黒バス(2012.10~2017.12)
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思っていたよりも大きな会場に、活気あふれる人達。
真司は一人きょろきょろと落ち着きなく周りを見渡していた。
わざわざ家に寄ってまで声をかけてくれた部員達。
黒子を避けるような行動に出てしまった自分への負い目もあって、足早に人の隙間を通り過ぎる。
ここまでの規模だとは思っていなかった。辿り着ければ合流出来ると思っていたが、案外難しいかもしれない。
「…連絡…は…」
携帯を手に取って、表示した名前を見て手が止まる。
一度断った手前、何となく言いづらいというか。
連絡してしまえば早いだろうが、真司は静かに携帯をポケットへと戻していた。
「なんでこんなドキドキしてんだよ、もう…」
黒子と顔を合わせるのだと思うだけで緊張する。
早く会いたいけれど、でもまだ会いたくない。柄にもなく心の準備が、なんて思いながら、真司は視線を足元に落とした。
「はぁ…」
自分の優準不断さにため息が出る。
そんな気持ちを誤魔化すように足元にあった小石を蹴っ飛ばして、受付を通り過ぎようとした時だった。
大した力など入れてなかったが、真司にはサッカーの才能が眠っていたのかもしれない。
小石はそれなりの勢いをつけたまま、前から来ていた人の足にこつんとぶつかってしまった。
「おっと」
「あっ、すみません!」
あっという間に虚しさやら苛立ちのような感情は吹き飛び、真司の内心は焦りで満たされた。
というのも、ストバス会場なのだから仕方ないのかもしれないがその人は背が高く…何やらかなりのオーラを持っていたからだ。
「い、痛くないですか、怪我は…っ」
「ああ、大丈夫だよ、驚いただけだから」
柔らかい声。
怖い人ではない、らしい。真司はおずおずと顔を上げて、その人の顔を視界に入れた。
「…」
「…?」
「…」
「えっと、オレの顔に何かある?」
「っ!」
思わず言葉を失って見つめてしまう。なんて事になるほどの美しい容姿がそこにあった。
もしかしたらかなり好きなタイプの顔かもしれない、なんて思ってしまうくらい。
「す、すみません、その…見惚れてました…」
「え?はは、面白いことを言うんだね」
口許に手をやって笑う姿もかなり様になる。
黄瀬もかなりのイケメンだがこれは何か違う品のあるイケメンだ。
真司は先程とは全く違うドキドキに襲われて、頬を伝った冷や汗を拭った。
「ところで君はもしかしなくても迷子?」
「は…え、」
「あぁいや、違ったなら良いんだけどね。何か探しているように見えたから」
迷子のつもりはなかったが、似たような状況なのかもしれない。
真司は迷いながらもゆっくりと首を縦に振った。
「そうか…なら、見つかるまで一緒に来ないか?これから試合があるんだ。君のチームも参加しているなら、どこかで当たるかもしれないし」
「え、でも…そんな」
「あぁでも、君のチームが強ければ、の話だけどね」
「っ、なら、問題ないです!」
咄嗟に大きな声で反論してしまい、その人はふふっと愉快そうに笑った。
今のはガキ過ぎた。恥ずかしくなって俯けば、とんと背中を手のひらで押される。
「オレは氷室辰也って言うんだけど…君は?」
「あ、烏羽です。お、お世話になります」
自然と導かれるように歩き出し、真司は小さく頭を下げた。
真司よりは高いが、良く知る大きな人と比べれば然程首は痛くない。
そこまで高くない位置にある綺麗な顔にまた見惚れそうになって、何故か彼の表情が固まっていることに気が付いた。
「…?あの、何か…?」
「烏羽…いや、オレのチームメイトがよく…」
「え?」
「ごめん、その眼鏡、とってもらっていいかな」
氷室、と名乗ったその人は、何を思ったか真司の眼鏡に手を伸ばしてきた。
そういえば、バスケの会場に来るというのに焦りからか眼鏡を外し忘れていた。
不思議に思いつつも、拒否する理由もなく眼鏡を外せば、すぐに前髪をかき分けられて。
「Cute…」
ぽつりと聞こえてきた英語に驚く間もなく、がしりと肩を掴まれていた。
「もしかしなくても、君が“烏羽ちん”かい?」
「は、え…え…!?」
「眼鏡をしていれば鈍臭そうなのに、凄く可愛くてライバルが多い“烏羽ちん”」
「ちょっと、待って下さい、貴方は」
もしかして、もしかしなくても。
真司をそんな風に呼ぶ人は一人しか知らない。
「敦の大好きな子だね?」
「紫原君のチームメイト…!?」
互いの言葉が重なって、途端に胸の奥がざわつくのを感じた。
紫原は東北の方の高校に行くと聞いていた。だから、会うのは無理だと思っていたし、それこそ試合でしか会えないだろうと諦めていたのに。
「ま、まさか紫原君も来ているんですか…?」
「いや、これからここで会う約束をしているんだ。あぁ…敦も喜ぶよ」
「…っ、そ、…そう、でしょうか…」
自分の事かのように微笑んでいる氷室に対し、真司はきゅっと唇を噛んだ。
忘れもしない、紫原と会話を交わした最後の日。
思い出すのは、素直になれなかった自分に対する後悔ばかりだった。
・・・
・・
「烏羽ちん、やっぱ黒ちんについてくんだ」
ぼそりと隣を歩く紫原が呟いた。
卒業を間近にひかえたその日、真司は紫原と共に帰路を歩いていた。
部活もなくなって、会える回数が減った、それを補う時間が欲しかったのだ。
「ついて行くっていうか…このまま会えずにサヨウナラなんて嫌だし」
「ふーん。オレとはサヨウナラでもいーんだ…」
「そういうわけじゃないけど…。紫原君、テツ君のこと心配じゃないの?」
「べっつにー。黒ちんなんて興味ねーし」
「そ、んな言い方…」
紫原が遠くの学校に行くということは知っていた。
どうしてわざわざそんな場所に行くのかと問いかけたところ、「赤ちんがそうしろって言うから」だなんて。
自分の意志はそこにないらしい。
「最近、烏羽ちん黒ちんのことばっか。すげームカツクんだけど」
