黒バス(2012.10~2017.12)
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その日は日が暮れるまでがっつりと練習を続けた。
さすがの真司の体力でもなかなか疲労の溜まるメニューで、帰路を歩く足はかなり重い。
しかしそんな練習よりも何よりも、この日真司の中に色濃く残っているのは青峰の事だった。
「…はぁ」
懐かしいなぁ。とか、相変わらずのガングロだなぁ、とか。
そんな友人を懐かしむ感想が一切浮かばなかったことが問題なのだ。
目付き、体格、手、匂い、体温。そんなことばかりが気になって仕方なくて。
いくらなんでも、こんなに気になるってどうなのだろう。
足元の小石が転がって道路に飛び出して行く。
真司はそれを目で追ったまま視線を落とした。
「…」
いや、さすがにそれは迷惑だ。
そう思いながらも、立ち止まった真司は鞄に入っている携帯を手に持って、とんとんとボタンを押した。
耳元で鳴る電子音に耳を傾ける。
それよりも煩い心臓の音が苦しくて息を吐き出した時、電子音が途切れた。
『…烏羽?』
耳元で聞こえる低い声。
真司は耳に当てる携帯をぎゅっと握りしめ、安心したように目を閉じた。
「緑間君…」
『何かあったのか』
「うーん…何て言うか…声、聞きたかったっていうか…」
緑間の息を吸う音がくすぐったい。電話とは、こうも緊張するものだったのか。
別の意味での高鳴りに真司は何を言ったらいいやら分からなくなって、俯き頭をかいた。
『おかしな奴だな』
「あ、でもホント、緑間君の声安心するかも。ずっと何かしゃべっててよ」
『…無茶を言うな』
「はは、ごめん」
低くて落ち着いた声。
冗談めかして言ったが、真司を落ち込ませていた今日の出来事が緑間の声で和らいでいくような感覚は確かにあって。
真司は道の端によって目を閉じ、携帯から聞こえる声に耳を澄ませた。
『え!?何々、真司から!?』
『高尾、うるさいのだよ』
『いーなぁ真ちゃん…。オレも真司と電話してぇーなぁー』
どうやら、向こうも練習終わりの帰宅中だったらしい。
少し遠めながら賑やかな声が後ろからしている。
「高尾君も一緒なんだ?」
『あ、いや…すまん』
「何で謝るんだよ。本当に仲良いんだね、二人」
『やめろ』
緑間に用があったわけではない。
慰めて欲しかったというか、本人に伝えた通り声が聞きたかっただけなのかもしれない。
「…甘えたかったのかも」
騒がしい向こうに対して、ぽつりと漏らした真司の声に重なったのは車の通り過ぎる音だけ。
随分と恥ずかしいことをしている。真司はふっと自分を笑ってから止めていた足を進め始めた。
「突然ごめん。じゃあ、また」
『今、どこにいるんだ』
「え…?と、もうすぐ家に着くけど」
『確か近くに公園があったな。今から向かう』
「…はぁ!?」
ちょっと真ちゃん、そんな高尾の声が遠くなる。
がたがたと揺れる音が大きくなって、そのまま電話はぷちんと途切れていた。
「…え、」
ツーツーと携帯から寂しげな音だけが響いてくる。
耳からそれを離した真司は、ゆっくりと視界を回して少し先にある公園を遠目に見つめた。
(今から、来るって…)
今緑間がどこにいるのかは知らない。喜んでいいのか。待っているべきなのか。
とぼとぼと薄暗い道を歩いて、真司は静かな公園のブランコに腰掛けた。
長く感じる一人の時間を持て余して、ブランコを揺らす。
その鈍い音は増々真司の寂しさを増幅させて、暫く揺れたブランコは静かに音を立てるのをやめた。
「はぁ…何してんだろ…」
部活の後、汗をかいた体を風呂で流して、布団に転がり眠る。
いつもの流れが待っているはずだったのに、ブランコに座って足をバタつかせて。
「もっかい電話…」
「烏羽」
地面に置いた鞄に手を伸ばした時、上から声が聞こえた。
ぱっと顔を上げれば、若干息を切らした緑間がそこにいて、眼鏡を指で上げている。
「あ…は、ホントに来たんだ」
「待っていたくせによく言う」
「確かに」
時間の感覚が無くなっていた為に、長くかかたのか早かったのかはよく分からない。
それでも、やはり嬉しいものは嬉しくて、真司はふっと笑って立ち上がった。
「ん」
「…ん?」
「あ、甘えたい、のだろう」
良く見れば、緑間の手が体よりも左右に開いている。
その行動の意図が分かって見上げた緑間の顔は真司から逸らされていて、暗くてはっきりしないが恐らく赤くなっていた。
「…っ、ふ、何だよそれー」
「な、何を笑っているのだよ!」
「ごめん、面白ー…嬉しくて」
緑間の胸にとんっと頬を寄せる。
速い鼓動は急いで来てくれたからではないのだろう。らしくもないことをして顔を赤くして、相変わらずの分かりやすさが真司を安心させる。
「お前が何を考えているのかは知らん」
「…」
「ただ…お前が甘えたいのだと、オレを選んでくれたことは、その…嬉しかったのだよ」
背中に回された手に力が籠って、真司もおずおずと緑間の背に手を回した。
緑間の言う通りだ。前に会ったときはまだ駄目だと自分にセーブをかけて我慢していたというのに。
「俺…決心弱いなぁ」
「弱くては駄目なのか」
「…い、…いいって認めたら、俺、それこそ駄目になっちゃうじゃ…」
真司の言葉を遮るように、緑間の手が真司の頬に触れる。
そのまま近付いてくる緑間を拒否することは出来なかった。
「…っ、」
唇に重なる柔らかい感触。軽く触れて、もう一度味わうように重なる。
吐き出した息が混ざり合って、震える体を支えるように緑間の手が腰に回された。
「わ、あ…」
「変な声を出すんじゃないのだよ…!」
「だ、だって、びっくりして」
緑間が必要以上にきつく抱くせいで、体が熱くなるのを避けられない。
しかし、押し返そうと緑間の胸に手を置いても、真司の力で押し返されてくれるはずもなく。
「ちょ、ちょっと緑間君…駄目だってば…」
ワイシャツのボタンが上から外されていく。
不器用そうに見えて器用な細い指が触れるだけでどうにかなりそうなのに、緑間の手は容赦なく真司の胸に触れていた。
「だ、駄目だからな!?野外プレイはさすがに…!」
「うるさいのだよ!少し黙っていろ…!」
「っ、」
唇から顎、首。そして上から四つのボタンが外されたワイシャツから露出する胸へ緑間が顔を近付ける。
軽いリップ音が聞こえると、真司の羞恥心はさすがに限界をむかえ、緑間の腕をきつく握り締めた。
「ホント…勘弁してよ…」
「ここまでオレを放っておいたお前が悪いのだよ」
「だからって、こんなん…我慢できなくなるから…」
「そ、…っ、」
