黒バス(2012.10~2017.12)
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桐皇対海常の試合があった日のその翌日。
昨日はいろいろあったが…まぁ、それに関しては全て頭から振り払って、足を真っ直ぐに誠凛へ向かわせる。
休む間もなく今日も練習だ。
というより、早く練習がしたかった。
黄瀬は間違いなく強い。海常の実力は知っている。
それでも桐皇には敵わない。
「…はぁ」
じゃあ今の誠凛だったらどうなるのだろう。
考えたって仕方がない。しかし、考えなければいけない事でもある。
「俺も…もっと強くならなきゃ」
そんな事を考えていたから、部活動の開始時刻よりかなり前に学校に着いてしまった。
まだ誰も来ていないだろう。自主練するのが目的だから、それで構わない。
しかし、足を運んだ部室は既に小さく扉が開いていた。
「あれ…おはようございます…?」
まさかもう誰か来ているのだろうか。
驚き半分で覗いてみれば、大きな体がもぞもぞと動いている。
「おー、おはよう。ずいぶん早いなぁ」
「木吉先輩!?せ、先輩こそどうしたんですか?まだ練習まで…」
いつから来ていたのか、木吉は既に制服のボタンをぷちぷちと外しにかかっていた。
ちらと時計を見てみれば、真司が思っている“早すぎる”時間で間違いない。
「いやぁ、居ても経ってもいられないっていうかな。烏羽は?」
「あ…俺も、です。もっと強くならなきゃって思って」
「だよなぁ、うん。いいことだ」
うんうん、と首を縦に動かしながら、何故か嬉しそうに笑っている木吉を横目で見る。
制服の下に練習着を着ていないのか、脱いだワイシャツの下から筋肉のついた肌色が覗いていた。
そりゃ今更確認するまでもないが、恐らく誠凛で一番…もしくは火神に続くくらいの肉体の持ち主だ。
それでいて背も高くて、真司なんて片手で持ち上げられてしまうだろう。
「…」
「ん?なんだ?」
「あ、いえ。木吉先輩ってどうしてそんなに大きいんですかね。かなり羨ましいです」
「あー。なんでだろうな。でもオレは、烏羽もすごく可愛くて魅力的だと思うぞ」
にこりと笑う木吉は、彼なりに真司を褒めているつもりなのだろう。勿論嬉しくなんてない。
そんな真司の心境を知る由もない木吉がぽんぽんと真司の頭を撫でる。
真司はその手を弾くと、木吉の服をぐいと彼に押し付けた。
「…なんでそんな見せびらかすんですか。早く服着て下さい!」
「お?何怒ってるんだ?」
「お、…怒ってはないです。羨ましいって言ったじゃないですか。オレなんてこんな」
こんな、と言って自分の体を見下ろせば、当然あまりにも違う体がそこにある。
途端に虚しくなって、真司はため息を吐くと、何事も無かったかのように制服のボタンを外し始めた。
「今更でした。分かりきったことなのに」
「そんなに嫌なのか?」
「そりゃあ…バスケなんてそもそも体格勝負みたいなとこありますし」
だからこそ、足だけ鍛えた自分のスタイルで何とかやっているのだが。
相手がキセキの世代となってくると、どこまで通用するのか。
急にネガティブになって、ぷちぷちとボタンを外していた手が止まる。
それを見越していたかのようなタイミングで、真司の手を木吉が掴んでいた。
「木吉先輩?」
「あれ、すまん。手が勝手に…」
ふと木吉を見上げた真司は、その距離の近さに気が付いた。
ロッカーと木吉に挟まれて、なんとなく身動きを封じられているような。
「あ、あの…木吉先輩…」
「なんかな、お前を見てるとこう…何て言うんだっけなぁ」
身長差のせいで自然と真司に影がかかる。
試合中にはあまり気にならないが、やはり目の前に立たれるとかなりの威圧感だ。
「き…木吉先輩…?」
「そうか。あれだ、ムラムラするんだ」
「は…え…!?」
木吉が腰を曲げて顔を近付けてきた。
優しそうな顔。のはずなのに、男らしくて、肩を掴む手が大きくて、不覚にもドキリと胸が鳴る。
「せ、」
「なんだろうな、こういう感情ってのは」
「それは、俺が…」
そういう側の人間だから。
ふと頭から弾いていた昨日の事を思い出して頭が熱くなった。じわじわと、掴まれている手が汗ばんでいく。
木吉の手は真司の腕を放し、あろうことかシャツの下に手を入ってきていた。
「うわ…っ」
「胸、は無いんだよなぁ」
「せ、先輩!?」
この人はどこまで本気なのか。
撫でるように胸を触り、不思議そうに真司を見下ろしている。
「いやでも貧乳って可能性もあるのか?」
「そんなわけないじゃないですか!や、貧乳ではありますけど!」
「だろ?オレはまだ可能性を諦めないぞ」
「ってどこ見てんですか!」
胸じゃ分からん、とでも言いたげな視線が真司の股間に向けられる。
まさか本気で疑っているわけではなかろうが、木吉の手は真司の腰を掴んで。
「先輩?そろそろいい加減に…」
「んー?」
「っ!」
腰をなぞる手にぞくりとして、ロッカーに背中をぶつける。
文句を言おうと木吉を見れば、手も体もいつもの穏和な雰囲気のせいで忘れがちだが本当に男らしくて。
触られてるんだから、触ったっていいだろう。
ふと、真司が木吉の胸板に手を伸ばした時だった。
「こら」
かたんと部室のドアが開いた。
そこから怪訝そうな顔を覗かせているのは伊月だ。
「おお、伊月早いな」
「お前たちもな、じゃなくて。何してんだよ全く」
ぴしっと伊月の手が木吉を叩く。
普段ダジャレからの突っ込みを受ける人間とは思えない、鋭い突っ込みだ。
とかいうことはさておき。
真司はようやく冷静になると、ワイシャツの前を両手で押さえた。
「い、伊月先輩…」
「大体状況は分かってるよ。ったく、木吉、烏羽は男だって言ってるだろ」
「いやまあそうなんだけどな、自分の目で確認しないと分からないだろ?」
どうやら木吉は二年生の間でも真司の事を話す事があるようだ。
真司が女なんじゃないか?という事について。
「確認しなくても男の子だよ。オレ達一緒に風呂入ったしな」
「そうなのか!?」
「な。烏羽?」
「は、はい…、それはそうです…ね」
確かに伊月とは同じ風呂に入った裸の仲だ。
恥ずかしいので思い出したくはなかったが。
「伊月ー、それは抜け駆けっていうんだぞ?」
「はいはい。さ、早く練習始めよう」
そう言って素早く支度する伊月に感謝して、真司も素早く練習着に着替える。
その間も木吉は何となく不服そうに声を漏らしていたが、気にすることはないだろう。
何せ自分は男で間違いないし、それを証明したからといって、木吉は満足しないのだろうから。
木吉と伊月と三人で準備運動をして、ボールを取り出して。
その頃からちらほらと部員が集まり始めていた。
やはり皆考える事は同じというか、うずうずしていたのだろう。
人数が揃い、チームに分かれて練習試合を行い始めたのは、本来の集合時間の一時間前だった。
「ったくお前等、この後練習って分かってんだろうな?」
主将である日向が呆れ顔で入って来た時には、もう皆して汗をぽたぽたと流している程で。
当然一番初めから居た真司も首にかけたタオルを口元に当てて、人並み外れた体力を持ってしても呼吸を乱していた。
「やる気はいいけど、疲れて練習だらけたら承知しねーぞ」
