黒バス(2012.10~2017.12)
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体育館の練習は差して普段と変わりなかった。
内容は同じ。基礎や練習試合など、やり慣れたものだけだ。
しかし彼等の体には変化が起こっていた。
「すげぇ!動きやっす!」
「なんかいつもより楽だ…!」
自然とそんな感想が零れてしまう程、ドリブル、シュート、何をしてもボールが指に馴染み、足がかなり軽く楽に動ける。
それを感じたのは一人二人ではなく、部員全員。真司も同様だ。
砂浜での練習は、地面を蹴る時に重要な親指の付け根に、自然に力が集約する事を身に着ける練習だったらしい。
そんなこんなで。
調子よく練習を続けた結果、お世辞にも綺麗とはいえない古びた宿舎に戻った頃には疲労は最大にまで上り詰めていて。
誰よりも走り回った真司は、宿舎の廊下をふらふらと壁沿いに歩いていた。
「ふあ…」
リコの作った食事も無事済ませて、後は風呂に入れば寝るだけだ。
分かっているのに、もう体は動きたくないと訴えてくる。
部屋に戻ってぽてっと布団に沈んだ真司は、既にほとんど眠りに入っていた。
「烏羽、まだ寝んなよ?」
「んー…」
「今寝たら起きれなくなるぞー」
「ん…」
降旗がとんとんと肩を叩いて呼びかけてくるも、真司の返事はもう返答にはなっていない。
嗅ぎ慣れない畳の匂い。違う感触の布団。
そんなことは気にならず、誘ってくる睡魔に真司は体を預けてしまった。
・・・
それから、そう長くは経っていなかったと思う。
かたんと扉が開く音に続いて、軽い足音が近付いてくるのが微かな意識の中聞こえていた。
(誰、だろう)
確か部屋は一年と二年で分けられていたはずだ。
真司が間違って二年の教室に乗り込んでいない限りは、火神か黒子か…その他もろもろの一年生の誰かだろう。
「…烏羽君」
ぽつりと、細い声。
ほとんど真司の耳には届いていなかったものの、その細い声から何となく誰かは分かった気がした。
「烏羽君、…寝て、いるんですか」
寝ているか、寝てないか。
どちらかと問われればむしろ寝ていたのかもしれない。
重い瞼は開くことなく、呼吸は一定に保ったまま。
その呼吸が、一瞬重なった気がした。
「…烏羽君、すみません」
もう一度聞こえた声は、息がかかる程の距離から聞こえていて。
さすがに意識が浮上した真司には、息を捕らえるように口を塞いだものが何か、ぼんやりとした思考の中でも分かってしまった。
「…て、テツ君…?」
唇から柔い感触が離れて、恐る恐る真司は目を開いた。
思っていた通り、至近距離にあった丸い目が真司を見つめている。驚いている様子は無い。
「い、今…」
「烏羽君。ボクは、気付いて欲しかったのかもしれません」
「え、な、何…」
淡々と、普段とは何ら変わらない様子で話す。
その黒子の頬は、薄らと赤い。それが尚更真司の想像を明確にさせ始める。
「烏羽君、ボクは君が」
「ま、待って…テツ君、」
「君が好きです。ずっと好きです」
黒子の言葉に、真司の目は完全に開いた。
今まで黒子からは一度も聞くことの無かった言葉。
「う、そ…嘘、だよ」
「本当はずっと黙っているつもりでした。でも、君が火神君や先輩方にも近付くのが耐えられなくて」
「そ…んっ」
信じられず小さく首を振った真司に、黒子は何度目かになるのだろう口付けをした。
黒子が自分を。ずっと。いつから。どうして今。
いろんな事が頭を巡り過ぎて、どんどん頭の中は真っ白になって行く。
「っは…」
「烏羽君…どうか、ボクの事も意識してください」
「そ、んな…」
「もう、ただの友達は嫌なんです」
もう止めてくれ、そう願っても黒子の言葉はどんどん真司を追い詰める。
なのに胸の高鳴りから起こる苦しさは、決して嫌なものでは無い、だなんて。
「そんな事、俺…」
「すみません、困らせてしまって。でも、ボクは後悔していません」
「…っ」
真司の頭の横に手を付いた黒子が、体を起き上らせる。
それに釣られて体を起き上らせると、忘れていた疲労が体に襲いかかってきた。
「あ…」
「危ないですよ」
別に立とうとしたワケでも無いのに、ふらりと揺れた体を黒子の色白な手が支えている。
そんな事にさえ、真司の心臓がまたどくんと鳴った。
「烏羽君、大丈夫ですか?」
「え、あ…うん…。いや、テツ君だって…」
「そうですね。正直今すぐにでも寝てしまいたいです」
動揺が伝わらないように言葉を交わしても、目が合う事はなかった。
というより、合わせられなかった。真っ赤な顔を、見られたくなくて。
「…」
黒子との間に生まれた事の無い沈黙が落ちる。落ち着かない、嫌な沈黙だ。
それが耐え難くて意味も無く手を擦らせていると、とんとんと扉が叩かれた。
「風呂入ってない奴いるか?」
言葉と同時にかたんと扉が開けられる。
思わずびくりと体を揺らして振り返ると、部屋に入ってきた日向と目が合ってしまった。
「日向先輩…!」
「部屋にいんのはお前等二人だけか」
「は、はい…い、いえ別に、その…」
「は?」
決して見られたわけではない。
そう分かっているのに、妙な緊張感が部屋に流れる。
「何、お前等…」
「日向先輩、お風呂がどうかしたんですか」
「あ?ああ…」
真司と違い落ち着いている黒子のおかげで、何とか日向の気を逸らせただろうか。
納得いかないような頷きをした日向は、その後に軽く咳払いをして続けた。
「…最後、オレが見回りすっから…風呂、入ってなければ入って欲しいんだけど」
「烏羽君、入ってないですよね」
汗臭いです。そう言われてはっと顔を上げると、そこに立っている日向は着替えやらタオルを抱えていて。
あ、お風呂に行くんだなぁ。と他人事に考えそうになった頭を、真司は左右に大きく振った。
「俺も、行きます」
「じゃあさっさと行くぞ」
「はい…!」
焦りからもたつく手で何とか着替えとシャンプーやら何やら抱える。
先に部屋を出た日向を追って真司もぱたぱたと扉の方へ向かうと、すれ違いざま黒子に手を掴まれて立ち止まった。
「っ!」
「烏羽君、別に返事とか、急いで欲しいわけじゃないですから」
「お、お風呂、行ってきます…!」
きっと黒子は、そんなに構えないでくれと真司の心に余裕を与えようとしてくれたのだろう。
しかし、今の真司にはそんな事を考える余裕すらなく。
更に止まらなくなってしまった鼓動から、熱まで治まらなくなっていた。
まだ心臓が煩い。黒子の言葉、声色、表情、熱が頭から離れない。
まさか、考えもしなかったのだ。
(テツ君が…俺を…?)
