黒バス(2012.10~2017.12)
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もそもそと布団を出た頃にはもう朝食の時間で、真司は十分に身支度出来ないうちに食堂へ移動した。
布団から這い出た時も食堂で席についた時も、黒子は真司を心配そうに見ていた。
その視線に気付かないふりをするのはなかなか至難の業だったが、「普段の三倍は食え」という先輩命令にそれどころでは無くなったのは真司だけでなく。
「う…すみません、ちょっとトイレに…」
「黒子ー、吐いたらもう一杯追加な」
食事を始めてから十数分。誰よりも小食である黒子が席を立った時には、他の皆もかなりギブアップ状態で。
いつもなら、そんな黒子を追いかけて支えてやるくらいしたのかもしれない。
しかし、真司は席から動かずにもくもくと箸を動かしていた。
それは減らない食事と格闘していたから、だけではない。
(テツ君との関係が変わるのは嫌だ…)
既にかなり腹が膨れた状態でありながら、ぱくりとご飯を口に運ぶ。
“関係が変わる”とは何を以ていうのか、定義も分からないのに。ただ、今のような状態が続くのは嫌だと思う。
それでも、今は黒子を意識してしまうのを自らの意志では止められなかった。
「…」
「烏羽、お前具合悪いんじゃない?大丈夫?」
「え、あー…大丈夫じゃないけど、大丈夫…」
「何それ、ホントに平気?」
朝っぱらから真司の不可解な行動を見た降旗は、真司を覗き込んで不思議そうにしていたが、それに対して真司が何か告げられるはずもない。
笑って誤魔化していると、タイミングよく日向がぱんぱんと手を打った。
「10時には移動すっからな、さっさと食って腹落ち着かせとけよ」
日向の言葉に、降旗が「無茶だ…」と誰もが思った本音をぽつりと漏らす。
同じ量を食べているはずだが二年生達は既に慣れた量らしい。
辛い顔をして食べているのは一年生ばかりだった。
その後、辛そうにしていた黒子がどうやって完食したのかはよく知らない。
余裕そうにおかわりしていた火神はさておき、皆何とか食事を終えると、軽く休んですぐに昨日と同じ砂浜に移動することとなった。
・・・
練習内容も同じ、砂浜に足を取られながらのバスケ。
太陽に照らされる中、拭いきれない汗は砂浜に落ちて、彼等の体力を奪った。
それだって昨日と同じ状況だ。暑い中の練習がいかにキツイかなど分かっていたのに。
「はぁ…、は…」
真司は、明らかに嘗てない程の疲労に息を上げていた。
黒子のこと、日向のこと、そして緑間の存在。思う事が有り過ぎて集中出来ない体に、無理矢理ムチ打って練習に励む。
そうでもしないと、まともに練習出来るような状態ではなかったから。
「ちょっと烏羽君、大丈夫?」
「だ…だいじょぶ、です」
「大丈夫じゃないわよ、とばしすぎ!」
ちゃんと水分とりなさい、そう言われて差し出されたペットボトルを受け取る。
様子をうかがうように周りを見れば、自分より遥かに体力の無い黒子が心配そうにこちらを見ていた。
(また…心配かけてる)
あんな事があって気にしているのは真司だけでないのだろう。
黒子だって、当然思う事はあるはずだ。
それなのに、食事の時真司は黒子を心配することが出来なかった。
同じ思いであるはずなのに、こんなにも弱い自分に嫌気がさす。
「烏羽君、何か別の事考えてない?」
「え…?」
「必死に練習してるみたいだけど、それでも心ここにあらずって感じ。やる気あるんだか無いんだか」
「す…すみません…」
リコの言う通りだ。これではバスケ合宿としてメニューやら何やら考えてくれているリコにも失礼だ。
(全部全部分かってるのに…)
分かっていても、頭は余計な事を考えるのを止めない。だから、いつも以上にバスケをして考えないようにするしかなくて。
「もう、大丈夫です、から」
「嘘。ちょっと休みなさい」
「でも…」
「ふらふらしながら何言ってんの!」
ぱしっと背中を叩かれる。
その平手打ちは、女性にしては強いのかしれないが、破壊力まで秘めているものではなかった。
しかし、ふらりと傾いた真司の体は言う事を聞かずにそのまま砂浜にダイブして。
どさりとそこに倒れていた。
「え、ちょ、ちょっと烏羽君!?」
「…」
「烏羽君!?ちょ、え!?て、鉄平来て!日向君も!」
手に力が入らない。水分を補給したのに喉が乾いて言葉も出ない。
真司はリコの高い声を聞きながら、重たい瞼を閉じた。
・・・
・・
ここ最近、些細な事ですら体が熱くなるという事が増えた。
それは中学時代に積み重ねた、幼さと知識の無さ故に起こした間違いの数々のせいだ。
それが分かっているからこそ、もう過ちは繰り返したくない。
しかしそう思う意思は弱く、体の方は欲深くなっていくばかり。
それが原因となったのかはよく分からない。
日向の思いを断れなかったのは、少なくともそのせいだろう。
火神や黒子の告白は…未だに謎ばかりだ。
「ぅ…」
ぼんやりとした頭で、何が起こったのか記憶を探る。
確か、倒れたんだ。余計な事を考えないように、ひたすら練習に取り組もうとして。
「…っ」
思い出すと恥ずかしい事ばかりだ。
ズキリと頭が痛み、真司は少しだけ身じろぎしてからゆっくりと目を開き、恐る恐る辺りを見渡した。
まだ見慣れていない、昨夜眠った一年生の部屋だ。
誰かがここまで運んできてくれたのだろう。二年生の誰かか、火神か。
「起きたか」
そういえば手が握られている。ずしりと重い手は包み込むように大きく暖かい。
耳に馴染むその声に、真司は手の先に視線を移動させた。
「…緑間君?」
「他に…誰に見えるのだよ」
「見えない、緑間君だ」
何度瞬きしても変わらない。
そこにいる緑間が真司を見下ろしている。
真司は覚醒しきっていないのと困惑とで言葉を失ってしまった。
こんな所で、緑間と二人きりになっている状況がよく分からない。
「…全く、お前は何をしているのだよ」
「い、や…緑間君こそ何してんの…?」
「ちゃんとそちらの監督に許可をとって来たのだよ。気にするな」
気にするな、と言われても。
真司は念の為他に誰もいない事を確認してから、緑間に視線を戻した。
冷ややかな目を向けられている。「馬鹿め」とでも言いたげな顔だ。
「体力が自慢なお前が、黒子よりも先に倒れてどうする」
「…うん」
「何があった」
「え…?」
「今朝から、お前は何か変なのだよ」
緑間の低い声が、一段と低く感じる。
今朝と言われて思い出す事は、水道付近で会った時の事だ。
心当たりが余りにも早く浮かんで、真司は思わず口を噤んだ。
「黒子か。それとも誠凛の奴等か」
「ま…」
「今朝、お前は自分がどんな顔をしていたか気付いていないのか。この馬鹿が」
想像通りの「馬鹿」にさすがに少し落ち込みながら、真司は自分の頬をつねった。どんな顔なんて言われたって、そんな事分かるはず無い。
しかし、きっと酷い顔をしていたのだろう。
そう思うとやはり罪悪感が募って、真司は緑間の手をぎゅっと握りしめた。
「ごめん…。俺、最近おかしいんだ」
「おかしい?」
「熱くなって、どうしたらいいか分からなくなって」
誰彼構わず、というわけではない。
それでも昨夜日向にしがみ付いてしまったのは、そういう事なのだろう。
好きな相手でなくても出来てしまう。
「何故オレを呼ばないのだよ」
「よ…呼べないよ」
「強がって他の奴等にそんな顔を向けていたら元の子もないだろう」
「…」
今キセキの世代の中で一番近いところにいるのは、恐らく緑間だ。
黄瀬とは物理的な距離の為にあまり会えていない。だから、緑間を呼べというのか。
真司は暫く考えて、ふともう一人近くにいる事に気が付いた。
「テツ君は…?」
「何?」
「他の皆は駄目…で、その中にテツ君は入るの…?」
「お前は、何を言っているのだよ」
厳密に言えば黒子は“キセキの世代”とは違う。それでも、そこに誰よりも近い人間だ。
しかし、やはり緑間は怪訝そうに目を細め、真司から視線を逸らした。
「お前は、黒子に惚れたのか」
「え…」
「はぁ。お前は何か間違った事を考えているようだな」
緑間のため息にズキリと胸が痛む。
呆れられても仕方がない。確かに、先程から言っている事が何もまとまっていないのだ。
