黒バス(2012.10~2017.12)
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温泉に入ってその後、特別体を動かすことなく用意された部屋に着いた。
暫くはそわそわと皆各々に何かしていたが、布団を敷いてしまえばすぐ。
部屋の電気を消して、少しすれば寝息が辺りから聞こえていた。
その中で、真司はもう何度目になるか分からない寝返りをうった。
別に枕が変わったら寝れません、とかそんな繊細なわけではない。
むしろ我が家の枕の方が固くて寝づらいくらいだ。
(今日、青峰君には…会いたくなかった)
今日の出来事を思い出して胸が苦しくなる。
吹っ切れたはずだったのに、青峰の思いを垣間見た気がして。青峰の期待を裏切るのが嫌で。
(俺はもう…バスケが出来ないかもしれない)
それなのに、今更青峰の言葉を思い出してしまった。
明確に、はっきりと覚えているわけではないけど。
彼の願いは、真司にバスケを続けて欲しいというものだったはずだ。
「…っ、」
バスケを続けるってなんだ。
ボールを触る事か、近くで見ている事か、それとも公式の試合に出る事なのか。
「はぁ…」
寝静まった部屋の中、寝息に混じって真司の溜め息が落ちる。
駄目だ、せっかく温泉に入って体を休めたのだから、ちゃんと寝ないと。
言う事を聞かない体でごろりと寝返りをうって、目を伏せようとする。
すると、目の前にある真ん丸の目がこちらを向いていた。
「眠れないんですか?」
布団にほとんど隠れた状態で、その大きな瞳はぱちぱちと瞬いている。
その正体は、確かめるまでもなく黒子のものだった。
「ごめん…俺、起こしちゃった?」
「いえ、面白くて見てました」
一応周りに気を遣っていつもより息を多めに含む。
黒子は何を考えているのか淡々と、けれど少し眠そうに目を細めていた。
「ちょっと、悩みがまた復活中…」
「…それは、青峰君の事ですよね」
「そう思う?」
「青峰君に会ってから、ちょっと変です」
目の前に好きだと確信した黒子がいるのに、まだこうして引っ張られる。
それを当然のように見破っていた黒子は、少し不服そうに頬を膨らませた。
「烏羽君」
「ん?」
「こっちに来て下さい」
そう言うが早いか、真司側の布団をばっと持ち上げる。
その黒子の行動の意図を一瞬考えて。
「…一緒に、そこに入れって?」
「はい」
一応確認して、その布団の中をじっと見る。
いや、さすがにそれはどうなのだろう。
別に寒い時期というわけでもないし、男同士、普通ということもないだろう。
「…」
「あ、照れてるんですか」
「…照れてないし」
けれど煽られるように言われれば、黙ってこのままオヤスミと言うのも癪で。
真司は無意識にごくりと唾を飲んでから、黒子の布団へとのそのそ体を移動させた。
「失礼します」
「はい、どうぞ」
照れ隠しか、妙なやりとりの後体をぴったりとくっつける。
一丁前に緊張する真司に構うことなく、黒子の手はぎゅっと真司を抱き締めた。
「青峰君に会って何かあったとか…そういうんじゃないんだよね」
「…」
「ただ、今更、気が付いたっていうか」
青峰に何か言われたのではない。
むしろ何か言ってきたのは今吉の方。
「こんな事、テツ君に聞いちゃいけないんだろうけど…」
「聞きたくないです」
「あ、やっぱり?」
「…嘘です、どうぞ」
黒子の柔らかい声が胸に絡まっていた糸を解いて行くようだ。
ちょっとした黒子の、少し無理したのだろうジョークにふふと笑って、真司は黒子の胸に額を預けた。
「…やっぱり、なんでもない」
だからこそ、黒子に余計な事は言ってはいけない自分の中にある疑問に蓋をする。