青峰の事が好きだと気付いた時だって、黄瀬との関係に悩んだ時だってそう。黒子はいつでも真司の味方だった。
それは、友達だからでは無かったのか。
(テツ君の気持ち、全然気が付かなかった…)
嬉しさとか恥ずかしさよりも困惑の方が遥かに大きい。
そして困惑と同時に罪悪感が真司の胸をズキズキと刺激してくる。
「…っ」
何か抑えていないといろんな感情が漏れ出しそうで、真司は腕に抱えられた着替えをぎゅっと抱き締めた。
泣きたい、違う。嬉しい…いや、それも違う。ドキドキはしている。
「烏羽」
真司は足元をじっと見つめたまま、やはり自分は変なのだと言い聞かせた。
何かあるのだ、きっと。そうでなければ、キセキの世代に留まらず黒子も、火神もだなんて。
「(俺は…そんなに良い人間じゃないのに)」
「烏羽ー」
「え、」
ふと聞こえた声が、真司の意識を現実へと引き戻した。同時にぺたぺたと二つあったはずの足音が一つ消えていることに気付く。
それでようやく顔を上げた真司は、怪訝そうに目を細めている日向をその目に映した。
「何ぼーっとしてんだ」
「す、すみません…たぶん、疲れてるんだと思います…」
「あー、まぁそれもあるんだろうな。ほら、入れ」
よく見ると、日向はそこにある扉を開き、とんとんと叩いている。
真司は自然とそこが風呂場なのだろうと感じ取り足を進めた。
「って、二人がギリギリなんですね」
すぐにそう漏らした真司の眼前には、想像していた“合宿での風呂”とはかけ離れた、狭い風呂場が広がっている。
誰かが先程まで入っていたのだろう、通り過ぎたもわっとした熱は真司の浮ついた気持ちを引き戻すかのようで。
真司は小さく首を振り息を吐いてから、抱きしめていた着替えをそこにあった籠に入れた。
「…烏羽、聞いてもいいか」
ぱたんと扉の閉められた音。
涼しくはないが外の空気と遮断され、そこは一気に息苦しくなったように感じられた。
「はい、何ですか?」
「お前さぁ…また何かあったろ」
「…は、い?」
首だけを横に向けて、日向の顔を見上げる。
そういえば、このままだと日向と二人で風呂に入ることになるのか。
茫然とそんな事を頭の隅で考えたのは、日向の質問から然り気無く意識を離したかったからだろう。
「火神も…あとさっき、黒子とも。何か前より変な空気になってんだよ」
「変な…」
「それでオレも…いや、こんな事言うのはどうかって思うんだけど…」
様子を探るような日向の視線に、真司の中には嫌な予感が巡り始めた。
隠すつもりがあったわけでは無いが、知られて良いものでも無い。
真司の心の中。中学での人間関係。
「お前ってなんか、魅力的なんだよな」
「…は、い…え…?」
しかし、日向の言葉は考えていたものと余りにも違っていて。
真司は顔を上げて、さすがに言葉を失ってしまった。
「あー、いや、今の言い方は違うか…。つまり、なんだ。お前の気持ちと裏腹に、お前に惚れちまってんだな」
「…、え…」
「黒子と火神」
正直、日向が何を言っているのかよく分かってはいなかった。
とはいえそれ以上に詳しく追及されるのが嫌で、真司の首は小さく縦に揺れた。
さっさとこの話が終わってしまえばいい、そんな思いだけで。
「更に言ってしまえばまぁ…オレも気になってる」
「何が、ですか」
「今の流れで察しろ」
しかし、終わるどころかややこしい事になっていると気付くのは、沈黙が数秒続いてからだった。
「……え」
「いや、正確に言えば分からねーし…自分でも戸惑ってるくらいなんだけど」
「ちょ…なんですか、え?」
見上げた日向の顔が思っていたよりも真面目で、余計に真司の頭の中は真っ白になっていく。
もし今朝のおは朝を見ていたなら、きっと運勢最悪だとか一人にならない方がいいとかあったのだろう。
そして緑間がいたならラッキーアイテムで回避も可能だったのかもしれない。
「勝手な事言って悪いんだけど…確認していいか?」
「か、確認?」
「ほら、服脱げ」
「や…え、お風呂…ですよね…?」
真面目な顔をしたまま、日向が真司との距離を縮める。
それを茫然と眺めて、肩を掴まれた瞬間「あ、やばい」と気付いても遅かった。
「ほら、ばんざい」
「え…い、いや自分で脱ぎますよ!」
日向が何をどう考えているかは別として、風呂に来たという事実は変わらない。
この流れでどうなのかとも思いつつ、真司は日向の視線を感じながらも、汗臭い服を脱いで籠にかけた。
「一応言っておきますけど…日向先輩、俺は間違いなく男です」
「知ってる」
「そりゃ…童顔って事は分かってますけど…」
「ま、切っ掛けは顔だろうな。否定はしねーよ」
投げやりな言い方。分かる、日向も戸惑っていることくらい。それが普通なのだ。
「悪ぃ」
次に聞こえたその声は、本当に申し訳なさそうに掠れていた。
それに驚く間もなく日向の大きな手のひらが真司の胸に重なり、するりと撫でる。
その時真司の肩がびくっと震えたのは、単純にくすぐったかったからだ。
「ちょっ…」
「べたべたしてんな」
「汗かいたからですよ…!」
身体検査でもするかのように、日向はゆっくりと手を真司の体へ這わした。
胸、腹、腰、背中。さすがに背中は抱き締められているかのようで緊張したが、それでもくすぐったいという感覚で何とか気持ちを誤魔化せた。
いけなかったのは、恐らくタイミングだった。
「烏羽は、中学ん時もかなり可愛がられてたろ」
「え…」
「そん中で青峰が好きって…他の奴等はさぞ悔しかったろーな」
「…」
当人以外では黒子しか知らないであろう彼等との関係。バスケを始めるに至った不純な経緯。
そして…その過去を忘れ去ろうとしつつも今尚求める熱は。
「先輩…止めて下さい…」
「あ、いや、悪かったな」
「違うんです。俺は…先輩が思っているような…人間じゃなくて…」
本当はずっと欲しかった。
彼らと離れて黒子と共にいて、暫く忘れられたのも事実だ。
しかし今は、黒子に触れられて沸き上がった熱が、今度は日向によってかきみだされて。
日向の指が図らずも胸の中心に触れた瞬間、ぞくりと走る刺激を感じてしまった。
「…っ!す、みません…俺、トイレに…」
「ちょっと待て烏羽」
「わっ」
これ以上は駄目だ。そう思ってドアに伸ばした手は日向に掴まれていた。
その間にも、真司の体は思い出された疼きに耐えようと震えているのに。
「隠さなくていい」
「は?いや、そういう問題じゃ」
「こっち、背中預けて立ってろ」
「せ、先輩…!?」
日向の手に引き寄せられるまま、籠を乗せている棚から壁の方へ移動させられる。
狭い着替え場、大した距離は移動していないものの、真司の緊張度合は確実に変わっている。
このまま日向に従ってここに居て良いのか。そんな疑問は確かにある。
しかし、真司の中に少しとはいえ期待があったから、逃げようという考えには至らなかった。
