黒バス(2012.10~2017.12)
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いつも通りのチャイムが鳴り響き、教科書を広げて教師の話を聞く。
「…ふ、ぁ…」
口を抑えて小さく欠伸。それから首が少しカクンと折れて、もう寝てしまおうかと諦め始めた時。
「もうすぐ実力テストがあるからな。しっかり復習しておくように!」
教師の張り切った声色と共に、真司の血の気がサッと引いた。
高校に入ってから今までの授業範囲を教科書を捲ることで確認する。
ところどころ記憶にない部分がちらほら。部活の疲労で寝た為に開いた穴が複数存在している。
嘗てない焦りが真司の身に降りかかっていた。
・・・
翌日の昼休み。
真司は携帯に入った連絡に、手に数枚のプリントを持って体育館に移動していた。
何が起こるか、何となく予想が出来るのは、持ってくるように言われたのが中間テストの解答用紙だからだ。
「あ、烏羽君」
「テツ君、に火神君」
偶然通りかかった黒子と火神。彼等も同じようにテスト用紙だけを手に持っている。
「急に中間テスト全部持ってこいとか…あの監督は急に何なんだ」
「すごく当然のことが起きそうですけど」
このタイミングでの成績チェック。まぁ実力テストに関係のあることだろう。
「実力テスト、点数悪いと部活に支障でるのかな?」
「さぁ…分かりませんが、そうなのかもしれませんね」
「あ?でも実力テストは成績に関係ねぇんだろ?」
三人で首を傾げ、結局良く分からない、ということで話はまとまらなかった。
そのまま体育館に着くと、既に先輩達は勢揃いしている。
勿論、先輩達はお互いのことを把握済みなのか、手には何も持っていない。
「ちゃんと持って来たでしょうね?」
腕組み仁王立ち。
リコの様子に、ついてもいない予想に的中した思いを感じるのは何なのか。
「実力テストって、部活に何か関係あるんですか?」
「あるのよ、大いに」
あ、やっぱり。真司は黒子と目を合わせて小さく頷いた。
「ウチの学校は一学年約300人、その順位がはっきり出るのよ」
「その下位100名は来週土曜日補習。これが問題なんだよ」
リコに続いて言った伊月の言葉を頭の中で何度も繰り返す。
補習、土曜日、来週。
「あ!」
来週の土曜日、既に決勝リーグが始まっている。
ということはつまり、補習を受けることになれば決勝リーグに出れないことになってしまうのだ。
「つーわけで!中間の結果でマズいと判断したら、今夜から監督の家で勉強合宿だ」
日向が言い放つと同時に手を一年の方へと伸ばす。解答用紙を渡せ、ということだろう。
真司は自分のそれをちらっと確認してから一歩前に出た。
我ながら、この頃はまだ授業を聞いていた為に問題の無い点数と言える。
「まずは烏羽か…」
国語、数学、英語、それから日本史やら社会科目に生物等の理科。
ばらばらと二年の手に回された用紙にそれぞれ目を落として、先輩達は同時に他の者の手に渡った用紙を覗き込んだ。
「こっちも、こっちも…!?」
「え、理系科目も!?」
「烏羽お前…天才か!」
二年の反応に火神と他一年は目を丸くして真司に視線を集中させた。
「い、言う事無しね」
「有難うございます…」
でも実力テストではここまでの結果は出せないだろう。
少し苦い顔をして返された用紙を手に持ち列に戻ると、真司はあっという間に囲まれていた。
「お、おい真司、お前それ見せろよ」
「いいけど、見たって面白くないよ」
火神の手に用紙が渡ると、降旗や河原、福田にも覗き込まれる。
「100点…98点…97点…一番低くて89点!?」
「す、スゲェ…!」
「はい、それはいいから皆早く見せなさい」
真司の点数を見た為に全員のモチベーションが何やら下がっている。
一人ずつ先輩に渡して行き、とうとう残るは黒子と火神だけとなった。