近くにいた真司の頭を、日向がこつんと小突く。
確かにかなりの運動量になるだろうが、さすがにそんな事はしない。
というか、リコを前にしてそんな事は出来ないだろう。
「…大丈夫ですよ、テツ君じゃあるまいし」
「そりゃまあ、黒子とお前とじゃ体力違ぇけど…で、黒子は?」
「テツ君ですか?」
ふと日向から問いかけられた内容に、真司はそう言えばと周りを見渡した。
そもそも練習前から練習なんて、体力のない黒子に出来るはずがないだろう。
つまり、今日まだ黒子を見ていない。
「たぶんテツ君はまだ…」
「あの」
来ていない、そう続ける前に、黒子の細い声が聞こえてきた。
ぱっと振り返れば、黒子の手には大きな段ボールが抱えられている。
「拾いました」
一瞬皆がしんと静まり返ったのは、何を言っているのか分からなかったからだ。
というよりは、理解したくなかったというべきか。
「犬を」
そしてもう一言付け足されば、視界に入っている犬を認めざるを得なくなって。
皆の目にはしっかりと白と黒の色をした、小さい割に何故か貫禄のある犬が映った。
「犬…つか拾うな!!」
「え?」
日向の声が響き渡る。一方黒子はきょとんとしたまま犬と目を見合わせた。
うん、何とも癒される光景だ。そう思ったのは真司だけだっただろう。
「一応聞くけど、黒子。その犬どうしたんだ?」
「通学路の公園に捨てられていました」
「通学路の…って今時捨てる奴なんているんだな」
うーん、と困ったように眉を寄せる伊月に対し、小金井は若干楽しげに子犬を眺めている。
その後ろで水戸部は焦った様子で手をわきわきとさせていた。
「やっぱり飼うのって難しいんですか?」
そんな先輩達の様子に首を傾げるのが真司だ。
「難しいだろ。そもそも誰が飼うんだ?」
「そ…部活のペットって感じで、とか」
「そりゃ魅力的だけど…っていうか、なんかコイツ誰かに似てないか?」
言うと同時に、伊月はぐいと犬との距離を縮めた。何かと思えば、目線を犬と黒子とを交互に移動させている。
その伊月の行動を真似して見てみれば、気付く事が一つ。
「く…黒子にそっくりだ!!」
そう叫んだのは小金井だった。
確かに言われてみれば黒子とその子犬の…目がそっくりなのだ。
「じゃあテツヤ二号だ!」
「おいこら名前付けんな!戻しづらくなんじゃねーか!」
真ん丸の少し青みがかった瞳。
無意識に伸ばした真司の手に、子犬の捨てられていたにしては柔らかな毛が触れた。
「う、わぁ…テツ君、抱き締めてもいい?」
「は…あ、はい、どうぞ」
少し左右に開いた手に子犬が差し出される。
恐る恐る腕に抱いて引き寄せてみれば、動物特有の匂いと、暖かさが感じられて。
なんというか。胸がぽかぽかと暖かくなった。
「か…可愛い…。テツ君、この子めちゃくちゃ可愛いね…!」
「ですね」
「火神君もそう思うよね、…って、あれ」
ぱっと振り返ってそう言えば子犬の感想を一言も言っていない火神を見ようとして、真司は言葉を失った。
それに気付いた木吉も火神に対して「何をしているんだ」と問う。
火神は、体育館の隅で小さくなっていた。
「いや…そのオレ…犬とかはマジで駄目なんだよ…です…」
「は!?」
その驚きの声は当然いくつも重なった。
何せ火神大我、名前からしても“虎”的なイメージを漂わせる大男なのだ。
「な、なんで!?こんなに可愛いのに!」
「おい真司!こっち近づけんな!」
「ねー、怖くないよねー」
ワン!
真司の声に返事をしたかのような子犬の一鳴きで、火神は体をびくりと震わせた。
小さい頃に噛まれた事が原因でトラウマになっている彼の気持ちなど、勿論今の真司に分かるはずもない。
「犬ってこんな可愛いんだねー。ねー、テツヤ二号ー」
ぎゅっと抱き締めて頬を寄せれば、元気の良い“ワン!”という返事が返ってくる。
「って、烏羽、お前もその気になってんじゃねーよ!」
「…烏羽君」
「で黒子は名前呼ばれて嬉しそうにすんな!」
一人で突っ込み続ける日向は、最後に来たというのに疲れた様子で額を押さえた。
何にせよ、こうなってしまった以上捨て犬の事を放っておくわけにはいかない。
とりあえず監督の意見を聞いて…という日向の判断が甘かったのか。
「っ!!か、可愛いいいぃ!!やだ何々どうしたのぉ!?」
子犬に目を留めるなり目をハートにしたリコは、かなりの動物好きだったらしい。
とはいえ練習の支障になるようでは置いておけない。
子犬を飼うか否かは火神次第ということになってしまった。
・・・
黒子がテツヤ二号を連れてきたその翌日。
結局先日は黒子が丁重にお持ち帰りすることで乗り切り、今日は鞄に入れて連れてきた。
いつも通りに集まる体育館には、当然今まではいなかった子犬がちょこんと座っている。
それでなくても可愛い子犬が増々可愛く見えるのは、誠凛バスケ部のユニフォームと同じデザインの洋服を着ているからだろう。
これはリコのお手製だ。と見せかけて父親か別の人の手伝いあってのものだろうが。
「はぁあ…可愛い…」
「烏羽は本当に犬が好きなんだな」
「いやぁ、犬が好きというか…動物って飼ったことなくて、憧れというか」
「可愛いなぁ」
テツヤ二号の前でしゃがみ、両手で撫でまわす。
そんな真司の隣に座って微笑ましそうにしているのは木吉だ。
その木吉はどさくさに紛れて真司の頭を撫でている。
「木吉先輩は犬好きですか?」
「あぁ、好きだよ」
真司の頭を撫でながら、目を細めてはっきりと告げる。
その言葉は一体どこに向いているのか。それを後ろから眺めるメンバーの表情は何とも言い難い。
「…なんか、木吉ぐいぐいいってね?」
「あぁ…まあ昨日いろいろあったしな」
「え!?」
小金井と伊月が小さな声で交わす言葉は他の部員の耳にも届いている。
さすがに驚き目を見張るメンバーの中、いち早く真司に近付いたのは火神だった。
「木吉先輩!」
「ん?火神、どうした?」
「っ…、真司と、その…」
しどろもどろになりながら、それでも挑む火神に伊月も小金井もごくりと唾を飲む。
一体木吉に対して何を言うのか、目の前で男の男による男の取り合いを始めるのか、なんて。
「あ、火神君もほら、二号触る?」
「うわああ!」
しかし、くるっと振り返った真司の腕には先日来たばかりの子犬。
情けなくも叫びながら体育館の端まで駆けて行った火神は、やはり子犬への恐怖心を拭う事は出来ていないようだ。
「あーもう…火神君ってば」
がくりと残念そうに真司がするのには理由がある。
『練習に支障をきたさないこと』
これが守れなければ、子犬を飼う事は出来ないわけで。
「おい、いいから練習始めっぞ。木吉は外周追加な」
「え!?何でだ!」
こんな調子では子犬がまた捨てられてしまう。
日向と木吉のどうでも良いやり取りを右から左に流し、真司はじっと火神を見つめていた。
少し早めに練習を終えたその日。
真司はテツヤ二号の事を説得するべく、部室で火神の様子を窺っていた。
今日一日、火神はかなり調子が悪かった。
“ワン”の一声でゴールを外し、外周を走った時も子犬を恐れて一人遅れる。
リコの心配した通り、子犬の存在が練習に支障をきたしているのだ。
これでは間違いなく子犬は追い出されてしまう。
「…」
どう切り出そうか。何を言ったら火神が変わってくれるだろうか。