体の疲労のせいで、頭がまともに回っていないせいもあるのだろうが。
「緑間君…、俺」
「少し黙れ」
「っ、で、でも」
「黙れ」
強い口調にびくりと体が震える。
そういえば倒れた原因はなんだったのだろう。ただの疲労か熱中症か。
一瞬くらりと視界がぶれたように感じて、咄嗟に緑間へ手を伸ばす。
しかしその手は伸ばしきる前に緑間に掴まれ、そのまま布団に押し付けられていた。
「…!」
え、と出るはずだった声は暖かい感触の中に溶けて消える。
確認するまでもない、それは緑間からの口付けだった。
閉じ損ねた目に緑間の長い睫毛が映っている。
優しく重ねられた唇は、触れて、軽く啄んでから離れた。
「お前をこんな風にしたのは確かにオレ達なのだろうが…少なくともオレは、自分の欲を処理する為だけにお前を、…抱いたりはしていない」
「え、え…?」
「あ、愛しているから…お前のいろんな姿を見たいと思った」
余りにも近い距離にある緑間の顔が、真司以上に赤くなっている。
吐かれる息も熱くて、握る手は微かに震えていて。緊張が痛い程に伝わってくる。
「今のお前は、ただ自分の欲を何とかしたいだけに見える」
「…っ!」
「誰でも良い…そう思っているのだろう。違うか」
「…、…」
反論しようとして開いた口は、何も言えずに閉ざされた。
日向に触られた時求めそうになったのは、緑間が言う事が正しいからだろう。
「お前がそんな顔をしていたら…お前に思いを寄せる相手は付け込むだろうな」
「そ、…」
「オレなら、今のお前を抱こうとは思わない」
ぐさぐさと緑間の言葉が刺さる。
中学の時だって、緑間がこんなにも胸の内を晒してくれることは無かった。
だからこそ、受け止めなければいけない。こんなにも思ってくれた事を喜ばなければいけない。
そんな思いとは裏腹に、真司の頬に一筋の涙がつたっていた。
「ご、め…っ、俺…」
「な、何故泣くのだよ…!」
「おねが…、きら、いに…嫌いにならないで…」
「お、お前は人の話を聞いていないのか!そういうこっちゃないのだよ…!」
焦ったように声を少し張った緑間は、暫くわたわたと手を動かしてからその手を真司の頬に当てた。
零れた涙をすくうように跡を追って目尻に触れる、その手付きが余りに優しくて。
「忘れてた…、こんなに、緑間君が好きって…」
「な…!」
「有難う、緑間君…」
この思いは緑間だから感じる特別なモノ。会う度に感じていたはずだったのに、どうして忘れていたのだろう。
ぼやけた視界に、照れ臭そうに眼鏡を上げる緑間が映る。
思考が麻痺していたのが救いか、自分がどれだけ恥ずかしい事を言ったのか気付くことなく、真司は緑間の手のひらに口付けを落とした。
「烏羽…」
「あ…でも、緑間君もいけないんだからな」
「何がなのだよ」
「…分かってくれないから」
何を、と言いたげな目が真司を見下ろしている。
緑間のバスケは、恐らくまだ黒子が思うものと異なっている。そして、それは自覚して、自ら変わってくれないといけないもの。
だから、真司は緑間から目を逸らした。
「…最後に一つ忠告しておく」
はぁ、とため息の後。“最後”という単語に少し寂しさを感じながら、真司は目だけを緑間に向けた。
「お前はまた綺麗になった」
「は…?」
「何があったか知らないが、誰彼構わず手を伸ばすなよ」
緑間はそれだけ言うと、すっと何事もなかったかのように立ち上がった。
真司から足音が遠ざかっていく。
次に聞こえてきたのはぱたんという扉が開き、そして閉まった音。
「な、に…なんだよ…」
唇が震える。
真司は暫く口を開けたまま茫然として、それから大げさにばふんと枕に顔を押し付けた。
顔が熱い。心臓がばくばくと煩い。
「~~~っ」
ぐりぐりと顔を押し付けながら足をばたばたと上げ下げ繰り返す。
本当なら声を上げてごろごろと転がり回ってしまいたい、それくらい妙な感情に襲われていた。
“綺麗”だなんて、しかも不意打ちで。
「ていうか、緑間君のが綺麗だっつーの…」
真司はぎゅっと枕を抱き締めて、うーっと意味も無く声を漏らした。
駄目だこんなの、もっと好きになっていく。そんな事考えるからもっと好きになる。
未だ震えていた唇を閉じて、真司は目を閉じた。
今が何時かも、皆がどうしているかも確認する気になれなかった。
・・・
たったと足音を鳴らして歩く。
図らずも誠凛と合同で練習することになって、今日は練習試合もさせてもらった。
悪くない一日だったが、でもそこに真司がいなくて。黒子に聞いてみたところ、海での練習中に倒れたんだとか。
「ま、元気そーで良かったけど」
ぽつりと呟いて足を止める。
気になっている子が倒れたと聞けば、そりゃあ様子を見に行くだろう。ついでに寝顔でも見れればいいなーなんて期待しながら。
「はーあ」
「高尾君、独り言はやめた方がいいですよ」
「黒子じゃん、おっすー」
軽く手を上げて、いつからそこにいたのか黒子に笑いかける。
黒子は相変わらず何を考えているのか分からない顔で、高尾をじっと見ていた。
「なぁ、黒子はどう思ってるわけ?」
「何がですか」
「真ちゃんと真司の事。ほんっと…あんなんアリかよ…」
「何か見ちゃったんですか。かわいそうですね」
黒子の冷たい台詞など、今はどうでも良かった。
薄く開いた扉の隙間から聞こえた、聞いた事のない緑間の優しい声。
そして、真っ直ぐに向けられていた真司から緑間への好意。
「黒子だって真司が好きなんじゃねーの?って…真司モテ過ぎじゃね?」
今更な事に気付き、高尾は小さく首を捻った。
確かに顔はかなり綺麗だが、それだけなのだろうか。
黒子からの言葉を待って、珍しく高尾が口を噤む。
そんな空気を察したのか、暫くの沈黙の後、黒子が口を開いた。
「…烏羽君は元々、人より少し綺麗な顔をした、笑顔の素敵な勉強の出来る男の子でした」
「何、どういう事?」
「それがバスケ部に入って変わりました」
思い出しながら語る黒子の目線は高尾から外れている。
声が少し重く聞こえるのは、黒子にとってあまり良い思い出ではないからか。
「変わった?何がどう…」
「何か、と明言は出来ないのですが…それまでよりも素敵な人になりました」
「はぁ…?」
「恋をして綺麗になるのは女性だけでは無いという事でしょう」
黒子は泣くのではないかと心配になる程、眉を下げていた。
さり気なく高尾にとっても切なくなる事を言われたが、それよりも黒子の見たことのない顔の方が気になって。
心配になり覗き込めば、思いの外黒子はすぐにいつもの顔に戻って、そしてすっと息を吸い込み口を開いた。
「緑間君じゃありません。烏羽君が初めて好きになった人…それが烏羽君の心を掴んでいる人です」
「ちょ、ちょっと待って、よく分かんねーんだけど…」
「つまり、烏羽君と恋愛をしたいなら覚悟した方がいいという事です」
他人事のように話す。
そんな黒子を不思議に思い、高尾は鋭い目を一層細めて黒子に人差し指を突き付けた。
「黒子はどーなんだよ」
「ボクは覚悟しました。だからちゃんと気持ちも伝えました」
「ま、まじかよ…で、真司は何て…?」
「聞かないで下さい」
しゅん、と再び目を下げたあたり、返事は余り良いものではなかったのだろう。
高尾は額に手を置いて大げさにため息を吐くと、心とは裏腹にニッと笑った。
「面白いじゃん」
「面白くはないです」
「なんつーの、逆境こそ燃える、的な?」
本当は、まだ本気で真司を好きなのか自分でも分かっていなかった。
しかし、緑間と真司の様子を部屋の外から見聞きしてしまって、動揺したのは事実。
そして何より、真司の一番可愛い姿を見たいと思ったのだ。緑間に向けているような姿を。
「話、聞かせてくれてサンキュー」
「いえ」
「おっやすみー!」
ぶんぶんと手を振って秀徳の宿泊している部屋の方へ戻って行く。
そんな高尾を目で追ってから、黒子も踵を返す。
今更、真司の部屋には行けなかった。
チュンチュンと朝特有の鳥の声に耳を傾け、真司は頭を拭いていたタオルから手を放した。
結局昨日もまたぐっすりと眠ってしまい、今度は風呂の為に起きることも出来なかった。というより、真司も体調を心配して誰も起こさなかった。おかげで目覚めは良く、気分も良い。
