黒バス(2012.10~2017.12)
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凍えるような寒い日を乗り越え、季節は春。
せっかくの春休みもほぼ毎日学校に通うのは、部活動に所属する学生の宿命だ。
そのはずだが、真司が部活に顔を出さなくなって、既に1ヶ月経っていた。
リコが聞いた彼の事情はこうだ。
…母がいい人を見つけたと家を出て行って暫く。気まぐれで適当な母がいつお金をくれなくなるかと不安で気が気ではない。
学校にも許可をもらい、バイトを始めることにしました。
バイト生活に慣れるまで、部活は休ませてください。
春休み前から、そして春休みも後半にさしかかり、真司はまだ部活に顔を出すことすらしていない。
そんな春の休日。
明日は来れるそうよ。そうリコから伝えられていたバスケ部員は、少し浮足立った朝をむかえていた。
「今日は久しぶりに真司が来るんだろ?火神も黒子も最近ずっと会ってないんだって?」
準備を済ませてストレッチを始めた伊月が何気なく問いかける。
その声に顔を上げた火神は、膝を伸ばして床に座る黒子の背を押しながら「まあ…」と不服そうに呟いた。
「春休み前も休み時間にはアイツ教室にいなかったし…まじで1ヶ月ぶりくらいかもな、…です」
「大学のこと考えて、…っ、図書室で勉強して、たそうです…っ!!か、火神く、いた…」
「ヒェ~…まだ1年なのに…!?すっごいな、真司」
感嘆の声を上げた小金井に、「もうすぐ2年だけどな」と伊月が笑う。
そう、もうすぐ学年が上がってしまう。
誠凛バスケ部は新設だったため卒業する者はいないが、見知った他校の3年生達はもう卒業しただろう。
「今から勉強ってことは、奨学金のこととか考えてんだろうな」
「そうでしょうね。元々片親で、むしろよくここまでもったわよ。準備に早すぎることはないし」
だから今日、もしかしたら「退部する」と告げられる可能性も。
言葉には出さず、リコと日向が目を合わせる。
そんな不安も抱いた矢先、ぱたぱたっと軽くも慌ただしい足音が近付いてきた。
「すみません、遅くなりました…!」
足音に重なった少し高めの少年の声。
誰よりも早く顔を上げた火神と、その隙に火神の下から抜け出た黒子。
その視線の先に立っている真司に、彼等の顔は人の目にも分かるくらい輝いた。
・・・
ストレッチも適当に、体育館の床に座る。
部員たちの視線の先には少し恥ずかしそうに俯く真司。
練習の前に伝えたいことがある…そう自ら告げた真司だが、かなり緊張した面持ちだ。
その真司を見守る部員達もまた、何を言われるのかとソワソワしている。
「リコ先輩から聞いているとは思いますが…これからもバイト中心の生活になるかなと思ってます」
今後も部活に出れない日は少なくないだろう。
真司は部員達の顔を見れず、俯いたままぐっと拳を握り締めた。
「でも部活は続けたいです。試合出れないどころか、練習も来れなくなるかもしれないけど…っ皆さんのサポート、俺にさせてください…!」
ばっと頭を下げる真司を目の前に、体育館が静寂に包まれる。
きつく握った真司の手は微かに震えていた。
今度こそ許されないんじゃないか。今度こそ、呆れられるんじゃないか、と。
しかし、それも一瞬のこと。
ばっとその場に立ち上がった小金井が、高らかに声を上げた。
「…っいいに決まってるじゃん!?」
「そうだぞ、烏羽。頭なんか下げなくていいよ」
小金井に続けて伊月も微笑み、その隣では水戸部もこくこくと頷いている。
ゆっくり体を起こした真司の視界には、普段と変わらない穏やかな空間があった。
「そういうことだ。烏羽、これからも宜しく頼む」
「もったいないとは思うけど、仕方ないわね。せっかく背も伸びて…いろんなアプローチを試したいところだけど」
日向とリコの声色の優しさに、真司はじんとこみ上げるものを飲み込んだ。
優しいこの場所に帰ってきた。