何となく話しかけるタイミングが見つけられず、真司は意味も無く自分のロッカーをぱたんと閉じてからもう一度開いた。
「…おい」
その意味不明な行動に疑問を持たれたか、火神の目がこちらを向いた。
「な、何?」
「んなじろじろ見んなよ」
「…そんな見てた?」
「見てるっつの…」
火神の目が怪訝そうに細められている。
真司は理不尽にもそんな火神にムッとして、火神の方に体を向けた。
「…火神君さぁ、なんでそんな犬駄目なわけ」
「あ?その事かよ。それは…苦手なんだからしょーがねぇだろ」
「そんなんじゃ納得いかないし」
「んなこと言われたってよ…」
はぁっと息を吐き、火神は罰が悪そうに頬をかいた。
火神にも申し訳ないだとか、恥ずかしいだとかそういう思いはあるのだろう。
そんな顔をされたら、火神に何か言おうとして開いた真司の口も閉じてしまう。
しかしここで引き下がったら黒子似の可愛い子犬の居場所が失われてしまうわけで。
「克服する努力くらいさ…してくれたっていいじゃん」
「お前な…っ」
「だって、火神君のせいで居場所がなくなっちゃうんだよ…!?」
ずいっと詰め寄って、真司は上目に火神を見上げた。
込み上げる怒りのような感情から、見上げる目にも力がこもる。
しかしその瞬間、火神の喉が上下に揺れたのが分かった。
「んなことよりさ…お前、分かってんのか?」
「何が…」
「まさか忘れてねぇよな」
何の事だ。きょとんと目を丸くして首を傾げる。
その真司の腕を火神の手が掴んでいた。
「オレ、お前が、す…好き、なんだけど」
「は…はぁ!?」
そういえば心なしか火神の顔がほてっている。ではなくて。
真司は焦りからか慌てて腕を引いた。勿論火神の大きな手が解かれることはない。
「なぁ、真司」
「ちょっ、ちょっと待ってよ!今それ関係ねーじゃん!」
「か、関係ない事ねーだろ!」
「関係ない!てか悪いけど子犬も怖がる男なんてゴメンだし!」
「っ!」
見つめ合ったまま、ぐっと腕を引き合う。
真司の言葉にさすがに火神の顔が引きつったが、真司は睨む目を逸らしはしなかった。
一方火神の瞳は微かに揺れて、視線が落ちる。
「…んだよそれ、じゃあ、克服出来たら、考えてくれんのかよ」
「か…。まぁ…今よりは…」
そういうつもりで言ったのではなかったのだが。
こんなの脅しっぽくて嫌だな…とか思いつつも、こくりと頷いてみる。
離して欲しい一心だったのだが、どこかスイッチの切り替わってしまった火神は止まらなかった。
「…だ…」
「え、何?」
「抱き締めても、いいか…?」
「は…!?」
今の流れでどうしてそうなる!
叫びたいのを我慢して火神の腕を掴み押し返そうとする。が、彼の腕力は言わずもがなだ。
「か…っ、火神君…!」
「悪ィ、けど、先越されてばっかでオレだって気に食わねぇっつか!」
「先!?何が!?」
「木吉先輩がどうこう…つーかお前無防備すぎんだよ!」
「し、知らねーよっ!!」
ぐぐっと腕の押し合う。
火神が腰を屈めると、距離はあっという間に縮まった。
息がかかりそうな程の距離に、思わず息を止める。自分でも分かる程心拍数が駆け足になって、息苦しくて。
「っ…」
緊張のせいか、雄を見せる火神への恐怖か目に涙が浮かぶ。
それでも目を逸らせなくてぼやける視界で火神を捕らえていると、後ろから毛の塊がもそっと火神の頬に触れた。
真ん丸の目が火神の顔の横でぱちくりと動いている。
「っ!!??」
声にならない悲鳴が聞こえた気がした。
いや、悲鳴も何も、一瞬で火神は真司の後ろに回り込んでいた。
「な…っ、な…!」
「お疲れ様です」
「黒子!?」
視線の先には、子犬を抱いた黒子。
同じ真ん丸の、何を考えているか分からない目が二つ並んでいる。
「おま、いつから…!」
「ちょっと前からです。お二人が喧嘩していると思って仲裁に入るつもりでした」
「っ…」
確かに、気付けば互いに声を張っていたような気はするが、まさか部室に入ってくる黒子に気が付かないとは。
真司は未だ高鳴っている胸に手を当てて、少し荒い呼吸を繰り返した。
頭が真っ白だ。黒子に見られた、それが何故だか辛い事のように感じている。
「て、テツ君…」
「無防備だ…という点にはボクも同意です。君は賢いのにそういうところは疎いんですから」
「そ…そんな、だって…男に男を警戒しろっていうの」
「そうです」
真司と火神との間に割り込むように、黒子はずいと火神の正面に立った。
むっと火神の眉間にしわが寄る。
「火神君、君はとりあえず二号を怖がらなくなってからです」
「な…んだよ、お前まで」
「子犬に怯えているような人に、烏羽君は譲れません。というか負ける気がしません」
バチバチと二人の間で繰り広げられる火花は、当然真司の目には見えていない。
しかし、彼等の気持ちは分かっていた。
いくら疎いくて鈍感だったとしても、彼等の気持ちは知っているのだ。
「火神君、今日は引き下がって下さい」
「は!?」
「烏羽君はボクと二号の散歩をしながら帰るので」
「っ…!く、そ…っ」
困惑する真司の心は置き去りにしたまま、黒子は真司の手を掴んだ。
手をぴくりと動かした火神も、犬のことを出されるとどうにも言い返せないらしい。
「ちょ、ちょっと、待って」
「はい。待ってます」
黒子はぱっと手を放しても真司から目を逸らさなかった。
待ってますから、早く着替えて下さい。
そう言いたそうな視線に、おずおずと後ずさる。
もうこうなってしまっては、黒子に従うしかない。
いつの間にやら逃げ道を失った真司は、落ち着く様子のない胸の高鳴りをそのままに帰り支度を始めた。
・・・
どうしてこうなったのだろう。
ててて…と横から聞こえる細かい足音に耳を傾けながら、真司はつい先程の事を思い出していた。
そもそもはテツヤ二号と仲良くして欲しいとの旨を火神に伝えたかっただけのはずだ。
それがヒートアップしてそれで。
「…」
別に自分は何も間違った事はしていない。そう思っている事自体間違っているというのか。
思考が止まないせいで、自然と歩みも遅くなる。
「烏羽君」
「あ…」
それに気付いたのだろう、黒子は立ち止まって真司を振り返っていた。
部室を出てからずっと掴まれっぱなしの手に、改めてぎゅっと力がこもる。
「一つ…聞いてもいいですか」
「え、うん、何?」
薄暗い道、間を空けて置かれている街灯が微かに照らしているだけ。
その中にある黒子の姿は、気を抜いたら見失ってしまいそうなものだ。
それなのに、今は黒子の姿しか見えていない。
「君は…火神君の事が好きなんですか」
「は…!?」
どくんと胸が音を立てたのが自分でもわかった。
黒子から他の人への好意について聞かれるとは思っていなかった。
胸にいつでも宿っている熱。彼等への好意は、今罪悪感となって真司を襲っている。
「…火神君は、…違う、と思う」
「そう、ですか。そうですよね、君には…」
真司の返事に、黒子は一瞬安心したように微笑んで、それから視線を下に移した。
「烏羽君…さすがに少し、辛くなっちゃいました」
「え…」
「ボクが最初に…誰よりも早く君を好きになったのに」
落とされた視線、その足元をくるくると二号が回る。
痛い。痛いのは黒子のはずなのに、ズキズキとどこか真司に痛みが走った。