おかげで朝っぱらからお風呂場を借りることになってしまったが、それはそれで気持ちも良くて。
「ふー…」
息を吐き出して鏡の中の自分を見つめる。
昨日どんな顔をしていたか分からないが、今は余り変ではない、と思う。
「今日は、しっかりしないとな」
せっかく秀徳と練習出来るのだから、こんな機会を無駄にするわけにはいかない。
昨日寝てた分も頑張らなくては。そんな思いからパチンと自分で自分の頬を打つ。
それからもう一度髪を拭いてタオルを首にかけると、真司はがららと風呂場の扉を開けた。
「あ…」
そんな抜けたような声は、二つ重なっていた。
「日向先輩、おはようございます」
「おー。体は大丈夫か?」
「はい、あの、迷惑をかけてしまい…すみませんでした」
いいよと笑う日向とは、あれから二人きりで話す事はなかった。
避けていたわけではなく、自然に。だからか、ちゃんと話せている事に安心して、でもこのまま何事も無かったあのようにするのもどうなのだろう。
「あ…あの、日向先輩」
ああ、口を開いてしまった。
それでも、緑間と話した真司の中に答えは一つ出ていた。だから、それは伝えなければならない。
「一昨日の夜の事…日向先輩を巻き込んで、すみませんでした」
「っ、や…あれは全面的にオレが悪い。それに、昨日体調崩したのも…あれのせい、とか」
「それは…ち、違うとは言いきれないですが…」
「悪ィ。調子にのった」
日向は優しい人だ。だからこそ申し訳なくて、真司は日向の謝罪に対し首を横に振った。
「俺、欲求不満だったんです。だから、日向先輩に触られるの全然嫌じゃなくて」
「ちょ…!」
日向は咄嗟に左右を見回して、真司に向き直ると人差し指を立てた。
やはり日向は普通の人だ、男同士というのが間違っている事くらい自覚している。
「日向先輩、ごめんなさい」
「いやだから謝んなくていいって…」
「日向先輩の気持ちには、やっぱり答えられないです」
「あ、ああ…そっち」
しっかり言葉にして、頭を下げて。
気持ちは本当に嬉しいのだ。しかし、だからといってその気持ちに付け込むような事はしてはいけない。
日向をこれ以上引きずり込むような事は。
「分かってるよ。つか、お前が青峰を好きってのは知ってた事だし」
「…青峰君、もです」
「は?」
「青峰君の事も好きです。俺、一人じゃないんです、好きな人、一人に絞れないんです」
誰が一番、と問われても今ははっきりと答えられないだろう。
緑間が好きだ。黄瀬だって忘れていない。青峰も手に入れたくて、会いたい人ももっといる。
そんな男、止めた方がいい。そう思って告げた言葉だったのに、日向は目を細めて笑っていた。
「その中にも入れねーのか、オレは」
「え…!?」
「いっぱいでもいいよ。お前の特別になれる奴は幸せだな」
「…そんな事ないですよ」
どうしてそんなにも。
真司の思いに反して、日向の手は優しく真司の頭を撫でた。
罪悪感が募るのに、日向は真司に謝らせてはくれないのだろう。
「日向先輩…」
「ん?」
「気持ち、すごく嬉しかったです…。有難う、ございました…」
「おいおい、終わりみたいな言い方するなって。諦めてやる気はねーからな」
「…は、い」
優しさが胸に突き刺さって、泣きそうになるのを耐えた。
泣きたいのは自分じゃない。
「今日は、練習、ちゃんと頑張りますね」
「頼むぞ」
シンプルな会話で幕を閉じる。
そうする事で、今日この後いつも通りでいられるように。日向とぎこちなくならないように。
・・・
それからというと。メニューに大きな変動はなく、砂浜での練習からの体育館練習。
秀徳との試合は火神と先日倒れたばかりの真司は出してもらえず、負けてしまったが良い試合を繰り広げ。
そんなこんなで特に大きな問題が起こる事も無く、無事に合宿最後の夜をむかえていた。
「はー…試合したかったなぁ」
ぽつりと呟く声は木々のざわめきの中に消えていく。
お風呂も上がって、後は布団に入って眠るだけ。その前に宿舎の外に出たのは、何となく退屈を紛らわせる為だ。
決して、余計な事を考えるからとか、そういう事ではない。ないはず。
「…」
火神や黒子にもちゃんと返事をしなければならないのだろうか。
という、やはり消す事は出来ない迷いがあるのは確かだ。
けれどそれを顔や態度に出してしまう事で誰かに迷惑をかけるなら…それさえ抑え込まなければいけない。
真司は足元に落ちていた小石を蹴飛ばして、ふっと息を吐き出した。
「おっ?もしかして真司?」
「え…」
小石が転がって消えた視界の先から声が聞こえる。
声から誰かは予想出来ていながら、真司は顔を上げてその人物を確認した。
「高尾君」
「奇遇じゃん。どーした?」
「あ、ううん、別に。ちょっと眠くなるまでぶらぶらしよっかなって」
「おっまえ倒れたんだろ?ちゃんと寝た方がいーんじゃねーの?」
ちなみにオレはコンビニ行ってきた、と腕に下げた袋をがさがさと揺らす。
ちゃぷんと水の音が聞こえたのは、既に買ってから飲んだペットボトルが入っているからだろう。
「ちょっと頑張りすぎただけだし、もう大丈夫なんだけどな」
「そーなん?ならいーけど…」
唇を尖らせている高尾は、余り納得していないように見える。
実際のところ、リコに一応病院に行けだとか、すぐ帰るかとか言われる程度に真司のコンディションは良くないのだが。
今回の合宿は失敗だらけだ…なんて思い俯いた真司は、高尾の後ろから聞こえて来たガシャンという音ですぐに顔を上げることとなった。
「わ、何?」
「見に行ってみよーぜ」
ぎゅっと真司の手を握り、高尾は来た道を戻って行く。
余りにも自然な流れに逆らう気も起こらず、真司は高尾に連れられ先にある駐車場まで移動した。
駐車場とはいえ、合宿に来てから一度も車が止まっているところは見ていない。
だからか、そこに砂浜でのバスケに使うゴールを置いていて、そしてそれでバスケをしている人がいたようだ。
まぁ、合宿で散々バスケをした後にも関わらず自主練するような、そんなバスケ好きは大体想像つく。
『火神じゃん…っと、そっちの女監督も』
ぼそりと高尾が体を小さくして呟く。
何を思ったか、茂みに隠れる高尾に合わせて真司も体を縮めた。
『なんで隠れるの』
『や、なんとなく?スパイみたいに思われてもヤだし』
そんな事思わないのに。と思った真司は、何気なくバスケのゴールを見上げて口をぽかんと開いた。
どうやらリコは火神のジャンプ力に関して何か試しているらしい。
火神にジャンプさせてゴールに触れさせる。汚れたゴールの板にはくっきりと火神の手の跡が付いているのだが、その位置はリングの更に上。
『すっげぇ跳躍力…リング余裕で超えてんじゃん』
『う、うん…びっくりした』
「ちょっと火神君、逆で跳んでみて」
辛うじて聞き取れたリコの言葉は咄嗟には理解出来ないもので。
高尾と顔を見合わせ首を傾げると、チャリンと高尾のポケットに入っていた小銭が散らばった。
『…っとヤベ』
それを拾う高尾を横目に、火神の様子を窺う。
すると、その“逆で跳んだ”らしい火神の体が宙に浮いていて。
『…!?』
その尋常じゃない高さに驚いたのは言うまでもなく。
バンッという激しい音とともに傾いたゴールは高尾の上に迫ってきていて、真司は咄嗟に高尾の腕を思い切り引いていた。
「おわっ!?」
驚き上げられた高尾の声は、その真横に倒れてきたゴールが地面に打ち付けられた音によってかき消される。
真司は思いの外強く引き過ぎたせいで倒れ打った頭を擦りつつ、さっきまで高尾のいた位置を見て流れた冷や汗を拭った。
『あぶなかった…高尾君、大丈夫?』
『お、おー…チョーびっくりしたけど』
胸の上にある高尾の顔が上がらない事に不安を覚え、とんとんと肩を叩く。
『高尾君?』
『お前、いい匂いするよな』
「え」
思わず普通に声が出てしまい、口を押さえる。
話をしていたリコと火神には聞こえていなかったようだ、ってなんでこんなに隠れているかは相変わらず謎である。
『風呂、出たばっかだから…』
『いや、そーいうんじゃねーんだよな…。何だろ…甘い匂い』
『…、』
すんっとあからさまに鼻を吸われ、真司の足がびくりと震えた。
その足も、今は高尾の足と絡まっていて、何が何だか分からないことになっている。
(あれ、そういえば高尾君って…俺の事、どう…?)
