黒バス(2012.10~2017.12)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
物心ついた頃には走ることが好きで、同学年の友人が自分について来れないことが自慢だった。
自分は走る為に生まれてきたんだ、なんて思うこともあったくらいだ。
『真司お前、ほんっと速ぇな』
『はぁ…は、全然、ついて行けないっスよー…』
バスケじゃ全然敵わない皆が、自分の後ろをついて来る。
それに優越感を感じないはずもなく、走っていると普段に無いほど気分が高揚した。
『じゃあ、じゃあ次は1on1やろうよ!』
『や…やりたいっスけど、ちょ、ちょっと待って』
『おっし、ならオレ先!やろうぜ真司!』
そこに転がっているボールを手に取れば、気持ちが良いくらい手に吸いついて来る。大きな相手も怖くない。
そんな自信がついたのも全ては自分を認めてくれた彼のおかげだった。
『真司、随分と上手くなったな。やはりオレの目は正しかった』
『君が正しくないことなんて無いだろー』
『あぁ、そうだな』
褒めてもらえる、頭を撫でてもらえる。笑顔を見せてくれる。
彼が認めてくれるなら、もっと何でもしようと思えた。もっと強くなって、もっと使ってもらえるように。
それがキセキの世代と同じ、チームを必要としない人間になったとしても?
「…っ」
誠凛高校控え室。そう書かれた部屋の前で真司は足を止めた。
正邦との試合、恐らく誰の目から見ても真司の個人プレイだった。それを、黒子はきっと好ましく思わない。
ましてや、リベンジを志していた先輩達は。
(でも、きっと優しいから何も言わないんだ)
それが分かるから余計に悔しくて。
真司はドアノブに触れた手を一度ぎゅっと握りしめ、手の震えを残したままそれを回した。
「ちょっと!烏羽君どこ行ってたのよ!」
「わ…!」
これから力を加えるはずのドアが勝手に開かれる。
驚いて踏み込んだ先で顔を上げると、眉を吊り上げたリコが立っていた。
「…監督?」
「お手洗い行くとか言って帰ってこないし!黒子君が見に行ってもいないとか言うし!」
「あ、あの」
「心配かけさせないでよねもう!」
勢いのままリコの腕に抱き込められて。
周りを見れば先輩達も黒子も皆、真司を心配そうに見ていた。
「な、なんで…、どうしたんですか、監督…先輩達も」
「なんで!?いなくなったら心配するでしょう普通!」
「だって俺…勝手なことして、自己満足で先輩達に…」
「烏羽君…」
リコの手が真司から離れる。
独りよがりのバスケで勝利を手にした。そんなものが喜びに繋がるわけがない、知っていたのに。
「テツ君だって、幻滅したでしょ…?」
横に立っている黒子はじっと丸い目をこちらに向けたまま動かない。
嫌だ、嫌いにならないで。何か言って欲しい。
そう願っても嫌な想像ばかりが渦巻いて、真司は黒子から目を逸らし、俯いて唇を噛んだ。
「何を言っているんですか、君はいつからそんなに馬鹿になったんですか」
「え…?」
ぺち、と頬を叩く黒子の手。
恐る恐る顔を上げると、黒子が相変わらず何とも表現しがたい表情をしていて。
「君が先程の試合で力を尽くしたのは、何の為ですか」
困惑に眉を寄せて言葉を失えば、今度は優しく頭の上に日向の手が乗せられた。
「お前がどう思ってんのか知らねーけど、オレ達は感謝してるから」
「い、意味が分かりません…」
「ったく、誠凛の勝利の為に戦ってくれたんだろ?」
違うのか、そう問われれば首を横に振るしかない。
勿論、誠凛の選手として勝ちたいと思ったのに嘘偽りはない。
「…でも」
「余計なことぐちぐち考えんなよ。つか、考えるだけ無駄」
「すみませ…」
「謝んのも無し」
日向の手がグーになって真司を小突く。
分かっていたはずだ、彼等が驚くほど甘々で優しいということくらい。
真司は暫く俯いて、自分の頬を両手で覆った。
ぐちぐち考えるな、謝るな、そう言われて出来ることは。
「有難うございます…」
ぱっと顔を上げて見せるのは精一杯の笑顔。感謝も謝罪も全部全部詰め込んで。
「ん、分かればいいんだよ」
「ほら烏羽君、ちゃんと体休めなさい」
「わ、わ…っ」
ぐいぐいと引っ張られて部屋の椅子に座らされ、綺麗なタオルが頭にかけられる。
どうやら、ここでも頭を拭けと言われるらしい。
真司は自分の肩にかかるくらいの髪を掴んで、ぎゅっと引っ張った。
優しさが痛い。自惚れないように自分をそれ以上に痛めつけないとおかしくなりそうだ。
「真司」
「火神君…」
「何悩んでんのか知んねーけど、緑間の奴はオレが倒すから」
背中に回った手が真司を火神の方へと引き寄せる。
そのまま火神の胸に顔をぶつけた真司は、素直に頬を寄せて体温を感じた。
「火神君、自分だけいいとこ持っていかないで下さい」
「うっせ」
2人のやり取りに思わず笑みが零れるのは、やはりこの場所の居心地が良いからだろう。乱れていた気持ちが自然と落ち着いて行く。
何故悩んでいたことも、緑間に関係しているということも見透かされているのか分からない。
けれど、あれこれ考えるのを止めて真司は目を閉じていた。
・・・
「、おい、真司?」
ずしっと重くなった体に驚いて火神が身を引くと、真司の頭ががくりと項垂れた。
微かに聞こえる息は、寝てしまったのか安定して一定間隔で聞こえてくる。
「烏羽君、寝ちゃったんですか?」
「あぁ、そうみてぇ…」
背中を支えながら真司の体を横長の椅子に寝かせると、黒子は椅子の前で膝をついた。
目元が赤いのは、恐らく泣いていたから。自分を責めているのは、先程の試合を悔いているから。
「烏羽君が誠凛に来た理由…知ってますか?」
「あ?なんだよ急に」
「何と、ボクの後を追いかけて来たんですよ」
「はぁ…?」
この状況に見合わない、黒子の自信満々な顔。
火神は目を丸くすると同時に突発的な黒子の発言に肩をすくめた。その分かりやすい反応に黒子が小さく笑う。
「帝光中のバスケ部には唯一無二の基本理念があったんです」
「…なんだよ急に」
「勝つことが全て。そこにチームは無かったんです」
火神は黒子の話の流れを理解出来ていないようで、眉間のシワを一層深くした。
一方、薄らとそれを聞いていたリコと日向は察したようで、視線を下に落としている。
「ボクは何か欠落していると感じていました。真司君も何となく気付いていたと思います」
「その…勝つことが全てであることをか?」
「はい。だから…それを肯定していた彼等と決別したのでしょう。…好きだったのに」
黒子の細い指が真司の前髪に触れた。
こんな風に近くで触れられる日が来るとは思わなかった。自分にチャンスが訪れるなど。
優しく細められた目で、真司の姿を目に焼き付ける。
そんな黒子の横で、火神は絶句していた。