青峰が、自分を好きじゃなかったならなんだって言うんだ。
「今まで上手くいきすぎたの…もう駄目なんだって、そう、神様が怒ってるのかも」
「…どうしたんですか、急に」
「でも、もう変われないよ…」
初めから黒子を好きになっていたら、とか。赤司に出会っていなかったらとか。
今から普通の恋愛をしようだとか、そんなの考えるだけ無駄だ。
今更そんなことを思うのは、黒子が余りにも普通に自分を愛そうとするから。
「こんなに近くにいるのに…まだ君が遠い気がします」
「…俺をこんなにさせて良く言うよ」
「あ、顔真っ赤ですね」
黒子の胸に顔を埋めて視界を覆う。
黒子を不安にさせたかったのではないし、そのつもりもなかった。
「テツ君…ちゃんと、好きだよ…?」
「知ってます。ただ、ボクが欲張りなだけです」
「テツ君は、もっと求めていいのに」
もしも黒子の手が真司の肌に触れる時が来たら、きっと全てを受け入れるだろう。
黒子の存在は真司の中でそこまで大きくなっている。
「…でも、これ以上を…求めたいわけでも、ないんです」
好きだと言う。こうして簡単に触れられる距離にもいる。
それでも躊躇う黒子の心情は、あまり知りたくなかった。
自分の思う“愛する”ことと黒子の思うそれが違うのだと、気付かされるのが怖かった。
・・・
ふと、何か頬にくすぐったさを感じ、真司は眠気眼のままうっすらと辺りを見渡した。
いつの間にか眠っていたらしい。でもちょっと暑い、黒子のせいだ。
密着しすぎていたかも、もそもそと体を移動させてついでに時間を確認しようと顔を上げる。
「っ、」
すると、真司を見下ろしている赤い瞳が目の前で揺れた。
「…、あ、火神君…?」
まだしっかりとは覚醒していなかったからか、真司はあまり不思議に思う事なく火神を見上げた。
いつから真司の傍に移動していたのか、というか一人何故起きているのか。
何となく浮かぶ疑問は尽きないのに。
「どうしたの?…あ、トイレ?」
「ち、ちげーよ…っつか、気付いて、ねぇ、のか」
「ん?」
「さっき、…いや、何でもねぇ」
しどろもどろ、何か様子のおかしい火神に少しだけ理由を考える。
けれど、やはり眠かったからか、真司はまあいっかと体を布団に預けた。
「火神君も、早く寝ないと…疲れたまっちゃうよー?」
「あ、いや、オレは…これから師匠のとこ、行くから」
「…え?師匠?これからバスケすんの?」
「これからっつか…まあ、そんなとこ」
これからって、今何時なんだろう。
再び布団に肘をついて体を起こそうとする。けれど、それは火神の手によって止められ、そのままポスンと寝る体勢に戻されてしまった。
「なあ…ウィンターカップまでに、ぜってー強くなって戻ってくっから」
「…?」
「ちょっとは認めろよ、オレの事」
そして頬に触れる火神の手のひらは、熱くて大きくて。
この感覚、知っている。そうだ、さっきのくすぐったさは。
「火神君…勝手に俺に触っただろ…」
「っ!、そ…だ、駄目かよ」
「んー…別に、嫌じゃないよ…」
たぶんあの懐かしさに似ているからじゃない。
火神の手はあの手より、優しい。優しくて、大きくて、暖かいから。
「…じゃ、いってくるわ」
ぽつりと最後に聞こえた声は少し遠く。
真司はその言葉に疑問を持つことなく、再び眠りに落ちていた。
朝、起きてまず驚いたのは知らない天井があったこと。
そっか外泊したんだと気付いて次に驚くのは、黒子の顔が結局近くにあったこと。
そして、もう一つ、火神がいないことだった。
「皆、集合したわね!」
宿の外に出て、朝から皆顔を合わせる。
ぴょんぴょんと無造作にはねる黒子の寝癖はそのままに、真司も眼鏡をかけたまま。
