黒バス(2012.10~2017.12)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
小鳥の歌声と、朝の眩しい日差しに目を開ける。
ベッドに転がったまま真司は腕で光を遮り、長い溜め息を吐いた。
桐皇戦を敗北した後、誠凛は完全にペースを崩し、結局残りの二試合も負けるという形で決勝リーグを締めくくる事となってしまった。
「はぁ…」
あれから二週間。別に今尚敗北を引きずっているわけではない。
二週間怪我の治療で休んでいた火神が復活したまでは良かった。しかし、亀裂が出来てしまったかのように黒子と火神はかみ合わず、それどころか会話もしないような状態になっていしまったのだ。
「やっぱり火神君…変わっちゃうのかなぁ」
引っかかるのは、試合後に火神が黒子に言った言葉。
「力を合わせるだけじゃ…勝てない…」
そんな事ないはずだ。
しかし、実際青峰には手も足も出なかったわけで。
「駄目だ、ダメダメ…」
こんな気分のまま部活なんて出来ない。
真司はごろごろと寝返りを打ってから、ゆっくりと目を閉じた。
気分がのらないというか、学校に行く気すら起こらない。こんなにバスケに対して憂鬱になるのは初めてかもしれない。
真司は暫くもぞもぞと動いてから、考えることを辞めた。
それから暫くして。
「…あんた、学校は?」
登校時間を過ぎて、仕事に出るのだろう母が部屋に入ってくる。
相変わらず香水臭いのには変わりないが、外見はかなりまともになった母は、母親らしく真司の布団を奪い取った。
「全く、誰が学費払ってると思ってんのよ」
「…んー、行くよ、学校」
「ならさっさと準備しなさい」
もそっと布団から起き上って、時計をちらと確認する。
真司は洗濯しアイロンをかけた状態で暫くしまってあったハンカチを取り出した。
今から行けば丁度昼ごろに着くだろうか。
真司は制服に着替えると、軽い荷物だけで“学校”に向かって家を出た。
・・・
ガタガタと電車に揺られて移動する。
元々電車から外の景色なんてまじまじと見る事など無いのに、やけに見知らぬ景色に見える。勿論、見慣れた景色と違うのだから間違いないのだが。
(連絡無しで行って大丈夫かな…)
携帯の画面に何度も“緑間真太郎”の字を表示させてはそれを閉じる。
鞄に入れたハンカチは秀徳高校の緑間の先輩、宮地のもの。
結局部活で忙しい中秀徳に行く機会がなく、かなり遅くなってしまった。
電車を降りて暫く、秀徳高校に到着する。
桐皇で一度やっているからか、忍び込むことに対しては余り躊躇せず、真司は一番会える可能性が高いだろう体育館を探した。
(制服似てるし、案外堂々としてて平気かも…)
きょろきょろと、知らない校舎を辿る。
自転車置き場に何やらリアカー付きの自転車がある事が気になったが、そこをも通り過ぎて。
「あ…!」
聞こえて来たボールの音に真司はぱっと顔を輝かせた。
音の聞こえる方へ駆け出して、その建物の開いた扉から中を覗き込む。
音から連想された通りに行われていたバスケの練習。しかもそれをしていたのは、探していたその人だった。
「み、…」
宮地さん、そう呼ぼうとして言葉を止めるのは、もう少し見ていたいと思ったからだ。
時間的に恐らく昼休み、やっているのは自主練だろう。それにしてはかなり本気で、シュートを打っては転がるボールを拾い上げる、その繰り返し。
「…」
純粋にすごい、と思う。時間を惜しまず練習するなんて、上手くなろうと思ってもなかなか実行出来るものではない。
「悪ィ、ちょっとそこ退いてくんね?」
「あ、はい、すみませ…え?」
「…はァ!?」
靴を履きかえながら体育館に入ってくる生徒と目が合う。その瞬間目を大きく見開いて、互いに指を指し合った。
「高尾君…!」
「ちょ、真司!?なんで!?」
「あ…?真司?」
その声を聞いて練習をしていた宮地が振り返る。
あれ、何だこれ結果オーライか。
真司はまさかの事態に目を丸くしながらも、神がかった展開に体から力を抜いた。
「お久しぶりです、宮地さん」
「お前、試合の時の随分イメージ違うな…。いや、つかなんでいんだよ。学校は?」
「…自主休校?」
「お前な…」
ボールを腕に抱えて、飽きれたようなため息を吐く。
そんな宮地に対して、高尾は真司がいるという喜びやら滑稽さの方が大きいらしい。
肩に手を回して、ケラケラと笑っている。
「わざわざ学校さぼって一人で来たとか!!おまっ…かっわいーことすんなぁ」
「はぁ…」
「学校行きたくねーって?」
「え」
どうして分かったのだろう。そう思って高尾を見れば、鋭い目がじっとこちらを見つめている。
そういえば、この人も目がやたら凄い人だった。それが観察眼としても役立つのかは知らないが。
「誠凛対桐皇見に行ったんだよねー、オレ達」
「あ…。でも、別にそれで落ち込んでるとかじゃ、ないから」
「そーなん?」
「ただ、やる気がしないっていうか…」
軽い高尾の口調に釣られて、思わず本音が漏れてしまう。
それを聞いていた高尾はふんふんと何が分かったのか頷いて、宮地は持っていたボールをだんっと床に打ち付けた。
「んな時に来てんじゃねーよ」
「ぅ…す、すみません」
「こっち来い」
「はい…っ」
うわー怖ぇ、と宮地に対して命知らずなことを呟く高尾の腕が離れる。
真司は靴を脱ぎ鞄を置いて宮地の方に近付くと、その大きな体を見上げた。
「相手しろよ。1on1」
「え…!?」
「高尾、バッシュ貸してやれ」
「え、サイズとか絶対ぇ合わないと思っけど」
そう言いながら、高尾が今履いたばかりのバッシュを脱いでそこに置く。
真司はおずおずとそれを覗き込んで足を入れた。
「…」
「…」
「ぴ、ぴったり…です」
「いやいやいや!嘘っしょ!絶対ゆるいでしょ!!」
高尾とは然程体格差は無いはずだが、やはり少しゆるいのは予想通りだった。
ちらっと宮地を見上げれば、さすがにどうしたもんかと頭をかいている。
「やらない、という選択肢は無いんですか…?」
「あァ?」
「い、いえあの…どうして急に1on1だなんて、言いだしたのか、な…って」
最後の方はほとんど擦れて消えていた。
そりゃあ宮地のような体格も出来上がっていて実力も確かな選手と出来るなんて、望んでもないことだが。
「…桐皇に負けて、その後の二つも実力発揮出来ず。それで落ち込むなってのが無理な話だけどな」
先程までのきつめの表情を少し柔らかくして、宮地が真司に近付く。
「行き詰った時こそバスケだろ」
「…」
「オレは…才能がある癖に怠けてるヤツが一番嫌いだ」