報いる方法なんて分からないけれど、でも彼らの為になんでもしよう。
そう心に誓う。
真司の決意の目の前で、立ち尽くしたままだった小金井が一歩後ずさった。
「烏羽…そういえばなんか…」
幽霊でも見たみたいな、そんな小金井の視線。
それに釣られて立ち上がった伊月も、恐る恐るといった様子で真司に近付いた。
「実はオレも…少し気付いてたんだよな…」
「…う、嘘だ…!真司、嘘だよな…!?」
じりじりと近付いてくる二人に、真司も思わず後ずさる。
咄嗟に助けを求めるためにリコを見ても、「まあいいじゃない」とでも言いたげな顔で動く気配はない。
「え、あの…な、なんですか…?」
「いいから、烏羽はそのままじっとしてろ」
「え…ちょ…」
先輩二人に挟まり、少しずつ追い詰められる。
そんな中、黒子もその場に立ち上がり、大きく開いた目で真司を見つめていた。
「い、伊月先輩、ちょ、ちょっと…」
「悪いな、少し背中貸してくれ。コガ、こっち」
真司は黒子と同じように目を開き、ぴたと合わせられた小金井の背中に体を固くした。
合わせた背中と背中。頭に乗せられた伊月の掌。
呆然とした黒子と目が合う。
直後、黒子は綺麗に起立した姿のまま、ゆっくりと後ろに倒れた。
・・・
「真司っち!黒子っち!!」
真司が来た時とは違う、ばたばたという騒がしい足音。
同時に聞こえてきた声には女子の黄色い声が重なり、当人の声の印象よりも騒がしく思わせた。
「おい、急にギャラリーがすげぇ増えたぞ」
「すませんっス…女の子達ついてきちゃって」
咄嗟に「久しぶり」もなく吐き出した火神の目の前にはキラキラとした金髪。
海常高校の黄瀬涼太は、オフだったのだろうシンプルな私服を着こなしている。
そんな黄瀬を遠目に見るギャラリーは、当然皆見知らぬ女子だ。
「つかなんで来たんだよお前」
「黒子っちと真司っちからメール来たから…っ、一体、ど、どうしたんスか…?」
黄瀬が握りしめる携帯には、真司から「テツくんが…」と、そして黒子からは「烏羽君が…」とのメッセージが届いている。
急いできた余韻だろう。黄瀬は深呼吸を繰り返した後、真司の横に膝をついた。
「黒子っち、どうしたんスか?」
「いつものだよ。練習でぶっ倒れやがった」
「え?そんだけ?じゃあ真司っちのこの連絡は…」
「…、」
携帯の画面を向けられ、真司は少し赤らんだ顔を黄瀬から逸らした。
顔の上に乗せていたタオルをずらして黄瀬の姿をとらえた黒子も、返答する気は無いらしい。
「ちょっと、何なんスか二人とも…連絡しておいて…。オレ飛んできたんスよ?」
「…いやその、実はそんな、大したことないっていうか、今になって余計言いづらいっていうか…」
「大したことなくってこんな連絡しないっしょ?」
「…それは…」
真司は黒子をチラと確認し、黒子は真司からぱっと目を逸らす。
そんな二人を今日朝から見続けていた火神はついに「めんどくせぇな!」と声を上げた。
「真司が黒子よりでかくなってたんだよ!そんだけだろ!」
火神の大きい声に、咄嗟に黄瀬が片耳を指で塞ぐ。
朝明らかになった事実。
真司の頭のてっぺんは、小金井とほぼ変わらなくなっていた。
忘れたい事実を火神に突き付けられ、黒子は静かに自身の顔を両手で覆い、真司もまた膝に自分の顔を埋めた。
「へぇ!大きくなったとは思ってたけど、そうだったんスか!」
黒子や真司の態度とは裏腹に、黄瀬はむしろ祝うみたいにパチパチと手を打つ。
どこか子供の成長を喜ぶような態度は、こっ恥ずかしいやら腹立たしいやらだ。
「それが、どうかしたんスか?」
「…、それは…」
当然不思議そうに顔を傾ける黄瀬に、真司は黒子の様子をうかがう他ない。
ついに訪れる沈黙。
そんな異様な空気を割いたのは、火神が背後から飛んできたボールを受け止めた音だった。
「っ、危ね…、ってお前ら!?」
振り返った火神が驚き声を上げる。
視線の先には図体のでかい男…青峰と緑間が立っていた。
「今日真司が復帰すると聞いて来てやったのだよ」