「っ…皆がテツ君の心配しないから、俺がしてんじゃん」
「はぁ?何それ、意味わかんねー」
「なんでよ、俺はまた皆で…っ」
少し前のように、また皆で一緒にいたいだけなのに。
皆はそう思わないのか、誰も真司に同調してはくれなかった。
「皆?皆って何?オレは烏羽ちんがいればいいし」
「…そんなん楽しくないよ」
「あーもう、烏羽ちんうるさい。烏羽ちんはいっつも赤ちん峰ちん黒ちん…」
「っ、」
その理由が、彼等の思いと真司とに差があるからだという事は分かっていた。
咄嗟に言い返せなかったのも、図星だったからだ。
自分の中での優先順位は何となくあって、それに触れられたくなかったから。
「でも烏羽ちんって、赤ちんの事好きとか言いながら全然分かってないよね」
「わ、かってない…?何それ、どういう事」
「中途半端に首突っ込むから、みーんな中途半端じゃん、烏羽ちん」
言い返せなかった。
言い返せなかったし、言葉に出来なかった。
紫原のことは本当に好きだ。その気持ちに偽りはない。
だからこそ、こうして突き放されるような言い方が悲しくて、虚しくて。でもそれ以上に悔しかった。
「なんでそんな酷い事言うの」
「はぁ?酷いのは烏羽ちんじゃん」
「っ…もういい、ばいばい紫原君!」
隣を歩いていた紫原の胸をどんと押して、振り返らずに足早に歩く。
腹がたったんじゃない、明らかに自分が間違っているのに泣いてしまいそうで、それを見られたくなかった。
悔しくて、悲しくて、どうしようもない思いに触れられたのが痛くて。
「烏羽ちんのバーカ!!」
後ろから聞こえてきた声に、振り返って言い返すことも出来なかった。
震える肩に気付かれないように、前を向いたまま口元を覆う。
でもまさか、それ以来紫原と話す機会も仲直りする機会もないとは思っていなかったのだ。
「…どうかしたのかい?」
ふわっと包まれるかのような優しい声色に、真司はゆっくりと顔を上げた。
氷室の細められた目と合って、一瞬ドキリとする。
美形に弱かったんだなとか今更自分の性癖に気付きつつ、真司はふっと大きく息を吸い込んだ。
「紫原君、俺のこと、…その、どう言ってました?」
「え?そうだな…まるでお菓子の事かのように言ってたよ。余程好きなんだろうね」
「う、嘘です!」
「…どうして?」
あんな態度をとって、何とも思っていないはずがない。
今まで考えないようにしていた反動か、ネガティブな想像ばかりで頭の中が埋め尽くされる。
そんな真司の態度とは反し、氷室は真司の肩を優しく抱き寄せ笑った。
「何か、あったんだね。敦が酷い事を言ったんだろ」
「いえ、悪いのは俺の方で…。俺がムキになって…」
「ふふ、じゃあ敦も君も、譲れないところがある子なんだろうね」
穏やかな言葉づかい。きっと紫原の事をよく分かってくれている人なのだろう。
赤司が選んだ学校だと聞いていたが、黄瀬や緑間のように紫原も良いチームメイトに出会えたようだ。
それが急に嬉しい事に思えて、それまで俯いていた真司は眉を下げたまま小さく笑った。
「ん?何?」
「あ、いえ、氷室さんは紫原君の先輩、ですよね。紫原君って結構きついところあるから…優しい人に会えて良かったと、思って」
「んー、それはどうかな」
「え?」
おどけるように笑った氷室の手が真司の髪を梳く。
そういえばいつの間にかかなり密着している気がする。別に嫌ではないが、ほのかに香る香水だろうか、爽やかな匂いが真司の鼻をくすぐって。
なんだかちょっと、恥ずかしい。
「そもそもオレと敦も会って間もないし、ね」
「間もない…、って、陽泉の先輩じゃ」
「うん、それは間違いないんだけど」
「っ、氷室さん、あの…ちょっと近い…かも」
さりげなく手で氷室の腕を剥がそうとする、が離れない。
不安に思い氷室を見上げると、当人はやたらと楽しそうに笑っていて、首にかけられたシルバーのリングがチャリンと揺れていた。
「あれ、そのリング…」
どこかで見覚えが。
そう思ったとき、ふと氷室の手がぱっと離れた。
「ごめんね、調子にのりすぎたみたいだ」
「え、いえ…」
「敦、ちょっと怒ってるなあれは」
大して申し訳なさそうには見えない氷室の表情はさておき、真司ははっとして氷室の視線を追った。
視線の先、正面、広い道の真ん中。
どうしても目立つ大きな体がどんと立っている。 それは当然真司の目にもすぐに入り込んできた。
「…紫原君…!」
緩やかな風に長めの髪がばさばさと吹かれている。
何か月ぶり、だろう。当然のように嬉しさが募る一方ですくんだ足は動こうとしない。
「は…?烏羽ちん?どういうことだし、それ」
「今偶然会ってね、敦のことを話していたんだ」
「…室ちん、わざと?むかつくんだけど」
紫原の怒気を含んだ声色に、真司の肩がぴくりと震える。
それを勇気づけるかのように氷室の手か軽く真司の背を撫でて、後押しするように一歩離れた。
「ほら、これでいいんだろ?」
「…、よくねーし…!烏羽ちん!」
自分の名を呼ぶ声にもう一度大きく体が震えて。
恐る恐る顔を上げると、目の前まで近付いていた紫原が真司の頭をがしっと掴んだ。
反動で思わず下を向き、上目で紫原を確認する。
「烏羽ちん迂闊すぎだし。黒ちんと一緒にいられるよりはマシだけど」
「紫原君…お、俺のこと、怒ってないの?」
「なんで?久しぶりだし、超会いたかったし。烏羽ちん足りなくてお菓子の量倍になったよ」
「…な、なんだそりゃ」
ほっとしたのと同時に、恥ずかしさから顔に熱がたまった。
そして何より紫原に酷い態度をとった自分が情けなくて、紫原を信じられなかった自分に腹が立つ。
真司は眉を下げて微笑むと、紫原の手をぎゅっと握りしめた。
「…会いたかった、紫原君」
「オレも~。ぎゅってしていい?」
「え、う、うん…」
紫原の大きな体がこちらに倒れてくる。
どっしりと上から真司の体を包み込んだ紫原の体温が身に沁みるようだった。
懐かしい体重と懐かしい体温と。微かに髪から香る匂いは当時と少し変わっている。