赤くなった二人が目を合わせて、それからどちらともなく体を離す。
行きつく先が無くなった空気は重くて息苦しくて。真司はワイシャツのボタンを止めながら緑間を見上げた。
「だ、大丈夫…?」
「…も、もう遅い…家まで送るのだよ」
「や、家そんな遠くないから。むしろ緑間君こそ早く帰らないと…。あ、ウチ来る?」
「いや、遠慮しておく」
鞄を肩にかけて、何もなかったかのように歩き出す。
何もなかった…そんなはずもなし、隣を歩いてぶつかった手の甲に、ごめんという言葉は重なった。
「じゃあ、また…。その、有難う、緑間君」
「もうそれはいい。気分は良くなったのか?」
「少なくともそれどころじゃ無くなったよ」
「そう、か…」
公園を出て互いに別々の方向へと歩き出す。
それにしても、本当にこれだけの為に来てくれたとか。
「…っ、何それ…馬鹿じゃん…」
改めて考えてみても、やはり信じられないというか、行動力あったんだな、というか。
申し訳なさと感謝から、せめて見えなくなるまで見送ろうと、真司はぱっと振り返った。
「…か、帰らないの…?」
「お前こそ…何故振り返るのだよ…」
背中が見えるはずだったのに、目が合っている。
再び込み上げる恥ずかしさと妙な空気に今度こそどうすることも出来なくなって。
真司は赤くなる頬を両手で押さえて、緑間を睨み付けた。
「格好良すぎ!」
「な、」
「ばいばい!」
今度こそ振り返らずに走り出す。
振り返れるはずもなかった。真っ赤になった顔は、街灯の下隠す方法が無かったのだから。
月曜日、一日の授業を終えての部活。
整列した部員の前に立つリコと日向の手にはA4の用紙。どうやらそこには決勝リーグについての決定事項が書かれているらしい。
「Aブロックはウチ、Bブロックは桐皇学園、Cブロックは鳴成、Dブロックは泉真館。この四校で代表を争うことになるわ」
つらつらと並べられた高校名に、真司は首を傾げた。
正直なところ、バスケが強い学校はどこだとか知識はほぼ皆無なのだ。
「烏羽、お前分かりやすいな」
そんな真司を見てたのだろう。隣に立っていた伊月がぷっと小さく笑う。
原因は真司の動きか知識の無さか。どちらにせよ、真司の頬が空気を含んだ。
「し、仕方ないじゃないですかー…。強豪校とか、全然」
「そうだな。オレが知る限り…泉真館は毎年名を挙げる王者。鳴成は古豪ってところかな」
「桐皇は、知らないんですか?」
「桐皇はそうだな…」
真司の質問に、今度は伊月が不思議そうに首を傾げた。
去年までの桐皇には決勝リーグに名を残す程の実力は無かったのだろう。
しかし、今年は違う。
「伊月先輩、桐皇学園は青峰君と桃井さんが行ったところですよ」
若干のドヤ顔を添えつつ。
真司の指摘には伊月だけでなく他の二年生達も目を丸くした。
「え、そうなのか!?キセキの世代は強豪に行くものだとばっかり…」
「俺も理由までは知らないですけど…」
「桐皇学園は、ここ最近スカウトに力を入れてるみたいね」
桐皇の過去の実績はほとんどない。しかし、ここ最近の実力は、秀徳と比べても遜色ないらしい。
泉真館は紛れも無く強豪。鳴成は古豪。そして桐皇には青峰。やはり決勝リーグは厳しいことになりそうだ。
「それにしても、スカウトで高校決めるなんて青峰君らしいっていうか」
「まぁ、自分で行きたい高校を選ぶ人ではないですよね」
「ねー。俺も人のこと言えないけど」
「君はボクが行く高校を知る事が出来なかったら、どうするつもりだったんですか…」
黒子の言葉に、そういえばどうしたんだろう、と軽く考えて自然と視線が上に移動する。
しかし、考えることを邪魔するかのように、真司の耳にがたんと体育館の扉が開く音が入った。
「すっません、ちょっと掃除長引いて」
「もー遅いわよ!ほら、リーグ表コピー…」
音がした方を向けば、火神が入口で息を切らしている。
本当に掃除をしていたのだろう、外履きからバッシュに履き替える火神にリコが近付いて。そのリコの目が大きく見開かれた。
「…ちょっと火神君…バスケした?悪化してない?」
「え…いや…その、ちょっと…」
火神の声がどんどん小さくなっていく。
痛めた足がまだ完治していない状態で、バスケ禁止されていた。その火神がバスケをやったというのは、恐らく青峰との事だ。
真司がそう考えている間にも、リコの表情は鬼と化していった。
「こんのバカガミがぁっ!この耳は飾りか!」
「す、すませ…いた!いててて!」
「とりあえず保健室でシップもらってこい!はし…れないから逆立ちで!」
「マジで…!?」
リコの勢いに負けて、渋々火神が体育館を出て行く。
その様子を見ていた黒子も、伊月にトイレへ行くと告げて体育館を出て行ってしまった。
目的は、まぁトイレではないのだろう。
「…」
火神と黒子がどんな話をするのか気になる。
しかし自分もトイレと言って出て行くにはさすがに無理がありそうだ。
真司はうずうずとしながらも、手元のリーグ表に目を落とした。
「あれ…?もしかしなくても、初戦って…」
「桐皇よ」
ぽつりと呟いた真司の言葉に、リコは間髪を容れずに続けた。
驚いて顔を上げると、リコは先程と打って変わって真剣な顔をしている。
「火神君が必要不可欠なのよ。キセキの世代に対抗できるのは彼だけだからね…」
確かに、今の誠凛に青峰を倒せる人がいるとするならば、火神だけだろう。
しかし、真司は唇を噛んで眉間にシワを寄せた。
その火神でさえ、先日ストリートでは青峰に勝てなかった。それほど青峰は強くなっている。
「烏羽君?」
「桐皇戦…たぶん俺は力になれないと思います」
「どうして?」
「俺の速さは青峰君より上です、でも…俺のドリブルと青峰君のディフェンス、どっちが速いかっていうと…」
青峰と同時に走り出して、真司が負けたことは一度も無い。
しかし、ドリブルした状態で少し遅くなった真司に青峰は追いついてしまうだろう。
「今の青峰君を…俺がドリブルしながら抜けるか…正直微妙です」
「烏羽君でも…?」
「はい。ディフェンスで役に立てない以上…俺が青峰君を越せないなら、いるだけ無駄、かと」
自分で言って悲しくなる。しかし事実だ。
真司は目線を落とし、ぎゅっと手を握り締めた。
青峰に勝ちたいという気持ちは個人的なものでは無い。自分が試合に出れなくても、それでたとえ負けても後悔はないだろう。
「少なくとも、やる前からそんな弱気じゃ駄目ね」
「すみません…」
「そんなに、青峰大輝と敵対していることが不安?」
「そんなことはないです!」
「どーかしらねぇ。彼が好きなんでしょ?」
リコの言葉に真司の肩がびくっと震えた。
