黒バス(2012.10~2017.12)
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「こっからが本当の勝負だ!氷室!!」
コートへと戻った火神が、声を張り上げる。
どうやら本当に吹っ切れたらしく、ギラギラとした表情に違わぬ本来の動きを取り戻していた。
「…もう、大丈夫みたいですね」
「うん、良かった、火神君…」
隣で同じように火神を見ていた黒子が言い、真司もこくりと頷く。
胸に宿る妙な感覚はさておきだ。
真司は改めて緊張した面持ちをコートへと向けた。
火神は早速氷室の動きを何か見破ったのか、先程あっさり抜かれたのが嘘かのように動けている。
けれどその先で立ち塞がるのは紫原だ。
そのディフェンスを崩すべく強気に攻める木吉も、陽泉からのトリプルチームでじりじりと体力を削られている。
「木吉先輩の汗が…」
火神へと向けていた不安の目は、自然と木吉へ移っていた。
そしてその不安は、真司や黒子の目の前で形となってしまった。
「木吉先輩!?」
そう声を上げたのは黒子。
咄嗟に立ち上がった真司と黒子は、その大きな体を両手で支えていた。
『レフェリータイム!』
火神がいない間、ずっと一人で紫原に立ち向かっていた木吉の消耗された体力は、既に限界をむかえていたのだろう。
歪めた顔をゆっくり上げて口元にだけ笑みをつくる木吉に、真司ははっと息を呑んだ。
「悪い…黒子、烏羽」
「木吉先輩、無茶しすぎです…っ」
「ん?いや、大丈夫だ、ちょっとつまずいて転んだだけ…」
それでも尚笑って言う木吉は、まだ試合に出続けるつもりなのだろう。
真司はばっとリコを見上げた。
「リコ先輩!俺が代わりに出ます…!」
「はあ?何言ってるの、それは駄目よ」
「でも俺、」
きっと戦える。
そう続ける前に、木吉の手が真司の腕を掴んでいた。
「大丈夫だ、まだいける。すまん、心配かけて」
「い、いえでも…」
「いくらなんでも、烏羽の体じゃ吹っ飛ばされるだけだろ」
口を開く真司に、何か言わせる間もなく。
木吉はその大きな手で今度は真司の頭をがしがしと撫でると、黒子の手に支えられながら立ち上がった。
「やっとここまで追い上げたんだ、今の流れを途切れさせたくない」
「鉄平…でもあなた本当に…!」
「大丈夫だ。やらせてくれ」
リコも不安そうにしながら、木吉の意思に押されて言葉を呑み込む。
そんなリコを安心させようとするのか、やはり木吉はにこりと笑った。
「まだまだやれるさ。勝とうぜ、皆で!」
ぱっと黒子の手からも離れて、日向達の方へと歩き出す。
きっと何を言っても木吉の中に、引っ込むという考えはないのだろうし変わらないのだろう。
「俺、でも本当に…やれるのに…」
ベンチに座るも、真司はきゅっと唇を噛んだ。
紫原と戦える、それは背が小さいからこそなのだ。たとえリーチが長かろうと、あまりに低いドリブルは逆に扱いにくい。
それは中学の時に証明されているのに。
「烏羽君…」
「それに俺…青峰君とだって…」
そう、青峰が呆れて笑う程度には、バスケが出来ないなんてことはなくて。
そんな真司の考えを感じとったのか、黒子は静かに首を横に振っていた。
「烏羽君、君は確かに紫原君に止められたことないです。でもそれは同じチームだった時の話でしょう」
「っ、」
「今は違います。それでなくても、今の君には…走って突っ込む、それしかないんですから」
黒子の言葉に、言い返す言葉はない。
黒子にはっきりと言われて、改めて自分の弱さを自覚した。
今までは、守られて、走る場所を作ってもらっていただけだ。結局一人じゃ何も出来ない。
「ごめん…」
「謝らないで下さい。ごめんなさい、ボクも、君に無茶して欲しく無くて、酷いことを言いました」