「ちょ、ちょっと待て。おま、今なんて」
「彼等と決別しました」
「そ、その、後」
「…?何か言いましたか?」
最後の一言はまさかの無意識、という時点で信憑性が増してくる。
火神は一度真司を見て、それからばっと振り返ると比較的近くにいた日向に目を向けた。聞き間違い、という可能性も否めない。
しかし、一瞬合った目は一瞬で逸らされ、その日向の目は意味も無くかなり泳いでいた。
「…あの、監督」
「な、何?」
まさか自分に声をかえられると思っていなかったリコの声が上ずる。
黒子は真司に触れていた手を引っ込めて、静かに立ち上がった。
「次の試合、烏羽君を出さないで勝ちたいです」
「あ、そのことね。勿論そのつもりよ。今の状態で試合に出れるとは思えないし」
話が切り替わった為か、リコはふうっと息を吐き出してそれぞれ体を休めているチームメイトを見回した。
元々真司を何度も試合に出すつもりは無かった。
メインの戦力は火神と黒子、そして今までやって来た二年生。真司に頼る必要はない、勝てるメンバーなのだから。
「皆!次の試合、烏羽君無しで勝つわよ!」
真司が寝ている手前声は出さずに、それでも皆力強く頷いた。
リコのマッサージを受け、それぞれ出来る限り体を暖め休憩した。
相手は恐らく正邦以上の実力を持っている、キセキの世代、緑間真太郎を獲得した秀徳高校。
時計の針は休むことなく時を刻み、気付けば試合まで後10分に迫っていた。
「烏羽君、起きて下さい。時間です」
「ん…。あれ、俺寝てた…」
「はい。もうあと10分で試合開始です」
黒子に肩を叩かれた真司の上半身がゆっくりと起き上る。
それから急に現実が襲ってきて、真司は目を大きく見開いた。
「え、もう、試合!?」
「はい。でも大丈夫ですよ、行きましょう」
黒子の手を掴んで立ち上がると、振り返ってこちらを見ていた火神が控え室のドアを開いた。
先を行く先輩達の後を続いて行く。
がっつりと睡眠に時間を要してしまった手前、完全に体は固くなってしまった。
リコがそれを許していたということは、自分は試合に出ないのだろう。
「…テツ君、火神君」
「安心してください。必ず皆で勝ちますから」
「あぁ、オレ達で勝つ」
「…うん」
黒子に手を引かれて体育館に向かう。
その間、真司は俯いたまま。申し訳なさと嬉しさとが入り混じって、どんな顔をしたら良いのか分からなかった。
・・・
体育館に入ると、既に集まる観客と相手サイドにいる秀徳により、嫌でも決勝ということを思い知らされた。今までとは雰囲気が違う。
明らかに格上の秀徳。しかし、誠凛だってここまで勝ち残ったのだ。
「…緑間君」
黒子や日向のフォローあっても、言われたことが頭の中から消えることはない。
真司はぎゅっと手を握り締め、ネガティブにならないように頭をとんとんと自分で叩いた。
「まさか、本当に勝ち上がってくるとは思わなかったのだよ」
その声は、思いの外近くで聞こえた。
驚いて顔を上げると、足音と同時に目の前に黒子が現れる。
その向こうに隠しきれない程大きな緑色の髪が。
「どんな弱小校や無名校でも皆で力を合わせれば戦える。そんなものは幻想なのだよ」
「…」
「来い、お前等の選択がいかに愚かか教えてやろう」
緑間の“お前等”という言葉に自分がくくられている事くらい察しが付く。
随分な言われ様だ。しかし、黒子も黙ってはいなかった。
「誠凛は決して弱くありません」
静かに、それでもはっきりと。
「負けません。絶対」
真司の方へ振り返った黒子の顔に、負ける等という気持ちも、緑間の言葉を肯定する気持ちも一切見られない。
「むしろ、後悔するのは緑間君の方ですよ」
「…そう言っていられるのも今のうちなのだよ」
互いに別々の方向に歩き出す。
真司の心の中からも、緑間に対する劣等感は無くなっていた。
・・・
試合は誠凛ボールでスタートした。
正邦との試合であまり活躍出来なかったこともあり、火神は早々に熱くなっている。
黒子のボールはゴールへと投げられ、それを火神がアリウープ。誠凛の先制点を誰もが予想した。
「まったく…心外なのだよ。その程度で出し抜いたつもりか?」
ゴールを潜る前に落とされたボール。予測していたかのように、緑間が火神のアリウープを叩き落としていた。
火神もさすがの黒子も意表をつかれたようで、目を丸くしている。
しかし、驚いている間も無く秀徳の攻撃に切り替わる。それを今度は誠凛が防いで、今度は誠凛の攻撃で。
「…均衡してますね」
「このままだと、先に先制点を取った方が流れを掴むわ」
「それは…かなりマズイかもです」
「え?」
リコの隣に座る真司は、今回立ちはだかるだろう緑間のことを誠凛の中では一番知っている。
緑間のシュート率がいかなるものかも。
「緑間君がフリーでシュートを放てば、外れることは無いです」
「…そうだったわね」
不安を抱いた直後、緑間がボールを手に取った。速攻だった為に、とめられる人は誰もいない。
外れる可能性を祈ることも意味を持たず、先制点は秀徳のものとなってしまった。
「流れが秀徳に傾く…」
ワッと客席も盛り上がる。
それに眉をひそめた真司の目に、黒子の不可解な動きが映った。
コートの端、黒子が構える。その視線の先には走り戻っている火神。
体に回転をかけることで勢いのついたパスが黒子から放たれ、そのボールはゴールの下にいた火神の手へ。
「すいません。そう簡単に第一クォーター獲られると困ります」
「黒子…!」
ゴールが火神の体重で軋んでいる。
コートの端から端までぶった切った黒子のパス。
まだ火神しか戻っていなかった状況での余りにも速い誠凛の攻撃に、誰もが目を疑っていた。
「…烏羽君は、あの黒子君のパス知ってた?」
「いえ、知りませんでした」
「じゃあ、緑間君も知らなかったのね。これなら、緑間君のシュートも封じられるかも」
リコは何か思い至ったようで、嬉しそうに口角を上げている。
「…どういうことです?」
「緑間君のシュートには長い滞空時間があるのよ。本来なら、その間にディフェンスに戻って速攻を防げるんだろうけど…」
「火神君が走る時間もある…ってことですか」
「そうね」
それで黒子のパスが通れば、緑間のシュートの後にはすぐに点を取り返せることになる。
その理屈は分かるが、真司は嫌な予感がしてコートに目を移動させた。
「でもそれって…あれ、テツ君にマークが」
いつの間にやらぴったりと黒子に付いている高尾。そういえば、彼のプレイをこうして見るのは初めてだ。
「やっぱねー、こーゆー形になると思ったんだわ。真ちゃん風に言うなら運命なのだよっ」
試合とはいえ、高尾のキャラクターは変わらないようで、けらけらと一人笑っている。
と思いきや、ぱっと表情が切り替わった。