「どうせ脱ぐんだから、下も脱いじまえ」
「…っ、で、でも」
「ほんっと…どうかしてるよな…分かってんだけどさ」
眉を寄せた日向の表情に一瞬気が緩んで、その隙にするりとズボンが下ろされる。
人前で全てを晒すのはいつぶりだろうか。
正直、その程度では恥ずかしいとも思わなくなっていた時もあった。勿論、今は違う。
「…っ!」
思わず真司は手を口に運んだ。
古い建物だ。ここの壁も恐らく薄い。変に声を上げれば今よりももっと大変な事になる。
「せ…せんぱい…」
「あー、やっぱ嫌悪感ねーな…」
戸惑いを含んだ日向の声。
見上げれば、日向は自身を嘲笑するかのような笑みを浮かべていて。
「ごめんなさい…」
「は?烏羽は悪くないだろ。オレが…お前を好きになったのが悪い」
「…それこそ…悪くないじゃないですか…」
そうかな。そう微かに呟いたのが聞こえた。
それと同時に、日向の中で何かが吹っ切れたのだろう。
真司は日向に抱き締められていた。
風呂を入りに来て全裸になる事は別段変わったことでは無い。
しかし、それで抱き締められているとなると話はかなり変わってくる。
「あ、あの…本当に俺、やばい、んですけど…」
既に真司の下半身の膨らみは誤魔化せるレベルで無くなっているというのに。
「正直、オレもかなりやばい」
「え…日向せんぱ、い…っ!?」
ただ抱き締めていた日向の手が、躊躇いがちに真司の胸を撫でた。
その行為に何か意味があったのかは分からないが、真司の体は情けなくも反応してしまった。
妙な刺激に戸惑い震えた手が、真司の意志に反し日向の服を掴む。
押し返すのではなく、むしろ引き寄せてしまったのは、完全に羞恥心を期待が上回っていたからだろう。
「いいか?って、聞くのもどうかと思うけど…」
「っ、…先輩は、いいんですか…?」
主語も何もかも欠けた会話だ。
「オレは…お前に、触りたいって思ってる」
「そ、…ですか」
「後で泣くんじゃねーぞ」
「それは無いです…」
傍から聞いたら、かみ合っているのかも怪しい。
それでも、この会話の中で真司は覚悟を決めていた。勿論日向も。
それを証明するかのように、まだ確信を持って触れてはいなかった日向の指が、ようやく真司の乳首を摘まんだ。
痛まない程度に優しく。探るかのようにゆっくりと。
「ふ、ぁ…」
「これ、気持ちいいのか?」
「はい、あ…でも、ちょっと、物足りないっていうか…その…」
「痛い方が好きなのかよ」
「違います…!」
確かに気持ちはいいが、胸から与えられる刺激はもどかしい。
もっと直接的な刺激を求めて無意識に足を擦らせてしまう。
その真司の仕草に気付いた日向は、一瞬ぴくりと手を止めた。
「…それ、触っていいってことだよな」
「え、…っと」
「じゃあ、触る」
「…」
返答などしていないのに。
真司の心の内は既にばれているという事か。日向は真司の股間に指を伸ばした。
「うぁ…、っ」
軽く触れられただけ。なのに真司の声は甘さを増していた。
高校に入ってから、この手の事から離れた生活をしていたのだ。人に触られる事は勿論、自分での行為も。
「ん…ぁ、あ」
だからこそ、久々に触れられる今、期待が膨らんでいく。
「っぁ…ひゅ、が…先輩…」
「お、っ前な、なんつー声出してんだよ…」
「し、知りませ、」
気を抜くと大きな声が出てしまいそうで、真司は無意識に唇を噛んだ。
するとそれに気付いたのだろう、日向は触れている手とは反対の手の指を真司の唇に当てた。
「咥えるとか噛むとか、していいから」
「ふ、は…っ」
日向の指を傷つけないように、口に咥えて軽く歯を立てる。
本当はそんな事したく無かったけれど、何よりも今は声を抑えることに必死だったのだ。
『あれ?日向どこ行った?』
『日向は風呂行ったはずだけど』
『じゃー、今のうちにトランプしようぜ』
どたどたと通り過ぎる足音や、声。日常はすぐそこにあるのに、この狭い空間だけ外れた道を進んでいる。
真司は思わず息を止めて、不安から日向を見上げた。
「ったく、あいつ等さっさと寝ろっての」
しかし、日向は大して緊張もしていないらしい。扉を見て小さく呟き、真司の視線に気付くとふっと笑った。
「まーあれだ。もしバレても全部オレのせいにすればいいから」
「そんな事っ」
「ホント…悪ぃ」
そして申し訳なさそうに眉を下げて、指を真司の口に押し込む。
日向の躊躇いないそんな行動に真司は何故か高揚していた。
舌に絡み付く指が、口から零れる唾液が、嘗ての感覚を呼び起こす。
「…ん、っ」
「なぁ烏羽…他の奴とこういう事、した事あんのか?」
そのタイミングでの突然の問い。
心を読まれたかのようで、真司の頭は一瞬真っ白になった。
「…っ」
「いや…言いたくなきゃいいよ」
言いたくない。けれど、こんな質問、何かしらに感づいていなければしないだろう。そもそも、ここまでしておいて何を隠すというのか。
今更隠すことなど無い。真司は戸惑いながらも日向の指を口から離した。
「日向先輩の言った通りです、俺は…皆に、可愛がってもらってました」
「…中学の、同期か?」
「キセキの世代と、呼ばれる皆に…です」
変な声が出ないように唾を飲み、鼻から大きく息を吸い込む。
それでも日向の手の動きは止まらず、真司は押し寄せる波に耐えながら言葉を続けた。
「ぁ、愛してもらえるのが…っ、う、れしくて…。触ってもらえるの、も…」
「…」
「でも…皆の事、俺も好きで…、今は、何も、してなくて…」
言いたい事がはっきりと言えていた自信は無い。
それでも、日向はうんうんと数回頷いて、それから真司の背中をとんと叩いた。
「今は何もないんだな」
「何も、っていうか…こういう事はして、な…!あ、っ」
「それはちょっと、つかかなり安心した」
見上げた日向の顔は言葉通りに目を細めて微笑んでいて。
思わず高鳴った胸に意識を逸らしたのも束の間、急に激しくなった動きに真司は日向の腕にしがみ付いた。
「ん…っ、も、先輩…」
「烏羽、お前可愛いよ」
部活ではドスの利いた少し棘のあるその声が、今は余りにも優しくて。真司はちかちかする感覚を覚えながらぎゅっと目を瞑った。
「…っ…!!」
大声で喘ぎたくなる程の快感を何とか耐える。
久々に体の奥から解放された欲に、体は暫く小刻みに震えて、息も途切れ途切れに吐き出された。
「はぁ…っ、ァ…、」
この間にも数回しごかれて、一度出し切ったかと思われた精液が床を汚す。
そんな事を気にする余裕はなく。痺れるような余韻の中、真司は日向の腕に身を任せていた。
「大丈夫か?」
「はぁ…、っ、大丈夫、です。先輩こそ、その…」
少しずつ冷静になる頭で、男相手にこんな事して大丈夫だったのだろうか…などと考えて。
しかし、そんな事も日向の顔を見たら言えなくなっていた。
愛しいものを見るかのように細められた目。眼鏡の奥の瞳は真っ直ぐに真司を見つめている。
