黒バス(2012.10~2017.12)
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眠気眼を擦り、欠伸をしながら体を起こす。
体の調子はすこぶる良い。
自分の部屋よりも柔らかなシーツの上で寝ていた体は、こんな状況だというのに疲れを残していなかった。
それなのに自分の額を押さえたのは、顧みた自分の行動に呆れたからだろう。
見覚えのない景色。ものの少ない部屋。
自分は赤司の背を追い掛けた。
赤司に何か言い返すこともせず、待っている誰かの事を考える事もせず。
「…また、俺は…」
「あらやだ、起きた?」
また赤司への思いを拗らせて。
そう自分の頭を叩く為に呟こうとした独り言に、誰かの声が重なった。
はっとしてその声の聞こえた方へ顔を向けると、見知らぬ男の人が壁に背を預けて立っている。
「あ、驚かないで?私は征ちゃんに貴方を任されてるの」
「せ、せい…ちゃん?」
「ああ、征ちゃんっていうのは赤司征十郎のこと。私征ちゃんと同じ洛山のバスケ部なの」
昨日赤司に連れられて、そのまま宿泊しているホテルに連れていってもらった。
洛山の他の部員も近くの部屋に泊まっていたのだろう。
昨夜は赤司とずっと二人きりで、誰とも顔を合わせることはなかったが…
そこまで思い出し、真司はばっと布団を引き寄せた。
裸だ、服は枕元に綺麗に畳んで置いてある。
「今征ちゃん監督とミーティングで…」
「す、すみません俺…!」
「やだ、そのビジュアルで俺なの?ふふ、可愛いわねぇ」
「あ、あの、ふ、服…」
裸を晒していることを謝るべきなのか、首元の紅い痕を隠しきれなかったことに謝るべきなのか。
ともかく布団を引き寄せると、その女性的な男性は「分かってるわよ」と言わんばかりににこりと笑って見せた。
「わざわざ部屋に連れ込んで、ちょっと部屋開けるだけなのに私にお願いしてくなんて…。征ちゃんも人の子なのねぇ、愛だわ」
「っ、すみません本当に…こんな時期に俺…」
状況も勿論問題であるが、そもそもこのウィンターカップの大事な時期に、敵である誠凛の自分がいること自体も問題だろう。
実際のところ、昨夜は抱き合って寝ただけで別段如何わしいことはしていない。赤司の体に差し障るようなことは何も。
とはいえそれをアピールすることもおかしな話だ。
言葉では何とも表せない状況に頭を下げ続けていると、その人は掌でそれを制し、言い辛そうに声を震わせた。
「…一応確認するけど。征ちゃん、あなたに酷いことしてない?」
「え…?」
「無理矢理連れてこられたんじゃないわよね?」
眉を下げ、睫毛の長い目を伏せる。
その実渕の視線の先には、真司の携帯が置かれていた。
着信の履歴、たくさんの通知は、真司が心配をかけている現状を物語っている。
「あ…!」
「いいのよ、連絡入れてあげなさい?」
黒子、火神、監督に、日向。
誠凛だけじゃない。青峰に黄瀬、他校にまで広がってしまっている。
「…、」
「どうしたの?」
「あ、いえ…すみません、ご迷惑をおかけして…」
「いいのよ。私は全然、楽しんじゃってるし」
真司は暫くその画面を見つめ、少し迷いながらメールの作成画面を開いていた。
たぶん、声を聞いたらまだ気持ちがぶれる。誰の傍にいるべきか分からなくなってしまう気がしたから。
黒子へメッセージを送り、携帯をベッドの上に降ろす。
ちらと目を移動させると、頬杖ついた男性はじいっと真司を見つめていた。
「えっと…?」
「ああ私は実渕…、玲央でいいわよ?」
「えっ!?え…っと、玲央さん、」
実渕玲央、名前は知っている。木吉と同じ無冠の五将と謳われた一人だ。
元より人付き合いが上手いわけではない真司は、初対面の男性を前に困惑して視線を落とした。
なんだか緊張する。
相手の大人な雰囲気のせいか、怪しげなくらい綺麗な顔をしているせいか。
「…緊張してるの?」
「え、そ…」
そりゃそうですよ、と言葉を紡ぐ前に、大きな掌が真司の頭に乗せられた。
思いの外優しく撫でられ、余計に困惑し言葉を失う。
むしろ邪魔だから出て行ってくれと弾かれる方が自然だ。
「可愛い、本当に。食べちゃいたいくらい」
「たべ…」
実渕が口角を上げて、目を細める。
その妖艶な雰囲気に思わず実渕から目を逸らすと、カチャと扉の開く音が聞こえた。
「玲央。余計なことはしなくていい」
「あら。御主人様のお帰りね」
凛とした声に、場の空気が引き締まる。
実渕は少し残念そうに唇を尖らせてから、すっとベッドに手を付き立ち上がった。
実渕の体が大きいせいで姿が見えないが、そこにいる人を想像して真司の背筋が伸びる。
「あ、違うわよ今のは!冗談よ冗談」
「…分かっている。が、次は許さないよ」
「分かってるわよ。ほんっとご執心ね」
実渕が下がるのと同時に赤司が近付いて来る。
ぱたんとドアが閉じ切るのを待つことなく、赤司は真司の頬を片手で包んで顔を近付けた。
「あ…」
そうすることが当然であるかのように、唇を重ねる。
柔らかい感触と、抑えきれないほどの熱に、真司はとろんと目を細めた。
そのまま赤司の唇は真司の頬を撫で、耳に口付け、首を食む。
「赤司君…」
「僕以外の誰も、瞳に映す必要はない」
「っ…」
深い色に見つめられ、体の奥がぞくと震えた。
求められて嬉しいのに、求められることが怖い。彼の為だけに生きられる自信がない。
きゅっと唇を噛むと、それを解くように赤司の舌がなぞった。
「今日、秀徳との試合がある。それで真司は確信するはずだ。僕が絶対だと」
もう一度深く口付けられ、強く瞼を閉じる。
真司は何も答えることはせず、静かに赤司の首に腕を回した。
そう、こうして閉じ込めてくれればいい。
誰も近づけないように、真司には赤司しかいないのだと、思い込ませるかのように。
・・・
秀徳対洛山の試合が始まる。
真司は静かな部屋の中で、テレビに映される光景をぼんやりと目に映すだけ。
赤司は真司を連れていかなかった。
理由は、真司の心がまだ揺らいでいるからだ。
