黒バス(2012.10~2017.12)
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「…烏羽君」
「テツ君…」
こんな状況だというのに、飛び込んできた黒子の口元は心なしか緩んでいた。
勝利の余韻だろうか、それとも真司を見つけたからだろうか。
「すみません、今の話ちょっと聞こえてました」
「え…!」
「誠凛の皆さんとのことは…気付いていながら何も言わなかったボクにも問題がありました」
言葉とは裏腹に、黒子の顔つきは変わらない。
感情の読めない黒子に感じるのは、一体どこまで知られていたのだろうという恐怖。
問い詰められたくない。その思いから目を逸らした真司の頬には、黒子の暖かい手が重ねられていた。
「知っていても、ボク達は君を諦められません。それくらい、君のことが好きなんです」
「そんな…」
「君は、どうして相談してくれないんですか」
黒子の優しい声色に胸が熱くなる。
ごめんねと頭を下げて、それからこの小さな体に手を回して、ぎゅっと強く抱き着いてしまいたい。
それを叶えることは簡単だ。
しかし、真司は願望を俯いて封じ込めた。
この真司の態度に、幻滅してくれたらいい。迷惑ばかりかける自分を、貶してくれた方がよっぽど。
「何を相談しろって言うんだよ…。俺は、身近な男に発情する変態なんですって、言えって言うの…?」
「そうじゃありません。そうやって、ボク達から離れようとしていることをです」
「そんなん、言ったら止めるじゃん」
「当たり前です」
それなのに、まだ寄り添おうとしてくれる。
現に黒子の手は真司の肩を掴んで、そっと、優しく撫でている。
「君が悩むのは分かります。ですが、勝手に決めないでください。一緒に考えさせてください」
「そーだぜ、真司。お前らがおかしいってこたぁ、とっくに分かってんだよ」
「峰ちん、何自分だけ違うみたいなこと言ってんの?」
誰一人、真司を突き放す者はいない。
そうだ。それが分かっていたからこそ、真司は誰にも言わずに赤司の元へ逃げようとしたのだ。
「ほんと…皆優しすぎるんだよ…」
真司は恐る恐る黒子の腕に触れた。
真司が言えたことではないが、細い腕だ。この腕が、ここまで導いてくれた。
「…テツ君…俺…」
素直になってもいいのだろうか。このまま皆と一緒にいたいのだと願っても。
真司のまだ躊躇う手が黒子の方へと伸びる。
しかし、その手が黒子の体に触れることはなかった。
「全く。騒がしいね」
ビリビリと空気が震える感覚。
その声が聞こえた瞬間、真司は手を引っ込めて振り返っていた。
色の違う瞳が獲物を見つけた猛獣のようにギラ光る。
明らかに昨夜と今朝と、真司に見せていたものとは違う冷めた色だ。
「予想通りも甚だしいよ。もう少し僕を楽しませてくれると思ったのに」
「赤司君…」
「チッ、来ちまったか」
青峰が苛立った様子で吐き出し、その横で紫原が「あーあ」と呟く。
緑間と黒子も特に様子を変えることはなく、どうやら突然現れた赤司征十郎に焦っているのは真司だけのようだ。
「真司、開けるなと言っただろう」
「あ…そう、だったよね。ごめん…」
「素直でいい子だね。さあ、早くこっちへおいで」
その真司へ、赤司は流れるように優雅な動作で手を差し出した。
怒っているようにも見える瞳に真司が映る。
その目にぞっとしたのは、恐らく真司だけではなかっただろう。
慌ててその手を取ろうとした真司の腕は、横から割り込んだ緑間に掴まれていた。
「一つ聞きたい。赤司、何故このタイミングでこんなことをしたのだよ」
緑間の声が珍しく反抗的に赤司へ向けられる。
ウィンターカップ決勝をひかえた今。本来ならバスケのこと以外考えることなく、集中しているべき時期だ。
