黒バス(2012.10~2017.12)
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明常学院との試合をあっさりと終え、真司達が片付けを済ませた頃。
「さ、次の試合は上で見るわよ!」
リコが呼びかける声に皆軽く返事をして、無意識に体育館の入口の方に目を向けた。
次の試合は確実に見る価値のある試合だと皆理解している。そして、丁度その学校の選手達が入ってきた所だった。
「来たぞ、東京都三大王者の一角…東の王者、秀徳高校」
日向の声に真司はごくりと唾を飲んで、ゆっくりと足音のする方へ首を傾けた。
橙色のジャージに身を包んだ集団。堂々と背筋を伸ばして歩く姿にはやはり貫禄があって。
その中に見えた緑の髪の男に、真司は目を奪われた。
「緑間君…」
数か月会っていなかっただけ。それなのに酷く懐かしく感じる。
指に巻かれたテーピングに、その手に乗せられたクマのぬいぐるみ。しかも、ただのクマではない、格闘技をたしなむクマだ。
相変わらず、おは朝はどんなラッキーアイテムを告げているのだろう。そう考えると少し込み上げる笑いが口元を歪ませた。
「…真司?何変な顔してんだ」
「え、あ、はは。ちょっと、思い出し笑い?」
「はぁ…?」
明らかに不可解なものを見る目で火神が真司を見下ろす。
それを見て見ぬフリして緑間を見ていると、火神が思案するかのような息を漏らした。
「…あいつが緑間か」
「うん」
「ちょっとルーキー同士挨拶してくるわ」
「うん…え?」
一瞬火神の言葉を理解出来なくて。はっとして目で追うと、火神は体育館の中に入ってきたばかりの彼等に近付いていた。
「よう、オマエが緑間真太郎だろ?」
「…そうだが、誰なのだよ君は?」
真っ直ぐに緑間に向かった火神が声をかけて、緑間は怪訝そうに目を細めて振り返った。
久しぶりに聞いた緑間の声。低くて、トゲがあって、それでいて少し甘い。
二人のやりとりは良く分からないが、見るからに相容れないタイプの二人に見える。
その予想通りに何やら緑間の怒っている声が聞こえるが、どうやら火神が自己紹介に緑間の手のひらに名前を書いたとか。
「センパイ達のリベンジ、きっちりさせてもらうからな。覚えといてもらわねーと」
「ふん、リベンジ?ずいぶんと無謀なことを言うのだな」
「あ?」
火神の行動もどうかと思うところだが、緑間の物言いも相変わらずきつい。
なんて物思いにふけってる場合でもないのだ。今、緑間は誠凛をかなり見下した。
「(緑間君はやっぱり…端から俺達は勝てないと思ってるんだ)」
「よっ!」
少しイラッとしかけたところ、真司は肩に乗った手にびくっと体を震わせた。
首を声の方に向けると、そこには黒い髪を真ん中で分けた秀徳の選手が立っている。
「え…?」
「なーんだよその顔!もしかして、オレのこと覚えてない感じ?」
「えっと…?」
軽い口調は本人の性格をそのまま表しているようで、真司の肩のぐるっと腕が回された。
「“またね”って言ってたじゃん。ようやくその日が来たんだぜ?」
「え」
「雨の日、一緒に傘さした仲じゃんよぉ…」
がっかり、とワザとらしく頭を真司の肩に埋めてくる。
秀徳に知り合いがいた記憶はないが、そういえば見覚えがある気もしなくもない。
「雨の日…」
「そう!占いによる運命の出会いしただろ?」
そういえば、その日出会った少年に家まで送ってもらったことがあったような。
同い年でバスケ部に所属していると言った少年。きっとまた会える、そう交わした会話。
「…あ」
「お!思い出した!?」
「えっと…あの時の、あの」
「高尾!高尾和成!」
「そう、高尾君だ!」
ふと蘇った記憶に、真司は緊張して引きつっていた顔を緩めた。
バスケ部と聞いてはいたが、まさか秀徳で、しかもレギュラーとして出てくるような人だったなんて。
隠せない驚きに目を丸くしつつ、真司は再び緑間に視線を戻した。
「真ちゃんが気になる?」
「し、真ちゃん…?」
「あ、緑間のことな!真ちゃんも、真司のこと相当気にしてたんだぜ」
「高尾!余計なことを言うな。というか、くっ付きすぎなのだよ!」
どこに反応したか、急に緑間の顔が真司の方へ向く。初めて、帝光中卒業以来しっかりと目が合った気がする。
思わずどきっとするのは懐かしさか、愛しさか、はたまた緊張か。
緑間は頭を軽く横に振って溜め息を吐き、そしてくいっと指で眼鏡を押し上げた。
「言っておくが、誠凛は去年決勝リーグで三大王者全てにトリプルスコアで負けている」
決勝リーグ。トーナメントで上り詰めた四校が総当たりで試合を行う。そして、三校がインターハイへの切符を手に入れることになる。
ここ数年、選ばれるのは決まって東の王者秀徳、西の王者泉真館、北の王者正邦。この三校だとは聞いていたが。
「トリプルスコア…?」
「息を巻くのは勝手だが、仮に決勝で当たっても歴史は繰り返されるだけだ」
冷たい声だ。緑間の視線は真司から逸らされ、再び火神に向けられている。
後ろで、先輩達が息を呑んだのは、緑間の言ったことが事実だからだろう。
分かっていたことだ。誠凛を選ぶということが、彼等を敵に回すということくらい。黄瀬でも思い知ったというのに、真司はやはり切なくなって俯いた。
「緑間君」
重くなった空気に、黒子の柔らかい声が響いた。
「過去の結果で出来るのは予想までです。勝負はやってみなければ分からないと思います」
「…黒子」