ぼんやりと青峰の事を思い出して、真司は少し笑いそうになった。
なるほど確かに、宮地の言う事は何となく分かる。
「分かりました、1on1しましょう」
「いやでもお前靴ねーんだろ?」
「これでいいです。紐しっかり結べば脱げませんから」
その場にしゃがみこんで、バッシュの紐を解くとそれを最初よりもきつく結ぶ。
それを済ませて立ち上がると、すぐにボールが真司にパスされた。
「ハンデのつもりかよ」
「えっ、いえそういうつもりじゃ…。まぁ、負ける気はしてませんけど」
「お前、思ってたよりもいい性格してんじゃねーか…」
明らかにピキッと宮地の額に何か入った気がしたが、それを見て見ぬふりしてちらっと高尾を振り返る。
高尾は思っていたよりも真面目な顔で笑っていた。
純粋に、二人の実力をこの目で見たいという感じか。
「真司、その靴だから無理かもだけど、本気とかいてマジで宜しく!」
「面白がってるでしょ」
「いやまっさかぁ。こんな状況…面白くないわけねーだろ」
「…正直だね」
高尾は分かりやすい上に正直な人間だ。
真司は頭をかいて苦笑いを浮かべると、当初とかなり印象の変わった宮地にと向かい合った。
「…じゃあ、行きますね」
「おう」
とんとんとつま先を床に叩きつけて足の感触を確認する。それから姿勢を低くすると、真司はドリブルを始めた。
結果から言うと、三回勝負で二回真司はゴールを決めた。
三回目に放ったボールが横から弾かれてしまったのは、やはり真司にとってゴールはまだ課題の残るところだという証拠か。
「合ってない靴であんだけ出来っとか、やっぱ真司すげーな!」
「俺には足しか取り柄無いから」
「宮地せんぱーい、先輩からも何かコメント無いんすか?」
そう言う高尾の視線の先には、真司の足首を擦る宮地。
決して足を痛めた訳ではないが、念の為と、終えるなり宮地はすぐに真司を抱き上げ壁際に座らせた。
「まーあれだな。小さくて軽いからこその小回りっつか。ぶっ倒しちまいそうでこっちも本気だしにくいな」
「それは馬鹿にしてるんですか…?してるんですよね?」
「いや、本来ならハンデであるものをこう利用出来るのは才能だろ」
「あ、有難うございます…」
背の事を言われるのは余り好きでは無い。
しかし今は何だろう、こんな評価のされ方は初めてで、真司は照れ隠しに視線を落とした。
「そんで、高尾はどうしてここに来たんだ?いつも自主練なんてしてねーだろ」
「あ、そーっだ。さっき誠凛の記事載ってる月バス見たんすけど、見慣れないヤツが一人いて」
丁度良かった、そう言う高尾の視線は勿論真司に向いていた。
「なぁ、誠凛の7番って誰?」
「…7番?」
4番日向、5番伊月、6番小金井、7番飛ばして8番水戸部、9番土田、あと10番以降は一年生が続く。
言われてみれば、7番を見たことがない。
「誰だろう…?」
「知らねーのかよ!」
「見たことないし…聞いたこともないや…」
誠凛の去年の実力を知っていて入学を選んだのではない手前、去年の事は当然何も知らない。
真司が困惑して眉を寄せると、宮地がふっと息を吐いた。
「去年誠凛のセンターだった奴だよ。何故か決勝リーグにはいなかった」
思い出しているのだろう、宮地の視線は天井に向いている。
「去年の決勝リーグ、誠凛はトリプルスコアで負けた。奴がいれば…そんなことは無かったんじゃないか」
それくらい、誠凛にとって重要な人だった。
その宮地の話は、余りにも自分とかけ離れているような、関係ない事のように聞こえた。
「…やめちゃった、んですか」
「さあな。辞めたのかもしれねーし、怪我かもしれねーし」
「でも、そんなに凄い人なら…」
今こそ戻ってきて欲しい。
そんな現実味のないことを考えて、真司は首を小さく横に振った。
いなくなった人の事に待ったって仕方がない。
「宮地さん、ハンカチ有難うございました」
「あ、おう。この為に来たんだもんな」
「はい」
鞄のポケットから綺麗に畳んだハンカチを取り出す。
それを目で追った高尾が、何故か真っ先に反応した。
「ちょえ!?そのハンカチ宮地さんだったんすか!?」
「あ?なんだよ文句あんのか」
「いや…抜け目ねー…」
ふはー、と息を吐き出す高尾は、何やら不服そうだ。
真司は意味も分からず笑いつつ、ぱっと鞄を持って立ち上がった。
「じゃあ、俺行きますね」
朝の嫌な気分はすっかり無くなっている。
宮地とバスケをしたからか、誠凛のエースの話を聞いたからか。
「ちゃんと学校行けよ」
「分かってますよー」
一緒に立ち上がった宮地の手がとん、と真司の頭の上に乗った。
大きな手、優しい温もりに、綺麗な笑顔がそこにある。
それに思わずうっとりしかけて。
「…烏羽!」
突如現れた緑色の髪の長身男に、真司はびくりと体を震わせた。
走ってきたのか、肩で息をする緑間が鋭い目をこちらに向けている。
「烏羽、こっちに来い!」
「え、は、はい!?」
勢いに釣られて、思わず足を進める。
すると緑間は「来い」と言った割にはつかつかと真司に歩み寄り、そして真司の腕をぐいと引っ張った。
「え…!?」
そのまま真司の体は緑間の胸にとんとぶつかる。
余りにも緑間らしからぬいきなりの行動。それ故に咄嗟に分からなかったが、軽く抱きしめられていた。
「お前は…少し目を離したらこれだ…」
「な、何、」
「自分がどういう性質を持っているのか、まだ分かっていないのか」
溜め息を吐いたのか、耳にふっと息がかかる。
ぐるぐると目が回りそうな状況の中、何とか現状を打破しようと緑間の胸を叩いても緑間はびくともしない。
「せ、性質って」
「お前は人を惹き込みそして惹き込まれやすい…だから嫌なのだよ…」
「え、えぇ…?」
言っている意味が分からない程馬鹿ではない。
つまり真司の惚れっぽさを危惧している、ということだろう。
まさか緑間がそんなことを気にする人間だとは思っていなかったが。
「真ちゃーん、さすがに見てらんねーんだけど?」
「…!」
そんな甘さの無い抱擁から一転、高尾の一声で我に返り、緑間は真司の肩を掴んで体を引き剥がした。
見上げると、緑間はかなり顔を赤くしている。
「おいおいおい…緑間ぁ、今の何だ?」
「な、なんでもないのだよ、」
「無くねーよ。泣かせたり意味分からんこと押し付けたり?お前、調子のってんだろ?」
ぐいぐいと宮地が緑間に迫り、緑間は一歩ずつ下がっていく。
やはり緑間も先輩という奴には弱いのか。それとも自分の行動で動揺しているのか。
茫然とそんなことを考えていた真司の熱い頬に、高尾の手のひらが添えられていた。
「真司」