その疑問は全員同じく抱いていたらしく、赤司へと向けられる視線が重くなった。
それを浴びても、赤司は調子を変えることなくフッと余裕の笑みを浮かべる。
「僕はこのウインターカップ終了まで待つつもりだったんだよ。裏切ったのはお前達だろう」
「裏切った、だと」
「そうだよ。特に大輝は、分かっているはずだね」
赤司にそうふられた青峰は、眉を寄せながらも静かに目を逸らした。
脳裏に浮かんだ光景、真司と心を通じさせた日、耳元で聞いた赤司の声。
青峰は「やっぱそれか」と一人納得してから、赤司を細めた目で見下ろした。
「ルールを守る必要が無いなら、僕だってやりたいようにやるよ」
「だからって、こんな大事な時にやるこたねぇだろ」
「ウィンターカップが終われば、僕は真司の傍にいられない。終わってからでは遅いんだよ」
赤司の言葉に、「確かに」と俯いたのは紫原だった。
赤司も紫原も、この大会が終わればそれぞれの拠点へ帰ることになる。
「けど、こんな無理矢理」
「無理矢理?選んだのは真司だ」
それでも納得出来なかった青峰の声は、赤司の言葉で遮断された。
そんな彼等をあざ笑うように、口角を上げた赤司の視線が真司に向けられる。
「真司」
「…っ、」
お前からも言ってやれと。
そう感じ取れた視線に、真司は乾いた喉をごくりと鳴らした。
怖くて、震える体を手で押さえる。それでも自分が言わなければ何も変わらない。
「赤司君が俺をおかしくした…。だから、おかしいのは俺と赤司君だけでいい」
「勝手に決めないでください」
「でも…このままじゃいられないよ。俺のせいで皆までおかしくなる必要ない」
はっきりと告げると、真司は緑間の手を振り払って赤司に寄り添った。
怖い。嫌われたくないと身勝手な思いが真司の息を震わせる。
「真司はどうするか決めたんだろう?おいで、帰るよ」
「…うん」
赤司は真司の頬を軽く掌で撫で、背中に手を添えた。
その手に促されるまま、ドアの方へ足を進める。
「烏羽君」
切なく真司を呼ぶ、黒子の声にも振り返らない。
赤司がいればいい。今日でみんなを解放するんだ。
そう言い聞かせて赤司の後ろを続く。
しかし、今度は黒子の手が真司の腕を掴んで離さなかった。
「待ってください!悩んだまま決めちゃうですか…!」
「…テツ君」
「納得できません!」
部屋に響いた黒子の声。
その透き通る声が、体の内側に流れ込んでくる。
「お願いします、真司君、もう一度考えてください。君は、赤司君のこと、それでいいんですか」
「…」
「ボクのことも…もう、いいんですか」
いいわけない。
真司はそれでも握りしめた手に爪を食いこませ、口を結んだ。
本当は皆と離れたくない。赤司とも。
「赤司君のこと…?」
「烏羽、行くよ」
真司は隣に並んだ赤司を見上げて息を止めた。
本当に愛していた赤司と、今の赤司。それをも忘れていいのかと一瞬悩んで足が止まる。
それでもあと一歩。あと少し。
ここから抜け出したなら、きっとこのまま全て投げ出せてしまうだろう。
緩んだ黒子の手を解いて一歩進む。
これでいい。そう信じて顔を上げた真司の視界に飛び込んできたのは、キラキラと輝く黄色と涙だった。
泣きながら駆け込んできたその人は、赤司の存在など気にかけることなく真司に抱き着いた。
大きな体はすっぽりと真司の小さな体を覆い尽くす。
しっとりと残る、試合で流した汗。それを洗い流すみたいに次から次へと零れる涙が、真司の肩に染み込んだ。
「うわあん!負けた、負けたあぁ…!」
ふにゃふにゃな声から、辛うじて聞き取れたのは悔しさと悲しさを纏う叫び。
思わず息を飲んだ真司の体を、大きな手は容赦なく締め付けた。
「っ、黄瀬君…!?」
「悔しいっス…!胸ん中、熱くて痛くて、苦しくてっ、でも、すげぇ、悲しくて…っ」
唸るように、言葉にならない声が黄瀬の口から吐き出される。