「あの、火神君がいないんですけど…」
何となく心当たりはあるけれど、真司は手を挙げてリコに火神の不在を伝えた。
それを聞いて辺りを見回すのはリコ以外の全員。リコだけは何か知っているらしく、「そうね」と返すだけだった。
「えっと、それって」
「まあそれについては後で説明するわ。そんなことより、皆このまま合宿始めるから」
「え?」
火神のことも分かっていないのに、リコが更なる追い打ちをかける。
それを聞いた全員は、きょろきょろと動かしていた視点をぴたとリコに向けて止まった。
「これから?学校戻って練習するんじゃ…」
「何言ってんのよ。今日明日は祝日と開校記念で連休でしょ!」
「あ…え!?そうだっけ!」
日向までも覚えていなかったらしく、間抜けな声を上げてリコを見る。
そのリコの手は親指を立てて、この先の道をくいっと示した。
「あそこの市民体育館、借りてるから」
にっこりと微笑んだリコに、全員がサッと青ざめる。
こういう時のリコの笑顔は何やら悪い…というか、きっついメニューを持ってきているのだ。間違いなく。
別に練習が嫌なわけではないけれど、思わずため息を吐いて頬をかく。
「あ、そうだ烏羽君」
そんな矢先にリコが振り返り、真司はぴしっと背筋を伸ばした。
「は、はい!?」
「烏羽君にはちょっと買い出しお願いしてもいいかしら」
「か、買い出し…?」
ごそごそとリコが鞄を漁って、中から小さな財布を取り出す。
それを差し出され、真司は慌てて受け取った。
「この道真っ直ぐ行った先にコンビニがあるから、皆の分飲み物買ってきて。適当に水とかスポーツドリンクとか、お願い」
「は、はい」
「じゃあよろしくね」
とんと背中を押されて集団から一人飛び出す。
これは、何だろう。本当に必要なものではあるのだろうが、どこか気を遣われたような。
「なあリコ、烏羽一人じゃさすがに大変じゃないか」
「鉄平は烏羽君に甘過ぎ!筋力不足なんだから、一気に全員分、持ってきなさいよ!」
心配そうにこちらを見る木吉に対し、リコは鋭い目をきっと向けてくる。
いや、木吉の言葉は有難いが、リコの言う事に逆らう気など毛頭ない。
「わ、分かってますよ…やりますって」
「途中で休んだりサボったりするんじゃないわよ!」
「はあい!」
やはり気など遣われてない、ただのパシリだ。
多少不服に思いながらも、この先に本当にあるのか分からないコンビニを目指して走り出す。
皆と一緒に練習じゃなくて、まず買い出しだなんて、なんだか急にマネージャーになったような気分だ。
「…いや、あながち間違っちゃ、ないよな」
ぽつりと一人呟いて寂しい気持ちになるのは仕方ないことだろう。
でも、こうあることを認めたのだから、弱音を吐いていても仕方がないわけで。
「うう…ううう…!!」
叫びだしたい衝動を抑えて、意味も無く唸る。
そしてこの先真っ直ぐのコンビニが全く見えてこない事に気付き、短くなった髪を揺らしながら朝の冷たい風に「畜生」と呟いた。
・・・
「重い…」
旅館に感じた田舎の和やかさからかけ離れたコンビニの前で、真司は袋を降ろして溜め息を吐いた。
人数分、と数えるのが面倒で、適当に買い占めたペットボトルが袋をぎしぎしと圧迫している。
コンビニ店員もびっくりする程だ。
「これ持って走れるかな…ってかどんくらいかかんのかな…」
来る時は全速力でそこそこ。
この重さの袋を抱えて歩いたら、結構時間かかるんじゃないかとか。
「…考えるだけ無駄だよなぁ…」
どちらにせよヘルプはいないのだから、一人で頑張るしかない。
ぎゅっと力を込めて一度下ろした袋を両手に抱える。
「筋力不足、筋力不足…」