「まず、黒子君ね」
黒子と火神に関しては、決勝リーグに必要不可欠な存在になる。
その手前、点数の確認をするというだけの行為に緊張が走った。
「……」
沈黙。その先に出たのは、大きなため息だった。
「ふっつう…」
「めっちゃ普通だ…」
「良くもないし悪くもない…あ、でも国語はいい!」
「でも普通だ!」
あまりにもパッとしない点数に、先輩達の反応もパッとしない。
黒子がただ一人不服そうに頬を膨らませているが、とりあえず普通であるなら問題はないだろう。
問題は火神だ。緊張の中、火神の用紙がリコに渡される。と同時に戦慄が走った。
「バカだ!!」
あまりにも分かりやすい反応に真司や黒子も思わず見に行く。
そこに赤ペンで書いてある点数は0一つ足りないものが余りに多い。
「4点とか0点とか…すごいね火神君」
「馬鹿にしてんのか…?」
辛うじて英語は41点だが、とはいえ帰国子女とは思えない点数だ。
国語なんていろいろと書き込んだ結果の0点。
「こりゃ全員がかりで教えるしかねぇな…」
火神が決勝リーグに出れないとなれば、相当の痛手だ。対策出来るなら時間を惜しむ必要はない。
火神に対して軽くドンマイ、そう思うだけだった真司の手ががしっと掴まれていた。
「烏羽君、頼んだわよ」
「え……?」
リコの真剣過ぎる目に、たらりと頬に冷や汗が流れる。
その日の放課後からリコの家で行われることになった勉強合宿。
誠凛の決勝リーグの勝敗を分けることとなる火神の実力テストに、関係ないなどという顔をしていられるはずは無かったようだ。
・・・
夜、外は既に暗くなっている。
そんな中、リコの家に集まったメンバーは、火神の学力アップの為に集められたスペシャルチームだ。
「実力テストの主要5科目!皆それぞれ得意科目があるから、それを生かして火神君を鍛え上げるわよ!」
「…はぁ」
水戸部は理科、黒子は国語、伊月は数学、日向は社会、土田は英語、総監督はリコ。
真司はとりあえず単純に頭が良いので、必要に応じて対応して欲しいとのこと。
「よし!始めるわよ!」
そんなこんなで始まった勉強会。
火神は水戸部がついている。その間、他のメンバーは実力テストに向けて自分の勉強をする他ない。
それは、真司にとって都合の良いことだった。
「…伊月先輩」
「お、烏羽、どうした?」
「ここ、教えてもらえませんか…?」
手に持っている数学の教科書を伊月の方へと向ける。
そこは、部活の疲労故に寝てしまったところだ。
「すみません、勉強の邪魔をしてしまって」
「いやいや。聞いてくれてむしろ嬉しいよ。どれどれ…」
一番問題なのは火神だが、誰一人として油断していいわけではない。
伊月の勉強を中断させてしまった申し訳なさに駆られつつ、真司は伊月の横に座るとその手元に目線を落とした。
「この解説あるだろ、これを使えば…」
丁寧な説明だった。それでいて、文字を辿る伊月の指は綺麗で。
思わず見惚れそうになりながら、真司はその聞きやすい声に耳を傾けた。
「オレの説明で分かってもらえたか分からないけど…どうだ?」
「いえ、すごく分かりやすかったです。えっと…この式に…こう…」
先程一人では良く分からなかった問題の答えが導き出されていく。
「出来ました!有難うございます…!」
「ん、良かった」
やはり、自分で問題を理解出来た時というのは嬉しいものだ。
しかも伊月の手は「よく出来たな」といったニュアンスで真司の頭を撫でていて、嬉しさとくすぐったい感覚に、真司は赤くなりそうな頬を逸らした。
「烏羽君、勉強に区切りがついたみたいね?」
「ぅえ、あ、はいっ!?」
それを見ていたのだろうか。急にリコに声をかけられて、真司の声が裏返った。
「…な、なんですか?」
「うん。順番にお風呂入っちゃって欲しくて」
「あ…いいんですか?」