今の、リコはどういう意図で言ったのだろう。まさか、青峰への真司の思いがバレているなんてことは。
「たとえ好きな相手だとしても容赦しないからね」
「そ…わ、分かってますよ!」
「ならいいけど?」
というか、容赦している余裕などないだろう。
真司はまさかの展開に頭をかきながら、照れ隠しにリコから顔を逸らした。
というのに、逸らした先にいた日向と目が合ってしまった。
「お前…青峰のどこが好きなんだ?」
「な、なんですか…やめて下さいよ…」
「いやだって気になるだろ…」
この質問の感じからすると、リコや日向の言う“好き”が“like”と違うというのは確実か。
真司は心当たりとして浮かぶ火神との喧嘩を思い出して目を伏せた。
思い出したくもないが、恥ずかしすぎることを叫んだ記憶はある。
「…青峰君は、俺をバスケ部に誘ってくれた人なんです」
「そういや、中二からバスケ始めたんだったか」
「はい。同じクラスになった青峰君が、速さをバスケに活かして欲しいとか素人に無茶苦茶言ってきて…」
青峰と同じクラスにならなかったら。青峰と共に走らなかったら。もしかすると今ここにいないかもしれない。
黒子とも仲良くならなかったし、キセキの世代と親しくなることも無かった。
そう思うと、やはり青峰との出会いは真司の人生に余りに大きすぎて。
「青峰君のおかげで俺はここにいます。今の青峰君がどんなにヤな奴だったとしても、嫌いにはなれないです」
「特別なんだな」
「そうなんでしょうね…」
「ん。増々青峰をこらしめたくなった。絶対倒す」
急にやる気スイッチが切り替わった日向に目を丸くしながらも、真司は“特別”という言葉を何度も繰り返し唱えた。
紛れもなく“彼等”は“特別”だ。だからこそ、真司はここにいて彼等と戦うのだ。
「有難うございます」
「ん?何」
「青峰君を…、桐皇に勝ちましょう」
目を細めて日向に笑いかける。それに、日向もニッと笑い返してくれた。
どうか、試合が終わった後にもこうして勝利を噛み締めながら笑えますように。
そう祈る心には、どこか勝てるという自信がかけていたのかもしれない。
ついにやって来てしまった決勝リーグ当日。
その日の夕方頃に行われる試合に備え、集合まではそれぞれ自由な時間を与えられた。
そして午後、まだ暗くなり始める前に集合する。
集まった彼等は やはり多少緊張混じる面持ちで、しかし同時に闘志もみなぎっているように見えた。
「火神君、足は大丈夫?」
「おう。今日本気で跳んでみたけど、痛まなかったからな」
「そっか、良かった。火神君てば無茶ばっかりするから」
「悪かったな」
火神とは、何事も無かったかのように今まで通り接している。
相手が言及しないなら自分からは何も言わない。 互いにそう思うことで、上手く距離を保ったままいられている。
「“火神君なんてダイキライー”はなんだったやら」
「ちょ…!先輩、もうそのネタ止めてください…!」
「高校生男子があんな台詞、言わねーからな普通」
「…どうせ普通じゃないですよっ」
日向や小金井辺りは度々ネタとしてあの喧嘩を掘り返すが、勿論そのことは既に解決済みだ。
問題はその後の事。
(普通じゃない…俺が普通じゃないから、火神君まで…?)
思いもしなかった火神からの好意。
嫌なわけがない、むしろ嬉しいものだ。しかし、今の真司には応えることが出来ないから。
(ごめん、火神君)
今はただ、目の前にある試合のことを考えて挑まなければ。そう改めて気合いを入れる。
すると、それを削ぐかのように真司の携帯電話が音を立てた。
「…」
「誰か携帯なってるわよ?」
「あ、す、すみません俺です」
慌てて携帯を手に取り、真司はそのままじっと携帯を見下ろした。
こんなタイミングで一体誰からだろう。
「ちょっと出てきますね」
「あまり長話しするんじゃないわよ」
「はい」
携帯の画面には知らない電話番号が示されている。
ぱたんとドアが閉め、真司は不審に思いながらも通話ボタンを押した。
「…もしもし」
『あ!烏羽君!』
「え……え!?桃井さん!?」
名乗られなくても、その声ですぐに電話をしてきた相手が桃井だと分かった。やんわりとした高い声。
『ごめんね、忙しい時に…』
「いやそれはいいけど、こんな時に…何かあった?」
『う、うん…』
何故桃井が真司の番号を知っているのか、それも気になる所ではある。
しかし、試合前に敵チームの人間に電話するその要件があまりにも見えなくて、真司は桃井の言葉をじっと待った。
『あの…青峰君見なかった?っていうか烏羽君の所に行ってたりとか…!』
「青峰君?…いや、いないけど…」
『あ、ううん!知らないならいいの!』
桃井が焦ったように声色をつくる。それで真司は何となく分かってしまった。
「もしかして、青峰君来てないの…?」
『はぁ…ごめんね。あの馬鹿…どこで何してるやら電話も出なくて…』
サボり癖があることは重々承知だ。とはいえまさか、こんな大事な試合まで。
真司はきゅっと唇を噛んで、それからすっと息を吸い込んだ。
「…桃井さん、俺、探しに行くよ」
『え?』
「心当たりがある場所に行ってみる」
『何言ってるの!?そうしたら烏羽君まで試合に間に合わなくなっちゃうじゃ』
自分でも正気の沙汰では無いと思う。
しかし居ても経ってもいられなくて、もはや敵だとか、自分が遅れるだとか、そういうことは頭からかき消されていた。
「もし青峰君が来たら連絡して」
『そ、そうだよ、青峰君が来るのを待つから…!』
「でも来なかったら俺…。有難う、桃井さん」
ちょっと、という声が聞こえた気がしたが、真司はそのまま通話を切った。
黒子や先輩達には心配をかけてしまうだろう。それでも。
真司は告げずに走り出していた。
黒子の携帯に一言、「迎えに行ってくる」とだけ残して。
・・・
青峰と練習したことがあるストリートコートや、共に歩いたことのある場所を通りながら移動する。
大きな色黒の体だ。いたらすぐに見つけることが出来るだろう。
「青峰君…」
黒子と火神に対して「幻滅した」的なことを言っていたが、まさかそれでやる気を失くした、なんてことは。
真司の中の不安が高まり、自然と足も速くなる。
「っ、ここにもいないか…」
コートに入って一周見渡して脱力。何度繰り返せば良いのだろう。 焦りが先行して真司の頬に汗が流れる。
青峰がいる場所。青峰がサボる時に行く場所。青峰が好き好んで行く場所。
「あ…!」
ふと真司はとある場所を頭に浮かべた。中学の時、青峰がサボるのによく使っていた場所だ。
(なんでもっと早く思い出さなかった俺…!)