誰かに会えば、そっちについていくと分かっているから。
「…」
こんなに虚しい気持ちで試合を見るのは初めてかもしれない。
大好きな人達が試合に向かう様を、こんな風に、眺めるだけ。
真司はふうっとため息をつき、足を伸ばしながら視線を後ろに移動させた。
ベッドに背を預け、胡座をかいている人。
本を読んでいる、が、その表紙には可愛らしい女の子がスカートをひらとなびかせている。
「……」
「…」
「……、なんだよ」
真司の視線に、怪訝そうに眉をひそめたその人が顔を上げた。
薄い髪の色、目の色も薄い。
全体的にぼんやりとした存在感のせいか、いることを忘れてしまいそうだ。
「こっち見んな」
「いえ、でも…、試合」
「オレは元々試合に出たくてバスケやってんじゃない。オフになったなら、それを満喫するだけだ」
「…オフって、準決勝なのに」
テレビを振り返れば、ハイレベルな試合が繰り広げられている。
赤司がこの部屋に置いていったのは、洛山バスケ部の3年生、黛千尋。
しかもレギュラーに名を挙げている人だ。
「言っとくけど、オレは異常だと思ってる」
「え」
「こんなん、監禁じゃねえか。漫画じゃあるまいし、やるか普通」
真司は思わず目を丸くして黛を見つめた。
彼の視線は既に本へと戻っている。
それでも真司へ意識は向けているらしく、はあっと溜め息を吐いた。
「別に逃げてもいい。オレは赤司の言う事聞く気なんてねぇから」
「逃げる…」
ドアを開けば、今までの状態に戻るだろう。
誠凛の皆に合流して、次は海常との試合だ。
黄瀬とまた戦える。火神も黒子も、気持ちを高ぶらせているはずだ。
「…」
「お前、何?赤司に惚れてんのか」
「……、」
「まあ、そうなんだろうな。じゃなきゃ赤司がオレを置いていくわけがない」
ぱら、と本を捲る音が大きく聞こえた。
黒子が恋しい。黄瀬が愛しい。
それなのに、こうしてここを離れられない。赤司は全部見越していたのだろう。
灰崎との会話の後に現れたのも、全て、何もかも。
「俺は…卑怯者なんです」
ぽつり、と声が勝手に零れた。
話したって仕方がない、この人は関係ないと頭が言い聞かせるのに、口は止まらない。
「俺は…皆と一緒にいたい、けどでも、それじゃ俺しか幸せになれなくて」
「…」
「俺は状況を利用してるだけなんです。一人を…赤司君を選ばざるを得ない今を」
このまま赤司が真司を閉じ込めてくれれば、真司は言い訳が出来る。
自分は皆が好きだけど、でも、赤司を選ぶしかなかったのだ、と。
「あはは、貴方の存在感がないからって、しゃべり過ぎました。こんな、どうでも良いこと」
「いいんじゃねぇの。オレは、興味無いし。お前が話したいなら」
ぺら、とまた頁を捲る音。
同時にテレビから歓声が聞こえて来たのに、真司は茫然と、その人から目を逸らすことが出来なかった。
喉が水分を失って、からとくっ付く感覚を覚える。
こちらを見ない薄い色の瞳から思わず目を逸らし、真司は落ち着きなく擦り合わせる自分の手を見下ろした。
「き、気持ち悪いって、どうして言わないんですか…?」
「…は?」
「だって、俺、男ですよ。なのに、こんな…」
“異常だ”なんてそんな一言で済ませられる状況じゃない、自分でもそれくらい理解している。
灰崎が言っていたこと、“気持ち悪い関係”だと、そう思うことの方が正常だ。
「罵って欲しいのかよ」
吐息と共に、吐き出すように黛が笑う。
そうじゃない、いや、そうなのかもしれない。
浅はかで情けない自分を、一喝して欲しかったのかも。
「…俺、このままじゃ駄目だって…」
自然と震える声を振り絞って顔を上げる。
今罵ってもらえれば、変わらなければという思いが強くなるかもしれない。
本当は、誰も諦めたくない。皆と一緒にいたい。
そう思ってしまう欲を、塞ぐことが出来るかもしれないと。
「…めんどくせぇ」
ぽつりと黛が呟く、
その直後、テレビからわっと大きな歓声が広がり、真司はその音の方を振り返った。
秀徳と洛山。
どちらがかってもおかしくない、きっといい勝負になる、そんな小さな希望は見るも明らかに崩される。
点差はあっという間に洛山に傾き広がっていた。
「…あ」
「悪ィけど、洛山が負けることは有り得ない」
「…」
「赤司は、お前にそれを確信させたかったんだろ?」
もし、洛山に秀徳が勝ったなら。
その時は緑間の元に駆け寄って、再び誠凛の皆と戦おうと思えたのかもしれない。
「俺は、…そう、です。このまま赤司君を信じて、一緒にいれば…」
「楽に状況を変えられるわけだ」
「…だって、赤司君の言葉、全部正しいんです」
赤司の言う通りになるのなら、このまま赤司と一緒にいればいい。
一人を選べというなら、身を任せていればいいのだ、こうしてここで。
「赤司君に求められて…心底嬉しいのも、本当、ですし…」
「逃げんだな、お前は」
「え…?」
「考えることから、逃げるんだろ」
薄い色の瞳がじいと真司を見つめている。
真司はその瞳を見つめ返し、ぎゅっと唇を噛んだ。
「…っ」
「まあ、俺には関係ねぇけど」
初対面のこの人にこんなに何でも話してしまうのは、きっと、黛が黒子に似ているからだ。
顔とか、口調とか、仕草とか、全部違うのに。
「あなたは…、影ですか」
「どうだろうな」
「格好良い、ですね…」
真司の言葉に、チッと舌を打った黛が照れ臭そうに頬を指先でかく。
そんな反応が新鮮で少し嬉しくて、真司は微笑みかけてからテレビに向き直った。
秀徳は食らいついている。
泣きそうな顔で、立ち向かっているのに。
それでも、赤司はほとんど汗を流すことなく、勝利を掴む。そうあることが当然であるかのように。
素直に喜べなかったのは、黛の抉るような見透かした言葉が残っていたからだろう。
そこまで自信の内側の感情に気付いていながら、真司はやはり目を閉じて逃げようとしていた。
・・・
秀徳と洛山の試合が終わる、それと同時に、青峰は会場の外でじっと待ち構えていた。
赤司が真司を置いていくわけがない。きっと傍をぴったりと歩かせているはずだ、とそう考えていたからだ。