「いいも何も。皆が臭い方が嫌よ」
ちらっと移動したリコの目を追うと、時計の針はもう22時を指していて。
確かにこの人数、そろそろ風呂に入るなら入っていかないと朝になってしまう。
「じゃあ、お借りしますね」
「どうぞー。あるもの適当に使っていいからね」
「有難うございます」
女性の家のお風呂を借りる、と思うと少し気が引けるが、そもそも泊まりに来た時点で感じるべきことだったろう。
「階段下りて、右よ」
「はい、お先に失礼します」
軽い説明に、多少緊張しながら一人部屋を出る。
着替えは部活用に持ってきていたTシャツ。下着は、まぁ、仕方がない。
階段を下りれば、分かりやすく扉が開けられていて、真司は意味もなく慌てて風呂場へと入った。
・・・
「はぁ…」
体も洗って頭も洗って、ちゃぷんと音を立てると疲れた体が癒されていく。
人様の家の湯船につかるなど、初めは少し緊張したが、こう入ってしまうともう体は抵抗しない。
ゆっくりしすぎたかな、ふと思うと扉がとんと叩かれた。
「烏羽、まだ入ってるか?」
「ん…、はい。あでも、もうすぐ出ますよ」
ぼやけたガラスの向こう、伊月の声にずるずると湯船に沈んでいた体を戻す。
小さくクスッと笑う声は、真司の力ない声が面白かったのだろうか。
「オレもさすがにこれ以上遅くなりたくなくてさ」
「すみません遅くて。いいですよ、入って」
「…いやでも、さすがに狭くないか?」
「二人くらいなら…それに俺、すぐ出ますから」
んーと暫く考えるような伊月の声。
実際のところ、狭いと言っても風呂としてはなかなか広い方だ。
洗い場は二人くらいなら使用できそうだし、湯船の方も無理なサイズではない。
「じゃあ…お前がいいなら」
「どうぞ」
間延びした声で返事をし、真司は再びぷくぷくと肩まで湯の中に沈めた。
「お、思ったより広いんだな。さすが、家もそれなりにデカいだけある」
「そ…そう、ですね」
「なんだよ、どうした?」
真司の反応にまた伊月が笑う。
ちらっと横目で伊月を見れば、色白なその体は完全にぼやけ切っていた。
「俺、誰かとこうしてお風呂入るのとか…初めてなんです」
「そうなのか?家族とかも?」
「記憶にはないです。だから、ちょっとドキドキして」
兄弟がいたら、こういう経験もあったのかもしれない。
体の向きを変えて、洗い場側の縁に顎を乗せる。伊月はやはり小さく笑って、シャワーから出る湯を頭から浴びた。
「…烏羽、見過ぎ」
「あ、すみません」
見えてはいないのだが。何となくぼーっと伊月のことを見ていた視線をそこから逸らした。
「先輩の体型、羨ましいです」
「え?オレ?もっと良い奴いるだろ」
「あまり大きすぎるのは想像出来ないので」
「…なんかあんまり嬉しくないな…」
ふー…と細めの息を吐いて伊月が振り返る。その表情までは良く見えない。
「一応言っとくけど、他の奴に、そういうこと言うなよ?」
きょと、と目を丸くした真司に伊月が近づいてきた。
「お前は可愛いんだからさ。あ、浴場で欲情…うん、シャレにならないな…」
「は、えっと…?」
「つまり、変に勘違いしちゃうかもしれないだろって」
勘違い。何を。
首を傾けた真司に、伊月がため息を漏らして。次の瞬間、急に伊月の顔が眼鏡を外した真司にも見える程に近付いてきた。
「ー……はは、なんでもない。のぼせる前に出た方がいいぞ」
「は、はあ……」
なんとなく腑に落ちないような、考えてはいけないことのような。
真司はしばらくぷくぷくと湯舟に使った後、いそいそと伊月を残して浴場を後にした。
・・・
結局、早々に寝てしまった真司が火神に何か教えるということはなく。
朝起きて、ついている電気と火神の死んだような目に、本当に寝ずにやったのだなぁと感心しただけ。
何もせず、自分は伊月に勉強を教わったなんて、何とももどかしく申し訳ないものだ。