ふと考え今の状況に焦り出してももう遅くて。
体をなぞった高尾の手にぶるりと体が震えた。
「あの、何なんですかこの状況は」
上から注がれた声に、更に真司の胸はばくんと鳴って。
無理やり高尾を退かすと真司は上半身をがばっと起き上らせた。
『て、テツ君…!』
『声は抑えた方が良いですか』
『ってぇ~~…真司、乱暴ー』
転がった高尾は地面でくるりと一周まわって真司の横に起き上る。
すると、その高尾の目には火神ともう一人こちらに来る人影を捕らえたようで、再び人差し指を立てると今度は黒子を巻き込み小さくなった。
『黒子も頭下げろ!』
怪訝そうに眉を寄せた黒子は先程の真司と高尾の状況をどう思ったのか。
それを追及する間も無く、真司達の目に緑間の姿が映った。
「…んだよ」
「用など無い、ただ飲み物を買いに出ただけなのだよ」
火神と緑間のやり取りは、既に緊迫感漂っている。
しかしそれにさえ吹き出しそうになっている高尾を見るに、緑間の飲み物を買いに来ただけというのは単なる“ツン”なのだろう。
「まったく、お前には絶望したのだよ。まさか空中戦なら勝てる、などと思っていないだろうな」
「ああ!?」
「高くなっただけでは結果は変わらないのだよ」
緑間は火神の今後の課題が分かっているらしい。
ということはリコと火神の会話も聞いていたのか、それとも自ら気付いたのか。
どちらによ、やっぱりツンデレじゃないか。
なんてことを考え笑いそうになり、真司も頬を膨らませた。
「来い、その安直な結論を正してやる」
珍しく緑間から攻撃を仕掛けて、それに火神が乗る。
火神が攻撃で緑間が守るというシンプルな10本勝負だ。
さすがに緑間がキセキの世代だとはいえ、火神ならそれなりに良い勝負になるのでは。
そんな真司の予想は大いに外れることとなった。
『なんか…火神君調子悪い…?じゃなくて緑間君ってこんな凄かったっけ…』
暫く見ていて抱いた感想が真司の口から漏れる。
先程見ていた通りだ、火神のジャンプ力はかなりのものなのに、火神のボールは全くゴールへ届かない。
『緑間がディフェンスすげーのは知ってるけど…空中戦得意な火神をこんなに抑えんのか…』
高尾も同じように思ったらしい、こくりと頷きながらそう言うから思わず視線を合わせる。
ばっちりと至近距離で目が合えば再び恥ずかしさが戻ってきて、すぐに目を逸らしたが。
(…やっぱり、緑間君ってすごいんだな)
目の前で繰り広げられる激しい攻防に目を奪われる。
勿論火神の跳躍力はさすがだが、それ以上に。認めたくないような気もするが、改めてこうじっくりと見ると格好良い。
ばしっと緑間が火神からボールを弾き、汗が飛び散る。
二人の呼吸だけが聞こえる空間。それを先に壊したのは緑間だった。
「…やめだ。このままでは何本やっても同じなのだよ」
「なっ!テメ…!」
「いいかげん気付けバカめ。どれだけ高く跳ぼうか関係ないのだよ、必ずダンクがくると分かっているのだから」
火神がハッとしたように目を見開く。
緑間はそんな火神を見ることなく、こちらに向かって歩いて来た。目も完全に隠れているはずの真司達に向いている。
「行くぞ高尾」
「あり?ばれてた?」
横目で見下ろすだけ、それだけで緑間が通り過ぎていく。
高尾は慌てて立ち上がると、真司に笑顔で手を振り緑間について行った。
「ウィンターカップでガッカリさせるなよ」
去り際に放たれた緑間の言葉に黒子は小さく「はい」と返して。真司はごくりと唾を飲む。
今回の合宿でそれぞれ課題は見つかった。後はいかにそれまでレベルアップ出来るか、だ。
「くっそー!真ちゃんには負けねぇ!!」
何故か的外れな声が高尾から聞こえて来たが、真司は黒子と目を合わせて力強く頷いた。
次も負けない、そんな気持ちを抱きながら。
・・・
朝。
ようやく合宿が終わったという気持ちから、全員どことなく疲れ切ったような穏やかなような表情をしている。
黒子と火神は昨夜あの後二人で何か話したようで、スッキリしているようにも見えた。
「よーし全員いるな!」
荷物を抱えて、帰る準備は万端。
宿舎から出たメンバーは全員しっかりと宿舎の方へ体を向け、一斉に頭を下げた。
「ありがとうございました!」
大きな声が青空の下響き渡る。
辛い合宿だったが、辛かった分達成感も大きい。
それぞれ溜め息を吐いたり逆に息を吸い込んだりしながら帰路を行こうとしたところ、リコが「ちょっと」と叫んだ。
「どこ行くつもり?」
「え?駅だけど」
「もー、何の為にここで合宿したと思ってんの?今年はここで開催でしょーが!」
皆一瞬茫然として、それからいち早く伊月が何か気付いたように携帯を開いた。
「今日は準々決勝か…どことどこだ?」
そして皆思い出したかのようにはっとする。場所までは確認していなかったが、どうやら全国大会がこの辺りで行われているようだ。
そして携帯の画面を確認した伊月と、そして脇から覗き込んだ皆と、全員が目を見開いた。
「嘘だろ…!?」
「桐皇と、海常…!?」
キセキの世代、青峰と黄瀬の対決だ。
それは見ないわけにいかない、誰もが注目する対戦となるだろう。
真司も楽しみやら緊張やらで口元に笑みが浮かんでいる。
しかしそれを見たリコは、真司の肩をとんと叩いた。
「烏羽君」
「はい?」
「あんたとりあえず病院」
「へ…?」
「念の為、看てもらいなさい。それから合流、おっけ?」
真司は暫くリコの言っている事を理解出来ずに茫然としてしまった。
ここまで合宿を乗り切らせておいて、このタイミングで病院とは。
「…意味、あります?」
「大ありよ!病院行けば倒れた原因とか、今後の対応策も教えてもらえるから」
「えー…俺も皆と行きたい」
「体調管理出来ない自分が悪いの!分かったら病院!ゴー!」
とんっと背中を押されて振り返る。
なんだろうこの疎外感。誰もついて来よう、とかそういう優しさは無いのかな。という思いを込めて見つめてみるも、桐皇対海常の前では皆の心もそちらに傾くようだ。
「うー…意地悪ですよ!」
「烏羽君思っての事でしょ!」
「…、…病院どこにあるんですかぁ…一人にしないで下さいよ…」
地元じゃない心細さ故に、本当に寂しくなって眉を下げる。
しかし、リコは指をびっと真っ直ぐ向けた。
「近くにあるのよ」
「リコ先輩…」
「行ってらっしゃい。ほら、早く」
「…」
ちらと黒子に目を向けてみるも「頑張って下さい」という思いが目から読み取れる。
それはそうだろう。目の前の誘惑があまりにも大きすぎる。
「…、…っ!い、行ってきます!」
そうと決まれば、少しでも早く済ませるのが吉。
真司は後ろ髪引かれる思いを呑み込んで、皆に背を向け走り出した。
青峰と黄瀬。
彼等の試合はかなり見たい。どちらが勝つのか、純粋な興味が大きい。
それなのに、ちらつく「会いたい」という思いはやはり拭う事が出来なかった。
布団から這い出た時も食堂で席についた時も、黒子は真司を心配そうに見ていた。
その視線に気付かないふりをするのはなかなか至難の業だったが、「普段の三倍は食え」という先輩命令にそれどころでは無くなったのは真司だけでなく。
「う…すみません、ちょっとトイレに…」
「黒子ー、吐いたらもう一杯追加な」
食事を始めてから十数分。誰よりも小食である黒子が席を立った時には、他の皆もかなりギブアップ状態で。
いつもなら、そんな黒子を追いかけて支えてやるくらいしたのかもしれない。
しかし、真司は席から動かずにもくもくと箸を動かしていた。
それは減らない食事と格闘していたから、だけではない。
(テツ君との関係が変わるのは嫌だ…)
既にかなり腹が膨れた状態でありながら、ぱくりとご飯を口に運ぶ。
“関係が変わる”とは何を以ていうのか、定義も分からないのに。ただ、今のような状態が続くのは嫌だと思う。
それでも、今は黒子を意識してしまうのを自らの意志では止められなかった。
