黒バス(2012.10~2017.12)
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「くそ!」
ベンチに座った火神がぎりっと歯を食いしばって、悔しそうに俯いた。
第三クォーターの最後、跳べなかったばかりか、強引に攻めた為に相手のシュートを許してしまったのだ。
「火神、熱くなりすぎだ。もっと周りを見ろよ」
「それに、さっきのは行くとこじゃねーだろ!」
伊月と日向が火神に言う。
真司はだいぶ疲れが見えているメンバーにタオルと飲み物を渡しながらも、その二人のアドバイスに頷いていた。
今の火神は余りにも酷い。
「戻して、パス回してどうすんだよ」
「あ?」
「秀徳と渡り合えるのはオレだけだろ。今必要なのはチームプレーじゃねぇ。オレが点を取ることだ」
余りにも、彼等の考えと酷似している。
「…火神君」
どうして、火神までこんなことに。
真司は震える声を抑えて、今一番辛い思いをしているだろう黒子を振り返った。
次の瞬間目に映ったのは、黒子が火神を殴る姿だった。
「テツ君!?」
「黒子君!?」
黒子が言葉よりも先に手を出すなんて。
まさかの黒子の行動に驚く一同に対し、火神は黒子の胸倉を掴み上げていた。
「黒子テメェ!」
「バスケは一人で出来るものではないでしょう」
「じゃあ皆で仲良く頑張りゃ負けてもいいのかよ!勝たなきゃ何のイミもねぇよ!」
違う、それは絶対に違う。
そう思っても、真司にはそれを口にすることが出来なかった。
自分だって、そんなプレイをしてしまったのだから。
「一人で勝ってもイミなんかないだろ」
黒子のいつもより低めのトーンの声が、真司の胸にも突き刺さる。
「キセキの世代倒すって言ってたのに、彼等と同じ考えでどうすんだ」
黒子が言っているとは思えない程、強い言葉。きつい言い方。
それほど、黒子にとってキセキの世代の変化は辛いものだったのだろう。
「それに、今の互いを信頼出来ない状態で仮に勝ったとしても嬉しくないです」
「甘っチョロいこと言ってんなよ!そんなん勝てなきゃキレイ事だろうが!」
今度は火神が思い切り黒子を殴りつけ、黒子の体がどんっと床に転がった。
「じゃあ勝利ってなんですか。嬉しくなければそれは勝利じゃない…!」
殴られても尚、黒子は火神を見上げて自分の意思を貫く。
格好いい。何も言えず、何も出来ず、キセキの世代にくっ付いていた自分が情けなくなる程に。
「別に負けたいわけじゃないって!ただ一人できばることはねーってだけだよ」
「つかなんか異論あるか?」
ようやく黙った火神に小金井と日向が近付く。
火神は言いづらそうに口ごもってから、ゆっくりと言葉を続けた。
「いや…悪かった…。勝った時に嬉しい方がいいに決まってるわ」
こんなところで殴り合いが起こるとは思わず、漂った緊張感が解かれていく。
とはいえ、黒子の頬は赤くなっていて、真司はすぐに水でタオルを濡らすと黒子の頬に当てた。
「テツ君…痛そう」
「ありがとうございます。正直痛いですが、お互い様なので」
「テツ君、人を殴るとか出来たんだね」
「自分でもびっくりです」
お互い様なんて言っても、圧倒的な体格差。ダメージ的には黒子の方が蓄積されていそうだ。
「そんなことより…。一つ…今なら使えるかもしれない技があります」
黒子はもう火神とのことも頬の痛みも気にしていないようで、ぱっとリコに顔を向けた。
リコはその黒子のカミングアウトに目を丸くしている。
「技?」
「はい。もう一段階上のパスです」
「テツ君、まさかそれって」
「はい。君が思っている通りのあれです」
真司には心当たりがある、帝光中時代に使っていた黒子のパス。
ここに来てそれを使うと言い出したのは、火神の実力がそこまでに至ったからだろう。
「確かに、火神君なら」
「はい。火神君ならきっとあのパスを取ることが出来るでしょう」
「よく分からないけど…。何かすごいパスなのね…?」
いろいろあったが、残りは第四クォーターのみ。これはもう黒子のそのパスに賭ける他はない。
「分かったわ。黒子君、お願い」
「はい」
試合が再開するまでしっかりと作戦を決め、黒子が再びコートに立った。
勝てる見込みは当初よりだいぶある。
やはり試合に出れない真司は彼等を信じて目を細めた。
「テツ君のパスと、火神君の跳躍力があれば…」
「えぇ。大丈夫、きっと勝てるわ。まずは火神君…頼んだわよ」
火神の足はもうほとんど限界の状態にある。
跳べてあと二回。
だというのに、火神は第四クォーター最初の緑間のシュートを防ぐ為に早速跳んでいた。
「な…!?まだ跳べるのか…!?」
緑間が驚愕に声を上げる。
緑間は無理なシュートは打たない。火神のジャンプがまだあると思わせるだけで、シュート回数を減らせるかもしれない。
それが一つ目の作戦だ。
そしてもう一つは黒子。
高尾の広い視野を狭める為に、一度逆にミスディレクションを使って黒子へとひきつける。
狭まった視界から一瞬消えるくらいなら可能だと考えたのだ。
「いない…!?」
上手い事高尾が黒子を見失う。それでも高尾ならすぐに見つけるだろう。
しかし、パスをカットしようと高尾が手を伸ばしたところで、黒子の新しいパスだ。
「火神君!」
「はぁ!?ボールをぶん殴っ…!?」
高尾の感想そのまま、ボールを火神へ向けた殴った黒子のパスは、今までよりもかなり速い。
帝光中ではキセキの世代と呼ばれる人達しか取れなかったパスだ。
「絶対に行かせん!」
ゴール近くでそのボールを受け取った火神がシュートへ向かう。
その前で立ち塞がった緑間が跳び、そして火神はそれを上回るジャンプで。
「うおおおおお!」
雄叫びと共にシュートが決まる。
黒子の新たなパスからの緑間を吹っ飛ばす程のダンク。
一気に会場もろとも誠凛の色に変わった。
ここからは、互いにシュートの応酬だった。
「大丈夫、勝てる…!」
真司は自分の手を握りしめ、ボールを目で追った。
秀徳は緑間に託したようで、緑間にパスが集中している。それ故に黒子のスティールも成功率を上げた。
残り30秒。
残り15秒。
徐々に終わりが見えて来て、点差も4点、2点と縮まっていく。
「決めろ日向!」
伊月が叫び、日向が打った。
そのボールは吸い込まれるようにゴールへ。
「逆転…!?」
「残り数秒で誠凛が勝った…!」
歓声で体育館中が盛り上がる。
日向のゴールで初めて誠凛が秀徳の点を超えた。その時既に残り5秒。
誠凛が逆転したと、一瞬皆の気が抜けてしまった。
「勝ってねーよ、まだ!」
歓声を打ち消すかのように落ち着いた高尾の声。
はっとした時には遅く、高尾が緑間へとパスを出し、緑間にボールが渡っていた。
「しまった、緑間…!」
「何故オレが遠くから決めることにこだわるか教えてやろう」
緑間が足をばねにして一度屈む。
火神が緑間の前にいる、それも今は絶望に近かった。
「残り数秒の逆転劇が苦しまぎれのシュートで起こる時があるがそんなマグレをオレは許さない。
必ずブザービーターで倒す。それが人事を尽くすということだ」
残り3秒、緑間が構え、手をゴールへ向けて上げた。
緑間の前に立ち塞がった火神は、もう跳ぶ限界回数を超えてしまっている。
それでも。
「させねぇ…!!」
火神は緑間が跳ぶタイミングに合わせて限界まで跳んでいた。
「だろうな。信じていたのだよ。たとえ限界でもオマエは限界を超えて跳ぶと」
「しまっ…!」
ここに来てのフェイク。緑間はまだ跳んでいなかった。
一度跳んでしまった以上、後は落ちるしかない。火神はもう跳ぶことが出来ない。
今度こそ決める為に緑間が跳ぶ体勢に入っていた。
「ボクも信じていました。火神君なら跳べると。そして、それを信じた緑間君が一度ボールを下げると」
その声が緑間の耳に入った時、緑間の手にあったボールが黒子の手によって後ろから弾かれていた。
ボールが転がる。
そして、タイムが00:00を表示しブザーが鳴り響いた。
「試合…終了!!」
わぁっという歓声。込み上げる感動。
真司はばっと立ち上がると、隣にいるリコと手を取り合っていた。
「緑間君、一つ言っておきたいことがあります」
黒子が汗を拭いながら、初めての敗北に茫然とする緑間に近付く。
今話しかけるな、とでも言いたげな視線で黒子を見下ろした緑間だったが、黒子は構わず続けた。
「烏羽君に何を言ったのか知りませんが…。烏羽君は個人プレイで勝てるような選手じゃないですよ」
「…」
「何せ、烏羽君はディフェンスに関してはからっきしですから」
君はどうですか、その問いは呑み込んで。黒子はそれ以上何も言わずに緑間から離れた。
緑間の考えに変化が訪れる、そう信じて。
「82対81で誠凛の勝ち!」
ありがとうございました!