「はぁ」
そんなことを考えていたせいで無意識にため息が漏れる。
すると、隣を歩いていた黒子が眠そうな目をしたまま顔を上げた。
「どうかしましたか?」
「…テツ君、昨日何時に寝た?」
「はっきりとは覚えていませんが…二時頃でしょうか。ボクの場合は火神君を気にしてばかりではいられませんので」
朝の眩しい日差しに、隣を歩く黒子の足取りはどう見ても重い。
それに罪悪感が募るのは、真面目に勉強をしていた黒子に対して、真司は勉強すら全く出来ずに変なことばかり考えていたからだ。
「…せめて、俺に何か出来ればなぁ」
「何か、ですか?」
「うん。火神君、まだまだマズイ状況なんでしょ?」
「そうですね…。特に国語が」
先輩達の力あって、火神の壊滅的な頭も少しずつマシにはなった。
しかし、やはり教科ごとの偏りは無くならない。火神の国語を見た黒子の言葉だから、間違いないのだろう。
「緑間君がいればなぁ」
「…烏羽君は、緑間君に勉強を教えてもらうことがあった、んでしたっけ?」
「うん。学校休んだ俺の為にノート作ってくれたりしてさぁ…」
文句ひとつつけようのない、見やすいノートだった。
字の綺麗さもあるのだろうが、緑間がよく理解しているからこそ作れたノートだったのだろう。
「…なら、君が火神君の為にノートを作ればどうです?」
「え」
「頭の良さなら、君の方が上ですよね」
さも当然のように言い放つ黒子に、真司はぐっと言葉を喉につっかえさせた。
そうなのだろうか。順位的な意味なら確かにそうだったが、緑間より頭が良い、とは思ったことがなかった。
「…」
「違うんですか?」
「…ち、ちがくない…はず」
「なら、お願いします。正直に言うと、ボクには限界があります」
思っていたよりも火神君は馬鹿です。と今度もはっきりと言い放った黒子に、真司はふっと笑った。
もう実力テストは翌日にまで迫っている。だとしたら、少しの時間も無駄に出来ない。
少しでも効率良く勉強出来ることに繋がる可能性があるのなら、試してみる価値はあるはずだ。
「よし、じゃあテツ君の為にも俺が何とかやってみる」
「助かります…」
「ううん、昨日何も出来なかったし」
一日の授業の時間を全て使えば、一科目のノートをまとめるくらい出来るだろう。
真司は拳をつくると、もう一度よしっと小さく呟いた。
・・・
日が落ちる頃に始まった、勉強合宿二日目。
既に火神が疲れ果てているのは、昨日の徹夜と昼休みにも及んだ勉強故だろう。
それがあってもリコは自信なさげに眉を下げていた。
「英語、理科、社会、数学…まぁこの辺は何とかギリギリいけるかしらねー…」
現実というよりは願望が先行しているが、リコの言葉は嘘というわけでもない。
英語は元より悪くはないし、計算も問題に慣れてくればそれなりに解けるようになった。
それでも頭を抱えるのには理由がある。
「えっと、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないから私がこんなに…!」
「…国語、ですか?」
先程リコが挙げなかった教科を口にしてみれば、リコが明らかに肩を落とす。
残り時間は限られている、とすれば国語は捨てて、他の教科の点数アップに費やした方がいいのかもしれない、が。
「あの、俺が少し見てもいいですか?」
「いいけど…。無理そうならすぐに諦めて、暗記教科に時間当てた方がいいわよ?」
「はい」
食事や風呂、全てを済ませて、今はもう20時だ。
やるにしても23時までにしよう。などと考えつつ、真司は現在火神に国語を教えている黒子に近付いた。
「テツ君」
「あ…烏羽君、助けて下さい」
声をかければ黒子の目が大きく揺れ、こちらに伸ばされる手は、言葉通りに助けを請うている。
火神の前に広げられているのは古文の文章。大して長くない文章の前で、火神はぽつぽつと途切れながら古文を唱えていた。