携帯でその場所を検索する。それから直ぐ様そこへ向かって走り出した。
これがもし外れていたら、もう諦める他ないだろう。
しかし、何故か確信があって、自信を抱いて走っていた。
(お願いだからいてくれ…)
もしくは既に会場へ向かっていてくれ。
もどかしい思いを抑えながら電車に揺られる。
そして目的の駅に着くと、また走る足を止めることなく目的地へ駆け込んだ。
迷いはなかった。種類の異なる制服の人からの視線に感じることなど何もない。
「っ、あの!」
見知らぬ学生に声をかければ、怪訝そうな目で見られ。しかし、躊躇わずに問う。
「屋上って、どこにありますか…!」
「え…あ、あっちの…突き当りの階段を上れば」
「有難うございます!」
戸惑いながらも道を示してくれた学生に頭を下げて、また走り出す。
階段を一段一段と進めば進む程近付く重そうな扉。真司は最後の一段に足を乗せたその勢いのまま、 取手を捻り押した。
いつの間に日が暮れたのか、薄暗いオレンジが目の前に飛び込んでくる。
思わず真司は目を細めて、それから視界の端に見えた長い足にほっとした。
「何寝てんだよ…馬鹿…」
急激に襲いかかってくる疲労に手を膝へ持っていく。
息を整えながら、まだ安定しない呼吸のまま、真司は彼に呼び掛けた。
「青峰君…っ」
もう試合は始まってしまっただろうか。時間すら確認せずに真っ直ぐ青峰へ視線を送る。
「青峰君っ、試合…!」
真司はもう一度呼吸を大きく繰り返し、それから青峰の傍に駆け寄った。隣でしゃがみ、肩を痛まない程度に、それでいて強めに叩く。
すると、思いの外すぐに青峰の目が開いた。
「…真司?」
「あ、青峰君!もー、何してんだよ、早く起きて!」
「なんで真司…はっ…懐かしいな…」
「え、」
覗き込んでいた真司の背中にとんと触れたのは青峰の手。
その手は真司の体を押していて、前のめりに傾いた体はそのまま青峰の胸に沈んでいた。
「ちょ、っと、何してんの…」
「ここで…飯食ったり昼寝したり…」
「な、寝ぼけてんなよ!ホント…膝、痛いし…!」
片手で押さえ付けるようにされていた状態から、気付けば抱きしめるように両手が背に回っていて。
分かるのは、青峰が寝ぼけているということだけ。声に力が無くて、目は開いていない。
「あ、お、みねくん…」
「真司、…どうしたら、ずっと」
ぽつりぽつりと青峰が何か言おうとしている。
それを聞きたいのと同時にこんな所で時間を無駄にしては駄目だという思いに駆られ、真司は震える手で青峰の胸を叩いた。
「青峰君!」
今の体勢の恥ずかしさもあってか、思ったよりも大きな声が出て。言葉途切れた青峰の目が薄く開いた。
「…あ?」
「、お…起きた?」
「何してんだ、オマエ」
何かしているのは貴方です。などと言えるはずもなく。
真司は緩んだ手の下から体を抜いた。
「ったく、君は正真正銘の馬鹿だな!早く立ってほら!」
「うっせぇな」
「君の目が覚めるように煩くしてるんだよ」
差し出した手を青峰が掴んで起き上がる。
青峰はまだぼんやりしているようで、頭をかきながらきょろきょろと辺りを見渡していた。
ここに真司がいるというのも原因の一つだろうか。
「…ここ、桐皇だよな」
「そうだよ。わざわざ迎えに来たんだから」
「んだそれ、真司の方が馬鹿だろ」
腕を伸ばして欠伸をしながら、ようやく状況を察したらしい青峰は笑っていた。
「わざわざオレを呼びに来るとか…首絞めてるようなもんだぜ」
「でも、青峰君がいなきゃ意味ないだろ」
「誠凛の勝利じゃなくて、テメェの問題を優先したってわけだ?」
「…」
まさか青峰にそんな事を言われるとは。
真司は否定できない事実に、口を噤んで顔を逸らした。
勝手に抜け出してこんな所に来て。かなり自分勝手だ。
「ま、せっかくだしちょっくら遊んでやっかな」
誠凛を利用して、火神を利用してキセキの世代に勝ちたいだけ。
きっとそうなのだろう。だからこんなに青峰の事に必死になって。
「青峰君の言う通りだ…。俺は、俺の都合しか考えてない」
「いいんじゃねー?そんなもんだろ」
「いやまぁ、青峰君はそうだろうけどさ…。はぁ、駄目だ、すぐ憂鬱になる」
桐皇との試合、そんなかなり重要で難関な場面を目の前にして、余計なことばかり考える。
そんな思いをかき消すように、真司は青峰の腕を掴んで進む足を速めた。
「…なぁ、真司」
その矢先、青峰が立ち止まった。
躊躇うように呼ばれた声に、不思議に思いながら振り返る。
「何?」
「オレ、寝ぼけてお前になんか…してねーよな」
「……なんかって、何?」
「いや、なんでもねー」
青峰はそれだけ言うと、むしろ真司を追い越す速さで歩き始めた。
何も無かった。何か、という程のことは何も。
真司は抱き締められた腕の強さを思い出して、顔をぶんぶんと横に振った。
今はそんな感情いらない。今は。
さすがの真司の体力でもなかなか疲労の溜まるメニューで、帰路を歩く足はかなり重い。
しかしそんな練習よりも何よりも、この日真司の中に色濃く残っているのは青峰の事だった。
「…はぁ」
懐かしいなぁ。とか、相変わらずのガングロだなぁ、とか。
そんな友人を懐かしむ感想が一切浮かばなかったことが問題なのだ。
目付き、体格、手、匂い、体温。そんなことばかりが気になって仕方なくて。
いくらなんでも、こんなに気になるってどうなのだろう。
足元の小石が転がって道路に飛び出して行く。
真司はそれを目で追ったまま視線を落とした。
「…」
いや、さすがにそれは迷惑だ。
そう思いながらも、立ち止まった真司は鞄に入っている携帯を手に持って、とんとんとボタンを押した。
耳元で鳴る電子音に耳を傾ける。
それよりも煩い心臓の音が苦しくて息を吐き出した時、電子音が途切れた。
『…烏羽?』
耳元で聞こえる低い声。
真司は耳に当てる携帯をぎゅっと握りしめ、安心したように目を閉じた。
「緑間君…」
『何かあったのか』
「うーん…何て言うか…声、聞きたかったっていうか…」
緑間の息を吸う音がくすぐったい。電話とは、こうも緊張するものだったのか。