「…」
「烏羽、お前具合悪いんじゃない?大丈夫?」
「え、あー…大丈夫じゃないけど、大丈夫…」
「何それ、ホントに平気?」
朝っぱらから真司の不可解な行動を見た降旗は、真司を覗き込んで不思議そうにしていたが、それに対して真司が何か告げられるはずもない。
笑って誤魔化していると、タイミングよく日向がぱんぱんと手を打った。
「10時には移動すっからな、さっさと食って腹落ち着かせとけよ」
日向の言葉に、降旗が「無茶だ…」と誰もが思った本音をぽつりと漏らす。
同じ量を食べているはずだが二年生達は既に慣れた量らしい。
辛い顔をして食べているのは一年生ばかりだった。
その後、辛そうにしていた黒子がどうやって完食したのかはよく知らない。
余裕そうにおかわりしていた火神はさておき、皆何とか食事を終えると、軽く休んですぐに昨日と同じ砂浜に移動することとなった。
・・・
練習内容も同じ、砂浜に足を取られながらのバスケ。
太陽に照らされる中、拭いきれない汗は砂浜に落ちて、彼等の体力を奪った。
それだって昨日と同じ状況だ。暑い中の練習がいかにキツイかなど分かっていたのに。
「はぁ…、は…」
真司は、明らかに嘗てない程の疲労に息を上げていた。
黒子のこと、日向のこと、そして緑間の存在。思う事が有り過ぎて集中出来ない体に、無理矢理ムチ打って練習に励む。
そうでもしないと、まともに練習出来るような状態ではなかったから。
「ちょっと烏羽君、大丈夫?」
「だ…だいじょぶ、です」
「大丈夫じゃないわよ、とばしすぎ!」
ちゃんと水分とりなさい、そう言われて差し出されたペットボトルを受け取る。
様子をうかがうように周りを見れば、自分より遥かに体力の無い黒子が心配そうにこちらを見ていた。
(また…心配かけてる)
あんな事があって気にしているのは真司だけでないのだろう。
黒子だって、当然思う事はあるはずだ。
それなのに、食事の時真司は黒子を心配することが出来なかった。
同じ思いであるはずなのに、こんなにも弱い自分に嫌気がさす。
「烏羽君、何か別の事考えてない?」
「え…?」
「必死に練習してるみたいだけど、それでも心ここにあらずって感じ。やる気あるんだか無いんだか」
「す…すみません…」
リコの言う通りだ。これではバスケ合宿としてメニューやら何やら考えてくれているリコにも失礼だ。
(全部全部分かってるのに…)
分かっていても、頭は余計な事を考えるのを止めない。だから、いつも以上にバスケをして考えないようにするしかなくて。
「もう、大丈夫です、から」
「嘘。ちょっと休みなさい」
「でも…」
「ふらふらしながら何言ってんの!」
ぱしっと背中を叩かれる。
その平手打ちは、女性にしては強いのかしれないが、破壊力まで秘めているものではなかった。
しかし、ふらりと傾いた真司の体は言う事を聞かずにそのまま砂浜にダイブして。
どさりとそこに倒れていた。
「え、ちょ、ちょっと烏羽君!?」
「…」
「烏羽君!?ちょ、え!?て、鉄平来て!日向君も!」
手に力が入らない。水分を補給したのに喉が乾いて言葉も出ない。
真司はリコの高い声を聞きながら、重たい瞼を閉じた。
・・・
・・
ここ最近、些細な事ですら体が熱くなるという事が増えた。
それは中学時代に積み重ねた、幼さと知識の無さ故に起こした間違いの数々のせいだ。
それが分かっているからこそ、もう過ちは繰り返したくない。
しかしそう思う意思は弱く、体の方は欲深くなっていくばかり。
それが原因となったのかはよく分からない。
日向の思いを断れなかったのは、少なくともそのせいだろう。
火神や黒子の告白は…未だに謎ばかりだ。
「ぅ…」
ぼんやりとした頭で、何が起こったのか記憶を探る。
確か、倒れたんだ。余計な事を考えないように、ひたすら練習に取り組もうとして。
「…っ」
思い出すと恥ずかしい事ばかりだ。
ズキリと頭が痛み、真司は少しだけ身じろぎしてからゆっくりと目を開き、恐る恐る辺りを見渡した。
まだ見慣れていない、昨夜眠った一年生の部屋だ。
誰かがここまで運んできてくれたのだろう。二年生の誰かか、火神か。
「起きたか」
そういえば手が握られている。ずしりと重い手は包み込むように大きく暖かい。
耳に馴染むその声に、真司は手の先に視線を移動させた。
「…緑間君?」
「他に…誰に見えるのだよ」
「見えない、緑間君だ」
何度瞬きしても変わらない。
そこにいる緑間が真司を見下ろしている。
真司は覚醒しきっていないのと困惑とで言葉を失ってしまった。
こんな所で、緑間と二人きりになっている状況がよく分からない。
「…全く、お前は何をしているのだよ」
「い、や…緑間君こそ何してんの…?」
「ちゃんとそちらの監督に許可をとって来たのだよ。気にするな」
気にするな、と言われても。
真司は念の為他に誰もいない事を確認してから、緑間に視線を戻した。
冷ややかな目を向けられている。「馬鹿め」とでも言いたげな顔だ。
「体力が自慢なお前が、黒子よりも先に倒れてどうする」
「…うん」
「何があった」
「え…?」
「今朝から、お前は何か変なのだよ」
緑間の低い声が、一段と低く感じる。
今朝と言われて思い出す事は、水道付近で会った時の事だ。
心当たりが余りにも早く浮かんで、真司は思わず口を噤んだ。
「黒子か。それとも誠凛の奴等か」
「ま…」
「今朝、お前は自分がどんな顔をしていたか気付いていないのか。この馬鹿が」
想像通りの「馬鹿」にさすがに少し落ち込みながら、真司は自分の頬をつねった。どんな顔なんて言われたって、そんな事分かるはず無い。
しかし、きっと酷い顔をしていたのだろう。
そう思うとやはり罪悪感が募って、真司は緑間の手をぎゅっと握りしめた。
「ごめん…。俺、最近おかしいんだ」
「おかしい?」
「熱くなって、どうしたらいいか分からなくなって」
誰彼構わず、というわけではない。
それでも昨夜日向にしがみ付いてしまったのは、そういう事なのだろう。
好きな相手でなくても出来てしまう。
「何故オレを呼ばないのだよ」
「よ…呼べないよ」
「強がって他の奴等にそんな顔を向けていたら元の子もないだろう」
「…」
今キセキの世代の中で一番近いところにいるのは、恐らく緑間だ。
黄瀬とは物理的な距離の為にあまり会えていない。だから、緑間を呼べというのか。
真司は暫く考えて、ふともう一人近くにいる事に気が付いた。
「テツ君は…?」
「何?」
「他の皆は駄目…で、その中にテツ君は入るの…?」
「お前は、何を言っているのだよ」
厳密に言えば黒子は“キセキの世代”とは違う。それでも、そこに誰よりも近い人間だ。
しかし、やはり緑間は怪訝そうに目を細め、真司から視線を逸らした。
「お前は、黒子に惚れたのか」
「え…」
「はぁ。お前は何か間違った事を考えているようだな」
緑間のため息にズキリと胸が痛む。
呆れられても仕方がない。確かに、先程から言っている事が何もまとまっていないのだ。
体の疲労のせいで、頭がまともに回っていないせいもあるのだろうが。
「緑間君…、俺」
「少し黙れ」
「っ、で、でも」
「黙れ」
強い口調にびくりと体が震える。
そういえば倒れた原因はなんだったのだろう。ただの疲労か熱中症か。
一瞬くらりと視界がぶれたように感じて、咄嗟に緑間へ手を伸ばす。
しかしその手は伸ばしきる前に緑間に掴まれ、そのまま布団に押し付けられていた。
「…!」
え、と出るはずだった声は暖かい感触の中に溶けて消える。
確認するまでもない、それは緑間からの口付けだった。
閉じ損ねた目に緑間の長い睫毛が映っている。
優しく重ねられた唇は、触れて、軽く啄んでから離れた。
「お前をこんな風にしたのは確かにオレ達なのだろうが…少なくともオレは、自分の欲を処理する為だけにお前を、…抱いたりはしていない」