何が問題かって、漢字が読めていないし書けていない。
「思ってたより酷いね」
「うっせーな・・これでも結構必死に…」
「分かってるよ。そんな火神君の為に、はい」
真司は授業の時間を使って作ったノートをばっと広げた。
そこには、覚えるべき単語やら、応用できる例文が書かれている。
「お前、これ…」
「火神君の為に用意したんだよ。良かった、古文と漢文チェックしておいて」
「そ、なのか?悪ィ、助かる」
言葉とは裏腹に火神は辛そうに眉間のシワを深くしたが、置いていたシャーペンを手に取った。
状況は分かっているが、勉強はしたくない、そんな顔だ。
「読み方にもルールがあってさ、それが分かればだいたい対応出来ると思うよ」
「んー…」
「例えばこの文は…」
真司の解説に頷いたり首を傾げたり。
書かれる文字は高校生とは思えない程下手くそで。とはいえ彼らしい筆跡だとは思うが。
「あ、それでここは…」
「その前にこの単語の意味分かんねーんだけど…」
「さっき見たじゃん、ほら、これだよ」
そういえば、こんな風に勉強を人に教えたことが一度あった。
あの時も相手が相当の馬鹿だったから苦労したものだ。しかし、その苦労の甲斐あって、赤点を免れることに成功したのだ。
「この文、大体意味分かるじゃない?」
「ホントだ…!すげぇ…」
「良かった。同じ要領でさ、こっちも…」
ちくたく、時計は止まる事なく時を刻み続ける。
しかし慌てずに一つずつ見ながら覚えていけば、火神も理解できるようになっていって。
そう、この感じ。
懐かしい。火神とは確実にいろんな意味でぶつかるだろう彼。会いたくて、でも怖い彼の存在。
(あの時も、こんな感じで…教えるの…楽しかったな……)
自分の言葉で火神に知識が蓄えられていくのが分かる。
理解出来たときの喜びは人によっての大差は然程ないらしい。
嬉しそうにガッツポーズをとる火神からは嫌々そうな顔が見えなくて。
次第に真司へかけられる質問の回数が減って、カリカリという綴られる文字の音に、真司の首がゆっくりと落ちて行った。
「…」
「…真司?」
「…」
「烏羽君、寝ちゃいました?」
気付けば、机の上に乗せた腕に顔を預けて、真司は細い息を漏らしていた。
時折膨らむ細い背中は、真司の意識が既にここに無いことを示している。
「仕方ないですね。火神君、国語は後回しです。先輩達に別の教科を見てもらいましょう」
「いや、もうちょっと…、つか、オレにも休憩をくれ…」
「そんな暇があるとでも?」
「…」
真司のおかげで、だいぶ国語も出来るようになったようだ。だからといって、ここで気を抜いてどれもこれも落とすわけにはいかない。
黒子はゆっくり立ち上がると、床で眠りに落ちている先輩達の中にいる日向を呼びに立ち上がった。
途端に自分の横に付く人間が真司だけとなる。火神は無意識にゴクリと唾を飲んでいた。
「…真司、ありがと、な」
火神の手が、真司の前髪に触れる。
その瞬間、ふわりと香った匂いに、火神の体がびくりと震えた。
正直、今の状況はあまりにも宜しくない。リコの使用する石鹸やらを使っている為か、真司の髪からは普段よりも女性的な匂いがしている。
「無防備過ぎんだろ…」
真司とキセキの世代との関係が気になって、キスがもらえるというふざけた話を真に受けて。
そんなことを気にしてしまうのがどうしてなのか、もはや答えは頭にちらついていた。
「…」
背中を丸めて、顔を真司に近付ける。
甘く香る匂いはリコと同じ匂いなのだろうが、何か違う。何か、心を揺さぶってくる。
引き寄せられるように、火神の顔は真司へと近付いていった。
「あおみねくん…」
「…!」
触れるか触れないか。その時に動いた真司の口に、火神は一瞬で現実に引き戻されていた。
(何しようとしてんだオレは…!?)