いつの間に手から転がったのか、緑間の持っていたクマをぬいぐるみを黒子が拾い上げる。
それを受け取った緑間はやはり冷たい視線を黒子に向けていた。
「やはりお前は気に食わん。そして、黒子について行った烏羽も」
「緑間君、俺は…!」
「こうして話していても意味などない。証明したいことがあるのなら、まず決勝まで上がってこい」
緑間はそれだけ言うと秀徳のメンバーが集まる方へと戻っていく。
その背中にかける言葉は、もう見つからなかった。
はっきりと空けられた距離。
それを受け入れるしかない現状をぼんやりと眺めて、きゅっと唇を噛む。その唇に細い指先がちょんと触れた。
「んな顔すんなって。真ちゃんツンデレなだけだからさ」
「…それは…確かに」
「じゃな、決勝で会えることを期待してんぜ」
高尾がニッと笑って、ひらひらと手を振り去って行く。
真司もそれに合わせてベンチの方へと戻って行った。
バッグを持って移動する準備の出来ている先輩達と目が合う。心なしか険しいのは緑間が突きつけた事実のせいか。
「すみません、お待たせしてしまって」
「いや、構わねーよ。旧友なんだろ?」
「…はい」
日向のどこか目を逸らしたような言い方に、申し訳なくなる。
先輩達だって過去から目を逸らしているわけではないのだ。過去を乗り越えていく為に。
事実は事実として受け止め、今はただ先輩達について行くしかない。
真司は後ろ髪引かれる思いを振り払って荷物を手に取った。
秀徳対錦佳。結果は153対21、秀徳の圧勝だった。
明らかに上手いバスケ、ミスの無い動き。更には絶対的スコアラーの存在。
秀徳はどこを取ってもチームとして出来上がっていた。
「緑間は100発100中だったな」
試合が終わって、火神がため息交じりに呟いた。
今更驚くところでもなければ、気にするようなことでもない緑間のシュートの成功率。
調子が良かったのだろうと推測する火神に、真司はぽつりとその現実を突きつけた。
「緑間君は、外さないよ」
「あ?」
「緑間君がシュートを外したところなんて、一度も見たことない」
「…そんなこと、有り得んのかよ…?」
真司の言葉に、黒子も火神の隣で頷いている。
火神は信じられないといった様子で目を見開き、視線を緑間へと移した。
「絶対に外さねーのか?」
「フォームを崩されない限りは絶対、ですね」
試合後で流れる汗を拭ってはいるが、息は乱れていない。
偶然か、視線を感じでもしたのか、その緑間の目も真司達の方へ向いた。
格下の相手だったとはいえ、緑間の表情は余りにも冷めきっている。
それでいて、まだ実力を出し切っていないのは間違いない。
「…緑間君、やっぱり強くなってるね」
「君でもそう思いますか」
「うん。でも、何か違和感っていうか…まだ何か隠してるんじゃないかな」
「…そうですね」
こんなに見える距離にいるのに、緑間の考えていることが分からないなんて。交差する目線にも、あの頃の優しさはない。
(でも、これでいい。優しくされたら揺らいじゃうから…)
それでも、むず痒い気持ちが治まらないのは、今でも緑間への気持ちが変わっていないからだろう。
「…」
「烏羽君、大丈夫ですか?」
「え?あ、何?」
「緑間君のこと、気になりますか」
間に挟まれている火神が不思議そうにしている。
気になるか、なんて当然だ。勿論、火神はそういう意味だとは思っていないだろうが。
「さ、皆移動するわよー」
ぱんぱんっと軽くリコが手を叩いて、真司は胸を撫で下ろし立ち上がった。
黒子には悪いが、この手の話は余り口にしたいものではない。
「テツ君、行こう」
「…はい」
質問への返答が無い事に不服そうにしながらも、真司に続いて黒子も席を立った。
去り際にもう一度、今度は視線の合わない緑間の姿を確認する。
久しぶり、とは言ってもたった二ヶ月、三ヶ月程度の話。離れていた期間に対し、ここまで懐かしく感じるのは、会いたかったからなのだろう。
「…緑間君に勝って、それでちゃんと話すよ」
「烏羽君」
「その為には次の試合に勝たなきゃね」
「そうですね」
ニッと笑い合って先輩達の後を続く。
黒子や火神、先輩達がいればきっと勝てる。そう信じて真司は数時間後再び試合をする体育館を去った。
しかし、そう易々と先に進むことは出来なかった。
五回戦、対白稜高校。
今までの試合の調子から、苦戦せずに勝利すると思われていた。
しかし、結果は89対87。
一日に二試合という事実は、じわじわと皆の体を蝕んでいたようだ。
クラッチタイムに入った日向の一喝が無ければ負けていたかもしれない。
それほど一人一人が疲労によって体力もバスケの精度も削られていた。
・・・
「はぁ…」
腕を伸ばして盛大な欠伸をかます。
試合が行われたその翌日。バスケの試合だけでも相当の疲労だというのに、普通に学校があるなんて苦痛でしかない。
(体力には自信あるんだけどなぁ)
真司でこれほどとなると、黒子では余程のものなのではなかろうか。
別のクラスにいる黒子を心配しつつ、眠気に負けて目を閉じる。
「…」
夜はしっかり寝ているのに、窓際の太陽が当たる席で眠気が治まらない。
このまま寝てもいいかな、なんて。一人の昼休み、パンを握り締めたまま腕に頬を預ける。
ぽわぽわと意識は次第に浮かんで行った。
・・・
・・
・
静まり返っている部室にただ一人。
辺りを一周見渡して、真司はゆっくりと椅子に腰かけた。
少し汗臭いのも、空気が悪いのも、嫌いじゃない。むしろ慣れ親しんだこの場所は真司にとって大好きな場所となっていた。
