黒バス(2012.10~2017.12)
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至近距離で触れる息が熱い。
腕を伸ばして弾こうともその手はあっさりと掴まれ、更に動きを封じられてしまった。
「…っ、んん…!!」
「真司」
「ちょっ、…ッ」
ぶっきらぼうに、噛みつくような口付け。
少し歯がぶつかって、痛みで一瞬離れて、けれど息を吐く間は与えられずもう一度重なった。
「オレも好きだ」
「っ、は…?」
「オレも真司が好きだ。だから赤司なんて見てんじゃねえって」
「ちょ、何、急にな…」
困惑する真司の肩に青峰の頭が乗せられる。
好きだなんて。誰が誰を。青峰が、自分を。
「そんな、わけ…」
「気付くの遅かったよな、悪ィ」
柄にもなく頭を下げたまま、声を潜めて言う青峰に、真司の呼吸が止まった。
上手く息が出来なくて、悲しくないのに涙が出そうで、開いた口はそのまま音を出さない。
「…っ、…」
自分は一体何を望んでいたのだろう。
青峰が好きで、触れたいと思って。でも自分には赤司がいるから、とそう理由を付けて望むのを辞めた。
では、赤司がいる今、この気持ちはどこに持って行けば。
「バスケ、すっぞ」
「……え?」
「真司が何悩んでんのかしんねーけど、引っかかってんのがバスケなら、するしかねーだろ」
そう言うなり、青峰はコートに向かって歩き出した。
そんな気分じゃないのに。
なんて言い返せるはずもなく、留まったままの真司を、青峰は眉をひそめて振り返る。
「…真司?」
「…、今行く…!」
慌ててコートの中に入った真司の目には、ボール片手にゴールを見上げている青峰が映った。
「別に試合に負けたから…また真司と馴れ合おうだとか、そういうこと考えてんじゃねぇぞ」
「え…?」
「ただ…何だ、冷静になった頭でようやく理解したっつか…」
青峰は顔を赤くして、こちらを見ない。
けれどそのままボールを真司に放ると両腕を軽く左右に広げた。
「あー…んな面倒なこたいいんだよ。さっさと来い」
「来いって…」
「本当にバスケ出来ねぇのか確認してやる」
二人向き合うこの懐かしい感覚は、帝光中時代によくやった1on1だ。
真司は躊躇いがちに青峰の前に立ってゴールを見上げた。
嘗て見上げた高さよりも少しだけ近付いただろうか。彼を救うことは出来なかったけれど、それで真司が救われている。
「…青峰君…ごめんね」
「あ?んだよまだ何かあんのかよ」
「試合、出れなくて…。俺、青峰君と期待裏切るんじゃないかって、怖かったんだ」
宣戦布告までもらったのに、結局何も出来なかった。それが悔しくて申し訳なくて。
けれど青峰は「そんなことかよ」と小さく零して笑った。
「別に気にしてねぇし、ならここでリベンジさせろよ」
「…はー…俺、すっげぇ気にしてたのに何それ…」
「そんなこと気にしてたのかよお前」
ニッと歯を見せて笑う青峰がやっぱり愛しい。
真司は深呼吸を繰り返し、一度顔を伏せてからパッと眼前を見据えた。
「……あれ…?」
そうして気付くのは、その景色の眩しさ。そして馴染む感覚。
真司は丸くした目で数回瞬きをしてから青峰を見上げた。
「青峰君ごめん」
「だーから、何だよ」
「うん、はは…全然負ける気しないや」
霞んだ視界なんてほんの少しだ。目の前の青峰もゴールもしっかり見えている。
一瞬呆気にとられて、それからすぐに勝気な顔で笑う青峰が姿勢を低くする。
それに応えるように、真司も受け取ったボールを地面に叩き付けた。
・・・
気持ちの良い風が通り過ぎて、ふと空を見上げる。
いつの間にか日が暮れて、空がオレンジに染まっていた。
「…ったく、何がもうバスケ出来ねぇだ」
ぽつりと呟いた青峰に、真司は眉を下げてははと笑った。
全くその通りだ、と内心思う。けれどそれも強ち間違っていない状況は変わらない。
「まあ、青峰君とやる程度には問題なかったみたい」
「ハッ、よく言うぜ」
ベンチに座っていた真司の隣に座って、青峰がぽんと頭に手を乗せる。
汗で濡れているのに構わずくしゃと撫でられ、真司はぎゅっと目を閉じた。
「あ…青峰君さ、さっきの…本気の本気?」
「どれだよ」
「お、俺が好きとか…馬鹿みたいなこと言ってたじゃん」
「馬鹿みたいってんだよ、先にテメェが言ったんだろが」
そういえば逃げたり告白したり、かなり面倒な行動をとったような。
ちらと青峰の顔を見ると、照れているのか少し頬が紅潮していた。
「そ、りゃ…だって俺はずっと…」
「だよな。言われてみりゃ…ずっとそうだったな」
「何が…」
「オレもお前も、ずっと一番だったろ?」
一番とは、何を基準にした順番なのか。
きょとんとする真司に対し、青峰はへらっと笑って真司の肩に腕を回した。
「別に、オレはお前の足に惚れたわけじゃねーよ」
「惚れ…」
「、んだよ」
「いや…、あはは、そう…」
青峰の口から聞くには慣れない言葉。
改めて青峰の好意を実感して、真司は落ち着かず足を揺らした。
「…青峰君、俺…試合に出れなくても、ちゃんとバスケ続けてるから…」
「ん?何だよ」
「き、嫌いにならないでねって…思ったり」
何度も諦めようとして、けれど諦められなくて、ようやく手に入ったのだ。
きっと手放せないだろうし、もう離れていかないで欲しい。湧き上がる欲は青峰を困らせるだろう。
けれど青峰は、ふっと笑って真司の頭を腕に抱き寄せた。
「それはねぇから安心しろ」
耳元で囁かれた低い声に、じんと胸が熱くなる。
もう遠慮しなくて良いんだ。
我慢出来ずに抱き締め返そうと腕を伸ばした時、それを遮るように真司の鞄から電子音が鳴り響いた。
「っ、」
「あ?何だ?」
「ご、ごめん、俺の携帯だ」
我に返り、ぱっと体を離して鞄の方へと体を向ける。
携帯を取り出して画面を見た真司は、慌てて通話ボタンを押していた。
「青峰君、ちょっとゴメン」
「や、気にすんな」
立ち上がって、数歩青峰から離れて携帯を耳に寄せる。
『やあ、急にすまないね』
「え?ううん、大丈夫だけど…」
落ち着いた声色、けれど真司の頬には冷や汗が滲んでいた。
何故だろう、罪悪感が募って手が震える。
「そ、それで…どうかしたの?」
『ん?いや…少し嫌な予感がしただけだよ。どうやら予感は当たったらしいね』
「え?」
『大輝、そこにいるんだろう?』
咄嗟に真司は携帯を耳から離して青峰を振り返っていた。
