黒バス(2012.10~2017.12)
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しかし、転機はすぐに訪れた。
体育館に響くボールとバッシュの擦れる音、大きな体がぶつかり合う音。
目の前で繰り広げられているのは、火神と木吉の1on1だ。
体格はやはり木吉の方が上。速さも互角に近い。
とはいえやはり押しているのは火神の方か。
「…木吉先輩、火神君…」
何故こうなったのか、経緯…何てものはほとんど無かった。
先程まで行っていたのは、チームに分けての練習だったのだ。
分かっていたことだが、火神はやはり様子が変で。一人で無理矢理攻めていった火神は、躊躇いもなくファウルをした。
そんなことで中断した試合。
何故かその時に、木吉が火神に1on1をしようと誘ったのだ。
(もしかして、木吉先輩は何か…火神君に感じることがあったんじゃないかな)
そう思うのは、火神の見せたプレイが余りにも独りよがりだったから。
そして、やはりこのタイミングで復帰した木吉に何か期待をしてしまうからか。
ガシャンという激しい音で、真司は意識を試合に戻した。
ゴールに吸い込まれたボールが地面に落ちる。火神がダンクを決めたのだ。
「…参った。オレの負けだ」
すんなりと負けを認めた木吉は、少し悔しそうに眉を寄せていた。
いくら先輩で体格が良くても、ブランクがあって火神に勝てるはず無かった。
「…先、上がります」
木吉に勝った、それに対して思う事は何もないのか、火神はそれだけ言うと背を向けてしまった。
足は真っ直ぐに体育館の扉へと向かっている。
「っ、火神君!」
真司は思わず火神を呼びかけ、そして木吉とリコをちらと見た。
「ん?」
「あ、あの…俺、火神君追いかけます」
「あ、ちょっと烏羽君!?」
リコが待て、と言いたげな声を上げていたが、真司はもう走り出していた。
火神の今のプレイは駄目だ。せめてちゃんと話をしたい。
それが自分勝手な事だとしても、今度こそ、黒子を悲しませるわけにはいかないから。
「火神君、待って!」
体育館を出て、まだそこに見える火神の背中に呼びかける。
火神はぴくりと肩を震わせて、それでも振り返ることはしなかった。
「火神君、本当に帰るの?」
「…あぁ」
「俺も、一緒に行く」
「は?」
すっとんきょうな声を上げた火神を気にせず部室に入る。
火神は暫く戸惑いの目を真司へ向けてから、その後を追うように部室へ足を運んだ。
「…」
微妙な空気が漂う。
同じクラスでもないし、部活以外で顔を見せる事が無い。最近は特に会う回数は減っていた。
「…火神君、どうせこのまま帰るんじゃないんでしょ」
「え」
「どうせストバスしてから帰るんだろ、って」
「あぁ…まぁ、そのつもりだったけど」
火神の声には覇気がない。何も、そこまで緊張することはないだろうに。
そう思いながら薄らと汗をかいたTシャツを脱いで、頭をぶんぶんと振る。
その瞬間、火神の息を呑む音が聞こえて、真司はある事を思い出した。
(そういえば、火神君って俺のこと…)
盗み見るように視線だけを動かす。
筋肉のついた太い腕。少しずつ視線を上げると自分にはない肉体がそこにあって。
「…っ、」
「な、んだよ」
「なんでもない…」
忘れていた、わけじゃなくて。考えないようにしていた。考えると、無駄に意識してしまうから。
何せ、言わずもがな彼は格好いいのだ。
「おい、さっさと服着ろよ」
「あ…うん。ごめん」
意味も無く謝って、制服を手に取る。
着込む直前に火神を見上げると、火神はこちらを見ていたらしくどちらともなくパッと目を逸らした。
言わんこっちゃない。意識してしまっている。
真司はいそいそと制服に着替え、帰る準備を済ませた火神を追って鞄を肩にかけた。
・・・
だんっとドリブルの音が耳を掠める。
やはり火神は真っ直ぐにストリートコートに向かって行った。
それを数歩後ろからついて行った真司には、別にバスケをやる気は無く。今は茫然とその姿を眺めている。
「やっぱ、すごいな…」
重力を無視したかのような大きな体のその跳躍力に今更感動しつつ。
いつ話そうか…なんて柄にもなく緊張していた真司は、練習を途中で止めていた火神が目の前に立っていることに気が付かなかった。
「なぁ、真司」
「…!」
「ちょっと、いいか」
火神は片手で汗を拭いながら、ベンチに座る真司を見下ろしている。
真司は思わずごくりと唾を飲み込んで、小さくこくりと頷いた。
「あんま掘り返したくねーんだけどよ、お前は青峰を好き、なんだろ」
「…それ?今、そんな事聞く?」
「いや…ふと思い出したんだよ。お前さ、黄瀬と…付き合ってんじゃねーのか?」
探るような火神の声。
それを真司は頭の中で数回復唱して、口をぱくぱくと動かした。
黄瀬と付き合ってる、誰が。
「…な、なんで!?」
「何で…って、お前、前に黄瀬と…」
火神にそれを悟られるような行為をしただろうか。
必死に記憶を巡らせて、そして真司は絶句した。
(火神君の前で、黄瀬君にキスされたんだ…!)