別の意味での高鳴りに真司は何を言ったらいいやら分からなくなって、俯き頭をかいた。
『おかしな奴だな』
「あ、でもホント、緑間君の声安心するかも。ずっと何かしゃべっててよ」
『…無茶を言うな』
「はは、ごめん」
低くて落ち着いた声。
冗談めかして言ったが、真司を落ち込ませていた今日の出来事が緑間の声で和らいでいくような感覚は確かにあって。
真司は道の端によって目を閉じ、携帯から聞こえる声に耳を澄ませた。
『え!?何々、真司から!?』
『高尾、うるさいのだよ』
『いーなぁ真ちゃん…。オレも真司と電話してぇーなぁー』
どうやら、向こうも練習終わりの帰宅中だったらしい。
少し遠めながら賑やかな声が後ろからしている。
「高尾君も一緒なんだ?」
『あ、いや…すまん』
「何で謝るんだよ。本当に仲良いんだね、二人」
『やめろ』
緑間に用があったわけではない。
慰めて欲しかったというか、本人に伝えた通り声が聞きたかっただけなのかもしれない。
「…甘えたかったのかも」
騒がしい向こうに対して、ぽつりと漏らした真司の声に重なったのは車の通り過ぎる音だけ。
随分と恥ずかしいことをしている。真司はふっと自分を笑ってから止めていた足を進め始めた。
「突然ごめん。じゃあ、また」
『今、どこにいるんだ』
「え…?と、もうすぐ家に着くけど」
『確か近くに公園があったな。今から向かう』
「…はぁ!?」
ちょっと真ちゃん、そんな高尾の声が遠くなる。
がたがたと揺れる音が大きくなって、そのまま電話はぷちんと途切れていた。
「…え、」
ツーツーと携帯から寂しげな音だけが響いてくる。
耳からそれを離した真司は、ゆっくりと視界を回して少し先にある公園を遠目に見つめた。
(今から、来るって…)
今緑間がどこにいるのかは知らない。喜んでいいのか。待っているべきなのか。
とぼとぼと薄暗い道を歩いて、真司は静かな公園のブランコに腰掛けた。
長く感じる一人の時間を持て余して、ブランコを揺らす。
その鈍い音は増々真司の寂しさを増幅させて、暫く揺れたブランコは静かに音を立てるのをやめた。
「はぁ…何してんだろ…」
部活の後、汗をかいた体を風呂で流して、布団に転がり眠る。
いつもの流れが待っているはずだったのに、ブランコに座って足をバタつかせて。
「もっかい電話…」
「烏羽」
地面に置いた鞄に手を伸ばした時、上から声が聞こえた。
ぱっと顔を上げれば、若干息を切らした緑間がそこにいて、眼鏡を指で上げている。
「あ…は、ホントに来たんだ」
「待っていたくせによく言う」
「確かに」
時間の感覚が無くなっていた為に、長くかかたのか早かったのかはよく分からない。
それでも、やはり嬉しいものは嬉しくて、真司はふっと笑って立ち上がった。
「ん」
「…ん?」
「あ、甘えたい、のだろう」
良く見れば、緑間の手が体よりも左右に開いている。
その行動の意図が分かって見上げた緑間の顔は真司から逸らされていて、暗くてはっきりしないが恐らく赤くなっていた。
「…っ、ふ、何だよそれー」
「な、何を笑っているのだよ!」
「ごめん、面白ー…嬉しくて」
緑間の胸にとんっと頬を寄せる。
速い鼓動は急いで来てくれたからではないのだろう。らしくもないことをして顔を赤くして、相変わらずの分かりやすさが真司を安心させる。
「お前が何を考えているのかは知らん」
「…」
「ただ…お前が甘えたいのだと、オレを選んでくれたことは、その…嬉しかったのだよ」
背中に回された手に力が籠って、真司もおずおずと緑間の背に手を回した。
緑間の言う通りだ。前に会ったときはまだ駄目だと自分にセーブをかけて我慢していたというのに。
「俺…決心弱いなぁ」
「弱くては駄目なのか」
「…い、…いいって認めたら、俺、それこそ駄目になっちゃうじゃ…」
真司の言葉を遮るように、緑間の手が真司の頬に触れる。
そのまま近付いてくる緑間を拒否することは出来なかった。
「…っ、」
唇に重なる柔らかい感触。軽く触れて、もう一度味わうように重なる。
吐き出した息が混ざり合って、震える体を支えるように緑間の手が腰に回された。
「わ、あ…」
「変な声を出すんじゃないのだよ…!」
「だ、だって、びっくりして」
緑間が必要以上にきつく抱くせいで、体が熱くなるのを避けられない。
しかし、押し返そうと緑間の胸に手を置いても、真司の力で押し返されてくれるはずもなく。
「ちょ、ちょっと緑間君…駄目だってば…」
ワイシャツのボタンが上から外されていく。
不器用そうに見えて器用な細い指が触れるだけでどうにかなりそうなのに、緑間の手は容赦なく真司の胸に触れていた。
「だ、駄目だからな!?野外プレイはさすがに…!」
「うるさいのだよ!少し黙っていろ…!」
「っ、」
唇から顎、首。そして上から四つのボタンが外されたワイシャツから露出する胸へ緑間が顔を近付ける。
軽いリップ音が聞こえると、真司の羞恥心はさすがに限界をむかえ、緑間の腕をきつく握り締めた。
「ホント…勘弁してよ…」
「ここまでオレを放っておいたお前が悪いのだよ」
「だからって、こんなん…我慢できなくなるから…」
「そ、…っ、」
赤くなった二人が目を合わせて、それからどちらともなく体を離す。
行きつく先が無くなった空気は重くて息苦しくて。真司はワイシャツのボタンを止めながら緑間を見上げた。
「だ、大丈夫…?」
「…も、もう遅い…家まで送るのだよ」
「や、家そんな遠くないから。むしろ緑間君こそ早く帰らないと…。あ、ウチ来る?」
「いや、遠慮しておく」
鞄を肩にかけて、何もなかったかのように歩き出す。
何もなかった…そんなはずもなし、隣を歩いてぶつかった手の甲に、ごめんという言葉は重なった。
「じゃあ、また…。その、有難う、緑間君」
「もうそれはいい。気分は良くなったのか?」
「少なくともそれどころじゃ無くなったよ」
「そう、か…」
公園を出て互いに別々の方向へと歩き出す。
それにしても、本当にこれだけの為に来てくれたとか。
「…っ、何それ…馬鹿じゃん…」
改めて考えてみても、やはり信じられないというか、行動力あったんだな、というか。
