黒バス(2012.10~2017.12)
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高校バスケットボール三大大会…夏のインターハイ、秋の国体、そして冬のウィンターカップ。
少し前まではその中の最大タイトルは夏だったが、年々冬の規模も拡大し、今や夏と同等かそれ以上となった最大最後のタイトルである。
そのウィンターカップの会場にやってきた誠凛メンバー。
しかし、その空気はなにやら深刻であった。
「なっにっを!やっとんじゃあの馬鹿はーー!!」
かっと目を見開くリコが示す“あの馬鹿”とは火神の事である。
海外の師匠の元に旅立ってから、火神の姿は一度も見ていない。そして今日も彼はまだ現れていなかった。
「火神君からの連絡は!?」
「…何か、時差の事忘れてたみたいで…もうすぐ着くそうです」
「まったく…」
開会式も終わったというのに、彼等の耳に届くのはようやく到着しそうだという連絡のみ。
何やってんだか、そう思ったのは真司も同じだ。
しかし、そう人の事を思っていた最中、ピロリンと鳴った耳慣れた音に、真司は慌てて自分の携帯を開いた。
「…」
ドキッとしたのはこのメールを送り主の名前のせい。
よりにもよってこんなタイミングで、と思いながらも真司はゆっくりと手を挙げた。
「あの、すみません」
そのまま誰に言うでもなく謝ると、そこに集まる全員が真司を見た。
「どうした、烏羽」
「あの…なんか、その、呼ばれまして…」
「え」
「すぐ戻るので、ちょっとだけ行ってきます!」
その視線を振り払うように、有無言わず走り出す。
後で絶対に怒られるし頭グリグリされる。けれど、今はそんな後のことなどどうでも良くて。
「おいこら烏羽!」
当然のように聞こえた後ろからの声など聞こえないふりをして、真司は振り返らず足を進めた。
「会場外の階段へ来い」とそれだけ書かれたメール。
ここに来た時からドキドキと高鳴る期待はあった。それが今後押しされて止まらなくなっている。
緊張感のあった会場を出て、解放感溢れる外の空気を吸い込む。
辺りを見渡しながら足を進めると、その人は確かに指定した階段のところにいた。
「緑間君!」
メールをしてきたその人、背の高い緑の髪と橙のジャージ。
手を振りながら駆け寄ると、向こうも真司を姿を確認して目を細めた。
「…烏羽、お前」
一瞬歪められた緑間の顔は、真司の顔面に不服があったからだろう。
そんなことお構いなしに緑間に近付くと、軽く眼鏡を自分の手で持ち上げた緑間が真司を鋭い目で見下ろした。
「お前はまた何故そう堂々と顔を晒しているのだよ」
「え、いやそんな無茶なこと言われても」
「…信じられないのだよ」
ほんの少し赤くも見える頬をかいた緑間の手が真司の背中に回される。
そのままとんと緑間の胸に引き寄せられることに、何の抵抗もなく従った。
「怪我は…大丈夫なのか」
「ふふ、大丈夫だからここにいるんですよー」
「そうか」
安心したように緩んだ声が耳に馴染む。
つられて緑間の腕を回した時、たたたっと軽快な足音が後ろから聞こえて来た。
「ちょっと緑間っち何して…ハサミ!危ないっス!」
ぐっと腕を引っ張られて緑間から引き剥がされると同時に、声の主である黄瀬の腕の中にダイブする。
何を言っているのか、と考えるまでもなく視界に入った緑間の手に握られたハサミに、真司が青ざめたのは言うまでも無い。
「え、何緑間君…なんでハサミ」
「今日のラッキーアイテムに決まってるだろう」
「だからって剥き出しで持つのやめて!真司っちが襲われてると思ったっスよもー!」
緑間はこれから何かを切ろうとでもするかのように、指をハサミの持ち手に入れて持っている。
この格好でここまで来た緑間を誰か止めなかったのか。高尾は、…恐らく内心爆笑していたのだろう。
そんなことを考えながら黄瀬の腕から逃れると、真司の顔を確認した黄瀬の目が開いた。
「てえ!?真司っち!?前髪が!ない!可愛い!!」
「いやあるから」
「こんな短くしてるの初めて見たっ…て、もしかして怪我が理由…?」
一人でコロコロ顔色を変える黄瀬は、こんな時ばかり妙に鋭い。
真司はようやく眉毛より長くなった前髪に人差し指を通して、不安げな顔した黄瀬を見返した。
「これ、似合ってない?」
「まさか!チョー可愛いっス!」
「でしょ、いい加減邪魔だったからさ」
別に誤魔化す必要もなかったろうが、何となく心配はかけたくなかった。
一瞬眉をひそめた緑間は感づいていたのだろうが、何も言われないならそれでいい。
それはともかくだ。やっぱり、こう黄瀬と緑間が並んでいるところを見るのは嬉しいものだ。
真司は一人頬を綻ばせていたのに、黄瀬は緑間の顔を見るなりキッと目を鋭くさせた。
「つか緑間っち、なんで真司っち呼んだんスか!?」
「呼んだ方が良いと思ったからなのだよ」
「オレは嫌っス!可愛い真司っち見れて嬉しいけど!」
二人の様子がおかしいことに気付き、恐る恐るその光景を見守る。
真司を呼び出した緑間はともかく、黄瀬は何か納得いかないらしい。
「どうせ近いうちに会うことになる。なら…目が届くところで会わせておいた方が良いだろう」
「そ、それは…んー…まあ、そうかもっスけど」
「そんなことも考えつかないのか、馬鹿め」
言い合う二人を見上げて、真司は会話の内容に目を丸くしていた。
自分は本来呼ばれてはいないのだ。
では二人が会わせたくなくて、それでも今ここで会わせるべきと判断した人物とは。
「もしかして誰か来る…?」
「あ、いや、そんなんじゃないっスよ…?」
「ていうか、もしかしなくても…それって赤司君…」
「っ、真司っち!」
言わせたくないのか、気付いて欲しくなかったのか、黄瀬が悲しそうに眉を寄せて真司の腕を掴む。
そもそも緑間と黄瀬とがこうして二人でいること自体おかしい。
全員に声をかけた人がいる、とすれば。
「そっか…赤司君が二人をここに呼んだんだね」
「お願い真司っち…オレの傍にいて」
「オレが呼んだのだからオレの傍にいれば良いのだよ」
「もー!そもそも緑間っちが!」
いつかは会うに決まっている。けれど今日は早速大事な試合があるから考えないようにしていたのに。
無意識にうずうずと 期待に胸が躍るような、怖いような。