その青峰は、怪訝そうに真司を見ている。
「あ、あの…」
『真司、大輝と代わってくれないか?』
「え…なんで」
『少しね、言っておかなければいけないことを思い出した』
少しも彼の声色に少しも変化がないことが、余計に不安をあおる。
真司は恐る恐ると青峰に自分の携帯を差し出した。
「青峰君、赤司君が話したいことあるって」
「ああ?赤司?」
怪訝そうに目を細めた青峰が、一瞬何か理解したかのように「ああ…」と呟き手を伸ばす。
真司の手から離れた携帯は、そのまま青峰の耳に寄せられた。
「んだよ、タイミングいいじゃねーか」
そう言う青峰に、赤司が何を伝えるのかは分からない。
「…あ?知らねーよ、そんなこと。オレは降りた」
一瞬向けられた青峰の視線。
二人の間で交わされた言葉は、自分に関係のあるものなのかもしれない。
そう気が付きながら、真司は耳を塞ぐかのように目を閉じて空を仰いだ。
ウインターカップ、4日目。
3回戦に挑んだ誠凛高校は、危ない場面もあったものの逆転、無事準々決勝進出を果たしていた。
「これでベスト8…オレ達の準々決勝の相手はやはり陽泉高校だ」
日向にそう告げられ、真司と黒子はさりげなく目を合わせた。
試合後休む間もなく、次の試合の準備をしなければならない。
次の試合…トーナメントを見てそう予想はしていたものの、当然のように上がってきたのは陽泉高校だ。
「じゃあこのまますぐ火神君の家に行くわよ!友達に頼んで昨日、今日の陽泉の試合撮っておいてもらったから」
陽泉と言えば紫原や氷室のいる学校。
思いの外早くアレックスの目的は果たされるようだ。
などと考えていた真司の視線に気付いたアレックスは、徐に真司の肩にぐいと腕を回した。
「ワリィちょっと便所」
それは火神に向けられていた言葉だったらしい。
火神は「や、いいけど」と言った後、怪訝そうにアレックスの腕を見た。
「何してんだよ」
「ん?まさかレディを一人にさせる気か?真司も連れて行くに決まってんだろ」
まさかの発言に驚き、自分より上にあるアレックスの顔を見る。
しかし、アレックスは真司の困惑など気にすることなくニッと笑った。
「いいだろ?」
「いやあの…それなら火神君の方が…」
「なーに、少しくらい構ってくれよ真司」
そう言いながら目は細められ、どこか挑発的でもある。
真司は少なからずアレックスに対して苦手意識をもっている。
とはいえここで断りを入れる程嫌悪しているわけでもなし。
「分かりました…。じゃあ、俺もちょっと、お手洗いに行ってきます」
「ふ、サンキュー真司」
真司は少し声を張って伝えると、一部始終聞いていたリコも「仕方ないわね」と息を吐く。
それを聞くなり、アレックスは真司の腕を引いて歩き出した。
「そう嫌わないでくれよ。真司と仲良くしたいんだ、弟子の友人としてさ」
「き、嫌ってないです。ちょっと…慣れてないだけで」
「フーン?じゃあキスの件はもう許してくれたんだな」
「き…っ、そ、れは…」
ぐいっと近付く端正な顔から目を逸らす。
絡んだ腕と、ぶつかる柔い感触。真司は俯き、戸惑いに視線を地面に落とした。
こういうところが苦手なんだ。
「なんだ?照れてんのか?」
「そ、そう思うならもう少し離れてください…!」
「はは、悪かったな。じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
悪かった、なんて思ってないだろう爽やかな顔で、ひらりと手を振り離れる。
そのままお手洗いに入って行ったアレックスに、真司は深くため息を吐いた。
人付き合いが上手くないのは相変わらずだ、露骨な態度をとってしまっていたのだろう。
壁に背中を預け、肩に入っていた力を抜く。それから落ち着かずに視線を泳がせると、見知った人が視界に入った。
「…あ」
思わず小さく声が出る。
それで気付いた向こう側も、「あれっ」と反応したのが分かった。
「真司…!」
ぱっと眩しすぎる程の笑顔を見せ、手を振るその人。
ひらりと長い前髪を揺らして足早に近づいて来たのは、陽泉の選手、氷室辰也だ。
丁度誠凛と同じように、陽泉も試合を終えて移動するところだったようだ。
「氷室さん、お疲れ様です」
「ああ、真司こそ。ずっと会いたいと思っていたんだよ、久しぶりだね」
爽やかな声にドキリと胸が高鳴る。これはもう反射というか、周りの煽りもあって意識しすぎているせいだろう。
陽泉と書かれたジャージを纏っており、後ろには同じジャージを着た、陽泉のチームメイトが並んでいる。
「へぇ、アンタが噂の真司か。確かにちっこくて可愛い、のか…?」
「可愛いでしょう?なあ、敦」
「ちょっと…烏羽ちんに触らないでよ」
覗き込んできた三白眼の青年を押し退けて、紫原が前に出てくる。
紫原はそのまま何を思ったのか、真司の腕の下に手を入れてひょいと持ち上げた。
「えっ、うわあ!」
「烏羽ちんはオレのだって言ったじゃん」
「それは敦が決めることじゃないって言っただろ?」
「ちょ、ちょっと紫原君…っ」
紫原と同じ目の高さになり、氷室の頭が真司より下に来る。
改めて周りを見渡すと、この高さになっても横に並ぶくらい背の高いメンバーが多く映った。
「ほお…思っていたよりも可愛らしいのう…。男の子だと思って…気にしてなかったのに…」
「は?もしかしてお前も惚れたとか言い出さねーだろうな」
「アゴに惚れられても迷惑アル」
「ち、違う!それでなくてもモテてるくせにと思っただけじゃ!ていうかアゴって」
「ほら、アゴリラうるさいから驚いてるアル」
背の高さも相まって威圧感があるメンバー…だと思いきや、案外面白い人達なのだろうか。
真司が茫然と彼らのやり取りに耳を傾けていると、お手洗いのドアが開け放たれた。
「真司、待たせたかー?」
ハンカチで手を拭きながら出てきたアレックスに一同の視線が集まる。
一方アレックスの目は真司よりも先に氷室をとらえた。
「ん?おお、タツヤ!」
「アレックス?」
「会いたかったぞ、タツヤ!」
たたっと駆けよるなり、アレックスは躊躇うことなく氷室に抱き着き顔を近付ける。
しかし氷室は火神と違って、彼女のあしらい方を身に着けているらしい。
キスされる直前で手を滑り込ませ、「駄目だよ」と柔らかく断った。
「なんだよ、つれねーなぁ」
「日本じゃキスは目立つからね。それに、好きな子の前だから、空気読んで欲しかったかな」