真司に回された腕には更に力がこもり、真司は息苦しさから顔をしかめた。
苦しい、でも、本当に苦しいのは、たぶん体じゃなくて心の方だ。
「き、黄瀬く…」
「これで終わりなんスか?もう真司っちのこと諦めなきゃダメ?嫌っス、無理っスよお」
耳元で舌っ足らずに発せられたのは、ここまで皆が隠してきた本音のようだった。
先日の紫原も似たようなことを口走っていたのを覚えている。
ウィンターカップ、真司にだけ伝えられていなかった彼等のもう一つの誓い。
それはきっと、ふらふらとしていた真司を一人のものにするためのものだったのだ。
「真司っちはオレの事好きじゃない?負けたらもうダメなんスか?」
「…っ」
「オレはずっと好きっス!何があっても真司っちのこと大好きだから、一緒にいてよぉ…!」
素直な叫びが真司の心に建てようとした壁を飛び越えてくる。
胸が熱い。顔も、熱くて苦しい。
真司の手は無意識に黄瀬の背を掴んでいた。
真司より遥かに逞しい体。それが今は小さく縮こまっているのは、自分のせいだ。
「俺だって…」
「真司っち…?」
「俺だって好きだよ…!ずっと一緒にいたい、一緒に笑いたいし、泣きたいよ…!!」
試合が終わった時に感じた胸の痛み。
黄瀬への思いも黒子への思いも、塞いで見ないようにした。
その結果はこれだ。自分だけでなく、皆も巻き込み泣かせてしまった。
「ごめん…、俺のせいでごめんね…っ」
黄瀬の胸に埋めたその声は、皆の耳に届いたかは分からない。
けれど、後ろで見ていた面々は、ようやく肩の力を抜くと互いの顔を見合った。
「こんだけ説得したのに、最後は泣き落としかよおい」
「さすが黄瀬君ですね」
「解せないのだよ」
「なにこれ、黄瀬ちんばっかずるくない~?」
各々の声が聞こえて、ゆっくりと顔を上げる。
黄瀬のぼろぼろに泣き崩れた顔は、ふにゃと嬉しそうに緩んだ。
「良かった…真司っちの、本音…」
黄瀬の頬が真司の頬に重なる。
ずしりと体にかかる重みを支えるように、背中には黒子の手が添えられた。
「君の言葉で伝えてください。君はどうしたいですか」
「…俺は」
一人、この場の空気に馴染まない男に目を向ける。
赤司の目はじいと真司を見つめていた。
違う。赤司を拒みたいんじゃない。そう叫びそうになった口をきゅっと結ぶ。
「赤司君、ごめん。俺…まだ諦めたくない」
「諦める?何を」
「皆の事…赤司君のことも」
愛し合った、もう一人の、真司を導いて守ってくれた赤司のこと。
赤司は一瞬眉をひそめ、けれどすぐにいつもの笑みを浮かべてみせた。
「そう。いいよ、その代わり僕も迷わない。真司を、僕だけのものにするから」
「っ…うん…、」
それを言われて胸がとくんと鳴る。
背を向けて歩き出した赤司に、つられて一歩。今度は誰かに掴まれることなく立ち止まり、ぱっと振り返った。
「…有難う、こんな騒ぎ起こして…それなのに、見捨てないでくれて有難う」
「君のためじゃないです。ボクが、したくてしているんです」
黒子がふわと優しく笑う。
青峰は照れくさそうに頬をかき、緑間は呆れた様子で溜め息を吐いた。
そんな皆の様子に安心して微笑んだ真司を抱き込んでいたのは、紫原だった。
「…試合の後、消えたって聞いて、まじで、びびったから…」
「紫原君…」
「俺の態度で、烏羽ちん怒らせたのかなとか、いろいろ考えたんだけど…」
真司が赤司と会ったのは、陽泉との試合後だった。
それを思い出し、真司はその大きな背に手を回した。
「ほんとにごめん…紫原君も有難う」
「だめ…好きって言って」
「うん、大好きだよ。紫原君、大好き…有難う」
届かないくらい高い位置にある紫原の頭に手を伸ばす。
くしゃと撫でた髪、その手を青峰の手が掴み取った。
「なげぇ」
「は?何」