恐らく火神なんかだったらこの程度軽くこなすのだろう。
比べる対象が余りにも悪い気はするが、自分に言い聞かせて足を進める。
こんなにも重く感じるのは、たぶんどこか気乗りしていない自分がいるから。
一人、皆と一緒に練習出来ないことがひっかかっているから。
「やっぱ、寂しいなあ…」
思わず本音が零れる。
そんな真司の心情を見計らったかのように、直後ぽんと肩に手が乗せられた。
「…真司?」
そして名を呼ぶ声。
真司は驚きと喜びとを半分に振り返った。
「おっ、やっぱ真司じゃん」
「高尾君…!?」
せっかく持ち上げた袋をまた足元に置いて、思わず高尾の腕を掴む。
何故か湧き上がる嬉しさにぶんぶんと腕を振ると、さすがに面食らった様子で高尾は細かい瞬きを繰り返した。
「おお、おお、ちょい落ち着けって」
「高尾君、やっぱり君はすごいよ、何かもう、神がかってるよ!」
「よく分かんねーけど、何?また落ち込みモードだった?」
高尾が暴れる真司の手を掴んで、それからほんの少し腰をかがめて覗き込んでくる。
その目は真司のテンションとは裏腹に本当に心配しているようで。はっとして口を閉ざすと、高尾の手が真司の頭に乗せられた。
「元気そうで良かった」
「…?」
「真ちゃんに聞いてはいたけど、やっぱスゲェ心配だったから」
それが何を指して言っているのか、分からない程鈍感ではない。
真司は無意識に自分の右目の前に手をかざして、ちらと高尾を見上げた。
「高尾君、俺」
「つか、それ…っふ、ちょー可愛いな」
「え」
「前髪なくなってっから最初誰だか…ふ、ふは、おでこかんわいーの!」
おでこをぺちぺちと軽く触られ、その手の向こうにはニヤついた高尾の顔が見える。
そういえば昨日の桐皇の人に特に言われなかったから忘れていたが、当然のことながら真司の前髪はまだ眉毛の上だ。
「ちょっと、言っとくけどおでこはお互い様だし!」
「え?はは、触ってもいいぜ?」
「遠慮しときますー」
ぷいっと顔を背けて恥ずかしさに俯く。
今まで自分でも気にしすぎだと思うくらい顔を隠してきた。それがこう、眼鏡をかけているとはいえ、所謂イメチェンという形で変わってしまったのは言及されるとどうしても羞恥心をあおられる。
「…あ、真司、悪いこっち来て」
とはいえ高尾ならそれすらもフォローしてくれるのだろう、当然のようにそう考えていた真司は咄嗟の出来事にされるがままだった。
高尾は真司の手を掴み、重かったペットボトル入の袋を二つ片手に握り締めて走り出している。
「え、ちょっと何!?」
「しーっ」
さっとコンビニの横にある大きな木の後ろに回り込み、真司はというと木を背にして高尾に挟まれている状態だ。
それどころか人差し指を口に置かれ、しゃべるなと言われては黙ってこの妙な行動を見ていることしか出来ない。
「高尾!」
しかし聞こえてきたその声は覚えがあった。
「…緑間君…?」
ああなるほど、高尾は緑間から逃げていたのか。
そう思うとこの状況も納得出来るような。
真司は何気なく様子を伺おうとして体を乗り出した。
「真司…」
「え」
それを防ぐように高尾の腕がぱしんと真司の顔の横に置かれた。
驚き顔を高尾の方へ戻すと、顔は今までにない程近くにあって。
「た、」
名前を紡ぐはずだった声も、高尾に飲み込まれ言葉にはならなかった。
「高尾!どこに行ったのだよ!」
少し怒気を含んだ緑間の声が目の前を通り過ぎていく。
もし、今このような状況でなければ、喜んで彼に声をかけたのだろうか。
「ん、…っ」
苦しくて、口の端から息が漏れる。
けれど呼吸することも許されず、高尾は更に力強く真司の唇を塞ぐだけだった。
高尾の額と真司の額とがぶつかって、押された真司の眼鏡がずるりと落ちる。