「ん…?まさか、タツヤもなのか!?」
ばっとこちらを向いたアレックスの視線から目を逸らす。
すると今度は目の前に高校生とは思えない程ゴツイ顔をした陽泉の先輩の顔が映り、真司は思わず体をかたくした。
「おいこら、一年生びびらせてんじゃねえよ」
「え!?ワシ何も…」
「そんなモミアゲとアゴ近づけたら移るからやめるアル」
「移るって何!?ていうかモミアゲとアゴやめるって何!?」
「ちょっとー…煩いんだけど…」
やはり個性的な面々と言うかなんというか。
真司が言葉無く唖然としていると、氷室がやれやれと口を開いた。
「すみません、少し外します。真司、少しアレックス借りていいかな」
「え、あ、はい!」
「敦は真司を放してあげなよ。彼だって忙しいんだろうから」
「…室ちんに言われたくないんだけど」
紫原と氷室。二人は仲が良いと思っていたのだが、どこか漂う雰囲気が重い気がする。
二人の足音が遠ざかるのを聞きながら、ゆっくりと下ろされた真司は紫原を見上げた。
「次、誠凛と当たるんだって、知ってるよね?」
「うん。やっと烏羽ちんオレのものになるね」
「え?」
突然何を言い出すんだ。
驚き目を丸くすれば、紫原はふにゃと表情を緩めて真司の頭を撫でた。
「赤ちんの前にオレが倒すから。烏羽ちんのこと、今度こそオレだけのものにするからね」
撫でる、というより。
真司はぞっとするのを感じて、ぱっと飛び退いた。
そして周りを見渡せば、ぽかんとした陽泉の面々が目に入る。
「ちょ、…お、お、俺、失礼します!!」
真司は羞恥心に耐えられず、すぐさま走り出していた。
それを制止する間もなく見送ってしまった紫原は、真司を撫でていた手のひらを見下ろし、ムッと唇を尖らせる。
「……逃げられたし」
ぼそりと呟き見下ろすのは、手に握られたコンビニの袋。
がさがさと手を突っ込みながら目だけチラと向ける先は、未だ茫然としている先輩達だ。
「つか、先輩達、ホント面倒だから烏羽ちんに惚れないでね」
いや、さすがにそれはないだろう。と瞬間的に全員が思った。
そのはずなのに、口に出して言った者は一人もいなかった。
・・・
細かく回していた足を緩めて暫く、真司は氷室といなくなってしまったアレックスを探していた。
周りを気にせずに話せる場所といえば会場の外だろうか。
安直な考えから外に踏み出せば、すぐにこちらに戻ってきている氷室が視界に映る。
「あ…、」
良かった、とは思えなかった。
何か氷室の様子がおかしいというか、見たことのない、妙に思いオーラを纏っているような。
「あ…真司。追いかけて来たのか?」
「え、え、っと、いえ、一応アレックスさんを探していたと言いますか…」
「そう。なら、話は終わったし、すぐにこっちに来るんじゃないかな」
気のせい、だったのだろうか。
真司は不安に眉を下げたまま氷室を見上げた。
「…何か、あったんですか…?」
思わずそう問うと、氷室は一度驚いたように目を丸くした。
それからすぐ表情を戻した氷室の手が、真司の肩に乗せられる。
「悪いけど、次の試合はオレ達が勝つから」
「え…」
「ふふ、じゃあね」
一瞬見えた鋭い目つき。
動けないままの真司の横を通り過ぎて行った氷室の背中は、華奢だけれど力強い。
その後すぐに戻ってきたアレックスの表情もまた固く、真司は不安に思いながらも何も聞くことができなかった。
日が落ちて、広い部屋を電気が照らす。
火神の家で陽泉の試合の様子を見終わり、そろそろ帰ろうと立ち上がり始めた頃だ。
陽泉の壁の高さに多少なりともげんなりした顔が一つ、また一つとドアの向こうに消えていく。
真司もそれに続きよいしょと鞄を肩にかけ、そのまま火神を見上げた。
「ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいい?」
「ん?」
皆が帰るまでここに残っていたのは、皆の前で聞いて良いことか分からなかったからだ。
ずっと気になって、仕方が無かったこと。
「氷室さんのこと…なんだけど」
ぽつりとそう言って、火神の様子を窺う。
予想通りに眉間のシワを深くして視線を落とした火神に、真司は躊躇いながら続けた。
「あ、あのさ、火神君と氷室さんってなんか、もしかしてだけど…あんまり仲良くない…?」
「は?」
失礼なことを聞いたにも関わらず、険しかった火神の顔が一瞬にして緩む。
それどころか、ぽかんと開いた口からは息が漏れ、「そんなことかよ」と低く唸った。
「タツヤとは…仲が良いとか悪いとか、そういう感じじゃねえっつか…まあ、良くはねぇかな」
「でも、外国でずっと一緒にいたんでしょ?」
「ああ。オレにバスケを教えてくれたのは、タツヤだったからな」
尚更どうして、とそう思いを込めた瞳で見つめる。
すると火神ははぁっと息を吐いて、真司の額を人差し指でついた。
「ホントは少なくとも監督には言わなきゃって思ってたんだけどよ」
「え?俺もしかしてタイミング悪かった?」
「ま、明日には話してたかもな」
そう言いながら、火神は突いた真司の額を今度は手の甲で優しくさすり、ふわと柔らかく微笑んだ。
というより、どこか寂しげな笑顔。
「タツヤはすげぇ上手くて…オレにとって兄貴みてぇな存在つか…本当に、尊敬してたんだ」
「尊敬して、た?」
「だからこそ、…オレが勝ったら兄貴をやめるって言われて、オレは勝てる試合で手を抜いてた」
今度は火神の体に力が入るのがわかった。
そして真司もようやく二人の関係が分かって来た気がしていた。
火神は氷室の弟分でいたくて、けれど氷室はそれが許せなかった。
火神が、きっと氷室を上回る才能を持っていたから。
「それきり、タツヤとは試合してねぇ」
「ストバスの時…出来なかったもんね」
「ああ、だから明日…今度こそ決着をつける」
ぐっと握り締めた手が痛々しくて。
真司はそっと火神の手に自分の手を重ねていた。
「…火神君」
「なんだよ、大丈夫だって」
「うん。分かってるよ、だって火神君の方が絶対強いし」
今まで火神はあんなに圧倒的な存在だったキセキの世代を一人一人と相手にしてきた。
勿論それは火神だけの力ではないけれど、でも今更負ける気はしない。
その心からの信頼に対し、火神はきょとんと目を丸くした。
「え、何、俺変な事言った?」
「だってお前…タツヤの方が好きだろ。向こうにはほら、紫原ってのもいるし」