「やはりここにいたか」
キィ…という重い音と共に軽い足音が近付いてくる。
どうしてここに居る事がバレたのだろう。なんて事を一瞬考えて、それでも勝る嬉しさに真司はふっと笑みをこぼした。
「緑間君はなんでここに?」
「台詞から察しろ。お前を探していたのだよ」
「…どうして?」
「どうして?聞かなければ分からないのか」
足音は軽いのに、錘でも付けているかのように足取りは重い。
緑間は真司の隣まで来ると、そのまま腰かけ真司の頬を撫でた。
「卒業、しちゃったね」
「そうだな」
「短かった、すごく。もっと早く気付いてくれたら良かったのに…もっと前から…」
一年の時からバスケをしていた彼等とは違う。
真司は二年になって、ようやく存在を認められた。バスケなんて興味の無いものを始める切っ掛けを与えられた。
「緑間君のことは結構前から知ってたんだけどなぁ…」
「その話はやめろ」
「はは、結局俺に勝てなかったもんね」
「…」
「俺も赤司君に一回も勝てなかった…」
一回くらいは。そんな奇跡を信じていた頃もあった。
昔の話でもないのに、懐かしさと寂しさが込み上げるのは最後だからだ。もう、点数で張り合うことも、この部室で汗を拭くことも無い。
「烏羽、何故赤司について行く道を選ばなかった?」
「えぇ?どうしたの」
「お前にとって赤司は…特別だっただろう」
「…」
言葉を選んでいるのか、言葉が多少引っかかりながら出てくる。
何故そんなことを聞いてくるのだろう。緑間の真意が見えず、真司は立ち上がりロッカーの前まで移動した。
触れるロッカーは、以前真司が使っていたものだ。今は他の者の私物が入っている。
「…赤司君だけを選ぶってのは…俺には無理だったと思うよ」
「何故なのだよ」
「はぁ?それ聞く?」
軽く笑いながら振り返ろうとした真司の手を緑間の手が掴み取った。
とんっと背中にぶつかったのは緑間の体だ。
「…緑間君?」
「オレは、お前に触れられる機会があるならばそれで良いと…。特別である必要は無いと思っていた」
「…」
「今は、お前の唯一であれなかったことを…後悔しているのだよ」
背中に触れている体温が熱い。握られている手には汗が滲んで、緑間の緊張が直接肌から伝わってくる。
緑間がこんなに自らの気持ちを言ってくれることなど、今まであったろうか。
「好き」「愛している」そんな言葉よりもずっと、真司の心の中へと入ってきて掻き乱していく。
「唯一…か。考えたことも無かったな…」
「仕方ないのだよ。それは、赤司がそうさせたのだから」
「そんなの…」
おかしい。なんて、言えた立場には無い。
ただ緑間の胸の痛みが鼓動として真司の中に流れ込んでくるのが辛くて、真司はゆっくりと体を緑間の方へと向けた。
かたん、と背中がロッカーにぶつかる。
目の前には、潤んだ目をした緑間の顔。
「緑間君…」
「触れていいか?」
「うん」
頬をなぞる緑間の手に真司の手が重なる。何度繰り返しても緊張する行為に胸が高鳴って、おかしくなりそうなくらい顔に熱がたまって。
軽く触れて離れた唇に、真司は小さく笑った。
「ふふ、本当に触れるだけなんだ」
「煩いのだよ」
「んっ…」
今度は覆いかぶさるように重なり合う。
真司もそれに応えるように腕を緑間の首に回して、しがみ付いた。
本当は、離れ難い。明日からこうして簡単に会うことが出来ないと思うと寂しい。
しかし、それ以上に今は掴み取りたいものがあるから。真司はこれが最後と言い聞かせて緑間に心を寄せていた。
・・・
・・
・
「烏羽君?」
耳を掠めた声と背中を叩いた手に、真司は机に突っ伏していた体をがばっと起き上らせた。
頭がぼうっとする。顔を横に向けると、覗き込むようにしている黒子の姿があった。
「あれ、テツ君…」
「おはようございます。やっぱり君も疲れていたんですね」
「あー…俺、がっつり寝てた。今って何?」
「放課後です」
黒板に残っている午後の授業の形跡。
誰も残っていない教室は、既に今日の終わりを示していた。それに対し真司の記憶は昼休みで途切れている。
「何これ…誰も俺のこと起こさなかったんだ」
「普段の行いがいいからでしょう」
「いやいや…」
寝ていても勉強できるから、と放置してくれたのか。それとも単純に友人がいないせいか。
後者かな。だからどうということは無いが、さすがに少し虚しくなる。
真司は口を手で覆って大きな欠伸をしてから、椅子を引いて立ち上がった。
「部活、行きましょう。今日はDVDを見て研究するみたいですよ」
「秀徳?」
「その前の正邦だと思います」
「正邦…」
まだ秀徳と戦えると決まったわけではない。
それなのに秀徳の、緑間の事ばかり考えてしまう。
妙にぼんやりとしているのも、さっきまで見ていた夢が、恐らく忘れられない記憶だからだろう。
「…夢に見るくらい許されるかな」
「何か、夢を見ていたんですか?」
「あ、はは。うん、ちょっと」
最後に緑間と触れ合った卒業の日。忘れたくても忘れられないし、そもそも忘れるつもりもない。
我ながら、ここまで溺れきっておいてよく敵対出来たものだ。
額を押さえて首を横に振ると、黒子が不安そうに眉を寄せて真司の背中を撫でた。
「烏羽君…大丈夫ですか?」
「え、うん」
「あまり無茶はしないで下さいね」
「してないよー、無茶なんて」
へらっと笑って眠気の残る目を擦れば、手を濡らすものに気が付いて。
(…涙?)