真司の様子に、火神も真司が思い出したと悟ったのだろう。
頬を若干赤く染めて、視線を逸らされる。
「黄瀬も青峰も…こいつら、キセキの世代なんだろ。もしかして緑間も」
こちらを見ない火神の口からは、隠したい真司の事実が綴られていく。
馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、火神は思っていた以上に聡い人間だったようだ。
なんて、そんなことを考える余裕は今の真司には無い。
「…ご、ごめん」
「あ?なんで謝んだよ」
「俺、変だから…。火神君まで、巻き込んで」
どうしようもない罪悪感に晒される。
何故かは分からない。ただ、火神に申し訳ないと思った。
「巻き込んだ?どういう意味だよ」
「だから…俺が、おかしいから…火神君も俺に、影響…されて…」
「ちょっと待てよ、それはねーだろ!」
急に怒鳴られて、反射的に肩が竦む。
その肩をがしっと火神が掴み、真司と火神の距離がかなり近付いた。
意識しているからか、心臓が早く大きく鳴り響く。
「…か、火神君…?」
「オレの気持ちがニセモノだってことかよ」
「だ、だっておかしいのは俺だけなんだよ」
嘗て愛に飢えていた真司は、差し出される手を全て掴んだ。離さないように、強く、強く。
その結果、黄瀬も緑間も、そして黒子も悲しませた。
「もう…これ以上、は…。誰も、巻き込んじゃ駄目なんだよ…」
火神も、そして恐らく高尾も、少しずつ彼等に惑わされているのだろう。
高尾に関してはからかっているだけ、もしくは落ち込んでいる真司を慰めてくれただけかもしれないが。
「…真司」
火神は苛立ちを込めた手を真司の頬に重ねた。
しかし、名を呼ぶ声はほんのり優しい。
「オレは、お前どどうこう…とかそういう事は考えてねぇ。けど…さすがにそれは腹立つ」
「え?」
火神の手は、真司の顔をぐいと上に向かせるように力を籠めていた。
それに従って上を向いた真司の視界には、強張った火神の顔がある。
真司の脳裏に、今後自分に起こる事が過った。
近付いてくる位置や流れが、先程起こった高尾からの襲撃に似ている。
「か、火神君!」
「っ悪い、けど、させてくれ」
「、そ、ん…なこと、より、俺も!火神君に話が!」
これを許したら、今度こそ取り返しのつかない事になる気がする。
真司は自分の口を手で覆い、全力で首を横に振った。
「…何だよ?」
真司の行動に意味があったのか。
火神は思いの外すぐに行動を止めると、真司の言葉を待ってくれていた。
咄嗟に口走ってしまったとはいえ、まだ言葉はまとまっていない。
真司は火神を見上げてゆっくりと息を吸い込んだ。
「……火神君、まさか仲間なんていらない、とか思ってないよね?」
黒子が何よりも恐れていること。
そして、自分で言って気付いた。それが、余りにも悲しい事だと。
「…火神君は、テツ君がいらないなんて…思わないよね」
自然と握り締めた手に汗が滲む。
火神に否定されたら、今度こそ立ち直れないかもしれない。
違う、黒子の為だけじゃない。
「俺も、火神君がそんな風になったら嫌だ…」
見上げた火神とようやく目が合う。
その火神の目は微かに見開かれて、それから何故かふっと笑った。
「んな事、思うわけねーだろ」
「…へ?」
「ま、そう思われても仕方ねーことしてたかもしんねぇけど」
頭を数回がしがしとかいた火神は、動揺一つ見せていない。
それどころか、心配させて悪かったと一言付け足してまた笑っている。
「だ、だって火神君、最近…!」
「強くならなきゃって思ったんだよ。何よりもまず、自分が」
「そ…そんな風には見えなかった!」
「や、だから悪かったって」
言葉通りに、火神は眉を下げて本当に申し訳なさそうにしている。
ということはなんだ、勘違いだったのか。
真司はようやく状況を理解して、大きく溜め息を吐き出した。
「はぁ…良かった。火神君が変わっちゃったかと思った…」