恐らく寮生活か何か、使用するシャンプーが変わったのだろう。
「あー…烏羽ちんだー…」
「紫原君、重いよ…。もしかしてまたデカくなった?」
「え~。烏羽ちんが縮んだんじゃね?」
「縮んでねーです」
緊張する。でもそれ以上に暖かくて、嬉しくて、気持ちがいい。
真司はしがみ付くように彼の背中に手を回した。
コホン、と咳払いが聞こえて、すぐに引っ込めることになったが。
「良い雰囲気のところ悪いんだけど…敦、そろそろ行くよ」
ほんの一瞬で存在を忘れていた声に、真司はばっと顔を上げた。
とはいえ、紫原が放してくれない以上、氷室の姿は全く見えない。
「室ちんさぁ…空気読んでよねー…」
「いや、それも大事なんだけど」
「じゃあ室ちん先行っててよ」
「…ちゃんと来るんだろうな?」
なんだか、かなりの迷惑をかけてしまっている気がする。
というか紫原にとって氷室がどういう立場の人間なのか分からなくなりつつある。
本当に先輩で良いのだろうか。だとしたらかなり失礼な態度を…。
「はぁ、分かった分かった。烏羽君、また今度」
「え、あ!はい!」
紫原に覆われて見えない視界の向こうに手を振って、遠ざかる足音に耳を傾ける。
氷室は本当に行ってしまったようだ。
いや、大丈夫なのかこれ。ふと不安になって紫原の太い腕を掴む。
「烏羽ちんはさぁ…何ともなかった?」
「え?」
「オレはねぇ、胃がキリキリしたし、甘いもの食べても食べても足んねーの」
「…それ、は」
自分が傍にいなかったからか、と喉まで出かかった疑問を呑み込んだ。
それから再び腕を掴んでぐいっと剥がす。
「やーだー」
「俺もやーだ、放してー」
「んーっ」
駄々をこねる子供のように唸る紫原の腕を首から剥がして、真司は想像以上に高い位置にある顔を見上げた。
「…何か、烏羽ちんムカツク顔してる」
「嬉しくて緩んでるんだよ悪かったな」
やはり、今がどんな状況であるにしても嬉しいものは嬉しいのだ。
黄瀬や緑間、それから青峰。それよりもずっと、久しぶりの再会になる。
しかも彼等とは違って会える距離にいないから。
「いいから放して。見られてるよ恥ずかしいよ」
「見せればいーじゃん」
「道で、ほら、邪魔だから」
「…もー」
渋々、といった様子で紫原が真司を解放する。
それでようやく肩を撫で下ろした真司は自然と足を進め始めた。
「とりあえず氷室さんの行った方、向かおう」
「えー」
「えーじゃないよ。これから試合あるんでしょ?」
もっと話したい事はたくさんあるが、今は真司にだってしなければならない事がある。
うっかり…などと言って、忘れられることではない。
「あー。そういや室ちんに言い忘れた」
「え、何?」
「野試合禁止ーって、言わなきゃいけないんだった」
「ちょ…!尚更早く行かなきゃじゃん!」
真司は思わず馬鹿!と叫んでから紫原の手を引いた。
大きな手。たぶん、誠凛の誰よりも…あ、木吉とはいい勝負かな。それくらい大きな手。
それがまた愛しく思うのにも、真司の心はズキリと痛むような気がしていた。
「そーいえばさぁ」
二人で並んで歩く…というには片方だけかなり速足だが、その最中、紫原がぽつりと呟いた。
ぽりぽりと開けたポテチの袋に手を突っ込んでいるところは相変わらず。
片手にぶら下げた袋には、さぞたくさんのお菓子が入っていることだろう。
「何?しゃべる食べるはいいけど、もっとがしがし歩いてね!」
「んー、烏羽ちんは一人で何してたの?」
さくっと口の中でスナックの弾ける音を聞きながら、真司はその質問に視線を下げた。
ストバス大会の会場に一人で来る。確かにおかしな話だ。
そのおかしさには、紫原も気付いたのだろう。
「いやうん、これから合流するつもり、なんだけどね」
「ふーん?いっつも黒ちんにくっ付いてるんだと思ってた」
「そんなこと…ないし…」
本当はそうしたいのだけれど。
ふと頭に過ったことに、真司は頭をぶんぶんと振った。
そしてまた足を速める。
「あ、そういえば紫原君は何でここに?まさかこれが目的で来たとも思えないし」
「それは室ちんが東京見物したいってゆーから」
「ふーん?」
そういえば彼は真司を見て咄嗟に英語を呟いていたような気がする。
ということは久しぶりの帰国だとか、そういうことなのだろうか。
だとしたら、紫原と“会って間もない”ということの説明もつくし。
「烏羽ちん、足はやーい」
「ていうか紫原君が遅い!」
何はともあれ、こんな風に紫原と普通に話せていることに喜びを感じつつ、既に目の前に見えているコートに向けて目を凝らす。
そこに氷室がいたならばとりあえず一つミッション完了として。
紫原と分かれたなら、黒子達を探しに急ごう。
なんて、考えていた真司の目には、また信じられない奇跡が映った。
「ちょっと、待って…もしかしてあそこにいるの…」
少し鼻の方へずれていた眼鏡を指で押し上げる。
先程見たばかりの綺麗な黒髪をなびかせた氷室。そしてその正面に立っているのは間違いなく今朝会った面々。
「テツ君…」
思わず名前を呟いて、一度止まった足を踏み出す。
傷付けてしまった、そう思っていたが、黒子はしっかりとバスケに対して真剣であると分かる面持ちをしていた。
安心して、それから早く彼に言葉をかけたくて。
「ちょっと待った、烏羽ちん」
その思いは、紫原の手によって引き止められていた。
「何?早く行こうよ」
「ヤダ。烏羽ちん、何かあったでしょ」
「…?」
「今黒ちん見る顔…赤ちん見てるみたいだった」
紫原の言葉にきょとんとして、見上げていた首を斜めに傾ける。
どういうわけか紫原はご立腹のようで、心なしか表情に怒りが見えた。
「だから嫌だったのに、黒ちんとこ行かせんの…!」
「待って、言ってることよく分かんない」
「烏羽ちん、黒ちんのこと好きになっちゃうって、赤ちんに言ったのに…」
今まで許してたけど、黒ちんは嫌だ。
紫原が何やら酷いことを言っているが、紫原の言葉は真司の耳をすり抜けていた。
「そう、かな。俺、やっぱりテツ君のこと好きなのかな」