欠伸はしたかもしれないが、多分違う。
寝ながら零していたのかもしれない。原因は考えなくとも分かるが、それを口にしてしまいたくはなかった。
「あ、もう時間過ぎてるじゃん!急ごうテツ君!」
「…はい」
こんな自分に付き合ってくれている黒子に申し訳ない。
真司は考えないように黒子の手を取った。今は黒子と共に皆と戦う、その意志を確かに胸に抱いて。
・・・
黒子は体育館ではなく、真っ直ぐに視聴覚室へと向かって行った。
どうやら先ほど言っていた、DVDで研究というのは本当らしい。これから皆で相手チームの試合を観るのだろう。
「烏羽君連れて来ました」
がらがらと横開きのドアを開けて入ると、皆が揃って席についている。
小さく頭を下げて、真司もすぐに黒子と共に席に着いた。
「珍しいな、烏羽が用も無く遅刻してくるなんて」
「す、すみません…」
座った席の前にいた伊月が上半身だけで振り返る。
責めるつもりで言ったのではないのだろうが、真司の頭はしゅんと垂れ下がった。
恥ずかしい、寝ていたなんて。
「黒子が呼びに行かないと来ない、なんて。一体何があったんだ?」
「えっと、ですね。それは…」
「寝てたな?」
「え!」
ぱっと顔を上げると、伊月は何もかも見透かしたような目で真司をじっと見ている。
何故バレた。まさかイーグルアイはそんな事にも使えるのか。
ぐるぐる廻る疑問を口にする前に、伊月の手が真司の頭の上に乗せられた。
「なんで分かったかって言いたそうだな?寝癖ついてるぞ」
「っ!す、すみません…」
「全く、烏羽は可愛いなぁ」
「そこ!いちゃいちゃしてないで前向く!」
伊月にくしゃくしゃと撫でられた髪は更に四方八方に広がって。リコの一喝で前を向いてしまった伊月の代わりに、隣に座った黒子が真司の髪を直してくれた。
「分かってると思うけど、正邦の試合を見るわよ。ただ見るだけじゃなくて、分析すること!」
DVDの読み込み音が微かに耳まで届く。
勉強以外で頭を使うのは苦手なのだが。そんなことを考えつつも、モニターに映像が映し出されると、真司も黙ってその画面にくぎ付けになった。
映像を見た印象としては、坊主の選手のディフェンスがしつこいという事。そして、動きに違和感があるという事。
ただ、それが無くとも誠凛より実力があるのは確かに見えた。
「ボク、あの坊主の人知ってます」
「え、そうなの?」
「帝光中での練習試合で…対戦したことがあります」
黒子は少し気になることがあるのか、眉間にシワを寄せている。
一方、火神は黒子の言葉に気になるところがあったのか、怪訝そうに真司を見た。
「真司、お前も帝光中バスケ部だったんだろ?」
「え…いや、俺はレギュラーじゃなかったからさ」
「の割には黒子とも黄瀬とも…あと緑間もお前のこと気にしてたけど」
「まぁ、それはそれとして…」
真司の曖昧な答えに、火神が尚更不思議そうに唇を尖らせる。
とはいえ、今は真司のことなど大した問題ではない。気になるのは黒子の言った坊主の選手だ。
「テツ君、覚えてたってことは、それなりに印象に残る選手だったってことだよね?」
「まぁ、そうですね。当時始めて間もないとはいえ、黄瀬君を止めた人ですから」
ということは、二年の春から夏にかけての間、といった頃か。
無意識に試合した時期を考えた真司は、じわじわと湧き上がる驚きに目を見開いた。
「黄瀬君を止めた…?」
「はい。当時のノルマ、一人20点を黄瀬君はその日達成出来ませんでした」
まずそのノルマをどうかと思うが。
当時から黄瀬の実力は確かなものだった。それを止めるということは、やはり正邦のディフェンスは相当のものとなっていることだろう。
それを聞いた先輩達も、映像と共に圧倒的な相手だと認識したのだろう。
特に小金井なんてげっそりとしている。
それでも、リコは力強く言ってみせた。
「ハッキリ言って、正邦、秀徳とも10回やって9回負けるわ。でもその1回を持って来ればいいのよ」
無茶を言っている、しかし不可能なことを言ってはいない。勝てる可能性はゼロではないのだ。
「監督」
「ん?どしたの、烏羽君」
「正邦のディフェンス、俺の足でも突破は難しいんですか」
余りに自信過剰な台詞だったかもしれない。
だとしても、真司はその可能性があると思った。
「今までの相手とはタイプが違うのは確かだから、何とも言えないわ」
「…そう、ですか」
「でも烏羽君なら。私はそう思ってる」
リコが信頼の笑みをこちらに向けてくる。
そうだ。新協相手の時だって、リコは真司を信頼して任せてくれた。
その期待に応えるのが、真司のすべき役割なのだ。
「確かに…烏羽君なら何とか出来てしまうかもしれませんね」
「テツ君」
「君は、いつも壁には強かったですから」
目を細めて笑う黒子は相変わらず綺麗で。
思わず言葉を失って見惚れそうになりながら、真司は強く頷いた。