「え、え…?」
「あ、愛しているから…お前のいろんな姿を見たいと思った」
余りにも近い距離にある緑間の顔が、真司以上に赤くなっている。
吐かれる息も熱くて、握る手は微かに震えていて。緊張が痛い程に伝わってくる。
「今のお前は、ただ自分の欲を何とかしたいだけに見える」
「…っ!」
「誰でも良い…そう思っているのだろう。違うか」
「…、…」
反論しようとして開いた口は、何も言えずに閉ざされた。
日向に触られた時求めそうになったのは、緑間が言う事が正しいからだろう。
「お前がそんな顔をしていたら…お前に思いを寄せる相手は付け込むだろうな」
「そ、…」
「オレなら、今のお前を抱こうとは思わない」
ぐさぐさと緑間の言葉が刺さる。
中学の時だって、緑間がこんなにも胸の内を晒してくれることは無かった。
だからこそ、受け止めなければいけない。こんなにも思ってくれた事を喜ばなければいけない。
そんな思いとは裏腹に、真司の頬に一筋の涙がつたっていた。
「ご、め…っ、俺…」
「な、何故泣くのだよ…!」
「おねが…、きら、いに…嫌いにならないで…」
「お、お前は人の話を聞いていないのか!そういうこっちゃないのだよ…!」
焦ったように声を少し張った緑間は、暫くわたわたと手を動かしてからその手を真司の頬に当てた。
零れた涙をすくうように跡を追って目尻に触れる、その手付きが余りに優しくて。
「忘れてた…、こんなに、緑間君が好きって…」
「な…!」
「有難う、緑間君…」
この思いは緑間だから感じる特別なモノ。会う度に感じていたはずだったのに、どうして忘れていたのだろう。
ぼやけた視界に、照れ臭そうに眼鏡を上げる緑間が映る。
思考が麻痺していたのが救いか、自分がどれだけ恥ずかしい事を言ったのか気付くことなく、真司は緑間の手のひらに口付けを落とした。
「烏羽…」
「あ…でも、緑間君もいけないんだからな」
「何がなのだよ」
「…分かってくれないから」
何を、と言いたげな目が真司を見下ろしている。
緑間のバスケは、恐らくまだ黒子が思うものと異なっている。そして、それは自覚して、自ら変わってくれないといけないもの。
だから、真司は緑間から目を逸らした。
「…最後に一つ忠告しておく」
はぁ、とため息の後。“最後”という単語に少し寂しさを感じながら、真司は目だけを緑間に向けた。
「お前はまた綺麗になった」
「は…?」
「何があったか知らないが、誰彼構わず手を伸ばすなよ」
緑間はそれだけ言うと、すっと何事もなかったかのように立ち上がった。
真司から足音が遠ざかっていく。
次に聞こえてきたのはぱたんという扉が開き、そして閉まった音。
「な、に…なんだよ…」
唇が震える。
真司は暫く口を開けたまま茫然として、それから大げさにばふんと枕に顔を押し付けた。
顔が熱い。心臓がばくばくと煩い。
「~~~っ」
ぐりぐりと顔を押し付けながら足をばたばたと上げ下げ繰り返す。
本当なら声を上げてごろごろと転がり回ってしまいたい、それくらい妙な感情に襲われていた。
“綺麗”だなんて、しかも不意打ちで。
「ていうか、緑間君のが綺麗だっつーの…」
真司はぎゅっと枕を抱き締めて、うーっと意味も無く声を漏らした。
駄目だこんなの、もっと好きになっていく。そんな事考えるからもっと好きになる。
未だ震えていた唇を閉じて、真司は目を閉じた。
今が何時かも、皆がどうしているかも確認する気になれなかった。
・・・
たったと足音を鳴らして歩く。
図らずも誠凛と合同で練習することになって、今日は練習試合もさせてもらった。
悪くない一日だったが、でもそこに真司がいなくて。黒子に聞いてみたところ、海での練習中に倒れたんだとか。
「ま、元気そーで良かったけど」
ぽつりと呟いて足を止める。
気になっている子が倒れたと聞けば、そりゃあ様子を見に行くだろう。ついでに寝顔でも見れればいいなーなんて期待しながら。
「はーあ」
「高尾君、独り言はやめた方がいいですよ」
「黒子じゃん、おっすー」
軽く手を上げて、いつからそこにいたのか黒子に笑いかける。
黒子は相変わらず何を考えているのか分からない顔で、高尾をじっと見ていた。
「なぁ、黒子はどう思ってるわけ?」
「何がですか」
「真ちゃんと真司の事。ほんっと…あんなんアリかよ…」
「何か見ちゃったんですか。かわいそうですね」
黒子の冷たい台詞など、今はどうでも良かった。
薄く開いた扉の隙間から聞こえた、聞いた事のない緑間の優しい声。
そして、真っ直ぐに向けられていた真司から緑間への好意。
「黒子だって真司が好きなんじゃねーの?って…真司モテ過ぎじゃね?」
今更な事に気付き、高尾は小さく首を捻った。
確かに顔はかなり綺麗だが、それだけなのだろうか。
黒子からの言葉を待って、珍しく高尾が口を噤む。
そんな空気を察したのか、暫くの沈黙の後、黒子が口を開いた。
「…烏羽君は元々、人より少し綺麗な顔をした、笑顔の素敵な勉強の出来る男の子でした」
「何、どういう事?」
「それがバスケ部に入って変わりました」
思い出しながら語る黒子の目線は高尾から外れている。
声が少し重く聞こえるのは、黒子にとってあまり良い思い出ではないからか。
「変わった?何がどう…」
「何か、と明言は出来ないのですが…それまでよりも素敵な人になりました」
「はぁ…?」
「恋をして綺麗になるのは女性だけでは無いという事でしょう」
黒子は泣くのではないかと心配になる程、眉を下げていた。
さり気なく高尾にとっても切なくなる事を言われたが、それよりも黒子の見たことのない顔の方が気になって。
心配になり覗き込めば、思いの外黒子はすぐにいつもの顔に戻って、そしてすっと息を吸い込み口を開いた。
「緑間君じゃありません。烏羽君が初めて好きになった人…それが烏羽君の心を掴んでいる人です」
「ちょ、ちょっと待って、よく分かんねーんだけど…」
「つまり、烏羽君と恋愛をしたいなら覚悟した方がいいという事です」
他人事のように話す。
そんな黒子を不思議に思い、高尾は鋭い目を一層細めて黒子に人差し指を突き付けた。
「黒子はどーなんだよ」
「ボクは覚悟しました。だからちゃんと気持ちも伝えました」
「ま、まじかよ…で、真司は何て…?」
「聞かないで下さい」
しゅん、と再び目を下げたあたり、返事は余り良いものではなかったのだろう。
高尾は額に手を置いて大げさにため息を吐くと、心とは裏腹にニッと笑った。
「面白いじゃん」
「面白くはないです」
「なんつーの、逆境こそ燃える、的な?」
本当は、まだ本気で真司を好きなのか自分でも分かっていなかった。
しかし、緑間と真司の様子を部屋の外から見聞きしてしまって、動揺したのは事実。
そして何より、真司の一番可愛い姿を見たいと思ったのだ。緑間に向けているような姿を。
「話、聞かせてくれてサンキュー」
「いえ」
「おっやすみー!」
ぶんぶんと手を振って秀徳の宿泊している部屋の方へ戻って行く。
そんな高尾を目で追ってから、黒子も踵を返す。
今更、真司の部屋には行けなかった。
チュンチュンと朝特有の鳥の声に耳を傾け、真司は頭を拭いていたタオルから手を放した。
結局昨日もまたぐっすりと眠ってしまい、今度は風呂の為に起きることも出来なかった。というより、真司も体調を心配して誰も起こさなかった。おかげで目覚めは良く、気分も良い。
おかげで朝っぱらからお風呂場を借りることになってしまったが、それはそれで気持ちも良くて。
「ふー…」
息を吐き出して鏡の中の自分を見つめる。
昨日どんな顔をしていたか分からないが、今は余り変ではない、と思う。
「今日は、しっかりしないとな」
せっかく秀徳と練習出来るのだから、こんな機会を無駄にするわけにはいかない。
昨日寝てた分も頑張らなくては。そんな思いからパチンと自分で自分の頬を打つ。
