黒バス(2012.10~2017.12)
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会場横にある、人があまり立ち入らないスペース。
二人きりというには開かれた空間ではあるが、真司には赤司しか見えていなかった。
何を考えているのか読み取らせない深い赤。その瞳が微笑み細められる。
「真司、僕は僕でしかない。赤司征十郎は、今ここにいる僕だけだよ」
「っ…で、でも違うんだろ?今の赤司君は…俺の知ってる赤司君じゃない…っ」
「言う程違わないよ。僕の存在に気付いたのも…キセキの世代と呼ばれるアイツ等と、テツヤだけだったくらいだ」
赤司がそう言っても、真司の中ではもう別人であることが事実となっていた。
気付かなかったことが不思議なくらい、赤司の声色も顔つきも、今となっては違って映る。
真司は唇を噛んでから、震える声で問いかけた。
「いつから…今の赤司君でいる時間が多くなったの?」
「さあどうだったかな。2年の…全中優勝した後くらいだったか」
「え…そんなに前から…?」
丁度青峰が練習に出て来なくなり、更には紫原までサボるようになった辺り。
自分だけ知らずにのうのうと部活に出ていたのだ、本当に。
真司は片手で顔を覆い、熱くなる目を閉じた。
「どうして…俺の前では、あの頃の赤司君のままでいたの…?」
「本能がそうした、としか言えないな。真司の前でだけは、変わらずにありたいと思ったんだろう」
「……俺に、嫌われたくなかったから…?」
「そうだよ」
「…っ」
黒子や緑間が話した通りの言葉が返ってくる。
胸が苦しくなる程嬉しい。
けれど真司は、赤司から離れるように一歩後ろに下がった。
「俺は、今の君にどう接したら良い…?」
「難しい質問だね」
「もし赤司君が、俺の知るあの人格である赤司君だけを愛して欲しいと願っていたら…?」
赤司の中にある二つの人格が、別々の意思を持っているなら。
ここで今の赤司君に今まで通りに触れることは、真司の愛した赤司の思いを裏切ることになるのではないか。
「でも、今の君を嫌いになったら、あの頃の赤司君が俺の前だけで変わらずにいてくれた、その努力がムダに…」
いやそもそも、今の赤司はあの頃の赤司と同じ気持ちなのか。
止めどない疑問の数々に、真司はとうとう口を閉ざして俯いた。
赤司に触れたいと思っている。自分は間違いなく赤司に受け入れられることを望んでいる。
けれど、自分が愛した赤司を裏切りたくないと迷う自分も確かにいる。
「…それで、真司はどうしたい?」
真司が答えを求めていることを知っていて、赤司はそれを示さなかった。
“今の君を嫌いに”なんて、そんな事真司に出来るわけないと、分かっているのだろう。
真司は視界を覆っていた自分の手を退かし、目の前に立つ赤司を瞳に映した。
「……俺に…その資格が、あるのかな…」
「真司、誤解しているようだから一つだけ答えをあげるよ」
穏やかな顔で微笑む赤司にドキッとする。
赤司は、こんな顔では笑わない。それくらい、柔らかく美しい笑顔。
「真司が気付かなかったのではない。真司の前では皆変わらずにいられたんだ、僕に限らず」
「え…」
「真司が拠り所だったんだよ」
赤司の手が真司の頬を撫でる。それは、やはり真司の知っている温度と変わらない。
どんなに赤司の内面に変化が起ころうとも、結局赤司はこの一人だけで、真司が縋るべき体もこの一つだけ。
「少なくとも、僕には真司が必要だ」
「…嘘だ…」
「嘘じゃない。僕を見て」
赤司の両手が真司の頬を包む。
いろんなことを考えていたはずなのに、全てがどうでも良くなる。