「真司の奪い合いやめた時点でこうなるって分かってんだろ。退け」
「は~?早いもん勝ちだし」
「ちょっと!よくわかんねぇっスけど俺のおかげなんでしょ!?泣いてる俺放置やめて!」
大きい体に囲まれたこの状況に、心から喜んでいることに気付く。
本当は、これが一番良い。誰か一人なんて選んでしまいたくないのだ。
紫原と青峰の体の隙間から、黒子と目が合う。
黒子はやっぱり安心したように笑って、それから真司に手を伸ばした。
「一緒に帰りましょう」
・・・
結局ここに帰ってきた。
真司は前を歩く誠凛のメンバーを見つめながら、安堵に胸を撫で下ろしていた。
裏切りにも近い行動、それを咎める者はいなかった。
決勝を目前にした今の彼等にとって、真司の不可解で不愉快な行動など二の次三の次なのだろう。
それでいい、そうあってくれて良かった。
「…赤司君」
また会える。
そう信じているが、まだ不安もあって。一度足を止めて会場を見上げる。
ここで明日決勝が行われる。そこで勝てば、きっと何かが変わってくれるはず。
「おい、真司」
呼ばれた声に視線を戻すと、火神が目の前に立っていた。
ああなんか、懐かしくも感じる。
「ちょっと話してぇと思って。いいか?」
心なしか言いづらそうにそう切り出した火神に、真司は小さく首を縦に動かした。
先輩たちの背中に追いつかない程度の速度で歩き出す。
「…一応確認しときてぇんだけどよ…本気で赤司のとこに行きたいって思ってたわけじゃねえんだよな」
「それは…うん…俺が、楽な道に逃げようとしたのがいけなかった。ごめん」
頭を下げた真司に、火神は少し戸惑った様子で「あー…」と声を漏らした。
謝って欲しいんじゃなくて。とそう言った火神がまた言いづらそうに口を噤む。
「火神君?」
「いや…その、悪かった。俺が好きだとか言ったのも、お前を困らせてんだよな」
「え…!?な、なんでそうなんの?」
「は?だってお前…無理して一人を選ぼうとしたんだろ」
火神を見上げていた真司の口がぽかんと開いた。
ばれてる。一番そういうことに鈍そうな火神にまで。
「この手の話はよ…部外者からのが言いやすいんだろと思ったから言うけどよ」
火神の真司に合わせた歩調が、更にゆっくりと速度を落としていく。
続かない言葉。止まる足。
大きく息を吸い込む火神の頬は、赤らんで汗を滲ませていた。
「あ…あのな、俺はお前が好きとか言ったかもしんねぇけどよ、お前がいなくたって何ともねぇんだからな」
「え、」
「真司には、代わりなんていねぇってのいるんだろ。それが一人じゃねぇとしても、そう思う奴が本当に大事な奴なんじゃねぇの」
そう言う火神と目が合わない。
呆然と火神の顔を見つめる真司の視線は見えているのか、「見んな」と頭を掴まれてしまった。
「らしくねぇこと言ってんのは分かってんだよ…」
火神の手が熱く、脈打っている。
鼓動の速さが分かってしまう、火神の緊張が、直接伝わってくる。
「答えなんて慌てて出すことねぇだろ。まだ…俺等、これからのが長ェんだしよ」
「うん…」
「お前がどんな答え出したって、悔しくても納得するしかねぇの、分かってんだろ。アイツらだってよ」
アイツらと、火神が指しているのはキセキの世代と称される彼等のことなのだろう。
今回必死に真司を探したのが彼等だったのも、そうなると思っていて皆が彼等に任せたからなのかもしれない。
真司は火神の腕を掴み、自分の頭の上から退かした。
「火神君、その…俺のこと…ぎゅって、す、する…?」
胸が熱い。この熱さは、彼等にしか感じないものだと思っていたのに。
抱き締めて欲しい。その願いを安易に口にした真司に対し、火神は困ったように溜め息を吐いた。
「…馬鹿。黒子にしてもらえよ」
火神はもう迷っていない。一歩引いた"部外者"として真司を見ている。