「ウソだろ、いねぇ」
帰り支度を済ませた洛山のメンバーがぞろぞろと会場から出てくる。
そこに、一際背の小さな少年の姿が無い。
「くそ…置いてきやがったのか…」
「なるほど」
「うお!?テツてめぇいたのかよ!」
ばっと振り返る青峰の視界に映り込んだのは、低い位置にある薄い色の髪。
びくっと跳び上がった青峰の横で、黒子はしーっと人差し指を立てた。
「良い事が分かりました」
「…なんだよ」
「烏羽君は、まだ赤司君についていくと決めた訳ではない、ということです」
「……は?」
傍から見れば明らかに怪しいだろう、物陰に隠れ、声を潜めたまま黒子が青峰を見上げる。
あっけらかんとした顔で何か分析をして見せた黒子に、青峰はぽかんと口を開いた。
「赤司君は、烏羽君を置いて来ることより、連れてくることの方がリスキーだと考えたんです」
「…んん?」
「烏羽君は、君に会えば、揺らいでくれるかもしれません」
「…よくわかんねぇ」
「君は考えるのが面倒なだけでしょう」
終始口を半開きにしたまま黒子の話を聞く青峰に、黒子は諦めた調子で息を吐いた。
赤司が真司を連れてこない、その理由は一つだ。
真司はまだ迷っている。
「烏羽君…」
洛山は決勝に駒を進めた。
誠凛と海常、勝った方が洛山と戦う事が出来る。
「最後は、君と…一緒に戦いたい」
「テツ…」
思わず漏れた黒子の本音に、寂しさと悔しさの色が滲む。
それに気付いた青峰は、頭をがしとかいてから「あのよ、」と呟いた。
「赤司が自分の決めたルールを破ったのは…オレがルールを破るって、赤司に宣言したからかもしれねぇ」
「…青峰君?」
「オレは降りた。真司が一番悲しくないように、したつもりだったんだけどよ…」
青峰が頬をかき、少し照れ臭そうに目を逸らす。
見たことの無いような顔だ。少なくとも、高校生になってからは一度も見ていない。
とはいえ、その少女漫画的な表情と仕草は、少なくとも黒子にとっては気味が悪いだけだ。
「らしくない顔しないで下さい。ルールならとっくに皆破ってましたよ」
「黄瀬か?」
「まあそうですね。なのでもう、関係ないです」
勝ちも負けも、これは駄目とかあれは駄目とか。
「関係ないですが、僕は勝ちます」
それでも、黄瀬にも、赤司にも負けない。
そう告げると、青峰はニッと笑って黒子の頭をクシャと撫でた。
「とりあえず、だ。良く分かんねぇけど、真司を連れて来させねぇとな!」
「そうですね。赤司君に、烏羽君を置いて来ることの方がリスキーであると思わせないと…」
乱暴な青峰の腕を掴んで頭の上から退かし、無表情のまま眉だけ少し下げる。
そんな二人の様子を見ていた桃色の瞳は、「私に任せてテツ君」と拳を握り締め歩き出していた。
頬に触れた柔らかい感覚に、真司はゆっくりと目を開いた。
懐かしい体温と懐かしい香りに包まれている。
視界には鮮やかな赤と、逞しい胸板。嘗てより分厚くなったそこに掌を重ねると、長い睫毛がぱちぱちと揺れた。
「ん…真司、おはよう」
「…おはよう、赤司君。起こしちゃった…?」
「朝から真司に触れてもらえるなんて、それだけで生きた心地がするよ」
いい朝だ、そう呟いた赤司の手が真司の頭に乗せられる。
そのまま髪を梳く優しい手つきは、今も昔もあまり変わらない。
きっと、それが嬉しくて仕方なかったせいだ。真司は赤司の背中に手を回し、体をぴったりと寄せた。
「ふ、懐かしいな」
「…覚えてるんだ?」
「当たり前だろう。真司と過ごした時間を忘れるはずがない。それともまだ…信じられないのか?」
耳を赤司の吐息がくすぐる。
それだけで体が熱くなるのを感じ、真司はつま先でシーツを引っ搔いた。
「赤司征十郎は僕だけだよ。真司をこんなにも欲しているのは、僕だけ…」
「ッ…」
甘い声に酔わされそうで、欲しいと求めてしまいそうで。
真司は小刻みに首を横に振り、赤司の体に絡めた腕を解いた。
「あんまり、変な気にさせないでよ…。洛山の皆さんに迷惑、かけるわけにいかないんだから…」
「ああ、そうだ。今日は真司も連れて行くからな」
「……え?」
思わずシーツに手をつき体を起き上がらせる。
見下ろした赤司の艶やかな表情に、真司はごくりと喉を震わせた。
何を考えているのか分からない。何も、考えられなくなる。
「大輝のところに優秀なマネージャーがいることを忘れていたよ。お前をここに置いてはいけない」
「も、桃井さんが…」
「それに、今はまだ悩んでいるだろう…?このままじゃ駄目だと、分かってはいるんだ」
切なく掠れた声。
頭を引き寄せられ、真司は目を閉じて息を止めた。
鼻先が触れる。唇には赤司の指が触れた。
「今の真司には帰る家もある…、このまま閉じ込めてしまいたいけど」
「あかしく、…ん、」
「それでは真司が…、心から僕のものになったとは、言えないだろ…?」
親指が口内に入り込み、薄く開いた口の隙間を覆うように唇が重ねられる。
言葉の合間にも軽く触れ、すぐに離れてまた重なる。
もどかしい口づけに瞳を揺らした真司に気付いたのだろう。赤司は口角を上げてふっと息を吐いた。
「口開けて、舌…出して」
「…っ、う、ん…」
「そう。いい子だ」
赤司が嬉しそうに目を細め、舌と舌を触れさせてから唇を重ねた。
軽く食まれ、吸われ、開いた口の端から唾液が伝って落ちる。
気持ちがいい。このまま、こうしてずっと抱き締めてくれていたらいいのに。
誰のことも思い出せないくらい、赤司で満たしてくれたら。
「…赤司君…」
「可愛い…。僕のこと考えて、もっと」
口の中で唾液が混ざり合う音が、頭に直接響いてくる。
赤司の体を疲れさせるわけにはいかないからと、昨夜何もせず眠りについた反動だろうか。
真司は無意識に腰を赤司に押しつけ、はぁっと小さく喘いだ。
「体を揺らして…そんなに僕に抱いてほしい…?」
「あっ、ち…ちが、う…けど」
「ウィンターカップが終わるまで我慢するんだよ。そうしたら壊れるくらい、抱いてあげる」
赤司の甘い声で紡がれる誘惑に、全身がぞくぞくと震えた。