「…」
「じゃあまあ…風呂入るか」
相変わらずそういう思いは嬉しい反面、今まで普通だったからこその緊張は拭えない。
戸惑い固まったままの真司に対し、あっさりと切り替えた日向は、片手を緩く握りしめたまま服を脱ぎ始めた。
その手の中にあるものを想像すると、一度去った羞恥心が真司の中に戻ってくる。
「す、すみません…」
「は?いや、謝んなくていーから。そもそも悪いのはオレだし」
「でも…俺ばっかり…」
自分で言いかけた言葉に、真司ははっとして日向を見た。
「その、日向先輩の…」
「あ?あ…気にすんな。すぐ、落ち着くから…」
「…」
短パンに手をかけたまま止まった日向の頬に冷や汗が流れる。
恐らくそのズボンの下は、さっきまでの真司のようになっていることだろう。
それを真司が何とかしてやる事は出来る。方法だって一つや二つじゃない。
「…では、その、お先に…」
しかし、真司は火照った体を起き上らせるとそのまま先に風呂へと続く扉を開けた。
がららっと軽い音に、更なる熱が襲い掛かってくる。
真司は捨てきれない罪悪感から一度だけ日向を振り返り、そしてその境を閉めた。
「…はぁ」
同時に吐き出された二つの溜め息。
真司は一人になったその狭い浴場で、指を下へ移動させた。
疼くのは、その奥深く。
(入れて欲しいなんて…)
日向に対して願いかけたそれは、日向を間違った世界へ引き込む、間違った感覚だった。
「…はぁ」
匂いの違う布団の上で、真司は重いため息を吐き出した。
結局あの後日向は浴場に入って来なかった。まぁそれも当然だろう。真司と入れ替わるように入った日向とは、目を合わせるだけで精一杯だったくらいだ。
(どうして、あんな事しちゃったんだろう…)
悪いのはきっと自分だ。それは恐らく間違いないのだろうが、心当たりが見当たらない。
黒子に触れられて高揚していたのがバレたか。いや、だからといって日向との事に関わってくるとは思えない。
「…っ」
ぐっと息を呑んでごろりと寝返りを打つ。
すると目の前に眠っている黒子の顔が映ってしまい、真司は咄嗟に顔を反対に向けた。
「…何か、あったのか?」
「え」
電気を消して暗くなった部屋の中、赤い目が真司を見つめている。
適当に空いている布団に寝たのだが、どうやら黒子と火神の間に入っていたようだ。
「か、火神君」
「何かさっきからお前、変だぞ」
火神の目は怪訝そうに細められている。
確かに、顔をしかめたり唸ったり寝返りを無駄に打ったり、普通ではない動きをしていたかもしれない。
黒子と日向と。次々に告げられた思いに真司は何も答えていない。
火神にだって答えていないのに、何をどうすれば良いと言うのか。変になるってものだ。
「火神君…。俺、どうしたら良いのかな…」
「な、何が」
「甘えるだけ甘えて…」
縋りついて、それで気持ちには応えないなんて、それこそ自分に甘すぎる。
そう思うのに、それを怒って欲しいのに、火神は柔らかく微笑んでいた。
「いーんじゃね」
「え…」
「別にオレは、嫌じゃねーし」
それからすぐに照れ臭そうに視線が逸らされる。そういう風に優しくされるから甘えてしまうのだというのに。
しかし、そう言われてはもう何も言い返す事は出来なくて、未だもやもやする思いを抱えたまま真司は目を閉じた。
(火神君がそう思っても…それじゃ駄目、なんだよ…)
疲れ切った体は、真司の迷いに反してあっさりと眠りへ落としていた。
・・・
合宿二日目の朝。
真司は騒がしい声で目を覚ました。
「…?」
声は部屋の外から聞こえてきている。
真司はのそのそと布団から起き上り、目を擦りながら部屋の外に出た。
「何…」
ぐっすりと寝れた気がするが、まだ取れ切っていない疲れに瞼が重い。
その中でゆっくりと目を開けると、水道付近に集まっている人が見えた。
火神と黒子。それとあと二人。
「え、え…え?」
思わず一人で困惑の声を上げて足早に近づく。
背の高い緑髪の男と、その横で目を点にしている黒髪の男。まさかここにいるはずはない、他校の二人。
「緑間君、高尾君…?」
信じられないという思いで、明らかにその二人を目に映しながら真司は問いかけていた。
振り返り真司を捕らえた二人は、ぱっと表情を変える。一方は輝かしい程の笑顔で、一人は眉間にしわを寄せて。
「おわ!寝起きの真司ちょー可愛い!」
「高尾、少し黙ってろ」
ばっと手を広げてこちらに来ようとした高尾は、緑間に頭を掴まれ止まった。
正反対の二人の仲の良い姿。見慣れたものだが、今の真司には余りに受け入れがたい。
困惑の目を泳がせていると、黒子が小さな口を薄く開いた。
「緑間君達もここで合宿みたいです」
「そ、そんな事ってあるんだ…」
「はい。びっくりです」
「黒子、お前はもうちょっと驚けよ」
がしがしと頭をかく火神は、真司と同じく未だ驚きから覚めていないようだ。
とはいえ何度瞬きを繰り返してもこの現実は変わらないわけで。
真司は恐る恐る緑間を見上げ、頭を少し下げた。
「…ひさしぶり、だね」
「まー言う程久しぶりってわけでもねーけどな、真司とは!」
緑間の手を抜けた高尾がぴょんと真司に抱き着く。
その後ろで黒子と火神と緑間の眉間に若干のシワが寄ったのを真司は知らない。
「真司とどこかで会ってたのか?」
「ん?真司がオレ等に会いに来たんだぜって…へー、知らなかったんだ」
「…」
にやにやと笑う高尾に火神の顔がより一層不機嫌になる。
それに気付いてというわけでもないが、緑間の手は再び高尾の首根っこを掴んだ。
「高尾、いい加減にするのだよ!」
「おわっ!もー真ちゃんってばランボー」
真司を挟んで何となく思い空気が漂う。
そんな中、緑間が何気なく中指を使って眼鏡を押し上げると、真司の中の何かが騒いだ。
「…っ」
テーピングの巻かれた細くて長くて、それでいてがっしりとした指に、妙な高揚を覚える。
「烏羽君?どうかしたんですか」
「え…?」
「顔が赤いように見えますが…」
「っ!」
何もかも見透かすような丸い瞳に見つめられれば、あっという間に真司の顔は火照り上がった。
違う、昨日の事は誰も知らないし、今の真司の気持ちだって誰も知らない。
それでも、もうじっとしている事は出来なかった。
「あ…え、えっと、俺、着替えてくる!」
かなり変だった自覚はある。
だからこそ、真司は振り返らずに来た道をダッシュで戻った。
超短距離を自慢の足で駆け抜けて、ばんばんと激しい音を立てて部屋の中に入る。
驚いた様子の降旗と目が合ったが、真司は構うことなく布団の中にもぐりこんだ。
「…烏羽?そろそろ起きた方がいいと思うけど…っていうか、どうした?」
「ご…五分、だけだから…」
「え、あ…おう…?」
丸くなった背中で布団が山になる。
苦しい程の胸の高鳴り、こんな風になるのは久しぶりだ。
(なんで…こんなタイミングで緑間君が…!)