カシャンと眼鏡が地面に打たれて二人の顔が離れた時には、もう緑間の声は聞こえなくなっていた。
「はぁ…、良かった。真ちゃん行ったみてーだな」
「高尾君」
「いやー実は今日のラッキーアイテムはオレ、的な?今日一日付き合えとか横暴もいいとこ…」
「高尾君!」
まだ乱れた息は落ち着かなくて、肩を上下に揺らしたまま高尾の腕を掴む。
高尾は真司から目をそらさずに、けれど眉を寄せてきゅっと口を結んだ。
「おかしいだろ、いくら何でも、今のは…っ」
「やー…真司が隠れる気ねーから、黙らせついで?」
「ついで?そんな軽いノリでこんなことされても困るよ…!」
いつもの調子でへらへらとしている高尾に対して、真司の声に怒気が混じる。
高尾の緩んだ口元は途端に閉じられ、目も細められ鋭くなった。
「…悪ィ。今のは嘘。困らせたくなかったんだけど…やっぱ我慢なんなかったわ」
「どういうこと?」
「真司は、オレと真ちゃんがいたら迷わずあっちに駆け寄るんだろ。オレ…真ちゃんより真司の右目になれる自信あんだけど」
「…え、なんで」
なんで知ってるの、という言葉は喉につっかえたまま出てこなかった。
高尾の人差し指がつんと真司の唇に触れている。
「オレさ、真司の見舞い行ってたんだよ、あの日」
「…!」
「さすがにあれは堪えたっつか…やっぱオレは蚊帳の外なんだなーって気付かされた」
またもやへらっとしながら言う高尾に対し、今度は真司の口は開かなかった。
彼なりに感情を抑えている姿なのだろう。それが分かってしまったから。
「でも、でも…こんなことして後悔するのは、高尾君の方だよ…」
「ん?」
「分かってないよ、高尾君は俺が…どんだけ間違ってるか…」
自分を愛してくれるのは赤司…そしてキセキの世代と呼ばれる彼等だけだったはずなのに。
高校に入ってから今まであったいくつかの出来事で気付かされる。
原因は何か、自分にあるのだと。
「言ったろ、蚊帳の外がすげぇ堪えたって。それよかマシだ」
「…でも」
「それに、なんつーの?烏羽真司はキセキの世代のモンですっつー囲いをぶち壊したくなったわけよ」
けれど高尾は笑って真司の頭を撫でる。
それはやはり嬉しくて、元々胸の内にあった高尾への思いが一段と膨らんでしまいそうで。
「…、や、やれるもんなら、やってみろ、だし」
強がって高尾の手を放し、地面に落ちた眼鏡を拾い上げる。
特に目立った傷は無い、今回は無事だったようだ。
なんて屈んだことで、高尾の手に握られている重そうな袋に気が付き、真司はばっと顔を上げた。
「しまった!早く持って行かなきゃいけないのに!」
「ん?これ?手伝うって」
「駄目なの。俺がやらなきゃ」
というかやらなきゃ殺される。
ぽつりと呟くと、高尾は何か思い出したのか「ああ…」と吐息混じりに漏らした。
既に他校にも誠凛女監督の恐ろしさは知れ渡っているらしい。
「プチ合宿中なんだ。早く戻らなきゃ」
「ちぇ、案外冷めてんのな」
「…冷めてないよ、全然…」
がさっと両手に持った袋を持ち直して、高尾から一歩離れる。
「ちゃんと考えるから、まだ、待ってて」
「…真司」
「でも、その…嬉しい、とは思ってる…と、思う」
好きか、嫌いか?そんな単純な質問になら今すぐ答えを出せた。
けれど、そんな簡単じゃないことはとっくに分かっている。
「…んならさ、携帯。連絡すっから」
「え…」
「いいだろ?滅多に会えないんだし、そんくらいは」
「う、うん」
ポケットから取り出した携帯のストラップをもって、ゆらゆら揺らして笑っている。
むずがゆい。くすぐったくて、顔が暖かくなっていく。
「じゃ、じゃあ、俺行くから」