「うわっ、びっくりしたぁ」
「この際さ、緑間との関係はどーでもいいや。一個教えて」
「…何?」
「真司は、男もいけるタイプなわけ?」
真司は高尾の言葉を一度脳内で復唱して、それから吸い込んだ息を止めていた。
「え…、と、それは…」
「はっきり否定出来ねーってことは、つまり肯定、でおっけ?」
「…」
高尾ははっきり明言しなかったものの、“いける”とは“恋愛対象として見れる”という意味で間違いないだろう。
考えるまでも無い。そして否定出来る要素が見当たらない。
真司は宮地に暴言を投げつけられている緑間を横目で見てから、ゆっくりと頷いた。
「あー、んなびくびくすんなって。誰かに言ったりとか、からかったりとかしねーから」
「でも…普通じゃない、から」
「普通じゃない、ねぇ。ま、確かにそーかもしんねーな」
真司の頭が少しずつ下がっていく。
羞恥心やら妙な罪悪感やら、いろんなものが込み上げて、高尾の顔が見れない。
「真司、顔あーげて」
「…?」
それでも口調やらテンションに大差ない高尾が不思議で、真司は恐る恐る顔を上げた。
すると、思っていたよりも近くに高尾の顔があって。
口の端にちょんと触れたのは、恐らく高尾の唇だった。
「……え」
「これでオレも一緒。普通じゃなくていーんじゃね?」
「、…、?」
にかっと笑う高尾には何の引け目も感じられない。
とかそれ以前の問題だ。
真司はただ目を白黒とさせて、口をぱくぱくとさせても言葉は何も出てこなかった。
・・・
「今度来る時は、まずオレに会いに来るのだよ、烏羽」
「お、おう…」
「あと、やはり眼鏡はそうしてかけていた方が良い」
「…」
なんやかんや、あったのか無かったのか。
もう直昼休みも終わって授業の時間、ということもあり、真司は体育館から一歩外へ出た。
結局高尾が何を考えているのか分からなかったが、何か切っ掛けがあるとすれば緑間だろう。
「…じゃあ眼鏡外す」
「おい!」
何となく反抗したくなって眼鏡を外してケースの中にしまう。
すると緑間はわなわなと手を震えさせた。
「そんなことしたらお前は見えなくて困るだろう」
「残念でしたー。伊達眼鏡でーす」
「…いつからそんな、面倒なことを」
これでまた暫く緑間とは合わないだろう。そして高尾とも。
そう思うだけで少しだけ気が楽になる気がするのは、いろいろと考え過ぎだからかもしれない。
「じゃあ、失礼します」
たたっと少し駆けてから振り返る。
眉を寄せた緑間と、それを睨み付ける宮地と、笑顔で見送っている高尾と。
「真司、忘れんなよ!」
大きく手を振る高尾のその台詞には何の意味が含まれていたのか。
真司は深く考えないようにして、その場を去った。
真司が去って、そこに何やら微妙な空気が流れた。
緑間と高尾の視線は交差しているのに、互いに相手をうかがうようにして何も言わない。
宮地が「そろそろ教室行くぞ」とボールを片しにいくのを見計らって、ようやく緑間が先に高尾の肩を掴んだ。
「高尾、どういうつもりなのだよ」
その言葉には、さっきのは一体どういうことなのだよ、という意味も含まれている。
高尾は何ら普段と変わらない様子でへらっと笑い、緑間のその手を引き剥がした。
「真ちゃんこそ、オレがせっかく教えてやったのにアレはないんじゃねー?」
真司が来ていることを緑間へ連絡したのは高尾だった。
それを来るなり真司を抱き締めるというのは、さすがに目を見張るというか。
「オレが真司と仲良くしちゃヤダーってか?」
「そ…。お前達の間にはオレの知らない関係があるだろう」
「何々真ちゃん、嫉妬?」
「あ、あいつが危なっかしいから悪いのだよ」
眼鏡をかちゃっと中指で上げる仕草からは、緑間の動揺が見て取れる。
高尾はやれやれといった様子で首を数回横に振り、緑間を見上げて目を細めた。
「真司は男の子だぜ?」
「そんなことは分かっている。そしてそれが大した問題でないことも」
「ふーん…それ、アイツが好きだって認めてることになるけど?」
「…」
とうに分かり切っていることだが、あえて高尾は緑間に突き付ける。
すると、今更隠したって仕方がないだろうに、緑間は視線を逸らすと小さく咳払いをした。
つまりはそういう事だ。緑間は真司が好きだ。友達、男、関係なくそれを超えて。
「そ、そういうお前はどうなのだよ…。さっきのは、そういうことじゃないのか」
「さっきの?言っとっけど、ギリ避けてるかんな」
「そ、そういう問題ではないだろう…!烏羽が誤解したらどうする!」
「オレが真司を好きって?」
やはり口では高尾の方が上手いのか、緑間が墓穴を掘りすぎているのか。緑間は再び黙ると不服そうに眉を寄せた。
それに対し、やはりニッと笑うのは高尾だ。
「真ちゃんがそんなにお熱だなんてな。オレも本気になっちゃいそ」
「ふざけるんじゃないのだよ!」
「ふざけてねーよ」
真司が魅力的なのは言うまでも無く。出会った時から多少なりとも気になっていたのは事実だ。
高尾は笑顔を消した顔で真司が去った方を見つめた。
自分の知らない顔を緑間が知っているのかと思うと胸の奥がもやもやする。
緑間の言いたい事も分からなくはない。誰にでも愛想を振りまく真司は確かに危なっかしいのかもしれない。
「…あーあ。どーしてくれんだよ」
「高尾?」
「ちゅーしちゃえば良かった」
「高尾!」
唇に残る真司の吐息の名残。驚き見開かれた目は、緑間へ向ける熱い視線とは違った。
この悔しさのようなもやもやの正体は分かっている。だからこそ高尾は視線を落として頭をかいた。
「らしくねーって、こんなん」
認めたくないという思いと、あぁやっぱりか、と妙に納得する思いとの混雑。
チャイムの鳴る音を遠く聞きながら、高尾は先を行く緑間の後に続いて教室へと足を進めた。
・・・
電車を乗り継ぎ、少し時間を潰して、真司は丁度良く部活の時間に学校に到着した。
部員の中に同じクラスの人はいないし、サボった事がばれる心配はない。それでも少し緊張してしまうのは、こういう事に慣れていないからだろう。
意味もなく恐る恐る体育館に近付く。すると、後ろから肩をとんと叩かれていた。
「よ」
「…っ!」
大げさに肩が揺れたのは、そんなことを考えていたからで。
振り返れば何ということはない、日向がそこに立っていた。
「何だよ、オレは幽霊か何かか?」
「すみません。ちょっと考え事をしていて」
「はー…お前もかよ…ったく」
日向の脳裏には黒子と火神がいるのだろうか。
勿論真司は日向が思っているような事を考えていたわけではない。
むしろ今気になる事と言えば。
「…あの、日向先輩」