「んな簡単に変わるかよ」
「変わるんだよ」
本当に、知らないうちに変わっていくからどうする事も出来なかった。
真司は青峰を思い出して頭を下げ、それから焦ったように顔を上げた。
「でもテツ君は!」
「ま、大丈夫じゃねーか?」
「…」
そんな根拠も無しに。
思わず眉間にシワを寄せた真司は、火神の後ろに見えた人影に気付いて目を見開いた。
信じられずに暫く瞬きを繰り返して。そして、息を吸い込む。
「……テツ君…?」
「すみません…。遅く、なりました…」
膝に手をついて呼吸をしている様子から、走ってきたのだという事は想像出来る。
では、何故。当然のように湧き上がる疑問に、真司は目を丸くして、火神はふっと笑った。
「火神君、少し話…いいですか」
そう言う黒子の目には迷いが無い。
火神も安心したように笑うと、小さく頷いた。
黒子の話は余りにも重かった。
そう感じるのは、帝光中時代、そこにいたのに気付かなかった真司だからかもしれない。
中学時代シックスマンとしてユニフォームを着ていた黒子。
二年になってベンチ入りしたその頃はまだ、既にレギュラーとして試合に出ていた彼等からの信頼を得ていた。
黒子のパスの技術は、確かに帝光中バスケ部の勝利に貢献していたのだ。
しかし、才能が開花した彼等は次第に黒子を信頼しなくなり、自分を信じるようになっていった。
当然、黒子へのパスは回されなくなる。
「ボクは…彼等にボクのバスケを、火神君を利用して認めさせようとしていたんです」
すらすらと述べられる黒子の話。
しかし固い黒子の表情を、真司は見る事が出来なかった。
「ったく、そんなこったろーと思ったよ。そもそもオレはキセキの世代と同種だ」
「でも、火神君はもう違います。今までも…それに今ここでやっていたイメージトレーニングも」
火神のバスケは、必ずそこに仲間がいることが想定されている。
それは、キセキの世代が失ったものだ。
さわさわと薄暗い中風が吹き抜けて、黒子の髪が、火神の髪が同じように揺れている。
穏やかな空気に顔を上げると、真司は見惚れるように二人から目が離せなくなっていた。
「互いに一度、頼ることを止めて、別々に今より強くなる。試合後の真意は、これですよね」
「あぁ」
「日向先輩が教えてくれました」
黒子の表情が緩んでいる。
いや、緩んでいるのとは違う。固くない。それでいて、決意に満ち溢れている。
「自分の為に誰かを日本一にするのではなく、火神君と…皆と一緒に日本一になりたい…!」
「ハッ、オレは最初からそのつもりだし、つかまた間違ってんじゃねーかお前!」
火神がボールを拾い上げてドリブルを始める。
そのボールは一度黒子は渡されて、ゴール下で再び火神へと渡った。
力強いダンクだった。
「なりたいじゃねーよ、なるぞ!」
「…はい」
火神がニッと笑い、そして黒子もそれに応えるように微笑んだ。
良かった、黒子の選択は間違っていなかったのだ。
「…なーに他人事みたいに見てんだよ、真司」
「え」
「お前も一緒に、だからな」
そう言う火神の拳がこちらに向けられている。
黒子は一瞬むっと怪訝そうにして、それから同じように拳を真司へ向けた。
「烏羽君」
心底恵まれていると思った。
早まる鼓動は今後の希望を描いて真司の背中を押してくる。
真司はベンチから立ち上がり、そして両手にきつく拳を作った。
そして駆け出し二人へと向ける。
「有難う…!」
何への感謝か自分でも分からない。
無意識にそう行ってしまう程、この二人の傍に居られることが嬉しかった。
・・・
たったと軽快に廊下を走る。
その度にひらひらと前髪が揺れて振り返る視線をも気にしない。
「おいおい、そんなに慌てなくても部活は逃げないぞー」
ふと間延びした声が聞こえて、真司は今まで止めなかった足をようやく止めた。
「元気だなぁ」
「木吉先輩」
相変わらずの大きな体に顔を上げる。