立て続けに起こる出来事に頭も体もついて行かない。
何とか冷静になろうと高校で難しくなった数学の公式をぐるぐると思い浮かべても、熱くなった顔が治まるのに五分は足りなかった。
・・・
「なんだぁ…?」
きょとんと目を丸くした高尾が、唇を尖らせて呟いた。
それを切っ掛けに、真司を目で追った彼等に訪れた静寂が解かれる。
「真司のあんな顔初めてみたけど、何かあった?」
「いや…知らねぇ、けど」
高尾と火神が目を合わせて首を傾げる。それに対して、黒子は何も言わずに目を伏せていた。
心当たりがあるのは、この中で黒子だけ。だが、それについて言う事は絶対に出来ない。
「もしかして真ちゃん、視線で何か送ったんだろ」
「…」
「え、まさか、マジで?」
一人全く別の考察をした高尾がぷくくっと頬を膨らませる。
その笑いを堪えた頬を緑間は無言でつねると、黒子を見下ろし口を開いた。
「黒子、お前か」
「…はい?」
「何かしたんじゃないだろうな、お前が」
「…どうでしょう、分かりません」
確かに黒子は何かをした。
とはいえ、このタイミングで真司が真っ赤になって恥じらうなんて、そんな事に繋がるとは思えないのだ。
「…君こそ」
「何だ」
「目で何か送ったんじゃないですか、テレパシーとか」
無表情で言う黒子に、高尾はとうとうギャハハと笑い出し黒子の背中をばしばしと叩いた。
黒子もそう思う?なんて本当は誰もそんな事を考えてはいないのに。
緑間は黒子から目を逸らすと、真司の逃げた方を遠く見つめていた。
内容は同じ。基礎や練習試合など、やり慣れたものだけだ。
しかし彼等の体には変化が起こっていた。
「すげぇ!動きやっす!」
「なんかいつもより楽だ…!」
自然とそんな感想が零れてしまう程、ドリブル、シュート、何をしてもボールが指に馴染み、足がかなり軽く楽に動ける。
それを感じたのは一人二人ではなく、部員全員。真司も同様だ。
砂浜での練習は、地面を蹴る時に重要な親指の付け根に、自然に力が集約する事を身に着ける練習だったらしい。
そんなこんなで。
調子よく練習を続けた結果、お世辞にも綺麗とはいえない古びた宿舎に戻った頃には疲労は最大にまで上り詰めていて。
誰よりも走り回った真司は、宿舎の廊下をふらふらと壁沿いに歩いていた。
「ふあ…」
リコの作った食事も無事済ませて、後は風呂に入れば寝るだけだ。
分かっているのに、もう体は動きたくないと訴えてくる。
部屋に戻ってぽてっと布団に沈んだ真司は、既にほとんど眠りに入っていた。
「烏羽、まだ寝んなよ?」
「んー…」
「今寝たら起きれなくなるぞー」
「ん…」
降旗がとんとんと肩を叩いて呼びかけてくるも、真司の返事はもう返答にはなっていない。
嗅ぎ慣れない畳の匂い。違う感触の布団。
そんなことは気にならず、誘ってくる睡魔に真司は体を預けてしまった。
・・・
それから、そう長くは経っていなかったと思う。
かたんと扉が開く音に続いて、軽い足音が近付いてくるのが微かな意識の中聞こえていた。
(誰、だろう)
確か部屋は一年と二年で分けられていたはずだ。
真司が間違って二年の教室に乗り込んでいない限りは、火神か黒子か…その他もろもろの一年生の誰かだろう。
「…烏羽君」
ぽつりと、細い声。
ほとんど真司の耳には届いていなかったものの、その細い声から何となく誰かは分かった気がした。
「烏羽君、…寝て、いるんですか」
寝ているか、寝てないか。
どちらかと問われればむしろ寝ていたのかもしれない。
重い瞼は開くことなく、呼吸は一定に保ったまま。
その呼吸が、一瞬重なった気がした。
「…烏羽君、すみません」
もう一度聞こえた声は、息がかかる程の距離から聞こえていて。
さすがに意識が浮上した真司には、息を捕らえるように口を塞いだものが何か、ぼんやりとした思考の中でも分かってしまった。
「…て、テツ君…?」
唇から柔い感触が離れて、恐る恐る真司は目を開いた。
思っていた通り、至近距離にあった丸い目が真司を見つめている。驚いている様子は無い。
「い、今…」
「烏羽君。ボクは、気付いて欲しかったのかもしれません」
「え、な、何…」
淡々と、普段とは何ら変わらない様子で話す。
その黒子の頬は、薄らと赤い。それが尚更真司の想像を明確にさせ始める。
「烏羽君、ボクは君が」
「ま、待って…テツ君、」
「君が好きです。ずっと好きです」
黒子の言葉に、真司の目は完全に開いた。
今まで黒子からは一度も聞くことの無かった言葉。
「う、そ…嘘、だよ」
「本当はずっと黙っているつもりでした。でも、君が火神君や先輩方にも近付くのが耐えられなくて」
「そ…んっ」
信じられず小さく首を振った真司に、黒子は何度目かになるのだろう口付けをした。
黒子が自分を。ずっと。いつから。どうして今。
いろんな事が頭を巡り過ぎて、どんどん頭の中は真っ白になって行く。
「っは…」
「烏羽君…どうか、ボクの事も意識してください」
「そ、んな…」
「もう、ただの友達は嫌なんです」
もう止めてくれ、そう願っても黒子の言葉はどんどん真司を追い詰める。
なのに胸の高鳴りから起こる苦しさは、決して嫌なものでは無い、だなんて。
「そんな事、俺…」
「すみません、困らせてしまって。でも、ボクは後悔していません」
「…っ」
真司の頭の横に手を付いた黒子が、体を起き上らせる。
それに釣られて体を起き上らせると、忘れていた疲労が体に襲いかかってきた。
「あ…」
「危ないですよ」
別に立とうとしたワケでも無いのに、ふらりと揺れた体を黒子の色白な手が支えている。
そんな事にさえ、真司の心臓がまたどくんと鳴った。
「烏羽君、大丈夫ですか?」
「え、あ…うん…。いや、テツ君だって…」
「そうですね。正直今すぐにでも寝てしまいたいです」
動揺が伝わらないように言葉を交わしても、目が合う事はなかった。
というより、合わせられなかった。真っ赤な顔を、見られたくなくて。
「…」
黒子との間に生まれた事の無い沈黙が落ちる。落ち着かない、嫌な沈黙だ。
それが耐え難くて意味も無く手を擦らせていると、とんとんと扉が叩かれた。
「風呂入ってない奴いるか?」
言葉と同時にかたんと扉が開けられる。
思わずびくりと体を揺らして振り返ると、部屋に入ってきた日向と目が合ってしまった。
「日向先輩…!」
「部屋にいんのはお前等二人だけか」
「は、はい…い、いえ別に、その…」
「は?」
決して見られたわけではない。
そう分かっているのに、妙な緊張感が部屋に流れる。
「何、お前等…」
「日向先輩、お風呂がどうかしたんですか」
「あ?ああ…」
真司と違い落ち着いている黒子のおかげで、何とか日向の気を逸らせただろうか。
納得いかないような頷きをした日向は、その後に軽く咳払いをして続けた。
「…最後、オレが見回りすっから…風呂、入ってなければ入って欲しいんだけど」
「烏羽君、入ってないですよね」
汗臭いです。そう言われてはっと顔を上げると、そこに立っている日向は着替えやらタオルを抱えていて。
あ、お風呂に行くんだなぁ。と他人事に考えそうになった頭を、真司は左右に大きく振った。
「俺も、行きます」
「じゃあさっさと行くぞ」
「はい…!」
焦りからもたつく手で何とか着替えとシャンプーやら何やら抱える。
先に部屋を出た日向を追って真司もぱたぱたと扉の方へ向かうと、すれ違いざま黒子に手を掴まれて立ち止まった。
「っ!」
「烏羽君、別に返事とか、急いで欲しいわけじゃないですから」
「お、お風呂、行ってきます…!」
きっと黒子は、そんなに構えないでくれと真司の心に余裕を与えようとしてくれたのだろう。
しかし、今の真司にはそんな事を考える余裕すらなく。
更に止まらなくなってしまった鼓動から、熱まで治まらなくなっていた。
まだ心臓が煩い。黒子の言葉、声色、表情、熱が頭から離れない。
まさか、考えもしなかったのだ。
(テツ君が…俺を…?)