響き渡る声に混ざる息と嗚咽。喜びがあれば哀しみもある。
だからこそ今は喜びを分かち合うべきだ。
真司は黒子の元へ駆け寄ると、そのまま抱きついて黒子の頬へと唇を寄せた。
勝利の余韻に浮かれつつ、真司は帰り支度に鞄を漁っていた。
控え室に戻ってきた誠凛の面々は喜びと疲労とで若干微妙なテンションになっている。
それでも、チームで掴んだ勝利はやはり嬉しさも倍増するものだ。
無意識に鼻歌なんか歌いそうになりながら、真司は手に触れたものを見てカチンと固まった。
「…あ」
宮地に借りたハンカチだ。
直接返そうと思って持っていたが、完全にタイミングを失った。
試合の後、向こうだって思う事があるだろう。そんな時に秀徳の中に入っていく自信など真司にはない。
(でも…このまま借りっぱなしはもっと申し訳ない…かも)
とはいえ、こんな使用済みのものを返すのもどうなのだろう。
洗って返すにしても、せめて今度返しに行きますくらい伝えておきたい。
などとぐるぐる考えた真司は、ハンカチを一応ポケットへと入れると立ち上がった。
「あ、真司…」
つんっと体が後ろに引かれる。
驚き振り返ると、火神が真司を手を掴んでいた。
「何?どしたの」
「いや、その……」
「…?」
ぼそぼそと、ほとんど息に隠れて聞き取れない。
暫くは火神の言葉を待つつもりだったが、余りにも先が見えてこず。
真司は戸惑いながらも火神の手をやんわりと掴んだ。
「ごめん、後でいい?ちょっと用あって」
「あ、あぁ」
「有難う」
ちょっと出てきます、軽くリコに告げて、真司は反応も待たずに控え室を出た。
ぱたんとドアが閉まって、ふーっと息を吐き出して。さてどうしたもんかと真司の頬が膨らんだ。
さすがに秀徳の控え室には行けない。空気読め状態になるのは目に見えているのだから。
(緑間君とか、どっかに出てたりしないかな…)
若干すすり泣く声の聞こえる秀徳の控え室を通り過ぎて、きょろきょろと途方も無く歩く。
「うわ…雨酷いな…」
ざあぁっという雨の音を聞きながら、それに引き寄せられるように外へと出て。
屋根の下、まだ残る試合の感動に目を閉じると、耳に低い声が掠めた。
「え、嘘」
ぱしゃ、と雨にも構わず外へと踏み出す。
まさかそんな奇跡みたいな事。
信じられないが、明らかに今聞こえた声は偶然にも今会いたかった人のもので。
声の方へとゆっくり進めば、思った通りに緑間がそこに立っていた。
「み…」
緑間君、と続くはずだった声に重なったのは、緑間の携帯の音。
何故だか襲ってくる緊張に、真司は足を止めて息も止めた。
雨の音でかき消えている為か、それとも感傷に浸っている為か。真司の存在に気付いていない緑間が携帯を開く。
「なんなのだ、いいかげんに…」
ピッと途切れた着信音。それと同時に緑間が自分の耳に携帯を当てた。
雨の中、携帯使って大丈夫なのかな。
そんなことを考えていた真司の思考は、次の言葉で完全に停止することとなった。
「…青峰か」
電話の相手の名前だろう。
それが分かるからこそ、真司の体はびくっと揺れて、一歩下がってしまった。
パシャっという音で緑間が振り返る。
その目は真司を捕らえて、大きく見開かれた。
「…、…な、なんでもないのだよ。相変わらずだな、青峰」
妙な緊張が本格的に心臓を叩き始める。
真司は煩い心臓を抑えて、じっと雨の中電話が終わるのを待っていた。
電話から微かに漏れる声は、青峰のものだ。
その電話に耳を寄せたい。少しでも声を聞きたい。そんな思いを抱くのは、彼のことをどうしても諦めきれないからだ。
「…ああ」
会話は終わったらしい。
ピッという音と同時に緑間が携帯を閉じる。それから静かに向き直ると、不機嫌そうに眉を寄せた緑間と目が合った。
「何故ここに」
「緑間君が見えたから…」
「はぁ…。また風邪をひくだろう。早く中に入れ」
また、というのはいつか昔の話だ。
真司は緑間に背中を押され、一歩進んで足を止めた。
「…青峰君、何て?」
青峰が気になるというのも勿論だが、単純な興味もあって。思わずしてしまった質問に、不機嫌そうな緑間の顔が更にぴくっと引きつった。
「あ、言えない内容なら、別に」
別にどうしても聞きたいわけではないし。
そう言って背けた顔は、肩を掴まれたことで逸らしきれなかった。
暗い空に、かかる影で緑間の顔がよく見えない。
「何?」
「お前はまだ青峰が好きなのか」
「え…何それ…。じゃあ緑間君はもう俺のこと嫌いになった?」
「…何故そうなる」
ぱしゃっと足元で水がはねる。
肩を掴む緑間の手が力んで、痛いと言う間もなく抱き締められていた。
「…!?」
増々緑間の考えが分からない。
真司は久々に肌に感じる緑間の体温に、手がどうしたらいいやら空をかいて。
びしょびしょに濡らされていることも頭から抜けていた。
「お前は危機感が無さ過ぎるのだよ」
「き、危機感…?」
「高尾といい、宮地先輩といい…」
「…あ!そうだ、その宮地さんに伝言頼まれて欲しいんだけど!」
「…」
緑間に流されて目的をすっかり忘れるところだった。
真司はぱっと緩んだ緑間の腕から抜けると、ポケットに手を合わせた。
「ハンカチ、洗って返すから…今度秀徳に届けに行きますって」
「それは構わんが…秀徳に来るのか」
「え、うん。そうするしかないし」
緑間経由で連絡を取り合うことは可能だが、どちらかの学校以外で会うのはむしろ面倒だ。
だとしたら、借りた真司が秀徳に行くのは当然。
うん、そうしよう。一人で頷きながらさすがに体が冷えてきて、入口の方へ向かって歩き出す。
その隣に並んだ緑間の手が、とんっと今度は軽く肩に乗った。
「なら、オレにも顔を見せるのだよ」
「…うん」
優しい声に、真司の頬が緩む。
それを見た緑間もつられて微笑み、真司の前髪をかき分けると額にキスを落とした。
「…っ」
「、い、言っておくが…泣かせたことは謝らないのだよ…」
「いーよ。宮地さんに怒られたんだろうし、それでチャラ」
「な…!」
何故それを。焦って声を震えさせている緑間を置いて先に室内に戻る。
刺す、などと物騒なことを言っていたが、宮地は単純に緑間に何か言ったのだろう。
緑間の気持ちに変化はあったのか。
分からないし、恐らく一度の敗北程度で気持ちを改める人には思えない。
(試合に勝っても、まだ駄目だ)
振り返らずに誠凛控え室に戻る。
まだ甘えない、そう決めた心が確実に揺らぎつつある、それが何よりも怖かった。
恐れて戦えなくなることが、何よりも。
・・・
「烏羽君遅いー…ってびしょ濡れじゃない!?」
部屋に入るなり、真司はリコに叱られタオルでぐるぐる巻きにされた。
確実に冷えてしまっていた体は皆の優しさですぐに暖まっていく。
「おいおい…一体何してたんだよ」
「何か雨に呼ばれました」
「適当言うな」
こつんと日向に額を小突かれ、まだ残る唇の感触を思い出せば、あっという間に体温が戻って来た。
「すみません…緑間君と話をしてました」
「外で?」
「まぁ、はい」
「仕方ないわね…。そろそろここを出たいから、ちゃっちゃと乾かしなさい!」
そんな無茶な。いや、そもそも無茶をしたのは自分か。
真司は濡れて肌に張りついている制服を脱ぎ、再び練習着に着替えた。
頭は多少濡れていてもいいだろう、適当に拭って肩にかける。
「烏羽君、緑間君と…大丈夫でしたか」
後ろに突如現れた黒子の手が真司の髪に触れた。
その行動に特に意味はないようで、黒子は心配そうにじっと真司を見つめて何も言わない。
「…大丈夫だよ」
「本当に、」
「ホントに。そんな顔しないでよ」
「そうですか。良かったです」
ふっと笑った黒子は、髪に触っていた手を移動させると、まだ濡れている頭を数回撫で回した。
「お疲れ様です、烏羽君」