「初めて会った時から思ってたんだよ。一年だし、パスさばくのがスタイルっつー同じ人種だって」
「はぁ…」
「ぶっちゃけなんつーの、同族嫌悪?お前には負けたくねーんだわ!」
おぉ、何やら黒子がすごいことを言われている。
その黒子は案の定困ったように眉を下げていて。
「…すみません、そーゆーこと言われたの初めてで…困ります」
「えー」
「けど、ボクにも似た感覚はちょっとあります」
「いーね、やる気マンマンじゃん」
タイプが真逆に見えて、同じ人種とは。
面白いことを言う人だ、と思ったのも束の間。真司の目に有り得ないものが見えた。
会話の途中とはいえ試合中。
急に試合モードに戻った黒子が高尾の前から姿をくらましてフリーになっている日向へパスを回した。
と思ったのに、その間に高尾がいて、パスが弾かれていた。
「テツ君がパス失敗…!?」
「そんなはずないわ。黒子君はいつも通り出来ていたはず…」
「じゃあ…」
左に座るリコとは反対、右に座る小金井と視線を合わせる。
小金井も驚いているようで、首を横に振っていた。
「誠凛タイムアウトです!」
ブザーと共に皆が戻ってくる。
皆、状況は分かっているようで、だからこそ表情に焦りがうかがえた。
「高尾にはオレのイーグル・アイと同じ…いや、視野の広さはオレより上のホーク・アイがある」
「つまり…ミスディレクションが効かない…」
伊月の説明に皆の視線がちら、と黒子の方へと向けられる。
その黒子は焦りというよりは悔しそうに口を尖らせていた。
「カントク、このまま行かせてくれ…ださい。黒子だってこのままやられっぱなしじゃねーだろ」
「まぁ…やっぱちょっとやです」
当の本人が諦めていない。しかし、成す術が無ければ意味がない。
「テツ君、何か出来る事あるの?」
「いえ、正直困りました。けど、出来れば第一クォーター残り三分このまま出してもらえませんか」
黒子はリコを見上げている。
次の瞬間、ブザーがタイムアウト終了を知らせた。
結局作戦も何も浮かんでいない。それでも、リコはこのまま行くと決めて同じメンバーを送り出した。
黒子はともかく、火神は勢いづいたようでシュートを一人でがんがん決めて行く。
しかも、自分で3Pを打ってから、外れたボールを自らアリウープ。どうやら火神の新技らしい。
日向もここぞというところで3Pを決めていた。
「そういえば、烏羽君タイムアウト前に何か言いかけてなかった?」
「え…あ、そうでした」
真司ははっと息を吸い込んでリコの方を向いた。
リコは不思議そうに目をぱちぱちと瞬かせている。
「あの…俺がセンターライン辺りでシュート打ったの、覚えてますよね」
「えぇ。あ、もしかしなくても緑間君も」
「いえ…俺でハーフラインですよ、緑間君はもっと…」
実際、緑間に教えてもらった真司だが、緑間が最終的にどのレベルまで達していたのかは見ていない。
だからこそ、嫌な予感は重くのしかかってきて。そして、その目で見ることになった。
「オレのシュート範囲はコート全てだ」
低い声がそう告げると同時にボールが宙に浮いた。
皆、茫然と動けずボールを目で追う。
有り得ない、なんて言葉も今は考えるだけ無駄だった。
ボールは緑間の言葉通りに、反対側のゴール下から自分のゴールへと弧を描いた。
最後まで目で追う必要もない。緑間のシュートは絶対に外れないのだ。
たとえ、どこから打ったのであっても。
第一クォーターは、秀徳に流れを持って行かれた状態で終わり、それどころか第二クォーターまで緑間のシュートに翻弄されて終わってしまった。
10分間のインターバル。
控え室に戻った誠凛のメンバーは誰一人として口を開かなかった。
明らかにペースを奪われて、皆落ち込んでいる。
その中で一人、黒子がもそもそと動き出し、ビデオを起動させた。
「黒子、何してんの?」
「前半ビデオをとってくれていたそうなので。高尾君を」
丁度黒子の隣に座っていた伊月が黒子を覗き込む。黒子の緊張感の無い声のトーンにそこだけ少し別の空間のようになって。
真司もそれに気付くと、安心してその二人に近付いた。
「テツ君、高尾君見てるんだ?何か勝算ありそう?」
「さあ?」
「さあって…。もうちょっと何か希望を感じさせてよー」
わざと軽く言ってみせるが、実際いくら勝ちたいと願っても、勝算が見えなければどうすることも出来ない。
やはり緑間は強い。それに高尾も、思っていた以上に強かった。
「まさかだったなぁ…。高尾君があんな目持ってるなんて」
「ああ。オレも驚いたよ。まさかホーク・アイを使える人間がいるとは 」
「イーグル・アイより凄いんでしたっけ?」
「烏羽…容赦ないな」
伊月と同じく良く気付く人だ、なんて考えることはあったが、普通に上手いだけでなく、特殊な機能付きとは。
伊月と同時に、二人揃ってはぁ、と息を漏らす。
すると、何を思ったか黒子がぱっと真司の方へ振り返った。
「そういえば、高尾君と親しいみたいですね」
「んー?親しいっていうか、まぁ偶然知り合う機会があったから」
「…それにしては…悔しいです」
再びビデオの方へと視線を戻した黒子が高尾を見てムッとする。
対抗心を抱くのはいいが、やはり持っている能力的に不利なのは変わらないだろう。
「そういえば、烏羽君。キスしてないです」
「……はい?」
突然の黒子の狂言に、全員の顔がばっと上がった。
真司も、真面目なことを考えていた為に思考は完全にストップ状態だ。
それを気にする様子もなく、黒子はじっと真司を見つめていた。
「正邦では、結局いい所を見せられませんでしたから…」
「あ、あぁ…何か、そんなこと言ったっけ…」
「はい。ですから、もし高尾君を振りほどくことが出来たら、キスして下さい」
淡々と放たれる言葉を茫然と聞きながら、混乱する頭の中を何とか整理する。
キスして下さい。誰から誰に。真司から、黒子に。
「ちょっと待て、黒子少し落ち着け!」
身を乗り出して伊月が突っ込むと、一斉に噤んでいた口を皆が開き出した。
「いくら秀徳が強いからって早まるな黒子!」
「黒子、いくらなんでもそれは無いって!」
「つかそれじゃ黒子だけ不公平だ!」
「そうだよ不公平…え?」
おかしな空気になっていることに気付きながらも、盛り上がりつつあるこの空気を変えるのも野暮だ。
真司はさり気なく火神に近付くと、ヘルプを訴え、火神のユニフォームをちょいと掴んだ。
「真司…それ、本当にすんのか…?」
「は、」
「き、き…す、とか…」
「(いやそれを回避する為に君に…!)」
「オレも緑間攻略すっから…」
真司に弁解の余地も与えず、それだけ言うと火神はふいっと顔を背けてしまった。
なんだろう、一人空気を読めていないのがむしろ真司であるような疎外感だ。