期待、不安、歓喜、恐怖。
自分でも理解できない感情が膨れ上がり、真司は赤司の胸に重ねた手をぎゅっと握り締めた。
・・・
大きなモニターの設置された部屋。
赤司は洛山の人たちにも真司を会わせる気がないらしく、試合よりも随分前にここに連れて来られた。
会場の中にある、使われていない部屋らしい。
試合の様子をそのまま映し出すモニターがあるあたり、関係者用の部屋なのだろう。
『ここから出るも出ないも、自由だよ』
赤司は主将として、多くの部員を引き連れコートへ向かっていった。
今日の試合は準決勝、誠凛対海常。勝った方が明日、洛山と決勝をむかえることとなる。
きっと…本当ならベンチに座って、大きな声を張り上げて、応援していたはずだ。
それが、今は一人広い部屋、椅子に腰かけ呆然とモニターを見つめるだけ。
「…、テツ君」
傍にいたい。この後に及んでそう思ってしまう。
だから出て行かないように、自分を留めさせるために内側から鍵を閉めた。
しかし、そんなことすら忘れる程、試合開始後数分もすれば真司はモニターに釘付けになっていた。
ほぼ互角。黄瀬と火神のエース対決。
一度ベンチに下がった黄瀬はどうやら本調子ではないようで、真司は自身の手をぎゅっと握り締めて彼らを見守った。
長い試合だった。
鼻の奥がツンとして、視界が揺れる。
試合終了のホイッスルが鳴り響く頃、真司はぼろぼろと零れ落ちる涙を拭うことすら忘れていた。
勝利したのは、ゾーンに入った黄瀬に追い詰められながらも、最後にゴールを奪った誠凛。黒子のブザービーターが誠凛を勝利へと導いたのだった。
「…っ、はぁ…」
真司は手の甲でごしごしと目を擦り、すんと鼻から息を吸い込んだ。
会いたくて、抱き締めたくて仕方ない。勝利した黒子のことも、敗北した黄瀬のことも。
「早く、赤司君…」
早くここから立ち去らないと、我慢できなくなる。
真司は何も置かれていない白い机に頭を預け、深く息を吐き出した。
そんな真司の耳にコンとドアを叩く音が聞こえてきたのは、それからすぐだった。
がばと顔を上げ、慌てて鍵を閉めていたドアに駆け寄る。
「あ、赤司君…」
ゆっくりと開けたそこに立っているのは、赤司であると信じて疑わなかった。
ドアを開いた瞬間、その隙間に褐色の手が挿しこまれる。
「…よお、元気そうじゃねぇか」
「う、わ…青峰君…!?」
真司を見下ろす鋭い眼光と、低く響く声。
思わず後ずさると、後ろにあった机がガタンと音を立てた。
「何してんだよこんなとこで。さっさと行くぞ」
「ちょ、や、止めてよ。俺、行かないから」
「あぁ?」
「俺、赤司君から離れる気、ないから」
青峰のこちらに伸びかけた腕をパシと弾く。
そうでもしないと、今までの決意も空しく青峰にくっついて行ってしまいそうだった。
心が喜んでいる。青峰がこうして迎えに来てくれたことに心底感動しているのだ。
「…んでだよ。無理矢理連れてかれたんじゃねぇのか」
「そ、でも、決めたから」
「何勝手なこと言ってやがんだ。テツだって心配してたぞ。次は決勝だろ嬉しくねぇのか」
「っ…」
嬉しいに決まってる。その気持ちをのみこみ目を逸らすと、焦っているのか青峰が舌を打った。
試合が終わったということは、赤司も直ここへ来るだろう。
今ならまだ、耐えられるから早く。
そんな真司の願いは叶わず、ひょこと覗かせたのは青峰よりも高い位置にある顔だった。
「峰ちん、何してんの~?早くしてよ」
「全く何を揉めているのだよ。目立って赤司に気付かれたらどうする」
「っと、今赤司は!?」
「部員を集めていたから、ミーティングだろう。まだ暫くは大丈夫なのだよ」
紫原、それに緑間。
続々とやってきた面々に、真司は唖然としたまま今度は一歩も動けなかった。
驚きや焦りより、喜びと罪悪感の方が膨らんでいく。
「良かった、無事だったか…。全く、こんな時期に妙なことで心配かけるんじゃないのだよ」
「烏羽ちん久しぶりー。赤ちんに酷いことされてない?」
「み、緑間君…紫原君…」
青峰を押しのけて近付いてきた緑間の指が頬に触れ、紫原の手が頭を撫でた。
暖かい、この居心地の良さを思い出してしまう。
真司は自分の口に掌を押し当て、歓喜の言葉を飲み込んだ。
「こいつ行かねぇとか言いやがんだよ」
「何?まさか本当に自らついて行ったのか、烏羽」
「…、」
「言わなければ分からないのだよ。何を考えている」
緑間の手が真司の肩をきつく掴む。
やはり青峰同様の焦りや苛立ちが垣間見える。真司はその手を見下ろしたまま、すっと息を吸い込んだ。
「皆、分かってないよ。俺相当おかしいんだよ…?」
「おかしい?」
「…皆の先輩とか、誠凛の皆も…優しくされたらドキドキして、触ったりとか…したこと、あるんだよ…?」
不安からか唇が震え、声も少し上ずっていた。
放っておいて欲しいなんて言いながら、嫌われることを恐れている。
幻滅されてしまうだろうか。だとしたら都合が良いはずなのに、真司はズキズキと痛む胸を手で押さえた。
沈黙が怖い。誰か、何か言ってくれ。
「あー…火神か」
「高尾も気にしていたし、宮地先輩とも何かあったのは知っているのだよ」
「室ちんも手出してそー腹立つ」
と思いきや口々に放たれた言葉に、真司はぽかんと口を開けた。
真司の予想を大きく裏切る反応だ。
青峰は頭をかいているがあまり驚いている様子はなく、緑間は普段と変わらない顔つきで、紫原は眉を寄せてはいるが咥えた飴をコロコロと転がしている。
「…え、っと…」
「てゆーか、今それ関係ないよね~?」
「か、関係なくない…俺みたいなのほっといてって言ってるんだけど…」
今自分はかなりの問題発言をしたはずなのに、何故こんなにあっけらかんとしているのだ。
とうとう言葉が見つからず口を噤んで俯いた真司は、軽やかな足音が近づいていることに気が付いた。
「はぁ…っ、烏羽君…!」
「お、テツ。お疲れ」
「烏羽君、いるんですか?ちょっと、見えないので…紫原君と緑間君退いてください」
透き通った声。
ここまで急いで来たのだろうか息が切れている。