「え?」
「ずっと、そうかなって思ってたけど、やっぱり」
「やだやだ!やっぱ今のナシ!!」
先導していたはずの真司の手を、逆に紫原が引く。
よろけた体は案の定紫原の胸にすっぽりと収まった。
「…紫原君」
「赤ちんはいいよ、でも、ホントはヤダ。烏羽ちんと離れてオレ分かったもん」
「ちょっ…」
「烏羽ちん、オレのこと好き?好きでしょ?じゃあ行かないでよ」
ぎゅっと紫原の腕に力がこもる。
たくさんの人が通り過ぎるのに、二人の世界かのように空気が滞っていた。
もし、昨日あんな事がなかったら。
そうしたらこの腕に甘えられたかもしれない。
「ごめん、オレ、今は皆のとこ行かなきゃ」
「なんで?」
「なんでって、そのために来たからだよ」
紫原の顔がむっと膨れ、同時に真司を包む手が緩む。
その隙に抜けようと思った真司の体は、あろうことか地から浮いていた。
「う、わ、え!?」
「まぁオレも室ちんに言わなきゃだし。仕方ないから連れてったげる」
「いやいやいや歩けるから!担ぐ必要ないし!」
「耳元でうるさーい。つーか烏羽ちんまた軽くなってる」
ひょいと片手で担がれる。
高くなった視界に戸惑うというか男としてのプライドうんぬんというか。
無意識にばたばたと足を動かしたが、紫原はそのままのそのそとコートに向かって歩き出していた。
『勝ち残ったのはどちらも高校生のチーム!一体どちらが勝つのか!?』
コートでは本当に試合開始寸前だったらしい。アナウンスが煩く響き渡っている。
その中を、紫原は躊躇う事なく突っ込んで行った。
「ちょおっと、待ってくんない」
そして、そう言うと同時に、紫原はティップオフの声で上空に上げられたボールをキャッチしていた。
「やっと来たか。敦、遅いぞ…って何してるんだ」
「烏羽ちんが煩いからさぁ」
「べ、別に俺は煩くしてない…!」
さすがに恥ずかしくなってきた真司の顔が赤くなる。
顔を下げているので周りは見えないが、今、コートの真ん中で紫原に担がれて。
近くには氷室だけでなく火神や黒子もいるはずだ。
「お久しぶりです紫原君」
「黒ちん…」
「とりあえず、烏羽君を下ろしたらどうですか」
また、紫原がムッとしたのが分かった。
後ろで火神が「紫原!?」と反応したのはキセキの世代と分かったからだろう。
「烏羽君、追いかけてきてくれたんですか?」
「う、うん。そう、なんだけど…」
「黒ちん、勝手に烏羽ちんに話しかけないでくれる?」
「そういうわけにはいきません。というか、君にそんなことを言われる筋合いはありません」
紫原の腕に担がれたまま話が進んでいく。
黒子の声色は案外普段通りだ。どんな顔をしているかは…まあ何となく想像はつく。
「紫原君、とりあえず下ろして…」
「…下ろしたら黒ちんの方行っちゃう」
「紫原君!」
相変わらず膨れたままの紫原の体を適当にぽこぽこと叩けば、ようやく観念したらしい。
紫原はゆっくりと真司を下ろすと、黒子の方に向き直った真司の肩を抱き寄せた。
「黒ちん、烏羽ちんになんかしたでしょ」
「なんのことでしょう」
「…やっぱ黒ちん、捻りつぶす」
大きな体の紫原から放たれた言葉にびくりと体を揺らしたのは、黒子ではなく後ろで見ていた降旗や福田だ。
大きな図体の紫原の威圧感は、慣れない者からしたらかなりのものだろう。
真司は間に挟まれ見ているだけともいかず、紫原の腕を突いた。
「紫原君、そんなことよりさ、言わなきゃなんでしょ」
「ん?あーそうそう」
真司が言うと、紫原はぱっと黒子から氷室の方へ向き直った。
「室ちん、忘れてたけど、うちって草試合とか禁止」
「そうなのか?まいったな…」
「だからほら、さっさと行こー。烏羽ちんもー」
「え、いや俺は」
言うが早いか、紫原はぐいぐいと氷室の背中を押してコートから出て行こうとする。ついでに片手では真司を掴んだままだ。
慌てて黒子を振り返った真司は、黒子ではなく火神にぶつかっていた。
「いきなり乱入してそれはねーだろ。ちょっとまざってけよ」
ヤケに熱くなっている火神は、紫原の肩をがっちりと掴んでいる。
真司はその隙にするりと抜けると、黒子の方へ飛び出した。
「テツ君…!」
「、…何て顔してるんですか。大丈夫ですよ」
「馬鹿、テツ君優しすぎるんだよ…」
何とも無いような顔をして笑う黒子に、また申し訳なくなる。
いろいろ伝えたいことはあるけれど、今はそれどころではないから。
真司は何となく居た堪れなく感じながら木吉を振り返った。
「なんか…変なタイミングで来ちゃってすみません」
「いや、来てくれて嬉しいぜ。具合は大丈夫なのか?」
「あ、それは…嘘だったので」
「そうだったのか!?」
驚き目を丸くする木吉に少し和みつつ。
真司は何やらもめそうな勢いの火神と紫原を振り返った。
「烏羽君、もう氷室さんの事はご存じですか?」
「え、あ、さっき話したよ。陽泉の…紫原君の先輩って」
「それもそうでしょうが、火神君の…お兄さんのような存在なのだそうです」
「え…!?」
黒子に言われてふと思い出すは、氷室の首にかけられていたシルバーのリング。
見覚えがあると思ったのは、火神の首で同じように光っていたからだったのだ。
「もしかして、火神君が試合したがってるのは、紫原君だけじゃなくてその氷室さんと…」
何か知り得ない事情があるのかもしれない。
このタイミングでそれを教えてくれた黒子からも感じ取って、無意識に氷室と火神を交互に見る。
その時、火神の挑発にまんまとのってしまった紫原が動いた。
「逃げんのかよ」
「逃げてねーし!」
「おいおい無理すんなよ、ビビッてたじゃん」
「無理じゃねーし!ビビッてねーし!そっちいれてー」
可哀相に、勝手に話を進める高校生に困惑する審判の制止はもはや彼等の耳には入っていない。
「…本来なら、登録してなきゃ出れないんだよね?」
「はい。そうですね、残念ながら」
「うん、いや、俺は見てるよ。人数揃ってるしね」
誠凛チームは黒子と火神と木吉と、そして降旗と福田。しっかり五人揃っている。