触れたくて堪らない。ずっと求めていた熱に、真司の口から熱い息が漏れた。
「あ…、」
「真司、素直になって。どうしたいか言うんだ」
「…中学の時みたいに、しがみ付いても良いの…?」
「ああ、おいで」
するりと真司の肌を離れた手が、催促するようにこちらに向けられる。
真司はもう流しきったくらい流した涙を、再び目から零して笑った。
「赤司君…っ」
赤司の肩に額をぶつけるようにして体を預ける。
これで良いのか、本当にこれが正しいのか。どこかでそう思う。
けれど、優しく真司の頭を撫でる赤司の手に、もう“あの頃と違う”とは感じなかった。
・・・
「よし!みんな準備できたわね?じゃあ行こっか!」
その元気な女監督に続いて控え室として用意されていた部屋を後にする。
結局辺りが暗くなるまで眠りこけていたメンバーは、寝癖をつけたまま少し気だるそうだ。
「祝勝会しようよ!!」
そんな中、一人全く異なるテンションでそう言ったのは小金井だった。
「二回戦は明後日、三回戦以降は毎日試合あんだぞ!勝ってもうかれてる場合じゃ…」
「いや…いいかも」
当然駄目だと言われると思いきや、それを許したリコに、全員目を丸くして振り返った。
「試合が続くなら回復も大切なことだからね。そのためにはしっかり食べてしっかり寝る!食事の管理は大事だもの」
にっこり笑うリコの目は、ちらりと黒子を見た。
一番この後食事を怠りそうなメンバーだ。
「とはいえ外食は避けたいのよね…」
「あ、そういえば火神ん家ってこの辺りじゃなかったか?」
「や…まあそうっすけど」
なるほどその手があったか。
火神の返事を待つこともなく、リコは「宜しく」と火神の肩を叩いて先に歩き出した。
どうやら火神宅で祝勝会を行うことが決まったらしい。
はあーっと溜め息を吐いた火神の横で、何故かもう一人溜め息を吐いた。
「何だよ、真司」
「え?あ、ごめん」
「あ?いやなんで謝んだよ」
「ちょっと変な息漏れちゃった」
良く分からないことを言う真司に、火神は怪訝そうに眉を寄せる。
それから真司の目が赤くなっていることに気付き、火神は真司の少し長くなってきた前髪を指で退かした。
「お前、なんか顔どうした?」
「え?ああ、ちょっと、いっぱい泣いちゃって。もう大丈夫だから」
そう言う真司の顔つきは晴れ晴れしいどころか、嬉しそうに緩んでいる。
試合に勝った嬉し泣き、というレベルではない顔のくせにだ。
「…真司、お前控え室にいなかったよな?あれだろ…青峰と話したんだろ」
「え?なんで?」
「…あ?」
問いかけた火神は、試合後に真司と青峰が話したということに確信を持っていた。
だから返ってきた真司の反応に驚き、互いの顔をじっと見つめ合う事になった。
「俺が青峰君と?なんで?」
「なんで…って、だってアイツのこと、ずっと気にしてたろ」
「や、そうかもだけど…俺別に青峰君に会いたくないよ」
真司は正直に、そう思ったからそう言っている。
しかし、真司と火神の会話を聞いていた黒子も、驚き思わず「え」と声を漏らしてから振り返った。
「ボクもてっきり…君は青峰君と話したのだと思ってました。どうして会いたくないだなんて言うんですか?」
「どうしてって…会いたくないから。本当に」
試合をする前まで、試合に勝つまでは会えれば嬉しいと素直に思う相手だった。
けれど、真司は口を尖らせて首を振る。
「…怪我の事、知られたかもしれないから、とかですか。言ってないんですよね、目の事」
「それもあるかな…。あとは、まあ、今更青峰君と、そういう話したくないから」
「そういう…?」
「好きだとか嫌いだとか」