後ろには日向も立っていて、真司はなんだかんだ親しい二人に笑みをこぼした。
「何笑ってんだよ」
「いえ、お二人って仲が良いんですね」
あからさまに迷惑そうな顔をして日向が木吉から離れる。
それを気にしない様子で、木吉は真司の頭にぽんっと手を置いた。
「何ですか?」
「いや、可愛いなーってな」
「…」
この人は本当に真司を女だと思い続ける気なのだろうか。
真司は苦笑いを浮かべたまま、そういえば、と呟いた。
「日向先輩、有難うございました」
「何だよ急に」
「俺が言うことじゃないんですけど…。テツ君の背中、押してくれたみたいで」
「あ?いや、別に」
日向は眉を寄せて、真司から目を逸らした。その反応から察するに、恐らく本当の事なのだろう。
すると、何故か頭の上に乗る木吉の手がぴくっと揺れた。
「オレには無いのか?」
「え?」
「オレも頑張ったぜ?」
「は、はぁ」
結局期待していた木吉が何をしてくれたのかは良く知らない。
しかし、きっと何かしてくれたのだろう。
木吉が来てから急に皆が元に戻ったのは事実だ。
「木吉先輩、有難うございました」
「うん」
「先輩が戻ってきてくれて、本当に嬉しいです」
「うんうん」
何だかかなり子供扱いされている気がする。
真司は視線を移動させると、日向に困惑の目を向けた。日向も日向で我慢の限界だったらしい。
「ったく、後輩困らせてんじゃねーよ、ダァホ!」
「困った顔も可愛いぞ」
「んなこたどーでもいいんだよ!」
「本当にどーでもいいのか!?」
「…」
木吉の言葉に、日向が一瞬言葉を詰まらせて真司を見下ろした。
「…」
「…な、何ですか、日向先輩まで…」
「いや。烏羽は可愛いよ。知ってる」
「…、そう、ですか…」
改めて確認するかのように見つめられ、更にはっきりと告げられる。
いくら何でもさすがに恥ずかしくなり、真司は俯いて顔を隠した。
「日向、お前まさか」
「お前に言われたくない」
「いや、まだ何も言ってないぞ」
二人の会話を遠く聞きながら、ぼんやりとこれからの事を考える。
黒子と火神と話した、ウィンターカップまでに互いに強くなるという事。
他人事じゃない。真司だって、それは同じだ。
「…日向先輩、木吉先輩」
「ん?」
「なんだ?」
「俺も、きっと…いえ、絶対強くなります」
自分に言い聞かせるように強く言葉にして。
途端に恥ずかしくなった真司は二人から目を逸らした。
「えっと…俺、誠凛に入って良かったって、そういう事です…!」
急に何だ、と思われるのが恥ずかしくて、何となく言葉をつくろう。
しかし、咄嗟に出た言葉に余計に恥ずかしくなって、真司は再び体育館に向かって走り出した。
「…日向、」
「お前と一緒にすんな」
「いやだからまだ何も言ってないって」
夏休み目前。目指すはウィンターカップ。
この時はまだ、夏休みがどれ程ハードな練習を積むことになるのか、想像もしていなかった。
体育館に響くボールとバッシュの擦れる音、大きな体がぶつかり合う音。
目の前で繰り広げられているのは、火神と木吉の1on1だ。
体格はやはり木吉の方が上。速さも互角に近い。
とはいえやはり押しているのは火神の方か。
「…木吉先輩、火神君…」
何故こうなったのか、経緯…何てものはほとんど無かった。
先程まで行っていたのは、チームに分けての練習だったのだ。
分かっていたことだが、火神はやはり様子が変で。一人で無理矢理攻めていった火神は、躊躇いもなくファウルをした。
そんなことで中断した試合。
何故かその時に、木吉が火神に1on1をしようと誘ったのだ。
(もしかして、木吉先輩は何か…火神君に感じることがあったんじゃないかな)
そう思うのは、火神の見せたプレイが余りにも独りよがりだったから。
そして、やはりこのタイミングで復帰した木吉に何か期待をしてしまうからか。
ガシャンという激しい音で、真司は意識を試合に戻した。