「ん?」
「聞いて良いことなのか分かりませんが…7番って、誰なんですか?」
何か重い過去が無いことを祈りつつ問いかける。
すると日向は、やけに怪訝そうに眉を寄せた。それは拒否では無く“何故”と言った様子で。
「…聞いたら、まずかった、ですか?」
「いや…そうじゃなくて、タイミングが」
「タイミング?」
きょと、と目を丸くして首を傾ける。
それに対して日向が「あー…」と小さく声を漏らした直後、目の前に影が出来た。
「お、何だ?今年はマネージャー入ったのか」
突然割り込んできたその声にはっとして日向から視線を移動させる。
低くて穏やかな声。顔を上げなければ確認出来ない程大きな体。
「小さくて可愛いなー」
次いで大きな手が頭を撫でてきて、真司はその人の顔をじっと見つめた。
「おぉ、こっち見たぞ、日向」
「あぁ、うん。あのな、そいつ一年の烏羽真司な」
「烏羽真司…。変わった名前だな?」
日向が頭を抱えて大きなため息を吐く。
変わった人なのだろう。そして少し、いやだいぶ抜けている。
真司の中で予想から確信に変わった事、それを呟かずにはいられなかった。
「7番…」
何せ、大きく“7”と書かれた誠凛のユニフォームを身に纏っていたのだから。
「いやお前、何でユニフォーム着てんだよ!」
「久しぶりの練習でテンションあがっちまってよ」
「やる気あんのか!?あんのか!」
日向の突っ込みは今日もきれっきれだ。
ということはさておき。真司は“7”を着たその人の腕を掴んだ。
「お?」
「さっき日向先輩も言ってましたが…俺、一年の烏羽です」
ぺこと軽く頭を下げて、再び大きなその人を見上げる。
顔の位置的に、誠凛では一番の背の高さを誇るだろう。真司からすればまた首が痛い。
「日向おかしい」
「…なんだよ」
「男の子に見える」
「それで良いんだよ!まず制服で気付けよ!」
何というか。
想像していたエースとは異なることは確かだった。
何を想像していたのか、と問われれば別に大したことを考えていたわけではないのだが。
真司は突っ込みによる疲労を見せる日向を横目に、再びぐいぐいと腕を引いた。
「あ、あの、お名前は」
「オレか?オレは、この~木なんの木♪気になる木~♪」
「烏羽、こいつの名前は木吉だ。木吉鉄平」
「は、はぁ…」
何故か突然歌い出した木吉を無視して、日向は間髪入れずに名前を教えてくれた。
その木吉は「何で言っちゃうんだよー」と不服そうにしているが、それさえも日向は知らぬふりだ。
「えっと、じゃあ…木吉先輩」
「ん?」
「会いたかったです。復帰して下さって、有難うございます」
日向も言っていたが、かなり良いタイミングだ。
丁度戻ってきてくれたら、なんて思った矢先の奇跡的なタイミング。
真司はその嬉しさが隠しきれず、完全に緩みきった顔で笑いかけた。
「…日向、聞こえたか?」
「今度は何だよ」
「何って、恋に落ちる音に決まってるだろ」
「決まってねーよ」
かなり仲が良いらしい二人の会話を何気なく聞き流しつつ。
真司は部室から出てきた運動着に身を包む黒子に気付いて、ぎゅっと自分の手を握り締めた。
「…」
火神が一人よがりになっているのも確か。そして、黒子の様子が何かおかしいのも確か。
そして、それを見ていることしか出来ないのは、中学の頃と同じ。
「…俺、着替えてきますね」
「あ、待て烏羽、オレも」
「じゃあオレも」
「いやお前は…そうだな、着替えろ」
視界にちらつく“7”のユニフォームが似合っているのだが滑稽だ。
真司はシリアスな気持ちに上塗りされて、小さくふっと笑った。
・・・
それぞれ運動着に着替えて集合する。
その中でやはり視線を集めるのは、一年生にとっては初お目見えとなる木吉の存在だった。
「去年の夏からわけあって入院しててさ、手術とリハビリで今まで休んでたんだ」
皆の前でそう言う木吉は先程と違ってただのTシャツに身を包んでいる。
木吉鉄平、193cm、81kg、ポジションはセンター。大して聞きたくもない体格の情報はさておき、彼は誠凛バスケ部を創った人間だというから驚きだ。
「鉄平!もう、大丈夫なのね?」
「ああ!もう完璧に治ったよ」
気軽に名前で彼を呼ぶリコは、相当木吉を頼りにしているように見える。
確かに、強く頷く木吉の姿は何ともいえない安心感があるというか。兄みたいというか父みたいというか。
「まぁブランクはあるけどな、でも入院中何もしてなかったわけじゃねぇよ」
「何か学んだのか?」
木吉の発言に伊月はぱっと目を輝かせて。それに対し木吉は自信満々に言ってのけた。
「花札をな」
暫く起こった沈黙は、各々頭の中で何かを整理する必要があった為だろう。
真司も一度自分の耳を疑って、高い位置にある木吉の顔を二度見、三度見はした。
「…だから!?」
「面白いぜ」
「バスケ関係ねぇじゃん!!」
凛々しい眉毛をきりりとさせるのはいいが、さすがに日向の喉が心配になってくる程だ。
隣で火神が大きく溜め息を吐くのを聞きながら、真司は木吉に期待じみたものを持った自分の過去を少し責めた。
「あと、これは創設時から言ってたことなんだが…。高校生活三年間を懸けるんだからな、やるからには本気だ」
そんな突っ込みをもろともせず、木吉は言葉を続けた。
お、今度はまともな事を言いそうだ。なんて思って皆木吉に集中して。
「目標はもちろん……どこだ!」
やはり言葉を失うこととなった。
「…は?」
「いや、インターハイの開催地ってどこだっけ?」
「毎年変わるしもう負けたわ!今目指してんのはウィンターカップだろ!」
「そうか、じゃあウィンターカップは今年どこだ?」
「ウィンターカップは毎年同じだよ!」
もの凄い勢いでまくし立てる日向の息が上がっている。
どうやら、というよりも分かり切っていたことだが、木吉はかなりズレ…いや、天然だ。
「まぁ、とにかく。山登るなら目指すのは当然頂点だ…が、景色もちゃんと楽しんでこーぜ」
とはいえ、彼が誠凛バスケ部を創った、というのは何となく納得出来る気がする。
この安心感は、きっとそういう感覚を無意識に覚えているからだろう。
真司は頬が緩むのを感じながら、木吉を見上げた。
すると木吉も真司を見ていたのか、ばちっと目が合って。何を思ったのか木吉はこくりと頷いて笑った。
「あ、あと烏羽はオレの嫁にする予定だからな」
手を出すなよ。そう付け足した木吉の顔は、かなり清々しい。
それが最後の追い打ちとなったのか、日向の肩がカタカタと震えだした。
「だーかーら…こいつは男だっつってんだろぉが!!」