それだけ言うと「もうこの話はおしまい!」と前を向いて大股に歩き出す。
ずいずいと背中を向けてしまった真司に、黒子と火神はやはり怪訝そうに顔を見合わせた。
火神の家に到着するなり、それぞれまだ残る疲れにどっと座り込む。
真司は皆の荷物を預かって片付けつつ、何か出来る事はないかなと辺りを見渡した。
試合に出なかった分、何かしなければという思いが先行しているのだろう。
「あ、おい、烏羽。なんか顔酷いぞ」
すると、真司の近くに座っていた伊月が腕を掴んで覗き込んできた。
黒い目が急に目の前に入り込んで、思わず体をのけぞらせる。
そんな真司に気付いて笑いながら、けれど心配そうに伊月は真司の目の下あたりに手を滑らせた。
「泣いたんだなとは思ってたけど…明るいとこで見たら尚更だ。顔洗ってきたらどうだ?」
「あ…忘れてました。そうですよね」
「そーだよ」
手伝いは後でいいからさ。伊月が続けた優しい言葉に、真司は思わず頷いていた。
実際のところ、かなり泣いたのは事実だ。
そう指摘されると、このままここにいるのが恥ずかしく思えてくるほどに。
「じゃあ…。火神君、洗面所借りるね?」
「あ、おう。タオルも、勝手に使って良いから」
「ん、有難う」
誰も何も言わなかったのは、そうした方が良いと思ったからだろう。
真司は一人静かにドアを閉めると、そのままペタペタと冷たい廊下を歩き出した。
ひらけた廊下に、一人暮らしにしては本当に大きすぎる家だと実感する。
ほんの少し寂しさを感じながら洗面所に入り顔を上げると、確かに情けなく目を腫らした自分の顔が映った。
「…ひっどいな…」
自分の顔を見て真っ先に口から出た反応は素直なものだった。
我が家とは違う蛇口のタイプに少し戸惑いながら水を出し、そこに手を差し出す。
顔に冷たい水をぶつければ、頭も冴えていく感覚に目を閉じた。
ていうか、こんな顔で赤司の前に立ったなんて、信じたくない。恥ずかしすぎる。
「…あ、あの、さ…烏羽…?」
ぽたぽたと前髪から水が落ちる。
ゆっくりと顔を上げて、手の甲で目の辺りを拭うと、鏡に映る真司の後ろに降旗が立っていた。
「降旗君?どうかした?」
「あのさ、やっぱ気になって…オレが聞いていいことか分かんないんだけどさ…」
「いいよ、何?」
少し気恥ずかしそうに真司から目を逸らして、首をぽりぽりとかいている。
そこにあったタオルを借りて顔を拭きながら振り返ると、降旗は真司より大きい体を丸めて上目で真司を見た。
「泣いてた理由…何か思うことあるなら、やっぱ抱え込むんじゃなくて話して欲しい、かな…って」
頬をつたって首に流れそうになっていた水をタオルで受け止める。
真司は既に考えることを止めていた“その理由”を思い出して「あー…」と頭をかいた。
「よくも思い出させてくれたな」
「え!?あっ、ごめん!?」
「じゃあ…まあ、責任とって聞いてくれる?」
「お、おお、勿論」
降旗の喉が上下に動く。
そんな大層なことじゃないんだけど。真司はふっと息を吐いてから思い出すように視線を天井に向けた。
「俺…テツ君と青峰君を、助けたいって、力になりたいって思ってたんだ」
「…え?」
降旗の大きな目が、一瞬更に大きく開かれた。
「中学の時、俺、テツ君が出してたSOSに対して何も出来なくて…結局、関係が崩れていくのを止める事が出来なかったんだ」
「…えっと…それって黒子と青峰の?」
「それも含めて。だから今度こそ、とか…正義感かざしてたんだと思う。ホント…馬鹿みたいだけど」
自分でも、自分がそんなことを考えているなんで自覚もなかったくらい。