申し訳なさと感謝から、せめて見えなくなるまで見送ろうと、真司はぱっと振り返った。
「…か、帰らないの…?」
「お前こそ…何故振り返るのだよ…」
背中が見えるはずだったのに、目が合っている。
再び込み上げる恥ずかしさと妙な空気に今度こそどうすることも出来なくなって。
真司は赤くなる頬を両手で押さえて、緑間を睨み付けた。
「格好良すぎ!」
「な、」
「ばいばい!」
今度こそ振り返らずに走り出す。
振り返れるはずもなかった。真っ赤になった顔は、街灯の下隠す方法が無かったのだから。
月曜日、一日の授業を終えての部活。
整列した部員の前に立つリコと日向の手にはA4の用紙。どうやらそこには決勝リーグについての決定事項が書かれているらしい。
「Aブロックはウチ、Bブロックは桐皇学園、Cブロックは鳴成、Dブロックは泉真館。この四校で代表を争うことになるわ」
つらつらと並べられた高校名に、真司は首を傾げた。
正直なところ、バスケが強い学校はどこだとか知識はほぼ皆無なのだ。
「烏羽、お前分かりやすいな」
そんな真司を見てたのだろう。隣に立っていた伊月がぷっと小さく笑う。
原因は真司の動きか知識の無さか。どちらにせよ、真司の頬が空気を含んだ。
「し、仕方ないじゃないですかー…。強豪校とか、全然」
「そうだな。オレが知る限り…泉真館は毎年名を挙げる王者。鳴成は古豪ってところかな」
「桐皇は、知らないんですか?」
「桐皇はそうだな…」
真司の質問に、今度は伊月が不思議そうに首を傾げた。
去年までの桐皇には決勝リーグに名を残す程の実力は無かったのだろう。
しかし、今年は違う。
「伊月先輩、桐皇学園は青峰君と桃井さんが行ったところですよ」
若干のドヤ顔を添えつつ。
真司の指摘には伊月だけでなく他の二年生達も目を丸くした。
「え、そうなのか!?キセキの世代は強豪に行くものだとばっかり…」
「俺も理由までは知らないですけど…」
「桐皇学園は、ここ最近スカウトに力を入れてるみたいね」
桐皇の過去の実績はほとんどない。しかし、ここ最近の実力は、秀徳と比べても遜色ないらしい。
泉真館は紛れも無く強豪。鳴成は古豪。そして桐皇には青峰。やはり決勝リーグは厳しいことになりそうだ。
「それにしても、スカウトで高校決めるなんて青峰君らしいっていうか」
「まぁ、自分で行きたい高校を選ぶ人ではないですよね」
「ねー。俺も人のこと言えないけど」
「君はボクが行く高校を知る事が出来なかったら、どうするつもりだったんですか…」
黒子の言葉に、そういえばどうしたんだろう、と軽く考えて自然と視線が上に移動する。
しかし、考えることを邪魔するかのように、真司の耳にがたんと体育館の扉が開く音が入った。
「すっません、ちょっと掃除長引いて」
「もー遅いわよ!ほら、リーグ表コピー…」
音がした方を向けば、火神が入口で息を切らしている。
本当に掃除をしていたのだろう、外履きからバッシュに履き替える火神にリコが近付いて。そのリコの目が大きく見開かれた。
「…ちょっと火神君…バスケした?悪化してない?」
「え…いや…その、ちょっと…」
火神の声がどんどん小さくなっていく。
痛めた足がまだ完治していない状態で、バスケ禁止されていた。その火神がバスケをやったというのは、恐らく青峰との事だ。
真司がそう考えている間にも、リコの表情は鬼と化していった。
「こんのバカガミがぁっ!この耳は飾りか!」
「す、すませ…いた!いててて!」
「とりあえず保健室でシップもらってこい!はし…れないから逆立ちで!」
「マジで…!?」
リコの勢いに負けて、渋々火神が体育館を出て行く。
その様子を見ていた黒子も、伊月にトイレへ行くと告げて体育館を出て行ってしまった。
目的は、まぁトイレではないのだろう。
「…」
火神と黒子がどんな話をするのか気になる。
しかし自分もトイレと言って出て行くにはさすがに無理がありそうだ。
真司はうずうずとしながらも、手元のリーグ表に目を落とした。
「あれ…?もしかしなくても、初戦って…」
「桐皇よ」
ぽつりと呟いた真司の言葉に、リコは間髪を容れずに続けた。
驚いて顔を上げると、リコは先程と打って変わって真剣な顔をしている。
「火神君が必要不可欠なのよ。キセキの世代に対抗できるのは彼だけだからね…」
確かに、今の誠凛に青峰を倒せる人がいるとするならば、火神だけだろう。
しかし、真司は唇を噛んで眉間にシワを寄せた。
その火神でさえ、先日ストリートでは青峰に勝てなかった。それほど青峰は強くなっている。
「烏羽君?」
「桐皇戦…たぶん俺は力になれないと思います」
「どうして?」
「俺の速さは青峰君より上です、でも…俺のドリブルと青峰君のディフェンス、どっちが速いかっていうと…」
青峰と同時に走り出して、真司が負けたことは一度も無い。
しかし、ドリブルした状態で少し遅くなった真司に青峰は追いついてしまうだろう。
「今の青峰君を…俺がドリブルしながら抜けるか…正直微妙です」
「烏羽君でも…?」
「はい。ディフェンスで役に立てない以上…俺が青峰君を越せないなら、いるだけ無駄、かと」
自分で言って悲しくなる。しかし事実だ。
真司は目線を落とし、ぎゅっと手を握り締めた。
青峰に勝ちたいという気持ちは個人的なものでは無い。自分が試合に出れなくても、それでたとえ負けても後悔はないだろう。
「少なくとも、やる前からそんな弱気じゃ駄目ね」
「すみません…」
「そんなに、青峰大輝と敵対していることが不安?」
「そんなことはないです!」
「どーかしらねぇ。彼が好きなんでしょ?」
リコの言葉に真司の肩がびくっと震えた。
今の、リコはどういう意図で言ったのだろう。まさか、青峰への真司の思いがバレているなんてことは。
「たとえ好きな相手だとしても容赦しないからね」
「そ…わ、分かってますよ!」
「ならいいけど?」
というか、容赦している余裕などないだろう。
真司はまさかの展開に頭をかきながら、照れ隠しにリコから顔を逸らした。
というのに、逸らした先にいた日向と目が合ってしまった。
「お前…青峰のどこが好きなんだ?」