今更乱入しようと思っているわけではなかったので、真司は審判に頭を下げてから後ろに下がった。
真司は一人きょろきょろと落ち着きなく周りを見渡していた。
わざわざ家に寄ってまで声をかけてくれた部員達。
黒子を避けるような行動に出てしまった自分への負い目もあって、足早に人の隙間を通り過ぎる。
ここまでの規模だとは思っていなかった。辿り着ければ合流出来ると思っていたが、案外難しいかもしれない。
「…連絡…は…」
携帯を手に取って、表示した名前を見て手が止まる。
一度断った手前、何となく言いづらいというか。
連絡してしまえば早いだろうが、真司は静かに携帯をポケットへと戻していた。
「なんでこんなドキドキしてんだよ、もう…」
黒子と顔を合わせるのだと思うだけで緊張する。
早く会いたいけれど、でもまだ会いたくない。柄にもなく心の準備が、なんて思いながら、真司は視線を足元に落とした。
「はぁ…」
自分の優準不断さにため息が出る。
そんな気持ちを誤魔化すように足元にあった小石を蹴っ飛ばして、受付を通り過ぎようとした時だった。
大した力など入れてなかったが、真司にはサッカーの才能が眠っていたのかもしれない。
小石はそれなりの勢いをつけたまま、前から来ていた人の足にこつんとぶつかってしまった。
「おっと」
「あっ、すみません!」
あっという間に虚しさやら苛立ちのような感情は吹き飛び、真司の内心は焦りで満たされた。
というのも、ストバス会場なのだから仕方ないのかもしれないがその人は背が高く…何やらかなりのオーラを持っていたからだ。
「い、痛くないですか、怪我は…っ」
「ああ、大丈夫だよ、驚いただけだから」
柔らかい声。
怖い人ではない、らしい。真司はおずおずと顔を上げて、その人の顔を視界に入れた。
「…」
「…?」
「…」
「えっと、オレの顔に何かある?」
「っ!」
思わず言葉を失って見つめてしまう。なんて事になるほどの美しい容姿がそこにあった。
もしかしたらかなり好きなタイプの顔かもしれない、なんて思ってしまうくらい。
「す、すみません、その…見惚れてました…」
「え?はは、面白いことを言うんだね」
口許に手をやって笑う姿もかなり様になる。
黄瀬もかなりのイケメンだがこれは何か違う品のあるイケメンだ。
真司は先程とは全く違うドキドキに襲われて、頬を伝った冷や汗を拭った。
「ところで君はもしかしなくても迷子?」
「は…え、」
「あぁいや、違ったなら良いんだけどね。何か探しているように見えたから」
迷子のつもりはなかったが、似たような状況なのかもしれない。
真司は迷いながらもゆっくりと首を縦に振った。
「そうか…なら、見つかるまで一緒に来ないか?これから試合があるんだ。君のチームも参加しているなら、どこかで当たるかもしれないし」
「え、でも…そんな」
「あぁでも、君のチームが強ければ、の話だけどね」
「っ、なら、問題ないです!」
咄嗟に大きな声で反論してしまい、その人はふふっと愉快そうに笑った。
今のはガキ過ぎた。恥ずかしくなって俯けば、とんと背中を手のひらで押される。
「オレは氷室辰也って言うんだけど…君は?」
「あ、烏羽です。お、お世話になります」
自然と導かれるように歩き出し、真司は小さく頭を下げた。
真司よりは高いが、良く知る大きな人と比べれば然程首は痛くない。
そこまで高くない位置にある綺麗な顔にまた見惚れそうになって、何故か彼の表情が固まっていることに気が付いた。
「…?あの、何か…?」
「烏羽…いや、オレのチームメイトがよく…」
「え?」
「ごめん、その眼鏡、とってもらっていいかな」
氷室、と名乗ったその人は、何を思ったか真司の眼鏡に手を伸ばしてきた。
そういえば、バスケの会場に来るというのに焦りからか眼鏡を外し忘れていた。
不思議に思いつつも、拒否する理由もなく眼鏡を外せば、すぐに前髪をかき分けられて。
「Cute…」
ぽつりと聞こえてきた英語に驚く間もなく、がしりと肩を掴まれていた。
「もしかしなくても、君が“烏羽ちん”かい?」
「は、え…え…!?」
「眼鏡をしていれば鈍臭そうなのに、凄く可愛くてライバルが多い“烏羽ちん”」
「ちょっと、待って下さい、貴方は」
もしかして、もしかしなくても。
真司をそんな風に呼ぶ人は一人しか知らない。
「敦の大好きな子だね?」
「紫原君のチームメイト…!?」
互いの言葉が重なって、途端に胸の奥がざわつくのを感じた。
紫原は東北の方の高校に行くと聞いていた。だから、会うのは無理だと思っていたし、それこそ試合でしか会えないだろうと諦めていたのに。
「ま、まさか紫原君も来ているんですか…?」
「いや、これからここで会う約束をしているんだ。あぁ…敦も喜ぶよ」
「…っ、そ、…そう、でしょうか…」
自分の事かのように微笑んでいる氷室に対し、真司はきゅっと唇を噛んだ。
忘れもしない、紫原と会話を交わした最後の日。
思い出すのは、素直になれなかった自分に対する後悔ばかりだった。
・・・
・・
「烏羽ちん、やっぱ黒ちんについてくんだ」
ぼそりと隣を歩く紫原が呟いた。
卒業を間近にひかえたその日、真司は紫原と共に帰路を歩いていた。
部活もなくなって、会える回数が減った、それを補う時間が欲しかったのだ。
「ついて行くっていうか…このまま会えずにサヨウナラなんて嫌だし」
「ふーん。オレとはサヨウナラでもいーんだ…」
「そういうわけじゃないけど…。紫原君、テツ君のこと心配じゃないの?」
「べっつにー。黒ちんなんて興味ねーし」
「そ、んな言い方…」
紫原が遠くの学校に行くということは知っていた。
どうしてわざわざそんな場所に行くのかと問いかけたところ、「赤ちんがそうしろって言うから」だなんて。
自分の意志はそこにないらしい。
「最近、烏羽ちん黒ちんのことばっか。すげームカツクんだけど」
「っ…皆がテツ君の心配しないから、俺がしてんじゃん」
「はぁ?何それ、意味わかんねー」
「なんでよ、俺はまた皆で…っ」