「おー!またな」
高尾から目を逸らして、袋をぎゅっと握りしめて走り出すのは、自らの警報を聞いたからかもしれない。
自分の欠点が浮き彫りになる。
この心臓の音が一体何を糧にしているものなのか分からない。
「ドキドキしてる…っ、なんでだよ…!!」
重い袋が邪魔くさくて、叫びながら放り投げたい気分だった。
元々高尾に惹かれていた思いは間違いなくある。
けれど、惚れっぽい自分が、“あれ”をきっかけに絆されただけかもしれないし。
「あーもう、バスケしたい!!」
何も考えたくない。考えたいけれど、そうするだけで自分の中の何かが崩壊する。それが分かるから。
ぎゅっと握りしめた袋を自分の胸に抱える。
涙目も、熱くなった頬も、まだ治まりそうになかった。
・・・
「おっそーい!!!」
予想通りの展開に、真司は咄嗟に耳を塞いでいた。
何も考えないようにと走った為か、単純に重い物を抱えていたからか、珍しく肩が上下に揺れている。
おずおずと財布をリコに差し出せば、乱暴に奪い取られた。
「アンタねぇ…私の想定だと後10分は早く帰って来れたはずなんだけど?」
「は、はぁ…」
「途中で休んだでしょ。練習倍だからね」
「はい…え?」
練習とは。きょとんとして頬に伝う汗を拭う。
体育館を見渡せば、そこにいるのはリコと、リコのお父さんだけ。
その妙な空間に、真司の汗は冷や汗に変わった。
「じゃあまあ…はっきりと言うけど。烏羽君、貴方はどうしたい?」
急に怒りを鎮めたリコが静かな声色でそう言う。
その発言の意味を分かっているわけでなく咄嗟に「はい」と返事をしてから、真司は眉間にしわを寄せていた。
「どう…とは」
「私には、今の烏羽君の状態が分からないのよ。どの程度バスケが出来るのかも」
「あ…はい」
「烏羽君はどうしたいの?」
横に立っているリコの父親は“ちゃんとした”トレーナーだ。
そんな人が見てくれる、それだけで恐らく誠凛の全体の実力はぐんと上がるだろう。
そして、そこで練習に参加していなければ当然、真司は置いて行かれる。
「烏羽君、これ以上貴方に無茶して欲しくはないの。無理してもっと酷い怪我を負うくらいなら辞めた方がいいと思ってるわ」
「…はい」
「でも、貴方に続ける意思があるなら。その目で出来るプレイがあるなら、私は諦めないで欲しい」
リコの強い眼差しに、真司は吸い寄せられるように見つめ返していた。
こんな状況になって尚、真司を戦力として見てくれるリコに胸が熱くなる。
それと同時に、病院で打ち明けてしまった自分の胸の内を思い出して申し訳なくもなっていた。
「…俺が、病院で話した事、覚えてますよね」
「え、…あ、覚えてるけど」
「それでも、先輩は…俺がこのチームにいることを許してくれるんですか…?」
バスケを始めたきっかけ。ウィンターカップへの思い。
真司のズレたそれは、いつかきっと皆の足並みを崩すものになる。
それに気付いてしまったことがそもそも今の状況を引き起こしたのだ。
「…私は烏羽君の意志を聞いてるのよ。勿論初めに宣言した『打倒キセキの世代』の目標すらないなら、辞めて構わないわ」
「…俺は…」
打倒キセキの世代…それだって、黒子の思いに乗っただけ。
いつだって宙ぶらりんで、けれど誠凛の皆で勝ち進みたいという思いは本物だったはずだ。
「…一応、私の本心」
「え?」
「戦力だろうとそうじゃなかろうと…楽しそうにバスケをする貴方を見れなくなるのは寂しいわね」
それまでと違って、リコが言葉通りに顔を曇らせる。
それを見て真司は泣きそうになるのを堪えて静かに口を開いた。
「…俺は…このチームが好きです」
思いの外、真司の声は震えることなく体育館に静かに響いた。