渋々黒子の隣に戻ると、その黒子は妙な話題を広げた癖に、しっかりと目をビデオの録画映像に向けていた。
「テツ君…勝てそう?」
「…勝ちたい、とは思いますけど、勝てるかどうかとは考えたこと無いです」
じっと大きな目で映像を焼き付けて。
それがたとえ圧倒的に強い相手だとしても、黒子は同じことを言うのだろう。
「もし100点差で負けてたとしても、残り1秒で隕石が相手ベンチを直撃するかもしれないじゃないですか」
「…う、うーん」
「だから、試合終了のブザーがなるまで、とにかく自分の出来ることを全てやりたいです」
それを聞いていた伊月は、納得しそうになってから、ん?と複雑そうな顔をした。
日向も小金井も少し想像したようで、手をぶんぶんと振っている。
「いや!落ちねーよ!」
「隕石は落ちない!」
しかし、少しずつ黒子の言葉にほだされていく。
勝てる見込みがない、という考えが少しずつ頭を離れていく。
「いや…でも全員腹痛とかは…」
「それに比べたら、後半逆転なんて全然現実的じゃん!」
「とにかく最後まで走って…結果は出てから考えりゃいーか」
そんで真司からのキスゲットだ!
という言葉は、勢いから言ってしまったものだろう。ということにして。
誰よりも微妙な顔をしているリコも、空気が変わったから良いか、と開き直っているようだった。
「行くぞ!」
「おお!」
活気が戻ってくる。まだ負けていないし、勝つ流れを持ってくることも可能だ。
皆なら、誠凛ならきっと勝てる。
(キスは…困るけど)
真司は自分の頭をかいてから再び体育館へと歩き出した。
・・・
第三クォーター、黒子は温存もかねてベンチに戻った。
誠凛はこのインターバルで活気を取り戻したものの、第二クォーターが秀徳の流れで終わっていた手前、客席は誠凛の勝利は難しいと考えている者が多いようだ。
接戦で張り合っていた時よりも、雰囲気は良くない。
実際のところ誠凛はまだ緑間のシュートを止められていない。
このままだと、その勢いのまま第三クォーターも押されてしまうだろう。
「まじぃな…いよいよ誠凛万策尽きたって感じだ」
客席で見ていた笠松が頬杖をつきながら、息を吐き出した。
正邦戦で活躍した真司はそのせいか今回は出ていない。
「なんだっけ、真司?あいつ出した方がいいんじゃないか」
今は少しでも流れを変えた方がいい。とすれば、真司の奇襲は有効的に働くはずだ。
と当然誰もが考えることを思っていた笠松の横で、何故か黄瀬は怪しげに笑っていた。
「まぁ真司っちが出てくれたらオレも嬉しいっスけど…」
「けど、なんだよ」
「まだアイツは伸びるはず…アイツの才能はこんなもんじゃないっス」
黄瀬の目線の先を追って、笠松はあぁ、と呟いた。
誠凛で一番点数を稼いでいる、火神。しかし、緑間を止めることは火神でさえ出来ていない。
「まぁ確かに…アイツはもっとやれそうではあるけどな」
「てゆーか笠松先輩!真司っちを勝手に呼び捨てにするのは無しっス」
「…」
黄瀬が一体どの程度本気なのか。は、聞かない方が身の為だろう。
森山といい…と頭の痛いことを思い出して、笠松は更に深いため息を吐いた。
一方誠凛のベンチでは。
「テツ君、気付いた?」
「はい」
真司が火神を見てぽつりと呟いた。
第三クォーターが始まってから、火神は既に何度も緑間の3Pを止めようと跳んでいる。
それが、少しずつ高くなっているのだ。
「このまま行けば…届くかも…」
「もし火神君が緑間君を止められたら、流れは変わります」
「うん…!」
それだけではなく。緑間に点を取られながらも、少しずつこちらも点を取っている。
小金井のシュートもそこそこ決まって、点差はまだ追いつける程度に留まっていた。
そして何より火神の顔つきが明らかに普段と違った。真剣で、集中していて。
「さんざ見せられたおかげで一つ見つけたぜ、テメーの弱点!」
緑間がシュートを構えて、火神が走る。幾度となく繰り返される同じパターン。
しかし、今回は火神のその手が緑間の放つボールに触れた。
「距離が長いほどタメも長くなるってことだよ!」
「何…!?」
火神のその言葉通り、どこからでも緑間はシュートを決めることが出来る。
しかし通常よりはるかにタメを必要とするのだ。
火神の手に当たりながらも放たれた緑間のシュートは、ゴールの枠にぶつかり外へと落ちていた。
「ついに緑間を止めた!」
観客を含め、まさかの展開に盛り上がる。
しかし秀徳は緑間だけではない。主将である大坪がリバウンドでカバーし、結局秀徳の点となってしまった。
大坪、秀徳の中では一番ガタイが大きい選手だ。
「そうなると…少し変えた方がいいかしら」
試合展開から判断し、リコは小金井を呼ぶと、マークの変更を伝えた。
緑間は火神に任せ、大坪を小金井と水戸部で止める作戦だ。
結果、火神は調子よく緑間のシュートを止め続けた。
相手の点を食い止め、自ら点を稼いでいく。ほとんど火神一人で点差を狭めていた。
「火神君、余りにも調子良すぎ…。なんか、怖いんだけど」
「…このままだと、マズい気がします」
「マズい?」
真司と黒子がそんな会話をしている間にも、火神が点差を詰めていて。
47対56、とうとう点差は一桁になっていた。
「テツ君、ほら追いついてきたよ!」
「…そうですね」
「テツ君…?」
既に火神が跳ぶ高さは、誰も届かない領域まで達している。この高さなら、ジャンプシュート一つでも無敵の必殺技となるだろう。
だからこそ、黒子が何をそんなに気にしてるのか分からなくて、逆に不安で。
黒子には見えていたのだろうか。
第三クォーター終了間際、緑間のシュートは止めることが出来なかった。
火神の足が動かなくなっていた。
自分は走る為に生まれてきたんだ、なんて思うこともあったくらいだ。
『真司お前、ほんっと速ぇな』
『はぁ…は、全然、ついて行けないっスよー…』
バスケじゃ全然敵わない皆が、自分の後ろをついて来る。
それに優越感を感じないはずもなく、走っていると普段に無いほど気分が高揚した。
『じゃあ、じゃあ次は1on1やろうよ!』
『や…やりたいっスけど、ちょ、ちょっと待って』
『おっし、ならオレ先!やろうぜ真司!』
そこに転がっているボールを手に取れば、気持ちが良いくらい手に吸いついて来る。大きな相手も怖くない。
そんな自信がついたのも全ては自分を認めてくれた彼のおかげだった。
『真司、随分と上手くなったな。やはりオレの目は正しかった』
『君が正しくないことなんて無いだろー』
『あぁ、そうだな』
褒めてもらえる、頭を撫でてもらえる。笑顔を見せてくれる。
彼が認めてくれるなら、もっと何でもしようと思えた。もっと強くなって、もっと使ってもらえるように。
それがキセキの世代と同じ、チームを必要としない人間になったとしても?