少し前のように、また皆で一緒にいたいだけなのに。
皆はそう思わないのか、誰も真司に同調してはくれなかった。
「皆?皆って何?オレは烏羽ちんがいればいいし」
「…そんなん楽しくないよ」
「あーもう、烏羽ちんうるさい。烏羽ちんはいっつも赤ちん峰ちん黒ちん…」
「っ、」
その理由が、彼等の思いと真司とに差があるからだという事は分かっていた。
咄嗟に言い返せなかったのも、図星だったからだ。
自分の中での優先順位は何となくあって、それに触れられたくなかったから。
「でも烏羽ちんって、赤ちんの事好きとか言いながら全然分かってないよね」
「わ、かってない…?何それ、どういう事」
「中途半端に首突っ込むから、みーんな中途半端じゃん、烏羽ちん」
言い返せなかった。
言い返せなかったし、言葉に出来なかった。
紫原のことは本当に好きだ。その気持ちに偽りはない。
だからこそ、こうして突き放されるような言い方が悲しくて、虚しくて。でもそれ以上に悔しかった。
「なんでそんな酷い事言うの」
「はぁ?酷いのは烏羽ちんじゃん」
「っ…もういい、ばいばい紫原君!」
隣を歩いていた紫原の胸をどんと押して、振り返らずに足早に歩く。
腹がたったんじゃない、明らかに自分が間違っているのに泣いてしまいそうで、それを見られたくなかった。
悔しくて、悲しくて、どうしようもない思いに触れられたのが痛くて。
「烏羽ちんのバーカ!!」
後ろから聞こえてきた声に、振り返って言い返すことも出来なかった。
震える肩に気付かれないように、前を向いたまま口元を覆う。
でもまさか、それ以来紫原と話す機会も仲直りする機会もないとは思っていなかったのだ。
「…どうかしたのかい?」
ふわっと包まれるかのような優しい声色に、真司はゆっくりと顔を上げた。
氷室の細められた目と合って、一瞬ドキリとする。
美形に弱かったんだなとか今更自分の性癖に気付きつつ、真司はふっと大きく息を吸い込んだ。
「紫原君、俺のこと、…その、どう言ってました?」
「え?そうだな…まるでお菓子の事かのように言ってたよ。余程好きなんだろうね」
「う、嘘です!」
「…どうして?」
あんな態度をとって、何とも思っていないはずがない。
今まで考えないようにしていた反動か、ネガティブな想像ばかりで頭の中が埋め尽くされる。
そんな真司の態度とは反し、氷室は真司の肩を優しく抱き寄せ笑った。
「何か、あったんだね。敦が酷い事を言ったんだろ」
「いえ、悪いのは俺の方で…。俺がムキになって…」
「ふふ、じゃあ敦も君も、譲れないところがある子なんだろうね」
穏やかな言葉づかい。きっと紫原の事をよく分かってくれている人なのだろう。
赤司が選んだ学校だと聞いていたが、黄瀬や緑間のように紫原も良いチームメイトに出会えたようだ。
それが急に嬉しい事に思えて、それまで俯いていた真司は眉を下げたまま小さく笑った。
「ん?何?」
「あ、いえ、氷室さんは紫原君の先輩、ですよね。紫原君って結構きついところあるから…優しい人に会えて良かったと、思って」
「んー、それはどうかな」
「え?」
おどけるように笑った氷室の手が真司の髪を梳く。
そういえばいつの間にかかなり密着している気がする。別に嫌ではないが、ほのかに香る香水だろうか、爽やかな匂いが真司の鼻をくすぐって。
なんだかちょっと、恥ずかしい。
「そもそもオレと敦も会って間もないし、ね」
「間もない…、って、陽泉の先輩じゃ」
「うん、それは間違いないんだけど」
「っ、氷室さん、あの…ちょっと近い…かも」
さりげなく手で氷室の腕を剥がそうとする、が離れない。
不安に思い氷室を見上げると、当人はやたらと楽しそうに笑っていて、首にかけられたシルバーのリングがチャリンと揺れていた。
「あれ、そのリング…」
どこかで見覚えが。
そう思ったとき、ふと氷室の手がぱっと離れた。
「ごめんね、調子にのりすぎたみたいだ」
「え、いえ…」
「敦、ちょっと怒ってるなあれは」
大して申し訳なさそうには見えない氷室の表情はさておき、真司ははっとして氷室の視線を追った。
視線の先、正面、広い道の真ん中。
どうしても目立つ大きな体がどんと立っている。 それは当然真司の目にもすぐに入り込んできた。
「…紫原君…!」
緩やかな風に長めの髪がばさばさと吹かれている。
何か月ぶり、だろう。当然のように嬉しさが募る一方ですくんだ足は動こうとしない。
「は…?烏羽ちん?どういうことだし、それ」
「今偶然会ってね、敦のことを話していたんだ」
「…室ちん、わざと?むかつくんだけど」
紫原の怒気を含んだ声色に、真司の肩がぴくりと震える。
それを勇気づけるかのように氷室の手か軽く真司の背を撫でて、後押しするように一歩離れた。
「ほら、これでいいんだろ?」
「…、よくねーし…!烏羽ちん!」
自分の名を呼ぶ声にもう一度大きく体が震えて。
恐る恐る顔を上げると、目の前まで近付いていた紫原が真司の頭をがしっと掴んだ。
反動で思わず下を向き、上目で紫原を確認する。
「烏羽ちん迂闊すぎだし。黒ちんと一緒にいられるよりはマシだけど」
「紫原君…お、俺のこと、怒ってないの?」
「なんで?久しぶりだし、超会いたかったし。烏羽ちん足りなくてお菓子の量倍になったよ」
「…な、なんだそりゃ」
ほっとしたのと同時に、恥ずかしさから顔に熱がたまった。
そして何より紫原に酷い態度をとった自分が情けなくて、紫原を信じられなかった自分に腹が立つ。
真司は眉を下げて微笑むと、紫原の手をぎゅっと握りしめた。
「…会いたかった、紫原君」
「オレも~。ぎゅってしていい?」
「え、う、うん…」
紫原の大きな体がこちらに倒れてくる。
どっしりと上から真司の体を包み込んだ紫原の体温が身に沁みるようだった。
懐かしい体重と懐かしい体温と。微かに髪から香る匂いは当時と少し変わっている。
恐らく寮生活か何か、使用するシャンプーが変わったのだろう。
「あー…烏羽ちんだー…」
「紫原君、重いよ…。もしかしてまたデカくなった?」