突っ込みどころはそこで良いのか、という思いにも駆られつつ。真司は見誤ったかもしれないと、期待に膨らんだ胸をしゅんと落ち込ませた。
ベッドに転がったまま真司は腕で光を遮り、長い溜め息を吐いた。
桐皇戦を敗北した後、誠凛は完全にペースを崩し、結局残りの二試合も負けるという形で決勝リーグを締めくくる事となってしまった。
「はぁ…」
あれから二週間。別に今尚敗北を引きずっているわけではない。
二週間怪我の治療で休んでいた火神が復活したまでは良かった。しかし、亀裂が出来てしまったかのように黒子と火神はかみ合わず、それどころか会話もしないような状態になっていしまったのだ。
「やっぱり火神君…変わっちゃうのかなぁ」
引っかかるのは、試合後に火神が黒子に言った言葉。
「力を合わせるだけじゃ…勝てない…」
そんな事ないはずだ。
しかし、実際青峰には手も足も出なかったわけで。
「駄目だ、ダメダメ…」
こんな気分のまま部活なんて出来ない。
真司はごろごろと寝返りを打ってから、ゆっくりと目を閉じた。
気分がのらないというか、学校に行く気すら起こらない。こんなにバスケに対して憂鬱になるのは初めてかもしれない。
真司は暫くもぞもぞと動いてから、考えることを辞めた。
それから暫くして。
「…あんた、学校は?」
登校時間を過ぎて、仕事に出るのだろう母が部屋に入ってくる。
相変わらず香水臭いのには変わりないが、外見はかなりまともになった母は、母親らしく真司の布団を奪い取った。
「全く、誰が学費払ってると思ってんのよ」
「…んー、行くよ、学校」
「ならさっさと準備しなさい」
もそっと布団から起き上って、時計をちらと確認する。
真司は洗濯しアイロンをかけた状態で暫くしまってあったハンカチを取り出した。
今から行けば丁度昼ごろに着くだろうか。
真司は制服に着替えると、軽い荷物だけで“学校”に向かって家を出た。
・・・
ガタガタと電車に揺られて移動する。
元々電車から外の景色なんてまじまじと見る事など無いのに、やけに見知らぬ景色に見える。勿論、見慣れた景色と違うのだから間違いないのだが。
(連絡無しで行って大丈夫かな…)
携帯の画面に何度も“緑間真太郎”の字を表示させてはそれを閉じる。
鞄に入れたハンカチは秀徳高校の緑間の先輩、宮地のもの。
結局部活で忙しい中秀徳に行く機会がなく、かなり遅くなってしまった。
電車を降りて暫く、秀徳高校に到着する。
桐皇で一度やっているからか、忍び込むことに対しては余り躊躇せず、真司は一番会える可能性が高いだろう体育館を探した。
(制服似てるし、案外堂々としてて平気かも…)
きょろきょろと、知らない校舎を辿る。
自転車置き場に何やらリアカー付きの自転車がある事が気になったが、そこをも通り過ぎて。
「あ…!」
聞こえて来たボールの音に真司はぱっと顔を輝かせた。
音の聞こえる方へ駆け出して、その建物の開いた扉から中を覗き込む。
音から連想された通りに行われていたバスケの練習。しかもそれをしていたのは、探していたその人だった。
「み、…」
宮地さん、そう呼ぼうとして言葉を止めるのは、もう少し見ていたいと思ったからだ。
時間的に恐らく昼休み、やっているのは自主練だろう。それにしてはかなり本気で、シュートを打っては転がるボールを拾い上げる、その繰り返し。
「…」
純粋にすごい、と思う。時間を惜しまず練習するなんて、上手くなろうと思ってもなかなか実行出来るものではない。
「悪ィ、ちょっとそこ退いてくんね?」
「あ、はい、すみませ…え?」
「…はァ!?」
靴を履きかえながら体育館に入ってくる生徒と目が合う。その瞬間目を大きく見開いて、互いに指を指し合った。
「高尾君…!」
「ちょ、真司!?なんで!?」
「あ…?真司?」
その声を聞いて練習をしていた宮地が振り返る。
あれ、何だこれ結果オーライか。
真司はまさかの事態に目を丸くしながらも、神がかった展開に体から力を抜いた。
「お久しぶりです、宮地さん」
「お前、試合の時の随分イメージ違うな…。いや、つかなんでいんだよ。学校は?」
「…自主休校?」
「お前な…」
ボールを腕に抱えて、飽きれたようなため息を吐く。
そんな宮地に対して、高尾は真司がいるという喜びやら滑稽さの方が大きいらしい。
肩に手を回して、ケラケラと笑っている。
「わざわざ学校さぼって一人で来たとか!!おまっ…かっわいーことすんなぁ」
「はぁ…」
「学校行きたくねーって?」
「え」
どうして分かったのだろう。そう思って高尾を見れば、鋭い目がじっとこちらを見つめている。
そういえば、この人も目がやたら凄い人だった。それが観察眼としても役立つのかは知らないが。
「誠凛対桐皇見に行ったんだよねー、オレ達」
「あ…。でも、別にそれで落ち込んでるとかじゃ、ないから」
「そーなん?」
「ただ、やる気がしないっていうか…」
軽い高尾の口調に釣られて、思わず本音が漏れてしまう。
それを聞いていた高尾はふんふんと何が分かったのか頷いて、宮地は持っていたボールをだんっと床に打ち付けた。
「んな時に来てんじゃねーよ」
「ぅ…す、すみません」
「こっち来い」
「はい…っ」
うわー怖ぇ、と宮地に対して命知らずなことを呟く高尾の腕が離れる。
真司は靴を脱ぎ鞄を置いて宮地の方に近付くと、その大きな体を見上げた。
「相手しろよ。1on1」
「え…!?」
「高尾、バッシュ貸してやれ」
「え、サイズとか絶対ぇ合わないと思っけど」
そう言いながら、高尾が今履いたばかりのバッシュを脱いでそこに置く。
真司はおずおずとそれを覗き込んで足を入れた。
「…」
「…」
「ぴ、ぴったり…です」
「いやいやいや!嘘っしょ!絶対ゆるいでしょ!!」
高尾とは然程体格差は無いはずだが、やはり少しゆるいのは予想通りだった。
ちらっと宮地を見上げれば、さすがにどうしたもんかと頭をかいている。
「やらない、という選択肢は無いんですか…?」
「あァ?」
「い、いえあの…どうして急に1on1だなんて、言いだしたのか、な…って」
最後の方はほとんど擦れて消えていた。
そりゃあ宮地のような体格も出来上がっていて実力も確かな選手と出来るなんて、望んでもないことだが。
「…桐皇に負けて、その後の二つも実力発揮出来ず。それで落ち込むなってのが無理な話だけどな」
先程までのきつめの表情を少し柔らかくして、宮地が真司に近付く。
「行き詰った時こそバスケだろ」
「…」
「オレは…才能がある癖に怠けてるヤツが一番嫌いだ」
ぼんやりと青峰の事を思い出して、真司は少し笑いそうになった。
なるほど確かに、宮地の言う事は何となく分かる。