言い合いながらもしっかりと真司を掴み続ける黄瀬の手からするりと抜けると、とんと背中が別の誰かにぶつかった。
「わ、すみませ…」
「あれ~?烏羽ちんじゃん」
「紫原君!」
「紫っち!」
頭の上から聞こえる紫原の声に、顔を最大限まで上げる。
紫原は真司の肩を掴み、乱暴にもぐるりと真司を反転させた。
そうして向き合うなり、大きな手で真司の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「う、わ、乱暴…!」
「へー、髪切ったんだあ。つかこれ烏羽ちん関係ないやつじゃないの?」
「な…なんだよ、そんなに俺いちゃまずいの?」
「んー別にいんじゃね?」
大して興味もないのか、適当な返事をする紫原に納得いかない真司の口がとがる。
その気持ちのまま紫原の手を逃れようと下がると、更に違う声が背中で聞こえた。
「あ?何してんだよお前等」
この低い声はあまりご無沙汰でもない、聞き慣れた大好きな。
振り返らずにぎゅっと唇を噛む真司の代わりに、黄瀬が顔をその声の方へ向けた。
「青峰っち…見て分かんないスか?真司っち愛でてんスよ」
「何で真司がいんだよ」
これまた直球の“なんで”に、真司は戸惑いがちに視線を落とした。
黄瀬や緑間みたいに再会を喜んでくれない彼に、胸を痛めるのは今更すぎると分かっているのに。
しかし青峰は言葉と裏腹に、真司に近付くなり腕を強く掴んだ。
「え、青峰君」
「真司、こっち来い」
「ちょ、ちょっと」
乱暴に引っ張られて青峰の体にぶつかる。
それを遮るように黄瀬が手を伸ばして、右腕と左腕とを大男二人に掴まれ挟まれる形となった。
「残念っスけどもう青峰っちの真司っちじゃないんスよ」
「…んだよそれ、お前のだって言う気かよ」
「ま、そうとも言うっスね」
にやりと口角を上げて笑う黄瀬は自信満々に、一方青峰は眉間のシワを深くさせた。
久々に集ったというのに、やはり空気は深刻か。
緊張を通り過ぎ、がっかりだと頭を下げて吐いた溜め息は、別の誰かと重なった。
「君達は、一体何をしているんですか」
「テツ君!」
恐らく黒子にも赤司からの連絡がいったのだろう。
その黒子の後ろには何故か降旗がおどおどした様子で立っている。
「あ?テツお前、お守り付きかよ」
「そういう峰ちんにはさっちんがいるけどね」
「今さつきは関係ねーだろ」
これで当時の仲間が赤司以外全員集まった。
嬉しさの反面、どうしても棘のある彼等の態度にチクチクと胸が痛む。
それは降旗も感じているらしい、どうにも居心地が悪そうだ。
「烏羽君が先に逃げてしまったせいで、ボクがなかなか抜け出せなくて大変だったんですよ」
「う…こうなると分かってたら…ていうか降旗君も、なんかごめんね」
「い、いや…オレは、別に……」
顔を青くした降旗には、恐らくキセキの世代が相当大きな存在に映っているのだろう。
まあ実際に大きいことは事実なのだが。
「…ていうか青峰君、腕痛いんだけど…」
「あ?生っちょろい事言ってんじゃねーよ」
「あのね、青峰君の力が強いんだよ!」
掴まれる手がじわじわと汗ばんでくる。
そんな焦りやら緊張やら熱っぽさを誤魔化すように声を荒げると、青峰が小さく舌をうった。
「そもそも気に食わねーんだよ、真司」
「何が…」
「何でテメェは」
「すまない、待たせたね」
青峰の言葉の続きを聞くことは出来なかった。
凛とした声が、辺りの空気を押し流して全てを書き換えていく。
そんな錯覚を覚えてしまう程、真司を支配するその声に、真司の呼吸は一瞬止まっていた。
階段の上を見上げれば、そこにもう彼が立っている。
しかし全員がその絶対的な存在を見上げる中、真司だけはそれが許されなかった。
青峰の腕が真司の頭を抱きかかえて、視界を奪っていたのだ。
暫く自分の身に何が起きたのか理解出来なかった。
絶対的な存在。皆が見上げるその人は、キセキの世代のキャプテンである赤司征十郎だ。
その赤司の声が聞こえただけでも真司にとっては相当の、平常心ではいられない事態なのに。
頭の上で聞こえる息は青峰のものだ。手のひらで恐る恐る胸を押してみても、その分厚い体はびくともしない。
「…大輝、何をしてるんだ」
「んだよ」
「そんなことをされたら、真司が見えないじゃないか」
青峰の手が真司の頭を掴み覆うようにして、そのまま顔は青峰の体に押し当てられている。
軽く真司の耳を塞ぐ青峰の手は、赤司の声を遮りたかったのか。
しかし、凛とした声は青峰の掌をすり抜けて真司の耳に入り込む。
「そもそも大輝にそんなことをする資格があるのかな」
「あ?資格?」
「真司の気持ちに応えない、お前が」
赤司の言葉にぴくっと青峰の手が震えた。
どうして今、そんな話をするのだろう。
真司自身、考えないようにしていたのに。
「真司、顔を見せてごらん」
たんたん、と静かな足音が近付いてくる。
近付いたその声色、それから彼の言葉選びにも違和感はあった。
青峰のことをいつの間に下の名で呼んでいる。それに穏やかな声は微かな冷気を含んでいる。
「…真司」
「や、…」
「嫌?そんなはずはないだろう、真司」
でも、それだけでこの赤司が自分の知っている赤司でないとどうして言えるのだろう。
申し訳なさそうに、けれど真剣な面持ちで赤司のことを伝えてくれた黒子の言葉は嘘でない。そう、疑ってなどいないはずなのに。
「…あ、あかし、くん…」
「ああ、会いたかったよ、真司」
彼の声が自分の名を呼ぶだけでどうにかなりそうだ。
黄瀬も緑間も、そして青峰もが無意識のうちに避けようとした真司と赤司の再会は、やはり真司の中の均衡を壊そうとして。
それに自ら気づきながらも、真司はゆっくりと顔を上げた。
「おい、オレもまぜてくれよ」
顔を上げて視界に映るのは、赤司の姿のはずだった。しかし目の前に入り込んだのは、見慣れた背中。
その大きな背中は自分と同じ色のジャージを着込んでいる。
「火神!」
「おう、ただいま」
突然現れた男の名を呼んだのは、安心しきった降旗の声だった。
今丁度到着したところだったのだろう。火神は大きな鞄を肩にかけたままだ。
「あんたが赤司か、会えて嬉しいぜ」
単純な火神のことだ。ただ今目の前にいる強い相手に対して、期待しそして挑発しているだけ。
しかし、今はタイミングも状況も、何もかもが悪かった。
「…真太郎、ちょっとそのハサミ借りてもいいかな?」