もし戦わせてもらえるのなら、その時は何が何でも越えてみせよう。
その日、正邦に対してどう挑むか、その方針は確かに固まった。
あとは本番のその時まで少しでも分析していくか。それしか彼等に出来る事は残っていなかった。
「さ、次の試合は上で見るわよ!」
リコが呼びかける声に皆軽く返事をして、無意識に体育館の入口の方に目を向けた。
次の試合は確実に見る価値のある試合だと皆理解している。そして、丁度その学校の選手達が入ってきた所だった。
「来たぞ、東京都三大王者の一角…東の王者、秀徳高校」
日向の声に真司はごくりと唾を飲んで、ゆっくりと足音のする方へ首を傾けた。
橙色のジャージに身を包んだ集団。堂々と背筋を伸ばして歩く姿にはやはり貫禄があって。
その中に見えた緑の髪の男に、真司は目を奪われた。
「緑間君…」
数か月会っていなかっただけ。それなのに酷く懐かしく感じる。
指に巻かれたテーピングに、その手に乗せられたクマのぬいぐるみ。しかも、ただのクマではない、格闘技をたしなむクマだ。
相変わらず、おは朝はどんなラッキーアイテムを告げているのだろう。そう考えると少し込み上げる笑いが口元を歪ませた。
「…真司?何変な顔してんだ」
「え、あ、はは。ちょっと、思い出し笑い?」
「はぁ…?」
明らかに不可解なものを見る目で火神が真司を見下ろす。
それを見て見ぬフリして緑間を見ていると、火神が思案するかのような息を漏らした。
「…あいつが緑間か」
「うん」
「ちょっとルーキー同士挨拶してくるわ」
「うん…え?」
一瞬火神の言葉を理解出来なくて。はっとして目で追うと、火神は体育館の中に入ってきたばかりの彼等に近付いていた。
「よう、オマエが緑間真太郎だろ?」
「…そうだが、誰なのだよ君は?」
真っ直ぐに緑間に向かった火神が声をかけて、緑間は怪訝そうに目を細めて振り返った。
久しぶりに聞いた緑間の声。低くて、トゲがあって、それでいて少し甘い。
二人のやりとりは良く分からないが、見るからに相容れないタイプの二人に見える。
その予想通りに何やら緑間の怒っている声が聞こえるが、どうやら火神が自己紹介に緑間の手のひらに名前を書いたとか。
「センパイ達のリベンジ、きっちりさせてもらうからな。覚えといてもらわねーと」
「ふん、リベンジ?ずいぶんと無謀なことを言うのだな」
「あ?」
火神の行動もどうかと思うところだが、緑間の物言いも相変わらずきつい。
なんて物思いにふけってる場合でもないのだ。今、緑間は誠凛をかなり見下した。
「(緑間君はやっぱり…端から俺達は勝てないと思ってるんだ)」
「よっ!」
少しイラッとしかけたところ、真司は肩に乗った手にびくっと体を震わせた。
首を声の方に向けると、そこには黒い髪を真ん中で分けた秀徳の選手が立っている。
「え…?」
「なーんだよその顔!もしかして、オレのこと覚えてない感じ?」
「えっと…?」
軽い口調は本人の性格をそのまま表しているようで、真司の肩のぐるっと腕が回された。
「“またね”って言ってたじゃん。ようやくその日が来たんだぜ?」
「え」
「雨の日、一緒に傘さした仲じゃんよぉ…」
がっかり、とワザとらしく頭を真司の肩に埋めてくる。
秀徳に知り合いがいた記憶はないが、そういえば見覚えがある気もしなくもない。
「雨の日…」
「そう!占いによる運命の出会いしただろ?」
そういえば、その日出会った少年に家まで送ってもらったことがあったような。
同い年でバスケ部に所属していると言った少年。きっとまた会える、そう交わした会話。
「…あ」
「お!思い出した!?」
「えっと…あの時の、あの」
「高尾!高尾和成!」
「そう、高尾君だ!」
ふと蘇った記憶に、真司は緊張して引きつっていた顔を緩めた。
バスケ部と聞いてはいたが、まさか秀徳で、しかもレギュラーとして出てくるような人だったなんて。
隠せない驚きに目を丸くしつつ、真司は再び緑間に視線を戻した。
「真ちゃんが気になる?」
「し、真ちゃん…?」
「あ、緑間のことな!真ちゃんも、真司のこと相当気にしてたんだぜ」
「高尾!余計なことを言うな。というか、くっ付きすぎなのだよ!」
どこに反応したか、急に緑間の顔が真司の方へ向く。初めて、帝光中卒業以来しっかりと目が合った気がする。
思わずどきっとするのは懐かしさか、愛しさか、はたまた緊張か。
緑間は頭を軽く横に振って溜め息を吐き、そしてくいっと指で眼鏡を押し上げた。
「言っておくが、誠凛は去年決勝リーグで三大王者全てにトリプルスコアで負けている」
決勝リーグ。トーナメントで上り詰めた四校が総当たりで試合を行う。そして、三校がインターハイへの切符を手に入れることになる。
ここ数年、選ばれるのは決まって東の王者秀徳、西の王者泉真館、北の王者正邦。この三校だとは聞いていたが。
「トリプルスコア…?」