「…っ」
誠凛高校控え室。そう書かれた部屋の前で真司は足を止めた。
正邦との試合、恐らく誰の目から見ても真司の個人プレイだった。それを、黒子はきっと好ましく思わない。
ましてや、リベンジを志していた先輩達は。
(でも、きっと優しいから何も言わないんだ)
それが分かるから余計に悔しくて。
真司はドアノブに触れた手を一度ぎゅっと握りしめ、手の震えを残したままそれを回した。
「ちょっと!烏羽君どこ行ってたのよ!」
「わ…!」
これから力を加えるはずのドアが勝手に開かれる。
驚いて踏み込んだ先で顔を上げると、眉を吊り上げたリコが立っていた。
「…監督?」
「お手洗い行くとか言って帰ってこないし!黒子君が見に行ってもいないとか言うし!」
「あ、あの」
「心配かけさせないでよねもう!」
勢いのままリコの腕に抱き込められて。
周りを見れば先輩達も黒子も皆、真司を心配そうに見ていた。
「な、なんで…、どうしたんですか、監督…先輩達も」
「なんで!?いなくなったら心配するでしょう普通!」
「だって俺…勝手なことして、自己満足で先輩達に…」
「烏羽君…」
リコの手が真司から離れる。
独りよがりのバスケで勝利を手にした。そんなものが喜びに繋がるわけがない、知っていたのに。
「テツ君だって、幻滅したでしょ…?」
横に立っている黒子はじっと丸い目をこちらに向けたまま動かない。
嫌だ、嫌いにならないで。何か言って欲しい。
そう願っても嫌な想像ばかりが渦巻いて、真司は黒子から目を逸らし、俯いて唇を噛んだ。
「何を言っているんですか、君はいつからそんなに馬鹿になったんですか」
「え…?」
ぺち、と頬を叩く黒子の手。
恐る恐る顔を上げると、黒子が相変わらず何とも表現しがたい表情をしていて。
「君が先程の試合で力を尽くしたのは、何の為ですか」
困惑に眉を寄せて言葉を失えば、今度は優しく頭の上に日向の手が乗せられた。
「お前がどう思ってんのか知らねーけど、オレ達は感謝してるから」
「い、意味が分かりません…」
「ったく、誠凛の勝利の為に戦ってくれたんだろ?」
違うのか、そう問われれば首を横に振るしかない。
勿論、誠凛の選手として勝ちたいと思ったのに嘘偽りはない。
「…でも」
「余計なことぐちぐち考えんなよ。つか、考えるだけ無駄」
「すみませ…」
「謝んのも無し」
日向の手がグーになって真司を小突く。
分かっていたはずだ、彼等が驚くほど甘々で優しいということくらい。
真司は暫く俯いて、自分の頬を両手で覆った。
ぐちぐち考えるな、謝るな、そう言われて出来ることは。
「有難うございます…」
ぱっと顔を上げて見せるのは精一杯の笑顔。感謝も謝罪も全部全部詰め込んで。
「ん、分かればいいんだよ」
「ほら烏羽君、ちゃんと体休めなさい」
「わ、わ…っ」
ぐいぐいと引っ張られて部屋の椅子に座らされ、綺麗なタオルが頭にかけられる。
どうやら、ここでも頭を拭けと言われるらしい。
真司は自分の肩にかかるくらいの髪を掴んで、ぎゅっと引っ張った。
優しさが痛い。自惚れないように自分をそれ以上に痛めつけないとおかしくなりそうだ。
「真司」
「火神君…」
「何悩んでんのか知んねーけど、緑間の奴はオレが倒すから」
背中に回った手が真司を火神の方へと引き寄せる。
そのまま火神の胸に顔をぶつけた真司は、素直に頬を寄せて体温を感じた。
「火神君、自分だけいいとこ持っていかないで下さい」
「うっせ」
2人のやり取りに思わず笑みが零れるのは、やはりこの場所の居心地が良いからだろう。乱れていた気持ちが自然と落ち着いて行く。
何故悩んでいたことも、緑間に関係しているということも見透かされているのか分からない。
けれど、あれこれ考えるのを止めて真司は目を閉じていた。
・・・
「、おい、真司?」
ずしっと重くなった体に驚いて火神が身を引くと、真司の頭ががくりと項垂れた。
微かに聞こえる息は、寝てしまったのか安定して一定間隔で聞こえてくる。
「烏羽君、寝ちゃったんですか?」
「あぁ、そうみてぇ…」
背中を支えながら真司の体を横長の椅子に寝かせると、黒子は椅子の前で膝をついた。
目元が赤いのは、恐らく泣いていたから。自分を責めているのは、先程の試合を悔いているから。
「烏羽君が誠凛に来た理由…知ってますか?」
「あ?なんだよ急に」
「何と、ボクの後を追いかけて来たんですよ」
「はぁ…?」
この状況に見合わない、黒子の自信満々な顔。
火神は目を丸くすると同時に突発的な黒子の発言に肩をすくめた。その分かりやすい反応に黒子が小さく笑う。
「帝光中のバスケ部には唯一無二の基本理念があったんです」
「…なんだよ急に」
「勝つことが全て。そこにチームは無かったんです」
火神は黒子の話の流れを理解出来ていないようで、眉間のシワを一層深くした。
一方、薄らとそれを聞いていたリコと日向は察したようで、視線を下に落としている。
「ボクは何か欠落していると感じていました。真司君も何となく気付いていたと思います」
「その…勝つことが全てであることをか?」
「はい。だから…それを肯定していた彼等と決別したのでしょう。…好きだったのに」
黒子の細い指が真司の前髪に触れた。
こんな風に近くで触れられる日が来るとは思わなかった。自分にチャンスが訪れるなど。
優しく細められた目で、真司の姿を目に焼き付ける。
そんな黒子の横で、火神は絶句していた。
「ちょ、ちょっと待て。おま、今なんて」
「彼等と決別しました」
「そ、その、後」
「…?何か言いましたか?」
最後の一言はまさかの無意識、という時点で信憑性が増してくる。
火神は一度真司を見て、それからばっと振り返ると比較的近くにいた日向に目を向けた。聞き間違い、という可能性も否めない。
しかし、一瞬合った目は一瞬で逸らされ、その日向の目は意味も無くかなり泳いでいた。
「…あの、監督」
「な、何?」
まさか自分に声をかえられると思っていなかったリコの声が上ずる。
黒子は真司に触れていた手を引っ込めて、静かに立ち上がった。
「次の試合、烏羽君を出さないで勝ちたいです」
「あ、そのことね。勿論そのつもりよ。今の状態で試合に出れるとは思えないし」
話が切り替わった為か、リコはふうっと息を吐き出してそれぞれ体を休めているチームメイトを見回した。
元々真司を何度も試合に出すつもりは無かった。
メインの戦力は火神と黒子、そして今までやって来た二年生。真司に頼る必要はない、勝てるメンバーなのだから。
「皆!次の試合、烏羽君無しで勝つわよ!」
真司が寝ている手前声は出さずに、それでも皆力強く頷いた。
リコのマッサージを受け、それぞれ出来る限り体を暖め休憩した。