「?…何に使うのだよ」
「髪がちょっとうっとうしくてね。切りたいと思っていたんだ。…まあ、その前に火神君だよね?」
緑間のラッキーアイテムであるハサミを受け取った赤司が火神に近付く。
そしてそのまま前触れもなく、赤司はハサミの切っ先を火神の顔に向けて突き立てていた。
「うお!?」
「火神君!」
「へえ、よく避けたね。今の身のこなしに免じて今回だけは許すよ」
黒子は驚きと焦りで声を荒げ、さすがの火神の頬にも汗が滲む。
火神が避けなければ、間違いなく刃は火神の肌を切裂いていた。
「ただし次はない。この世は勝利が全てだ。勝者はすべてが肯定され、敗者はすべて否定される」
自分がしたことに対して何も思わないのか、赤司の声は冷静を保ったまま。静かな声色がビリビリと空気を震わせる。
「僕は今まであらゆることで負けたことがないし、この先もない。すべてに勝つ僕はすべて正しい」
耳に軽く重なっているだけの青峰の手に自分の手を重ねて、赤司の言葉を拒むことは出来た。
けれど、間違いなくこれが今の赤司の姿なのだ。
真司は青峰の腕を掴んで、ゆっくりと自分の耳から剥がした。
「僕に逆らう奴は、親でも殺す」
目を開くと、視界には記憶にある赤司とは違う赤司の姿がしっかりと映っていた。
確信する。本当に、自分の知っている赤司ではなくなっているのだということ。
「どうして…」
真司は、耐えきれずぽつりと呟いていた。
その小さな声に、その場にいる全ての目が真司に集まった。
空気が酷く、視線が痛い、目がチカチカして呼吸も止まりそうだ。
「なんで、こんな、赤司君…」
口を開いたはいいが、何を言ったら良いのか分からなかった。
現状に混乱している。視界に映った火神の頬には赤い線が出来ているし、赤司は本当に髪にハサミを入れたようで前髪が短くなっているし。
「ああ、やっと真司の顔がよく見えた」
火神に向けていた表情から一変、赤司が穏やかに目を細めて微笑む。
ちらと一瞬鋭い瞳が真司の後ろを睨み、青峰の腕が真司から離れた。
もう、遮るものは何もない。
「真司、怖がらせてしまったかな。すまなかったね」
「あ、当たり前だろ、こんな…!」
「変わらないな、真司は。可愛い顔をして、僕に対してもそういう目を向けてくる…」
愛しい物に触れるように優しく、赤司の手のひらが真司の頬を撫でる。
真正面から見る赤司は、やはりあまり変わっていないようで、少し大人びていて。それから瞳の色が、何故か以前と違って見えた。
「真司…」
「っ…!」
駄目だ。この瞳には耐えられない。真司は辛うじて保った理性で赤司の胸を押した。
しかし、真司の細い腕では大した威力にはならなかったのだろう。
腕を掴まれ、そのまま近付いてきた赤司の顔が真司に重なった。
「んっ…!?」
再会の抱擁もなく、真っ先に触れたのは唇同士。
塞がれた真司の口の隙間から息が漏れる。
それをも喰らおうと言うのか、赤司は角度を変えて更に深く口付けた。
しっかりと頭を押さえられ、抵抗も敵わない。
「ッ、んん…!」
少なくとも、赤司は人前でこんなことをする人ではなかった。
それが真司の嫌がることなら尚更。キセキの世代の前なら、尚更。
いや、そもそもそんな風に思っているのは真司だけで、赤司の本質はむしろ。
「赤司君!止めてください!」
黒子の声を上げ、赤司の手が真司の体から離される。
赤司の支えがなくなった真司の膝はがくっと折れ、その場にしゃがみこんでしまった。
「ふ、そう怒るなよ」
「おい赤司、まさかこんなの見せびらかすつもりで呼んだんじゃねーだろうな」
「まさか。確認するつもりだったんだよ。あの時の誓いを忘れてないか」
赤司の言葉に、皆の目の色が変わる。
鋭い目つき、戦う意志の示した瞳だ。
「…ならばいい、次は戦う時に会おう」
赤司の足が遠ざかっていく。
再び階段を上がり始めた赤司は、途中で足を止めて振り返った。
「真司とは、二人きりで話す機会を設けるよ。近いうちに、また」
それだけ言い残し、今度こそ足音が遠ざかって行く。
その去り際を目にすることなく、真司は胸を押さえて呼吸を繰り返していた。
それでなくても、再会だけで胸が一杯だったのに。
「…っ、…」
「赤司っち、さすがにやりすぎっつか…緑間っちのせいっスよ」
「お、オレだって、こんなことになるとは思っていなかったのだよ」
「もー…真司っち、手貸すよ、ほら…真司っち?」
なかなか立ち上がらない真司を、黄瀬が心配そうに腰をかがめて覗き込む。
ようやく顔を上げた真司は、目に涙を浮かべて、首を横に振った。
「え、真司っち?」
「駄目…腰ぬけた…」
「ちょ、大丈夫っスか?」
「烏羽君、手を貸しますから、早く戻りましょう」
早くこの場を去りたいのか、黒子が珍しく真司を急かして立ち上がる。
そんな黒子に引き上げられると、真司もようやく緊張で溜まりきった息を吐き出した。
「はあ…ああもう、何これ…」
「烏羽ちん、久々の赤ちんに勃っちゃったんじゃないの~?」
「げ、下品な事言うな…っ!それどころじゃないし!」
「ふ~ん?」
そう、今日はそれどころじゃない、大事な試合は目前なのだから。
「…おい、テツ、引きずんじゃねーぞ。火神も、真司も」
青峰の声も、既に落ち着いていた。
その声に反応して振り返った黒子と火神の顔つきも、大分いつも通りのものになっている。
「分かってます。大丈夫です」
「お、おう…驚いたけど、試合にゃ影響ねーよ」
「ならいいけどな。真司、試合の時に赤司のことなんて考えんじゃねぇぞ」
「当たり前、だろ…そこまで余裕ないから」
試合に出れるかどうかは別として。
真司は小さく「待ってろよ」と呟いて、黒子と火神に引っ張られるようにして来た道を戻って行った。
赤司と初めて会った火神や降旗はともかく。
あからさまに動揺していた真司を、火神は不思議に感じていた。
黒子に引かれるようにして歩く真司の足取りは、今までのキセキの世代との再会と少し違うような。
今までなら少なからずあった“会えて嬉しい”という単純な感情が見えない。
じっと真司を見下ろして、その真司の内側に秘められた感情を見破ろうとする。
その最中、急に真司が顔を上げた。
「…ごめん、ちょっと、先に戻っててくれる?」
「どうかしましたか?」
「や、ちょっと…頭冷やしたいというか…なんかまだ恥ずかしくて。すぐ、追いつくから」