無意識にそう望んでいたことに気付いて、しかもその瞬間にその願いが崩れて涙が止まらなくなった。
「今日の試合で、テツ君も青峰君も、少しは何か引っかかってたものが外れたんじゃないかな」
「それって…あ、じゃあ、試合に出たかった…?」
「んー…試合に出てても、一緒だったと思う。結局、火神君とテツ君にしか青峰君は救えなかったし、テツ君も一緒」
中学の頃から感じていた距離。
真司はその切なさを思い出して視線を足元に落とした。
「悔しかったんだ。やっぱり何も出来なかったって気付かされて」
「それで…試合の後あんなに泣いてたのか…」
もしも青峰を変えれる人がいたなら。それは青峰と同じタイプの人間か黒子だと、ずっと気付いていたのだ。
それがようやく現れた。それを喜ぶべきなのだ、本当は。
真司はタオルで顔を覆い、そのまま大きく深呼吸をした。
「烏羽…」
「ふふ、…ふは」
「…烏羽?」
込み上げる思いに、思わず笑いが出る。
驚く降旗に構うことなく、真司は顔を上げてタオルをぽいとそこの洗濯機に放り込んだ。
「こんな話聞いてくれてありがと」
「や、そんな!無理矢理聞き出したみたいでむしろ申し訳ないっていうか」
「赤司君とのこともあったし、正直嫌われたかなって思ってたから、ホント嬉しかったよ。声かけてくれて」
もう一度有難うと頭を下げる。
そんな真司に、降旗は焦った様子で真司の肩を掴んだ。
「と、友達!だろ!?」
妙に必死で、顔を赤くさせて、でもどこか不安そうに真司の答えを待っている。
真司はふはっと口を開いて笑った。
「な、なんで笑うんだよー!」
「ごめん、ふふ、本当に有難う」
降旗の純粋さが面白いというか、珍しかった。
自分にこういう事が話せる友達がいなかったことに気付いて、それもある意味面白かった。
「じゃあ、そろそろ戻ろっか」
珍しく長々と二人きりで話した降旗の新鮮さを身に染みて感じながら、さっぱりした顔で皆の元に戻る。
悲しくなかった。不思議なくらい、泣いていた原因がどうでも良くなっている。
それを不思議に思わなかった時点で、恐らく真司の中の何かが崩れかけていたことは確かだった。
・・・
夕食、と言う名の地獄を味わった後。
「地獄」というのは比喩だったか揶揄だったか、とにかくそういうことでなく、降旗と部屋に戻った真司が見たままの光景そのものだ。
というのもリコがささっと食事の準備をしてしまったらしく、食した彼等の身に起きたことは想像したくもない地獄だ。
不幸中の幸い、30分程度で目を覚ました皆はその後すぐに元気を取り戻したから問題はなかったようだ。
というわけで、それを乗り越えた後。
真司は更なる地獄のような天国のような、良くわからない状況に遭遇していた。
火神でない誰かがいる部屋を発見し、覗き込んだのが運の尽きだった。
恐らく火神の寝室だろう、ベッド以外には大した物の無い部屋。
そのベッドに潜りこむ人を見かけ、近付いた真司は、出てきた腕に掴まれて引きずり込まれてしまった。
「っ!?」
驚きのあまり声が出ない。
心臓の方が煩いくらいの音で胸を叩き、真司は大きく呼吸を繰り返してから自分を抱き込む腕に触ってみた。
「あ、あの……?」
もぞもぞと動いて真司を抱きかかえるようにして眠っている人の輪郭を探る。
家主である火神でないのは確かだった。柔らかい腕は女性のものだ。
(あれ…?でも女って、リコ先輩しか…)
思い当たる女性は一人。
けれど、申し訳ないがリコはこんなに豊満な体ではない、はず。
「う、わ、うわあ!!」
ようやく大きな声を上げて、真司はその腕を退かしてベッドから転がり落ちた。
それに気付いて謎の人物も体をゆっくりと起こす。