「テツ君も」
「ほら!皆疲れてるの分かるけど、とりあえず一番近いお店に移動しましょ!」
ぱんぱんとリコが手を叩く音で皆ずるずると立って移動を始める。
真司も濡れた制服を袋に突っ込むとそれを更に鞄へと押し込み、肩にかけると同時に立ち上がった。
足を酷使しすぎた為に、歩くのも困難になった火神を黒子が背負って歩く。
誰かおんぶして、というリコの言葉で始まったじゃんけん勝負だったが、何とも呆気なく、黒子が一人負けしてしまった。
「テツ君、大丈夫?」
「…いえ、そろそろ限界です」
まだ5分も歩いていないとはいえ、黒子と火神の体格差ではやはり無理が有り過ぎる。
それでも誰も黒子を助けようとしないあたり、先輩達はさすがだ。
ちなみに真司は傘を黒子と火神も入るように差している。
「火神君、本当に全然歩けない感じ?」
「…正直、まだ辛ぇ」
「無茶するから…」
「し、仕方ねーだろ。あの場面じゃあぁするしかなかっただろ」
「うん。有難う」
確かに、火神が限界を超えて跳ばなければ負けていただろう。
とはいえ、今度は黒子の足がどうにかなってしまいそうな程震えている。
真司は暫く顎に手をやって考え、そうだ、と声を上げた。
「テツ君が火神君の上半身を抱えて、俺が足を持つ!」
「おい、それは止めろ!」
「すみませんもう無理です」
「ちょ、黒子テメッ…!」
ばしゃっという音と共に火神が落ちる。
それを真司は茫然と、手を差し出すことも出来ずに見守る事しか出来なかった。
・・・
「皆ー!ここに入るわよ!」
鉄板キッチンと書かれた店を指さしリコが入って行く。
真司は傘を閉じて数回振り回し、ちらっと火神を横目で見た。
「黒子テメェ…覚えとけよコラ…」
「すみません重かったんで」
ぐっちょりと火神の体を汚すのは、雨水と地面に溜まっていた泥水。
結局ほとんど引きずる形でここまで来たが、黒子の力でどうにもならないものが、真司でどうにか出来るわけがない。
「火神君、ごめん。何か出来たら良かったんだけど」
「いや…真司は悪くねーだろ…」
まぁそうだけど。そう言いながら店内へと入って行く。
途端に何やら鋭い視線を感じて、真司は眉を寄せて辺りを見渡した。
「真司っち…?」
声のした方へと目を向ければ、そこに派手な金髪が見えて。その正面には黄瀬の先輩である笠松が座っていた。
「黄瀬君!」
何でこんなところに。そう思いながらも動くに動けず、リコや日向の様子をうかがって待機する。
すると、どうやら誠凛の人数が座れる席があるか微妙らしい。
「もしあれだったら、相席でもいっすよ」
「真司っち!黒子っちもおいでよ!ついでに火神っちもいいっスよー」
笠松の誘いに黄瀬がぶんぶんと手を振ってくる。
まぁ、相席するならその選択肢しかないだろう。日向達が奥の席に着くのを見て、真司は躊躇いながらも黄瀬の方へ行こうと足を一歩踏み出した。
「すまっせーん!」
その直後、再び入口ががらがらと音を立てて開く。
足を止めて振り返った真司の目に映るのは、見知った人の姿。
「おっちゃん、二人空いて…ん?」
「な…!」
入ってきたのは高尾と緑間。
二人の目にも、この勢ぞろいが見えたのだろう、明らかに失敗したとでも言いたげに顔をこわばらせた。
「あ、えっと。さっきぶり」
「おー。すげぇ偶然だな」
「二人だけ?宮地さんとかいないの?」
緑間の後ろを見ても、他の先輩達はいないようだ。
残念。そう思いつつ、あんなことがあった手前緑間と顔を合わせるのはなんとも恥ずかしい。
緑間もそうだったのか、単純に誠凛と共にいるのは嫌だったのか。後ろを向いて出て行こうとしていた。
「…おい、高尾。出るぞ」
「あ、あそこにいんの、もしかして海常の笠松さん!?」
「高尾…!」
緑間の制止も聞かず、高尾は何故か真司の腕を取って笠松の方へ歩き出した。
「やっぱり!笠松さんっすよね!」
「オマエ秀徳の…なんで知ってんだ?」
「いやぁ、月バス見てたんで!同じポジションとして話し聞きてーなぁ!混ざっていいっすか!?」
誠凛は完全に祝杯モードだったのだが、それさえも厭わないらしい。
高尾はぐいぐいと真司を引っ張り、笠松まで巻き込んで奥の席についた。
となれば、笠松のいた席に緑間が嫌々ながらも座ることとなって。
「ちょっと、ちょっと、チョーワクワクするわね!」
リコがそう言うのも無理はない。
黒子に火神、黄瀬、緑間。またと無さそうなメンバーが一つの席に揃っていた。
「おい、オマエこれ狙っただろ」
「え?まっさかぁ」
にやにやと笑っている高尾は、十中八九この展開を狙っていたのだろう。
それはいいとして。
「俺はあっちじゃないの?」
一応帝光中出身で、どちらかといえば高尾と笠松に挟まれていうこちら側の方が明らかに間違っている。
と思いきや、高尾は真司の手を掴んで離さなかった。
「だーめ。真司はこっち」
「はぁ…」
「笠松さんも真司のこと気になりますよねぇ?」
「オレにそういう面倒なこと聞くなよ…」
はー、と重いため息を吐いて額を押さえる笠松は、本当に苦労人に見える。
とりあえずメニューを手に取って高尾と二人それぞれお好み焼きを頼み、一息ついて。
もくもくと一人、よそってある残り少ないお好み焼きを口に運んでいる笠松に横目で見た。
そういえば、まともにこうして近付くのは初めてだ。なんて思って見ていた真司と笠松の視線が合った。
「オマエ、黄瀬のことどう思ってるんだ?」
「はい…?」
「いや、アイツしつこいだろ?特にお前にはやけに執着してるし」
「それはまぁ、確かに」
確かに黄瀬は今でも前と変わらない調子で接してくる。しかし、ここで何と答えたら笠松は納得するだろう。
真司は返答に迷い、んー…と長いタメをつくった。
「帝光の時からあんななのか?」
「え、あ、はい。一度認めてもらってからはずっと」
「へー…。じゃあ慣れてんだな」
大変だな、そう言って笠松がふっと微笑む。
思わずつられて笑うと、高尾の指がつんと真司の頬を突いた。
「なぁ、真司って帝光ん時ってレギュラーじゃなかったんだろ?にしては黄瀬とか真ちゃんとかと親しいよな?」
「まぁ…それは」
「真司にとってキセキの世代って何なの?」
高尾の質問に、全員の視線が真司に集まった、気がした。自分にとってタブーな領域である故の自意識過剰かもしれない。
それにしても、キセキの世代がいるところで、わざわざそんなことを聞かなくても。
「…えっと」
真司は微妙に込み上げる緊張にどうしたら良いか分からなくなって。しかし、ここで口ごもった方が余計に怪しい気もして。
すっと息を吸って、そのままゆっくり口を開いた。
「俺を見つけて、俺を認めてくれて、強くしてくれた。大事な人達、だよ」
「そりゃ当時はそうかもだけどさ、今も?」
「どんな状況にあっても、根本は変わらないよ」
「ふーん…。そっか。じゃあ、真ちゃんのことも好きってことか」
「うん…ん?」
高尾の解釈に、真司の目がぱちくりと数回の瞬きを繰り返した。
その後にたらりと頬をつたった冷や汗は、“ばれた”という恐ろしい事を考えてしまった為に出たものだ。
「どーした?オレなんか変なこと言った?」
「…いや…うん。好きだよ、緑間君のことも黄瀬君のことも。勿論テツ君も」
動揺を悟られないように、何ともないかのように言ってみせる。
一つの店の中、この真司の言葉が当人たちに聞こえているかもしれない。それは少し恥ずかしい気もするが、それ以上に高尾の鋭さが怖かった。
「…高尾君のことも好きになれそうだよ」
「まじ?嬉しーなぁ」
「あ、笠松さんも」
「いや、オレはそういうのいらねぇから」
本当に嬉しそうに笑う高尾に対し、笠松は困ったように笑った。うん、これが正しい反応だろう。
そんな笠松にほんの少し癒されて安心したのも束の間。