真司は少し赤く見える顔をパタパタと片手で仰いで、落ち着きたいだけなのだと行動で示す。
黒子は少し困ったように眉を下げてから、「仕方ないですね」と返した。
確かに突然赤司からあんなことをされて、一番困惑しているのは真司のはずだ。
「分かりました。でも、すぐに来て下さい」
「うん、それは平気。ほんと、ちょっとだけだから」
やはり、まだ先程の事を気にしているのだろう、真司は照れくさそうに頬をかきながら視線を落とす。
そのまま顔を隠すように後ろを向いて歩き出した真司を見て、黒子は火神と降旗の背中を押して先を行くように促した。
後ろを気にしながらも、来た道を戻る。
けれど、火神は真司の姿が見えなくなると、問わずにはいられなかった。
「なあ、昔っからその、ああなのか?」
「ああ…とは、赤司君と烏羽君のことですか」
「まあやっぱちょっと、気になるっつか。アメリカでもあんな挨拶しねーし」
それは勿論挨拶ではないからだろう。
分かっていながら聞くのは、やはり真司の反応が妙に引っかかっていたからだ。
「ボクだって、二人の関係を詳しく知っているわけではないですよ。でも、あんな風に人前で、ということはなかったですね」
「そう…なのか。や、まあそうだよな」
「ですが、少なくとも烏羽君と赤司君は…たぶん誰よりも強い絆で結ばれていると思います」
その言葉に、火神と降旗は同じように目を丸くしていた。
今までを見る限り、真司がキセキの世代と何か深い関係があることは予想が付く。
けれど、真司の口から赤司について話されることは一度もなかったのだ。
「赤司君は烏羽君の人生そのものにかなりの影響を与えていまして」
「えっと…それってバスケを始めるきっかけとか…?オレ、勝手にそういうのは青峰だと思ってた」
「青峰君は…二人を会わせた人なので、強ち間違いではないと思いますが」
話を聞けば聞くほど、降旗の眉間のシワが深くなる。
それから少し照れ臭そうにへらっと笑ったのは、真司の複雑な人間関係について理解することを諦めたからだろう。
一方で、火神はどこを見ているやら、宙を見上げて唇を尖らせた。
「火神君?」
「一方的なのかと思ってた」
「残念ですが、烏羽君は赤司君が大好きですよ、たぶん今でも」
「大好き…なあ…」
自ら話をしながらも、悔しさを覚えるのは黒子も同じだ。
赤司との再会に嫌な予感はしながらも、防げなかった、動けなかった自分に嫌気がさす。
どこかで、自分が一番近いところに立った気がしていたから。これ以上望まないと思いながら、現状に満足しながら、本当は見ないようにしていただけだ。
「赤司君はともかく…この悔しさは、試合にぶつけますよ。火神君」
「おう。まずは青峰に勝つ」
改めて黒子を見下ろした火神の目は、既に試合に向けてギラギラと光っていた。
火神は大丈夫そうだ。それに安心して、黒子は自らの胸を一度叩く。
自分も、平気だ。こういう悔しさには慣れている。
「…あれ?まだこんなとこにいた!」
それから間髪入れずに後ろから呼びかけられた声に振り返って、黒子と火神はふっと柔らかく微笑んだ。
追いついた真司の顔つきも変わっている。真司が心を落ち着かせる為に必要な時間も短く済んだようだ。
「では、行きましょう」
前を向いて歩き出す。
真司の顔を見て少し頬を赤くした降旗だけは、まだ少し余裕が無さそうだった。
・・・
観客席はほぼ満席。
その観客達の視線を集めるのは、夏のインターハイの準優勝、桐皇学園。
そしてその中でも、キセキの世代エースの青峰大輝はこの大会通して注目される選手だ。
圧倒的な存在感とオーラを放つ桐皇の黒いジャージを横目に、真司は一度胸をとんと叩いた。
もう緊張はない。あとはここまでやって来たことを信じて試合に臨むだけだ。
「…なんだか、不思議な感じです」
「烏羽君?」
「改めて桐皇と戦える喜びもあって…でも、こうして背中を見る事になる悔しさと…でも、安心感もあって」
試合に出る5人が並ぶ。嘗ては圧倒的だと思っていた桐皇と向かい合う5人は、今は体つきも雰囲気も違うように思える。
夏のように完敗する未来は見えない。
「今度はもう、絶対に負けません」
「ああいいぜ、じゃ今度こそつけようか。本当の決着を…!」
コートの真ん中で黒子と青峰が向かい合い言葉を交わす。
聞こえたそのやり取りに、真司も上半身を乗り出して彼等を見据えた。
大丈夫、今の皆なら、絶対に大丈夫だ。
「それではこれより誠凛高校対桐皇学園高校の試合を始めます」
ホイッスルの音が響き渡り、続いてボールが弾かれる。
「頑張れ…!」
自分の思いも託して、真司は真っ直ぐに彼等を見つめていた。
・・・
止まる事の無い時間が、じわじわと試合を経過させていく。
見守る真司の目は、当初と変わらず期待と自信に満ちていた。
観客達が想像しただろう一方的になる試合展開。しかし、思い描かれていた、桐皇が圧倒する展開は訪れなかった。
第1クォーター、お互いのエース対決はほとんど見られなかったものの、日向と桜井の3Pシュートの応戦が繰り広げられる。
取っては取り返し、点差は大きく広がることなく、同点で第1クォーターを終えていた。
「とりあえず、何とかやれてるし、一度黒子温存しといた方がいいんじゃねーの?」
そう提案したのは火神だった。
ベンチに戻って来た黒子には、まだ大きな疲れは見えていない。
ただ単純に、ミスディレクションの効果をもたせる為にも必要な提案だった。
「確かに…今からテツ君が無茶しなくても」
「いえ…もう少し大丈夫です。第2クォーター、もう一度バニシングドライブ…行かせて下さい」
しかし、当の黒子はまだやる気でいた。
不安なのは、使いすぎてタネがバレてしまうこと。それでも、出し惜しみをしていられる相手でもない。
「いいわ、やりなさい!受けに回るよりずっといいわ」
第2クォーターに向けて、リコの出した答えは黒子にまだやらせるということ。
その決断は、恐らく間違ってはいなかった。
黒子の技は、どうせいつでも出せるものではない。出せるうちに出した方が良い、というのは当然の判断だ。
「本当に…大丈夫でしょうか…」
「ちょっと、烏羽君。あなたが不安そうな顔をするのは駄目!」
「す、すみません…」
妙に不安だったのは、向こうに桃井という優秀なマネージャーがいたからか。