「んー」と不服そうな声を鳴らした紫原が真司の前から退くと、まん丸の瞳と目が合ってしまった。
体の調子はすこぶる良い。
自分の部屋よりも柔らかなシーツの上で寝ていた体は、こんな状況だというのに疲れを残していなかった。
それなのに自分の額を押さえたのは、顧みた自分の行動に呆れたからだろう。
見覚えのない景色。ものの少ない部屋。
自分は赤司の背を追い掛けた。
赤司に何か言い返すこともせず、待っている誰かの事を考える事もせず。
「…また、俺は…」
「あらやだ、起きた?」
また赤司への思いを拗らせて。
そう自分の頭を叩く為に呟こうとした独り言に、誰かの声が重なった。
はっとしてその声の聞こえた方へ顔を向けると、見知らぬ男の人が壁に背を預けて立っている。
「あ、驚かないで?私は征ちゃんに貴方を任されてるの」
「せ、せい…ちゃん?」
「ああ、征ちゃんっていうのは赤司征十郎のこと。私征ちゃんと同じ洛山のバスケ部なの」
昨日赤司に連れられて、そのまま宿泊しているホテルに連れていってもらった。
洛山の他の部員も近くの部屋に泊まっていたのだろう。
昨夜は赤司とずっと二人きりで、誰とも顔を合わせることはなかったが…
そこまで思い出し、真司はばっと布団を引き寄せた。
裸だ、服は枕元に綺麗に畳んで置いてある。
「今征ちゃん監督とミーティングで…」
「す、すみません俺…!」
「やだ、そのビジュアルで俺なの?ふふ、可愛いわねぇ」
「あ、あの、ふ、服…」
裸を晒していることを謝るべきなのか、首元の紅い痕を隠しきれなかったことに謝るべきなのか。
ともかく布団を引き寄せると、その女性的な男性は「分かってるわよ」と言わんばかりににこりと笑って見せた。
「わざわざ部屋に連れ込んで、ちょっと部屋開けるだけなのに私にお願いしてくなんて…。征ちゃんも人の子なのねぇ、愛だわ」
「っ、すみません本当に…こんな時期に俺…」
状況も勿論問題であるが、そもそもこのウィンターカップの大事な時期に、敵である誠凛の自分がいること自体も問題だろう。
実際のところ、昨夜は抱き合って寝ただけで別段如何わしいことはしていない。赤司の体に差し障るようなことは何も。
とはいえそれをアピールすることもおかしな話だ。
言葉では何とも表せない状況に頭を下げ続けていると、その人は掌でそれを制し、言い辛そうに声を震わせた。
「…一応確認するけど。征ちゃん、あなたに酷いことしてない?」
「え…?」
「無理矢理連れてこられたんじゃないわよね?」
眉を下げ、睫毛の長い目を伏せる。
その実渕の視線の先には、真司の携帯が置かれていた。
着信の履歴、たくさんの通知は、真司が心配をかけている現状を物語っている。
「あ…!」
「いいのよ、連絡入れてあげなさい?」
黒子、火神、監督に、日向。
誠凛だけじゃない。青峰に黄瀬、他校にまで広がってしまっている。
「…、」
「どうしたの?」
「あ、いえ…すみません、ご迷惑をおかけして…」
「いいのよ。私は全然、楽しんじゃってるし」
真司は暫くその画面を見つめ、少し迷いながらメールの作成画面を開いていた。
たぶん、声を聞いたらまだ気持ちがぶれる。誰の傍にいるべきか分からなくなってしまう気がしたから。
黒子へメッセージを送り、携帯をベッドの上に降ろす。
ちらと目を移動させると、頬杖ついた男性はじいっと真司を見つめていた。
「えっと…?」
「ああ私は実渕…、玲央でいいわよ?」
「えっ!?え…っと、玲央さん、」
実渕玲央、名前は知っている。木吉と同じ無冠の五将と謳われた一人だ。
元より人付き合いが上手いわけではない真司は、初対面の男性を前に困惑して視線を落とした。
なんだか緊張する。
相手の大人な雰囲気のせいか、怪しげなくらい綺麗な顔をしているせいか。
「…緊張してるの?」
「え、そ…」
そりゃそうですよ、と言葉を紡ぐ前に、大きな掌が真司の頭に乗せられた。
思いの外優しく撫でられ、余計に困惑し言葉を失う。
むしろ邪魔だから出て行ってくれと弾かれる方が自然だ。
「可愛い、本当に。食べちゃいたいくらい」
「たべ…」
実渕が口角を上げて、目を細める。
その妖艶な雰囲気に思わず実渕から目を逸らすと、カチャと扉の開く音が聞こえた。
「玲央。余計なことはしなくていい」
「あら。御主人様のお帰りね」
凛とした声に、場の空気が引き締まる。
実渕は少し残念そうに唇を尖らせてから、すっとベッドに手を付き立ち上がった。
実渕の体が大きいせいで姿が見えないが、そこにいる人を想像して真司の背筋が伸びる。
「あ、違うわよ今のは!冗談よ冗談」
「…分かっている。が、次は許さないよ」
「分かってるわよ。ほんっとご執心ね」
実渕が下がるのと同時に赤司が近付いて来る。
ぱたんとドアが閉じ切るのを待つことなく、赤司は真司の頬を片手で包んで顔を近付けた。
「あ…」
そうすることが当然であるかのように、唇を重ねる。
柔らかい感触と、抑えきれないほどの熱に、真司はとろんと目を細めた。
そのまま赤司の唇は真司の頬を撫で、耳に口付け、首を食む。
「赤司君…」
「僕以外の誰も、瞳に映す必要はない」
「っ…」
深い色に見つめられ、体の奥がぞくと震えた。
求められて嬉しいのに、求められることが怖い。彼の為だけに生きられる自信がない。
きゅっと唇を噛むと、それを解くように赤司の舌がなぞった。
「今日、秀徳との試合がある。それで真司は確信するはずだ。僕が絶対だと」
もう一度深く口付けられ、強く瞼を閉じる。
真司は何も答えることはせず、静かに赤司の首に腕を回した。
そう、こうして閉じ込めてくれればいい。
誰も近づけないように、真司には赤司しかいないのだと、思い込ませるかのように。
・・・
秀徳対洛山の試合が始まる。
真司は静かな部屋の中で、テレビに映される光景をぼんやりと目に映すだけ。
赤司は真司を連れていかなかった。
理由は、真司の心がまだ揺らいでいるからだ。
誰かに会えば、そっちについていくと分かっているから。
「…」
こんなに虚しい気持ちで試合を見るのは初めてかもしれない。