「はあ!?」
真面目な顔して言う火神に、真司は顔をさあっと赤く染めた。
咄嗟に手を引っ込めて、きっと火神を睨み付ける。
「いろいろ間違ってるから!別に俺今までも試合で私情はさ、んでないと思うし、それに氷室さんのこと別にそんなじゃないし!」
「ほら、そうやって変に隠そうとしてんじゃねーか」
「違うって!本当に火神君のこと心強い味方だって思ってんだから…!」
いくら何でも、試合中に相手チームを応援するようなことは今までだってなかったはずだ。
ぱちんっと火神の胸を叩いて抗議を示す。けれどその手はやんわりと火神に握り締められていた。
「分かったって。真司の分までやってやるから」
「、う、うん」
ニッと歯を見せて笑う姿は普段と変わらないのに。大きな手は心強いのに。
根拠もなく妙な不安を残したまま、真司は火神に背を向けた。
・・・
ウインターカップ5日目。
超攻撃型の誠凛が、今回ばかりはただ点を取ることにすら苦戦していた。
圧倒的な壁、ディフェンス力を誇る陽泉。それは目の前にすれば尚の事。
第1クォーター、誠凛は1点も取ることが出来ずに終えてしまった。
とはいえただ黙ってやられる程柔では無い。
第2クォーターは黒子の修業の成果、公式戦で見せた初めてのシュートで見事に壁を破る。
まだ点差はあるものの、誠凛は今大会初めて陽泉からポイントを奪い、食らいついていた。
ここまでは予想出来た展開。
試合は前半を終え、インターバルに入っていた。
「後半、まず黒子君は温存でいくわよ」
当然の判断に黒子が頷く。
それから視線を動かしたリコの目には火神が映った。
「火神君、あなたには氷室君を止めてもらうわ」
図らずも訪れた展開に、火神が力強く頷く。
第3クォーター、黒子がいない状況で点差を広げないためには、火神が氷室を、そして木吉が紫原を抑える他ないらしい。
それほど、ただ力で押すなんて在り来たりな方法じゃ勝てない相手という事だろう。
「…烏羽君は、どう思う?」
再びコートへ戻り、ベンチで腰掛けた真司にふとリコが問いかけた。
「ここから、というか。向こうはまだこっちを探ってる感じですよね」
「そうね」
「でも、その今がチャンスだと思います。それこそ…紫原君が本気を出し始めたら手が付けられなくなるので」
試合が再開され、すぐさま火神と氷室が対峙する。
それが視界に入り、真司はぐっと一度身を引いた。
紫原は本気を出していないというのは、彼の性格上、当然のことだった。けれど。
「…氷室さん、やっぱり強い」
前半、本気を出していなかったのは、恐らく彼も同じ。
「ですね、身に纏っている空気が…キセキの世代と遜色ありません」
真司の独り言に、黒子が重ねる。
どこかで、火神なら止められると、そう思って疑わなかった。
だから尚更、真司は時間が止まったかのように氷室のプレイを見つめていた。
「上手い…っていうか、すごく綺麗…」
氷室のプレイに思わずそう零れる。
立ち塞がる火神をも軽々すり抜け、そしてシュートまで流れるようにボールを運ぶ姿は、まるで待っているかのようだ。
「そうね、烏羽君の言う通りよ。彼は、すごく綺麗。一つ一つのプレイが洗礼されているわ…」
フォームのつなぎが余りにも自然で、シュートフォームに入ったことすら気が付けない。
しかし、氷室の強さはそれだけではない。
いつかのストバスで見せた、ブロックを擦り抜けるシュートもある。
「まだだな」
立ち塞がった火神に、氷室はそう静かな声色で言った。
「お前、まだ心のどこかで、オレを兄として見てるんじゃないだろうな」
静かで、穏やかな、思わずうっとりと聴き惚れてしまいそうになる声。
けれどその声で、氷室は知らない音を鳴らした。
「オレとお前は今や敵同士だ。もっと殺す気でこいよ」
ビリビリと空気を震わせたその言葉とオーラのせいか、火神は一歩も動くことが出来なかった。
するりと抜けて、氷室がボールをゴールへと叩き付ける。
「っらあ!」
腕を振り上げて雄叫びを上げる氷室に、一同度肝を抜かれたのは間違いなかった。
真司も、言葉なく見つめて、吐き出した息が震えていたことに気付く。
クールな人だと、穏やかな人だと。その勝手な思い込みがかき消されて行く。
昨日ぞくりと感じた彼のオーラは、これだったのだ。
『誠凛メンバーチェンジです』
その最中、ベンチに呼ばれたのは火神だった。
「っ、なんでオレ…」
「はっきり言って、今回は向こうの言ってることが正しいだろ」
戸惑う火神の背中を叩いたのは日向だ。続けて木吉も息を吐いて言う。
「火神の悪いとこだな。勝負と情を分けられない」
既に皆火神と氷室の関係について知っている。
それもあって、火神の動きの鈍さの原因を察するのは早かった。
不服そうにしながらも、火神も自分の気持ちのざわつきに気が付いているのだろう。
どかっと椅子に座り、くしゃっと髪をかき上げた。
「…火神君」
「は、悪ィ。大丈夫だ、なんて言っときながらこのザマだ」
火神が抜けたままでも、試合時間は刻々と進んでいく。
微かな不安はやはり的中してしまった。
不安でぎゅっと胸の前で手を握り締める。
「…黒子、これ、捨ててきてくれねーか」
そんな真司の横で、火神は黒子に向けて手を差し出した。
その手に握られていた物を見て、黒子が目を丸くする。
「え…いいんですか?氷室さんとの大事な思い出も捨ててしまって」
「いいんだ。あんなもん未練でしかねぇし…」
きらりと光ったのは、いつも首にかけられていたリング。
思わず真司も黒子の奥に座る火神へと身を乗り出した。
「いくら何でも…っ、捨てなくたって…」
目の前で揺らぐ大きな瞳に、火神は一度困ったように息を吐いてから真司に手を伸ばした。
その大きな手は乱暴にぐしゃぐしゃと真司の髪を撫でまわす。
「っ、う、うわ、っ」
「いいんだよ。もっと大事なもんがあっから」
「何…っ」
「タツヤとの過去とお前等との未来じゃ、どっちが大切かなんて決まってんだろ?」
照れ臭そうに、眉を少し下げて笑う。
そしてすぐにコートへと顔を向けた火神から、真司は目を逸らすことが出来なかった。
「…、」
言葉は出ないのに、開いた口が塞がらない。
いつもよりほんの少し情けない笑顔が、脳裏に焼き付いて離れないのだ。
「…、…?」
とくんとくんと鳴り止まない音に、真司は自分の胸を押さえた。
もう大丈夫だとリコに意思を告げた火神が立ち上がる。