真司に触れることなく先に歩き出した火神に、真司は暫く足を止めたままその背を眺めていた。
格好良い。そう素直に思う。
「もう迷ってねぇみたいで安心した」
「え…」
「堂々としてっからだろうな、ちょっとデカくなったかと思ったぜ」
肩越しに振り返った火神に、真司は一瞬ドキッとした胸を押さえた。
自分に笑顔が向けられたことが嬉しい。また隣に立てることが嬉しい。
「ほんとにでデカくなってんのかもよ!」
「は、もう伸びねぇだろ」
「どうかな?これから火神君抜いちゃうかも!」
「言ってろ」
今自然に笑えている。堂々と火神の隣を歩けている。
心のどこかで感じていた、迷惑をかけた誠凛の皆に受け入れてもらえるのかという不安。
それが解れて、じわと滲んだ涙を、真司は誰にも気付かれないように腕で拭い隠した。
家に帰った真司は、力尽きたように床に体を倒した。
ここ数日のことを思い出して頭が痛い。
黒子に聞かされた帝光バスケ部のことに吐き気がする。
あの後、会場を去った誠凛バスケ部のメンバーは、そのまま火神の家へと集まった。
そうしてくれと願ったのは黒子だ。
黒子が、赤司のことも含め、大事な話があると言ったのだ。
そこで語られた過去の話。
帝光バスケ部が行っていた所業。
真剣にバスケに取り組んでいた者達への、そしてスポーツへの冒涜。
「…なんで」
真司はぎゅっと手を握り締め、きつく目を閉じた。
そんな悲痛な過去を語った黒子が、頭を下げていた、その光景が頭から離れない。
『ボクは何もできなかった…ボクのせいで…』
キセキの世代と試合をして、バスケを辞めてしまったという黒子の友人。
あの頃のチームメイト、キセキの世代に勝つために、利用していた誠凛バスケ部。
黒子は一人、罪を感じながら歩んでいた。
「どうして…俺を責めてくれないんだよ…」
一方で、一人だけ能天気に生きていた自分。
話を聞いた火神が『なんでお前は知らなかったんだよ』と真司に問いかけると、黒子はすぐに首を横に振った。
『真司君はその頃試合に出ていませんでした』
『だからって試合は見てたんだろ?』
『キセキの世代がバッシングを受けたことはありません。分からないものですよ、見ていたって』
黒子は安心させるように、真司を見て微笑んだ。
ズキズキと痛む。胸が、頭が。
「テツ君…」
真司は体を起き上がらせ、頭をグシャとかき乱した。
悩んでいたって仕方ない。明日は決勝なのだ、切り替えなければ。
気が晴れないまま立ち尽くし、何度目になるか分からない溜め息を吐く。
そんなどんよりとした部屋に響いたのは、インターホンの軽い音だった。
・・・
慌てて上着に袖を通し、乱暴にドアを開く。
門の向こうに見える薄い色の髪の毛。
先ほど「また明日」と交わしたはずの黒子が、今目の前に立っていた。
「どっ、どうしたの!?さ、寒いでしょ、話なら上がって…」
冬の夜、白い息が月明かりの下でも確認出来る。
黒子はサンダルで階段を下りた真司を見上げ、首を小さく横に振って見せた。
「少しだけなので」と。それも当然だろう、もう夜も遅い時間だ。
「明日で、決着がつきますね」
長かったようで、あっという間だった。
黒子にとっては長い長い、中学の頃から始まっていた戦いの終止符になるのだろう。
「ボクの気持ち、改めて君に伝えても良いですか?」
「気持ち…?」
真司は無意識にごくりと喉が鳴らしながら、門を出て黒子と同じ高さに立った。
緊張する。
いつも安心感を与えてくれる黒子を前にして、胸が苦しくなる。
苦しんでいた黒子の傍にいながら何もできなかった。
黒子はいつでも真司の傍で、支えてくれていたのに。それをまたぐるぐると考えて。
「…っ、ぅ…」
「え、烏羽君?」
視界が揺らぎ、呼吸ができなくなった。
目から溢れた熱が、頬を伝って零れ落ちていく。