大好きな人達が試合に向かう様を、こんな風に、眺めるだけ。
真司はふうっとため息をつき、足を伸ばしながら視線を後ろに移動させた。
ベッドに背を預け、胡座をかいている人。
本を読んでいる、が、その表紙には可愛らしい女の子がスカートをひらとなびかせている。
「……」
「…」
「……、なんだよ」
真司の視線に、怪訝そうに眉をひそめたその人が顔を上げた。
薄い髪の色、目の色も薄い。
全体的にぼんやりとした存在感のせいか、いることを忘れてしまいそうだ。
「こっち見んな」
「いえ、でも…、試合」
「オレは元々試合に出たくてバスケやってんじゃない。オフになったなら、それを満喫するだけだ」
「…オフって、準決勝なのに」
テレビを振り返れば、ハイレベルな試合が繰り広げられている。
赤司がこの部屋に置いていったのは、洛山バスケ部の3年生、黛千尋。
しかもレギュラーに名を挙げている人だ。
「言っとくけど、オレは異常だと思ってる」
「え」
「こんなん、監禁じゃねえか。漫画じゃあるまいし、やるか普通」
真司は思わず目を丸くして黛を見つめた。
彼の視線は既に本へと戻っている。
それでも真司へ意識は向けているらしく、はあっと溜め息を吐いた。
「別に逃げてもいい。オレは赤司の言う事聞く気なんてねぇから」
「逃げる…」
ドアを開けば、今までの状態に戻るだろう。
誠凛の皆に合流して、次は海常との試合だ。
黄瀬とまた戦える。火神も黒子も、気持ちを高ぶらせているはずだ。
「…」
「お前、何?赤司に惚れてんのか」
「……、」
「まあ、そうなんだろうな。じゃなきゃ赤司がオレを置いていくわけがない」
ぱら、と本を捲る音が大きく聞こえた。
黒子が恋しい。黄瀬が愛しい。
それなのに、こうしてここを離れられない。赤司は全部見越していたのだろう。
灰崎との会話の後に現れたのも、全て、何もかも。
「俺は…卑怯者なんです」
ぽつり、と声が勝手に零れた。
話したって仕方がない、この人は関係ないと頭が言い聞かせるのに、口は止まらない。
「俺は…皆と一緒にいたい、けどでも、それじゃ俺しか幸せになれなくて」
「…」
「俺は状況を利用してるだけなんです。一人を…赤司君を選ばざるを得ない今を」
このまま赤司が真司を閉じ込めてくれれば、真司は言い訳が出来る。
自分は皆が好きだけど、でも、赤司を選ぶしかなかったのだ、と。
「あはは、貴方の存在感がないからって、しゃべり過ぎました。こんな、どうでも良いこと」
「いいんじゃねぇの。オレは、興味無いし。お前が話したいなら」
ぺら、とまた頁を捲る音。
同時にテレビから歓声が聞こえて来たのに、真司は茫然と、その人から目を逸らすことが出来なかった。
喉が水分を失って、からとくっ付く感覚を覚える。
こちらを見ない薄い色の瞳から思わず目を逸らし、真司は落ち着きなく擦り合わせる自分の手を見下ろした。
「き、気持ち悪いって、どうして言わないんですか…?」
「…は?」
「だって、俺、男ですよ。なのに、こんな…」
“異常だ”なんてそんな一言で済ませられる状況じゃない、自分でもそれくらい理解している。
灰崎が言っていたこと、“気持ち悪い関係”だと、そう思うことの方が正常だ。
「罵って欲しいのかよ」
吐息と共に、吐き出すように黛が笑う。
そうじゃない、いや、そうなのかもしれない。
浅はかで情けない自分を、一喝して欲しかったのかも。
「…俺、このままじゃ駄目だって…」
自然と震える声を振り絞って顔を上げる。
今罵ってもらえれば、変わらなければという思いが強くなるかもしれない。
本当は、誰も諦めたくない。皆と一緒にいたい。
そう思ってしまう欲を、塞ぐことが出来るかもしれないと。
「…めんどくせぇ」
ぽつりと黛が呟く、
その直後、テレビからわっと大きな歓声が広がり、真司はその音の方を振り返った。
秀徳と洛山。
どちらがかってもおかしくない、きっといい勝負になる、そんな小さな希望は見るも明らかに崩される。
点差はあっという間に洛山に傾き広がっていた。
「…あ」
「悪ィけど、洛山が負けることは有り得ない」
「…」
「赤司は、お前にそれを確信させたかったんだろ?」
もし、洛山に秀徳が勝ったなら。
その時は緑間の元に駆け寄って、再び誠凛の皆と戦おうと思えたのかもしれない。
「俺は、…そう、です。このまま赤司君を信じて、一緒にいれば…」
「楽に状況を変えられるわけだ」
「…だって、赤司君の言葉、全部正しいんです」
赤司の言う通りになるのなら、このまま赤司と一緒にいればいい。
一人を選べというなら、身を任せていればいいのだ、こうしてここで。
「赤司君に求められて…心底嬉しいのも、本当、ですし…」
「逃げんだな、お前は」
「え…?」
「考えることから、逃げるんだろ」
薄い色の瞳がじいと真司を見つめている。
真司はその瞳を見つめ返し、ぎゅっと唇を噛んだ。
「…っ」
「まあ、俺には関係ねぇけど」
初対面のこの人にこんなに何でも話してしまうのは、きっと、黛が黒子に似ているからだ。
顔とか、口調とか、仕草とか、全部違うのに。
「あなたは…、影ですか」
「どうだろうな」
「格好良い、ですね…」
真司の言葉に、チッと舌を打った黛が照れ臭そうに頬を指先でかく。
そんな反応が新鮮で少し嬉しくて、真司は微笑みかけてからテレビに向き直った。
秀徳は食らいついている。
泣きそうな顔で、立ち向かっているのに。
それでも、赤司はほとんど汗を流すことなく、勝利を掴む。そうあることが当然であるかのように。
素直に喜べなかったのは、黛の抉るような見透かした言葉が残っていたからだろう。
そこまで自信の内側の感情に気付いていながら、真司はやはり目を閉じて逃げようとしていた。
・・・
秀徳と洛山の試合が終わる、それと同時に、青峰は会場の外でじっと待ち構えていた。
赤司が真司を置いていくわけがない。きっと傍をぴったりと歩かせているはずだ、とそう考えていたからだ。
「ウソだろ、いねぇ」
帰り支度を済ませた洛山のメンバーがぞろぞろと会場から出てくる。