その横顔に見えた熱い眼差しにまた胸が煩くなって、真司は首を傾げて火神を見つめていた。
腕を伸ばして弾こうともその手はあっさりと掴まれ、更に動きを封じられてしまった。
「…っ、んん…!!」
「真司」
「ちょっ、…ッ」
ぶっきらぼうに、噛みつくような口付け。
少し歯がぶつかって、痛みで一瞬離れて、けれど息を吐く間は与えられずもう一度重なった。
「オレも好きだ」
「っ、は…?」
「オレも真司が好きだ。だから赤司なんて見てんじゃねえって」
「ちょ、何、急にな…」
困惑する真司の肩に青峰の頭が乗せられる。
好きだなんて。誰が誰を。青峰が、自分を。
「そんな、わけ…」
「気付くの遅かったよな、悪ィ」
柄にもなく頭を下げたまま、声を潜めて言う青峰に、真司の呼吸が止まった。
上手く息が出来なくて、悲しくないのに涙が出そうで、開いた口はそのまま音を出さない。
「…っ、…」
自分は一体何を望んでいたのだろう。
青峰が好きで、触れたいと思って。でも自分には赤司がいるから、とそう理由を付けて望むのを辞めた。
では、赤司がいる今、この気持ちはどこに持って行けば。
「バスケ、すっぞ」
「……え?」
「真司が何悩んでんのかしんねーけど、引っかかってんのがバスケなら、するしかねーだろ」
そう言うなり、青峰はコートに向かって歩き出した。
そんな気分じゃないのに。
なんて言い返せるはずもなく、留まったままの真司を、青峰は眉をひそめて振り返る。
「…真司?」
「…、今行く…!」
慌ててコートの中に入った真司の目には、ボール片手にゴールを見上げている青峰が映った。
「別に試合に負けたから…また真司と馴れ合おうだとか、そういうこと考えてんじゃねぇぞ」
「え…?」
「ただ…何だ、冷静になった頭でようやく理解したっつか…」
青峰は顔を赤くして、こちらを見ない。
けれどそのままボールを真司に放ると両腕を軽く左右に広げた。
「あー…んな面倒なこたいいんだよ。さっさと来い」
「来いって…」
「本当にバスケ出来ねぇのか確認してやる」
二人向き合うこの懐かしい感覚は、帝光中時代によくやった1on1だ。
真司は躊躇いがちに青峰の前に立ってゴールを見上げた。
嘗て見上げた高さよりも少しだけ近付いただろうか。彼を救うことは出来なかったけれど、それで真司が救われている。
「…青峰君…ごめんね」
「あ?んだよまだ何かあんのかよ」
「試合、出れなくて…。俺、青峰君と期待裏切るんじゃないかって、怖かったんだ」
宣戦布告までもらったのに、結局何も出来なかった。それが悔しくて申し訳なくて。
けれど青峰は「そんなことかよ」と小さく零して笑った。
「別に気にしてねぇし、ならここでリベンジさせろよ」
「…はー…俺、すっげぇ気にしてたのに何それ…」
「そんなこと気にしてたのかよお前」
ニッと歯を見せて笑う青峰がやっぱり愛しい。
真司は深呼吸を繰り返し、一度顔を伏せてからパッと眼前を見据えた。
「……あれ…?」
そうして気付くのは、その景色の眩しさ。そして馴染む感覚。
真司は丸くした目で数回瞬きをしてから青峰を見上げた。
「青峰君ごめん」
「だーから、何だよ」
「うん、はは…全然負ける気しないや」
霞んだ視界なんてほんの少しだ。目の前の青峰もゴールもしっかり見えている。
一瞬呆気にとられて、それからすぐに勝気な顔で笑う青峰が姿勢を低くする。
それに応えるように、真司も受け取ったボールを地面に叩き付けた。
・・・
気持ちの良い風が通り過ぎて、ふと空を見上げる。
いつの間にか日が暮れて、空がオレンジに染まっていた。
「…ったく、何がもうバスケ出来ねぇだ」
ぽつりと呟いた青峰に、真司は眉を下げてははと笑った。
全くその通りだ、と内心思う。けれどそれも強ち間違っていない状況は変わらない。
「まあ、青峰君とやる程度には問題なかったみたい」
「ハッ、よく言うぜ」
ベンチに座っていた真司の隣に座って、青峰がぽんと頭に手を乗せる。
汗で濡れているのに構わずくしゃと撫でられ、真司はぎゅっと目を閉じた。
「あ…青峰君さ、さっきの…本気の本気?」
「どれだよ」
「お、俺が好きとか…馬鹿みたいなこと言ってたじゃん」
「馬鹿みたいってんだよ、先にテメェが言ったんだろが」
そういえば逃げたり告白したり、かなり面倒な行動をとったような。
ちらと青峰の顔を見ると、照れているのか少し頬が紅潮していた。
「そ、りゃ…だって俺はずっと…」
「だよな。言われてみりゃ…ずっとそうだったな」
「何が…」
「オレもお前も、ずっと一番だったろ?」
一番とは、何を基準にした順番なのか。
きょとんとする真司に対し、青峰はへらっと笑って真司の肩に腕を回した。
「別に、オレはお前の足に惚れたわけじゃねーよ」
「惚れ…」
「、んだよ」
「いや…、あはは、そう…」
青峰の口から聞くには慣れない言葉。
改めて青峰の好意を実感して、真司は落ち着かず足を揺らした。
「…青峰君、俺…試合に出れなくても、ちゃんとバスケ続けてるから…」
「ん?何だよ」
「き、嫌いにならないでねって…思ったり」
何度も諦めようとして、けれど諦められなくて、ようやく手に入ったのだ。
きっと手放せないだろうし、もう離れていかないで欲しい。湧き上がる欲は青峰を困らせるだろう。
けれど青峰は、ふっと笑って真司の頭を腕に抱き寄せた。
「それはねぇから安心しろ」
耳元で囁かれた低い声に、じんと胸が熱くなる。
もう遠慮しなくて良いんだ。
我慢出来ずに抱き締め返そうと腕を伸ばした時、それを遮るように真司の鞄から電子音が鳴り響いた。
「っ、」
「あ?何だ?」
「ご、ごめん、俺の携帯だ」
我に返り、ぱっと体を離して鞄の方へと体を向ける。
携帯を取り出して画面を見た真司は、慌てて通話ボタンを押していた。
「青峰君、ちょっとゴメン」
「や、気にすんな」
立ち上がって、数歩青峰から離れて携帯を耳に寄せる。
『やあ、急にすまないね』
「え?ううん、大丈夫だけど…」
落ち着いた声色、けれど真司の頬には冷や汗が滲んでいた。
何故だろう、罪悪感が募って手が震える。
「そ、それで…どうかしたの?」
『ん?いや…少し嫌な予感がしただけだよ。どうやら予感は当たったらしいね』
「え?」
『大輝、そこにいるんだろう?』
咄嗟に真司は携帯を耳から離して青峰を振り返っていた。
その青峰は、怪訝そうに真司を見ている。
「あ、あの…」