単純に青峰という脅威が頭にあったからか。
それでも信じて見守った第2クォーター開始直後。
試合の流れは大きく変わってしまった。
少し前まではその中の最大タイトルは夏だったが、年々冬の規模も拡大し、今や夏と同等かそれ以上となった最大最後のタイトルである。
そのウィンターカップの会場にやってきた誠凛メンバー。
しかし、その空気はなにやら深刻であった。
「なっにっを!やっとんじゃあの馬鹿はーー!!」
かっと目を見開くリコが示す“あの馬鹿”とは火神の事である。
海外の師匠の元に旅立ってから、火神の姿は一度も見ていない。そして今日も彼はまだ現れていなかった。
「火神君からの連絡は!?」
「…何か、時差の事忘れてたみたいで…もうすぐ着くそうです」
「まったく…」
開会式も終わったというのに、彼等の耳に届くのはようやく到着しそうだという連絡のみ。
何やってんだか、そう思ったのは真司も同じだ。
しかし、そう人の事を思っていた最中、ピロリンと鳴った耳慣れた音に、真司は慌てて自分の携帯を開いた。
「…」
ドキッとしたのはこのメールを送り主の名前のせい。
よりにもよってこんなタイミングで、と思いながらも真司はゆっくりと手を挙げた。
「あの、すみません」
そのまま誰に言うでもなく謝ると、そこに集まる全員が真司を見た。
「どうした、烏羽」
「あの…なんか、その、呼ばれまして…」
「え」
「すぐ戻るので、ちょっとだけ行ってきます!」
その視線を振り払うように、有無言わず走り出す。
後で絶対に怒られるし頭グリグリされる。けれど、今はそんな後のことなどどうでも良くて。
「おいこら烏羽!」
当然のように聞こえた後ろからの声など聞こえないふりをして、真司は振り返らず足を進めた。
「会場外の階段へ来い」とそれだけ書かれたメール。
ここに来た時からドキドキと高鳴る期待はあった。それが今後押しされて止まらなくなっている。
緊張感のあった会場を出て、解放感溢れる外の空気を吸い込む。
辺りを見渡しながら足を進めると、その人は確かに指定した階段のところにいた。
「緑間君!」
メールをしてきたその人、背の高い緑の髪と橙のジャージ。
手を振りながら駆け寄ると、向こうも真司を姿を確認して目を細めた。
「…烏羽、お前」
一瞬歪められた緑間の顔は、真司の顔面に不服があったからだろう。
そんなことお構いなしに緑間に近付くと、軽く眼鏡を自分の手で持ち上げた緑間が真司を鋭い目で見下ろした。
「お前はまた何故そう堂々と顔を晒しているのだよ」
「え、いやそんな無茶なこと言われても」
「…信じられないのだよ」
ほんの少し赤くも見える頬をかいた緑間の手が真司の背中に回される。
そのままとんと緑間の胸に引き寄せられることに、何の抵抗もなく従った。
「怪我は…大丈夫なのか」
「ふふ、大丈夫だからここにいるんですよー」
「そうか」
安心したように緩んだ声が耳に馴染む。
つられて緑間の腕を回した時、たたたっと軽快な足音が後ろから聞こえて来た。
「ちょっと緑間っち何して…ハサミ!危ないっス!」
ぐっと腕を引っ張られて緑間から引き剥がされると同時に、声の主である黄瀬の腕の中にダイブする。
何を言っているのか、と考えるまでもなく視界に入った緑間の手に握られたハサミに、真司が青ざめたのは言うまでも無い。
「え、何緑間君…なんでハサミ」
「今日のラッキーアイテムに決まってるだろう」
「だからって剥き出しで持つのやめて!真司っちが襲われてると思ったっスよもー!」
緑間はこれから何かを切ろうとでもするかのように、指をハサミの持ち手に入れて持っている。
この格好でここまで来た緑間を誰か止めなかったのか。高尾は、…恐らく内心爆笑していたのだろう。
そんなことを考えながら黄瀬の腕から逃れると、真司の顔を確認した黄瀬の目が開いた。
「てえ!?真司っち!?前髪が!ない!可愛い!!」
「いやあるから」
「こんな短くしてるの初めて見たっ…て、もしかして怪我が理由…?」
一人でコロコロ顔色を変える黄瀬は、こんな時ばかり妙に鋭い。
真司はようやく眉毛より長くなった前髪に人差し指を通して、不安げな顔した黄瀬を見返した。
「これ、似合ってない?」
「まさか!チョー可愛いっス!」
「でしょ、いい加減邪魔だったからさ」
別に誤魔化す必要もなかったろうが、何となく心配はかけたくなかった。
一瞬眉をひそめた緑間は感づいていたのだろうが、何も言われないならそれでいい。
それはともかくだ。やっぱり、こう黄瀬と緑間が並んでいるところを見るのは嬉しいものだ。
真司は一人頬を綻ばせていたのに、黄瀬は緑間の顔を見るなりキッと目を鋭くさせた。
「つか緑間っち、なんで真司っち呼んだんスか!?」
「呼んだ方が良いと思ったからなのだよ」
「オレは嫌っス!可愛い真司っち見れて嬉しいけど!」
二人の様子がおかしいことに気付き、恐る恐るその光景を見守る。
真司を呼び出した緑間はともかく、黄瀬は何か納得いかないらしい。
「どうせ近いうちに会うことになる。なら…目が届くところで会わせておいた方が良いだろう」
「そ、それは…んー…まあ、そうかもっスけど」
「そんなことも考えつかないのか、馬鹿め」
言い合う二人を見上げて、真司は会話の内容に目を丸くしていた。
自分は本来呼ばれてはいないのだ。
では二人が会わせたくなくて、それでも今ここで会わせるべきと判断した人物とは。
「もしかして誰か来る…?」
「あ、いや、そんなんじゃないっスよ…?」
「ていうか、もしかしなくても…それって赤司君…」
「っ、真司っち!」
言わせたくないのか、気付いて欲しくなかったのか、黄瀬が悲しそうに眉を寄せて真司の腕を掴む。
そもそも緑間と黄瀬とがこうして二人でいること自体おかしい。
全員に声をかけた人がいる、とすれば。
「そっか…赤司君が二人をここに呼んだんだね」
「お願い真司っち…オレの傍にいて」
「オレが呼んだのだからオレの傍にいれば良いのだよ」
「もー!そもそも緑間っちが!」
いつかは会うに決まっている。けれど今日は早速大事な試合があるから考えないようにしていたのに。
無意識にうずうずと 期待に胸が躍るような、怖いような。
言い合いながらもしっかりと真司を掴み続ける黄瀬の手からするりと抜けると、とんと背中が別の誰かにぶつかった。
「わ、すみませ…」
「あれ~?烏羽ちんじゃん」