「本当は、自分でも分かってるんです…俺、バスケが好きだって、ちゃんとそういう思いもあるって…」
誰かと一緒にやるバスケは昔からすごく楽しかった。
帝光の時は、赤司に認められたくて、ただそれだけを考えて練習していた時もある。それは本当だ。
けれど、今は。
「置いていかれるのは、嫌です。皆とバスケしたいです」
必死に練習したのも、試合に出たかったのも、皆と戦いたかったからだ。
そこに黒子の意志は、赤司への思いはなかった。皆と共に、皆の役に、そうだったはずだ。
「俺やっぱり、体が動くのに我慢出来ないです」
自分の気持ちに気付いてしまえば、もう後はうずうずと手を擦らせるだけ。
ちらとリコを見れば、うんと満足気に頷いた。
「そう言ってくれると思ってたわ」
「リコ先輩…」
「でも本当に無茶をさせるつもりはないし、この前みたいな事は絶対に許さないからね!」
「はい…!」
こんな自分を受け入れてくれるリコの笑顔が嬉しくて、きゅっと唇を結んで笑う。
するとリコは「よし」と呟いてから顔つきをキリと変えた。
「それじゃ、まず脱いで!」
「早速……デジャブですね」
そう言うなり、リコの父親である景虎が前に出てきて真司をじいと見つめてくる。
父親もリコと同じように見るだけでいろいろと分かってしまう人なのだろう。
もそもそと着ていた練習着を脱いで白い肌を露出させる。
すると、まだ大して見ちゃいないだろうに、間髪入れずに低い声が真司を襲った。
「おいおい、貧相な体だな」
分かっていたとはいえガツンとのしかかる事実。
「いくら足が速くたって、それじゃぶつかったら倒れんだろ。筋トレちゃんとしてんのか?」
「し…し、てるんですけど…その」
「お前はとりあえず筋トレ。あー、このメニューこなせ。話はそれからだな」
サラサラと手に持ってたノートに何やら書き込んで、びりっと破くと差し出される。
それを見た真司の顔が真っ青になるのは当然の事。
助けを求めるようにリコを見ると、にっこりと微笑まれるだけだった。
「やるって、言ったわよね」
言いました。確かに言いましたとも。
真司は目の前にあるメニューをじっと眺めて、ふふっと息を漏らして笑った。
・・・
広い体育館にようやく誠凛バスケ部のメンバー達が戻って来た。
それまでリコとその父親と買い物を任され戻ってきた真司しかいなかった体育館の中は少しひんやりと涼しくなっている。
それを丁度良く感じる程、体を暖め汗を流す部員達は、揃いも揃って息を乱していた。
「皆おかえり!じゃあこれから練習始めるわよー」
「え…!?」
「何驚いてんのよ、ケードロは準備運動に決まってるでしょ」
裏の山でケードロ。警察役が泥棒役を追いかけるという簡単なお遊びのはずだが、でこぼこと整地されていない山道はかなり足腰にきた。
いや、これから練習だなんて予想出来たことではあるが。
日向を筆頭に当然一人かなり疲労する黒子も含め、皆が盛大に頭をがくんと落とした。
そんな中。
「なあリコ…烏羽、どうしたんだ…?」
ふと、リコから視線を逸らして言ったのは木吉だった。
心配そうに眉を寄せて言う彼の目には、体育館の隅で倒れている真司が映っている。
「ちょっと厳しめのメニューやらせてたのよ。あれだと体冷えちゃうし、起こしてきてくれる?」
「お、おお、分かった」
躊躇いがちに返事をした木吉は少し足早に真司に近付いて行った。
確かに近付いてみると仰向けに倒れて動かない真司の腹部は大きく上下に動いている。
それに安心しつつ、木吉は真司の横で膝をついた。
「烏羽、大丈夫か?」
ぺち、と軽く真司の頬に自分の手の甲を当てる。
すると大して間を空けず、ぱちと真司の瞼が上がった。