相手は恐らく正邦以上の実力を持っている、キセキの世代、緑間真太郎を獲得した秀徳高校。
時計の針は休むことなく時を刻み、気付けば試合まで後10分に迫っていた。
「烏羽君、起きて下さい。時間です」
「ん…。あれ、俺寝てた…」
「はい。もうあと10分で試合開始です」
黒子に肩を叩かれた真司の上半身がゆっくりと起き上る。
それから急に現実が襲ってきて、真司は目を大きく見開いた。
「え、もう、試合!?」
「はい。でも大丈夫ですよ、行きましょう」
黒子の手を掴んで立ち上がると、振り返ってこちらを見ていた火神が控え室のドアを開いた。
先を行く先輩達の後を続いて行く。
がっつりと睡眠に時間を要してしまった手前、完全に体は固くなってしまった。
リコがそれを許していたということは、自分は試合に出ないのだろう。
「…テツ君、火神君」
「安心してください。必ず皆で勝ちますから」
「あぁ、オレ達で勝つ」
「…うん」
黒子に手を引かれて体育館に向かう。
その間、真司は俯いたまま。申し訳なさと嬉しさとが入り混じって、どんな顔をしたら良いのか分からなかった。
・・・
体育館に入ると、既に集まる観客と相手サイドにいる秀徳により、嫌でも決勝ということを思い知らされた。今までとは雰囲気が違う。
明らかに格上の秀徳。しかし、誠凛だってここまで勝ち残ったのだ。
「…緑間君」
黒子や日向のフォローあっても、言われたことが頭の中から消えることはない。
真司はぎゅっと手を握り締め、ネガティブにならないように頭をとんとんと自分で叩いた。
「まさか、本当に勝ち上がってくるとは思わなかったのだよ」
その声は、思いの外近くで聞こえた。
驚いて顔を上げると、足音と同時に目の前に黒子が現れる。
その向こうに隠しきれない程大きな緑色の髪が。
「どんな弱小校や無名校でも皆で力を合わせれば戦える。そんなものは幻想なのだよ」
「…」
「来い、お前等の選択がいかに愚かか教えてやろう」
緑間の“お前等”という言葉に自分がくくられている事くらい察しが付く。
随分な言われ様だ。しかし、黒子も黙ってはいなかった。
「誠凛は決して弱くありません」
静かに、それでもはっきりと。
「負けません。絶対」
真司の方へ振り返った黒子の顔に、負ける等という気持ちも、緑間の言葉を肯定する気持ちも一切見られない。
「むしろ、後悔するのは緑間君の方ですよ」
「…そう言っていられるのも今のうちなのだよ」
互いに別々の方向に歩き出す。
真司の心の中からも、緑間に対する劣等感は無くなっていた。
・・・
試合は誠凛ボールでスタートした。
正邦との試合であまり活躍出来なかったこともあり、火神は早々に熱くなっている。
黒子のボールはゴールへと投げられ、それを火神がアリウープ。誠凛の先制点を誰もが予想した。
「まったく…心外なのだよ。その程度で出し抜いたつもりか?」
ゴールを潜る前に落とされたボール。予測していたかのように、緑間が火神のアリウープを叩き落としていた。
火神もさすがの黒子も意表をつかれたようで、目を丸くしている。
しかし、驚いている間も無く秀徳の攻撃に切り替わる。それを今度は誠凛が防いで、今度は誠凛の攻撃で。
「…均衡してますね」
「このままだと、先に先制点を取った方が流れを掴むわ」
「それは…かなりマズイかもです」
「え?」
リコの隣に座る真司は、今回立ちはだかるだろう緑間のことを誠凛の中では一番知っている。
緑間のシュート率がいかなるものかも。
「緑間君がフリーでシュートを放てば、外れることは無いです」
「…そうだったわね」
不安を抱いた直後、緑間がボールを手に取った。速攻だった為に、とめられる人は誰もいない。
外れる可能性を祈ることも意味を持たず、先制点は秀徳のものとなってしまった。
「流れが秀徳に傾く…」
ワッと客席も盛り上がる。
それに眉をひそめた真司の目に、黒子の不可解な動きが映った。
コートの端、黒子が構える。その視線の先には走り戻っている火神。
体に回転をかけることで勢いのついたパスが黒子から放たれ、そのボールはゴールの下にいた火神の手へ。
「すいません。そう簡単に第一クォーター獲られると困ります」
「黒子…!」
ゴールが火神の体重で軋んでいる。
コートの端から端までぶった切った黒子のパス。
まだ火神しか戻っていなかった状況での余りにも速い誠凛の攻撃に、誰もが目を疑っていた。
「…烏羽君は、あの黒子君のパス知ってた?」
「いえ、知りませんでした」
「じゃあ、緑間君も知らなかったのね。これなら、緑間君のシュートも封じられるかも」
リコは何か思い至ったようで、嬉しそうに口角を上げている。
「…どういうことです?」
「緑間君のシュートには長い滞空時間があるのよ。本来なら、その間にディフェンスに戻って速攻を防げるんだろうけど…」
「火神君が走る時間もある…ってことですか」
「そうね」
それで黒子のパスが通れば、緑間のシュートの後にはすぐに点を取り返せることになる。
その理屈は分かるが、真司は嫌な予感がしてコートに目を移動させた。
「でもそれって…あれ、テツ君にマークが」
いつの間にやらぴったりと黒子に付いている高尾。そういえば、彼のプレイをこうして見るのは初めてだ。
「やっぱねー、こーゆー形になると思ったんだわ。真ちゃん風に言うなら運命なのだよっ」
試合とはいえ、高尾のキャラクターは変わらないようで、けらけらと一人笑っている。
と思いきや、ぱっと表情が切り替わった。
「初めて会った時から思ってたんだよ。一年だし、パスさばくのがスタイルっつー同じ人種だって」
「はぁ…」
「ぶっちゃけなんつーの、同族嫌悪?お前には負けたくねーんだわ!」
おぉ、何やら黒子がすごいことを言われている。
その黒子は案の定困ったように眉を下げていて。
「…すみません、そーゆーこと言われたの初めてで…困ります」
「えー」
「けど、ボクにも似た感覚はちょっとあります」
「いーね、やる気マンマンじゃん」
タイプが真逆に見えて、同じ人種とは。
面白いことを言う人だ、と思ったのも束の間。真司の目に有り得ないものが見えた。
会話の途中とはいえ試合中。
急に試合モードに戻った黒子が高尾の前から姿をくらましてフリーになっている日向へパスを回した。
と思ったのに、その間に高尾がいて、パスが弾かれていた。
「テツ君がパス失敗…!?」
「そんなはずないわ。黒子君はいつも通り出来ていたはず…」
「じゃあ…」
左に座るリコとは反対、右に座る小金井と視線を合わせる。
小金井も驚いているようで、首を横に振っていた。
「誠凛タイムアウトです!」
ブザーと共に皆が戻ってくる。
皆、状況は分かっているようで、だからこそ表情に焦りがうかがえた。