「よぉ。なまってねぇか見てやるよ」
「はいはーい、高尾君もいまーっす!」
つかつかと悪びれず乱入してくる面々に、「やっぱり真司すげぇ」と誰かが呟く。
桐皇のエース青峰。秀徳のエースと影、緑間と高尾。
三人ともウィンターカップでも活躍したバスケ選手だ。それが、真司の部活復帰を聞きつけ集まった。
「や、なんかそれどころじゃないんスよ、二人が変で…」
「変…?なんだ烏羽、まだ気にしていたのか」
「え!?緑間っち知ってるんスか!?」
真司の様子に気づいた緑間が、黄瀬を見下ろしフンと鼻を鳴らす。
それを見て爆笑する高尾のことは気にならないらしい。
「な、なんで!?ずっと疲れてるからって、真司っち全然会ってくれなかったのに!?」
「当たり前だろう。お前等は真司に無茶をさせすぎなのだよ」
「あ?テメェだってむっつりエロいこと考えてんだろうが」
「品のないことを言うな」
いたたまれなさに顔を背けた真司と黒子。
その二人に跳ねるようにして近付いた高尾は、真司の肩に腕を回して、「数日ぶり!」と声をかけた。
瞬間数人の表情がかたくなったのは高尾の狙い通りだろう。
「安心していーぜ、黒子。別にエロいことなんてしてねーから」
「高尾君とも、会ってたんですね」
「あっはは!真司、まじでオレ等贔屓にしてくれてたんだな」
「ちが…君等が俺のバイト先見つけるからだろ…!」
本当はバイトに集中できなくなると困るから誰にも来て欲しくなかったのだが。
偶然発見されてしまったのが運の尽き、彼らは真司のバイトが終わる時間まで待っているのだ。
そんな事情を知る由もない黒子の顔が暗くなる。
それに気付いて真司の顔も青くなる。
「あーあー…真ちゃーん、これ結構重症だわ」
「はぁ…。全く仕方のない奴等なのだよ」
緑間に向けられたのは、相棒からの助けを求める声と「いつまでサボってんのよ」という鬼の視線。
勿論後者は緑間だけに向けられたものではないが、緑間はこの厄介な状況に眉を寄せた。
「青峰、黒子は任せる。黄瀬も真司の話を聞いてやれ」
「は?いきなりなん…」
「火神、お前は練習に戻れ。オレが相手をしてやる」
「しゃーねぇな。すませーん、オレと真ちゃんも練習参加させてくれませんかねー!?」
突然仕切り出した緑間に不服そうな青峰も、采配に文句はなかったらしく、仕方ねぇなとボヤく。
真司は心底嬉しそうな黄瀬の腕に引かれ、体育館の外に連れ出されていた。
賑やかな高尾の声と体育館が遠ざかっていく。
どこに行くつもりなのかと、躊躇いながら見上げた黄瀬の顔が以前より近い。
「真司っちと高校生活、してみたかったんスよね~。真司っちの教室どこ?」
「お、怒られるんじゃないかな」
「真司っちが一緒だから平気っしょ!」
中学の頃からセンセーに信頼されてたもんね、なんて自分のことみたいに胸を張る黄瀬に思わず真司の目元が緩む。
黄瀬は近場にあった空の教室に入ると、真司を招き入れるなり扉を閉めた。
「さ、テキトーに座ろ?やっぱ奥がいいかなー」
並べられた机の間を通って、黄瀬は教室の奥へと先に歩いて行く。
大きな図体にはやはり狭そうな席に座った彼に、真司は自然と隣ではなく前の席に腰掛けた。
椅子を引いて振り返り、後ろの机に手を乗せる。
「いーっスね、この位置。すげぇ憧れてたんスよ」
「黄瀬君、なんか楽しそうだね」
「そりゃそうっしょ!お預けくらいまくってからの!久々の二人きりなんスから」
さっきまでの状況を忘れたかのように、黄瀬はへにゃと頬を緩めて笑っている。
絆され甘えそうだ。けれど、外から聞こえてくる活気あふれる運動部の声に、真司ははっと我に返る。
復帰早々部活に迷惑をかけている場合じゃない。
「ね、ねえ黄瀬君…」
「もー分かってるっスよ。じゃ、聞くよ?背が伸びちゃって何が気になるんスか?」
黄瀬は少し不服そうに唇を尖らせながら、真司の手をぎゅっと握り締めた。
暖かい掌と真っ直ぐな眼差し。
それだけで感じる黄瀬からの愛情に、真司は少し痛んだ胸を押さえた。