「でもさ、その好きって、キセキの世代への気持ちと同じ?」
「え…?」
「じゃあ、オレも好きになっていい?」
頬杖をつき、上目で真司を見てくる高尾のあざとさに茫然として。その意味深な言葉にとうとう真司は言葉を失った。
一体どういう意味なのだろう。まさか本当に高尾にはお見通しだったのだろうか。
むしろ、そんな風に疑問を抱くこと自体真司が麻痺しているからなのか。それとも。
「…おい、こいつ困ってんじゃねーか」
「いやー、真司が可愛くてつい?」
「ほら、真司、お前からかわれてるだけだよ」
「え?」
はあ、とあからさまに息を吐いた笠松が真司の肩に手を置いて高尾を睨んでいる。
高尾は高尾でぷっと笑うと小刻みに体を震わせていた。
「ちょ、ちょっと待って。からかった…?」
「真司が真面目に全部考えてくれっからさ…ふはっ」
「ひ、酷い高尾君!」
「悪ィ、悪ィ、んな怒んなって!」
けらけらと笑う高尾は、先ほどの雰囲気とは一転いつもの軽い感じだ。からかわれた、だけだなんて。
真司は脱力感に襲われて、はぁあと長い息を吐き出した。
「ちょっと、うちの子いじめないでよ?」
「いじめてないっすよ、ねぇ笠松さん」
「少なくともオレはしてねーけど?」
そんな会話を聞きながら、ようやくやって来たお好み焼きを焼き始める。
そういえば、黒子や火神が黄瀬と緑間とどんな会話をしているのかも正直気になるところ。
単純な興味からちらっと向こうの様子を見てみれば、緑間の相変わらずなきつい顔と、穏やかな黄瀬の顔を見えた。
「…」
「真司?あ、やっぱ向こう気になってんな?」
「うん。やっぱりオレにとって彼等は特別だよ。高尾君への好きとはたぶん違う」
思わず自然と漏らした本音。
しかし、やましい気持ちは無い。下心とかそういうことではなくて単純に真司にとって変えられない存在だという意味だ。
「なんたってさ、彼等がいなきゃ俺は今ここにいないしね」
「っはー。いーなぁ。オレもそんな風に言われてみてぇわ」
真司はお好み焼きをつつきながら、 口元に笑みを浮かべた。
「高尾君はきっと緑間君にとって大事な人になるよ」
「ブッ!ちょ、それはさすがに勘弁だわ」
「え?なんで、緑間君には高尾君が必要だよ」
「や、やめろって!」
高尾が相棒として緑間と共にいる。それだって大きな変化なのだから。
なんて思った真司の発言に、お好み焼きをひっくり返そうとしていた高尾の手が大きくぶれた。
「あ」
ひっくり返しプレートに戻るはずだったお好み焼きが宙に舞う。
それはなかなかの高さで移動していき、とある一点で降下していった。
高尾が苦笑いをしたまま停止する。
視線の先には、まだ焼けきっていないお好み焼きを被った緑の髪の毛。
「…高尾、ちょっと来い」
「いや、ちょっと手元が狂ったっていうか、ちょタンマ…!」
ずるずると緑間に引きずられて店の外に出て行った高尾の断末魔に、真司は静かに手を合わせた。
何やら面倒なことになってしまった。
というより、高尾に申し訳ない事をしたかもしれない。いや、緑間に、か。
店の入り口に目線を置いている真司の表情は、心配から少し曇る。
その真司の肩をとんっと笠松が叩いた。
「今のうちに、黄瀬んとこ行ってきたらどうだ」
「え…」
「黄瀬のことも好きなんだろ?」
「…はい!」
せっかくなら、緑間がいるときに一緒にいたかった気もするが。
笠松の気遣いに感謝して黒子達の方へ近付くと、すぐに黄瀬が真司に気付いた。
「あぁ!真司っち!」
振り返る黄瀬の表情は、やはり明るくて。どこか、懐かしい感覚を覚える。
「黄瀬君、なんかちょっと変わった?」
「はは、それさっき緑間っちにも言われたっス。ていうか、戻ったって」
「戻った…そっか…!」
はっとして黒子を見れば、黒子はもう分かっているようで目を細めて微笑んでいた。
そうか、黄瀬は取り戻しつつあるのだ。いや、もう取り戻したのかもしれない。
「前より練習してるし、バスケも楽しくって。…緑間っちは違うみたいっスけど」
「うん。でも、今は嬉しい」
「え…?」
立っている真司に対して座っている黄瀬の頭はいつもと違って低い位置にある。
その綺麗な黄色に手を乗せて、真司はくしゃくしゃと撫でていた。
「黄瀬君、またバスケしようね」
「あ、は…はいっス…」
「黄瀬君、顔緩みすぎてキモチワルイです」
「酷っ!」
こうしてまた、一緒にいられる時間が増えたらいい。
近付けば近付く程、今までの我慢が解かれていくように自分から手を伸ばしたくなる。
それを「バスケ」という共通点で誤魔化した。
(本当は、そういうの関係なく…)
ごくりと唾を飲んで黄瀬から目を逸らす。
すると丁度良く、お好み焼きを頭からかぶった緑間が、どう処理したのかすっかり綺麗になって戻って来た。
「…火神大我、お前に一つ忠告してやるのだよ」
出て行った時の怒りやらはもう治まったようで、いつもの冷静かつ真面目な表情に場の空気が変わる。
真司も思わず背筋を伸ばして耳を傾けてしまった。
「東京にいるキセキの世代は二人。オレと、もう一人は青峰大輝という男だ」
緑間の話にさして興味を示さなかった火神の目が見開かれる。
“キセキの世代”に反応したのだろう。
「決勝リーグで当たるだろう、奴はオマエと同種の選手だ」
「はぁ?よく分かんねーけど、とりあえずそいつも相当強いんだろ?」
「強いです。ただあの人のバスケは…好きじゃないです」
黒子の言葉に、真司は震える唇をきゅっと噛んだ。
誰よりも初めに変わってしまった人。誰よりも近くにいたはずの人。
そして何より、真司をこの世界に連れて来てくれたひとだ。
「せいぜい頑張るのだよ」
鞄に手をかけた緑間が店を後にしようと方向を変える。
それに気付いた黒子がすっと立ち上がった。
「緑間君、またやりましょう」
「…あぁ、次は勝つ」
視線が交わる。一瞬真司にも向けられた緑間の目は、不快に細められた気がした。
「真司っち、大丈夫?」
急に手を引かれて、真司ははっと息を呑んだ。
掴んでいる手と、その手の主である黄瀬の顔を見て、困惑に首を傾げる。
「…えっと、何が?」
「何がって…真司っち、自分がどんな顔してるか分かってないんスか?」
「顔?」
顔、と言われても。自分の頬に触れて今度は反対側に首を傾げた。
「青峰っちのことっスか?」
「あ…」
「やっぱり。まだそんなに青峰っちのこと…」
黄瀬の言葉は、火神を意識してかそこで止まった。
しかし、何となくその先に続く言葉は想像出来る。でも、だったらどう、ということはない。
「…だとしても、やることは変わらないよ」
黒子と共に、誠凛の皆と共に試合で勝つ。
それが揺らぐことなど絶対にない。たとえ、好きで好きでたまらなかったとしても。
誠凛は予選トーナメントを優勝し、決勝リーグにまでコマを進めた。
そして、それは近いうちに青峰大輝のいる桐皇学園と試合をするということを示していた。
ベンチに座った火神がぎりっと歯を食いしばって、悔しそうに俯いた。
第三クォーターの最後、跳べなかったばかりか、強引に攻めた為に相手のシュートを許してしまったのだ。
「火神、熱くなりすぎだ。もっと周りを見ろよ」
「それに、さっきのは行くとこじゃねーだろ!」
伊月と日向が火神に言う。
真司はだいぶ疲れが見えているメンバーにタオルと飲み物を渡しながらも、その二人のアドバイスに頷いていた。
今の火神は余りにも酷い。
「戻して、パス回してどうすんだよ」
「あ?」
「秀徳と渡り合えるのはオレだけだろ。今必要なのはチームプレーじゃねぇ。オレが点を取ることだ」
余りにも、彼等の考えと酷似している。
「…火神君」
どうして、火神までこんなことに。
真司は震える声を抑えて、今一番辛い思いをしているだろう黒子を振り返った。