「ん…What?」
薄暗い部屋に浮かび上がったシルエットは、上半身裸の金髪の外国人美女だった。
二人きりというには開かれた空間ではあるが、真司には赤司しか見えていなかった。
何を考えているのか読み取らせない深い赤。その瞳が微笑み細められる。
「真司、僕は僕でしかない。赤司征十郎は、今ここにいる僕だけだよ」
「っ…で、でも違うんだろ?今の赤司君は…俺の知ってる赤司君じゃない…っ」
「言う程違わないよ。僕の存在に気付いたのも…キセキの世代と呼ばれるアイツ等と、テツヤだけだったくらいだ」
赤司がそう言っても、真司の中ではもう別人であることが事実となっていた。
気付かなかったことが不思議なくらい、赤司の声色も顔つきも、今となっては違って映る。
真司は唇を噛んでから、震える声で問いかけた。
「いつから…今の赤司君でいる時間が多くなったの?」
「さあどうだったかな。2年の…全中優勝した後くらいだったか」
「え…そんなに前から…?」
丁度青峰が練習に出て来なくなり、更には紫原までサボるようになった辺り。
自分だけ知らずにのうのうと部活に出ていたのだ、本当に。
真司は片手で顔を覆い、熱くなる目を閉じた。
「どうして…俺の前では、あの頃の赤司君のままでいたの…?」
「本能がそうした、としか言えないな。真司の前でだけは、変わらずにありたいと思ったんだろう」
「……俺に、嫌われたくなかったから…?」
「そうだよ」
「…っ」
黒子や緑間が話した通りの言葉が返ってくる。
胸が苦しくなる程嬉しい。
けれど真司は、赤司から離れるように一歩後ろに下がった。
「俺は、今の君にどう接したら良い…?」
「難しい質問だね」
「もし赤司君が、俺の知るあの人格である赤司君だけを愛して欲しいと願っていたら…?」
赤司の中にある二つの人格が、別々の意思を持っているなら。
ここで今の赤司君に今まで通りに触れることは、真司の愛した赤司の思いを裏切ることになるのではないか。
「でも、今の君を嫌いになったら、あの頃の赤司君が俺の前だけで変わらずにいてくれた、その努力がムダに…」
いやそもそも、今の赤司はあの頃の赤司と同じ気持ちなのか。
止めどない疑問の数々に、真司はとうとう口を閉ざして俯いた。
赤司に触れたいと思っている。自分は間違いなく赤司に受け入れられることを望んでいる。
けれど、自分が愛した赤司を裏切りたくないと迷う自分も確かにいる。
「…それで、真司はどうしたい?」
真司が答えを求めていることを知っていて、赤司はそれを示さなかった。
“今の君を嫌いに”なんて、そんな事真司に出来るわけないと、分かっているのだろう。
真司は視界を覆っていた自分の手を退かし、目の前に立つ赤司を瞳に映した。
「……俺に…その資格が、あるのかな…」
「真司、誤解しているようだから一つだけ答えをあげるよ」
穏やかな顔で微笑む赤司にドキッとする。
赤司は、こんな顔では笑わない。それくらい、柔らかく美しい笑顔。
「真司が気付かなかったのではない。真司の前では皆変わらずにいられたんだ、僕に限らず」
「え…」
「真司が拠り所だったんだよ」
赤司の手が真司の頬を撫でる。それは、やはり真司の知っている温度と変わらない。
どんなに赤司の内面に変化が起ころうとも、結局赤司はこの一人だけで、真司が縋るべき体もこの一つだけ。
「少なくとも、僕には真司が必要だ」
「…嘘だ…」
「嘘じゃない。僕を見て」
赤司の両手が真司の頬を包む。
いろんなことを考えていたはずなのに、全てがどうでも良くなる。
触れたくて堪らない。ずっと求めていた熱に、真司の口から熱い息が漏れた。
「あ…、」