ゴールに吸い込まれたボールが地面に落ちる。火神がダンクを決めたのだ。
「…参った。オレの負けだ」
すんなりと負けを認めた木吉は、少し悔しそうに眉を寄せていた。
いくら先輩で体格が良くても、ブランクがあって火神に勝てるはず無かった。
「…先、上がります」
木吉に勝った、それに対して思う事は何もないのか、火神はそれだけ言うと背を向けてしまった。
足は真っ直ぐに体育館の扉へと向かっている。
「っ、火神君!」
真司は思わず火神を呼びかけ、そして木吉とリコをちらと見た。
「ん?」
「あ、あの…俺、火神君追いかけます」
「あ、ちょっと烏羽君!?」
リコが待て、と言いたげな声を上げていたが、真司はもう走り出していた。
火神の今のプレイは駄目だ。せめてちゃんと話をしたい。
それが自分勝手な事だとしても、今度こそ、黒子を悲しませるわけにはいかないから。
「火神君、待って!」
体育館を出て、まだそこに見える火神の背中に呼びかける。
火神はぴくりと肩を震わせて、それでも振り返ることはしなかった。
「火神君、本当に帰るの?」
「…あぁ」
「俺も、一緒に行く」
「は?」
すっとんきょうな声を上げた火神を気にせず部室に入る。
火神は暫く戸惑いの目を真司へ向けてから、その後を追うように部室へ足を運んだ。
「…」
微妙な空気が漂う。
同じクラスでもないし、部活以外で顔を見せる事が無い。最近は特に会う回数は減っていた。
「…火神君、どうせこのまま帰るんじゃないんでしょ」
「え」
「どうせストバスしてから帰るんだろ、って」
「あぁ…まぁ、そのつもりだったけど」
火神の声には覇気がない。何も、そこまで緊張することはないだろうに。
そう思いながら薄らと汗をかいたTシャツを脱いで、頭をぶんぶんと振る。
その瞬間、火神の息を呑む音が聞こえて、真司はある事を思い出した。
(そういえば、火神君って俺のこと…)
盗み見るように視線だけを動かす。
筋肉のついた太い腕。少しずつ視線を上げると自分にはない肉体がそこにあって。
「…っ、」
「な、んだよ」
「なんでもない…」
忘れていた、わけじゃなくて。考えないようにしていた。考えると、無駄に意識してしまうから。
何せ、言わずもがな彼は格好いいのだ。
「おい、さっさと服着ろよ」
「あ…うん。ごめん」
意味も無く謝って、制服を手に取る。
着込む直前に火神を見上げると、火神はこちらを見ていたらしくどちらともなくパッと目を逸らした。
言わんこっちゃない。意識してしまっている。
真司はいそいそと制服に着替え、帰る準備を済ませた火神を追って鞄を肩にかけた。
・・・
だんっとドリブルの音が耳を掠める。
やはり火神は真っ直ぐにストリートコートに向かって行った。
それを数歩後ろからついて行った真司には、別にバスケをやる気は無く。今は茫然とその姿を眺めている。
「やっぱ、すごいな…」
重力を無視したかのような大きな体のその跳躍力に今更感動しつつ。
いつ話そうか…なんて柄にもなく緊張していた真司は、練習を途中で止めていた火神が目の前に立っていることに気が付かなかった。
「なぁ、真司」
「…!」
「ちょっと、いいか」
火神は片手で汗を拭いながら、ベンチに座る真司を見下ろしている。
真司は思わずごくりと唾を飲み込んで、小さくこくりと頷いた。
「あんま掘り返したくねーんだけどよ、お前は青峰を好き、なんだろ」
「…それ?今、そんな事聞く?」
「いや…ふと思い出したんだよ。お前さ、黄瀬と…付き合ってんじゃねーのか?」
探るような火神の声。
それを真司は頭の中で数回復唱して、口をぱくぱくと動かした。
黄瀬と付き合ってる、誰が。
「…な、なんで!?」
「何で…って、お前、前に黄瀬と…」
火神にそれを悟られるような行為をしただろうか。
必死に記憶を巡らせて、そして真司は絶句した。
(火神君の前で、黄瀬君にキスされたんだ…!)