青峰の事が好きだと気付いた時だって、黄瀬との関係に悩んだ時だってそう。黒子はいつでも真司の味方だった。
それは、友達だからでは無かったのか。
(テツ君の気持ち、全然気が付かなかった…)
嬉しさとか恥ずかしさよりも困惑の方が遥かに大きい。
そして困惑と同時に罪悪感が真司の胸をズキズキと刺激してくる。
「…っ」
何か抑えていないといろんな感情が漏れ出しそうで、真司は腕に抱えられた着替えをぎゅっと抱き締めた。
泣きたい、違う。嬉しい…いや、それも違う。ドキドキはしている。
「烏羽」
真司は足元をじっと見つめたまま、やはり自分は変なのだと言い聞かせた。
何かあるのだ、きっと。そうでなければ、キセキの世代に留まらず黒子も、火神もだなんて。
「(俺は…そんなに良い人間じゃないのに)」
「烏羽ー」
「え、」
ふと聞こえた声が、真司の意識を現実へと引き戻した。同時にぺたぺたと二つあったはずの足音が一つ消えていることに気付く。
それでようやく顔を上げた真司は、怪訝そうに目を細めている日向をその目に映した。
「何ぼーっとしてんだ」
「す、すみません…たぶん、疲れてるんだと思います…」
「あー、まぁそれもあるんだろうな。ほら、入れ」
よく見ると、日向はそこにある扉を開き、とんとんと叩いている。
真司は自然とそこが風呂場なのだろうと感じ取り足を進めた。
「って、二人がギリギリなんですね」
すぐにそう漏らした真司の眼前には、想像していた“合宿での風呂”とはかけ離れた、狭い風呂場が広がっている。
誰かが先程まで入っていたのだろう、通り過ぎたもわっとした熱は真司の浮ついた気持ちを引き戻すかのようで。
真司は小さく首を振り息を吐いてから、抱きしめていた着替えをそこにあった籠に入れた。
「…烏羽、聞いてもいいか」
ぱたんと扉の閉められた音。
涼しくはないが外の空気と遮断され、そこは一気に息苦しくなったように感じられた。
「はい、何ですか?」
「お前さぁ…また何かあったろ」
「…は、い?」
首だけを横に向けて、日向の顔を見上げる。
そういえば、このままだと日向と二人で風呂に入ることになるのか。
茫然とそんな事を頭の隅で考えたのは、日向の質問から然り気無く意識を離したかったからだろう。
「火神も…あとさっき、黒子とも。何か前より変な空気になってんだよ」
「変な…」
「それでオレも…いや、こんな事言うのはどうかって思うんだけど…」
様子を探るような日向の視線に、真司の中には嫌な予感が巡り始めた。
隠すつもりがあったわけでは無いが、知られて良いものでも無い。
真司の心の中。中学での人間関係。
「お前ってなんか、魅力的なんだよな」
「…は、い…え…?」
しかし、日向の言葉は考えていたものと余りにも違っていて。
真司は顔を上げて、さすがに言葉を失ってしまった。
「あー、いや、今の言い方は違うか…。つまり、なんだ。お前の気持ちと裏腹に、お前に惚れちまってんだな」
「…、え…」
「黒子と火神」
正直、日向が何を言っているのかよく分かってはいなかった。
とはいえそれ以上に詳しく追及されるのが嫌で、真司の首は小さく縦に揺れた。
さっさとこの話が終わってしまえばいい、そんな思いだけで。
「更に言ってしまえばまぁ…オレも気になってる」
「何が、ですか」
「今の流れで察しろ」
しかし、終わるどころかややこしい事になっていると気付くのは、沈黙が数秒続いてからだった。
「……え」
「いや、正確に言えば分からねーし…自分でも戸惑ってるくらいなんだけど」
「ちょ…なんですか、え?」
見上げた日向の顔が思っていたよりも真面目で、余計に真司の頭の中は真っ白になっていく。
もし今朝のおは朝を見ていたなら、きっと運勢最悪だとか一人にならない方がいいとかあったのだろう。
そして緑間がいたならラッキーアイテムで回避も可能だったのかもしれない。
「勝手な事言って悪いんだけど…確認していいか?」
「か、確認?」
「ほら、服脱げ」
「や…え、お風呂…ですよね…?」
真面目な顔をしたまま、日向が真司との距離を縮める。
それを茫然と眺めて、肩を掴まれた瞬間「あ、やばい」と気付いても遅かった。
「ほら、ばんざい」
「え…い、いや自分で脱ぎますよ!」
日向が何をどう考えているかは別として、風呂に来たという事実は変わらない。
この流れでどうなのかとも思いつつ、真司は日向の視線を感じながらも、汗臭い服を脱いで籠にかけた。
「一応言っておきますけど…日向先輩、俺は間違いなく男です」
「知ってる」
「そりゃ…童顔って事は分かってますけど…」
「ま、切っ掛けは顔だろうな。否定はしねーよ」
投げやりな言い方。分かる、日向も戸惑っていることくらい。それが普通なのだ。
「悪ぃ」
次に聞こえたその声は、本当に申し訳なさそうに掠れていた。
それに驚く間もなく日向の大きな手のひらが真司の胸に重なり、するりと撫でる。
その時真司の肩がびくっと震えたのは、単純にくすぐったかったからだ。
「ちょっ…」
「べたべたしてんな」
「汗かいたからですよ…!」
身体検査でもするかのように、日向はゆっくりと手を真司の体へ這わした。
胸、腹、腰、背中。さすがに背中は抱き締められているかのようで緊張したが、それでもくすぐったいという感覚で何とか気持ちを誤魔化せた。
いけなかったのは、恐らくタイミングだった。
「烏羽は、中学ん時もかなり可愛がられてたろ」
「え…」
「そん中で青峰が好きって…他の奴等はさぞ悔しかったろーな」
「…」
当人以外では黒子しか知らないであろう彼等との関係。バスケを始めるに至った不純な経緯。
そして…その過去を忘れ去ろうとしつつも今尚求める熱は。
「先輩…止めて下さい…」
「あ、いや、悪かったな」
「違うんです。俺は…先輩が思っているような…人間じゃなくて…」
本当はずっと欲しかった。
彼らと離れて黒子と共にいて、暫く忘れられたのも事実だ。
しかし今は、黒子に触れられて沸き上がった熱が、今度は日向によってかきみだされて。
日向の指が図らずも胸の中心に触れた瞬間、ぞくりと走る刺激を感じてしまった。
「…っ!す、みません…俺、トイレに…」
「ちょっと待て烏羽」
「わっ」
これ以上は駄目だ。そう思ってドアに伸ばした手は日向に掴まれていた。
その間にも、真司の体は思い出された疼きに耐えようと震えているのに。
「隠さなくていい」
「は?いや、そういう問題じゃ」
「こっち、背中預けて立ってろ」
「せ、先輩…!?」
日向の手に引き寄せられるまま、籠を乗せている棚から壁の方へ移動させられる。
狭い着替え場、大した距離は移動していないものの、真司の緊張度合は確実に変わっている。
このまま日向に従ってここに居て良いのか。そんな疑問は確かにある。
しかし、真司の中に少しとはいえ期待があったから、逃げようという考えには至らなかった。
「どうせ脱ぐんだから、下も脱いじまえ」
「…っ、で、でも」
「ほんっと…どうかしてるよな…分かってんだけどさ」
眉を寄せた日向の表情に一瞬気が緩んで、その隙にするりとズボンが下ろされる。
人前で全てを晒すのはいつぶりだろうか。
正直、その程度では恥ずかしいとも思わなくなっていた時もあった。勿論、今は違う。
「…っ!」
思わず真司は手を口に運んだ。
古い建物だ。ここの壁も恐らく薄い。変に声を上げれば今よりももっと大変な事になる。