「真司、素直になって。どうしたいか言うんだ」
「…中学の時みたいに、しがみ付いても良いの…?」
「ああ、おいで」
するりと真司の肌を離れた手が、催促するようにこちらに向けられる。
真司はもう流しきったくらい流した涙を、再び目から零して笑った。
「赤司君…っ」
赤司の肩に額をぶつけるようにして体を預ける。
これで良いのか、本当にこれが正しいのか。どこかでそう思う。
けれど、優しく真司の頭を撫でる赤司の手に、もう“あの頃と違う”とは感じなかった。
・・・
「よし!みんな準備できたわね?じゃあ行こっか!」
その元気な女監督に続いて控え室として用意されていた部屋を後にする。
結局辺りが暗くなるまで眠りこけていたメンバーは、寝癖をつけたまま少し気だるそうだ。
「祝勝会しようよ!!」
そんな中、一人全く異なるテンションでそう言ったのは小金井だった。
「二回戦は明後日、三回戦以降は毎日試合あんだぞ!勝ってもうかれてる場合じゃ…」
「いや…いいかも」
当然駄目だと言われると思いきや、それを許したリコに、全員目を丸くして振り返った。
「試合が続くなら回復も大切なことだからね。そのためにはしっかり食べてしっかり寝る!食事の管理は大事だもの」
にっこり笑うリコの目は、ちらりと黒子を見た。
一番この後食事を怠りそうなメンバーだ。
「とはいえ外食は避けたいのよね…」
「あ、そういえば火神ん家ってこの辺りじゃなかったか?」
「や…まあそうっすけど」
なるほどその手があったか。
火神の返事を待つこともなく、リコは「宜しく」と火神の肩を叩いて先に歩き出した。
どうやら火神宅で祝勝会を行うことが決まったらしい。
はあーっと溜め息を吐いた火神の横で、何故かもう一人溜め息を吐いた。
「何だよ、真司」
「え?あ、ごめん」
「あ?いやなんで謝んだよ」
「ちょっと変な息漏れちゃった」
良く分からないことを言う真司に、火神は怪訝そうに眉を寄せる。
それから真司の目が赤くなっていることに気付き、火神は真司の少し長くなってきた前髪を指で退かした。
「お前、なんか顔どうした?」
「え?ああ、ちょっと、いっぱい泣いちゃって。もう大丈夫だから」
そう言う真司の顔つきは晴れ晴れしいどころか、嬉しそうに緩んでいる。
試合に勝った嬉し泣き、というレベルではない顔のくせにだ。
「…真司、お前控え室にいなかったよな?あれだろ…青峰と話したんだろ」
「え?なんで?」
「…あ?」
問いかけた火神は、試合後に真司と青峰が話したということに確信を持っていた。
だから返ってきた真司の反応に驚き、互いの顔をじっと見つめ合う事になった。
「俺が青峰君と?なんで?」
「なんで…って、だってアイツのこと、ずっと気にしてたろ」
「や、そうかもだけど…俺別に青峰君に会いたくないよ」
真司は正直に、そう思ったからそう言っている。
しかし、真司と火神の会話を聞いていた黒子も、驚き思わず「え」と声を漏らしてから振り返った。
「ボクもてっきり…君は青峰君と話したのだと思ってました。どうして会いたくないだなんて言うんですか?」
「どうしてって…会いたくないから。本当に」
試合をする前まで、試合に勝つまでは会えれば嬉しいと素直に思う相手だった。
けれど、真司は口を尖らせて首を振る。
「…怪我の事、知られたかもしれないから、とかですか。言ってないんですよね、目の事」
「それもあるかな…。あとは、まあ、今更青峰君と、そういう話したくないから」
「そういう…?」
「好きだとか嫌いだとか」
それだけ言うと「もうこの話はおしまい!」と前を向いて大股に歩き出す。