真司の様子に、火神も真司が思い出したと悟ったのだろう。
頬を若干赤く染めて、視線を逸らされる。
「黄瀬も青峰も…こいつら、キセキの世代なんだろ。もしかして緑間も」
こちらを見ない火神の口からは、隠したい真司の事実が綴られていく。
馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、火神は思っていた以上に聡い人間だったようだ。
なんて、そんなことを考える余裕は今の真司には無い。
「…ご、ごめん」
「あ?なんで謝んだよ」
「俺、変だから…。火神君まで、巻き込んで」
どうしようもない罪悪感に晒される。
何故かは分からない。ただ、火神に申し訳ないと思った。
「巻き込んだ?どういう意味だよ」
「だから…俺が、おかしいから…火神君も俺に、影響…されて…」
「ちょっと待てよ、それはねーだろ!」
急に怒鳴られて、反射的に肩が竦む。
その肩をがしっと火神が掴み、真司と火神の距離がかなり近付いた。
意識しているからか、心臓が早く大きく鳴り響く。
「…か、火神君…?」
「オレの気持ちがニセモノだってことかよ」
「だ、だっておかしいのは俺だけなんだよ」
嘗て愛に飢えていた真司は、差し出される手を全て掴んだ。離さないように、強く、強く。
その結果、黄瀬も緑間も、そして黒子も悲しませた。
「もう…これ以上、は…。誰も、巻き込んじゃ駄目なんだよ…」
火神も、そして恐らく高尾も、少しずつ彼等に惑わされているのだろう。
高尾に関してはからかっているだけ、もしくは落ち込んでいる真司を慰めてくれただけかもしれないが。
「…真司」
火神は苛立ちを込めた手を真司の頬に重ねた。
しかし、名を呼ぶ声はほんのり優しい。
「オレは、お前どどうこう…とかそういう事は考えてねぇ。けど…さすがにそれは腹立つ」
「え?」
火神の手は、真司の顔をぐいと上に向かせるように力を籠めていた。
それに従って上を向いた真司の視界には、強張った火神の顔がある。
真司の脳裏に、今後自分に起こる事が過った。
近付いてくる位置や流れが、先程起こった高尾からの襲撃に似ている。
「か、火神君!」
「っ悪い、けど、させてくれ」
「、そ、ん…なこと、より、俺も!火神君に話が!」
これを許したら、今度こそ取り返しのつかない事になる気がする。
真司は自分の口を手で覆い、全力で首を横に振った。
「…何だよ?」
真司の行動に意味があったのか。
火神は思いの外すぐに行動を止めると、真司の言葉を待ってくれていた。
咄嗟に口走ってしまったとはいえ、まだ言葉はまとまっていない。
真司は火神を見上げてゆっくりと息を吸い込んだ。
「……火神君、まさか仲間なんていらない、とか思ってないよね?」
黒子が何よりも恐れていること。
そして、自分で言って気付いた。それが、余りにも悲しい事だと。
「…火神君は、テツ君がいらないなんて…思わないよね」
自然と握り締めた手に汗が滲む。
火神に否定されたら、今度こそ立ち直れないかもしれない。
違う、黒子の為だけじゃない。
「俺も、火神君がそんな風になったら嫌だ…」
見上げた火神とようやく目が合う。
その火神の目は微かに見開かれて、それから何故かふっと笑った。
「んな事、思うわけねーだろ」
「…へ?」
「ま、そう思われても仕方ねーことしてたかもしんねぇけど」
頭を数回がしがしとかいた火神は、動揺一つ見せていない。
それどころか、心配させて悪かったと一言付け足してまた笑っている。
「だ、だって火神君、最近…!」
「強くならなきゃって思ったんだよ。何よりもまず、自分が」