「せ…せんぱい…」
「あー、やっぱ嫌悪感ねーな…」
戸惑いを含んだ日向の声。
見上げれば、日向は自身を嘲笑するかのような笑みを浮かべていて。
「ごめんなさい…」
「は?烏羽は悪くないだろ。オレが…お前を好きになったのが悪い」
「…それこそ…悪くないじゃないですか…」
そうかな。そう微かに呟いたのが聞こえた。
それと同時に、日向の中で何かが吹っ切れたのだろう。
真司は日向に抱き締められていた。
風呂を入りに来て全裸になる事は別段変わったことでは無い。
しかし、それで抱き締められているとなると話はかなり変わってくる。
「あ、あの…本当に俺、やばい、んですけど…」
既に真司の下半身の膨らみは誤魔化せるレベルで無くなっているというのに。
「正直、オレもかなりやばい」
「え…日向せんぱ、い…っ!?」
ただ抱き締めていた日向の手が、躊躇いがちに真司の胸を撫でた。
その行為に何か意味があったのかは分からないが、真司の体は情けなくも反応してしまった。
妙な刺激に戸惑い震えた手が、真司の意志に反し日向の服を掴む。
押し返すのではなく、むしろ引き寄せてしまったのは、完全に羞恥心を期待が上回っていたからだろう。
「いいか?って、聞くのもどうかと思うけど…」
「っ、…先輩は、いいんですか…?」
主語も何もかも欠けた会話だ。
「オレは…お前に、触りたいって思ってる」
「そ、…ですか」
「後で泣くんじゃねーぞ」
「それは無いです…」
傍から聞いたら、かみ合っているのかも怪しい。
それでも、この会話の中で真司は覚悟を決めていた。勿論日向も。
それを証明するかのように、まだ確信を持って触れてはいなかった日向の指が、ようやく真司の乳首を摘まんだ。
痛まない程度に優しく。探るかのようにゆっくりと。
「ふ、ぁ…」
「これ、気持ちいいのか?」
「はい、あ…でも、ちょっと、物足りないっていうか…その…」
「痛い方が好きなのかよ」
「違います…!」
確かに気持ちはいいが、胸から与えられる刺激はもどかしい。
もっと直接的な刺激を求めて無意識に足を擦らせてしまう。
その真司の仕草に気付いた日向は、一瞬ぴくりと手を止めた。
「…それ、触っていいってことだよな」
「え、…っと」
「じゃあ、触る」
「…」
返答などしていないのに。
真司の心の内は既にばれているという事か。日向は真司の股間に指を伸ばした。
「うぁ…、っ」
軽く触れられただけ。なのに真司の声は甘さを増していた。
高校に入ってから、この手の事から離れた生活をしていたのだ。人に触られる事は勿論、自分での行為も。
「ん…ぁ、あ」
だからこそ、久々に触れられる今、期待が膨らんでいく。
「っぁ…ひゅ、が…先輩…」
「お、っ前な、なんつー声出してんだよ…」
「し、知りませ、」
気を抜くと大きな声が出てしまいそうで、真司は無意識に唇を噛んだ。
するとそれに気付いたのだろう、日向は触れている手とは反対の手の指を真司の唇に当てた。
「咥えるとか噛むとか、していいから」
「ふ、は…っ」
日向の指を傷つけないように、口に咥えて軽く歯を立てる。
本当はそんな事したく無かったけれど、何よりも今は声を抑えることに必死だったのだ。
『あれ?日向どこ行った?』
『日向は風呂行ったはずだけど』
『じゃー、今のうちにトランプしようぜ』
どたどたと通り過ぎる足音や、声。日常はすぐそこにあるのに、この狭い空間だけ外れた道を進んでいる。
真司は思わず息を止めて、不安から日向を見上げた。
「ったく、あいつ等さっさと寝ろっての」
しかし、日向は大して緊張もしていないらしい。扉を見て小さく呟き、真司の視線に気付くとふっと笑った。
「まーあれだ。もしバレても全部オレのせいにすればいいから」
「そんな事っ」
「ホント…悪ぃ」
そして申し訳なさそうに眉を下げて、指を真司の口に押し込む。
日向の躊躇いないそんな行動に真司は何故か高揚していた。
舌に絡み付く指が、口から零れる唾液が、嘗ての感覚を呼び起こす。
「…ん、っ」
「なぁ烏羽…他の奴とこういう事、した事あんのか?」
そのタイミングでの突然の問い。
心を読まれたかのようで、真司の頭は一瞬真っ白になった。
「…っ」
「いや…言いたくなきゃいいよ」
言いたくない。けれど、こんな質問、何かしらに感づいていなければしないだろう。そもそも、ここまでしておいて何を隠すというのか。
今更隠すことなど無い。真司は戸惑いながらも日向の指を口から離した。
「日向先輩の言った通りです、俺は…皆に、可愛がってもらってました」
「…中学の、同期か?」
「キセキの世代と、呼ばれる皆に…です」
変な声が出ないように唾を飲み、鼻から大きく息を吸い込む。
それでも日向の手の動きは止まらず、真司は押し寄せる波に耐えながら言葉を続けた。
「ぁ、愛してもらえるのが…っ、う、れしくて…。触ってもらえるの、も…」
「…」
「でも…皆の事、俺も好きで…、今は、何も、してなくて…」
言いたい事がはっきりと言えていた自信は無い。
それでも、日向はうんうんと数回頷いて、それから真司の背中をとんと叩いた。
「今は何もないんだな」
「何も、っていうか…こういう事はして、な…!あ、っ」
「それはちょっと、つかかなり安心した」
見上げた日向の顔は言葉通りに目を細めて微笑んでいて。
思わず高鳴った胸に意識を逸らしたのも束の間、急に激しくなった動きに真司は日向の腕にしがみ付いた。
「ん…っ、も、先輩…」
「烏羽、お前可愛いよ」
部活ではドスの利いた少し棘のあるその声が、今は余りにも優しくて。真司はちかちかする感覚を覚えながらぎゅっと目を瞑った。
「…っ…!!」
大声で喘ぎたくなる程の快感を何とか耐える。
久々に体の奥から解放された欲に、体は暫く小刻みに震えて、息も途切れ途切れに吐き出された。
「はぁ…っ、ァ…、」
この間にも数回しごかれて、一度出し切ったかと思われた精液が床を汚す。
そんな事を気にする余裕はなく。痺れるような余韻の中、真司は日向の腕に身を任せていた。
「大丈夫か?」
「はぁ…、っ、大丈夫、です。先輩こそ、その…」
少しずつ冷静になる頭で、男相手にこんな事して大丈夫だったのだろうか…などと考えて。
しかし、そんな事も日向の顔を見たら言えなくなっていた。
愛しいものを見るかのように細められた目。眼鏡の奥の瞳は真っ直ぐに真司を見つめている。
「…」
「じゃあまあ…風呂入るか」
相変わらずそういう思いは嬉しい反面、今まで普通だったからこその緊張は拭えない。
戸惑い固まったままの真司に対し、あっさりと切り替えた日向は、片手を緩く握りしめたまま服を脱ぎ始めた。
その手の中にあるものを想像すると、一度去った羞恥心が真司の中に戻ってくる。
「す、すみません…」
「は?いや、謝んなくていーから。そもそも悪いのはオレだし」
「でも…俺ばっかり…」
自分で言いかけた言葉に、真司ははっとして日向を見た。
「その、日向先輩の…」
「あ?あ…気にすんな。すぐ、落ち着くから…」
「…」
短パンに手をかけたまま止まった日向の頬に冷や汗が流れる。
恐らくそのズボンの下は、さっきまでの真司のようになっていることだろう。
それを真司が何とかしてやる事は出来る。方法だって一つや二つじゃない。
「…では、その、お先に…」
しかし、真司は火照った体を起き上らせるとそのまま先に風呂へと続く扉を開けた。