「高尾にはオレのイーグル・アイと同じ…いや、視野の広さはオレより上のホーク・アイがある」
「つまり…ミスディレクションが効かない…」
伊月の説明に皆の視線がちら、と黒子の方へと向けられる。
その黒子は焦りというよりは悔しそうに口を尖らせていた。
「カントク、このまま行かせてくれ…ださい。黒子だってこのままやられっぱなしじゃねーだろ」
「まぁ…やっぱちょっとやです」
当の本人が諦めていない。しかし、成す術が無ければ意味がない。
「テツ君、何か出来る事あるの?」
「いえ、正直困りました。けど、出来れば第一クォーター残り三分このまま出してもらえませんか」
黒子はリコを見上げている。
次の瞬間、ブザーがタイムアウト終了を知らせた。
結局作戦も何も浮かんでいない。それでも、リコはこのまま行くと決めて同じメンバーを送り出した。
黒子はともかく、火神は勢いづいたようでシュートを一人でがんがん決めて行く。
しかも、自分で3Pを打ってから、外れたボールを自らアリウープ。どうやら火神の新技らしい。
日向もここぞというところで3Pを決めていた。
「そういえば、烏羽君タイムアウト前に何か言いかけてなかった?」
「え…あ、そうでした」
真司ははっと息を吸い込んでリコの方を向いた。
リコは不思議そうに目をぱちぱちと瞬かせている。
「あの…俺がセンターライン辺りでシュート打ったの、覚えてますよね」
「えぇ。あ、もしかしなくても緑間君も」
「いえ…俺でハーフラインですよ、緑間君はもっと…」
実際、緑間に教えてもらった真司だが、緑間が最終的にどのレベルまで達していたのかは見ていない。
だからこそ、嫌な予感は重くのしかかってきて。そして、その目で見ることになった。
「オレのシュート範囲はコート全てだ」
低い声がそう告げると同時にボールが宙に浮いた。
皆、茫然と動けずボールを目で追う。
有り得ない、なんて言葉も今は考えるだけ無駄だった。
ボールは緑間の言葉通りに、反対側のゴール下から自分のゴールへと弧を描いた。
最後まで目で追う必要もない。緑間のシュートは絶対に外れないのだ。
たとえ、どこから打ったのであっても。
第一クォーターは、秀徳に流れを持って行かれた状態で終わり、それどころか第二クォーターまで緑間のシュートに翻弄されて終わってしまった。
10分間のインターバル。
控え室に戻った誠凛のメンバーは誰一人として口を開かなかった。
明らかにペースを奪われて、皆落ち込んでいる。
その中で一人、黒子がもそもそと動き出し、ビデオを起動させた。
「黒子、何してんの?」
「前半ビデオをとってくれていたそうなので。高尾君を」
丁度黒子の隣に座っていた伊月が黒子を覗き込む。黒子の緊張感の無い声のトーンにそこだけ少し別の空間のようになって。
真司もそれに気付くと、安心してその二人に近付いた。
「テツ君、高尾君見てるんだ?何か勝算ありそう?」
「さあ?」
「さあって…。もうちょっと何か希望を感じさせてよー」
わざと軽く言ってみせるが、実際いくら勝ちたいと願っても、勝算が見えなければどうすることも出来ない。
やはり緑間は強い。それに高尾も、思っていた以上に強かった。
「まさかだったなぁ…。高尾君があんな目持ってるなんて」
「ああ。オレも驚いたよ。まさかホーク・アイを使える人間がいるとは 」
「イーグル・アイより凄いんでしたっけ?」
「烏羽…容赦ないな」
伊月と同じく良く気付く人だ、なんて考えることはあったが、普通に上手いだけでなく、特殊な機能付きとは。
伊月と同時に、二人揃ってはぁ、と息を漏らす。
すると、何を思ったか黒子がぱっと真司の方へ振り返った。
「そういえば、高尾君と親しいみたいですね」
「んー?親しいっていうか、まぁ偶然知り合う機会があったから」
「…それにしては…悔しいです」
再びビデオの方へと視線を戻した黒子が高尾を見てムッとする。
対抗心を抱くのはいいが、やはり持っている能力的に不利なのは変わらないだろう。
「そういえば、烏羽君。キスしてないです」
「……はい?」
突然の黒子の狂言に、全員の顔がばっと上がった。
真司も、真面目なことを考えていた為に思考は完全にストップ状態だ。
それを気にする様子もなく、黒子はじっと真司を見つめていた。
「正邦では、結局いい所を見せられませんでしたから…」
「あ、あぁ…何か、そんなこと言ったっけ…」
「はい。ですから、もし高尾君を振りほどくことが出来たら、キスして下さい」
淡々と放たれる言葉を茫然と聞きながら、混乱する頭の中を何とか整理する。
キスして下さい。誰から誰に。真司から、黒子に。
「ちょっと待て、黒子少し落ち着け!」
身を乗り出して伊月が突っ込むと、一斉に噤んでいた口を皆が開き出した。
「いくら秀徳が強いからって早まるな黒子!」
「黒子、いくらなんでもそれは無いって!」
「つかそれじゃ黒子だけ不公平だ!」
「そうだよ不公平…え?」
おかしな空気になっていることに気付きながらも、盛り上がりつつあるこの空気を変えるのも野暮だ。
真司はさり気なく火神に近付くと、ヘルプを訴え、火神のユニフォームをちょいと掴んだ。
「真司…それ、本当にすんのか…?」
「は、」
「き、き…す、とか…」
「(いやそれを回避する為に君に…!)」
「オレも緑間攻略すっから…」
真司に弁解の余地も与えず、それだけ言うと火神はふいっと顔を背けてしまった。
なんだろう、一人空気を読めていないのがむしろ真司であるような疎外感だ。
渋々黒子の隣に戻ると、その黒子は妙な話題を広げた癖に、しっかりと目をビデオの録画映像に向けていた。
「テツ君…勝てそう?」
「…勝ちたい、とは思いますけど、勝てるかどうかとは考えたこと無いです」
じっと大きな目で映像を焼き付けて。
それがたとえ圧倒的に強い相手だとしても、黒子は同じことを言うのだろう。
「もし100点差で負けてたとしても、残り1秒で隕石が相手ベンチを直撃するかもしれないじゃないですか」
「…う、うーん」
「だから、試合終了のブザーがなるまで、とにかく自分の出来ることを全てやりたいです」
それを聞いていた伊月は、納得しそうになってから、ん?と複雑そうな顔をした。
日向も小金井も少し想像したようで、手をぶんぶんと振っている。
「いや!落ちねーよ!」
「隕石は落ちない!」
しかし、少しずつ黒子の言葉にほだされていく。
勝てる見込みがない、という考えが少しずつ頭を離れていく。
「いや…でも全員腹痛とかは…」
「それに比べたら、後半逆転なんて全然現実的じゃん!」
「とにかく最後まで走って…結果は出てから考えりゃいーか」
そんで真司からのキスゲットだ!