そこに、一際背の小さな少年の姿が無い。
「くそ…置いてきやがったのか…」
「なるほど」
「うお!?テツてめぇいたのかよ!」
ばっと振り返る青峰の視界に映り込んだのは、低い位置にある薄い色の髪。
びくっと跳び上がった青峰の横で、黒子はしーっと人差し指を立てた。
「良い事が分かりました」
「…なんだよ」
「烏羽君は、まだ赤司君についていくと決めた訳ではない、ということです」
「……は?」
傍から見れば明らかに怪しいだろう、物陰に隠れ、声を潜めたまま黒子が青峰を見上げる。
あっけらかんとした顔で何か分析をして見せた黒子に、青峰はぽかんと口を開いた。
「赤司君は、烏羽君を置いて来ることより、連れてくることの方がリスキーだと考えたんです」
「…んん?」
「烏羽君は、君に会えば、揺らいでくれるかもしれません」
「…よくわかんねぇ」
「君は考えるのが面倒なだけでしょう」
終始口を半開きにしたまま黒子の話を聞く青峰に、黒子は諦めた調子で息を吐いた。
赤司が真司を連れてこない、その理由は一つだ。
真司はまだ迷っている。
「烏羽君…」
洛山は決勝に駒を進めた。
誠凛と海常、勝った方が洛山と戦う事が出来る。
「最後は、君と…一緒に戦いたい」
「テツ…」
思わず漏れた黒子の本音に、寂しさと悔しさの色が滲む。
それに気付いた青峰は、頭をがしとかいてから「あのよ、」と呟いた。
「赤司が自分の決めたルールを破ったのは…オレがルールを破るって、赤司に宣言したからかもしれねぇ」
「…青峰君?」
「オレは降りた。真司が一番悲しくないように、したつもりだったんだけどよ…」
青峰が頬をかき、少し照れ臭そうに目を逸らす。
見たことの無いような顔だ。少なくとも、高校生になってからは一度も見ていない。
とはいえ、その少女漫画的な表情と仕草は、少なくとも黒子にとっては気味が悪いだけだ。
「らしくない顔しないで下さい。ルールならとっくに皆破ってましたよ」
「黄瀬か?」
「まあそうですね。なのでもう、関係ないです」
勝ちも負けも、これは駄目とかあれは駄目とか。
「関係ないですが、僕は勝ちます」
それでも、黄瀬にも、赤司にも負けない。
そう告げると、青峰はニッと笑って黒子の頭をクシャと撫でた。
「とりあえず、だ。良く分かんねぇけど、真司を連れて来させねぇとな!」
「そうですね。赤司君に、烏羽君を置いて来ることの方がリスキーであると思わせないと…」
乱暴な青峰の腕を掴んで頭の上から退かし、無表情のまま眉だけ少し下げる。
そんな二人の様子を見ていた桃色の瞳は、「私に任せてテツ君」と拳を握り締め歩き出していた。
頬に触れた柔らかい感覚に、真司はゆっくりと目を開いた。
懐かしい体温と懐かしい香りに包まれている。
視界には鮮やかな赤と、逞しい胸板。嘗てより分厚くなったそこに掌を重ねると、長い睫毛がぱちぱちと揺れた。
「ん…真司、おはよう」
「…おはよう、赤司君。起こしちゃった…?」
「朝から真司に触れてもらえるなんて、それだけで生きた心地がするよ」
いい朝だ、そう呟いた赤司の手が真司の頭に乗せられる。
そのまま髪を梳く優しい手つきは、今も昔もあまり変わらない。
きっと、それが嬉しくて仕方なかったせいだ。真司は赤司の背中に手を回し、体をぴったりと寄せた。
「ふ、懐かしいな」
「…覚えてるんだ?」
「当たり前だろう。真司と過ごした時間を忘れるはずがない。それともまだ…信じられないのか?」
耳を赤司の吐息がくすぐる。
それだけで体が熱くなるのを感じ、真司はつま先でシーツを引っ搔いた。
「赤司征十郎は僕だけだよ。真司をこんなにも欲しているのは、僕だけ…」
「ッ…」
甘い声に酔わされそうで、欲しいと求めてしまいそうで。
真司は小刻みに首を横に振り、赤司の体に絡めた腕を解いた。
「あんまり、変な気にさせないでよ…。洛山の皆さんに迷惑、かけるわけにいかないんだから…」
「ああ、そうだ。今日は真司も連れて行くからな」
「……え?」
思わずシーツに手をつき体を起き上がらせる。
見下ろした赤司の艶やかな表情に、真司はごくりと喉を震わせた。
何を考えているのか分からない。何も、考えられなくなる。
「大輝のところに優秀なマネージャーがいることを忘れていたよ。お前をここに置いてはいけない」
「も、桃井さんが…」
「それに、今はまだ悩んでいるだろう…?このままじゃ駄目だと、分かってはいるんだ」
切なく掠れた声。
頭を引き寄せられ、真司は目を閉じて息を止めた。
鼻先が触れる。唇には赤司の指が触れた。
「今の真司には帰る家もある…、このまま閉じ込めてしまいたいけど」
「あかしく、…ん、」
「それでは真司が…、心から僕のものになったとは、言えないだろ…?」
親指が口内に入り込み、薄く開いた口の隙間を覆うように唇が重ねられる。
言葉の合間にも軽く触れ、すぐに離れてまた重なる。
もどかしい口づけに瞳を揺らした真司に気付いたのだろう。赤司は口角を上げてふっと息を吐いた。
「口開けて、舌…出して」
「…っ、う、ん…」
「そう。いい子だ」
赤司が嬉しそうに目を細め、舌と舌を触れさせてから唇を重ねた。
軽く食まれ、吸われ、開いた口の端から唾液が伝って落ちる。
気持ちがいい。このまま、こうしてずっと抱き締めてくれていたらいいのに。
誰のことも思い出せないくらい、赤司で満たしてくれたら。
「…赤司君…」
「可愛い…。僕のこと考えて、もっと」
口の中で唾液が混ざり合う音が、頭に直接響いてくる。
赤司の体を疲れさせるわけにはいかないからと、昨夜何もせず眠りについた反動だろうか。
真司は無意識に腰を赤司に押しつけ、はぁっと小さく喘いだ。
「体を揺らして…そんなに僕に抱いてほしい…?」
「あっ、ち…ちが、う…けど」
「ウィンターカップが終わるまで我慢するんだよ。そうしたら壊れるくらい、抱いてあげる」
赤司の甘い声で紡がれる誘惑に、全身がぞくぞくと震えた。
期待、不安、歓喜、恐怖。
自分でも理解できない感情が膨れ上がり、真司は赤司の胸に重ねた手をぎゅっと握り締めた。