次の瞬間目に映ったのは、黒子が火神を殴る姿だった。
「テツ君!?」
「黒子君!?」
黒子が言葉よりも先に手を出すなんて。
まさかの黒子の行動に驚く一同に対し、火神は黒子の胸倉を掴み上げていた。
「黒子テメェ!」
「バスケは一人で出来るものではないでしょう」
「じゃあ皆で仲良く頑張りゃ負けてもいいのかよ!勝たなきゃ何のイミもねぇよ!」
違う、それは絶対に違う。
そう思っても、真司にはそれを口にすることが出来なかった。
自分だって、そんなプレイをしてしまったのだから。
「一人で勝ってもイミなんかないだろ」
黒子のいつもより低めのトーンの声が、真司の胸にも突き刺さる。
「キセキの世代倒すって言ってたのに、彼等と同じ考えでどうすんだ」
黒子が言っているとは思えない程、強い言葉。きつい言い方。
それほど、黒子にとってキセキの世代の変化は辛いものだったのだろう。
「それに、今の互いを信頼出来ない状態で仮に勝ったとしても嬉しくないです」
「甘っチョロいこと言ってんなよ!そんなん勝てなきゃキレイ事だろうが!」
今度は火神が思い切り黒子を殴りつけ、黒子の体がどんっと床に転がった。
「じゃあ勝利ってなんですか。嬉しくなければそれは勝利じゃない…!」
殴られても尚、黒子は火神を見上げて自分の意思を貫く。
格好いい。何も言えず、何も出来ず、キセキの世代にくっ付いていた自分が情けなくなる程に。
「別に負けたいわけじゃないって!ただ一人できばることはねーってだけだよ」
「つかなんか異論あるか?」
ようやく黙った火神に小金井と日向が近付く。
火神は言いづらそうに口ごもってから、ゆっくりと言葉を続けた。
「いや…悪かった…。勝った時に嬉しい方がいいに決まってるわ」
こんなところで殴り合いが起こるとは思わず、漂った緊張感が解かれていく。
とはいえ、黒子の頬は赤くなっていて、真司はすぐに水でタオルを濡らすと黒子の頬に当てた。
「テツ君…痛そう」
「ありがとうございます。正直痛いですが、お互い様なので」
「テツ君、人を殴るとか出来たんだね」
「自分でもびっくりです」
お互い様なんて言っても、圧倒的な体格差。ダメージ的には黒子の方が蓄積されていそうだ。
「そんなことより…。一つ…今なら使えるかもしれない技があります」
黒子はもう火神とのことも頬の痛みも気にしていないようで、ぱっとリコに顔を向けた。
リコはその黒子のカミングアウトに目を丸くしている。
「技?」
「はい。もう一段階上のパスです」
「テツ君、まさかそれって」
「はい。君が思っている通りのあれです」
真司には心当たりがある、帝光中時代に使っていた黒子のパス。
ここに来てそれを使うと言い出したのは、火神の実力がそこまでに至ったからだろう。
「確かに、火神君なら」
「はい。火神君ならきっとあのパスを取ることが出来るでしょう」
「よく分からないけど…。何かすごいパスなのね…?」
いろいろあったが、残りは第四クォーターのみ。これはもう黒子のそのパスに賭ける他はない。
「分かったわ。黒子君、お願い」
「はい」
試合が再開するまでしっかりと作戦を決め、黒子が再びコートに立った。
勝てる見込みは当初よりだいぶある。
やはり試合に出れない真司は彼等を信じて目を細めた。
「テツ君のパスと、火神君の跳躍力があれば…」
「えぇ。大丈夫、きっと勝てるわ。まずは火神君…頼んだわよ」
火神の足はもうほとんど限界の状態にある。
跳べてあと二回。
だというのに、火神は第四クォーター最初の緑間のシュートを防ぐ為に早速跳んでいた。
「な…!?まだ跳べるのか…!?」
緑間が驚愕に声を上げる。
緑間は無理なシュートは打たない。火神のジャンプがまだあると思わせるだけで、シュート回数を減らせるかもしれない。
それが一つ目の作戦だ。
そしてもう一つは黒子。
高尾の広い視野を狭める為に、一度逆にミスディレクションを使って黒子へとひきつける。
狭まった視界から一瞬消えるくらいなら可能だと考えたのだ。
「いない…!?」
上手い事高尾が黒子を見失う。それでも高尾ならすぐに見つけるだろう。
しかし、パスをカットしようと高尾が手を伸ばしたところで、黒子の新しいパスだ。
「火神君!」
「はぁ!?ボールをぶん殴っ…!?」
高尾の感想そのまま、ボールを火神へ向けた殴った黒子のパスは、今までよりもかなり速い。
帝光中ではキセキの世代と呼ばれる人達しか取れなかったパスだ。
「絶対に行かせん!」
ゴール近くでそのボールを受け取った火神がシュートへ向かう。
その前で立ち塞がった緑間が跳び、そして火神はそれを上回るジャンプで。
「うおおおおお!」
雄叫びと共にシュートが決まる。
黒子の新たなパスからの緑間を吹っ飛ばす程のダンク。
一気に会場もろとも誠凛の色に変わった。
ここからは、互いにシュートの応酬だった。
「大丈夫、勝てる…!」
真司は自分の手を握りしめ、ボールを目で追った。
秀徳は緑間に託したようで、緑間にパスが集中している。それ故に黒子のスティールも成功率を上げた。
残り30秒。
残り15秒。
徐々に終わりが見えて来て、点差も4点、2点と縮まっていく。
「決めろ日向!」
伊月が叫び、日向が打った。
そのボールは吸い込まれるようにゴールへ。
「逆転…!?」
「残り数秒で誠凛が勝った…!」
歓声で体育館中が盛り上がる。
日向のゴールで初めて誠凛が秀徳の点を超えた。その時既に残り5秒。
誠凛が逆転したと、一瞬皆の気が抜けてしまった。
「勝ってねーよ、まだ!」
歓声を打ち消すかのように落ち着いた高尾の声。
はっとした時には遅く、高尾が緑間へとパスを出し、緑間にボールが渡っていた。
「しまった、緑間…!」
「何故オレが遠くから決めることにこだわるか教えてやろう」
緑間が足をばねにして一度屈む。
火神が緑間の前にいる、それも今は絶望に近かった。
「残り数秒の逆転劇が苦しまぎれのシュートで起こる時があるがそんなマグレをオレは許さない。
必ずブザービーターで倒す。それが人事を尽くすということだ」
残り3秒、緑間が構え、手をゴールへ向けて上げた。
緑間の前に立ち塞がった火神は、もう跳ぶ限界回数を超えてしまっている。
それでも。
「させねぇ…!!」
火神は緑間が跳ぶタイミングに合わせて限界まで跳んでいた。
「だろうな。信じていたのだよ。たとえ限界でもオマエは限界を超えて跳ぶと」
「しまっ…!」
ここに来てのフェイク。緑間はまだ跳んでいなかった。
一度跳んでしまった以上、後は落ちるしかない。火神はもう跳ぶことが出来ない。
今度こそ決める為に緑間が跳ぶ体勢に入っていた。
「ボクも信じていました。火神君なら跳べると。そして、それを信じた緑間君が一度ボールを下げると」
その声が緑間の耳に入った時、緑間の手にあったボールが黒子の手によって後ろから弾かれていた。
ボールが転がる。
そして、タイムが00:00を表示しブザーが鳴り響いた。
「試合…終了!!」
わぁっという歓声。込み上げる感動。
真司はばっと立ち上がると、隣にいるリコと手を取り合っていた。
「緑間君、一つ言っておきたいことがあります」
黒子が汗を拭いながら、初めての敗北に茫然とする緑間に近付く。
今話しかけるな、とでも言いたげな視線で黒子を見下ろした緑間だったが、黒子は構わず続けた。
「烏羽君に何を言ったのか知りませんが…。烏羽君は個人プレイで勝てるような選手じゃないですよ」
「…」
「何せ、烏羽君はディフェンスに関してはからっきしですから」
君はどうですか、その問いは呑み込んで。黒子はそれ以上何も言わずに緑間から離れた。
緑間の考えに変化が訪れる、そう信じて。
「82対81で誠凛の勝ち!」
ありがとうございました!