「ううん、有難う」
「烏羽君。大丈夫ですよ」
「…うん」
大丈夫。そんなこと分かっている。
だって火神には氷室の動きが見えているし、誠凛のチームワークは何ら崩れていない。
実際にも、流れはじわじわと誠凛に傾き始め、点差も少しずつ縮まっていた。
「頑張れ!頑張れ皆!!」
第3クォーター終盤、5点差に追いつき、黒子が応援の声を大きくする。
「…っ頑張れ…!」
けれど、続けて声を張った真司には、未だに大きな不安が胸につっかえていた。
いや、真司だけではない、誠凛の誰もが決して気を抜いてはいなかった。
未だ動き出していない一人の存在、彼を包む空気が変化していることに気付いていたからだ。
この時既に、ずっとゴールの下で壁となっていた男の目付きは明らかに変わっていた。
その鋭い目は一度ベンチに座る真司に向けられ、そして目の前にいる木吉へと移動する。
「ねえ、本当なんだ…烏羽ちん、怪我したの」
「…!」
「アンタのせい…なんでしょ?木吉」
とうとう、その大きな足が一歩前に出た。
「あー…もうこれ以上は無理だわ。不愉快すぎて吐きそうだ…お前等みたいなのがうごめいてるのは」
それでなくとも溜まっていた鬱憤が、完全に何か振りきれて治まらなくなっていた。
誠凛に、真っ直ぐと向けられた敵意。
そのオーラに、誰もが一瞬身を固めて彼を見上げた。
「努力だの、根性だの、信念だの…ヒネリつぶしてやるよ、全て」
ここまでディフェンスに徹していた紫原が、オフェンスに参加する。
それがどれ程のものなのか、少なくとも黒子と真司は良く知っている。
知らずとも、それは身を以て実感することとなった。
「…どうやって止めんだ…こんなバケモノ…」
そう思わず呟いたのは火神だった。
何人ディフェンスに入ろうとも、紫原は止まらない。それどころか、全員を吹き飛ばしてゴールにボールを叩き付ける。
紫原の攻撃を止めようとした木吉は、とうとうコートで倒れ込んでしまった。
「木吉先輩…!」
ベンチで叫んでも、何の意味も無い。
倒れた木吉に手を差し伸べた紫原は、ぐいと木吉を持ち上げ口を開いた。
「あーあ、限界だね。結局あんたは成す術なく、あげく体力も尽きた」
「…紫、原…」
「どう?またなんも守れなかったわけだけど…楽しかった?バスケ」
木吉を見下ろして、冷めた口調で言う。
「紫原!どういうつもりだ!?」
「え?起こしてあげただけだよ?」
日向が紫原を止めようと口を挟めば、紫原はやはり何ともない様子で「はい」と木吉から手を放した。
もうメンバーチェンジはやむを得ない。
リコに指示された黒子が立ち上がり、一方で木吉は日向に支えられながらベンチへと戻って来た。
「…黒子、すまん、あとは頼む…」
ぽんと黒子の肩に手を乗せて、二人が入れ替わる。
強く噛んだのだろう、木吉の唇は切れて血が滲んでいた。
それに気が付いた黒子の瞳は、明らかに強い意志を持って紫原へと向けられた。
「…ボクが代わりに、君を倒す!」
「はあ…?」
「人の努力を否定してしまう君には、絶対に負けたくない」
「だから、そーゆーキレイごとがウザいっつってんだよ、黒ちんさあ!」
黒子と紫原は、帝光中の頃からぶつかることが多かった。
真司でさえ紫原との衝突は何度かあった。
それは、生まれ持ったモノの差だ。きっと、仕方のない事なのだろう。
「きっと、誰も間違ってはいないんですよね…」
「烏羽…?」
隣に座った木吉に向けて、真司はぽつりとそう零した。
「木吉先輩、俺は間違ってないと思うんです。…紫原君の言うことも間違ってないって」
「…烏羽」
「俺は…どんなに頑張っても紫原君に勝てない」
真司が中学の時、紫原に負けなかったのは、紫原が優しかったからだ。
小さな真司が弾き飛ばされないように、無意識にセーブしてくれていたのだろう。