『真司、大輝と代わってくれないか?』
「え…なんで」
『少しね、言っておかなければいけないことを思い出した』
少しも彼の声色に少しも変化がないことが、余計に不安をあおる。
真司は恐る恐ると青峰に自分の携帯を差し出した。
「青峰君、赤司君が話したいことあるって」
「ああ?赤司?」
怪訝そうに目を細めた青峰が、一瞬何か理解したかのように「ああ…」と呟き手を伸ばす。
真司の手から離れた携帯は、そのまま青峰の耳に寄せられた。
「んだよ、タイミングいいじゃねーか」
そう言う青峰に、赤司が何を伝えるのかは分からない。
「…あ?知らねーよ、そんなこと。オレは降りた」
一瞬向けられた青峰の視線。
二人の間で交わされた言葉は、自分に関係のあるものなのかもしれない。
そう気が付きながら、真司は耳を塞ぐかのように目を閉じて空を仰いだ。
ウインターカップ、4日目。
3回戦に挑んだ誠凛高校は、危ない場面もあったものの逆転、無事準々決勝進出を果たしていた。
「これでベスト8…オレ達の準々決勝の相手はやはり陽泉高校だ」
日向にそう告げられ、真司と黒子はさりげなく目を合わせた。
試合後休む間もなく、次の試合の準備をしなければならない。
次の試合…トーナメントを見てそう予想はしていたものの、当然のように上がってきたのは陽泉高校だ。
「じゃあこのまますぐ火神君の家に行くわよ!友達に頼んで昨日、今日の陽泉の試合撮っておいてもらったから」
陽泉と言えば紫原や氷室のいる学校。
思いの外早くアレックスの目的は果たされるようだ。
などと考えていた真司の視線に気付いたアレックスは、徐に真司の肩にぐいと腕を回した。
「ワリィちょっと便所」
それは火神に向けられていた言葉だったらしい。
火神は「や、いいけど」と言った後、怪訝そうにアレックスの腕を見た。
「何してんだよ」
「ん?まさかレディを一人にさせる気か?真司も連れて行くに決まってんだろ」
まさかの発言に驚き、自分より上にあるアレックスの顔を見る。
しかし、アレックスは真司の困惑など気にすることなくニッと笑った。
「いいだろ?」
「いやあの…それなら火神君の方が…」
「なーに、少しくらい構ってくれよ真司」
そう言いながら目は細められ、どこか挑発的でもある。
真司は少なからずアレックスに対して苦手意識をもっている。
とはいえここで断りを入れる程嫌悪しているわけでもなし。
「分かりました…。じゃあ、俺もちょっと、お手洗いに行ってきます」
「ふ、サンキュー真司」
真司は少し声を張って伝えると、一部始終聞いていたリコも「仕方ないわね」と息を吐く。
それを聞くなり、アレックスは真司の腕を引いて歩き出した。
「そう嫌わないでくれよ。真司と仲良くしたいんだ、弟子の友人としてさ」
「き、嫌ってないです。ちょっと…慣れてないだけで」
「フーン?じゃあキスの件はもう許してくれたんだな」
「き…っ、そ、れは…」
ぐいっと近付く端正な顔から目を逸らす。
絡んだ腕と、ぶつかる柔い感触。真司は俯き、戸惑いに視線を地面に落とした。
こういうところが苦手なんだ。
「なんだ?照れてんのか?」
「そ、そう思うならもう少し離れてください…!」
「はは、悪かったな。じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
悪かった、なんて思ってないだろう爽やかな顔で、ひらりと手を振り離れる。
そのままお手洗いに入って行ったアレックスに、真司は深くため息を吐いた。
人付き合いが上手くないのは相変わらずだ、露骨な態度をとってしまっていたのだろう。
壁に背中を預け、肩に入っていた力を抜く。それから落ち着かずに視線を泳がせると、見知った人が視界に入った。
「…あ」
思わず小さく声が出る。
それで気付いた向こう側も、「あれっ」と反応したのが分かった。
「真司…!」
ぱっと眩しすぎる程の笑顔を見せ、手を振るその人。
ひらりと長い前髪を揺らして足早に近づいて来たのは、陽泉の選手、氷室辰也だ。
丁度誠凛と同じように、陽泉も試合を終えて移動するところだったようだ。
「氷室さん、お疲れ様です」
「ああ、真司こそ。ずっと会いたいと思っていたんだよ、久しぶりだね」
爽やかな声にドキリと胸が高鳴る。これはもう反射というか、周りの煽りもあって意識しすぎているせいだろう。
陽泉と書かれたジャージを纏っており、後ろには同じジャージを着た、陽泉のチームメイトが並んでいる。
「へぇ、アンタが噂の真司か。確かにちっこくて可愛い、のか…?」
「可愛いでしょう?なあ、敦」
「ちょっと…烏羽ちんに触らないでよ」
覗き込んできた三白眼の青年を押し退けて、紫原が前に出てくる。
紫原はそのまま何を思ったのか、真司の腕の下に手を入れてひょいと持ち上げた。
「えっ、うわあ!」
「烏羽ちんはオレのだって言ったじゃん」
「それは敦が決めることじゃないって言っただろ?」
「ちょ、ちょっと紫原君…っ」
紫原と同じ目の高さになり、氷室の頭が真司より下に来る。
改めて周りを見渡すと、この高さになっても横に並ぶくらい背の高いメンバーが多く映った。
「ほお…思っていたよりも可愛らしいのう…。男の子だと思って…気にしてなかったのに…」
「は?もしかしてお前も惚れたとか言い出さねーだろうな」
「アゴに惚れられても迷惑アル」
「ち、違う!それでなくてもモテてるくせにと思っただけじゃ!ていうかアゴって」
「ほら、アゴリラうるさいから驚いてるアル」
背の高さも相まって威圧感があるメンバー…だと思いきや、案外面白い人達なのだろうか。
真司が茫然と彼らのやり取りに耳を傾けていると、お手洗いのドアが開け放たれた。
「真司、待たせたかー?」
ハンカチで手を拭きながら出てきたアレックスに一同の視線が集まる。
一方アレックスの目は真司よりも先に氷室をとらえた。
「ん?おお、タツヤ!」
「アレックス?」
「会いたかったぞ、タツヤ!」
たたっと駆けよるなり、アレックスは躊躇うことなく氷室に抱き着き顔を近付ける。
しかし氷室は火神と違って、彼女のあしらい方を身に着けているらしい。
キスされる直前で手を滑り込ませ、「駄目だよ」と柔らかく断った。
「なんだよ、つれねーなぁ」
「日本じゃキスは目立つからね。それに、好きな子の前だから、空気読んで欲しかったかな」
「ん…?まさか、タツヤもなのか!?」