「息を巻くのは勝手だが、仮に決勝で当たっても歴史は繰り返されるだけだ」
冷たい声だ。緑間の視線は真司から逸らされ、再び火神に向けられている。
後ろで、先輩達が息を呑んだのは、緑間の言ったことが事実だからだろう。
分かっていたことだ。誠凛を選ぶということが、彼等を敵に回すということくらい。黄瀬でも思い知ったというのに、真司はやはり切なくなって俯いた。
「緑間君」
重くなった空気に、黒子の柔らかい声が響いた。
「過去の結果で出来るのは予想までです。勝負はやってみなければ分からないと思います」
「…黒子」
いつの間に手から転がったのか、緑間の持っていたクマをぬいぐるみを黒子が拾い上げる。
それを受け取った緑間はやはり冷たい視線を黒子に向けていた。
「やはりお前は気に食わん。そして、黒子について行った烏羽も」
「緑間君、俺は…!」
「こうして話していても意味などない。証明したいことがあるのなら、まず決勝まで上がってこい」
緑間はそれだけ言うと秀徳のメンバーが集まる方へと戻っていく。
その背中にかける言葉は、もう見つからなかった。
はっきりと空けられた距離。
それを受け入れるしかない現状をぼんやりと眺めて、きゅっと唇を噛む。その唇に細い指先がちょんと触れた。
「んな顔すんなって。真ちゃんツンデレなだけだからさ」
「…それは…確かに」
「じゃな、決勝で会えることを期待してんぜ」
高尾がニッと笑って、ひらひらと手を振り去って行く。
真司もそれに合わせてベンチの方へと戻って行った。
バッグを持って移動する準備の出来ている先輩達と目が合う。心なしか険しいのは緑間が突きつけた事実のせいか。
「すみません、お待たせしてしまって」
「いや、構わねーよ。旧友なんだろ?」
「…はい」
日向のどこか目を逸らしたような言い方に、申し訳なくなる。
先輩達だって過去から目を逸らしているわけではないのだ。過去を乗り越えていく為に。
事実は事実として受け止め、今はただ先輩達について行くしかない。
真司は後ろ髪引かれる思いを振り払って荷物を手に取った。
秀徳対錦佳。結果は153対21、秀徳の圧勝だった。
明らかに上手いバスケ、ミスの無い動き。更には絶対的スコアラーの存在。
秀徳はどこを取ってもチームとして出来上がっていた。
「緑間は100発100中だったな」
試合が終わって、火神がため息交じりに呟いた。
今更驚くところでもなければ、気にするようなことでもない緑間のシュートの成功率。
調子が良かったのだろうと推測する火神に、真司はぽつりとその現実を突きつけた。
「緑間君は、外さないよ」
「あ?」
「緑間君がシュートを外したところなんて、一度も見たことない」
「…そんなこと、有り得んのかよ…?」
真司の言葉に、黒子も火神の隣で頷いている。
火神は信じられないといった様子で目を見開き、視線を緑間へと移した。
「絶対に外さねーのか?」
「フォームを崩されない限りは絶対、ですね」
試合後で流れる汗を拭ってはいるが、息は乱れていない。
偶然か、視線を感じでもしたのか、その緑間の目も真司達の方へ向いた。
格下の相手だったとはいえ、緑間の表情は余りにも冷めきっている。
それでいて、まだ実力を出し切っていないのは間違いない。
「…緑間君、やっぱり強くなってるね」
「君でもそう思いますか」
「うん。でも、何か違和感っていうか…まだ何か隠してるんじゃないかな」
「…そうですね」
こんなに見える距離にいるのに、緑間の考えていることが分からないなんて。交差する目線にも、あの頃の優しさはない。
(でも、これでいい。優しくされたら揺らいじゃうから…)
それでも、むず痒い気持ちが治まらないのは、今でも緑間への気持ちが変わっていないからだろう。
「…」
「烏羽君、大丈夫ですか?」
「え?あ、何?」
「緑間君のこと、気になりますか」
間に挟まれている火神が不思議そうにしている。
気になるか、なんて当然だ。勿論、火神はそういう意味だとは思っていないだろうが。
「さ、皆移動するわよー」
ぱんぱんっと軽くリコが手を叩いて、真司は胸を撫で下ろし立ち上がった。
黒子には悪いが、この手の話は余り口にしたいものではない。
「テツ君、行こう」
「…はい」
質問への返答が無い事に不服そうにしながらも、真司に続いて黒子も席を立った。
去り際にもう一度、今度は視線の合わない緑間の姿を確認する。
久しぶり、とは言ってもたった二ヶ月、三ヶ月程度の話。離れていた期間に対し、ここまで懐かしく感じるのは、会いたかったからなのだろう。
「…緑間君に勝って、それでちゃんと話すよ」
「烏羽君」
「その為には次の試合に勝たなきゃね」
「そうですね」
ニッと笑い合って先輩達の後を続く。
黒子や火神、先輩達がいればきっと勝てる。そう信じて真司は数時間後再び試合をする体育館を去った。
しかし、そう易々と先に進むことは出来なかった。