そう、今更気付かされた。
だって、紫原に負けたことがなくても、勝ったことも一度もないのだ。
「悔しいけど…体格の差は、どうにもならない…。才能って、確かにあるんですよね」
決して、紫原のきつい言葉を弁解したいわけではなくて。
「考え方とか…ぶつかるのは、仕方ないんだって」
「…そうだな」
その瞬間、ビーッという大きな音と、大きな歓声が辺りを包み込んだ。
点差はたったの5点。
残すは第4クォーターのみ、しかし追いつける余地を残して2分間のインターバルに入った。
この試合、依然として誠凛は陽泉のポイントを超えていない。
それでも喰らいつき、それどころか追いつく勢いだった第3クォーターの後。
皆汗を流しながらも揺らがない意志を宿していた。
「やはりきついなオールコートは…最後まで持つか?」
「持たすんだよ!じゃなきゃ一気に引き離される、このまま行くぞ!」
現状の疲労なんて考えない。皆の勝利への思いは同じ方向へと向かっている。
真司はそれを見て頬を緩めながら、ぱっと木吉の方へと向き直った。
「木吉先輩、足は痛みませんか?」
恐らく第4クォーター木吉は試合には出れないだろう。
足の痛みは勿論のこと、悔しいという思いもあるだろう。
「…」
「木吉先輩?」
反応の無い木吉を不思議に思い、念の為にと手に持っていたアイシングを床に置き、顔を近付ける。
ポジティブ、いつでも前向き。そう見える木吉が案外いろいろと背負いがちであることはもう知っている。
「っ、木吉先輩!?」
だから、その瞳に涙が浮かんでいることに気付いた真司は、大きな声で彼の名を呼んでしまった。
少なからず木吉の体を心配していた誠凛のメンバーの視線は、一斉に木吉へと集まる。
そしてやはりその木吉の瞳の揺らぎに気付き、驚き目を丸くした。
「…って、木吉、お前何泣いてんだ!」
「あれ、なんでだ…?」
きょとんとするのは当の本人。
木吉は自分の涙を指でなぞり、ぽかんとした表情のまま口を開いた。
「お前等見てたら…頼もしくて、一人じゃないことを実感してつい…」
微かに震える声と同時に、未だ止まらない涙がぽろぽろと零れ落ちる。
それを見て、皆釣られて目頭を押さえる…なんてことにはならなかった。
「今更何当たり前の事言ってんだお前!逆に腹立つわ!」
「え」
「コガ、ちょっとそこのバッグからハリセン出して」
「え、そんなのあ…あった!?」
まだ負けているこの局面において、この緊張感の無さ。
ある意味誠凛らしいこの瞬間が愛しくて、真司は思わず「ふふ」と声を漏らしていた。
「…烏羽?」
「すみません、俺はちょっと安心しました…、ふふ」
今度は木吉を含め日向も伊月も皆がぽかんと真司を見上げ、それから釣られたようにふはっと笑い出した。
「木吉、お前が一番大事なこと忘れててどーすんだよ」
「え?」
「楽しんでこーぜ、だろうが、ダァホ」
結局ぺしっと一発木吉の頭を叩いた日向が、すっと立ち上がる。
そしてそのままコートへ踏み出した。
「よし、そろそろ行くぞ!」
「おう!」
これから最後の闘いに挑む彼等の背中が、余りにも心強い。
それは木吉も感じたようで、はぁっと息を吐いてから、木吉らしい笑顔を見せた。
「はは、怒られちまった」
「木吉先輩が的外れなこと言うからですよ」
「だよなあ」
きっと、そんならしくない事を考えてしまうくらい、紫原の言葉が刺さっていたのだろう。
それも、少しは晴れただろうか。
様子を窺うように木吉を見ていると、木吉は一人力強く頷いてからリコへ視線を向けた。
「リコ、やっぱりオレは、バスケが楽しいし、やっててよかったよ」
「何言ってんのよ急に…」
「だからすまん、これっきりだ、頼みがある。何とかオレを動けるようにしてくれ」