「分かりました、1on1しましょう」
「いやでもお前靴ねーんだろ?」
「これでいいです。紐しっかり結べば脱げませんから」
その場にしゃがみこんで、バッシュの紐を解くとそれを最初よりもきつく結ぶ。
それを済ませて立ち上がると、すぐにボールが真司にパスされた。
「ハンデのつもりかよ」
「えっ、いえそういうつもりじゃ…。まぁ、負ける気はしてませんけど」
「お前、思ってたよりもいい性格してんじゃねーか…」
明らかにピキッと宮地の額に何か入った気がしたが、それを見て見ぬふりしてちらっと高尾を振り返る。
高尾は思っていたよりも真面目な顔で笑っていた。
純粋に、二人の実力をこの目で見たいという感じか。
「真司、その靴だから無理かもだけど、本気とかいてマジで宜しく!」
「面白がってるでしょ」
「いやまっさかぁ。こんな状況…面白くないわけねーだろ」
「…正直だね」
高尾は分かりやすい上に正直な人間だ。
真司は頭をかいて苦笑いを浮かべると、当初とかなり印象の変わった宮地にと向かい合った。
「…じゃあ、行きますね」
「おう」
とんとんとつま先を床に叩きつけて足の感触を確認する。それから姿勢を低くすると、真司はドリブルを始めた。
結果から言うと、三回勝負で二回真司はゴールを決めた。
三回目に放ったボールが横から弾かれてしまったのは、やはり真司にとってゴールはまだ課題の残るところだという証拠か。
「合ってない靴であんだけ出来っとか、やっぱ真司すげーな!」
「俺には足しか取り柄無いから」
「宮地せんぱーい、先輩からも何かコメント無いんすか?」
そう言う高尾の視線の先には、真司の足首を擦る宮地。
決して足を痛めた訳ではないが、念の為と、終えるなり宮地はすぐに真司を抱き上げ壁際に座らせた。
「まーあれだな。小さくて軽いからこその小回りっつか。ぶっ倒しちまいそうでこっちも本気だしにくいな」
「それは馬鹿にしてるんですか…?してるんですよね?」
「いや、本来ならハンデであるものをこう利用出来るのは才能だろ」
「あ、有難うございます…」
背の事を言われるのは余り好きでは無い。
しかし今は何だろう、こんな評価のされ方は初めてで、真司は照れ隠しに視線を落とした。
「そんで、高尾はどうしてここに来たんだ?いつも自主練なんてしてねーだろ」
「あ、そーっだ。さっき誠凛の記事載ってる月バス見たんすけど、見慣れないヤツが一人いて」
丁度良かった、そう言う高尾の視線は勿論真司に向いていた。
「なぁ、誠凛の7番って誰?」
「…7番?」
4番日向、5番伊月、6番小金井、7番飛ばして8番水戸部、9番土田、あと10番以降は一年生が続く。
言われてみれば、7番を見たことがない。
「誰だろう…?」
「知らねーのかよ!」
「見たことないし…聞いたこともないや…」
誠凛の去年の実力を知っていて入学を選んだのではない手前、去年の事は当然何も知らない。
真司が困惑して眉を寄せると、宮地がふっと息を吐いた。
「去年誠凛のセンターだった奴だよ。何故か決勝リーグにはいなかった」
思い出しているのだろう、宮地の視線は天井に向いている。
「去年の決勝リーグ、誠凛はトリプルスコアで負けた。奴がいれば…そんなことは無かったんじゃないか」
それくらい、誠凛にとって重要な人だった。
その宮地の話は、余りにも自分とかけ離れているような、関係ない事のように聞こえた。
「…やめちゃった、んですか」
「さあな。辞めたのかもしれねーし、怪我かもしれねーし」
「でも、そんなに凄い人なら…」
今こそ戻ってきて欲しい。
そんな現実味のないことを考えて、真司は首を小さく横に振った。
いなくなった人の事に待ったって仕方がない。
「宮地さん、ハンカチ有難うございました」
「あ、おう。この為に来たんだもんな」
「はい」
鞄のポケットから綺麗に畳んだハンカチを取り出す。
それを目で追った高尾が、何故か真っ先に反応した。
「ちょえ!?そのハンカチ宮地さんだったんすか!?」
「あ?なんだよ文句あんのか」
「いや…抜け目ねー…」
ふはー、と息を吐き出す高尾は、何やら不服そうだ。
真司は意味も分からず笑いつつ、ぱっと鞄を持って立ち上がった。
「じゃあ、俺行きますね」
朝の嫌な気分はすっかり無くなっている。
宮地とバスケをしたからか、誠凛のエースの話を聞いたからか。
「ちゃんと学校行けよ」
「分かってますよー」
一緒に立ち上がった宮地の手がとん、と真司の頭の上に乗った。
大きな手、優しい温もりに、綺麗な笑顔がそこにある。
それに思わずうっとりしかけて。
「…烏羽!」
突如現れた緑色の髪の長身男に、真司はびくりと体を震わせた。
走ってきたのか、肩で息をする緑間が鋭い目をこちらに向けている。
「烏羽、こっちに来い!」
「え、は、はい!?」
勢いに釣られて、思わず足を進める。
すると緑間は「来い」と言った割にはつかつかと真司に歩み寄り、そして真司の腕をぐいと引っ張った。
「え…!?」
そのまま真司の体は緑間の胸にとんとぶつかる。
余りにも緑間らしからぬいきなりの行動。それ故に咄嗟に分からなかったが、軽く抱きしめられていた。
「お前は…少し目を離したらこれだ…」
「な、何、」
「自分がどういう性質を持っているのか、まだ分かっていないのか」
溜め息を吐いたのか、耳にふっと息がかかる。
ぐるぐると目が回りそうな状況の中、何とか現状を打破しようと緑間の胸を叩いても緑間はびくともしない。
「せ、性質って」
「お前は人を惹き込みそして惹き込まれやすい…だから嫌なのだよ…」
「え、えぇ…?」
言っている意味が分からない程馬鹿ではない。
つまり真司の惚れっぽさを危惧している、ということだろう。
まさか緑間がそんなことを気にする人間だとは思っていなかったが。
「真ちゃーん、さすがに見てらんねーんだけど?」
「…!」
そんな甘さの無い抱擁から一転、高尾の一声で我に返り、緑間は真司の肩を掴んで体を引き剥がした。
見上げると、緑間はかなり顔を赤くしている。
「おいおいおい…緑間ぁ、今の何だ?」
「な、なんでもないのだよ、」
「無くねーよ。泣かせたり意味分からんこと押し付けたり?お前、調子のってんだろ?」
ぐいぐいと宮地が緑間に迫り、緑間は一歩ずつ下がっていく。
やはり緑間も先輩という奴には弱いのか。それとも自分の行動で動揺しているのか。
茫然とそんなことを考えていた真司の熱い頬に、高尾の手のひらが添えられていた。
「真司」
「うわっ、びっくりしたぁ」
「この際さ、緑間との関係はどーでもいいや。一個教えて」
「…何?」
