだか少女漫画のようだな、と思いながらその人の顔を視界に映した。
これが可愛い女の子なら、そう思っていた咲也の頭は真っ白になった。
「黒子、くん……!?」
ボールペンを落として、思わず自分の口を覆った。
顔が熱くなる。こんな初コンタクトになるなんて思いもしない。
取り落としたボールペンを拾おうと腰を屈めた咲也に声が降り注いだ。
「何か、探していましたね」
「は、はは……」
「毎日、飽きずに」
やっぱりバレてる。
「今日は見つからなかったようですが。もう見つかりました、よね」
さっき見た通り、黒子にも咲也の姿は毎日見えていたということだろう。これは変人確定だ。
「黒子くん、あの……ですね」
「早く名前を記入して下さい」
「すみません……」
とんとん、と紙を指で叩かれ、急かされるまま咲也は自分の書き慣れた名前を細い欄に書き込んだ。
「鈴木咲也……」
「、はい」
「ようやく名前を知ることが出来ました、咲也くん」
にこりと笑う黒子の顔は、しっかりと咲也に向けられていた。とくんとくんと心臓は煩くて、今までない程高鳴っている。
「っ黒子くん、あの……!」
「図書室では静かにして下さい」
咲也はしゅん、と頭を下げて、貸出許可をもらった本を腕に抱いた。
「もし……ボクとの会話を希望するなら、放課後、体育館に来て下さい」
咲也は緩む頬をそのままに、強く頷いて図書室を後にした。
触れた指からではなく、とっくに始まっていた恋心を胸に抱いて。
・・・
放課後の体育館は、バスケ部の練習場所となっている。
どこにいれば良いのだろうとソワソワしていると、大きな影が重なって、咲也は恐る恐る振り返った。
「ここで何してんだ?」
「火神……!」
同学年であることを知っているからか、友達でもないのに安心する。
放課後が楽しみ過ぎて、図書室以外で黒子に会えることが嬉し過ぎて、HRが終わると急いで来てしまった。
まだ黒子は来ていないようだが、体育館の中には少しずつ人が集まりつつある。
「呼び捨てかよ」
「い、一度話した仲じゃん、な」
「どんな仲だよ。つか、見学か何かか?」
そういえば、火神と仲良かった黒子はバスケ部だったのだろうか、と今更ながらに思い当たる。
「黒子って、……バスケ部?」
「そうだけど、知ってて来たんじゃねーのか」
「知らなかった」
「来てくれたんですね」
びくっと体を震わせたのは火神だった。
火神の背中から顔を覗かせた黒子は嬉しそうに笑っていた。
「呼んでいておいてなんですが、これから部活なんです。咲也くんは、部活前ですか?」
「いや、俺、部活動入ってないんだ」
「それは良かったです」
黒子は足音なく体育館の方へ向かうと、ついて来いと言うように手招きをした。
「もし時間があればですが、見て行って下さい。今日は、練習試合があるので」
返事を待たずに黒子が先に体育館の中に入って行く。それに、当然のように火神がついて行く。
咲也は、迷うまでもなかった。
キュッキュ、というシューズの音。
監督だという二年生の女の先輩に許可をもらい、咲也はステージの上から試合を眺めていた。
バスケットの試合を直に見るのは初めてだった。授業でやったことがある程度の知識、それでもこの高校が上手いということはわかる。
「黒子くん……かっこいい」
何よりも、彼がとても格好良かった。
火神との相性が相当いいようで、綺麗にパスが渡る。
素直に見惚れた。本を読んで図書室に溶け込む黒子はどこにもいない。
「ずるいよ、こんなのさぁ」
増々好きになってしまう。初めて見る、彼の真剣な表情に、流れる汗に、ひたすら胸が高鳴った。
・・・
「待たせて、すみませんでした」
部活が終わり、制服に着替えた黒子が咲也の顔を覗き込んだ。
既に日は落ちて、黒子の顔がはっきり見えなくなっている。
「お疲れ様、黒子くんってすごいんだな」
「君が見ていると思ったら、いつも以上に頑張っちゃいました」
「はは、なんだそりゃ」
試合は黒子達のチームが圧勝した。