「そ…そんな風には見えなかった!」
「や、だから悪かったって」
言葉通りに、火神は眉を下げて本当に申し訳なさそうにしている。
ということはなんだ、勘違いだったのか。
真司はようやく状況を理解して、大きく溜め息を吐き出した。
「はぁ…良かった。火神君が変わっちゃったかと思った…」
「んな簡単に変わるかよ」
「変わるんだよ」
本当に、知らないうちに変わっていくからどうする事も出来なかった。
真司は青峰を思い出して頭を下げ、それから焦ったように顔を上げた。
「でもテツ君は!」
「ま、大丈夫じゃねーか?」
「…」
そんな根拠も無しに。
思わず眉間にシワを寄せた真司は、火神の後ろに見えた人影に気付いて目を見開いた。
信じられずに暫く瞬きを繰り返して。そして、息を吸い込む。
「……テツ君…?」
「すみません…。遅く、なりました…」
膝に手をついて呼吸をしている様子から、走ってきたのだという事は想像出来る。
では、何故。当然のように湧き上がる疑問に、真司は目を丸くして、火神はふっと笑った。
「火神君、少し話…いいですか」
そう言う黒子の目には迷いが無い。
火神も安心したように笑うと、小さく頷いた。
黒子の話は余りにも重かった。
そう感じるのは、帝光中時代、そこにいたのに気付かなかった真司だからかもしれない。
中学時代シックスマンとしてユニフォームを着ていた黒子。
二年になってベンチ入りしたその頃はまだ、既にレギュラーとして試合に出ていた彼等からの信頼を得ていた。
黒子のパスの技術は、確かに帝光中バスケ部の勝利に貢献していたのだ。
しかし、才能が開花した彼等は次第に黒子を信頼しなくなり、自分を信じるようになっていった。
当然、黒子へのパスは回されなくなる。
「ボクは…彼等にボクのバスケを、火神君を利用して認めさせようとしていたんです」
すらすらと述べられる黒子の話。
しかし固い黒子の表情を、真司は見る事が出来なかった。
「ったく、そんなこったろーと思ったよ。そもそもオレはキセキの世代と同種だ」
「でも、火神君はもう違います。今までも…それに今ここでやっていたイメージトレーニングも」
火神のバスケは、必ずそこに仲間がいることが想定されている。
それは、キセキの世代が失ったものだ。
さわさわと薄暗い中風が吹き抜けて、黒子の髪が、火神の髪が同じように揺れている。
穏やかな空気に顔を上げると、真司は見惚れるように二人から目が離せなくなっていた。
「互いに一度、頼ることを止めて、別々に今より強くなる。試合後の真意は、これですよね」
「あぁ」
「日向先輩が教えてくれました」
黒子の表情が緩んでいる。
いや、緩んでいるのとは違う。固くない。それでいて、決意に満ち溢れている。
「自分の為に誰かを日本一にするのではなく、火神君と…皆と一緒に日本一になりたい…!」
「ハッ、オレは最初からそのつもりだし、つかまた間違ってんじゃねーかお前!」
火神がボールを拾い上げてドリブルを始める。
そのボールは一度黒子は渡されて、ゴール下で再び火神へと渡った。
力強いダンクだった。
「なりたいじゃねーよ、なるぞ!」
「…はい」
火神がニッと笑い、そして黒子もそれに応えるように微笑んだ。
良かった、黒子の選択は間違っていなかったのだ。
「…なーに他人事みたいに見てんだよ、真司」
「え」
「お前も一緒に、だからな」
そう言う火神の拳がこちらに向けられている。
黒子は一瞬むっと怪訝そうにして、それから同じように拳を真司へ向けた。
「烏羽君」
心底恵まれていると思った。