「…俺、まだ可愛い?」
ぽつりと、振り絞るような声で問いかける。
きょとんと開いた目は心底不思議そうに真司を見下ろした。
「めっちゃ可愛いっスよ?そんでもってめっちゃ格好良いっス」
「はは、かっこいいって」
「うん。真司っちはずーっと可愛いし格好良い。大好きっスよ」
求めていた以上の言葉だ。
それでも真司は目線を下げ、きゅっと下唇を噛んだ。
黄瀬は、そう言うと分かっていた。
でもその言葉が聞きたかった。自分は、烏羽真司は変わっていないと、そう誰かに言って欲しかった。
「あぁ…大きくなって、可愛くなくなると思ってたんスね。それで、相手されなくなるかもって?」
「…黄瀬君から見ればまだ小さいよ。でも…」
「黒子っちは違うかも?」
「……うん」
俯いたまま小さく頷く。
「そっか」と漏らした黄瀬の声は笑っていなかった。
解すように真司の唇を親指がなぞり、少し伸びた髪をその指が掬い取る。
「オレとしては…ライバルが減るのは有難いっスね」
「…」
「でも、ちょっとそれは黒子っちが可哀そうっつーか…。案外黒子っちのこと信用してないんスね。真司っちって」
溜め息混じりの声。そんなんじゃない、とは言い返せなかった。
事実、黒子は真司が大きくなったことを知りショックを受けていた。
後ろに倒れ、火神にキャッチされる程には。
「試してみよっか?」
その声が耳をかすめた瞬間、真司の髪の毛がぐいと引っ張られた。
「っい…!?」
鈍い痛みに、上げかけた声が呑まれる。
突然のことに驚いている間に、湿った感触が真司の口を割り、過敏な場所をなぞった。
ぞわと全身が震えて火照っていく。逃れようにも頭の後ろに回った手がそれを許してくれない。
「んっ、ふぁ、き、せく…!んん…」
机の端を掴んで力を入れても、がたがたと机が揺れるだけ。
とうとう諦めて目を閉じた真司は、黄瀬が教室の外に目配せしていることになど気が付かなかった。
・・・
体育館の外、涼しい風を受けながら黒子が小さくくしゃみを零す。
花粉症か?と適当に問いかけた青峰に対して返す言葉はなく、ふくれっ面の頬を指先で押すと睨みが返ってきた。
「何キレてんだよ」
「キレてません」
「キレてんじゃねぇか…いてぇ!」
脇腹へのグーパンに大きな体を丸めて震える青峰。一方、黒子は体育座りで顔を埋めたスタイルのままだ。
青峰はこの面倒な元相棒に溜め息を吐き、がしがしと頭をかいた。
「真司に抜かれたのがそんなに悔しいのかよ」
「違います」
「じゃーなんなんだよ。ったく、背なんてどうでもいいだろうが。んな変わんねェし」
青峰も久々に会った真司の雰囲気の変化には多少なりとも驚いたが、それだけだ。
むしろ少し大人びて色っぽいし、何ならさっさと抱いて泣かせたいってのに。
「君はそうですよ」
「あ?」
ぼそっと呟かれた声は青峰の耳には届かなかった。
怪訝に眉を寄せて彼を見下ろすと、心なしか恥ずかしそうに耳を染めている。
「んだよ」
「…分かってますよ、僕だって…。こんな風に落ち込んで、情けないです」
「落ち込んでたのかよ」
下がった頭、小さくなった体。
ますます小さく見えるぞとは当然言わず、青峰は黒子の言葉を待った。
こういう時は余計なことを言わない方がいい。
「君達が格好良いのは、僕が一番分かっているつもりです」
「ブッ!!んだよ急に!」
「それでなくても僕は君達とは違うのに…。彼に、好きでいてもらえる自信がなくなってきました」
だんだん小さくなっていく声は、青峰にとって初めて見る元相棒の姿だった。
それを見たくないと思う反面、面倒だと思い、かつ面白いと思う。
しかしかける言葉は全く見当たらず、青峰の眉間のシワは更に深くなった。
「あー……なら、言わせてもらうけどよ、その…テツがかっけぇの、オレはよく知って」
「気持ち悪いこと言わないでください」
「おい」
今度は青峰の浅黒い顔が薄っすらと赤く染まる。
お互い顔を逸らし妙な雰囲気が漂う中、時間がゆったりと流れる。