五回戦、対白稜高校。
今までの試合の調子から、苦戦せずに勝利すると思われていた。
しかし、結果は89対87。
一日に二試合という事実は、じわじわと皆の体を蝕んでいたようだ。
クラッチタイムに入った日向の一喝が無ければ負けていたかもしれない。
それほど一人一人が疲労によって体力もバスケの精度も削られていた。
・・・
「はぁ…」
腕を伸ばして盛大な欠伸をかます。
試合が行われたその翌日。バスケの試合だけでも相当の疲労だというのに、普通に学校があるなんて苦痛でしかない。
(体力には自信あるんだけどなぁ)
真司でこれほどとなると、黒子では余程のものなのではなかろうか。
別のクラスにいる黒子を心配しつつ、眠気に負けて目を閉じる。
「…」
夜はしっかり寝ているのに、窓際の太陽が当たる席で眠気が治まらない。
このまま寝てもいいかな、なんて。一人の昼休み、パンを握り締めたまま腕に頬を預ける。
ぽわぽわと意識は次第に浮かんで行った。
・・・
・・
・
静まり返っている部室にただ一人。
辺りを一周見渡して、真司はゆっくりと椅子に腰かけた。
少し汗臭いのも、空気が悪いのも、嫌いじゃない。むしろ慣れ親しんだこの場所は真司にとって大好きな場所となっていた。
「やはりここにいたか」
キィ…という重い音と共に軽い足音が近付いてくる。
どうしてここに居る事がバレたのだろう。なんて事を一瞬考えて、それでも勝る嬉しさに真司はふっと笑みをこぼした。
「緑間君はなんでここに?」
「台詞から察しろ。お前を探していたのだよ」
「…どうして?」
「どうして?聞かなければ分からないのか」
足音は軽いのに、錘でも付けているかのように足取りは重い。
緑間は真司の隣まで来ると、そのまま腰かけ真司の頬を撫でた。
「卒業、しちゃったね」
「そうだな」
「短かった、すごく。もっと早く気付いてくれたら良かったのに…もっと前から…」
一年の時からバスケをしていた彼等とは違う。
真司は二年になって、ようやく存在を認められた。バスケなんて興味の無いものを始める切っ掛けを与えられた。
「緑間君のことは結構前から知ってたんだけどなぁ…」
「その話はやめろ」
「はは、結局俺に勝てなかったもんね」
「…」
「俺も赤司君に一回も勝てなかった…」
一回くらいは。そんな奇跡を信じていた頃もあった。
昔の話でもないのに、懐かしさと寂しさが込み上げるのは最後だからだ。もう、点数で張り合うことも、この部室で汗を拭くことも無い。
「烏羽、何故赤司について行く道を選ばなかった?」
「えぇ?どうしたの」
「お前にとって赤司は…特別だっただろう」
「…」
言葉を選んでいるのか、言葉が多少引っかかりながら出てくる。
何故そんなことを聞いてくるのだろう。緑間の真意が見えず、真司は立ち上がりロッカーの前まで移動した。
触れるロッカーは、以前真司が使っていたものだ。今は他の者の私物が入っている。
「…赤司君だけを選ぶってのは…俺には無理だったと思うよ」
「何故なのだよ」
「はぁ?それ聞く?」
軽く笑いながら振り返ろうとした真司の手を緑間の手が掴み取った。
とんっと背中にぶつかったのは緑間の体だ。
「…緑間君?」
「オレは、お前に触れられる機会があるならばそれで良いと…。特別である必要は無いと思っていた」
「…」
「今は、お前の唯一であれなかったことを…後悔しているのだよ」
背中に触れている体温が熱い。握られている手には汗が滲んで、緑間の緊張が直接肌から伝わってくる。
緑間がこんなに自らの気持ちを言ってくれることなど、今まであったろうか。
「好き」「愛している」そんな言葉よりもずっと、真司の心の中へと入ってきて掻き乱していく。
「唯一…か。考えたことも無かったな…」
「仕方ないのだよ。それは、赤司がそうさせたのだから」
「そんなの…」
おかしい。なんて、言えた立場には無い。
ただ緑間の胸の痛みが鼓動として真司の中に流れ込んでくるのが辛くて、真司はゆっくりと体を緑間の方へと向けた。
かたん、と背中がロッカーにぶつかる。
目の前には、潤んだ目をした緑間の顔。
「緑間君…」
「触れていいか?」
「うん」
頬をなぞる緑間の手に真司の手が重なる。何度繰り返しても緊張する行為に胸が高鳴って、おかしくなりそうなくらい顔に熱がたまって。
軽く触れて離れた唇に、真司は小さく笑った。
「ふふ、本当に触れるだけなんだ」
「煩いのだよ」
「んっ…」
今度は覆いかぶさるように重なり合う。
真司もそれに応えるように腕を緑間の首に回して、しがみ付いた。
本当は、離れ難い。明日からこうして簡単に会うことが出来ないと思うと寂しい。
しかし、それ以上に今は掴み取りたいものがあるから。真司はこれが最後と言い聞かせて緑間に心を寄せていた。
・・・
・・
・
「烏羽君?」
耳を掠めた声と背中を叩いた手に、真司は机に突っ伏していた体をがばっと起き上らせた。