・・・
大きなモニターの設置された部屋。
赤司は洛山の人たちにも真司を会わせる気がないらしく、試合よりも随分前にここに連れて来られた。
会場の中にある、使われていない部屋らしい。
試合の様子をそのまま映し出すモニターがあるあたり、関係者用の部屋なのだろう。
『ここから出るも出ないも、自由だよ』
赤司は主将として、多くの部員を引き連れコートへ向かっていった。
今日の試合は準決勝、誠凛対海常。勝った方が明日、洛山と決勝をむかえることとなる。
きっと…本当ならベンチに座って、大きな声を張り上げて、応援していたはずだ。
それが、今は一人広い部屋、椅子に腰かけ呆然とモニターを見つめるだけ。
「…、テツ君」
傍にいたい。この後に及んでそう思ってしまう。
だから出て行かないように、自分を留めさせるために内側から鍵を閉めた。
しかし、そんなことすら忘れる程、試合開始後数分もすれば真司はモニターに釘付けになっていた。
ほぼ互角。黄瀬と火神のエース対決。
一度ベンチに下がった黄瀬はどうやら本調子ではないようで、真司は自身の手をぎゅっと握り締めて彼らを見守った。
長い試合だった。
鼻の奥がツンとして、視界が揺れる。
試合終了のホイッスルが鳴り響く頃、真司はぼろぼろと零れ落ちる涙を拭うことすら忘れていた。
勝利したのは、ゾーンに入った黄瀬に追い詰められながらも、最後にゴールを奪った誠凛。黒子のブザービーターが誠凛を勝利へと導いたのだった。
「…っ、はぁ…」
真司は手の甲でごしごしと目を擦り、すんと鼻から息を吸い込んだ。
会いたくて、抱き締めたくて仕方ない。勝利した黒子のことも、敗北した黄瀬のことも。
「早く、赤司君…」
早くここから立ち去らないと、我慢できなくなる。
真司は何も置かれていない白い机に頭を預け、深く息を吐き出した。
そんな真司の耳にコンとドアを叩く音が聞こえてきたのは、それからすぐだった。
がばと顔を上げ、慌てて鍵を閉めていたドアに駆け寄る。
「あ、赤司君…」
ゆっくりと開けたそこに立っているのは、赤司であると信じて疑わなかった。
ドアを開いた瞬間、その隙間に褐色の手が挿しこまれる。
「…よお、元気そうじゃねぇか」
「う、わ…青峰君…!?」
真司を見下ろす鋭い眼光と、低く響く声。
思わず後ずさると、後ろにあった机がガタンと音を立てた。
「何してんだよこんなとこで。さっさと行くぞ」
「ちょ、や、止めてよ。俺、行かないから」
「あぁ?」
「俺、赤司君から離れる気、ないから」
青峰のこちらに伸びかけた腕をパシと弾く。
そうでもしないと、今までの決意も空しく青峰にくっついて行ってしまいそうだった。
心が喜んでいる。青峰がこうして迎えに来てくれたことに心底感動しているのだ。
「…んでだよ。無理矢理連れてかれたんじゃねぇのか」
「そ、でも、決めたから」
「何勝手なこと言ってやがんだ。テツだって心配してたぞ。次は決勝だろ嬉しくねぇのか」
「っ…」
嬉しいに決まってる。その気持ちをのみこみ目を逸らすと、焦っているのか青峰が舌を打った。
試合が終わったということは、赤司も直ここへ来るだろう。
今ならまだ、耐えられるから早く。
そんな真司の願いは叶わず、ひょこと覗かせたのは青峰よりも高い位置にある顔だった。
「峰ちん、何してんの~?早くしてよ」
「全く何を揉めているのだよ。目立って赤司に気付かれたらどうする」
「っと、今赤司は!?」
「部員を集めていたから、ミーティングだろう。まだ暫くは大丈夫なのだよ」
紫原、それに緑間。
続々とやってきた面々に、真司は唖然としたまま今度は一歩も動けなかった。
驚きや焦りより、喜びと罪悪感の方が膨らんでいく。
「良かった、無事だったか…。全く、こんな時期に妙なことで心配かけるんじゃないのだよ」
「烏羽ちん久しぶりー。赤ちんに酷いことされてない?」
「み、緑間君…紫原君…」
青峰を押しのけて近付いてきた緑間の指が頬に触れ、紫原の手が頭を撫でた。
暖かい、この居心地の良さを思い出してしまう。
真司は自分の口に掌を押し当て、歓喜の言葉を飲み込んだ。
「こいつ行かねぇとか言いやがんだよ」
「何?まさか本当に自らついて行ったのか、烏羽」
「…、」
「言わなければ分からないのだよ。何を考えている」
緑間の手が真司の肩をきつく掴む。
やはり青峰同様の焦りや苛立ちが垣間見える。真司はその手を見下ろしたまま、すっと息を吸い込んだ。
「皆、分かってないよ。俺相当おかしいんだよ…?」
「おかしい?」
「…皆の先輩とか、誠凛の皆も…優しくされたらドキドキして、触ったりとか…したこと、あるんだよ…?」
不安からか唇が震え、声も少し上ずっていた。
放っておいて欲しいなんて言いながら、嫌われることを恐れている。
幻滅されてしまうだろうか。だとしたら都合が良いはずなのに、真司はズキズキと痛む胸を手で押さえた。
沈黙が怖い。誰か、何か言ってくれ。
「あー…火神か」
「高尾も気にしていたし、宮地先輩とも何かあったのは知っているのだよ」
「室ちんも手出してそー腹立つ」
と思いきや口々に放たれた言葉に、真司はぽかんと口を開けた。
真司の予想を大きく裏切る反応だ。
青峰は頭をかいているがあまり驚いている様子はなく、緑間は普段と変わらない顔つきで、紫原は眉を寄せてはいるが咥えた飴をコロコロと転がしている。
「…え、っと…」
「てゆーか、今それ関係ないよね~?」
「か、関係なくない…俺みたいなのほっといてって言ってるんだけど…」
今自分はかなりの問題発言をしたはずなのに、何故こんなにあっけらかんとしているのだ。
とうとう言葉が見つからず口を噤んで俯いた真司は、軽やかな足音が近づいていることに気が付いた。
「はぁ…っ、烏羽君…!」
「お、テツ。お疲れ」
「烏羽君、いるんですか?ちょっと、見えないので…紫原君と緑間君退いてください」
透き通った声。
ここまで急いで来たのだろうか息が切れている。
「んー」と不服そうな声を鳴らした紫原が真司の前から退くと、まん丸の瞳と目が合ってしまった。