「待つつもりでした。君を困らせたいわけではなかったので…」
「っ…」
「やっぱり、無理です。君の事が…本当に好きだから」
最後は消えてしまうのではないかと思う程に微かな声だった。
腰をかがめて二号を抱き上げる黒子は、自信がなさげに眉を寄せている。
胸に引き寄せるふわふわの毛に顔を寄せて目を閉じて。
そんな黒子に何も言い返せない。
慰める言葉も、黒子が求めるものではない。
「すみません、こんなことを言ってしまって」
「テツ君…」
俯いた黒子の顔は真司からよく見えなかった。
黒子を見上げて尻尾を振る二号は、慰めるかのように舌を出している。
自分が、黒子を抱き締めて慰めてあげられれば良いのに。
そんな資格なんてない。しかし、そんな事を考える自分がいる。
「欲深くなって…駄目ですね…」
「そんな、駄目、じゃ、ないよ。俺だって、ホントはテツ君のこと…っ」
それまで視線を逸らしていた黒子が、その時ようやく顔を上げた。
予期せぬタイミングで目が合って、今度は真司が目を逸らす。
「本当は…なんですか?」
「え…?え、っと…ホントは…?」
自分で咄嗟に口走った言葉。
その先に続く言葉は何だったのか、自分でも分からない。
戸惑ったように目を泳がせる真司に、黒子がふっと笑った。
「烏羽君、少し、近付いてもいいですか」
「え…」
「すみません、失礼します」
静かに二号を地面に降ろして、黒子が真司の顔に手を伸ばす。
ひた、と少し冷たくなった黒子の手が真司の頬に重なった。
「っ…!」
「あの、烏羽君…こっち、向いてもらってもいいですか」
「や、ちょっと待って…」
黒子の声が近い。それでまた高鳴る胸に、吐き気のような苦しさを覚えた。
おかしい。今まで黒子といてこんな風になったことはなかったはずだ。
「烏羽君…嫌だったら突き飛ばして下さい」
「は、え、うわ…」
真司の異変に気付いたのか、恐る恐ると手を伸ばした黒子の手が真司の背中に回された。
人一人通らない道、静かな空気を二人の鼓動だけが包み込む。
とんとんと叩くような音は、むしろ真司の方が早まっていた。
「好きです、烏羽君」
「う、…うん…」
「君の事、好きでいていいんですよね」
「ん…」
耳にふわっとかかった黒子の吐息に、真司の肩がぶるっと震えた。
黒子の背中に手を回すと、同じように小さく震えて、でも少し嬉しそうにふっと笑う。
こんな自分を好きでいてくれる黒子に感謝と罪悪感と、そして愛しさが込み上げていることに、真司自身困惑していた。
・・・
帰宅して、真司はすぐに布団へもぐりこんだ。
顔を見るなり、普段会話も少ない母から「熱があるのか」と問いかけられたのは…たぶん顔が赤かったからだ。
勿論、別に具合は悪くない。
「…熱い…」
枕に顔を押し付けて、脈打ち震える体を押さえる。
散々やらかして、緑間にも心配をかけて。
それから黄瀬のことも好きだと再認識したばかりなのに。
「もうやだ…なんなの俺…っ」
好き、なのかは分からない。
けれど確実に意識している。黒子に対する感情が分からなくなっているのだ。
「…明日から、どうしよう…」
救いなのは、明日は練習が無いということ。練習後にリコの口から聞かされたから間違いない。
本来なら練習が無いにしても自主練をしただろうが、明日は休んでよく考えよう。
なんて…考えて何とかなるなら、こんな事にはならなかったのだろうけど。
「テツ君…」
会いたいのに会いたくない。
体温を思い出してドキドキして、苦しくなっている。
そんな状況でも疲れには勝てない体が憎い。
真司は布団の中で丸くなったまま、自然と眠りに落ちていった。
・・・
結局何を考えることなく眠りについた翌日。
疲れを取る為の休日…のはずが、真司母親によってたたき起こされることとなった。
「あんた、何寝てんの。さっさと起きなさい」
「んー…」
「友達来てるわよ」
「……え?」
ぽかんとして時計を見る。
予定なんて入れていなかったはず。そう思いつつ携帯を見てみればメールの通知が来ている事に気付いた。
昨夜来ていたらしきメール。
そこには『明日ストリートバスケの大会に一緒に行かないか』との旨。
「え…でも、返事なんてしてない…」
「知らないわよ。さっさと顔出して出かけるでも追い返すでもすれば?」
めんどくさそうに顔を歪める母は、真司の友人と初対面を果たしてここにいる。
きっと、朝の整っていない姿は見られたくなかったのだろう。それで少し苛立っていると見える。
「…はぁ」
こんなはずではなかったのに。
カーテンを少し開けて窓の外を確かめる。
家の前には黒子と火神と…その他一年プラス木吉が引率かのように立っていた。
皆で迎えに来てくれたというのか。
「…」
嬉しい、それにバスケをしたいという気持ちも当然ある。
それなのに心配そうに見上げた黒子と目が合った瞬間、真司にまたぞくりと緊張が走った。
さっとカーテンを閉めて、胸を押さえる。
それから悩むことなく階段を駆け下りて玄関に向かっていた。
「お、おはようございます…」
「真司ーって寝巻!?」
咄嗟に反応を示した降旗が、驚いて目を丸くする。
シンプルなスウェットを着こんだ今の姿は恥ずかしいが、もうこうするしかなかった。
「来てもらって申し訳ないん、だけど…その、今日、あまり具合良く無くて…」
「え!?だ、大丈夫なのか!?」
「うん、ただ、今日は、休みたいかなって」
そっか、と残念そうにする降旗の後ろで、火神と黒子の肩が少し揺れたのが分かった。
一方更に後ろにいる木吉は何故だかニコニコと微笑んでいる。
「そうか…まぁ残念だけど、烏羽の可愛い姿見れたし、オレ達は行くか」
「き、木吉先輩…なんか最近吹っ切れてますね」
「ん?」
普段はあまり目立たない降旗の声がよく聞こえる。
火神と黒子がしゃべらないからだろう。
木吉に突っ込んだ降旗は、「じゃあ」と眉を下げてこちらに手を振った。
それに振り返してゆっくりと扉を閉める。
「…はぁ」
申し訳ないことをしてしまった。本当に。
頭の中にぐるぐると後悔が巡って、それを隠すように再び布団に潜り込んだ。
寝てしまえばいい。きっと時間がこの罪悪感を吹き飛ばしてくれる。
そんな都合の良い事を考えて丸くなった真司の横で、携帯がブーっと音を立てた。
「、メール…?」
彼等が立ち去ってから、まだそう時間は経っていない。
それなのに、そこに表示された名前はその中の一人。
「テツ君…」
黒子からのメールに、何度目かになる動機を覚えて眉を寄せる。
それでも細めた目で内容を確認して。
『僕のせいですよね。君の気持ちを考えずに、酷いことをしてしまいました。』
声が聞こえてくるようだった。きっと今、酷く悲しい顔をしているのだろう。
彼のことを知っているからこそ、何となく分かってしまう。
「なんで、そんな優しんだよ…」
酷いことをしているのはどっちだ。
もそりと寝かせていた体を起こして、真司は携帯を脇に置いた。
「今からでも行こう…」
好きだとか嫌いとかはともかく、こうして避けるような事は駄目だ、絶対に。
携帯でとんとんとストリートバスケの大会とやらを検索する。
便利な時代になったものだとしみじみ感じながら、真司は素早く身軽な格好に着替えた。
追いつけなくてもいい。とにかく会ってそれで謝りたい。