響き渡る声に混ざる息と嗚咽。喜びがあれば哀しみもある。
だからこそ今は喜びを分かち合うべきだ。
真司は黒子の元へ駆け寄ると、そのまま抱きついて黒子の頬へと唇を寄せた。
勝利の余韻に浮かれつつ、真司は帰り支度に鞄を漁っていた。
控え室に戻ってきた誠凛の面々は喜びと疲労とで若干微妙なテンションになっている。
それでも、チームで掴んだ勝利はやはり嬉しさも倍増するものだ。
無意識に鼻歌なんか歌いそうになりながら、真司は手に触れたものを見てカチンと固まった。
「…あ」
宮地に借りたハンカチだ。
直接返そうと思って持っていたが、完全にタイミングを失った。
試合の後、向こうだって思う事があるだろう。そんな時に秀徳の中に入っていく自信など真司にはない。
(でも…このまま借りっぱなしはもっと申し訳ない…かも)
とはいえ、こんな使用済みのものを返すのもどうなのだろう。
洗って返すにしても、せめて今度返しに行きますくらい伝えておきたい。
などとぐるぐる考えた真司は、ハンカチを一応ポケットへと入れると立ち上がった。
「あ、真司…」
つんっと体が後ろに引かれる。
驚き振り返ると、火神が真司を手を掴んでいた。
「何?どしたの」
「いや、その……」
「…?」
ぼそぼそと、ほとんど息に隠れて聞き取れない。
暫くは火神の言葉を待つつもりだったが、余りにも先が見えてこず。
真司は戸惑いながらも火神の手をやんわりと掴んだ。
「ごめん、後でいい?ちょっと用あって」
「あ、あぁ」
「有難う」
ちょっと出てきます、軽くリコに告げて、真司は反応も待たずに控え室を出た。
ぱたんとドアが閉まって、ふーっと息を吐き出して。さてどうしたもんかと真司の頬が膨らんだ。
さすがに秀徳の控え室には行けない。空気読め状態になるのは目に見えているのだから。
(緑間君とか、どっかに出てたりしないかな…)
若干すすり泣く声の聞こえる秀徳の控え室を通り過ぎて、きょろきょろと途方も無く歩く。
「うわ…雨酷いな…」
ざあぁっという雨の音を聞きながら、それに引き寄せられるように外へと出て。
屋根の下、まだ残る試合の感動に目を閉じると、耳に低い声が掠めた。
「え、嘘」
ぱしゃ、と雨にも構わず外へと踏み出す。
まさかそんな奇跡みたいな事。
信じられないが、明らかに今聞こえた声は偶然にも今会いたかった人のもので。
声の方へとゆっくり進めば、思った通りに緑間がそこに立っていた。
「み…」
緑間君、と続くはずだった声に重なったのは、緑間の携帯の音。
何故だか襲ってくる緊張に、真司は足を止めて息も止めた。
雨の音でかき消えている為か、それとも感傷に浸っている為か。真司の存在に気付いていない緑間が携帯を開く。
「なんなのだ、いいかげんに…」
ピッと途切れた着信音。それと同時に緑間が自分の耳に携帯を当てた。
雨の中、携帯使って大丈夫なのかな。
そんなことを考えていた真司の思考は、次の言葉で完全に停止することとなった。
「…青峰か」
電話の相手の名前だろう。
それが分かるからこそ、真司の体はびくっと揺れて、一歩下がってしまった。
パシャっという音で緑間が振り返る。
その目は真司を捕らえて、大きく見開かれた。
「…、…な、なんでもないのだよ。相変わらずだな、青峰」
妙な緊張が本格的に心臓を叩き始める。
真司は煩い心臓を抑えて、じっと雨の中電話が終わるのを待っていた。
電話から微かに漏れる声は、青峰のものだ。
その電話に耳を寄せたい。少しでも声を聞きたい。そんな思いを抱くのは、彼のことをどうしても諦めきれないからだ。
「…ああ」
会話は終わったらしい。
ピッという音と同時に緑間が携帯を閉じる。それから静かに向き直ると、不機嫌そうに眉を寄せた緑間と目が合った。
「何故ここに」
「緑間君が見えたから…」
「はぁ…。また風邪をひくだろう。早く中に入れ」
また、というのはいつか昔の話だ。
真司は緑間に背中を押され、一歩進んで足を止めた。
「…青峰君、何て?」
青峰が気になるというのも勿論だが、単純な興味もあって。思わずしてしまった質問に、不機嫌そうな緑間の顔が更にぴくっと引きつった。
「あ、言えない内容なら、別に」
別にどうしても聞きたいわけではないし。
そう言って背けた顔は、肩を掴まれたことで逸らしきれなかった。
暗い空に、かかる影で緑間の顔がよく見えない。
「何?」
「お前はまだ青峰が好きなのか」
「え…何それ…。じゃあ緑間君はもう俺のこと嫌いになった?」
「…何故そうなる」
ぱしゃっと足元で水がはねる。
肩を掴む緑間の手が力んで、痛いと言う間もなく抱き締められていた。
「…!?」
増々緑間の考えが分からない。
真司は久々に肌に感じる緑間の体温に、手がどうしたらいいやら空をかいて。
びしょびしょに濡らされていることも頭から抜けていた。
「お前は危機感が無さ過ぎるのだよ」
「き、危機感…?」
「高尾といい、宮地先輩といい…」
「…あ!そうだ、その宮地さんに伝言頼まれて欲しいんだけど!」
「…」
緑間に流されて目的をすっかり忘れるところだった。
真司はぱっと緩んだ緑間の腕から抜けると、ポケットに手を合わせた。
「ハンカチ、洗って返すから…今度秀徳に届けに行きますって」
「それは構わんが…秀徳に来るのか」
「え、うん。そうするしかないし」
緑間経由で連絡を取り合うことは可能だが、どちらかの学校以外で会うのはむしろ面倒だ。
だとしたら、借りた真司が秀徳に行くのは当然。
うん、そうしよう。一人で頷きながらさすがに体が冷えてきて、入口の方へ向かって歩き出す。
その隣に並んだ緑間の手が、とんっと今度は軽く肩に乗った。
「なら、オレにも顔を見せるのだよ」
「…うん」
優しい声に、真司の頬が緩む。
それを見た緑間もつられて微笑み、真司の前髪をかき分けると額にキスを落とした。
「…っ」
「、い、言っておくが…泣かせたことは謝らないのだよ…」
「いーよ。宮地さんに怒られたんだろうし、それでチャラ」
「な…!」
何故それを。焦って声を震えさせている緑間を置いて先に室内に戻る。
刺す、などと物騒なことを言っていたが、宮地は単純に緑間に何か言ったのだろう。
緑間の気持ちに変化はあったのか。
分からないし、恐らく一度の敗北程度で気持ちを改める人には思えない。
(試合に勝っても、まだ駄目だ)
振り返らずに誠凛控え室に戻る。
まだ甘えない、そう決めた心が確実に揺らぎつつある、それが何よりも怖かった。
恐れて戦えなくなることが、何よりも。
・・・
「烏羽君遅いー…ってびしょ濡れじゃない!?」
部屋に入るなり、真司はリコに叱られタオルでぐるぐる巻きにされた。
確実に冷えてしまっていた体は皆の優しさですぐに暖まっていく。
「おいおい…一体何してたんだよ」
「何か雨に呼ばれました」
「適当言うな」
こつんと日向に額を小突かれ、まだ残る唇の感触を思い出せば、あっという間に体温が戻って来た。
「すみません…緑間君と話をしてました」
「外で?」
「まぁ、はい」
「仕方ないわね…。そろそろここを出たいから、ちゃっちゃと乾かしなさい!」
そんな無茶な。いや、そもそも無茶をしたのは自分か。
真司は濡れて肌に張りついている制服を脱ぎ、再び練習着に着替えた。
頭は多少濡れていてもいいだろう、適当に拭って肩にかける。
「烏羽君、緑間君と…大丈夫でしたか」
後ろに突如現れた黒子の手が真司の髪に触れた。
その行動に特に意味はないようで、黒子は心配そうにじっと真司を見つめて何も言わない。