その時と今で、また彼の表情は違っている。は穏やかで、しかし汗のニオイがまだ残っている。それにドキッとした。
「咲也くん、話しながら帰りましょう」
「ん、そのつもりだった」
「良かったです」
立ち上がって黒子の隣に並ぶ。
黒子は咲也よりも背が低かった。といっても、そこまで差があるわけではないが。バスケ部にしては小さい方だろう。
「あの、今更ですが咲也くん」
「何?」
「ボク達の関係って、なんだと思いますか?」
さっきとは違う意味でドキッとした。
今日名前を知って、そして初めて言葉を交わした。しかし、見ていた時間は長い。
それでも、咲也は黒子のことを何も知らなかったのだと、さっき試合を見て自覚した。
「なんだろうな、どっちかっていうと……これからって感じだからな」
「これから、ですか」
「え、まさかこれだけってことはないよな?」
これで終わるなんて嫌だ。
咲也は立ち止まって、黒子の手を取った。
「あの、さ。もう気付いてると思うけど、俺……ずっと黒子くんのこと目で追ってて」
「はい。とても分かり易かったですから」
「……そ、れはいいとして。それはつまり、黒子くんが気になってしまったからでして」
胸が激しく鳴り出す。
何も考えずに口走った矢先、どこまで言って良いのかわからなくなる。
黒子は何も言わずに咲也の言葉を待ってくれた。
「今日、誘ってくれて嬉しかった。見たことない、黒子くんを見れて……すごくカッコよくてさ、実はそれまで可愛いと思ってたんだけど」
「それは心外です」
「はは、ごめん」
こんな風に話せていることが、とても嬉しいのだ。
見ていただけの相手が、横に立っている。名前を呼ぶ。思いは募る一方で、止まる気配がない。
「こんなこと言ったら、黒子くんを困らせると思うんだけど。言ってもいい……?」
「言ってくれなければ分かりません」
黒子の目が、穴が開くのではないかと思う程に見つめてくる。若干上目になる黒子は可愛くて、また胸がとくんと鳴った。
「っ、……す、……」
言葉に詰まる。
視線を落とせば、繋がれた手が見えて、じわじわと汗ばむのが感じられた。
「茹でダコみたいですね」
「わ、わかってる……っホント、今顔熱くて……」
「可愛いです」
「……へっ!?」
裏返った変な声が出た。
視線を黒子の顔に戻すと、にこりと微笑んでいる。
「黒子くん……」
「はい」
「好きです、惚れちゃった、みたいです……」
「はい、ボクもです」
一世一代の告白は、あまりに呆気なく。
「ボクも、咲也くんが好きです」
「だって、そういう意味だよ!? 俺、男なんだけど、そういう」
「愛している、の方であっていますよね?」
「そうそう、そっち……で、いいの!? 本当に!?」
「はい」
あまりに呆気なく成功してしまった。
無駄に緊張した時間の方が長くて、咲也は未だに現実を疑っている。
自分だって、まさか男に惚れて告白する流れになるとは思いもしなかったのに、それがこんな簡単に。
「……これから、図書室以外で会ってもいい?」
「咲也くんのせいでここ最近は図書室に通いすぎました、暫くは行きたくないです」
「え、何それ、俺の為に図書室に来てたってこと……?」
「君こそ、そうでしょう」
探さなきゃ見えなかった彼が、今はよく見える。
繋いだ手から、そこにいる感触が伝わってくる。
「昼休みは、一緒にご飯を食べましょう」
「うん」
「君が探さなくて済むように、ボクから行きます。待ってて下さい」
「……黒子くん男前」
「当然です。あと、名前で呼んで欲しいです」
男同士で名前呼びなんて当たり前のようなことなのに、何故か嬉しくなって、そして茫然とした。
「黒子くん、の、名前……?」
「ボクは黒子テツヤです」
「はは、わかった。テツヤ、ね」
いろいろ順番を間違えたけれど。今こうして共に歩いているのだから、それでいい。
胸の中でテツヤ、テツヤと繰り返して、咲也は明日から始まる新しい日常を期待するのだった。
新しい、黒子テツヤとの日々を。