それからもう一度髪を拭いてタオルを首にかけると、真司はがららと風呂場の扉を開けた。
「あ…」
そんな抜けたような声は、二つ重なっていた。
「日向先輩、おはようございます」
「おー。体は大丈夫か?」
「はい、あの、迷惑をかけてしまい…すみませんでした」
いいよと笑う日向とは、あれから二人きりで話す事はなかった。
避けていたわけではなく、自然に。だからか、ちゃんと話せている事に安心して、でもこのまま何事も無かったあのようにするのもどうなのだろう。
「あ…あの、日向先輩」
ああ、口を開いてしまった。
それでも、緑間と話した真司の中に答えは一つ出ていた。だから、それは伝えなければならない。
「一昨日の夜の事…日向先輩を巻き込んで、すみませんでした」
「っ、や…あれは全面的にオレが悪い。それに、昨日体調崩したのも…あれのせい、とか」
「それは…ち、違うとは言いきれないですが…」
「悪ィ。調子にのった」
日向は優しい人だ。だからこそ申し訳なくて、真司は日向の謝罪に対し首を横に振った。
「俺、欲求不満だったんです。だから、日向先輩に触られるの全然嫌じゃなくて」
「ちょ…!」
日向は咄嗟に左右を見回して、真司に向き直ると人差し指を立てた。
やはり日向は普通の人だ、男同士というのが間違っている事くらい自覚している。
「日向先輩、ごめんなさい」
「いやだから謝んなくていいって…」
「日向先輩の気持ちには、やっぱり答えられないです」
「あ、ああ…そっち」
しっかり言葉にして、頭を下げて。
気持ちは本当に嬉しいのだ。しかし、だからといってその気持ちに付け込むような事はしてはいけない。
日向をこれ以上引きずり込むような事は。
「分かってるよ。つか、お前が青峰を好きってのは知ってた事だし」
「…青峰君、もです」
「は?」
「青峰君の事も好きです。俺、一人じゃないんです、好きな人、一人に絞れないんです」
誰が一番、と問われても今ははっきりと答えられないだろう。
緑間が好きだ。黄瀬だって忘れていない。青峰も手に入れたくて、会いたい人ももっといる。
そんな男、止めた方がいい。そう思って告げた言葉だったのに、日向は目を細めて笑っていた。
「その中にも入れねーのか、オレは」
「え…!?」
「いっぱいでもいいよ。お前の特別になれる奴は幸せだな」
「…そんな事ないですよ」
どうしてそんなにも。
真司の思いに反して、日向の手は優しく真司の頭を撫でた。
罪悪感が募るのに、日向は真司に謝らせてはくれないのだろう。
「日向先輩…」
「ん?」
「気持ち、すごく嬉しかったです…。有難う、ございました…」
「おいおい、終わりみたいな言い方するなって。諦めてやる気はねーからな」
「…は、い」
優しさが胸に突き刺さって、泣きそうになるのを耐えた。
泣きたいのは自分じゃない。
「今日は、練習、ちゃんと頑張りますね」
「頼むぞ」
シンプルな会話で幕を閉じる。
そうする事で、今日この後いつも通りでいられるように。日向とぎこちなくならないように。
・・・
それからというと。メニューに大きな変動はなく、砂浜での練習からの体育館練習。
秀徳との試合は火神と先日倒れたばかりの真司は出してもらえず、負けてしまったが良い試合を繰り広げ。
そんなこんなで特に大きな問題が起こる事も無く、無事に合宿最後の夜をむかえていた。
「はー…試合したかったなぁ」
ぽつりと呟く声は木々のざわめきの中に消えていく。
お風呂も上がって、後は布団に入って眠るだけ。その前に宿舎の外に出たのは、何となく退屈を紛らわせる為だ。
決して、余計な事を考えるからとか、そういう事ではない。ないはず。
「…」
火神や黒子にもちゃんと返事をしなければならないのだろうか。
という、やはり消す事は出来ない迷いがあるのは確かだ。
けれどそれを顔や態度に出してしまう事で誰かに迷惑をかけるなら…それさえ抑え込まなければいけない。
真司は足元に落ちていた小石を蹴飛ばして、ふっと息を吐き出した。
「おっ?もしかして真司?」
「え…」
小石が転がって消えた視界の先から声が聞こえる。
声から誰かは予想出来ていながら、真司は顔を上げてその人物を確認した。
「高尾君」
「奇遇じゃん。どーした?」
「あ、ううん、別に。ちょっと眠くなるまでぶらぶらしよっかなって」
「おっまえ倒れたんだろ?ちゃんと寝た方がいーんじゃねーの?」
ちなみにオレはコンビニ行ってきた、と腕に下げた袋をがさがさと揺らす。
ちゃぷんと水の音が聞こえたのは、既に買ってから飲んだペットボトルが入っているからだろう。
「ちょっと頑張りすぎただけだし、もう大丈夫なんだけどな」
「そーなん?ならいーけど…」
唇を尖らせている高尾は、余り納得していないように見える。
実際のところ、リコに一応病院に行けだとか、すぐ帰るかとか言われる程度に真司のコンディションは良くないのだが。
今回の合宿は失敗だらけだ…なんて思い俯いた真司は、高尾の後ろから聞こえて来たガシャンという音ですぐに顔を上げることとなった。
「わ、何?」
「見に行ってみよーぜ」
ぎゅっと真司の手を握り、高尾は来た道を戻って行く。
余りにも自然な流れに逆らう気も起こらず、真司は高尾に連れられ先にある駐車場まで移動した。
駐車場とはいえ、合宿に来てから一度も車が止まっているところは見ていない。
だからか、そこに砂浜でのバスケに使うゴールを置いていて、そしてそれでバスケをしている人がいたようだ。
まぁ、合宿で散々バスケをした後にも関わらず自主練するような、そんなバスケ好きは大体想像つく。
『火神じゃん…っと、そっちの女監督も』
ぼそりと高尾が体を小さくして呟く。
何を思ったか、茂みに隠れる高尾に合わせて真司も体を縮めた。
『なんで隠れるの』
『や、なんとなく?スパイみたいに思われてもヤだし』
そんな事思わないのに。と思った真司は、何気なくバスケのゴールを見上げて口をぽかんと開いた。
どうやらリコは火神のジャンプ力に関して何か試しているらしい。
火神にジャンプさせてゴールに触れさせる。汚れたゴールの板にはくっきりと火神の手の跡が付いているのだが、その位置はリングの更に上。
『すっげぇ跳躍力…リング余裕で超えてんじゃん』
『う、うん…びっくりした』
「ちょっと火神君、逆で跳んでみて」
辛うじて聞き取れたリコの言葉は咄嗟には理解出来ないもので。
高尾と顔を見合わせ首を傾げると、チャリンと高尾のポケットに入っていた小銭が散らばった。
『…っとヤベ』
それを拾う高尾を横目に、火神の様子を窺う。
すると、その“逆で跳んだ”らしい火神の体が宙に浮いていて。
『…!?』
その尋常じゃない高さに驚いたのは言うまでもなく。
バンッという激しい音とともに傾いたゴールは高尾の上に迫ってきていて、真司は咄嗟に高尾の腕を思い切り引いていた。
「おわっ!?」
驚き上げられた高尾の声は、その真横に倒れてきたゴールが地面に打ち付けられた音によってかき消される。
真司は思いの外強く引き過ぎたせいで倒れ打った頭を擦りつつ、さっきまで高尾のいた位置を見て流れた冷や汗を拭った。
『あぶなかった…高尾君、大丈夫?』
『お、おー…チョーびっくりしたけど』
胸の上にある高尾の顔が上がらない事に不安を覚え、とんとんと肩を叩く。
『高尾君?』
『お前、いい匂いするよな』
「え」
思わず普通に声が出てしまい、口を押さえる。
話をしていたリコと火神には聞こえていなかったようだ、ってなんでこんなに隠れているかは相変わらず謎である。
『風呂、出たばっかだから…』
『いや、そーいうんじゃねーんだよな…。何だろ…甘い匂い』
『…、』
すんっとあからさまに鼻を吸われ、真司の足がびくりと震えた。
その足も、今は高尾の足と絡まっていて、何が何だか分からないことになっている。
(あれ、そういえば高尾君って…俺の事、どう…?)