穏やかな雰囲気から一転、リコが大きく目を開いて動揺を見せる。
真司も思わず「え」と声を零していた。
「ま、まさか木吉先輩、まだ出るつもりじゃ…」
「リコ、頼む」
真司の不安など目にも止めず、リコに向けた目を逸らさない。
暫く見つめ合った二人、折れたのはリコの方だった。
「わかったわ。止めても、どうせ無理矢理出るんでしょ」
「リコ…」
「3分だけちょうだい。その間、指揮任せるわ」
立ち上がりながらそう言ったリコに、戸惑いながら頷く。
そのままコートへ視線を戻した真司は、隣から指でつんと突かれ「うわ」と声を上げた。
「こ、小金井先輩?」
「こっちは任せて、烏羽も行ってきなよ」
「え、でも」
「監督のすごーい技烏羽的には見たいんじゃないの?」
ね?と改めて言われ、真司は思わずリコと木吉が去った方を振り返った。
確かに、と思う。今後木吉を支える為にも、リコの助けになる為にも必要なことだろう。
「あ、有難うございます。行ってきます」
「おー。あ、でもトラウマにならないといいけど…」
「え」
何やら恐ろしい発言に、ひくと顔を引きつらせて席を立つ。
そのまま駆け足にリコと木吉の後を追って、医務室へと急いだ。
・・・
「…、き、木吉先輩…大丈夫ですか…?」
やっとの思いで絞り出した声は、そんな在り来たりなものだった。
握りしめる木吉の手のきつさに、少し顔をしかめ、汗ばんだ顔にタオルを当てる。
「…ああ…大丈夫、だ…」
「鉄平、今は弱音吐いたっていいのよ」
「いや…」
木吉の足にテーピングを巻いて、リコがようやく「よし」と呟く。
先程までのリコの技は、そう易々と真似できないというか。
何より木吉の痛がる様子を見て、そんな簡単なものではないのだと察したところだ。
「やっぱりリコ先輩ってすごいんですね」
「何よ急に」
「その…そういう技術だけじゃなくって、そういうの背負う度胸というか」
「まあ、自分の腕に自信があるからね」
まだ目は木吉の足に向けられたまま。
けれど自信満々にそう言うリコに、真司はズキリと胸が痛むのを感じた。
「…リコ。ありがとな」
「こっちこそ…貴方に頼ることになっちゃって…」
二人の深い絆が垣間見える。
それが何故だか悔しくて、真司はリコから静かに目を逸らした。
「…じゃあ、私は先に戻るから。貴方たちも間に合うように来なさいよ」
「えっ」
「鉄平まだ動けないだろうし…。私待ってるわけにいかないから」
烏羽君宜しく。と軽く言われて、思わず踏み出した足は、木吉の手によって引き止められる。
はっとして振り返ると、木吉は真司をじっと見上げていた。
「…烏羽、悪いなあ。心配ばっかりかけちまって」
「い、いえ!」
慌てて首を横に振る。
木吉は疲れた顔で笑うと、真司の手から手を離した。
「試合出たかったか?」
「で…」
「リコみたいになりたいか?」
「…?」
立て続けに向けられた質問に、真司は言葉なく首を傾けた。
どちらも、正直に言えば「そう」だ。
その真司の心を見破ったのか、木吉はやはり微笑んで、真司の腕をポンと叩いた。
「烏羽は、自分のなりたい道を自分で開いていいんだぞ」
「木吉先輩…」
「誰かの、マネじゃなくてな」
一瞬きょとんとして、それから真司の顔はかっと赤くなった。
たった今感じた迷いも、全部木吉には気付かれてしまったのか。それとも、偶然のアドバイスなのか。
「お、その顔いいな。可愛い」
「ば…馬鹿、言わないで下さい…」
「ま、若いうちはいっぱい悩むといいさ」
「それは…先輩に言われたくないです」
「あ、そうだよな、オレのせいだもんなあ」
「いえ、そっちではなく」
本当におっさんみたいなことを言う人だ。
真司は起き上がろうとする木吉の背中を支え、隣に並んだ。
「俺が先輩元気づけなきゃなとこなのに…何か、すみません」