「え~。烏羽ちんが縮んだんじゃね?」
「縮んでねーです」
緊張する。でもそれ以上に暖かくて、嬉しくて、気持ちがいい。
真司はしがみ付くように彼の背中に手を回した。
コホン、と咳払いが聞こえて、すぐに引っ込めることになったが。
「良い雰囲気のところ悪いんだけど…敦、そろそろ行くよ」
ほんの一瞬で存在を忘れていた声に、真司はばっと顔を上げた。
とはいえ、紫原が放してくれない以上、氷室の姿は全く見えない。
「室ちんさぁ…空気読んでよねー…」
「いや、それも大事なんだけど」
「じゃあ室ちん先行っててよ」
「…ちゃんと来るんだろうな?」
なんだか、かなりの迷惑をかけてしまっている気がする。
というか紫原にとって氷室がどういう立場の人間なのか分からなくなりつつある。
本当に先輩で良いのだろうか。だとしたらかなり失礼な態度を…。
「はぁ、分かった分かった。烏羽君、また今度」
「え、あ!はい!」
紫原に覆われて見えない視界の向こうに手を振って、遠ざかる足音に耳を傾ける。
氷室は本当に行ってしまったようだ。
いや、大丈夫なのかこれ。ふと不安になって紫原の太い腕を掴む。
「烏羽ちんはさぁ…何ともなかった?」
「え?」
「オレはねぇ、胃がキリキリしたし、甘いもの食べても食べても足んねーの」
「…それ、は」
自分が傍にいなかったからか、と喉まで出かかった疑問を呑み込んだ。
それから再び腕を掴んでぐいっと剥がす。
「やーだー」
「俺もやーだ、放してー」
「んーっ」
駄々をこねる子供のように唸る紫原の腕を首から剥がして、真司は想像以上に高い位置にある顔を見上げた。
「…何か、烏羽ちんムカツク顔してる」
「嬉しくて緩んでるんだよ悪かったな」
やはり、今がどんな状況であるにしても嬉しいものは嬉しいのだ。
黄瀬や緑間、それから青峰。それよりもずっと、久しぶりの再会になる。
しかも彼等とは違って会える距離にいないから。
「いいから放して。見られてるよ恥ずかしいよ」
「見せればいーじゃん」
「道で、ほら、邪魔だから」
「…もー」
渋々、といった様子で紫原が真司を解放する。
それでようやく肩を撫で下ろした真司は自然と足を進め始めた。
「とりあえず氷室さんの行った方、向かおう」
「えー」
「えーじゃないよ。これから試合あるんでしょ?」
もっと話したい事はたくさんあるが、今は真司にだってしなければならない事がある。
うっかり…などと言って、忘れられることではない。
「あー。そういや室ちんに言い忘れた」
「え、何?」
「野試合禁止ーって、言わなきゃいけないんだった」
「ちょ…!尚更早く行かなきゃじゃん!」
真司は思わず馬鹿!と叫んでから紫原の手を引いた。
大きな手。たぶん、誠凛の誰よりも…あ、木吉とはいい勝負かな。それくらい大きな手。
それがまた愛しく思うのにも、真司の心はズキリと痛むような気がしていた。
「そーいえばさぁ」
二人で並んで歩く…というには片方だけかなり速足だが、その最中、紫原がぽつりと呟いた。
ぽりぽりと開けたポテチの袋に手を突っ込んでいるところは相変わらず。
片手にぶら下げた袋には、さぞたくさんのお菓子が入っていることだろう。
「何?しゃべる食べるはいいけど、もっとがしがし歩いてね!」
「んー、烏羽ちんは一人で何してたの?」
さくっと口の中でスナックの弾ける音を聞きながら、真司はその質問に視線を下げた。
ストバス大会の会場に一人で来る。確かにおかしな話だ。
そのおかしさには、紫原も気付いたのだろう。
「いやうん、これから合流するつもり、なんだけどね」
「ふーん?いっつも黒ちんにくっ付いてるんだと思ってた」
「そんなこと…ないし…」
本当はそうしたいのだけれど。
ふと頭に過ったことに、真司は頭をぶんぶんと振った。
そしてまた足を速める。
「あ、そういえば紫原君は何でここに?まさかこれが目的で来たとも思えないし」
「それは室ちんが東京見物したいってゆーから」
「ふーん?」
そういえば彼は真司を見て咄嗟に英語を呟いていたような気がする。
ということは久しぶりの帰国だとか、そういうことなのだろうか。
だとしたら、紫原と“会って間もない”ということの説明もつくし。
「烏羽ちん、足はやーい」
「ていうか紫原君が遅い!」
何はともあれ、こんな風に紫原と普通に話せていることに喜びを感じつつ、既に目の前に見えているコートに向けて目を凝らす。
そこに氷室がいたならばとりあえず一つミッション完了として。
紫原と分かれたなら、黒子達を探しに急ごう。
なんて、考えていた真司の目には、また信じられない奇跡が映った。
「ちょっと、待って…もしかしてあそこにいるの…」
少し鼻の方へずれていた眼鏡を指で押し上げる。
先程見たばかりの綺麗な黒髪をなびかせた氷室。そしてその正面に立っているのは間違いなく今朝会った面々。
「テツ君…」
思わず名前を呟いて、一度止まった足を踏み出す。
傷付けてしまった、そう思っていたが、黒子はしっかりとバスケに対して真剣であると分かる面持ちをしていた。
安心して、それから早く彼に言葉をかけたくて。
「ちょっと待った、烏羽ちん」
その思いは、紫原の手によって引き止められていた。
「何?早く行こうよ」
「ヤダ。烏羽ちん、何かあったでしょ」
「…?」
「今黒ちん見る顔…赤ちん見てるみたいだった」
紫原の言葉にきょとんとして、見上げていた首を斜めに傾ける。
どういうわけか紫原はご立腹のようで、心なしか表情に怒りが見えた。
「だから嫌だったのに、黒ちんとこ行かせんの…!」
「待って、言ってることよく分かんない」
「烏羽ちん、黒ちんのこと好きになっちゃうって、赤ちんに言ったのに…」
今まで許してたけど、黒ちんは嫌だ。
紫原が何やら酷いことを言っているが、紫原の言葉は真司の耳をすり抜けていた。
「そう、かな。俺、やっぱりテツ君のこと好きなのかな」
「え?」
「ずっと、そうかなって思ってたけど、やっぱり」
「やだやだ!やっぱ今のナシ!!」