ていうか、同じ相手を思ってるヤツを応援するってなんなんだ。
「…あ、つか今黄瀬とアイツを二人にさせてんのか…?アイツ変なことしねぇだろうな」
何気なく思ったことを口にしただけ。
その言葉にびくと肩を揺らして顔を上げた黒子が、まさかと開いた目を青峰に向けた。
「なんてこと言い出すんですか君は」
「いやだってよ、アイツ見てっとムラムラすんだろ?」
「…」
じとっと黒子の瞳に見つめられ、青峰は思わず目を逸らした。
この口よりモノをいう目は何なんだ。
ぽりと頬をかき、嘗て教室で真司に酷いことをしかけた記憶をそっとしまい込む。
その二人の後ろ、体育館の方からばたばたと近付いてくる足音があった。
「黒子!」
何か焦るように荒げた声。その声に振り返った青峰は、飛び込んできた男に眉を寄せた。
秀徳の、確かタカオとかいうやつ。彼には緑間が一緒に誠凛の練習に混ざれなどと言っていたはずだ。
「っ、…黒子、立て!!」
一体どこから走ってきたのか、高尾の肩は試合の時並に上下に動いている。
そんな彼の様子を珍しい…と思う程よく知っているわけではないが、何かあったのだと察した黒子は、高尾に腕をぐいっと引っ張られていた。
「ど、どうかしたんですか?」
「察しろ!とりあえずさっさと1‐Bって教室に走れ!真司がやべぇから!」
青峰が妙なことを言った矢先だ。
高尾の言葉の通りに察した黒子は、さぁっと顔色を変えた。
「黄瀬君が、何か…」
「行きゃあ分かっから!早く行けって!」
黄瀬と共にいる真司の、行けば分かるやばい状況。
その状況は果たして真司にとってもやばいものなのだろうか。
過ぎった想像に黒子の顔が曇る。
「どうしてボクに言うんですか?ボクじゃない方が…」
「おいおい、なーに暗くなってんだよ。まじで勘弁しろって…!」
ぐいっと自分の腕で汗を拭う高尾の手が黒子から離れた。
高尾は明らかに焦燥している。
「じゃあオレでも良かったのか?キセキの世代止められんのは誰だよ?」
高尾の言葉に、傍で聞いていた青峰が首を傾げる。
当然これはバスケの話ではない。らしくない下品な話だ。
「ボクじゃ…」
「うじうじらしくねぇよ、黒子。いいのかよ、オレが乗り込んで混ざっても」
「駄目です」
「なら行けって。そうこうしてる間にどうなってっかしんねーぞ」
黒子は一瞬の戸惑いを見せた後、力強く頷いた。
慌ただしく立ち上がるなり、一歩前に大きく踏み出す。
そのまま走り出した黒子の足音が、体育館の音にまぎれて消えていった。
黒子の全速力なんて頼りないものだが、それでもようやく役目は果たした。
高尾は、はーっと長いため息を吐きながらその場にしゃがみこんだ。
黒子の背を見送った青峰は、未だぼんやりと首を傾げている。
「なーんでオレ、こんなことしてんだか」
「つか今の何だよ?」
「いやぁ。まさか目の前であんなん見せ付けられるなんてな?まぁさすがに黄瀬にも“ お膳立て”って意識はあんだろうけど」
本当なら乗り込んで修羅場を繰り広げるのは自分でも良かった。
しかしあの瞬間、確かに黄瀬は高尾を見たのだ。
その視線は「黒子を呼べ」と言っている、そう感じ取ってここまで戻ってきた。
高尾の存在にいつから気付いていたのか、そこも気になるところだがそれは後だ。
「何より腹立たしいのは、内輪だけで盛り上がってるってとこだよなー!」
「うるっせぇな、なんだよ」
「いつかキセキの世代に頭下げさせてぇって話」
高尾の発言に青峰が目を鋭く光らせる。
「おーこえぇ!」と上げた高尾の高い声は妙に楽しげだ。
実際のところ、真司が忙しくしていたこの1ヶ月、彼の心の支えになれていた自信はある。
まあ、緑間もだけど。
ここでは語られない記憶ににんまりと笑みを浮かべる高尾に、青峰は何かを察し、チッと舌を打った。
・・・
校舎を走るのは高校生になってから初めてかもしれない。
黒子は気が急くまま、廊下を階段をぱたぱたと走った。
好き合っている者どうし、二人きりになったらどうなるかなんて小説の中でしか見たことがない。