散々中学時代に悲しい思いをさせた黒子に、これ以上悲しい顔はしてほしくなかった。
昨日はいろいろあったが…まぁ、それに関しては全て頭から振り払って、足を真っ直ぐに誠凛へ向かわせる。
休む間もなく今日も練習だ。
というより、早く練習がしたかった。
黄瀬は間違いなく強い。海常の実力は知っている。
それでも桐皇には敵わない。
「…はぁ」
じゃあ今の誠凛だったらどうなるのだろう。
考えたって仕方がない。しかし、考えなければいけない事でもある。
「俺も…もっと強くならなきゃ」
そんな事を考えていたから、部活動の開始時刻よりかなり前に学校に着いてしまった。
まだ誰も来ていないだろう。自主練するのが目的だから、それで構わない。
しかし、足を運んだ部室は既に小さく扉が開いていた。
「あれ…おはようございます…?」
まさかもう誰か来ているのだろうか。
驚き半分で覗いてみれば、大きな体がもぞもぞと動いている。
「おー、おはよう。ずいぶん早いなぁ」
「木吉先輩!?せ、先輩こそどうしたんですか?まだ練習まで…」
いつから来ていたのか、木吉は既に制服のボタンをぷちぷちと外しにかかっていた。
ちらと時計を見てみれば、真司が思っている“早すぎる”時間で間違いない。
「いやぁ、居ても経ってもいられないっていうかな。烏羽は?」
「あ…俺も、です。もっと強くならなきゃって思って」
「だよなぁ、うん。いいことだ」
うんうん、と首を縦に動かしながら、何故か嬉しそうに笑っている木吉を横目で見る。
制服の下に練習着を着ていないのか、脱いだワイシャツの下から筋肉のついた肌色が覗いていた。
そりゃ今更確認するまでもないが、恐らく誠凛で一番…もしくは火神に続くくらいの肉体の持ち主だ。
それでいて背も高くて、真司なんて片手で持ち上げられてしまうだろう。
「…」
「ん?なんだ?」
「あ、いえ。木吉先輩ってどうしてそんなに大きいんですかね。かなり羨ましいです」
「あー。なんでだろうな。でもオレは、烏羽もすごく可愛くて魅力的だと思うぞ」
にこりと笑う木吉は、彼なりに真司を褒めているつもりなのだろう。勿論嬉しくなんてない。
そんな真司の心境を知る由もない木吉がぽんぽんと真司の頭を撫でる。
真司はその手を弾くと、木吉の服をぐいと彼に押し付けた。
「…なんでそんな見せびらかすんですか。早く服着て下さい!」
「お?何怒ってるんだ?」
「お、…怒ってはないです。羨ましいって言ったじゃないですか。オレなんてこんな」
こんな、と言って自分の体を見下ろせば、当然あまりにも違う体がそこにある。
途端に虚しくなって、真司はため息を吐くと、何事も無かったかのように制服のボタンを外し始めた。
「今更でした。分かりきったことなのに」
「そんなに嫌なのか?」
「そりゃあ…バスケなんてそもそも体格勝負みたいなとこありますし」
だからこそ、足だけ鍛えた自分のスタイルで何とかやっているのだが。
相手がキセキの世代となってくると、どこまで通用するのか。
急にネガティブになって、ぷちぷちとボタンを外していた手が止まる。
それを見越していたかのようなタイミングで、真司の手を木吉が掴んでいた。
「木吉先輩?」
「あれ、すまん。手が勝手に…」
ふと木吉を見上げた真司は、その距離の近さに気が付いた。
ロッカーと木吉に挟まれて、なんとなく身動きを封じられているような。
「あ、あの…木吉先輩…」
「なんかな、お前を見てるとこう…何て言うんだっけなぁ」
身長差のせいで自然と真司に影がかかる。
試合中にはあまり気にならないが、やはり目の前に立たれるとかなりの威圧感だ。
「き…木吉先輩…?」
「そうか。あれだ、ムラムラするんだ」
「は…え…!?」
木吉が腰を曲げて顔を近付けてきた。
優しそうな顔。のはずなのに、男らしくて、肩を掴む手が大きくて、不覚にもドキリと胸が鳴る。
「せ、」
「なんだろうな、こういう感情ってのは」
「それは、俺が…」
そういう側の人間だから。
ふと頭から弾いていた昨日の事を思い出して頭が熱くなった。じわじわと、掴まれている手が汗ばんでいく。
木吉の手は真司の腕を放し、あろうことかシャツの下に手を入ってきていた。
「うわ…っ」
「胸、は無いんだよなぁ」
「せ、先輩!?」
この人はどこまで本気なのか。
撫でるように胸を触り、不思議そうに真司を見下ろしている。
「いやでも貧乳って可能性もあるのか?」
「そんなわけないじゃないですか!や、貧乳ではありますけど!」
「だろ?オレはまだ可能性を諦めないぞ」
「ってどこ見てんですか!」
胸じゃ分からん、とでも言いたげな視線が真司の股間に向けられる。
まさか本気で疑っているわけではなかろうが、木吉の手は真司の腰を掴んで。
「先輩?そろそろいい加減に…」
「んー?」
「っ!」
腰をなぞる手にぞくりとして、ロッカーに背中をぶつける。
文句を言おうと木吉を見れば、手も体もいつもの穏和な雰囲気のせいで忘れがちだが本当に男らしくて。
触られてるんだから、触ったっていいだろう。
ふと、真司が木吉の胸板に手を伸ばした時だった。
「こら」
かたんと部室のドアが開いた。
そこから怪訝そうな顔を覗かせているのは伊月だ。
「おお、伊月早いな」
「お前たちもな、じゃなくて。何してんだよ全く」
ぴしっと伊月の手が木吉を叩く。
普段ダジャレからの突っ込みを受ける人間とは思えない、鋭い突っ込みだ。
とかいうことはさておき。
真司はようやく冷静になると、ワイシャツの前を両手で押さえた。
「い、伊月先輩…」
「大体状況は分かってるよ。ったく、木吉、烏羽は男だって言ってるだろ」
「いやまあそうなんだけどな、自分の目で確認しないと分からないだろ?」
どうやら木吉は二年生の間でも真司の事を話す事があるようだ。
真司が女なんじゃないか?という事について。
「確認しなくても男の子だよ。オレ達一緒に風呂入ったしな」
「そうなのか!?」
「な。烏羽?」
「は、はい…、それはそうです…ね」
確かに伊月とは同じ風呂に入った裸の仲だ。
恥ずかしいので思い出したくはなかったが。
「伊月ー、それは抜け駆けっていうんだぞ?」
「はいはい。さ、早く練習始めよう」
そう言って素早く支度する伊月に感謝して、真司も素早く練習着に着替える。
その間も木吉は何となく不服そうに声を漏らしていたが、気にすることはないだろう。
何せ自分は男で間違いないし、それを証明したからといって、木吉は満足しないのだろうから。
木吉と伊月と三人で準備運動をして、ボールを取り出して。
その頃からちらほらと部員が集まり始めていた。
やはり皆考える事は同じというか、うずうずしていたのだろう。
人数が揃い、チームに分かれて練習試合を行い始めたのは、本来の集合時間の一時間前だった。
「ったくお前等、この後練習って分かってんだろうな?」
主将である日向が呆れ顔で入って来た時には、もう皆して汗をぽたぽたと流している程で。
当然一番初めから居た真司も首にかけたタオルを口元に当てて、人並み外れた体力を持ってしても呼吸を乱していた。
「やる気はいいけど、疲れて練習だらけたら承知しねーぞ」
近くにいた真司の頭を、日向がこつんと小突く。
確かにかなりの運動量になるだろうが、さすがにそんな事はしない。