ふと考え今の状況に焦り出してももう遅くて。
体をなぞった高尾の手にぶるりと体が震えた。
「あの、何なんですかこの状況は」
上から注がれた声に、更に真司の胸はばくんと鳴って。
無理やり高尾を退かすと真司は上半身をがばっと起き上らせた。
『て、テツ君…!』
『声は抑えた方が良いですか』
『ってぇ~~…真司、乱暴ー』
転がった高尾は地面でくるりと一周まわって真司の横に起き上る。
すると、その高尾の目には火神ともう一人こちらに来る人影を捕らえたようで、再び人差し指を立てると今度は黒子を巻き込み小さくなった。
『黒子も頭下げろ!』
怪訝そうに眉を寄せた黒子は先程の真司と高尾の状況をどう思ったのか。
それを追及する間も無く、真司達の目に緑間の姿が映った。
「…んだよ」
「用など無い、ただ飲み物を買いに出ただけなのだよ」
火神と緑間のやり取りは、既に緊迫感漂っている。
しかしそれにさえ吹き出しそうになっている高尾を見るに、緑間の飲み物を買いに来ただけというのは単なる“ツン”なのだろう。
「まったく、お前には絶望したのだよ。まさか空中戦なら勝てる、などと思っていないだろうな」
「ああ!?」
「高くなっただけでは結果は変わらないのだよ」
緑間は火神の今後の課題が分かっているらしい。
ということはリコと火神の会話も聞いていたのか、それとも自ら気付いたのか。
どちらによ、やっぱりツンデレじゃないか。
なんてことを考え笑いそうになり、真司も頬を膨らませた。
「来い、その安直な結論を正してやる」
珍しく緑間から攻撃を仕掛けて、それに火神が乗る。
火神が攻撃で緑間が守るというシンプルな10本勝負だ。
さすがに緑間がキセキの世代だとはいえ、火神ならそれなりに良い勝負になるのでは。
そんな真司の予想は大いに外れることとなった。
『なんか…火神君調子悪い…?じゃなくて緑間君ってこんな凄かったっけ…』
暫く見ていて抱いた感想が真司の口から漏れる。
先程見ていた通りだ、火神のジャンプ力はかなりのものなのに、火神のボールは全くゴールへ届かない。
『緑間がディフェンスすげーのは知ってるけど…空中戦得意な火神をこんなに抑えんのか…』
高尾も同じように思ったらしい、こくりと頷きながらそう言うから思わず視線を合わせる。
ばっちりと至近距離で目が合えば再び恥ずかしさが戻ってきて、すぐに目を逸らしたが。
(…やっぱり、緑間君ってすごいんだな)
目の前で繰り広げられる激しい攻防に目を奪われる。
勿論火神の跳躍力はさすがだが、それ以上に。認めたくないような気もするが、改めてこうじっくりと見ると格好良い。
ばしっと緑間が火神からボールを弾き、汗が飛び散る。
二人の呼吸だけが聞こえる空間。それを先に壊したのは緑間だった。
「…やめだ。このままでは何本やっても同じなのだよ」
「なっ!テメ…!」
「いいかげん気付けバカめ。どれだけ高く跳ぼうか関係ないのだよ、必ずダンクがくると分かっているのだから」
火神がハッとしたように目を見開く。
緑間はそんな火神を見ることなく、こちらに向かって歩いて来た。目も完全に隠れているはずの真司達に向いている。
「行くぞ高尾」
「あり?ばれてた?」
横目で見下ろすだけ、それだけで緑間が通り過ぎていく。
高尾は慌てて立ち上がると、真司に笑顔で手を振り緑間について行った。
「ウィンターカップでガッカリさせるなよ」
去り際に放たれた緑間の言葉に黒子は小さく「はい」と返して。真司はごくりと唾を飲む。
今回の合宿でそれぞれ課題は見つかった。後はいかにそれまでレベルアップ出来るか、だ。
「くっそー!真ちゃんには負けねぇ!!」
何故か的外れな声が高尾から聞こえて来たが、真司は黒子と目を合わせて力強く頷いた。
次も負けない、そんな気持ちを抱きながら。
・・・
朝。
ようやく合宿が終わったという気持ちから、全員どことなく疲れ切ったような穏やかなような表情をしている。
黒子と火神は昨夜あの後二人で何か話したようで、スッキリしているようにも見えた。
「よーし全員いるな!」
荷物を抱えて、帰る準備は万端。
宿舎から出たメンバーは全員しっかりと宿舎の方へ体を向け、一斉に頭を下げた。
「ありがとうございました!」
大きな声が青空の下響き渡る。
辛い合宿だったが、辛かった分達成感も大きい。
それぞれ溜め息を吐いたり逆に息を吸い込んだりしながら帰路を行こうとしたところ、リコが「ちょっと」と叫んだ。
「どこ行くつもり?」
「え?駅だけど」
「もー、何の為にここで合宿したと思ってんの?今年はここで開催でしょーが!」
皆一瞬茫然として、それからいち早く伊月が何か気付いたように携帯を開いた。
「今日は準々決勝か…どことどこだ?」
そして皆思い出したかのようにはっとする。場所までは確認していなかったが、どうやら全国大会がこの辺りで行われているようだ。
そして携帯の画面を確認した伊月と、そして脇から覗き込んだ皆と、全員が目を見開いた。
「嘘だろ…!?」
「桐皇と、海常…!?」
キセキの世代、青峰と黄瀬の対決だ。
それは見ないわけにいかない、誰もが注目する対戦となるだろう。
真司も楽しみやら緊張やらで口元に笑みが浮かんでいる。
しかしそれを見たリコは、真司の肩をとんと叩いた。
「烏羽君」
「はい?」
「あんたとりあえず病院」
「へ…?」
「念の為、看てもらいなさい。それから合流、おっけ?」
真司は暫くリコの言っている事を理解出来ずに茫然としてしまった。
ここまで合宿を乗り切らせておいて、このタイミングで病院とは。
「…意味、あります?」
「大ありよ!病院行けば倒れた原因とか、今後の対応策も教えてもらえるから」
「えー…俺も皆と行きたい」
「体調管理出来ない自分が悪いの!分かったら病院!ゴー!」
とんっと背中を押されて振り返る。
なんだろうこの疎外感。誰もついて来よう、とかそういう優しさは無いのかな。という思いを込めて見つめてみるも、桐皇対海常の前では皆の心もそちらに傾くようだ。
「うー…意地悪ですよ!」
「烏羽君思っての事でしょ!」
「…、…病院どこにあるんですかぁ…一人にしないで下さいよ…」
地元じゃない心細さ故に、本当に寂しくなって眉を下げる。
しかし、リコは指をびっと真っ直ぐ向けた。
「近くにあるのよ」
「リコ先輩…」
「行ってらっしゃい。ほら、早く」
「…」
ちらと黒子に目を向けてみるも「頑張って下さい」という思いが目から読み取れる。
それはそうだろう。目の前の誘惑があまりにも大きすぎる。
「…、…っ!い、行ってきます!」
そうと決まれば、少しでも早く済ませるのが吉。
真司は後ろ髪引かれる思いを呑み込んで、皆に背を向け走り出した。
青峰と黄瀬。
彼等の試合はかなり見たい。どちらが勝つのか、純粋な興味が大きい。
それなのに、ちらつく「会いたい」という思いはやはり拭う事が出来なかった。