手を握り合うのかもしれない、口付けを交わすのかも。
胸の奥がチクチク、身勝手な嫉妬に顔が険しくなる。
きっと彼らも、ずっとこんな気持ちの中耐えてきたのだ。自分だけ、一歩下がって、認めないようにしていたけれど。
「烏羽君…っ」
高尾に言われた教室の前で一度大きく息を吐き出す。
深呼吸の後、黒子は乱暴に掴んだドアを開け放った。
学年の違う普段利用しない教室の中は、自分の教室とさして違わない。
しかし異質にも、目を見張るようなドラマのワンシーンがそこにある。
キラキラと光る黄色の髪と、赤く色付く頬。
「て…テツ君…」
驚きに丸くなった目が黒子をとらえた。
教室の奥、咄嗟に押さえたシャツの胸元、手で覆っても隠せない赤。
細められた黄瀬の目は黒子の知らない男のもののようで、それが余計に黒子を焦らせた。
「やぁっと来た。遅いっスよー黒子っち」
真司とは対照的に、黒子が来ることを分かっていたかのような黄瀬の笑顔。
立ち尽くす黒子に、黄瀬は情事を再開するかのように真司の首をするりと撫でた。
「黒子っち、いいんスか?このまま俺が真司っちにやらしーことして」
「駄目に決まってます。とりあえず二人とも落ち着いてください」
両掌を黄瀬に向けたまま、黒子がゆっくりと二人に近付く。
その様は獰猛な獣でも前にしているかのようで、黄瀬は真司から手を離すと肩を揺らして笑った。
「なんスかそれ!別に邪魔されたからって、暴れてたりなんかしないっスよ?」
「すみません、条件反射で」
当然自分が黄瀬に襲われるなどとは毛頭思っていないが、黒子は恐る恐る距離を縮める。
一方黄瀬も、バトンタッチとでも言うように、黒子に近付きその肩をぽんと叩いた。
「まあ、今日だけは黒子っちに譲るっスよ。俺のだーいすきな二人がギスギスなんて、見てらんなくって」
「黄瀬君、君…もしかして」
初めからそのつもりで高尾に。
軽くウインクをしてみせた黄瀬にいつもなら腹立たしさも覚えるところだが、黒子はこくりと頷き返した。
黄瀬の後ろでは、真司が申し訳なさそうに眉を寄せている。
「き、黄瀬君…ッ」
震える声で真司がそう呼べば、黄瀬は嬉しそうにぱっと振り返った。
「なーんスか、その顔?惚れ直した?」
「そんなの…これ以上ないってくらい惚れてるけど。ありがとう」
真司が顔を上げて、黄瀬に笑みを返す。
その瞬間、黒子にはハートの矢的なもので打ち抜かれた黄瀬が見えた。
「…っ!黒子っち!やっぱ今夜は譲って!」
「お断りします」
肩を落とし、とぼとぼと黄瀬が教室を出て行く。
それを見送った二人の間に走るのは、重たい沈黙だった。
黄瀬のおかげで緩和されていただけで、やはり黄瀬の言う「ギスギス」は終わっていなかったらしい。
「あの…へ、変なとこ見せて、ごめんね…?」
「いえ。でも、ああいうのはどうかと思います」
黒子の容赦ない言葉に、真司の頭がしゅんと下がる。
「…テツ君…その、」
それでも、真司は黒子が自分を見捨てないと信じたかった。
だから、立ち上がり向かい合う。正直に自分の気持ちを伝える為に。
「俺って…自分で言うのどうかと思うけど、小さいし髪も長めで…女の子みたいだったと、思うんだよね」
「はあ、唐突ですね」
「ごめん…でも、皆が俺なんか気に入ってくれるの、そんなとこしか見つかんなくて」
黒子の目がぴくりと見開かれた。
まん丸の、何を考えているか分からないのに人の心は見透かすような瞳。
「っ…俺、今すごく怖い。テツ君に好かれる要素、何も無いから」
打ち明けた気持ちにも、黒子の表情は変わらなかった。
見つめられ、見つめ返す。
耐え切れず目を逸らした真司に、黒子は小さく溜め息を吐いた。
「…本当に、勉強と走ること以外はからっきしですね、君は」
真司の指先に、色の白い指が触れた。
そのままぎゅっと握り締めるのは、ひやと冷たい手。
「いえ…すみません、これに関してはボクも、です」
「ど、どういう…?」
「つまり、ボクが君を不安にさせていたわけですよね」