「な、なんですか…やめて下さいよ…」
「いやだって気になるだろ…」
この質問の感じからすると、リコや日向の言う“好き”が“like”と違うというのは確実か。
真司は心当たりとして浮かぶ火神との喧嘩を思い出して目を伏せた。
思い出したくもないが、恥ずかしすぎることを叫んだ記憶はある。
「…青峰君は、俺をバスケ部に誘ってくれた人なんです」
「そういや、中二からバスケ始めたんだったか」
「はい。同じクラスになった青峰君が、速さをバスケに活かして欲しいとか素人に無茶苦茶言ってきて…」
青峰と同じクラスにならなかったら。青峰と共に走らなかったら。もしかすると今ここにいないかもしれない。
黒子とも仲良くならなかったし、キセキの世代と親しくなることも無かった。
そう思うと、やはり青峰との出会いは真司の人生に余りに大きすぎて。
「青峰君のおかげで俺はここにいます。今の青峰君がどんなにヤな奴だったとしても、嫌いにはなれないです」
「特別なんだな」
「そうなんでしょうね…」
「ん。増々青峰をこらしめたくなった。絶対倒す」
急にやる気スイッチが切り替わった日向に目を丸くしながらも、真司は“特別”という言葉を何度も繰り返し唱えた。
紛れもなく“彼等”は“特別”だ。だからこそ、真司はここにいて彼等と戦うのだ。
「有難うございます」
「ん?何」
「青峰君を…、桐皇に勝ちましょう」
目を細めて日向に笑いかける。それに、日向もニッと笑い返してくれた。
どうか、試合が終わった後にもこうして勝利を噛み締めながら笑えますように。
そう祈る心には、どこか勝てるという自信がかけていたのかもしれない。
ついにやって来てしまった決勝リーグ当日。
その日の夕方頃に行われる試合に備え、集合まではそれぞれ自由な時間を与えられた。
そして午後、まだ暗くなり始める前に集合する。
集まった彼等は やはり多少緊張混じる面持ちで、しかし同時に闘志もみなぎっているように見えた。
「火神君、足は大丈夫?」
「おう。今日本気で跳んでみたけど、痛まなかったからな」
「そっか、良かった。火神君てば無茶ばっかりするから」
「悪かったな」
火神とは、何事も無かったかのように今まで通り接している。
相手が言及しないなら自分からは何も言わない。 互いにそう思うことで、上手く距離を保ったままいられている。
「“火神君なんてダイキライー”はなんだったやら」
「ちょ…!先輩、もうそのネタ止めてください…!」
「高校生男子があんな台詞、言わねーからな普通」
「…どうせ普通じゃないですよっ」
日向や小金井辺りは度々ネタとしてあの喧嘩を掘り返すが、勿論そのことは既に解決済みだ。
問題はその後の事。
(普通じゃない…俺が普通じゃないから、火神君まで…?)
思いもしなかった火神からの好意。
嫌なわけがない、むしろ嬉しいものだ。しかし、今の真司には応えることが出来ないから。
(ごめん、火神君)
今はただ、目の前にある試合のことを考えて挑まなければ。そう改めて気合いを入れる。
すると、それを削ぐかのように真司の携帯電話が音を立てた。
「…」
「誰か携帯なってるわよ?」
「あ、す、すみません俺です」
慌てて携帯を手に取り、真司はそのままじっと携帯を見下ろした。
こんなタイミングで一体誰からだろう。
「ちょっと出てきますね」
「あまり長話しするんじゃないわよ」
「はい」
携帯の画面には知らない電話番号が示されている。
ぱたんとドアが閉め、真司は不審に思いながらも通話ボタンを押した。
「…もしもし」
『あ!烏羽君!』
「え……え!?桃井さん!?」
名乗られなくても、その声ですぐに電話をしてきた相手が桃井だと分かった。やんわりとした高い声。
『ごめんね、忙しい時に…』
「いやそれはいいけど、こんな時に…何かあった?」
『う、うん…』
何故桃井が真司の番号を知っているのか、それも気になる所ではある。
しかし、試合前に敵チームの人間に電話するその要件があまりにも見えなくて、真司は桃井の言葉をじっと待った。
『あの…青峰君見なかった?っていうか烏羽君の所に行ってたりとか…!』
「青峰君?…いや、いないけど…」
『あ、ううん!知らないならいいの!』
桃井が焦ったように声色をつくる。それで真司は何となく分かってしまった。
「もしかして、青峰君来てないの…?」
『はぁ…ごめんね。あの馬鹿…どこで何してるやら電話も出なくて…』
サボり癖があることは重々承知だ。とはいえまさか、こんな大事な試合まで。
真司はきゅっと唇を噛んで、それからすっと息を吸い込んだ。
「…桃井さん、俺、探しに行くよ」
『え?』
「心当たりがある場所に行ってみる」
『何言ってるの!?そうしたら烏羽君まで試合に間に合わなくなっちゃうじゃ』
自分でも正気の沙汰では無いと思う。
しかし居ても経ってもいられなくて、もはや敵だとか、自分が遅れるだとか、そういうことは頭からかき消されていた。
「もし青峰君が来たら連絡して」
『そ、そうだよ、青峰君が来るのを待つから…!』
「でも来なかったら俺…。有難う、桃井さん」
ちょっと、という声が聞こえた気がしたが、真司はそのまま通話を切った。
黒子や先輩達には心配をかけてしまうだろう。それでも。
真司は告げずに走り出していた。
黒子の携帯に一言、「迎えに行ってくる」とだけ残して。
・・・
青峰と練習したことがあるストリートコートや、共に歩いたことのある場所を通りながら移動する。
大きな色黒の体だ。いたらすぐに見つけることが出来るだろう。
「青峰君…」
黒子と火神に対して「幻滅した」的なことを言っていたが、まさかそれでやる気を失くした、なんてことは。
真司の中の不安が高まり、自然と足も速くなる。
「っ、ここにもいないか…」
コートに入って一周見渡して脱力。何度繰り返せば良いのだろう。 焦りが先行して真司の頬に汗が流れる。
青峰がいる場所。青峰がサボる時に行く場所。青峰が好き好んで行く場所。
「あ…!」
ふと真司はとある場所を頭に浮かべた。中学の時、青峰がサボるのによく使っていた場所だ。
(なんでもっと早く思い出さなかった俺…!)