というか、リコを前にしてそんな事は出来ないだろう。
「…大丈夫ですよ、テツ君じゃあるまいし」
「そりゃまあ、黒子とお前とじゃ体力違ぇけど…で、黒子は?」
「テツ君ですか?」
ふと日向から問いかけられた内容に、真司はそう言えばと周りを見渡した。
そもそも練習前から練習なんて、体力のない黒子に出来るはずがないだろう。
つまり、今日まだ黒子を見ていない。
「たぶんテツ君はまだ…」
「あの」
来ていない、そう続ける前に、黒子の細い声が聞こえてきた。
ぱっと振り返れば、黒子の手には大きな段ボールが抱えられている。
「拾いました」
一瞬皆がしんと静まり返ったのは、何を言っているのか分からなかったからだ。
というよりは、理解したくなかったというべきか。
「犬を」
そしてもう一言付け足されば、視界に入っている犬を認めざるを得なくなって。
皆の目にはしっかりと白と黒の色をした、小さい割に何故か貫禄のある犬が映った。
「犬…つか拾うな!!」
「え?」
日向の声が響き渡る。一方黒子はきょとんとしたまま犬と目を見合わせた。
うん、何とも癒される光景だ。そう思ったのは真司だけだっただろう。
「一応聞くけど、黒子。その犬どうしたんだ?」
「通学路の公園に捨てられていました」
「通学路の…って今時捨てる奴なんているんだな」
うーん、と困ったように眉を寄せる伊月に対し、小金井は若干楽しげに子犬を眺めている。
その後ろで水戸部は焦った様子で手をわきわきとさせていた。
「やっぱり飼うのって難しいんですか?」
そんな先輩達の様子に首を傾げるのが真司だ。
「難しいだろ。そもそも誰が飼うんだ?」
「そ…部活のペットって感じで、とか」
「そりゃ魅力的だけど…っていうか、なんかコイツ誰かに似てないか?」
言うと同時に、伊月はぐいと犬との距離を縮めた。何かと思えば、目線を犬と黒子とを交互に移動させている。
その伊月の行動を真似して見てみれば、気付く事が一つ。
「く…黒子にそっくりだ!!」
そう叫んだのは小金井だった。
確かに言われてみれば黒子とその子犬の…目がそっくりなのだ。
「じゃあテツヤ二号だ!」
「おいこら名前付けんな!戻しづらくなんじゃねーか!」
真ん丸の少し青みがかった瞳。
無意識に伸ばした真司の手に、子犬の捨てられていたにしては柔らかな毛が触れた。
「う、わぁ…テツ君、抱き締めてもいい?」
「は…あ、はい、どうぞ」
少し左右に開いた手に子犬が差し出される。
恐る恐る腕に抱いて引き寄せてみれば、動物特有の匂いと、暖かさが感じられて。
なんというか。胸がぽかぽかと暖かくなった。
「か…可愛い…。テツ君、この子めちゃくちゃ可愛いね…!」
「ですね」
「火神君もそう思うよね、…って、あれ」
ぱっと振り返ってそう言えば子犬の感想を一言も言っていない火神を見ようとして、真司は言葉を失った。
それに気付いた木吉も火神に対して「何をしているんだ」と問う。
火神は、体育館の隅で小さくなっていた。
「いや…そのオレ…犬とかはマジで駄目なんだよ…です…」
「は!?」
その驚きの声は当然いくつも重なった。
何せ火神大我、名前からしても“虎”的なイメージを漂わせる大男なのだ。
「な、なんで!?こんなに可愛いのに!」
「おい真司!こっち近づけんな!」
「ねー、怖くないよねー」
ワン!
真司の声に返事をしたかのような子犬の一鳴きで、火神は体をびくりと震わせた。
小さい頃に噛まれた事が原因でトラウマになっている彼の気持ちなど、勿論今の真司に分かるはずもない。
「犬ってこんな可愛いんだねー。ねー、テツヤ二号ー」
ぎゅっと抱き締めて頬を寄せれば、元気の良い“ワン!”という返事が返ってくる。
「って、烏羽、お前もその気になってんじゃねーよ!」
「…烏羽君」
「で黒子は名前呼ばれて嬉しそうにすんな!」
一人で突っ込み続ける日向は、最後に来たというのに疲れた様子で額を押さえた。
何にせよ、こうなってしまった以上捨て犬の事を放っておくわけにはいかない。
とりあえず監督の意見を聞いて…という日向の判断が甘かったのか。
「っ!!か、可愛いいいぃ!!やだ何々どうしたのぉ!?」
子犬に目を留めるなり目をハートにしたリコは、かなりの動物好きだったらしい。
とはいえ練習の支障になるようでは置いておけない。
子犬を飼うか否かは火神次第ということになってしまった。
・・・
黒子がテツヤ二号を連れてきたその翌日。
結局先日は黒子が丁重にお持ち帰りすることで乗り切り、今日は鞄に入れて連れてきた。
いつも通りに集まる体育館には、当然今まではいなかった子犬がちょこんと座っている。
それでなくても可愛い子犬が増々可愛く見えるのは、誠凛バスケ部のユニフォームと同じデザインの洋服を着ているからだろう。
これはリコのお手製だ。と見せかけて父親か別の人の手伝いあってのものだろうが。
「はぁあ…可愛い…」
「烏羽は本当に犬が好きなんだな」
「いやぁ、犬が好きというか…動物って飼ったことなくて、憧れというか」
「可愛いなぁ」
テツヤ二号の前でしゃがみ、両手で撫でまわす。
そんな真司の隣に座って微笑ましそうにしているのは木吉だ。
その木吉はどさくさに紛れて真司の頭を撫でている。
「木吉先輩は犬好きですか?」
「あぁ、好きだよ」
真司の頭を撫でながら、目を細めてはっきりと告げる。
その言葉は一体どこに向いているのか。それを後ろから眺めるメンバーの表情は何とも言い難い。
「…なんか、木吉ぐいぐいいってね?」
「あぁ…まあ昨日いろいろあったしな」
「え!?」
小金井と伊月が小さな声で交わす言葉は他の部員の耳にも届いている。
さすがに驚き目を見張るメンバーの中、いち早く真司に近付いたのは火神だった。
「木吉先輩!」
「ん?火神、どうした?」
「っ…、真司と、その…」
しどろもどろになりながら、それでも挑む火神に伊月も小金井もごくりと唾を飲む。
一体木吉に対して何を言うのか、目の前で男の男による男の取り合いを始めるのか、なんて。
「あ、火神君もほら、二号触る?」
「うわああ!」
しかし、くるっと振り返った真司の腕には先日来たばかりの子犬。
情けなくも叫びながら体育館の端まで駆けて行った火神は、やはり子犬への恐怖心を拭う事は出来ていないようだ。
「あーもう…火神君ってば」
がくりと残念そうに真司がするのには理由がある。
『練習に支障をきたさないこと』
これが守れなければ、子犬を飼う事は出来ないわけで。
「おい、いいから練習始めっぞ。木吉は外周追加な」
「え!?何でだ!」
こんな調子では子犬がまた捨てられてしまう。
日向と木吉のどうでも良いやり取りを右から左に流し、真司はじっと火神を見つめていた。
少し早めに練習を終えたその日。
真司はテツヤ二号の事を説得するべく、部室で火神の様子を窺っていた。
今日一日、火神はかなり調子が悪かった。
“ワン”の一声でゴールを外し、外周を走った時も子犬を恐れて一人遅れる。
リコの心配した通り、子犬の存在が練習に支障をきたしているのだ。
これでは間違いなく子犬は追い出されてしまう。
「…」
どう切り出そうか。何を言ったら火神が変わってくれるだろうか。
何となく話しかけるタイミングが見つけられず、真司は意味も無く自分のロッカーをぱたんと閉じてからもう一度開いた。