微かに震える手から伝わる緊張感。
真司はその黒子の言葉を否定しなかった。
「ボクは若いうちから過度な接触は良くないと思っています」
「…?過度な?」
「性行為のことです。男同士だからといって、お互いの体を軽く見るようなことはしたくないんです」
真司は目を見開き、ごくりと唾を呑んだ。
黒子がこの手の話を言及したのは初めてだ。
「だからボクは、君に彼等と同じようなことをするつもりはありませんでした。でもきっと…恥ずかしかったから、も理由の一つにあったんです」
「そんなの、誰だって」
触れ合ったり、求め合うのは恥ずかしいもの。
それこそ、真面目な黒子にとっては相当の覚悟が必要なことであるはずだ。
しかし、黒子は「そうじゃないんです」と首を横に振った。
「ボクには黄瀬君のような華やかさはありません」
「…テツ君」
「青峰君のような力強さもないです。緑間君のように君を支えることも、紫原君のように君に甘えることも、赤司君のように君を包み込むことも出来ません」
握りしめる手に力が籠る。
真司が掌から感じ取ったのは不安や、恐怖、寂しさや苛立ち。
全部愛情があるからこそ生まれたものだ。
「更に君より小さいだなんて、ボクの方こそ、君に好きだと言ってもらえる要素がないとしか」
「そんなことないよ!」
「そうみたいですね」
真司が言い切るよりも早く、黒子は小さく頷いていた。
不安に瞳を揺らす真司の頬に手を当てて、するりと肌を撫でる。
「…君を大事にしたいという気持ちが、君を不安にさせてしまったなんて、元も子もないです」
「違うよ、俺が自分に自信なくて…」
「同じことです」
黒子の真剣な瞳に、真司はきゅっと唇を結んだ。
ちゃんと、黒子の話を全部聞こう。その覚悟を決めて息を呑む。
緊張した面持ちで言葉を待つ真司に、黒子は自分の手を見下ろし、ぎゅっと握り拳をつくった。
「黄瀬君の言葉を借りるようで少々不本意ですが…烏羽君」
「っ、は、はい…」
「今夜、君の時間をボクにくれませんか」
淡々と告げられたのは、小説の一文でも読み上げているかのような文句。
その黒子らしかぬセリフに、真司は他人事のように聞いていた。
だって、黒子が夜を。
真司を求めるだなんて。
「…へ!?」
「君に触りたいです」
それを裏付けるように、今度は真司の胸の上をするりと撫でる。
探り、確かめ、煽る。
真司は足の先から熱が這い上がってくるのを感じ、無意識に背筋をピンと伸ばした。
「あ、あ、う、そ、そんなの…っ、も、もちろん…っ」
「やっぱり、君は可愛いです」
「~~…テツ君…っ…」
ふっと力を抜けた黒子の笑顔に込み上げるのは、その綺麗な笑顔に対して抱くことに違和感を覚える程の劣情。
それでも許されたことが堪らなく嬉しくて、真司は黒子の腕を掴み、くいとに自分の方に引き寄せた。
そのまま高ぶった感情をぶつけるように、黒子の顔へ顔を寄せる。
「いい、よね…?今…っ」
ほんの少しのキスくらい。
震える唇が重なる距離まで近付く。
しかし、黒子はさらりとそれを避けると、真司に背を向けていた。
「…え、ちょ、テツ君、どこ行くの?」
「体育館に決まってるじゃないですか。練習に戻りましょう」
「う、嘘でしょ…!?こ、んな状態で…?」
黒子が求めてくれる。それが嬉しくて仕方ないっていうのに。
慌てて黒子の背を追いかけた真司が黒子の腕を掴む。
振り返った黒子の頬は真っ赤に染まり、血走るように目は見開かれていた。
「…分かってください。ボクも、ちょっとやばいんで」
「っ…は、はい…」
「というか、そもそもサボるのは駄目です」
「ですね…」
真面目な黒子らしい態度に、自然と笑みがこぼれる。
本当は誰よりも男らしくて、真司を包み込み、支えてくれた人。
「…テツ君、すごく、好きだよ…」
「後で、たくさん聞きますから」
「うん…」
こんなに熱くて苦しいのに、触れ合ったらどうなってしまうのだろう。
真司は黒子の腕を掴んだまま、その小さな背中を見つめて歩いた。