携帯でその場所を検索する。それから直ぐ様そこへ向かって走り出した。
これがもし外れていたら、もう諦める他ないだろう。
しかし、何故か確信があって、自信を抱いて走っていた。
(お願いだからいてくれ…)
もしくは既に会場へ向かっていてくれ。
もどかしい思いを抑えながら電車に揺られる。
そして目的の駅に着くと、また走る足を止めることなく目的地へ駆け込んだ。
迷いはなかった。種類の異なる制服の人からの視線に感じることなど何もない。
「っ、あの!」
見知らぬ学生に声をかければ、怪訝そうな目で見られ。しかし、躊躇わずに問う。
「屋上って、どこにありますか…!」
「え…あ、あっちの…突き当りの階段を上れば」
「有難うございます!」
戸惑いながらも道を示してくれた学生に頭を下げて、また走り出す。
階段を一段一段と進めば進む程近付く重そうな扉。真司は最後の一段に足を乗せたその勢いのまま、 取手を捻り押した。
いつの間に日が暮れたのか、薄暗いオレンジが目の前に飛び込んでくる。
思わず真司は目を細めて、それから視界の端に見えた長い足にほっとした。
「何寝てんだよ…馬鹿…」
急激に襲いかかってくる疲労に手を膝へ持っていく。
息を整えながら、まだ安定しない呼吸のまま、真司は彼に呼び掛けた。
「青峰君…っ」
もう試合は始まってしまっただろうか。時間すら確認せずに真っ直ぐ青峰へ視線を送る。
「青峰君っ、試合…!」
真司はもう一度呼吸を大きく繰り返し、それから青峰の傍に駆け寄った。隣でしゃがみ、肩を痛まない程度に、それでいて強めに叩く。
すると、思いの外すぐに青峰の目が開いた。
「…真司?」
「あ、青峰君!もー、何してんだよ、早く起きて!」
「なんで真司…はっ…懐かしいな…」
「え、」
覗き込んでいた真司の背中にとんと触れたのは青峰の手。
その手は真司の体を押していて、前のめりに傾いた体はそのまま青峰の胸に沈んでいた。
「ちょ、っと、何してんの…」
「ここで…飯食ったり昼寝したり…」
「な、寝ぼけてんなよ!ホント…膝、痛いし…!」
片手で押さえ付けるようにされていた状態から、気付けば抱きしめるように両手が背に回っていて。
分かるのは、青峰が寝ぼけているということだけ。声に力が無くて、目は開いていない。
「あ、お、みねくん…」
「真司、…どうしたら、ずっと」
ぽつりぽつりと青峰が何か言おうとしている。
それを聞きたいのと同時にこんな所で時間を無駄にしては駄目だという思いに駆られ、真司は震える手で青峰の胸を叩いた。
「青峰君!」
今の体勢の恥ずかしさもあってか、思ったよりも大きな声が出て。言葉途切れた青峰の目が薄く開いた。
「…あ?」
「、お…起きた?」
「何してんだ、オマエ」
何かしているのは貴方です。などと言えるはずもなく。
真司は緩んだ手の下から体を抜いた。
「ったく、君は正真正銘の馬鹿だな!早く立ってほら!」
「うっせぇな」
「君の目が覚めるように煩くしてるんだよ」
差し出した手を青峰が掴んで起き上がる。
青峰はまだぼんやりしているようで、頭をかきながらきょろきょろと辺りを見渡していた。
ここに真司がいるというのも原因の一つだろうか。
「…ここ、桐皇だよな」
「そうだよ。わざわざ迎えに来たんだから」
「んだそれ、真司の方が馬鹿だろ」
腕を伸ばして欠伸をしながら、ようやく状況を察したらしい青峰は笑っていた。
「わざわざオレを呼びに来るとか…首絞めてるようなもんだぜ」
「でも、青峰君がいなきゃ意味ないだろ」
「誠凛の勝利じゃなくて、テメェの問題を優先したってわけだ?」
「…」
まさか青峰にそんな事を言われるとは。
真司は否定できない事実に、口を噤んで顔を逸らした。
勝手に抜け出してこんな所に来て。かなり自分勝手だ。
「ま、せっかくだしちょっくら遊んでやっかな」
誠凛を利用して、火神を利用してキセキの世代に勝ちたいだけ。
きっとそうなのだろう。だからこんなに青峰の事に必死になって。
「青峰君の言う通りだ…。俺は、俺の都合しか考えてない」
「いいんじゃねー?そんなもんだろ」
「いやまぁ、青峰君はそうだろうけどさ…。はぁ、駄目だ、すぐ憂鬱になる」
桐皇との試合、そんなかなり重要で難関な場面を目の前にして、余計なことばかり考える。
そんな思いをかき消すように、真司は青峰の腕を掴んで進む足を速めた。
「…なぁ、真司」
その矢先、青峰が立ち止まった。
躊躇うように呼ばれた声に、不思議に思いながら振り返る。
「何?」
「オレ、寝ぼけてお前になんか…してねーよな」
「……なんかって、何?」
「いや、なんでもねー」
青峰はそれだけ言うと、むしろ真司を追い越す速さで歩き始めた。
何も無かった。何か、という程のことは何も。
真司は抱き締められた腕の強さを思い出して、顔をぶんぶんと横に振った。
今はそんな感情いらない。今は。