ずいずいと背中を向けてしまった真司に、黒子と火神はやはり怪訝そうに顔を見合わせた。
火神の家に到着するなり、それぞれまだ残る疲れにどっと座り込む。
真司は皆の荷物を預かって片付けつつ、何か出来る事はないかなと辺りを見渡した。
試合に出なかった分、何かしなければという思いが先行しているのだろう。
「あ、おい、烏羽。なんか顔酷いぞ」
すると、真司の近くに座っていた伊月が腕を掴んで覗き込んできた。
黒い目が急に目の前に入り込んで、思わず体をのけぞらせる。
そんな真司に気付いて笑いながら、けれど心配そうに伊月は真司の目の下あたりに手を滑らせた。
「泣いたんだなとは思ってたけど…明るいとこで見たら尚更だ。顔洗ってきたらどうだ?」
「あ…忘れてました。そうですよね」
「そーだよ」
手伝いは後でいいからさ。伊月が続けた優しい言葉に、真司は思わず頷いていた。
実際のところ、かなり泣いたのは事実だ。
そう指摘されると、このままここにいるのが恥ずかしく思えてくるほどに。
「じゃあ…。火神君、洗面所借りるね?」
「あ、おう。タオルも、勝手に使って良いから」
「ん、有難う」
誰も何も言わなかったのは、そうした方が良いと思ったからだろう。
真司は一人静かにドアを閉めると、そのままペタペタと冷たい廊下を歩き出した。
ひらけた廊下に、一人暮らしにしては本当に大きすぎる家だと実感する。
ほんの少し寂しさを感じながら洗面所に入り顔を上げると、確かに情けなく目を腫らした自分の顔が映った。
「…ひっどいな…」
自分の顔を見て真っ先に口から出た反応は素直なものだった。
我が家とは違う蛇口のタイプに少し戸惑いながら水を出し、そこに手を差し出す。
顔に冷たい水をぶつければ、頭も冴えていく感覚に目を閉じた。
ていうか、こんな顔で赤司の前に立ったなんて、信じたくない。恥ずかしすぎる。
「…あ、あの、さ…烏羽…?」
ぽたぽたと前髪から水が落ちる。
ゆっくりと顔を上げて、手の甲で目の辺りを拭うと、鏡に映る真司の後ろに降旗が立っていた。
「降旗君?どうかした?」
「あのさ、やっぱ気になって…オレが聞いていいことか分かんないんだけどさ…」
「いいよ、何?」
少し気恥ずかしそうに真司から目を逸らして、首をぽりぽりとかいている。
そこにあったタオルを借りて顔を拭きながら振り返ると、降旗は真司より大きい体を丸めて上目で真司を見た。
「泣いてた理由…何か思うことあるなら、やっぱ抱え込むんじゃなくて話して欲しい、かな…って」
頬をつたって首に流れそうになっていた水をタオルで受け止める。
真司は既に考えることを止めていた“その理由”を思い出して「あー…」と頭をかいた。
「よくも思い出させてくれたな」
「え!?あっ、ごめん!?」
「じゃあ…まあ、責任とって聞いてくれる?」
「お、おお、勿論」
降旗の喉が上下に動く。
そんな大層なことじゃないんだけど。真司はふっと息を吐いてから思い出すように視線を天井に向けた。
「俺…テツ君と青峰君を、助けたいって、力になりたいって思ってたんだ」
「…え?」
降旗の大きな目が、一瞬更に大きく開かれた。
「中学の時、俺、テツ君が出してたSOSに対して何も出来なくて…結局、関係が崩れていくのを止める事が出来なかったんだ」
「…えっと…それって黒子と青峰の?」
「それも含めて。だから今度こそ、とか…正義感かざしてたんだと思う。ホント…馬鹿みたいだけど」
自分でも、自分がそんなことを考えているなんで自覚もなかったくらい。
無意識にそう望んでいたことに気付いて、しかもその瞬間にその願いが崩れて涙が止まらなくなった。