「紫原君!」
「紫っち!」
頭の上から聞こえる紫原の声に、顔を最大限まで上げる。
紫原は真司の肩を掴み、乱暴にもぐるりと真司を反転させた。
そうして向き合うなり、大きな手で真司の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「う、わ、乱暴…!」
「へー、髪切ったんだあ。つかこれ烏羽ちん関係ないやつじゃないの?」
「な…なんだよ、そんなに俺いちゃまずいの?」
「んー別にいんじゃね?」
大して興味もないのか、適当な返事をする紫原に納得いかない真司の口がとがる。
その気持ちのまま紫原の手を逃れようと下がると、更に違う声が背中で聞こえた。
「あ?何してんだよお前等」
この低い声はあまりご無沙汰でもない、聞き慣れた大好きな。
振り返らずにぎゅっと唇を噛む真司の代わりに、黄瀬が顔をその声の方へ向けた。
「青峰っち…見て分かんないスか?真司っち愛でてんスよ」
「何で真司がいんだよ」
これまた直球の“なんで”に、真司は戸惑いがちに視線を落とした。
黄瀬や緑間みたいに再会を喜んでくれない彼に、胸を痛めるのは今更すぎると分かっているのに。
しかし青峰は言葉と裏腹に、真司に近付くなり腕を強く掴んだ。
「え、青峰君」
「真司、こっち来い」
「ちょ、ちょっと」
乱暴に引っ張られて青峰の体にぶつかる。
それを遮るように黄瀬が手を伸ばして、右腕と左腕とを大男二人に掴まれ挟まれる形となった。
「残念っスけどもう青峰っちの真司っちじゃないんスよ」
「…んだよそれ、お前のだって言う気かよ」
「ま、そうとも言うっスね」
にやりと口角を上げて笑う黄瀬は自信満々に、一方青峰は眉間のシワを深くさせた。
久々に集ったというのに、やはり空気は深刻か。
緊張を通り過ぎ、がっかりだと頭を下げて吐いた溜め息は、別の誰かと重なった。
「君達は、一体何をしているんですか」
「テツ君!」
恐らく黒子にも赤司からの連絡がいったのだろう。
その黒子の後ろには何故か降旗がおどおどした様子で立っている。
「あ?テツお前、お守り付きかよ」
「そういう峰ちんにはさっちんがいるけどね」
「今さつきは関係ねーだろ」
これで当時の仲間が赤司以外全員集まった。
嬉しさの反面、どうしても棘のある彼等の態度にチクチクと胸が痛む。
それは降旗も感じているらしい、どうにも居心地が悪そうだ。
「烏羽君が先に逃げてしまったせいで、ボクがなかなか抜け出せなくて大変だったんですよ」
「う…こうなると分かってたら…ていうか降旗君も、なんかごめんね」
「い、いや…オレは、別に……」
顔を青くした降旗には、恐らくキセキの世代が相当大きな存在に映っているのだろう。
まあ実際に大きいことは事実なのだが。
「…ていうか青峰君、腕痛いんだけど…」
「あ?生っちょろい事言ってんじゃねーよ」
「あのね、青峰君の力が強いんだよ!」
掴まれる手がじわじわと汗ばんでくる。
そんな焦りやら緊張やら熱っぽさを誤魔化すように声を荒げると、青峰が小さく舌をうった。
「そもそも気に食わねーんだよ、真司」
「何が…」
「何でテメェは」
「すまない、待たせたね」
青峰の言葉の続きを聞くことは出来なかった。
凛とした声が、辺りの空気を押し流して全てを書き換えていく。
そんな錯覚を覚えてしまう程、真司を支配するその声に、真司の呼吸は一瞬止まっていた。
階段の上を見上げれば、そこにもう彼が立っている。
しかし全員がその絶対的な存在を見上げる中、真司だけはそれが許されなかった。
青峰の腕が真司の頭を抱きかかえて、視界を奪っていたのだ。
暫く自分の身に何が起きたのか理解出来なかった。
絶対的な存在。皆が見上げるその人は、キセキの世代のキャプテンである赤司征十郎だ。
その赤司の声が聞こえただけでも真司にとっては相当の、平常心ではいられない事態なのに。
頭の上で聞こえる息は青峰のものだ。手のひらで恐る恐る胸を押してみても、その分厚い体はびくともしない。
「…大輝、何をしてるんだ」
「んだよ」
「そんなことをされたら、真司が見えないじゃないか」
青峰の手が真司の頭を掴み覆うようにして、そのまま顔は青峰の体に押し当てられている。
軽く真司の耳を塞ぐ青峰の手は、赤司の声を遮りたかったのか。
しかし、凛とした声は青峰の掌をすり抜けて真司の耳に入り込む。
「そもそも大輝にそんなことをする資格があるのかな」
「あ?資格?」
「真司の気持ちに応えない、お前が」
赤司の言葉にぴくっと青峰の手が震えた。
どうして今、そんな話をするのだろう。
真司自身、考えないようにしていたのに。
「真司、顔を見せてごらん」
たんたん、と静かな足音が近付いてくる。
近付いたその声色、それから彼の言葉選びにも違和感はあった。
青峰のことをいつの間に下の名で呼んでいる。それに穏やかな声は微かな冷気を含んでいる。
「…真司」
「や、…」
「嫌?そんなはずはないだろう、真司」
でも、それだけでこの赤司が自分の知っている赤司でないとどうして言えるのだろう。
申し訳なさそうに、けれど真剣な面持ちで赤司のことを伝えてくれた黒子の言葉は嘘でない。そう、疑ってなどいないはずなのに。
「…あ、あかし、くん…」
「ああ、会いたかったよ、真司」
彼の声が自分の名を呼ぶだけでどうにかなりそうだ。
黄瀬も緑間も、そして青峰もが無意識のうちに避けようとした真司と赤司の再会は、やはり真司の中の均衡を壊そうとして。
それに自ら気づきながらも、真司はゆっくりと顔を上げた。
「おい、オレもまぜてくれよ」
顔を上げて視界に映るのは、赤司の姿のはずだった。しかし目の前に入り込んだのは、見慣れた背中。
その大きな背中は自分と同じ色のジャージを着込んでいる。
「火神!」
「おう、ただいま」
突然現れた男の名を呼んだのは、安心しきった降旗の声だった。
今丁度到着したところだったのだろう。火神は大きな鞄を肩にかけたままだ。
「あんたが赤司か、会えて嬉しいぜ」
単純な火神のことだ。ただ今目の前にいる強い相手に対して、期待しそして挑発しているだけ。
しかし、今はタイミングも状況も、何もかもが悪かった。
「…真太郎、ちょっとそのハサミ借りてもいいかな?」
「?…何に使うのだよ」
「髪がちょっとうっとうしくてね。切りたいと思っていたんだ。…まあ、その前に火神君だよね?」