という言葉は、勢いから言ってしまったものだろう。ということにして。
誰よりも微妙な顔をしているリコも、空気が変わったから良いか、と開き直っているようだった。
「行くぞ!」
「おお!」
活気が戻ってくる。まだ負けていないし、勝つ流れを持ってくることも可能だ。
皆なら、誠凛ならきっと勝てる。
(キスは…困るけど)
真司は自分の頭をかいてから再び体育館へと歩き出した。
・・・
第三クォーター、黒子は温存もかねてベンチに戻った。
誠凛はこのインターバルで活気を取り戻したものの、第二クォーターが秀徳の流れで終わっていた手前、客席は誠凛の勝利は難しいと考えている者が多いようだ。
接戦で張り合っていた時よりも、雰囲気は良くない。
実際のところ誠凛はまだ緑間のシュートを止められていない。
このままだと、その勢いのまま第三クォーターも押されてしまうだろう。
「まじぃな…いよいよ誠凛万策尽きたって感じだ」
客席で見ていた笠松が頬杖をつきながら、息を吐き出した。
正邦戦で活躍した真司はそのせいか今回は出ていない。
「なんだっけ、真司?あいつ出した方がいいんじゃないか」
今は少しでも流れを変えた方がいい。とすれば、真司の奇襲は有効的に働くはずだ。
と当然誰もが考えることを思っていた笠松の横で、何故か黄瀬は怪しげに笑っていた。
「まぁ真司っちが出てくれたらオレも嬉しいっスけど…」
「けど、なんだよ」
「まだアイツは伸びるはず…アイツの才能はこんなもんじゃないっス」
黄瀬の目線の先を追って、笠松はあぁ、と呟いた。
誠凛で一番点数を稼いでいる、火神。しかし、緑間を止めることは火神でさえ出来ていない。
「まぁ確かに…アイツはもっとやれそうではあるけどな」
「てゆーか笠松先輩!真司っちを勝手に呼び捨てにするのは無しっス」
「…」
黄瀬が一体どの程度本気なのか。は、聞かない方が身の為だろう。
森山といい…と頭の痛いことを思い出して、笠松は更に深いため息を吐いた。
一方誠凛のベンチでは。
「テツ君、気付いた?」
「はい」
真司が火神を見てぽつりと呟いた。
第三クォーターが始まってから、火神は既に何度も緑間の3Pを止めようと跳んでいる。
それが、少しずつ高くなっているのだ。
「このまま行けば…届くかも…」
「もし火神君が緑間君を止められたら、流れは変わります」
「うん…!」
それだけではなく。緑間に点を取られながらも、少しずつこちらも点を取っている。
小金井のシュートもそこそこ決まって、点差はまだ追いつける程度に留まっていた。
そして何より火神の顔つきが明らかに普段と違った。真剣で、集中していて。
「さんざ見せられたおかげで一つ見つけたぜ、テメーの弱点!」
緑間がシュートを構えて、火神が走る。幾度となく繰り返される同じパターン。
しかし、今回は火神のその手が緑間の放つボールに触れた。
「距離が長いほどタメも長くなるってことだよ!」
「何…!?」
火神のその言葉通り、どこからでも緑間はシュートを決めることが出来る。
しかし通常よりはるかにタメを必要とするのだ。
火神の手に当たりながらも放たれた緑間のシュートは、ゴールの枠にぶつかり外へと落ちていた。
「ついに緑間を止めた!」
観客を含め、まさかの展開に盛り上がる。
しかし秀徳は緑間だけではない。主将である大坪がリバウンドでカバーし、結局秀徳の点となってしまった。
大坪、秀徳の中では一番ガタイが大きい選手だ。
「そうなると…少し変えた方がいいかしら」
試合展開から判断し、リコは小金井を呼ぶと、マークの変更を伝えた。
緑間は火神に任せ、大坪を小金井と水戸部で止める作戦だ。
結果、火神は調子よく緑間のシュートを止め続けた。
相手の点を食い止め、自ら点を稼いでいく。ほとんど火神一人で点差を狭めていた。
「火神君、余りにも調子良すぎ…。なんか、怖いんだけど」
「…このままだと、マズい気がします」
「マズい?」
真司と黒子がそんな会話をしている間にも、火神が点差を詰めていて。
47対56、とうとう点差は一桁になっていた。
「テツ君、ほら追いついてきたよ!」
「…そうですね」
「テツ君…?」
既に火神が跳ぶ高さは、誰も届かない領域まで達している。この高さなら、ジャンプシュート一つでも無敵の必殺技となるだろう。
だからこそ、黒子が何をそんなに気にしてるのか分からなくて、逆に不安で。
黒子には見えていたのだろうか。
第三クォーター終了間際、緑間のシュートは止めることが出来なかった。
火神の足が動かなくなっていた。