「真司は、男もいけるタイプなわけ?」
真司は高尾の言葉を一度脳内で復唱して、それから吸い込んだ息を止めていた。
「え…、と、それは…」
「はっきり否定出来ねーってことは、つまり肯定、でおっけ?」
「…」
高尾ははっきり明言しなかったものの、“いける”とは“恋愛対象として見れる”という意味で間違いないだろう。
考えるまでも無い。そして否定出来る要素が見当たらない。
真司は宮地に暴言を投げつけられている緑間を横目で見てから、ゆっくりと頷いた。
「あー、んなびくびくすんなって。誰かに言ったりとか、からかったりとかしねーから」
「でも…普通じゃない、から」
「普通じゃない、ねぇ。ま、確かにそーかもしんねーな」
真司の頭が少しずつ下がっていく。
羞恥心やら妙な罪悪感やら、いろんなものが込み上げて、高尾の顔が見れない。
「真司、顔あーげて」
「…?」
それでも口調やらテンションに大差ない高尾が不思議で、真司は恐る恐る顔を上げた。
すると、思っていたよりも近くに高尾の顔があって。
口の端にちょんと触れたのは、恐らく高尾の唇だった。
「……え」
「これでオレも一緒。普通じゃなくていーんじゃね?」
「、…、?」
にかっと笑う高尾には何の引け目も感じられない。
とかそれ以前の問題だ。
真司はただ目を白黒とさせて、口をぱくぱくとさせても言葉は何も出てこなかった。
・・・
「今度来る時は、まずオレに会いに来るのだよ、烏羽」
「お、おう…」
「あと、やはり眼鏡はそうしてかけていた方が良い」
「…」
なんやかんや、あったのか無かったのか。
もう直昼休みも終わって授業の時間、ということもあり、真司は体育館から一歩外へ出た。
結局高尾が何を考えているのか分からなかったが、何か切っ掛けがあるとすれば緑間だろう。
「…じゃあ眼鏡外す」
「おい!」
何となく反抗したくなって眼鏡を外してケースの中にしまう。
すると緑間はわなわなと手を震えさせた。
「そんなことしたらお前は見えなくて困るだろう」
「残念でしたー。伊達眼鏡でーす」
「…いつからそんな、面倒なことを」
これでまた暫く緑間とは合わないだろう。そして高尾とも。
そう思うだけで少しだけ気が楽になる気がするのは、いろいろと考え過ぎだからかもしれない。
「じゃあ、失礼します」
たたっと少し駆けてから振り返る。
眉を寄せた緑間と、それを睨み付ける宮地と、笑顔で見送っている高尾と。
「真司、忘れんなよ!」
大きく手を振る高尾のその台詞には何の意味が含まれていたのか。
真司は深く考えないようにして、その場を去った。
真司が去って、そこに何やら微妙な空気が流れた。
緑間と高尾の視線は交差しているのに、互いに相手をうかがうようにして何も言わない。
宮地が「そろそろ教室行くぞ」とボールを片しにいくのを見計らって、ようやく緑間が先に高尾の肩を掴んだ。
「高尾、どういうつもりなのだよ」
その言葉には、さっきのは一体どういうことなのだよ、という意味も含まれている。
高尾は何ら普段と変わらない様子でへらっと笑い、緑間のその手を引き剥がした。
「真ちゃんこそ、オレがせっかく教えてやったのにアレはないんじゃねー?」
真司が来ていることを緑間へ連絡したのは高尾だった。
それを来るなり真司を抱き締めるというのは、さすがに目を見張るというか。
「オレが真司と仲良くしちゃヤダーってか?」
「そ…。お前達の間にはオレの知らない関係があるだろう」
「何々真ちゃん、嫉妬?」
「あ、あいつが危なっかしいから悪いのだよ」
眼鏡をかちゃっと中指で上げる仕草からは、緑間の動揺が見て取れる。
高尾はやれやれといった様子で首を数回横に振り、緑間を見上げて目を細めた。
「真司は男の子だぜ?」
「そんなことは分かっている。そしてそれが大した問題でないことも」
「ふーん…それ、アイツが好きだって認めてることになるけど?」
「…」
とうに分かり切っていることだが、あえて高尾は緑間に突き付ける。
すると、今更隠したって仕方がないだろうに、緑間は視線を逸らすと小さく咳払いをした。
つまりはそういう事だ。緑間は真司が好きだ。友達、男、関係なくそれを超えて。
「そ、そういうお前はどうなのだよ…。さっきのは、そういうことじゃないのか」
「さっきの?言っとっけど、ギリ避けてるかんな」
「そ、そういう問題ではないだろう…!烏羽が誤解したらどうする!」
「オレが真司を好きって?」
やはり口では高尾の方が上手いのか、緑間が墓穴を掘りすぎているのか。緑間は再び黙ると不服そうに眉を寄せた。
それに対し、やはりニッと笑うのは高尾だ。
「真ちゃんがそんなにお熱だなんてな。オレも本気になっちゃいそ」
「ふざけるんじゃないのだよ!」
「ふざけてねーよ」
真司が魅力的なのは言うまでも無く。出会った時から多少なりとも気になっていたのは事実だ。
高尾は笑顔を消した顔で真司が去った方を見つめた。
自分の知らない顔を緑間が知っているのかと思うと胸の奥がもやもやする。
緑間の言いたい事も分からなくはない。誰にでも愛想を振りまく真司は確かに危なっかしいのかもしれない。
「…あーあ。どーしてくれんだよ」
「高尾?」
「ちゅーしちゃえば良かった」
「高尾!」
唇に残る真司の吐息の名残。驚き見開かれた目は、緑間へ向ける熱い視線とは違った。
この悔しさのようなもやもやの正体は分かっている。だからこそ高尾は視線を落として頭をかいた。
「らしくねーって、こんなん」
認めたくないという思いと、あぁやっぱりか、と妙に納得する思いとの混雑。
チャイムの鳴る音を遠く聞きながら、高尾は先を行く緑間の後に続いて教室へと足を進めた。
・・・
電車を乗り継ぎ、少し時間を潰して、真司は丁度良く部活の時間に学校に到着した。
部員の中に同じクラスの人はいないし、サボった事がばれる心配はない。それでも少し緊張してしまうのは、こういう事に慣れていないからだろう。
意味もなく恐る恐る体育館に近付く。すると、後ろから肩をとんと叩かれていた。
「よ」
「…っ!」
大げさに肩が揺れたのは、そんなことを考えていたからで。
振り返れば何ということはない、日向がそこに立っていた。
「何だよ、オレは幽霊か何かか?」
「すみません。ちょっと考え事をしていて」
「はー…お前もかよ…ったく」
日向の脳裏には黒子と火神がいるのだろうか。
勿論真司は日向が思っているような事を考えていたわけではない。
むしろ今気になる事と言えば。
「…あの、日向先輩」
「ん?」
「聞いて良いことなのか分かりませんが…7番って、誰なんですか?」