「…、お疲れ、様です…」
「いや、そりゃこっちの台詞だよ」
「情けない事に…筋トレで、バテました……」
あの体力馬鹿な真司をここまでさせる筋トレとは。
さすがリコだな、なんて考えながら、床に手をついて起き上ろうとした真司の背中を支えた。
相変わらずの小さな体。細い背中に木吉の手がぴくりと揺れる。
「木吉先輩?」
「ん?」
けろっとした顔で返事をされても、真司自身抱く彼への思いからか、木吉の感情も何となく読み取れた気がした。
どう伝えたら良いだろう。真司は躊躇いがちに、けれどしっかりと木吉の手に自分の手を重ねた。
「…、烏羽?」
「木吉先輩、俺、大丈夫ですよ」
それから大きな胸へ自分の頭を預ける。
頬にしっとりと木吉の汗の染み込んだ練習着が重なることに大して、全く嫌な気はしなかった。
「ちゃんと、木吉先輩の顔も、手も、全部見えてますから」
「…烏羽…」
「俺、木吉先輩の笑顔に安心するんです」
「はは、そうか」
木吉の吐息が真司の髪を揺らす。
ぽん、と頭を撫でる木吉の手はやはり大きくて、真司を丸ごと包み込むような包容力があって。
「ありがとな、烏羽」
「はい」
ゆっくりと顔を上げると、至近距離で木吉と目が合う。
逸らされない、しっかりと木吉の瞳に真司が映っている。
恥ずかしいような、けれどようやく見てくれたことに安心して微笑むと、木吉との距離がぐっと縮まった。
「き…、んっ」
言葉が飲み込まれる。
茫然としている間に、先に立ち上がった木吉が真司に手を差し出した。
「さ、早く皆のところに戻ろうぜ」
「いや…え?」
「どうした?」
「…」
おかしいのは自分の方かと疑う程にさっぱりと。
「まさか…リコ先輩とかにもしてるんじゃ…」
「まさか!烏羽だけだ」
「そ…」
それはそれでどうなのか。
気にしては負けだと自分に言い聞かせて木吉の手を取り立ち上がると、目を細めて笑った木吉の頬が少し赤い。
「いやあ…烏羽が可愛くてどうしたらいいだろう」
「どうもしないで下さい…」
「駄目か」
「駄目です」
さすがに何をしたかはバレていないだろうが、部員達の視線がしっかりと真司と木吉に集まっている。
それに気付いて俯きながら、やっぱり自分には危機感がないのだと自覚して口元を覆った。
・・・
・・
それぞれが自分の為の特訓を続けた。
桐皇に勝つために彼等に必要だったのは、個々の強化。
火神は外国の師匠の下で、 黒子はぶち当たるであろう壁を壊す為に自身の技を鍛え、真司は今の自分の足について来れるだけの筋力を。
全員が自分の為の練習を行う時間はあっという間に過ぎて行った。
『明日開会式だな。ちゃんと寝ろよー?』
ピロリンと普段鳴らない音を立てた携帯を開いた真司は、 その画面を見てふっと微笑んだ。
連絡をする、などと口先だけかと思いきや、高尾はあれから三日に一度の程度は必ずメールを入れてきた。
『高尾君こそ』
『オレはこーいう緊張感好きだからへーき!真ちゃんもかなり気合入ってっから、そっちも簡単に負けんなよ!』
一言返すだけなのに、高尾はしっかりと返事をしてくれる。
真司はその文章にまた頬を緩めて、ぽすんとベッドに横たわった。
携帯を引き寄せて目を閉じる。
「俺は…苦手だったな…」
試合前の緊張感、自分が役に立てなかったらどうしようという不安。
今はそれがない。それどころか今から明日のことを考えて顔がにやける始末だ。
皆に会える、だけじゃなくて。
「青峰君に…今度こそ勝つ…!」
ぐっと握った拳を天井に突き上げる。
皆が強くなったのを知っているから、自分が強くなったことも実感しているから。
『負けないよ』
ただ一言打ったメールを送信して、真司は静かに目を閉じた。