慌てて顔を上げようとする。
その火神の体は、自分の力とは違う力で後ろから引っ張られていた。
「うおっ!」
「なーにしてんだお前は…」
火神の服を掴んで引き上げた日向が、呆れのような、怒りのような、見たことないような表情で火神を見下ろしている。
「何もしてないっすよ!」
「今のは未遂でもアウトだっつの」
「ちょっと、顔見てただけだ…です!」
「ほー?お前はいつから鼻先触れる距離まで近付かないと見えなくなったんだ?」
日向は掴んでいた火神の服をぱっと放すと、そのまま倒れる火神を無視して真司の肩を叩いた。
「おい、風邪ひくぞ」
「え、…あ、俺寝てました!?」
「寝てたよ。もういいよ、お前は寝ろ」
「でも…、すみません…」
真司は机に額をごつんと付けてから申し訳なさそうに顔を上げた。
風呂で暖かくなって、シャーペンが紙とぶつかる音を聞いていて、そのまま眠くなってしまったのだろう。
既に目はとろんと落ちてしまいそうだ。
「ほら、こっち。監督の傍が一番安全だから」
「え?」
説明も無しに日向がリコの傍の空いているスペースを示す。
安全じゃない可能性があるのか。意味が分からずきょとんとしながらも、真司は眠気に勝てずに素直に日向に従った。
「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい…」
今日もまた、朝まで勉強し続けるつもりなのだろうか。
疑問に思いながらも、真司は日向の優しさに甘えてぱたりと床に倒れると目を閉じた。
時計の針はもうじき24時を指す頃。
明日は5時には起きれないかも。あ、もう今日か…。
そんなことを考えているうちに、真司は再び寝息を立て始めていた。
「火神君、何やらかしたんですか。ボクが目を離した隙に」
「オレが聞きてぇ…」
「はい?」
俯いたままの火神の耳が赤い。
赤い理由が真司にあるとして、その真司は寝ていた。それだけ分かれば何となく察しもついて、黒子は眉を寄せて俯いた。
「はー…ったく、お前等なぁ。今やるべきことは違うだろ」
余りにも辛気臭くなった空間に、日向が割って入る。
そして躊躇うことなく、日向は火神の丸まった背中に足を乗せた。その後ろには状況を察した伊月が立っている。
「お望みなら、朝までしごいてやるよ」
「余計なこと考えられないくらいにな」
「…お、お願いします……」
勉強への苦痛よりも、今は自分の脳内の余計なものを排除したくて。火神はいつもに無く素直に頭を下げていた。
長い夜は、当初の予定の通り、朝まで火神のテスト対策に費やされた。
・・・
体育館へと向かう真司の手には、実力テストと書かれた用紙。
少し時計の針が予定よりも進んでいたのは、珍しくもない教師の呼び出しを受けたからだ。
「単独一番。帝光中じゃそんなこと有り得なかったもんなぁ」
呼び出しの内容は、貼り出しに真司の点数も書かせて欲しいとかいうもの。
勿論お断りしておいたが、頬がほころぶのはやはり嬉しいからだろう。
しかし今はそれよりも久々の部活が楽しみで、教師に注意されそうな勢いで廊下を駆け抜けた。
「遅くなりました!」
実力テストの結果を鞄に突っ込みながら体育館へ飛び込む。
すると、思っていたよりも晴れやかな顔をしたメンバーの顔がこちらを向いた。
「烏羽君、遅かったじゃない」
「すみません、先生に呼ばれてしまって」
「それよか聞いて頂戴!火神君が…!」