「…大丈夫だよ」
「本当に、」
「ホントに。そんな顔しないでよ」
「そうですか。良かったです」
ふっと笑った黒子は、髪に触っていた手を移動させると、まだ濡れている頭を数回撫で回した。
「お疲れ様です、烏羽君」
「テツ君も」
「ほら!皆疲れてるの分かるけど、とりあえず一番近いお店に移動しましょ!」
ぱんぱんとリコが手を叩く音で皆ずるずると立って移動を始める。
真司も濡れた制服を袋に突っ込むとそれを更に鞄へと押し込み、肩にかけると同時に立ち上がった。
足を酷使しすぎた為に、歩くのも困難になった火神を黒子が背負って歩く。
誰かおんぶして、というリコの言葉で始まったじゃんけん勝負だったが、何とも呆気なく、黒子が一人負けしてしまった。
「テツ君、大丈夫?」
「…いえ、そろそろ限界です」
まだ5分も歩いていないとはいえ、黒子と火神の体格差ではやはり無理が有り過ぎる。
それでも誰も黒子を助けようとしないあたり、先輩達はさすがだ。
ちなみに真司は傘を黒子と火神も入るように差している。
「火神君、本当に全然歩けない感じ?」
「…正直、まだ辛ぇ」
「無茶するから…」
「し、仕方ねーだろ。あの場面じゃあぁするしかなかっただろ」
「うん。有難う」
確かに、火神が限界を超えて跳ばなければ負けていただろう。
とはいえ、今度は黒子の足がどうにかなってしまいそうな程震えている。
真司は暫く顎に手をやって考え、そうだ、と声を上げた。
「テツ君が火神君の上半身を抱えて、俺が足を持つ!」
「おい、それは止めろ!」
「すみませんもう無理です」
「ちょ、黒子テメッ…!」
ばしゃっという音と共に火神が落ちる。
それを真司は茫然と、手を差し出すことも出来ずに見守る事しか出来なかった。
・・・
「皆ー!ここに入るわよ!」
鉄板キッチンと書かれた店を指さしリコが入って行く。
真司は傘を閉じて数回振り回し、ちらっと火神を横目で見た。
「黒子テメェ…覚えとけよコラ…」
「すみません重かったんで」
ぐっちょりと火神の体を汚すのは、雨水と地面に溜まっていた泥水。
結局ほとんど引きずる形でここまで来たが、黒子の力でどうにもならないものが、真司でどうにか出来るわけがない。
「火神君、ごめん。何か出来たら良かったんだけど」
「いや…真司は悪くねーだろ…」
まぁそうだけど。そう言いながら店内へと入って行く。
途端に何やら鋭い視線を感じて、真司は眉を寄せて辺りを見渡した。
「真司っち…?」
声のした方へと目を向ければ、そこに派手な金髪が見えて。その正面には黄瀬の先輩である笠松が座っていた。
「黄瀬君!」
何でこんなところに。そう思いながらも動くに動けず、リコや日向の様子をうかがって待機する。
すると、どうやら誠凛の人数が座れる席があるか微妙らしい。
「もしあれだったら、相席でもいっすよ」
「真司っち!黒子っちもおいでよ!ついでに火神っちもいいっスよー」
笠松の誘いに黄瀬がぶんぶんと手を振ってくる。
まぁ、相席するならその選択肢しかないだろう。日向達が奥の席に着くのを見て、真司は躊躇いながらも黄瀬の方へ行こうと足を一歩踏み出した。
「すまっせーん!」
その直後、再び入口ががらがらと音を立てて開く。
足を止めて振り返った真司の目に映るのは、見知った人の姿。
「おっちゃん、二人空いて…ん?」
「な…!」
入ってきたのは高尾と緑間。
二人の目にも、この勢ぞろいが見えたのだろう、明らかに失敗したとでも言いたげに顔をこわばらせた。
「あ、えっと。さっきぶり」
「おー。すげぇ偶然だな」
「二人だけ?宮地さんとかいないの?」
緑間の後ろを見ても、他の先輩達はいないようだ。
残念。そう思いつつ、あんなことがあった手前緑間と顔を合わせるのはなんとも恥ずかしい。
緑間もそうだったのか、単純に誠凛と共にいるのは嫌だったのか。後ろを向いて出て行こうとしていた。
「…おい、高尾。出るぞ」
「あ、あそこにいんの、もしかして海常の笠松さん!?」
「高尾…!」
緑間の制止も聞かず、高尾は何故か真司の腕を取って笠松の方へ歩き出した。
「やっぱり!笠松さんっすよね!」
「オマエ秀徳の…なんで知ってんだ?」
「いやぁ、月バス見てたんで!同じポジションとして話し聞きてーなぁ!混ざっていいっすか!?」
誠凛は完全に祝杯モードだったのだが、それさえも厭わないらしい。
高尾はぐいぐいと真司を引っ張り、笠松まで巻き込んで奥の席についた。
となれば、笠松のいた席に緑間が嫌々ながらも座ることとなって。
「ちょっと、ちょっと、チョーワクワクするわね!」
リコがそう言うのも無理はない。
黒子に火神、黄瀬、緑間。またと無さそうなメンバーが一つの席に揃っていた。
「おい、オマエこれ狙っただろ」
「え?まっさかぁ」
にやにやと笑っている高尾は、十中八九この展開を狙っていたのだろう。
それはいいとして。
「俺はあっちじゃないの?」
一応帝光中出身で、どちらかといえば高尾と笠松に挟まれていうこちら側の方が明らかに間違っている。
と思いきや、高尾は真司の手を掴んで離さなかった。
「だーめ。真司はこっち」
「はぁ…」
「笠松さんも真司のこと気になりますよねぇ?」
「オレにそういう面倒なこと聞くなよ…」
はー、と重いため息を吐いて額を押さえる笠松は、本当に苦労人に見える。
とりあえずメニューを手に取って高尾と二人それぞれお好み焼きを頼み、一息ついて。
もくもくと一人、よそってある残り少ないお好み焼きを口に運んでいる笠松に横目で見た。
そういえば、まともにこうして近付くのは初めてだ。なんて思って見ていた真司と笠松の視線が合った。
「オマエ、黄瀬のことどう思ってるんだ?」
「はい…?」
「いや、アイツしつこいだろ?特にお前にはやけに執着してるし」
「それはまぁ、確かに」
確かに黄瀬は今でも前と変わらない調子で接してくる。しかし、ここで何と答えたら笠松は納得するだろう。
真司は返答に迷い、んー…と長いタメをつくった。
「帝光の時からあんななのか?」
「え、あ、はい。一度認めてもらってからはずっと」
「へー…。じゃあ慣れてんだな」
大変だな、そう言って笠松がふっと微笑む。
思わずつられて笑うと、高尾の指がつんと真司の頬を突いた。
「なぁ、真司って帝光ん時ってレギュラーじゃなかったんだろ?にしては黄瀬とか真ちゃんとかと親しいよな?」
「まぁ…それは」
「真司にとってキセキの世代って何なの?」
高尾の質問に、全員の視線が真司に集まった、気がした。自分にとってタブーな領域である故の自意識過剰かもしれない。
それにしても、キセキの世代がいるところで、わざわざそんなことを聞かなくても。
「…えっと」
真司は微妙に込み上げる緊張にどうしたら良いか分からなくなって。しかし、ここで口ごもった方が余計に怪しい気もして。
すっと息を吸って、そのままゆっくり口を開いた。
「俺を見つけて、俺を認めてくれて、強くしてくれた。大事な人達、だよ」
「そりゃ当時はそうかもだけどさ、今も?」
「どんな状況にあっても、根本は変わらないよ」
「ふーん…。そっか。じゃあ、真ちゃんのことも好きってことか」
「うん…ん?」
高尾の解釈に、真司の目がぱちくりと数回の瞬きを繰り返した。
その後にたらりと頬をつたった冷や汗は、“ばれた”という恐ろしい事を考えてしまった為に出たものだ。
「どーした?オレなんか変なこと言った?」
「…いや…うん。好きだよ、緑間君のことも黄瀬君のことも。勿論テツ君も」