緑間のラッキーアイテムであるハサミを受け取った赤司が火神に近付く。
そしてそのまま前触れもなく、赤司はハサミの切っ先を火神の顔に向けて突き立てていた。
「うお!?」
「火神君!」
「へえ、よく避けたね。今の身のこなしに免じて今回だけは許すよ」
黒子は驚きと焦りで声を荒げ、さすがの火神の頬にも汗が滲む。
火神が避けなければ、間違いなく刃は火神の肌を切裂いていた。
「ただし次はない。この世は勝利が全てだ。勝者はすべてが肯定され、敗者はすべて否定される」
自分がしたことに対して何も思わないのか、赤司の声は冷静を保ったまま。静かな声色がビリビリと空気を震わせる。
「僕は今まであらゆることで負けたことがないし、この先もない。すべてに勝つ僕はすべて正しい」
耳に軽く重なっているだけの青峰の手に自分の手を重ねて、赤司の言葉を拒むことは出来た。
けれど、間違いなくこれが今の赤司の姿なのだ。
真司は青峰の腕を掴んで、ゆっくりと自分の耳から剥がした。
「僕に逆らう奴は、親でも殺す」
目を開くと、視界には記憶にある赤司とは違う赤司の姿がしっかりと映っていた。
確信する。本当に、自分の知っている赤司ではなくなっているのだということ。
「どうして…」
真司は、耐えきれずぽつりと呟いていた。
その小さな声に、その場にいる全ての目が真司に集まった。
空気が酷く、視線が痛い、目がチカチカして呼吸も止まりそうだ。
「なんで、こんな、赤司君…」
口を開いたはいいが、何を言ったら良いのか分からなかった。
現状に混乱している。視界に映った火神の頬には赤い線が出来ているし、赤司は本当に髪にハサミを入れたようで前髪が短くなっているし。
「ああ、やっと真司の顔がよく見えた」
火神に向けていた表情から一変、赤司が穏やかに目を細めて微笑む。
ちらと一瞬鋭い瞳が真司の後ろを睨み、青峰の腕が真司から離れた。
もう、遮るものは何もない。
「真司、怖がらせてしまったかな。すまなかったね」
「あ、当たり前だろ、こんな…!」
「変わらないな、真司は。可愛い顔をして、僕に対してもそういう目を向けてくる…」
愛しい物に触れるように優しく、赤司の手のひらが真司の頬を撫でる。
真正面から見る赤司は、やはりあまり変わっていないようで、少し大人びていて。それから瞳の色が、何故か以前と違って見えた。
「真司…」
「っ…!」
駄目だ。この瞳には耐えられない。真司は辛うじて保った理性で赤司の胸を押した。
しかし、真司の細い腕では大した威力にはならなかったのだろう。
腕を掴まれ、そのまま近付いてきた赤司の顔が真司に重なった。
「んっ…!?」
再会の抱擁もなく、真っ先に触れたのは唇同士。
塞がれた真司の口の隙間から息が漏れる。
それをも喰らおうと言うのか、赤司は角度を変えて更に深く口付けた。
しっかりと頭を押さえられ、抵抗も敵わない。
「ッ、んん…!」
少なくとも、赤司は人前でこんなことをする人ではなかった。
それが真司の嫌がることなら尚更。キセキの世代の前なら、尚更。
いや、そもそもそんな風に思っているのは真司だけで、赤司の本質はむしろ。
「赤司君!止めてください!」
黒子の声を上げ、赤司の手が真司の体から離される。
赤司の支えがなくなった真司の膝はがくっと折れ、その場にしゃがみこんでしまった。
「ふ、そう怒るなよ」
「おい赤司、まさかこんなの見せびらかすつもりで呼んだんじゃねーだろうな」
「まさか。確認するつもりだったんだよ。あの時の誓いを忘れてないか」
赤司の言葉に、皆の目の色が変わる。
鋭い目つき、戦う意志の示した瞳だ。
「…ならばいい、次は戦う時に会おう」
赤司の足が遠ざかっていく。
再び階段を上がり始めた赤司は、途中で足を止めて振り返った。
「真司とは、二人きりで話す機会を設けるよ。近いうちに、また」
それだけ言い残し、今度こそ足音が遠ざかって行く。
その去り際を目にすることなく、真司は胸を押さえて呼吸を繰り返していた。
それでなくても、再会だけで胸が一杯だったのに。
「…っ、…」
「赤司っち、さすがにやりすぎっつか…緑間っちのせいっスよ」
「お、オレだって、こんなことになるとは思っていなかったのだよ」
「もー…真司っち、手貸すよ、ほら…真司っち?」
なかなか立ち上がらない真司を、黄瀬が心配そうに腰をかがめて覗き込む。
ようやく顔を上げた真司は、目に涙を浮かべて、首を横に振った。
「え、真司っち?」
「駄目…腰ぬけた…」
「ちょ、大丈夫っスか?」
「烏羽君、手を貸しますから、早く戻りましょう」
早くこの場を去りたいのか、黒子が珍しく真司を急かして立ち上がる。
そんな黒子に引き上げられると、真司もようやく緊張で溜まりきった息を吐き出した。
「はあ…ああもう、何これ…」
「烏羽ちん、久々の赤ちんに勃っちゃったんじゃないの~?」
「げ、下品な事言うな…っ!それどころじゃないし!」
「ふ~ん?」
そう、今日はそれどころじゃない、大事な試合は目前なのだから。
「…おい、テツ、引きずんじゃねーぞ。火神も、真司も」
青峰の声も、既に落ち着いていた。
その声に反応して振り返った黒子と火神の顔つきも、大分いつも通りのものになっている。
「分かってます。大丈夫です」
「お、おう…驚いたけど、試合にゃ影響ねーよ」
「ならいいけどな。真司、試合の時に赤司のことなんて考えんじゃねぇぞ」
「当たり前、だろ…そこまで余裕ないから」
試合に出れるかどうかは別として。
真司は小さく「待ってろよ」と呟いて、黒子と火神に引っ張られるようにして来た道を戻って行った。
赤司と初めて会った火神や降旗はともかく。
あからさまに動揺していた真司を、火神は不思議に感じていた。
黒子に引かれるようにして歩く真司の足取りは、今までのキセキの世代との再会と少し違うような。
今までなら少なからずあった“会えて嬉しい”という単純な感情が見えない。
じっと真司を見下ろして、その真司の内側に秘められた感情を見破ろうとする。
その最中、急に真司が顔を上げた。
「…ごめん、ちょっと、先に戻っててくれる?」
「どうかしましたか?」
「や、ちょっと…頭冷やしたいというか…なんかまだ恥ずかしくて。すぐ、追いつくから」
真司は少し赤く見える顔をパタパタと片手で仰いで、落ち着きたいだけなのだと行動で示す。