ばっとこちらを向いたアレックスの視線から目を逸らす。
すると今度は目の前に高校生とは思えない程ゴツイ顔をした陽泉の先輩の顔が映り、真司は思わず体をかたくした。
「おいこら、一年生びびらせてんじゃねえよ」
「え!?ワシ何も…」
「そんなモミアゲとアゴ近づけたら移るからやめるアル」
「移るって何!?ていうかモミアゲとアゴやめるって何!?」
「ちょっとー…煩いんだけど…」
やはり個性的な面々と言うかなんというか。
真司が言葉無く唖然としていると、氷室がやれやれと口を開いた。
「すみません、少し外します。真司、少しアレックス借りていいかな」
「え、あ、はい!」
「敦は真司を放してあげなよ。彼だって忙しいんだろうから」
「…室ちんに言われたくないんだけど」
紫原と氷室。二人は仲が良いと思っていたのだが、どこか漂う雰囲気が重い気がする。
二人の足音が遠ざかるのを聞きながら、ゆっくりと下ろされた真司は紫原を見上げた。
「次、誠凛と当たるんだって、知ってるよね?」
「うん。やっと烏羽ちんオレのものになるね」
「え?」
突然何を言い出すんだ。
驚き目を丸くすれば、紫原はふにゃと表情を緩めて真司の頭を撫でた。
「赤ちんの前にオレが倒すから。烏羽ちんのこと、今度こそオレだけのものにするからね」
撫でる、というより。
真司はぞっとするのを感じて、ぱっと飛び退いた。
そして周りを見渡せば、ぽかんとした陽泉の面々が目に入る。
「ちょ、…お、お、俺、失礼します!!」
真司は羞恥心に耐えられず、すぐさま走り出していた。
それを制止する間もなく見送ってしまった紫原は、真司を撫でていた手のひらを見下ろし、ムッと唇を尖らせる。
「……逃げられたし」
ぼそりと呟き見下ろすのは、手に握られたコンビニの袋。
がさがさと手を突っ込みながら目だけチラと向ける先は、未だ茫然としている先輩達だ。
「つか、先輩達、ホント面倒だから烏羽ちんに惚れないでね」
いや、さすがにそれはないだろう。と瞬間的に全員が思った。
そのはずなのに、口に出して言った者は一人もいなかった。
・・・
細かく回していた足を緩めて暫く、真司は氷室といなくなってしまったアレックスを探していた。
周りを気にせずに話せる場所といえば会場の外だろうか。
安直な考えから外に踏み出せば、すぐにこちらに戻ってきている氷室が視界に映る。
「あ…、」
良かった、とは思えなかった。
何か氷室の様子がおかしいというか、見たことのない、妙に思いオーラを纏っているような。
「あ…真司。追いかけて来たのか?」
「え、え、っと、いえ、一応アレックスさんを探していたと言いますか…」
「そう。なら、話は終わったし、すぐにこっちに来るんじゃないかな」
気のせい、だったのだろうか。
真司は不安に眉を下げたまま氷室を見上げた。
「…何か、あったんですか…?」
思わずそう問うと、氷室は一度驚いたように目を丸くした。
それからすぐ表情を戻した氷室の手が、真司の肩に乗せられる。
「悪いけど、次の試合はオレ達が勝つから」
「え…」
「ふふ、じゃあね」
一瞬見えた鋭い目つき。
動けないままの真司の横を通り過ぎて行った氷室の背中は、華奢だけれど力強い。
その後すぐに戻ってきたアレックスの表情もまた固く、真司は不安に思いながらも何も聞くことができなかった。
日が落ちて、広い部屋を電気が照らす。
火神の家で陽泉の試合の様子を見終わり、そろそろ帰ろうと立ち上がり始めた頃だ。
陽泉の壁の高さに多少なりともげんなりした顔が一つ、また一つとドアの向こうに消えていく。
真司もそれに続きよいしょと鞄を肩にかけ、そのまま火神を見上げた。
「ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいい?」
「ん?」
皆が帰るまでここに残っていたのは、皆の前で聞いて良いことか分からなかったからだ。
ずっと気になって、仕方が無かったこと。
「氷室さんのこと…なんだけど」
ぽつりとそう言って、火神の様子を窺う。
予想通りに眉間のシワを深くして視線を落とした火神に、真司は躊躇いながら続けた。
「あ、あのさ、火神君と氷室さんってなんか、もしかしてだけど…あんまり仲良くない…?」
「は?」
失礼なことを聞いたにも関わらず、険しかった火神の顔が一瞬にして緩む。
それどころか、ぽかんと開いた口からは息が漏れ、「そんなことかよ」と低く唸った。
「タツヤとは…仲が良いとか悪いとか、そういう感じじゃねえっつか…まあ、良くはねぇかな」
「でも、外国でずっと一緒にいたんでしょ?」
「ああ。オレにバスケを教えてくれたのは、タツヤだったからな」
尚更どうして、とそう思いを込めた瞳で見つめる。
すると火神ははぁっと息を吐いて、真司の額を人差し指でついた。
「ホントは少なくとも監督には言わなきゃって思ってたんだけどよ」
「え?俺もしかしてタイミング悪かった?」
「ま、明日には話してたかもな」
そう言いながら、火神は突いた真司の額を今度は手の甲で優しくさすり、ふわと柔らかく微笑んだ。
というより、どこか寂しげな笑顔。
「タツヤはすげぇ上手くて…オレにとって兄貴みてぇな存在つか…本当に、尊敬してたんだ」
「尊敬して、た?」
「だからこそ、…オレが勝ったら兄貴をやめるって言われて、オレは勝てる試合で手を抜いてた」
今度は火神の体に力が入るのがわかった。
そして真司もようやく二人の関係が分かって来た気がしていた。
火神は氷室の弟分でいたくて、けれど氷室はそれが許せなかった。
火神が、きっと氷室を上回る才能を持っていたから。
「それきり、タツヤとは試合してねぇ」
「ストバスの時…出来なかったもんね」
「ああ、だから明日…今度こそ決着をつける」
ぐっと握り締めた手が痛々しくて。
真司はそっと火神の手に自分の手を重ねていた。
「…火神君」
「なんだよ、大丈夫だって」
「うん。分かってるよ、だって火神君の方が絶対強いし」
今まで火神はあんなに圧倒的な存在だったキセキの世代を一人一人と相手にしてきた。
勿論それは火神だけの力ではないけれど、でも今更負ける気はしない。
その心からの信頼に対し、火神はきょとんと目を丸くした。
「え、何、俺変な事言った?」
「だってお前…タツヤの方が好きだろ。向こうにはほら、紫原ってのもいるし」
「はあ!?」
真面目な顔して言う火神に、真司は顔をさあっと赤く染めた。