「ごめ…、俺、おれ、なんで…っ、なんでこんな、テツ君に、酷いことばっかり…!」
「ど、どうして泣くんですか」
「だって、俺は…っ、テツ君を助けられたかもしれないのに…!」
キセキの世代と呼ばれた彼等が選手として酷いことをした。
そんなことが起きたのは、彼等が強くなりすぎたからだ。本気で試合に挑めば、相手が戦意を失ってしまうから。
だから本気で戦うことをやめて、ゲームのように、試合で好き勝手遊ぶようになった。
そんな感覚、真司は知らない。
真司は凡人の一人だった。
「テツ君が悪いなら、俺だって同じだよ!なんで…っ、なんで俺に優しくするの…」
「…烏羽君」
黒子の腕を掴み、止まらない涙を地面に落とし続ける。
この胸の痛みも、苦しさも。その頃の黒子の哀しさを勝手に想像しているだけだ。
「しかも俺は、また君を裏切ろうとした…!」
体中が心臓になったみたいに脈打って熱くなった。
手の甲で目を擦り、歪んだ顔を隠して嗚咽する。
上手く呼吸ができなくて苦しい。
でも黒子はもっともっと苦しんだ。
「俺なんて…ッ、俺、なんて…!」
「好きです」
真司の声を遮るように、黒子の声が重なった。
思わず息を呑み、黒子のか細い声を聞き逃さないように声を抑え込む。
「ボクはずっと、君が幸せならそれで良いと思っています。それは今も変わりません」
黒子の手が真司の頬をスリと撫でた。
まだ止まらない涙がその指を辿って落ちていく。
「ボクだけじゃありません。皆…君が好きだから」
「っ、どうして…」
「君だけが、最後までボクたちを繋いでくれました」
そんなことない。黒子の言葉に首を大きく横に振る。
心の奥では、皆繋がっているはずだ。気持ちでも、バスケでも。
「好きです。君のことが、大好きです」
「うん…」
「ボクは誠凛と…君のために、戦います」
涙を拭った黒子の手が、真司の手をぎゅっと握り締めた。
もう離さないと、言葉にはしない黒子の思いが伝わってくる。
「…俺のためなんて、思わなくていい。テツ君の思いのために戦ってよ」
「烏羽君…」
「今まで一緒に頑張ってきた皆と、ただ、勝ちたい。俺だってそうだよ。今はちゃんと、信じてる」
「…はい」
赤司が言った「無駄なこと」なんてない。今までの努力は必ず報われるはずだ。
真司の言葉に、黒子は目を細めて微笑んだ。
綺麗な笑顔だ。
この笑顔が…明日の試合の後、もっともっと輝くのだろう。
「烏羽君、明日は、宜しくお願いします」
「え、あ、いえいえ。こちらこそ」
礼儀正しく頭を下げた黒子に、つられて真司も頭を下げる。
それからいそいそと手の甲まで覆っていた袖を捲り、黒子から真司へ手が差し出された。
明日へ、一緒に。握手をして誓う。
「…、これだけでいいの?」
「何か足りませんでしたか?」
「あ、いや、足りないというか…もっと、したくなり、ませんか?」
手を握り合ったまま、真司は照れ臭さを紛らわせるために、黒子の口調を真似て唇を尖らせた。
ぱちくりと大きな瞳が真司を見つめる。
暫くして「あ」と声を上げた黒子は、肩をすくめて真司から手を離した。
「では、失礼して」
「ん…」
黒子の手が真司の背に回される。
髪が頬をくすぐり、吐息が耳をくすぐった。
「テツ君、体冷やさないで、気を付けて帰ってね」
「はい。お気遣い有難うございます」
「あ…それとも、泊まってく?」
「いえ。それは丁重にお断りさせていただきます」
なんとも冷めた言葉と同時に、黒子の体が離される。
そりゃ本気じゃ言ってないけれど、もう少し名残惜しそうにしてくれればいいのに。
「君と、今以上の距離に近付くのは…明日、勝ってからです」
一瞬抱いた釈然としない思いが霧散する。
勝てる、それを一切疑っていない真っ直ぐな瞳と言葉。
真司は思わずプッと噴出し、もう一度黒子の体に抱き着いた。