何か重い過去が無いことを祈りつつ問いかける。
すると日向は、やけに怪訝そうに眉を寄せた。それは拒否では無く“何故”と言った様子で。
「…聞いたら、まずかった、ですか?」
「いや…そうじゃなくて、タイミングが」
「タイミング?」
きょと、と目を丸くして首を傾ける。
それに対して日向が「あー…」と小さく声を漏らした直後、目の前に影が出来た。
「お、何だ?今年はマネージャー入ったのか」
突然割り込んできたその声にはっとして日向から視線を移動させる。
低くて穏やかな声。顔を上げなければ確認出来ない程大きな体。
「小さくて可愛いなー」
次いで大きな手が頭を撫でてきて、真司はその人の顔をじっと見つめた。
「おぉ、こっち見たぞ、日向」
「あぁ、うん。あのな、そいつ一年の烏羽真司な」
「烏羽真司…。変わった名前だな?」
日向が頭を抱えて大きなため息を吐く。
変わった人なのだろう。そして少し、いやだいぶ抜けている。
真司の中で予想から確信に変わった事、それを呟かずにはいられなかった。
「7番…」
何せ、大きく“7”と書かれた誠凛のユニフォームを身に纏っていたのだから。
「いやお前、何でユニフォーム着てんだよ!」
「久しぶりの練習でテンションあがっちまってよ」
「やる気あんのか!?あんのか!」
日向の突っ込みは今日もきれっきれだ。
ということはさておき。真司は“7”を着たその人の腕を掴んだ。
「お?」
「さっき日向先輩も言ってましたが…俺、一年の烏羽です」
ぺこと軽く頭を下げて、再び大きなその人を見上げる。
顔の位置的に、誠凛では一番の背の高さを誇るだろう。真司からすればまた首が痛い。
「日向おかしい」
「…なんだよ」
「男の子に見える」
「それで良いんだよ!まず制服で気付けよ!」
何というか。
想像していたエースとは異なることは確かだった。
何を想像していたのか、と問われれば別に大したことを考えていたわけではないのだが。
真司は突っ込みによる疲労を見せる日向を横目に、再びぐいぐいと腕を引いた。
「あ、あの、お名前は」
「オレか?オレは、この~木なんの木♪気になる木~♪」
「烏羽、こいつの名前は木吉だ。木吉鉄平」
「は、はぁ…」
何故か突然歌い出した木吉を無視して、日向は間髪入れずに名前を教えてくれた。
その木吉は「何で言っちゃうんだよー」と不服そうにしているが、それさえも日向は知らぬふりだ。
「えっと、じゃあ…木吉先輩」
「ん?」
「会いたかったです。復帰して下さって、有難うございます」
日向も言っていたが、かなり良いタイミングだ。
丁度戻ってきてくれたら、なんて思った矢先の奇跡的なタイミング。
真司はその嬉しさが隠しきれず、完全に緩みきった顔で笑いかけた。
「…日向、聞こえたか?」
「今度は何だよ」
「何って、恋に落ちる音に決まってるだろ」
「決まってねーよ」
かなり仲が良いらしい二人の会話を何気なく聞き流しつつ。
真司は部室から出てきた運動着に身を包む黒子に気付いて、ぎゅっと自分の手を握り締めた。
「…」
火神が一人よがりになっているのも確か。そして、黒子の様子が何かおかしいのも確か。
そして、それを見ていることしか出来ないのは、中学の頃と同じ。
「…俺、着替えてきますね」
「あ、待て烏羽、オレも」
「じゃあオレも」
「いやお前は…そうだな、着替えろ」
視界にちらつく“7”のユニフォームが似合っているのだが滑稽だ。
真司はシリアスな気持ちに上塗りされて、小さくふっと笑った。
・・・
それぞれ運動着に着替えて集合する。
その中でやはり視線を集めるのは、一年生にとっては初お目見えとなる木吉の存在だった。
「去年の夏からわけあって入院しててさ、手術とリハビリで今まで休んでたんだ」
皆の前でそう言う木吉は先程と違ってただのTシャツに身を包んでいる。
木吉鉄平、193cm、81kg、ポジションはセンター。大して聞きたくもない体格の情報はさておき、彼は誠凛バスケ部を創った人間だというから驚きだ。
「鉄平!もう、大丈夫なのね?」
「ああ!もう完璧に治ったよ」
気軽に名前で彼を呼ぶリコは、相当木吉を頼りにしているように見える。
確かに、強く頷く木吉の姿は何ともいえない安心感があるというか。兄みたいというか父みたいというか。
「まぁブランクはあるけどな、でも入院中何もしてなかったわけじゃねぇよ」
「何か学んだのか?」
木吉の発言に伊月はぱっと目を輝かせて。それに対し木吉は自信満々に言ってのけた。
「花札をな」
暫く起こった沈黙は、各々頭の中で何かを整理する必要があった為だろう。
真司も一度自分の耳を疑って、高い位置にある木吉の顔を二度見、三度見はした。
「…だから!?」
「面白いぜ」
「バスケ関係ねぇじゃん!!」
凛々しい眉毛をきりりとさせるのはいいが、さすがに日向の喉が心配になってくる程だ。
隣で火神が大きく溜め息を吐くのを聞きながら、真司は木吉に期待じみたものを持った自分の過去を少し責めた。
「あと、これは創設時から言ってたことなんだが…。高校生活三年間を懸けるんだからな、やるからには本気だ」
そんな突っ込みをもろともせず、木吉は言葉を続けた。
お、今度はまともな事を言いそうだ。なんて思って皆木吉に集中して。
「目標はもちろん……どこだ!」
やはり言葉を失うこととなった。
「…は?」
「いや、インターハイの開催地ってどこだっけ?」
「毎年変わるしもう負けたわ!今目指してんのはウィンターカップだろ!」
「そうか、じゃあウィンターカップは今年どこだ?」
「ウィンターカップは毎年同じだよ!」
もの凄い勢いでまくし立てる日向の息が上がっている。
どうやら、というよりも分かり切っていたことだが、木吉はかなりズレ…いや、天然だ。
「まぁ、とにかく。山登るなら目指すのは当然頂点だ…が、景色もちゃんと楽しんでこーぜ」
とはいえ、彼が誠凛バスケ部を創った、というのは何となく納得出来る気がする。
この安心感は、きっとそういう感覚を無意識に覚えているからだろう。
真司は頬が緩むのを感じながら、木吉を見上げた。
すると木吉も真司を見ていたのか、ばちっと目が合って。何を思ったのか木吉はこくりと頷いて笑った。
「あ、あと烏羽はオレの嫁にする予定だからな」
手を出すなよ。そう付け足した木吉の顔は、かなり清々しい。
それが最後の追い打ちとなったのか、日向の肩がカタカタと震えだした。
「だーかーら…こいつは男だっつってんだろぉが!!」
突っ込みどころはそこで良いのか、という思いにも駆られつつ。真司は見誤ったかもしれないと、期待に膨らんだ胸をしゅんと落ち込ませた。