先導していたはずの真司の手を、逆に紫原が引く。
よろけた体は案の定紫原の胸にすっぽりと収まった。
「…紫原君」
「赤ちんはいいよ、でも、ホントはヤダ。烏羽ちんと離れてオレ分かったもん」
「ちょっ…」
「烏羽ちん、オレのこと好き?好きでしょ?じゃあ行かないでよ」
ぎゅっと紫原の腕に力がこもる。
たくさんの人が通り過ぎるのに、二人の世界かのように空気が滞っていた。
もし、昨日あんな事がなかったら。
そうしたらこの腕に甘えられたかもしれない。
「ごめん、オレ、今は皆のとこ行かなきゃ」
「なんで?」
「なんでって、そのために来たからだよ」
紫原の顔がむっと膨れ、同時に真司を包む手が緩む。
その隙に抜けようと思った真司の体は、あろうことか地から浮いていた。
「う、わ、え!?」
「まぁオレも室ちんに言わなきゃだし。仕方ないから連れてったげる」
「いやいやいや歩けるから!担ぐ必要ないし!」
「耳元でうるさーい。つーか烏羽ちんまた軽くなってる」
ひょいと片手で担がれる。
高くなった視界に戸惑うというか男としてのプライドうんぬんというか。
無意識にばたばたと足を動かしたが、紫原はそのままのそのそとコートに向かって歩き出していた。
『勝ち残ったのはどちらも高校生のチーム!一体どちらが勝つのか!?』
コートでは本当に試合開始寸前だったらしい。アナウンスが煩く響き渡っている。
その中を、紫原は躊躇う事なく突っ込んで行った。
「ちょおっと、待ってくんない」
そして、そう言うと同時に、紫原はティップオフの声で上空に上げられたボールをキャッチしていた。
「やっと来たか。敦、遅いぞ…って何してるんだ」
「烏羽ちんが煩いからさぁ」
「べ、別に俺は煩くしてない…!」
さすがに恥ずかしくなってきた真司の顔が赤くなる。
顔を下げているので周りは見えないが、今、コートの真ん中で紫原に担がれて。
近くには氷室だけでなく火神や黒子もいるはずだ。
「お久しぶりです紫原君」
「黒ちん…」
「とりあえず、烏羽君を下ろしたらどうですか」
また、紫原がムッとしたのが分かった。
後ろで火神が「紫原!?」と反応したのはキセキの世代と分かったからだろう。
「烏羽君、追いかけてきてくれたんですか?」
「う、うん。そう、なんだけど…」
「黒ちん、勝手に烏羽ちんに話しかけないでくれる?」
「そういうわけにはいきません。というか、君にそんなことを言われる筋合いはありません」
紫原の腕に担がれたまま話が進んでいく。
黒子の声色は案外普段通りだ。どんな顔をしているかは…まあ何となく想像はつく。
「紫原君、とりあえず下ろして…」
「…下ろしたら黒ちんの方行っちゃう」
「紫原君!」
相変わらず膨れたままの紫原の体を適当にぽこぽこと叩けば、ようやく観念したらしい。
紫原はゆっくりと真司を下ろすと、黒子の方に向き直った真司の肩を抱き寄せた。
「黒ちん、烏羽ちんになんかしたでしょ」
「なんのことでしょう」
「…やっぱ黒ちん、捻りつぶす」
大きな体の紫原から放たれた言葉にびくりと体を揺らしたのは、黒子ではなく後ろで見ていた降旗や福田だ。
大きな図体の紫原の威圧感は、慣れない者からしたらかなりのものだろう。
真司は間に挟まれ見ているだけともいかず、紫原の腕を突いた。
「紫原君、そんなことよりさ、言わなきゃなんでしょ」
「ん?あーそうそう」
真司が言うと、紫原はぱっと黒子から氷室の方へ向き直った。
「室ちん、忘れてたけど、うちって草試合とか禁止」
「そうなのか?まいったな…」
「だからほら、さっさと行こー。烏羽ちんもー」
「え、いや俺は」
言うが早いか、紫原はぐいぐいと氷室の背中を押してコートから出て行こうとする。ついでに片手では真司を掴んだままだ。
慌てて黒子を振り返った真司は、黒子ではなく火神にぶつかっていた。
「いきなり乱入してそれはねーだろ。ちょっとまざってけよ」
ヤケに熱くなっている火神は、紫原の肩をがっちりと掴んでいる。
真司はその隙にするりと抜けると、黒子の方へ飛び出した。
「テツ君…!」
「、…何て顔してるんですか。大丈夫ですよ」
「馬鹿、テツ君優しすぎるんだよ…」
何とも無いような顔をして笑う黒子に、また申し訳なくなる。
いろいろ伝えたいことはあるけれど、今はそれどころではないから。
真司は何となく居た堪れなく感じながら木吉を振り返った。
「なんか…変なタイミングで来ちゃってすみません」
「いや、来てくれて嬉しいぜ。具合は大丈夫なのか?」
「あ、それは…嘘だったので」
「そうだったのか!?」
驚き目を丸くする木吉に少し和みつつ。
真司は何やらもめそうな勢いの火神と紫原を振り返った。
「烏羽君、もう氷室さんの事はご存じですか?」
「え、あ、さっき話したよ。陽泉の…紫原君の先輩って」
「それもそうでしょうが、火神君の…お兄さんのような存在なのだそうです」
「え…!?」
黒子に言われてふと思い出すは、氷室の首にかけられていたシルバーのリング。
見覚えがあると思ったのは、火神の首で同じように光っていたからだったのだ。
「もしかして、火神君が試合したがってるのは、紫原君だけじゃなくてその氷室さんと…」
何か知り得ない事情があるのかもしれない。
このタイミングでそれを教えてくれた黒子からも感じ取って、無意識に氷室と火神を交互に見る。
その時、火神の挑発にまんまとのってしまった紫原が動いた。
「逃げんのかよ」
「逃げてねーし!」
「おいおい無理すんなよ、ビビッてたじゃん」
「無理じゃねーし!ビビッてねーし!そっちいれてー」
可哀相に、勝手に話を進める高校生に困惑する審判の制止はもはや彼等の耳には入っていない。
「…本来なら、登録してなきゃ出れないんだよね?」
「はい。そうですね、残念ながら」
「うん、いや、俺は見てるよ。人数揃ってるしね」
誠凛チームは黒子と火神と木吉と、そして降旗と福田。しっかり五人揃っている。
今更乱入しようと思っているわけではなかったので、真司は審判に頭を下げてから後ろに下がった。