黒子は少し困ったように眉を下げてから、「仕方ないですね」と返した。
確かに突然赤司からあんなことをされて、一番困惑しているのは真司のはずだ。
「分かりました。でも、すぐに来て下さい」
「うん、それは平気。ほんと、ちょっとだけだから」
やはり、まだ先程の事を気にしているのだろう、真司は照れくさそうに頬をかきながら視線を落とす。
そのまま顔を隠すように後ろを向いて歩き出した真司を見て、黒子は火神と降旗の背中を押して先を行くように促した。
後ろを気にしながらも、来た道を戻る。
けれど、火神は真司の姿が見えなくなると、問わずにはいられなかった。
「なあ、昔っからその、ああなのか?」
「ああ…とは、赤司君と烏羽君のことですか」
「まあやっぱちょっと、気になるっつか。アメリカでもあんな挨拶しねーし」
それは勿論挨拶ではないからだろう。
分かっていながら聞くのは、やはり真司の反応が妙に引っかかっていたからだ。
「ボクだって、二人の関係を詳しく知っているわけではないですよ。でも、あんな風に人前で、ということはなかったですね」
「そう…なのか。や、まあそうだよな」
「ですが、少なくとも烏羽君と赤司君は…たぶん誰よりも強い絆で結ばれていると思います」
その言葉に、火神と降旗は同じように目を丸くしていた。
今までを見る限り、真司がキセキの世代と何か深い関係があることは予想が付く。
けれど、真司の口から赤司について話されることは一度もなかったのだ。
「赤司君は烏羽君の人生そのものにかなりの影響を与えていまして」
「えっと…それってバスケを始めるきっかけとか…?オレ、勝手にそういうのは青峰だと思ってた」
「青峰君は…二人を会わせた人なので、強ち間違いではないと思いますが」
話を聞けば聞くほど、降旗の眉間のシワが深くなる。
それから少し照れ臭そうにへらっと笑ったのは、真司の複雑な人間関係について理解することを諦めたからだろう。
一方で、火神はどこを見ているやら、宙を見上げて唇を尖らせた。
「火神君?」
「一方的なのかと思ってた」
「残念ですが、烏羽君は赤司君が大好きですよ、たぶん今でも」
「大好き…なあ…」
自ら話をしながらも、悔しさを覚えるのは黒子も同じだ。
赤司との再会に嫌な予感はしながらも、防げなかった、動けなかった自分に嫌気がさす。
どこかで、自分が一番近いところに立った気がしていたから。これ以上望まないと思いながら、現状に満足しながら、本当は見ないようにしていただけだ。
「赤司君はともかく…この悔しさは、試合にぶつけますよ。火神君」
「おう。まずは青峰に勝つ」
改めて黒子を見下ろした火神の目は、既に試合に向けてギラギラと光っていた。
火神は大丈夫そうだ。それに安心して、黒子は自らの胸を一度叩く。
自分も、平気だ。こういう悔しさには慣れている。
「…あれ?まだこんなとこにいた!」
それから間髪入れずに後ろから呼びかけられた声に振り返って、黒子と火神はふっと柔らかく微笑んだ。
追いついた真司の顔つきも変わっている。真司が心を落ち着かせる為に必要な時間も短く済んだようだ。
「では、行きましょう」
前を向いて歩き出す。
真司の顔を見て少し頬を赤くした降旗だけは、まだ少し余裕が無さそうだった。
・・・
観客席はほぼ満席。
その観客達の視線を集めるのは、夏のインターハイの準優勝、桐皇学園。
そしてその中でも、キセキの世代エースの青峰大輝はこの大会通して注目される選手だ。
圧倒的な存在感とオーラを放つ桐皇の黒いジャージを横目に、真司は一度胸をとんと叩いた。
もう緊張はない。あとはここまでやって来たことを信じて試合に臨むだけだ。
「…なんだか、不思議な感じです」
「烏羽君?」
「改めて桐皇と戦える喜びもあって…でも、こうして背中を見る事になる悔しさと…でも、安心感もあって」
試合に出る5人が並ぶ。嘗ては圧倒的だと思っていた桐皇と向かい合う5人は、今は体つきも雰囲気も違うように思える。
夏のように完敗する未来は見えない。
「今度はもう、絶対に負けません」
「ああいいぜ、じゃ今度こそつけようか。本当の決着を…!」
コートの真ん中で黒子と青峰が向かい合い言葉を交わす。
聞こえたそのやり取りに、真司も上半身を乗り出して彼等を見据えた。
大丈夫、今の皆なら、絶対に大丈夫だ。
「それではこれより誠凛高校対桐皇学園高校の試合を始めます」
ホイッスルの音が響き渡り、続いてボールが弾かれる。
「頑張れ…!」
自分の思いも託して、真司は真っ直ぐに彼等を見つめていた。
・・・
止まる事の無い時間が、じわじわと試合を経過させていく。
見守る真司の目は、当初と変わらず期待と自信に満ちていた。
観客達が想像しただろう一方的になる試合展開。しかし、思い描かれていた、桐皇が圧倒する展開は訪れなかった。
第1クォーター、お互いのエース対決はほとんど見られなかったものの、日向と桜井の3Pシュートの応戦が繰り広げられる。
取っては取り返し、点差は大きく広がることなく、同点で第1クォーターを終えていた。
「とりあえず、何とかやれてるし、一度黒子温存しといた方がいいんじゃねーの?」
そう提案したのは火神だった。
ベンチに戻って来た黒子には、まだ大きな疲れは見えていない。
ただ単純に、ミスディレクションの効果をもたせる為にも必要な提案だった。
「確かに…今からテツ君が無茶しなくても」
「いえ…もう少し大丈夫です。第2クォーター、もう一度バニシングドライブ…行かせて下さい」
しかし、当の黒子はまだやる気でいた。
不安なのは、使いすぎてタネがバレてしまうこと。それでも、出し惜しみをしていられる相手でもない。
「いいわ、やりなさい!受けに回るよりずっといいわ」
第2クォーターに向けて、リコの出した答えは黒子にまだやらせるということ。
その決断は、恐らく間違ってはいなかった。
黒子の技は、どうせいつでも出せるものではない。出せるうちに出した方が良い、というのは当然の判断だ。
「本当に…大丈夫でしょうか…」
「ちょっと、烏羽君。あなたが不安そうな顔をするのは駄目!」
「す、すみません…」
妙に不安だったのは、向こうに桃井という優秀なマネージャーがいたからか。
単純に青峰という脅威が頭にあったからか。
それでも信じて見守った第2クォーター開始直後。
試合の流れは大きく変わってしまった。