「…おい」
その意味不明な行動に疑問を持たれたか、火神の目がこちらを向いた。
「な、何?」
「んなじろじろ見んなよ」
「…そんな見てた?」
「見てるっつの…」
火神の目が怪訝そうに細められている。
真司は理不尽にもそんな火神にムッとして、火神の方に体を向けた。
「…火神君さぁ、なんでそんな犬駄目なわけ」
「あ?その事かよ。それは…苦手なんだからしょーがねぇだろ」
「そんなんじゃ納得いかないし」
「んなこと言われたってよ…」
はぁっと息を吐き、火神は罰が悪そうに頬をかいた。
火神にも申し訳ないだとか、恥ずかしいだとかそういう思いはあるのだろう。
そんな顔をされたら、火神に何か言おうとして開いた真司の口も閉じてしまう。
しかしここで引き下がったら黒子似の可愛い子犬の居場所が失われてしまうわけで。
「克服する努力くらいさ…してくれたっていいじゃん」
「お前な…っ」
「だって、火神君のせいで居場所がなくなっちゃうんだよ…!?」
ずいっと詰め寄って、真司は上目に火神を見上げた。
込み上げる怒りのような感情から、見上げる目にも力がこもる。
しかしその瞬間、火神の喉が上下に揺れたのが分かった。
「んなことよりさ…お前、分かってんのか?」
「何が…」
「まさか忘れてねぇよな」
何の事だ。きょとんと目を丸くして首を傾げる。
その真司の腕を火神の手が掴んでいた。
「オレ、お前が、す…好き、なんだけど」
「は…はぁ!?」
そういえば心なしか火神の顔がほてっている。ではなくて。
真司は焦りからか慌てて腕を引いた。勿論火神の大きな手が解かれることはない。
「なぁ、真司」
「ちょっ、ちょっと待ってよ!今それ関係ねーじゃん!」
「か、関係ない事ねーだろ!」
「関係ない!てか悪いけど子犬も怖がる男なんてゴメンだし!」
「っ!」
見つめ合ったまま、ぐっと腕を引き合う。
真司の言葉にさすがに火神の顔が引きつったが、真司は睨む目を逸らしはしなかった。
一方火神の瞳は微かに揺れて、視線が落ちる。
「…んだよそれ、じゃあ、克服出来たら、考えてくれんのかよ」
「か…。まぁ…今よりは…」
そういうつもりで言ったのではなかったのだが。
こんなの脅しっぽくて嫌だな…とか思いつつも、こくりと頷いてみる。
離して欲しい一心だったのだが、どこかスイッチの切り替わってしまった火神は止まらなかった。
「…だ…」
「え、何?」
「抱き締めても、いいか…?」
「は…!?」
今の流れでどうしてそうなる!
叫びたいのを我慢して火神の腕を掴み押し返そうとする。が、彼の腕力は言わずもがなだ。
「か…っ、火神君…!」
「悪ィ、けど、先越されてばっかでオレだって気に食わねぇっつか!」
「先!?何が!?」
「木吉先輩がどうこう…つーかお前無防備すぎんだよ!」
「し、知らねーよっ!!」
ぐぐっと腕の押し合う。
火神が腰を屈めると、距離はあっという間に縮まった。
息がかかりそうな程の距離に、思わず息を止める。自分でも分かる程心拍数が駆け足になって、息苦しくて。
「っ…」
緊張のせいか、雄を見せる火神への恐怖か目に涙が浮かぶ。
それでも目を逸らせなくてぼやける視界で火神を捕らえていると、後ろから毛の塊がもそっと火神の頬に触れた。
真ん丸の目が火神の顔の横でぱちくりと動いている。
「っ!!??」
声にならない悲鳴が聞こえた気がした。
いや、悲鳴も何も、一瞬で火神は真司の後ろに回り込んでいた。
「な…っ、な…!」
「お疲れ様です」
「黒子!?」
視線の先には、子犬を抱いた黒子。
同じ真ん丸の、何を考えているか分からない目が二つ並んでいる。
「おま、いつから…!」
「ちょっと前からです。お二人が喧嘩していると思って仲裁に入るつもりでした」
「っ…」
確かに、気付けば互いに声を張っていたような気はするが、まさか部室に入ってくる黒子に気が付かないとは。
真司は未だ高鳴っている胸に手を当てて、少し荒い呼吸を繰り返した。
頭が真っ白だ。黒子に見られた、それが何故だか辛い事のように感じている。
「て、テツ君…」
「無防備だ…という点にはボクも同意です。君は賢いのにそういうところは疎いんですから」
「そ…そんな、だって…男に男を警戒しろっていうの」
「そうです」
真司と火神との間に割り込むように、黒子はずいと火神の正面に立った。
むっと火神の眉間にしわが寄る。
「火神君、君はとりあえず二号を怖がらなくなってからです」
「な…んだよ、お前まで」
「子犬に怯えているような人に、烏羽君は譲れません。というか負ける気がしません」
バチバチと二人の間で繰り広げられる火花は、当然真司の目には見えていない。
しかし、彼等の気持ちは分かっていた。
いくら疎いくて鈍感だったとしても、彼等の気持ちは知っているのだ。
「火神君、今日は引き下がって下さい」
「は!?」
「烏羽君はボクと二号の散歩をしながら帰るので」
「っ…!く、そ…っ」
困惑する真司の心は置き去りにしたまま、黒子は真司の手を掴んだ。
手をぴくりと動かした火神も、犬のことを出されるとどうにも言い返せないらしい。
「ちょ、ちょっと、待って」
「はい。待ってます」
黒子はぱっと手を放しても真司から目を逸らさなかった。
待ってますから、早く着替えて下さい。
そう言いたそうな視線に、おずおずと後ずさる。
もうこうなってしまっては、黒子に従うしかない。
いつの間にやら逃げ道を失った真司は、落ち着く様子のない胸の高鳴りをそのままに帰り支度を始めた。
・・・
どうしてこうなったのだろう。
ててて…と横から聞こえる細かい足音に耳を傾けながら、真司はつい先程の事を思い出していた。
そもそもはテツヤ二号と仲良くして欲しいとの旨を火神に伝えたかっただけのはずだ。
それがヒートアップしてそれで。
「…」
別に自分は何も間違った事はしていない。そう思っている事自体間違っているというのか。
思考が止まないせいで、自然と歩みも遅くなる。
「烏羽君」
「あ…」
それに気付いたのだろう、黒子は立ち止まって真司を振り返っていた。
部室を出てからずっと掴まれっぱなしの手に、改めてぎゅっと力がこもる。
「一つ…聞いてもいいですか」
「え、うん、何?」
薄暗い道、間を空けて置かれている街灯が微かに照らしているだけ。
その中にある黒子の姿は、気を抜いたら見失ってしまいそうなものだ。
それなのに、今は黒子の姿しか見えていない。
「君は…火神君の事が好きなんですか」
「は…!?」
どくんと胸が音を立てたのが自分でもわかった。
黒子から他の人への好意について聞かれるとは思っていなかった。
胸にいつでも宿っている熱。彼等への好意は、今罪悪感となって真司を襲っている。
「…火神君は、…違う、と思う」
「そう、ですか。そうですよね、君には…」
真司の返事に、黒子は一瞬安心したように微笑んで、それから視線を下に移した。
「烏羽君…さすがに少し、辛くなっちゃいました」
「え…」
「ボクが最初に…誰よりも早く君を好きになったのに」
落とされた視線、その足元をくるくると二号が回る。
痛い。痛いのは黒子のはずなのに、ズキズキとどこか真司に痛みが走った。
「待つつもりでした。君を困らせたいわけではなかったので…」
「っ…」