「今日の試合で、テツ君も青峰君も、少しは何か引っかかってたものが外れたんじゃないかな」
「それって…あ、じゃあ、試合に出たかった…?」
「んー…試合に出てても、一緒だったと思う。結局、火神君とテツ君にしか青峰君は救えなかったし、テツ君も一緒」
中学の頃から感じていた距離。
真司はその切なさを思い出して視線を足元に落とした。
「悔しかったんだ。やっぱり何も出来なかったって気付かされて」
「それで…試合の後あんなに泣いてたのか…」
もしも青峰を変えれる人がいたなら。それは青峰と同じタイプの人間か黒子だと、ずっと気付いていたのだ。
それがようやく現れた。それを喜ぶべきなのだ、本当は。
真司はタオルで顔を覆い、そのまま大きく深呼吸をした。
「烏羽…」
「ふふ、…ふは」
「…烏羽?」
込み上げる思いに、思わず笑いが出る。
驚く降旗に構うことなく、真司は顔を上げてタオルをぽいとそこの洗濯機に放り込んだ。
「こんな話聞いてくれてありがと」
「や、そんな!無理矢理聞き出したみたいでむしろ申し訳ないっていうか」
「赤司君とのこともあったし、正直嫌われたかなって思ってたから、ホント嬉しかったよ。声かけてくれて」
もう一度有難うと頭を下げる。
そんな真司に、降旗は焦った様子で真司の肩を掴んだ。
「と、友達!だろ!?」
妙に必死で、顔を赤くさせて、でもどこか不安そうに真司の答えを待っている。
真司はふはっと口を開いて笑った。
「な、なんで笑うんだよー!」
「ごめん、ふふ、本当に有難う」
降旗の純粋さが面白いというか、珍しかった。
自分にこういう事が話せる友達がいなかったことに気付いて、それもある意味面白かった。
「じゃあ、そろそろ戻ろっか」
珍しく長々と二人きりで話した降旗の新鮮さを身に染みて感じながら、さっぱりした顔で皆の元に戻る。
悲しくなかった。不思議なくらい、泣いていた原因がどうでも良くなっている。
それを不思議に思わなかった時点で、恐らく真司の中の何かが崩れかけていたことは確かだった。
・・・
夕食、と言う名の地獄を味わった後。
「地獄」というのは比喩だったか揶揄だったか、とにかくそういうことでなく、降旗と部屋に戻った真司が見たままの光景そのものだ。
というのもリコがささっと食事の準備をしてしまったらしく、食した彼等の身に起きたことは想像したくもない地獄だ。
不幸中の幸い、30分程度で目を覚ました皆はその後すぐに元気を取り戻したから問題はなかったようだ。
というわけで、それを乗り越えた後。
真司は更なる地獄のような天国のような、良くわからない状況に遭遇していた。
火神でない誰かがいる部屋を発見し、覗き込んだのが運の尽きだった。
恐らく火神の寝室だろう、ベッド以外には大した物の無い部屋。
そのベッドに潜りこむ人を見かけ、近付いた真司は、出てきた腕に掴まれて引きずり込まれてしまった。
「っ!?」
驚きのあまり声が出ない。
心臓の方が煩いくらいの音で胸を叩き、真司は大きく呼吸を繰り返してから自分を抱き込む腕に触ってみた。
「あ、あの……?」
もぞもぞと動いて真司を抱きかかえるようにして眠っている人の輪郭を探る。
家主である火神でないのは確かだった。柔らかい腕は女性のものだ。
(あれ…?でも女って、リコ先輩しか…)
思い当たる女性は一人。
けれど、申し訳ないがリコはこんなに豊満な体ではない、はず。
「う、わ、うわあ!!」
ようやく大きな声を上げて、真司はその腕を退かしてベッドから転がり落ちた。
それに気付いて謎の人物も体をゆっくりと起こす。
「ん…What?」
薄暗い部屋に浮かび上がったシルエットは、上半身裸の金髪の外国人美女だった。