がららっと軽い音に、更なる熱が襲い掛かってくる。
真司は捨てきれない罪悪感から一度だけ日向を振り返り、そしてその境を閉めた。
「…はぁ」
同時に吐き出された二つの溜め息。
真司は一人になったその狭い浴場で、指を下へ移動させた。
疼くのは、その奥深く。
(入れて欲しいなんて…)
日向に対して願いかけたそれは、日向を間違った世界へ引き込む、間違った感覚だった。
「…はぁ」
匂いの違う布団の上で、真司は重いため息を吐き出した。
結局あの後日向は浴場に入って来なかった。まぁそれも当然だろう。真司と入れ替わるように入った日向とは、目を合わせるだけで精一杯だったくらいだ。
(どうして、あんな事しちゃったんだろう…)
悪いのはきっと自分だ。それは恐らく間違いないのだろうが、心当たりが見当たらない。
黒子に触れられて高揚していたのがバレたか。いや、だからといって日向との事に関わってくるとは思えない。
「…っ」
ぐっと息を呑んでごろりと寝返りを打つ。
すると目の前に眠っている黒子の顔が映ってしまい、真司は咄嗟に顔を反対に向けた。
「…何か、あったのか?」
「え」
電気を消して暗くなった部屋の中、赤い目が真司を見つめている。
適当に空いている布団に寝たのだが、どうやら黒子と火神の間に入っていたようだ。
「か、火神君」
「何かさっきからお前、変だぞ」
火神の目は怪訝そうに細められている。
確かに、顔をしかめたり唸ったり寝返りを無駄に打ったり、普通ではない動きをしていたかもしれない。
黒子と日向と。次々に告げられた思いに真司は何も答えていない。
火神にだって答えていないのに、何をどうすれば良いと言うのか。変になるってものだ。
「火神君…。俺、どうしたら良いのかな…」
「な、何が」
「甘えるだけ甘えて…」
縋りついて、それで気持ちには応えないなんて、それこそ自分に甘すぎる。
そう思うのに、それを怒って欲しいのに、火神は柔らかく微笑んでいた。
「いーんじゃね」
「え…」
「別にオレは、嫌じゃねーし」
それからすぐに照れ臭そうに視線が逸らされる。そういう風に優しくされるから甘えてしまうのだというのに。
しかし、そう言われてはもう何も言い返す事は出来なくて、未だもやもやする思いを抱えたまま真司は目を閉じた。
(火神君がそう思っても…それじゃ駄目、なんだよ…)
疲れ切った体は、真司の迷いに反してあっさりと眠りへ落としていた。
・・・
合宿二日目の朝。
真司は騒がしい声で目を覚ました。
「…?」
声は部屋の外から聞こえてきている。
真司はのそのそと布団から起き上り、目を擦りながら部屋の外に出た。
「何…」
ぐっすりと寝れた気がするが、まだ取れ切っていない疲れに瞼が重い。
その中でゆっくりと目を開けると、水道付近に集まっている人が見えた。
火神と黒子。それとあと二人。
「え、え…え?」
思わず一人で困惑の声を上げて足早に近づく。
背の高い緑髪の男と、その横で目を点にしている黒髪の男。まさかここにいるはずはない、他校の二人。
「緑間君、高尾君…?」
信じられないという思いで、明らかにその二人を目に映しながら真司は問いかけていた。
振り返り真司を捕らえた二人は、ぱっと表情を変える。一方は輝かしい程の笑顔で、一人は眉間にしわを寄せて。
「おわ!寝起きの真司ちょー可愛い!」
「高尾、少し黙ってろ」
ばっと手を広げてこちらに来ようとした高尾は、緑間に頭を掴まれ止まった。
正反対の二人の仲の良い姿。見慣れたものだが、今の真司には余りに受け入れがたい。
困惑の目を泳がせていると、黒子が小さな口を薄く開いた。
「緑間君達もここで合宿みたいです」
「そ、そんな事ってあるんだ…」
「はい。びっくりです」
「黒子、お前はもうちょっと驚けよ」
がしがしと頭をかく火神は、真司と同じく未だ驚きから覚めていないようだ。
とはいえ何度瞬きを繰り返してもこの現実は変わらないわけで。
真司は恐る恐る緑間を見上げ、頭を少し下げた。
「…ひさしぶり、だね」
「まー言う程久しぶりってわけでもねーけどな、真司とは!」
緑間の手を抜けた高尾がぴょんと真司に抱き着く。
その後ろで黒子と火神と緑間の眉間に若干のシワが寄ったのを真司は知らない。
「真司とどこかで会ってたのか?」
「ん?真司がオレ等に会いに来たんだぜって…へー、知らなかったんだ」
「…」
にやにやと笑う高尾に火神の顔がより一層不機嫌になる。
それに気付いてというわけでもないが、緑間の手は再び高尾の首根っこを掴んだ。
「高尾、いい加減にするのだよ!」
「おわっ!もー真ちゃんってばランボー」
真司を挟んで何となく思い空気が漂う。
そんな中、緑間が何気なく中指を使って眼鏡を押し上げると、真司の中の何かが騒いだ。
「…っ」
テーピングの巻かれた細くて長くて、それでいてがっしりとした指に、妙な高揚を覚える。
「烏羽君?どうかしたんですか」
「え…?」
「顔が赤いように見えますが…」
「っ!」
何もかも見透かすような丸い瞳に見つめられれば、あっという間に真司の顔は火照り上がった。
違う、昨日の事は誰も知らないし、今の真司の気持ちだって誰も知らない。
それでも、もうじっとしている事は出来なかった。
「あ…え、えっと、俺、着替えてくる!」
かなり変だった自覚はある。
だからこそ、真司は振り返らずに来た道をダッシュで戻った。
超短距離を自慢の足で駆け抜けて、ばんばんと激しい音を立てて部屋の中に入る。
驚いた様子の降旗と目が合ったが、真司は構うことなく布団の中にもぐりこんだ。
「…烏羽?そろそろ起きた方がいいと思うけど…っていうか、どうした?」
「ご…五分、だけだから…」
「え、あ…おう…?」
丸くなった背中で布団が山になる。
苦しい程の胸の高鳴り、こんな風になるのは久しぶりだ。
(なんで…こんなタイミングで緑間君が…!)
立て続けに起こる出来事に頭も体もついて行かない。
何とか冷静になろうと高校で難しくなった数学の公式をぐるぐると思い浮かべても、熱くなった顔が治まるのに五分は足りなかった。
・・・
「なんだぁ…?」
きょとんと目を丸くした高尾が、唇を尖らせて呟いた。
それを切っ掛けに、真司を目で追った彼等に訪れた静寂が解かれる。
「真司のあんな顔初めてみたけど、何かあった?」
「いや…知らねぇ、けど」
高尾と火神が目を合わせて首を傾げる。それに対して、黒子は何も言わずに目を伏せていた。
心当たりがあるのは、この中で黒子だけ。だが、それについて言う事は絶対に出来ない。
「もしかして真ちゃん、視線で何か送ったんだろ」
「…」
「え、まさか、マジで?」
一人全く別の考察をした高尾がぷくくっと頬を膨らませる。
その笑いを堪えた頬を緑間は無言でつねると、黒子を見下ろし口を開いた。
「黒子、お前か」
「…はい?」
「何かしたんじゃないだろうな、お前が」
「…どうでしょう、分かりません」
確かに黒子は何かをした。
とはいえ、このタイミングで真司が真っ赤になって恥じらうなんて、そんな事に繋がるとは思えないのだ。
「…君こそ」
「何だ」
「目で何か送ったんじゃないですか、テレパシーとか」
無表情で言う黒子に、高尾はとうとうギャハハと笑い出し黒子の背中をばしばしと叩いた。
黒子もそう思う?なんて本当は誰もそんな事を考えてはいないのに。
緑間は黒子から目を逸らすと、真司の逃げた方を遠く見つめていた。