「やっぱり、無理です。君の事が…本当に好きだから」
最後は消えてしまうのではないかと思う程に微かな声だった。
腰をかがめて二号を抱き上げる黒子は、自信がなさげに眉を寄せている。
胸に引き寄せるふわふわの毛に顔を寄せて目を閉じて。
そんな黒子に何も言い返せない。
慰める言葉も、黒子が求めるものではない。
「すみません、こんなことを言ってしまって」
「テツ君…」
俯いた黒子の顔は真司からよく見えなかった。
黒子を見上げて尻尾を振る二号は、慰めるかのように舌を出している。
自分が、黒子を抱き締めて慰めてあげられれば良いのに。
そんな資格なんてない。しかし、そんな事を考える自分がいる。
「欲深くなって…駄目ですね…」
「そんな、駄目、じゃ、ないよ。俺だって、ホントはテツ君のこと…っ」
それまで視線を逸らしていた黒子が、その時ようやく顔を上げた。
予期せぬタイミングで目が合って、今度は真司が目を逸らす。
「本当は…なんですか?」
「え…?え、っと…ホントは…?」
自分で咄嗟に口走った言葉。
その先に続く言葉は何だったのか、自分でも分からない。
戸惑ったように目を泳がせる真司に、黒子がふっと笑った。
「烏羽君、少し、近付いてもいいですか」
「え…」
「すみません、失礼します」
静かに二号を地面に降ろして、黒子が真司の顔に手を伸ばす。
ひた、と少し冷たくなった黒子の手が真司の頬に重なった。
「っ…!」
「あの、烏羽君…こっち、向いてもらってもいいですか」
「や、ちょっと待って…」
黒子の声が近い。それでまた高鳴る胸に、吐き気のような苦しさを覚えた。
おかしい。今まで黒子といてこんな風になったことはなかったはずだ。
「烏羽君…嫌だったら突き飛ばして下さい」
「は、え、うわ…」
真司の異変に気付いたのか、恐る恐ると手を伸ばした黒子の手が真司の背中に回された。
人一人通らない道、静かな空気を二人の鼓動だけが包み込む。
とんとんと叩くような音は、むしろ真司の方が早まっていた。
「好きです、烏羽君」
「う、…うん…」
「君の事、好きでいていいんですよね」
「ん…」
耳にふわっとかかった黒子の吐息に、真司の肩がぶるっと震えた。
黒子の背中に手を回すと、同じように小さく震えて、でも少し嬉しそうにふっと笑う。
こんな自分を好きでいてくれる黒子に感謝と罪悪感と、そして愛しさが込み上げていることに、真司自身困惑していた。
・・・
帰宅して、真司はすぐに布団へもぐりこんだ。
顔を見るなり、普段会話も少ない母から「熱があるのか」と問いかけられたのは…たぶん顔が赤かったからだ。
勿論、別に具合は悪くない。
「…熱い…」
枕に顔を押し付けて、脈打ち震える体を押さえる。
散々やらかして、緑間にも心配をかけて。
それから黄瀬のことも好きだと再認識したばかりなのに。
「もうやだ…なんなの俺…っ」
好き、なのかは分からない。
けれど確実に意識している。黒子に対する感情が分からなくなっているのだ。
「…明日から、どうしよう…」
救いなのは、明日は練習が無いということ。練習後にリコの口から聞かされたから間違いない。
本来なら練習が無いにしても自主練をしただろうが、明日は休んでよく考えよう。
なんて…考えて何とかなるなら、こんな事にはならなかったのだろうけど。
「テツ君…」
会いたいのに会いたくない。
体温を思い出してドキドキして、苦しくなっている。
そんな状況でも疲れには勝てない体が憎い。
真司は布団の中で丸くなったまま、自然と眠りに落ちていった。
・・・
結局何を考えることなく眠りについた翌日。
疲れを取る為の休日…のはずが、真司母親によってたたき起こされることとなった。
「あんた、何寝てんの。さっさと起きなさい」
「んー…」
「友達来てるわよ」
「……え?」
ぽかんとして時計を見る。
予定なんて入れていなかったはず。そう思いつつ携帯を見てみればメールの通知が来ている事に気付いた。
昨夜来ていたらしきメール。
そこには『明日ストリートバスケの大会に一緒に行かないか』との旨。
「え…でも、返事なんてしてない…」
「知らないわよ。さっさと顔出して出かけるでも追い返すでもすれば?」
めんどくさそうに顔を歪める母は、真司の友人と初対面を果たしてここにいる。
きっと、朝の整っていない姿は見られたくなかったのだろう。それで少し苛立っていると見える。
「…はぁ」
こんなはずではなかったのに。
カーテンを少し開けて窓の外を確かめる。
家の前には黒子と火神と…その他一年プラス木吉が引率かのように立っていた。
皆で迎えに来てくれたというのか。
「…」
嬉しい、それにバスケをしたいという気持ちも当然ある。
それなのに心配そうに見上げた黒子と目が合った瞬間、真司にまたぞくりと緊張が走った。
さっとカーテンを閉めて、胸を押さえる。
それから悩むことなく階段を駆け下りて玄関に向かっていた。
「お、おはようございます…」
「真司ーって寝巻!?」
咄嗟に反応を示した降旗が、驚いて目を丸くする。
シンプルなスウェットを着こんだ今の姿は恥ずかしいが、もうこうするしかなかった。
「来てもらって申し訳ないん、だけど…その、今日、あまり具合良く無くて…」
「え!?だ、大丈夫なのか!?」
「うん、ただ、今日は、休みたいかなって」
そっか、と残念そうにする降旗の後ろで、火神と黒子の肩が少し揺れたのが分かった。
一方更に後ろにいる木吉は何故だかニコニコと微笑んでいる。
「そうか…まぁ残念だけど、烏羽の可愛い姿見れたし、オレ達は行くか」
「き、木吉先輩…なんか最近吹っ切れてますね」
「ん?」
普段はあまり目立たない降旗の声がよく聞こえる。
火神と黒子がしゃべらないからだろう。
木吉に突っ込んだ降旗は、「じゃあ」と眉を下げてこちらに手を振った。
それに振り返してゆっくりと扉を閉める。
「…はぁ」
申し訳ないことをしてしまった。本当に。
頭の中にぐるぐると後悔が巡って、それを隠すように再び布団に潜り込んだ。
寝てしまえばいい。きっと時間がこの罪悪感を吹き飛ばしてくれる。
そんな都合の良い事を考えて丸くなった真司の横で、携帯がブーっと音を立てた。
「、メール…?」
彼等が立ち去ってから、まだそう時間は経っていない。
それなのに、そこに表示された名前はその中の一人。
「テツ君…」
黒子からのメールに、何度目かになる動機を覚えて眉を寄せる。
それでも細めた目で内容を確認して。
『僕のせいですよね。君の気持ちを考えずに、酷いことをしてしまいました。』
声が聞こえてくるようだった。きっと今、酷く悲しい顔をしているのだろう。
彼のことを知っているからこそ、何となく分かってしまう。
「なんで、そんな優しんだよ…」
酷いことをしているのはどっちだ。
もそりと寝かせていた体を起こして、真司は携帯を脇に置いた。
「今からでも行こう…」
好きだとか嫌いとかはともかく、こうして避けるような事は駄目だ、絶対に。
携帯でとんとんとストリートバスケの大会とやらを検索する。
便利な時代になったものだとしみじみ感じながら、真司は素早く身軽な格好に着替えた。
追いつけなくてもいい。とにかく会ってそれで謝りたい。
散々中学時代に悲しい思いをさせた黒子に、これ以上悲しい顔はしてほしくなかった。