早まる鼓動は今後の希望を描いて真司の背中を押してくる。
真司はベンチから立ち上がり、そして両手にきつく拳を作った。
そして駆け出し二人へと向ける。
「有難う…!」
何への感謝か自分でも分からない。
無意識にそう行ってしまう程、この二人の傍に居られることが嬉しかった。
・・・
たったと軽快に廊下を走る。
その度にひらひらと前髪が揺れて振り返る視線をも気にしない。
「おいおい、そんなに慌てなくても部活は逃げないぞー」
ふと間延びした声が聞こえて、真司は今まで止めなかった足をようやく止めた。
「元気だなぁ」
「木吉先輩」
相変わらずの大きな体に顔を上げる。
後ろには日向も立っていて、真司はなんだかんだ親しい二人に笑みをこぼした。
「何笑ってんだよ」
「いえ、お二人って仲が良いんですね」
あからさまに迷惑そうな顔をして日向が木吉から離れる。
それを気にしない様子で、木吉は真司の頭にぽんっと手を置いた。
「何ですか?」
「いや、可愛いなーってな」
「…」
この人は本当に真司を女だと思い続ける気なのだろうか。
真司は苦笑いを浮かべたまま、そういえば、と呟いた。
「日向先輩、有難うございました」
「何だよ急に」
「俺が言うことじゃないんですけど…。テツ君の背中、押してくれたみたいで」
「あ?いや、別に」
日向は眉を寄せて、真司から目を逸らした。その反応から察するに、恐らく本当の事なのだろう。
すると、何故か頭の上に乗る木吉の手がぴくっと揺れた。
「オレには無いのか?」
「え?」
「オレも頑張ったぜ?」
「は、はぁ」
結局期待していた木吉が何をしてくれたのかは良く知らない。
しかし、きっと何かしてくれたのだろう。
木吉が来てから急に皆が元に戻ったのは事実だ。
「木吉先輩、有難うございました」
「うん」
「先輩が戻ってきてくれて、本当に嬉しいです」
「うんうん」
何だかかなり子供扱いされている気がする。
真司は視線を移動させると、日向に困惑の目を向けた。日向も日向で我慢の限界だったらしい。
「ったく、後輩困らせてんじゃねーよ、ダァホ!」
「困った顔も可愛いぞ」
「んなこたどーでもいいんだよ!」
「本当にどーでもいいのか!?」
「…」
木吉の言葉に、日向が一瞬言葉を詰まらせて真司を見下ろした。
「…」
「…な、何ですか、日向先輩まで…」
「いや。烏羽は可愛いよ。知ってる」
「…、そう、ですか…」
改めて確認するかのように見つめられ、更にはっきりと告げられる。
いくら何でもさすがに恥ずかしくなり、真司は俯いて顔を隠した。
「日向、お前まさか」
「お前に言われたくない」
「いや、まだ何も言ってないぞ」
二人の会話を遠く聞きながら、ぼんやりとこれからの事を考える。
黒子と火神と話した、ウィンターカップまでに互いに強くなるという事。
他人事じゃない。真司だって、それは同じだ。
「…日向先輩、木吉先輩」
「ん?」
「なんだ?」
「俺も、きっと…いえ、絶対強くなります」
自分に言い聞かせるように強く言葉にして。
途端に恥ずかしくなった真司は二人から目を逸らした。
「えっと…俺、誠凛に入って良かったって、そういう事です…!」
急に何だ、と思われるのが恥ずかしくて、何となく言葉をつくろう。
しかし、咄嗟に出た言葉に余計に恥ずかしくなって、真司は再び体育館に向かって走り出した。
「…日向、」
「お前と一緒にすんな」
「いやだからまだ何も言ってないって」
夏休み目前。目指すはウィンターカップ。
この時はまだ、夏休みがどれ程ハードな練習を積むことになるのか、想像もしていなかった。