「ん?オレ元気づけられたぞ?」
「え、いつ」
「烏羽は反応が可愛い」
にっこりと笑う木吉に悪気はないのだろう。
真司は突っ込む気ももう失せ、手を離れて歩き出す木吉の背中を追った。
「手、貸しますよ?」
「ん。大丈夫。これから試合出るのに、歩けないんじゃ仕方ないだろ」
本当に。こんなに緩い人なのに、どうしてこんなにも力強いのだろう。
安心感が胸の中に広がる。この広い背中が、今は愛しくて仕方がない。
「…先輩」
「よし、行くぞ」
「はい!」
聞こえてくる歓声。
そしてボールの音とバッシュの音と、大好きな声援。
ほんの少しの不安も、真司の胸の中には残っていなかった。
コートへと足を踏み入れた木吉を見送り、真司は再びベンチへと戻った。
木吉がいない状態だからこそか、誠凛は必至に喰らいついていたようだ。
追いついた点差と会場の空気から分かるそれに、真司は緊張していた体を綻ばせた。
「よっしゃ!追いついた!」
「いけ!火神!!」
ベンチで張り上げられるメンバーの声にも、既に勝利への期待が込められている。
もしかして、これはもう。そうどこかで感じ始める。
それなのに同時に湧き上がる不安に、真司はコートで妙なオーラを放つ紫原へ目を向けた。
「…紫原君…?」
そう呟いた真司に、降旗が目を丸くしてこちらを振り向く。
どうしたんだ、そう言いたげな視線に気づきながら、真司は口元を手で覆った。
木吉と共に戻ってきた時、既に紫原の様子はいつもと違っていた。
長い髪を結って、晒されるその切れ長の瞳には光が宿っている。
「…そんな、まさか」
「烏羽?」
「紫原君が、ゾーンに」
「え?」
もう残された時間はわずか。
追い詰められた状況で紫原の目が更にギラギラと光ったのを、真司は見逃さなかった。
明らかな変化に、当然周りも気付く。
紫原がゾーンに入る。それは有り得ないことだったのだ。
ゾーンの条件は才能や能力だけではない、バスケを楽しむという気持ちこそが鍵だから。
「そっか、そうだったんだね…」
ぽつりと誰にも聞こえないくらいの声で呟く。
限界など疾うに迎えた足で跳ぶ火神と、それに対抗して手を伸ばす紫原。
誠凛リードのラスト3秒。
諦めない氷室のパスをゴール下でとった紫原は、もう跳ぶこともボールを放る事すら出来なくなっていた。
「決して意図していたわけではありません。それでも、これは木吉先輩達の執念の結果です」
「…!」
「だから、これで終わりだ!」
黒子が叫ぶ、間もなく埋め尽くされた歓声と試合終了を告げるホイッスル。
紫原が最後まで戦うと信じて走っていた黒子の手が、紫原の手の中にあったボールを弾く。
転がったボールを目で追って、じわじわと込み上げる喜びに、真司は立ち上がっていた。
「73対72で誠凛高校の勝ち!」
いろんな感情が交差し合うコートの真ん中で、激闘を繰り広げたメンバー同士のあいさつを交わす。
それを見て、それまで抑えていた衝動を解放して、真司は黒子に駆け寄った。
「テツ君…!」
勝利したことへの喜び。
諦めることを知らない黒子の最後の行動。
木吉も最後まで痛みのある足で闘った。
その全てが愛しくて。
「お疲れ様…!」
「烏羽君…あ、」
「え?」
しかし、黒子は駆け寄る真司ではなく、その後ろへ視線を送っていた。
その視線の動きを不思議に思い、振り返ろうとした真司へ襲い掛かるのは、ずしりとした重さ。
「うわ、わ…?」
「…」
「……紫原君?」
頬にかかった髪の毛を見て、顔を確認する前にそう呼びかける。
首に回された太い腕をとんとんと叩けば、紫原はだだをこねるように顔を横に振った。
「…お疲れ、紫原君」
「烏羽ちんの馬鹿…」
「え?」
覇気のない声が耳に落ちる。