動揺を悟られないように、何ともないかのように言ってみせる。
一つの店の中、この真司の言葉が当人たちに聞こえているかもしれない。それは少し恥ずかしい気もするが、それ以上に高尾の鋭さが怖かった。
「…高尾君のことも好きになれそうだよ」
「まじ?嬉しーなぁ」
「あ、笠松さんも」
「いや、オレはそういうのいらねぇから」
本当に嬉しそうに笑う高尾に対し、笠松は困ったように笑った。うん、これが正しい反応だろう。
そんな笠松にほんの少し癒されて安心したのも束の間。
「でもさ、その好きって、キセキの世代への気持ちと同じ?」
「え…?」
「じゃあ、オレも好きになっていい?」
頬杖をつき、上目で真司を見てくる高尾のあざとさに茫然として。その意味深な言葉にとうとう真司は言葉を失った。
一体どういう意味なのだろう。まさか本当に高尾にはお見通しだったのだろうか。
むしろ、そんな風に疑問を抱くこと自体真司が麻痺しているからなのか。それとも。
「…おい、こいつ困ってんじゃねーか」
「いやー、真司が可愛くてつい?」
「ほら、真司、お前からかわれてるだけだよ」
「え?」
はあ、とあからさまに息を吐いた笠松が真司の肩に手を置いて高尾を睨んでいる。
高尾は高尾でぷっと笑うと小刻みに体を震わせていた。
「ちょ、ちょっと待って。からかった…?」
「真司が真面目に全部考えてくれっからさ…ふはっ」
「ひ、酷い高尾君!」
「悪ィ、悪ィ、んな怒んなって!」
けらけらと笑う高尾は、先ほどの雰囲気とは一転いつもの軽い感じだ。からかわれた、だけだなんて。
真司は脱力感に襲われて、はぁあと長い息を吐き出した。
「ちょっと、うちの子いじめないでよ?」
「いじめてないっすよ、ねぇ笠松さん」
「少なくともオレはしてねーけど?」
そんな会話を聞きながら、ようやくやって来たお好み焼きを焼き始める。
そういえば、黒子や火神が黄瀬と緑間とどんな会話をしているのかも正直気になるところ。
単純な興味からちらっと向こうの様子を見てみれば、緑間の相変わらずなきつい顔と、穏やかな黄瀬の顔を見えた。
「…」
「真司?あ、やっぱ向こう気になってんな?」
「うん。やっぱりオレにとって彼等は特別だよ。高尾君への好きとはたぶん違う」
思わず自然と漏らした本音。
しかし、やましい気持ちは無い。下心とかそういうことではなくて単純に真司にとって変えられない存在だという意味だ。
「なんたってさ、彼等がいなきゃ俺は今ここにいないしね」
「っはー。いーなぁ。オレもそんな風に言われてみてぇわ」
真司はお好み焼きをつつきながら、 口元に笑みを浮かべた。
「高尾君はきっと緑間君にとって大事な人になるよ」
「ブッ!ちょ、それはさすがに勘弁だわ」
「え?なんで、緑間君には高尾君が必要だよ」
「や、やめろって!」
高尾が相棒として緑間と共にいる。それだって大きな変化なのだから。
なんて思った真司の発言に、お好み焼きをひっくり返そうとしていた高尾の手が大きくぶれた。
「あ」
ひっくり返しプレートに戻るはずだったお好み焼きが宙に舞う。
それはなかなかの高さで移動していき、とある一点で降下していった。
高尾が苦笑いをしたまま停止する。
視線の先には、まだ焼けきっていないお好み焼きを被った緑の髪の毛。
「…高尾、ちょっと来い」
「いや、ちょっと手元が狂ったっていうか、ちょタンマ…!」
ずるずると緑間に引きずられて店の外に出て行った高尾の断末魔に、真司は静かに手を合わせた。
何やら面倒なことになってしまった。
というより、高尾に申し訳ない事をしたかもしれない。いや、緑間に、か。
店の入り口に目線を置いている真司の表情は、心配から少し曇る。
その真司の肩をとんっと笠松が叩いた。
「今のうちに、黄瀬んとこ行ってきたらどうだ」
「え…」
「黄瀬のことも好きなんだろ?」
「…はい!」
せっかくなら、緑間がいるときに一緒にいたかった気もするが。
笠松の気遣いに感謝して黒子達の方へ近付くと、すぐに黄瀬が真司に気付いた。
「あぁ!真司っち!」
振り返る黄瀬の表情は、やはり明るくて。どこか、懐かしい感覚を覚える。
「黄瀬君、なんかちょっと変わった?」
「はは、それさっき緑間っちにも言われたっス。ていうか、戻ったって」
「戻った…そっか…!」
はっとして黒子を見れば、黒子はもう分かっているようで目を細めて微笑んでいた。
そうか、黄瀬は取り戻しつつあるのだ。いや、もう取り戻したのかもしれない。
「前より練習してるし、バスケも楽しくって。…緑間っちは違うみたいっスけど」
「うん。でも、今は嬉しい」
「え…?」
立っている真司に対して座っている黄瀬の頭はいつもと違って低い位置にある。
その綺麗な黄色に手を乗せて、真司はくしゃくしゃと撫でていた。
「黄瀬君、またバスケしようね」
「あ、は…はいっス…」
「黄瀬君、顔緩みすぎてキモチワルイです」
「酷っ!」
こうしてまた、一緒にいられる時間が増えたらいい。
近付けば近付く程、今までの我慢が解かれていくように自分から手を伸ばしたくなる。
それを「バスケ」という共通点で誤魔化した。
(本当は、そういうの関係なく…)
ごくりと唾を飲んで黄瀬から目を逸らす。
すると丁度良く、お好み焼きを頭からかぶった緑間が、どう処理したのかすっかり綺麗になって戻って来た。
「…火神大我、お前に一つ忠告してやるのだよ」
出て行った時の怒りやらはもう治まったようで、いつもの冷静かつ真面目な表情に場の空気が変わる。
真司も思わず背筋を伸ばして耳を傾けてしまった。
「東京にいるキセキの世代は二人。オレと、もう一人は青峰大輝という男だ」
緑間の話にさして興味を示さなかった火神の目が見開かれる。
“キセキの世代”に反応したのだろう。
「決勝リーグで当たるだろう、奴はオマエと同種の選手だ」
「はぁ?よく分かんねーけど、とりあえずそいつも相当強いんだろ?」
「強いです。ただあの人のバスケは…好きじゃないです」
黒子の言葉に、真司は震える唇をきゅっと噛んだ。
誰よりも初めに変わってしまった人。誰よりも近くにいたはずの人。
そして何より、真司をこの世界に連れて来てくれたひとだ。
「せいぜい頑張るのだよ」
鞄に手をかけた緑間が店を後にしようと方向を変える。
それに気付いた黒子がすっと立ち上がった。
「緑間君、またやりましょう」
「…あぁ、次は勝つ」
視線が交わる。一瞬真司にも向けられた緑間の目は、不快に細められた気がした。
「真司っち、大丈夫?」
急に手を引かれて、真司ははっと息を呑んだ。
掴んでいる手と、その手の主である黄瀬の顔を見て、困惑に首を傾げる。
「…えっと、何が?」
「何がって…真司っち、自分がどんな顔してるか分かってないんスか?」
「顔?」
顔、と言われても。自分の頬に触れて今度は反対側に首を傾げた。
「青峰っちのことっスか?」
「あ…」
「やっぱり。まだそんなに青峰っちのこと…」
黄瀬の言葉は、火神を意識してかそこで止まった。
しかし、何となくその先に続く言葉は想像出来る。でも、だったらどう、ということはない。
「…だとしても、やることは変わらないよ」
黒子と共に、誠凛の皆と共に試合で勝つ。
それが揺らぐことなど絶対にない。たとえ、好きで好きでたまらなかったとしても。
誠凛は予選トーナメントを優勝し、決勝リーグにまでコマを進めた。
そして、それは近いうちに青峰大輝のいる桐皇学園と試合をするということを示していた。