言うなりリコが手に持っていた用紙をばっとこちらに向けてくる。
そこに書かれているのは火神の名前。
火神のテストの結果か、そう思って覗き込めば思わぬ点数がそこに。
「国語98点…!?」
一度自分の目を疑って、リコからその用紙をひったくってもう一度見る。だいたい40点前後の他の教科と比べて明らかに一つだけおかしい。
まさか、自分のノートがこれほど意味を成すとは。
「火神君、これ…!」
「あ、いやなんつーか…途中からは鉛筆転がしてただけなんだけど…」
「は…?」
複雑そうな顔をして火神が取り出したのは、一本の鉛筆。
どこぞの神社のようだが、先の方には1、2、3、4と書かれたシールが貼ってある。
黒子は自分のポケットから更にもう一本それを取り出すと、さも当然のようにその鉛筆の名称を唱えた。
「緑間君特製のコロコロ鉛筆です」
「み、…コロコロしてたら、98点だったってこと…?」
「そうみたいですね」
「…そんなのって、アリ…?」
結局、緑間には勝てないということか。そもそも、足以外で彼等に勝ることがあると思ったのが間違いだったか。
真司は急に訪れた脱力感に、がくりと項垂れて口元に軽い笑みを浮かべた。
「もー、頑張り損だよ」
「ところで…一応聞くけど、烏羽君は大丈夫でしょうね?」
「はい。先輩達のおかげで」
「そ。まぁ、端から心配しちゃいないけど」
そこまであっさり返されても、少し寂しいものだが。
ともかく、皆補習を免れた。それだけで一安心、と思わなければいけないのだろう。
「良かったね、火神君」
「お、おう…」
「?」
ぱっと顔を上げて、そこにいた火神へと笑いかける。しかし、火神は真司から目を逸らしていた。
このような違和感は、実は今朝からあった。今朝も同じように目を逸らされた
のだ。一度だけじゃない、何度か。
テストのことを思って気にしないようにしていたが、さすがにもう無視出来ない。
「…なんか、火神君、どうかした…?」
「っ、いやっ、別に何も!?」
「…」
いや、絶対に何かある。間違いなく、火神は何か隠している。
(でも本人がそう言うなら…俺が気にすることじゃないかな)
心当たりがあるわけでもなし、別に悪いことをした記憶もない。
真司は納得していないものの、一度目を離した火神の用紙に再び視線を落とした。
“火神大我”大きくて歪な文字で書かれた彼の名前。
そういえば、こうして火神のフルネームをしっかりと目に映すのは初めてだ。
「火神君って、“大我”っていうんだね。今更だけど」
「あ、ま、まぁな」
「ちょっと青峰君と似てるかも」
特に、意味を成して言ったわけではなかった。プレイとか馬鹿なところとか、共通点が多い気がする、そう思ったから言ってしまった一言だ。
しかし、その真司の何気ない一言に、火神の何かが切れた。
「そうやって、そいつと比べんの止めろよ…!」
「え?」
「なんか…スゲェむかつく」
見下ろす目は普段よりも獣のように鋭い。それは思わず怖気づいて息を呑む程で。
何を怒っているのか突然のことに理解出来ず、真司は口ごもりながら首を傾げた。
「…いつ俺が比べた?」
「比べてんだろ!」
ドスの利いた声で怒鳴られ、自然と真司の体が跳ねる。
理不尽な怒られ方、更にそのビビる程の言い方。真司のスイッチも切り替わってしまった。
「比べてないし!そもそも、火神君と青峰君とじゃ比べものにもならないんだからな!」
「な、ンだと…?」