咄嗟に手を引っ込めて、きっと火神を睨み付ける。
「いろいろ間違ってるから!別に俺今までも試合で私情はさ、んでないと思うし、それに氷室さんのこと別にそんなじゃないし!」
「ほら、そうやって変に隠そうとしてんじゃねーか」
「違うって!本当に火神君のこと心強い味方だって思ってんだから…!」
いくら何でも、試合中に相手チームを応援するようなことは今までだってなかったはずだ。
ぱちんっと火神の胸を叩いて抗議を示す。けれどその手はやんわりと火神に握り締められていた。
「分かったって。真司の分までやってやるから」
「、う、うん」
ニッと歯を見せて笑う姿は普段と変わらないのに。大きな手は心強いのに。
根拠もなく妙な不安を残したまま、真司は火神に背を向けた。
・・・
ウインターカップ5日目。
超攻撃型の誠凛が、今回ばかりはただ点を取ることにすら苦戦していた。
圧倒的な壁、ディフェンス力を誇る陽泉。それは目の前にすれば尚の事。
第1クォーター、誠凛は1点も取ることが出来ずに終えてしまった。
とはいえただ黙ってやられる程柔では無い。
第2クォーターは黒子の修業の成果、公式戦で見せた初めてのシュートで見事に壁を破る。
まだ点差はあるものの、誠凛は今大会初めて陽泉からポイントを奪い、食らいついていた。
ここまでは予想出来た展開。
試合は前半を終え、インターバルに入っていた。
「後半、まず黒子君は温存でいくわよ」
当然の判断に黒子が頷く。
それから視線を動かしたリコの目には火神が映った。
「火神君、あなたには氷室君を止めてもらうわ」
図らずも訪れた展開に、火神が力強く頷く。
第3クォーター、黒子がいない状況で点差を広げないためには、火神が氷室を、そして木吉が紫原を抑える他ないらしい。
それほど、ただ力で押すなんて在り来たりな方法じゃ勝てない相手という事だろう。
「…烏羽君は、どう思う?」
再びコートへ戻り、ベンチで腰掛けた真司にふとリコが問いかけた。
「ここから、というか。向こうはまだこっちを探ってる感じですよね」
「そうね」
「でも、その今がチャンスだと思います。それこそ…紫原君が本気を出し始めたら手が付けられなくなるので」
試合が再開され、すぐさま火神と氷室が対峙する。
それが視界に入り、真司はぐっと一度身を引いた。
紫原は本気を出していないというのは、彼の性格上、当然のことだった。けれど。
「…氷室さん、やっぱり強い」
前半、本気を出していなかったのは、恐らく彼も同じ。
「ですね、身に纏っている空気が…キセキの世代と遜色ありません」
真司の独り言に、黒子が重ねる。
どこかで、火神なら止められると、そう思って疑わなかった。
だから尚更、真司は時間が止まったかのように氷室のプレイを見つめていた。
「上手い…っていうか、すごく綺麗…」
氷室のプレイに思わずそう零れる。
立ち塞がる火神をも軽々すり抜け、そしてシュートまで流れるようにボールを運ぶ姿は、まるで待っているかのようだ。
「そうね、烏羽君の言う通りよ。彼は、すごく綺麗。一つ一つのプレイが洗礼されているわ…」
フォームのつなぎが余りにも自然で、シュートフォームに入ったことすら気が付けない。
しかし、氷室の強さはそれだけではない。
いつかのストバスで見せた、ブロックを擦り抜けるシュートもある。
「まだだな」
立ち塞がった火神に、氷室はそう静かな声色で言った。
「お前、まだ心のどこかで、オレを兄として見てるんじゃないだろうな」
静かで、穏やかな、思わずうっとりと聴き惚れてしまいそうになる声。
けれどその声で、氷室は知らない音を鳴らした。
「オレとお前は今や敵同士だ。もっと殺す気でこいよ」
ビリビリと空気を震わせたその言葉とオーラのせいか、火神は一歩も動くことが出来なかった。
するりと抜けて、氷室がボールをゴールへと叩き付ける。
「っらあ!」
腕を振り上げて雄叫びを上げる氷室に、一同度肝を抜かれたのは間違いなかった。
真司も、言葉なく見つめて、吐き出した息が震えていたことに気付く。
クールな人だと、穏やかな人だと。その勝手な思い込みがかき消されて行く。
昨日ぞくりと感じた彼のオーラは、これだったのだ。
『誠凛メンバーチェンジです』
その最中、ベンチに呼ばれたのは火神だった。
「っ、なんでオレ…」
「はっきり言って、今回は向こうの言ってることが正しいだろ」
戸惑う火神の背中を叩いたのは日向だ。続けて木吉も息を吐いて言う。
「火神の悪いとこだな。勝負と情を分けられない」
既に皆火神と氷室の関係について知っている。
それもあって、火神の動きの鈍さの原因を察するのは早かった。
不服そうにしながらも、火神も自分の気持ちのざわつきに気が付いているのだろう。
どかっと椅子に座り、くしゃっと髪をかき上げた。
「…火神君」
「は、悪ィ。大丈夫だ、なんて言っときながらこのザマだ」
火神が抜けたままでも、試合時間は刻々と進んでいく。
微かな不安はやはり的中してしまった。
不安でぎゅっと胸の前で手を握り締める。
「…黒子、これ、捨ててきてくれねーか」
そんな真司の横で、火神は黒子に向けて手を差し出した。
その手に握られていた物を見て、黒子が目を丸くする。
「え…いいんですか?氷室さんとの大事な思い出も捨ててしまって」
「いいんだ。あんなもん未練でしかねぇし…」
きらりと光ったのは、いつも首にかけられていたリング。
思わず真司も黒子の奥に座る火神へと身を乗り出した。
「いくら何でも…っ、捨てなくたって…」
目の前で揺らぐ大きな瞳に、火神は一度困ったように息を吐いてから真司に手を伸ばした。
その大きな手は乱暴にぐしゃぐしゃと真司の髪を撫でまわす。
「っ、う、うわ、っ」
「いいんだよ。もっと大事なもんがあっから」
「何…っ」
「タツヤとの過去とお前等との未来じゃ、どっちが大切かなんて決まってんだろ?」
照れ臭そうに、眉を少し下げて笑う。
そしてすぐにコートへと顔を向けた火神から、真司は目を逸らすことが出来なかった。
「…、」
言葉は出ないのに、開いた口が塞がらない。
いつもよりほんの少し情けない笑顔が、脳裏に焼き付いて離れないのだ。
「…、…?」
とくんとくんと鳴り止まない音に、真司は自分の胸を押さえた。
もう大丈夫だとリコに意思を告げた火神が立ち上がる。
その横顔に見えた熱い眼差しにまた胸が煩くなって、真司は首を傾げて火神を見つめていた。