そういえば、紫原が負けを味わうのはこれが初めてなのだろうか。
チラと紫原の顔を横目で見れば、不服そうに膨らんだ頬と下がった眉が張り付いた顔があった。
「負けるし、烏羽ちんもいないし、つまんない…」
「…つまんなくないよ、紫原君、すごくいい顔してたよ」
「つまんない、なんで烏羽ちんこっちにいないの?」
試合後の疲労からか、抱き締める腕にもほとんど力が入っていない。
そんな大男が愛おしくて、真司はぽんとその頭に手を乗せた。
「同じチームじゃなくても、一緒に喜ぶし、一緒に泣くし…一緒にいられるよ?」
「そんなのウソだよ、だって烏羽ちん、今喜んでるもん。黒ちんのとこ行っちゃうんでしょ」
けれど、紫原のその言葉に、真司ははっとして顔を正面に向けた。
火神も黒子も、皆みんな喜びを分かち合って。
一方陽泉は悔しそうに俯いている。
今おかしいのは、別のチームなのに体を寄せ合っている真司と紫原だ。
「…そっか、そうだよね」
間違っているとは思いたくない。
他のチームだろうと、共にいることは出来る。けれど今は、こうしている時ではないはずだ。
「じゃあ、このウィンターカップ終わるまで待っててくれる?」
「やだ、そしたら帰っちゃうもん」
「帰っちゃう?」
「こっちにずっといらんないもん。烏羽ちん来てくれんの?」
そうだった。
真司は少し寂しさを覚えながら、紫原の腕を解いた。
やはり不服そうな紫原の手が真司へと伸ばされる。
それを遮ったのは、後ろから顔を覗かせた木吉だった。
「なんだ、またこっちに来ればいいじゃないか。またバスケしたいしな」
「は~?やだよ、もうバスケ辞めるし」
「そうなのか?」
「それでなくてもつまんないのに、負けたらもっとつまんないし」
そっか、残念だな。
そう言いながらも笑っていた木吉には、紫原の本当の気持ちが分かっていたのだろう。
背を向ける木吉を見送って、真司は紫原に向き直った。
大きな体を縮めて、顔はほぼ真司と同じ高さにある。
「…紫原君」
「烏羽ちんが、いないから」
「俺のせい?」
「そーだよ…烏羽ちんのせい…」
そんなことを言われても、その悲しそうな顔を晴らしてあげたくても、今の真司にかけられる言葉はない。
それくらい今、紫原への思いを語りたいのと同時に、黒子たちと喜び合いたいのも事実胸の中にあるのだ。
「烏羽ちんなんて大っ嫌い」
何も言えない真司に、紫原がそれだけ言って陽泉の方へと戻って行く。
全部自分が悪い。だから、紫原の言葉で胸を痛める資格はない。
唇を噛んで、伸ばしそうになった手を自分の手で掴んで、真司は黒子の方へ駆け寄った。
「烏羽君」
「ん…テツ君、やったね!最後、すごかったよ」
「…いいんですか」
「紫原君の言う通りだよね。俺、陽泉に勝って喜んでるし、だから今は…仕方ない」
嘘はつきたくない。
ただ、好きだという思いのせいで皆を振り回すのは違うだろう。
「でもほんとに…紫原君がゾーンに入って、嬉しかったよ」
「…そうですね」
「でもそれ以上に、皆がすごくて、すっごく嬉しいよ」
「ふ、なんですかそれ」
頬に汗を光らせて、にこりと黒子が笑う。
やはり今はこの場所が真司の場所だ。
真司はうずと湧き上がる感情を抑えられず、黒子の絵をぎゅっと握りしめた。
「おいコラお前等。次の試合があっからすぐ出ろ!」
「あ、すみません!」
日向の声に、パッと手を離して黒子と顔を合わせて笑う。
そのままコートを後にしようと歩き出した真司は、後ろで向かい合う二人に一度足を止めた。
「…タイガ。約束通り、オレはもう兄とは名乗らない」
「ああ…わかったよ…」
氷室が負けたら、火神の兄を止める。
その約束はこの試合まで持ち越されていた長い約束。
真司は少し寂しさともどかしさとを感じながら、陽泉とコートとに今度こそ背を向けた。