「青峰君は火神君なんかよりずっと格好良くてっ、バスケだって!」
「…そ、なに好きなら、奴のとこにでも行けば良かっただろ…!」
「おい、火神いい加減にしろ」
殴りかかりでもしそうな勢いに、日向と伊月が真司と火神の間に入る。
どうしてこんなことを言ってしまったのか、どうしてそんなことを言われるのか。互いに互いが分からなくて、自分の気持ちも分からなくて。
「…行けるものなら」
「もういい。烏羽、止めろ」
「出来るものなら、青峰君の傍にいたかったよ…!」
溢れ出す本音が、伊月の胸に押し込まれる。
とんとんと背中を叩く伊月の手は優しくて、それが余計に辛かった。
本当は、こんな真司の発言に一番傷つくのが誰か知っていたから。
誰よりも彼の傍にいて、ずっと耐えてきた人がそこにいるから。
「こんなこと…言いたくなかったのに…っ」
「いいよ、烏羽。もう言わなくていいから」
「火神君なんて大嫌いだ…っ」
涙が零れそうで、でもこんなことで泣きたくなくて伊月の服をぎゅっと掴む。
青峰が好きだという思いが爆発したのと同時に、黒子への罪悪感が膨らんだ。その結果がこれだ。
「…そ、うかよ…」
勢いで出た言葉で火神を傷つけた。これから部活、そんな思いが粉々に砕け散った。
心配そうに真司を見る目は一つなんかじゃない。
真司は伊月の腕の中から出ると、そのまま誰の目も見ずに歩き出した。
「ごめんなさい。頭、冷やしてきます…」
「烏羽、」
「一人にして下さい…」
こんな状態では、迷惑しかかけない。
決勝リーグまで時間はないのだ。真司のせいで練習を止めることなど出来ない。
体育館を出る前、一瞬だけ見えた黒子の顔に、真司はまた胸が痛くて苦しくなった。
・・・
しん、と静まり返った体育館。
それぞれ考えることは同じなのか、それとも異なるのか。
ただ、こんな突如起こった喧嘩のような言い合い、そしてその内容に、どうしたら良いか分からず皆が困惑しているのは確かだろう。
「ちょっと、良く分からないんだけど…どうして突然あんなこと言い出したのよ」
その沈黙を破ったリコの発言は皆の思いを代弁していた。
先日の出来事を見ていた一部には何となく予想出来ることではあったが。
「分かんねっすよ…。無性に腹がたったっつか」
「烏羽君が火神君と青峰君を比較した言葉なんて、大して聞いたことも無いんだけど…」
「オレは、嫌だった」
「何よそれ、我が儘」
きっと睨み合うリコと火神を横目に、日向はある出来事を思い返していた。
秀徳との試合前、黒子が口走ったこと。詳しいことは聞いていないが、それは今回の事を確信に変えるレベルのことだ。
「なぁ黒子、一つ聞いてもいいか?」
「…」
「烏羽が好きなのに決別せざるを得なかった相手って…青峰大輝なのか?」
「…間違ってはいません」
間違っていない、ということは正確には違うにしても、当たったと思って良いのだろう。
そう思った瞬間、小さく胸が痛むのを感じた日向の視線が落ちる。
その隙に、日向の目の前にいた黒子は火神の横に移動していた。
「少なくとも…火神君は言ってはいけないことを言いました」
「な、なんだよ」
「まぁ、そのおかげでライバルが一人減ったので、良かったと思うことにします」
それだけ言うと、黒子は一人準備運動を始める。
その意味深な言葉に首を傾げたのは火神だけ。今までの流れをおおざっぱに察してしまったメンバーは、より一層深い困惑の渦に放り込まれることとなった。