頭がぼうっとする。顔を横に向けると、覗き込むようにしている黒子の姿があった。
「あれ、テツ君…」
「おはようございます。やっぱり君も疲れていたんですね」
「あー…俺、がっつり寝てた。今って何?」
「放課後です」
黒板に残っている午後の授業の形跡。
誰も残っていない教室は、既に今日の終わりを示していた。それに対し真司の記憶は昼休みで途切れている。
「何これ…誰も俺のこと起こさなかったんだ」
「普段の行いがいいからでしょう」
「いやいや…」
寝ていても勉強できるから、と放置してくれたのか。それとも単純に友人がいないせいか。
後者かな。だからどうということは無いが、さすがに少し虚しくなる。
真司は口を手で覆って大きな欠伸をしてから、椅子を引いて立ち上がった。
「部活、行きましょう。今日はDVDを見て研究するみたいですよ」
「秀徳?」
「その前の正邦だと思います」
「正邦…」
まだ秀徳と戦えると決まったわけではない。
それなのに秀徳の、緑間の事ばかり考えてしまう。
妙にぼんやりとしているのも、さっきまで見ていた夢が、恐らく忘れられない記憶だからだろう。
「…夢に見るくらい許されるかな」
「何か、夢を見ていたんですか?」
「あ、はは。うん、ちょっと」
最後に緑間と触れ合った卒業の日。忘れたくても忘れられないし、そもそも忘れるつもりもない。
我ながら、ここまで溺れきっておいてよく敵対出来たものだ。
額を押さえて首を横に振ると、黒子が不安そうに眉を寄せて真司の背中を撫でた。
「烏羽君…大丈夫ですか?」
「え、うん」
「あまり無茶はしないで下さいね」
「してないよー、無茶なんて」
へらっと笑って眠気の残る目を擦れば、手を濡らすものに気が付いて。
(…涙?)
欠伸はしたかもしれないが、多分違う。
寝ながら零していたのかもしれない。原因は考えなくとも分かるが、それを口にしてしまいたくはなかった。
「あ、もう時間過ぎてるじゃん!急ごうテツ君!」
「…はい」
こんな自分に付き合ってくれている黒子に申し訳ない。
真司は考えないように黒子の手を取った。今は黒子と共に皆と戦う、その意志を確かに胸に抱いて。
・・・
黒子は体育館ではなく、真っ直ぐに視聴覚室へと向かって行った。
どうやら先ほど言っていた、DVDで研究というのは本当らしい。これから皆で相手チームの試合を観るのだろう。
「烏羽君連れて来ました」
がらがらと横開きのドアを開けて入ると、皆が揃って席についている。
小さく頭を下げて、真司もすぐに黒子と共に席に着いた。
「珍しいな、烏羽が用も無く遅刻してくるなんて」
「す、すみません…」
座った席の前にいた伊月が上半身だけで振り返る。
責めるつもりで言ったのではないのだろうが、真司の頭はしゅんと垂れ下がった。
恥ずかしい、寝ていたなんて。
「黒子が呼びに行かないと来ない、なんて。一体何があったんだ?」
「えっと、ですね。それは…」
「寝てたな?」
「え!」
ぱっと顔を上げると、伊月は何もかも見透かしたような目で真司をじっと見ている。
何故バレた。まさかイーグルアイはそんな事にも使えるのか。
ぐるぐる廻る疑問を口にする前に、伊月の手が真司の頭の上に乗せられた。
「なんで分かったかって言いたそうだな?寝癖ついてるぞ」
「っ!す、すみません…」
「全く、烏羽は可愛いなぁ」
「そこ!いちゃいちゃしてないで前向く!」
伊月にくしゃくしゃと撫でられた髪は更に四方八方に広がって。リコの一喝で前を向いてしまった伊月の代わりに、隣に座った黒子が真司の髪を直してくれた。
「分かってると思うけど、正邦の試合を見るわよ。ただ見るだけじゃなくて、分析すること!」
DVDの読み込み音が微かに耳まで届く。
勉強以外で頭を使うのは苦手なのだが。そんなことを考えつつも、モニターに映像が映し出されると、真司も黙ってその画面にくぎ付けになった。
映像を見た印象としては、坊主の選手のディフェンスがしつこいという事。そして、動きに違和感があるという事。
ただ、それが無くとも誠凛より実力があるのは確かに見えた。
「ボク、あの坊主の人知ってます」
「え、そうなの?」
「帝光中での練習試合で…対戦したことがあります」
黒子は少し気になることがあるのか、眉間にシワを寄せている。
一方、火神は黒子の言葉に気になるところがあったのか、怪訝そうに真司を見た。
「真司、お前も帝光中バスケ部だったんだろ?」
「え…いや、俺はレギュラーじゃなかったからさ」
「の割には黒子とも黄瀬とも…あと緑間もお前のこと気にしてたけど」
「まぁ、それはそれとして…」
真司の曖昧な答えに、火神が尚更不思議そうに唇を尖らせる。
とはいえ、今は真司のことなど大した問題ではない。気になるのは黒子の言った坊主の選手だ。
「テツ君、覚えてたってことは、それなりに印象に残る選手だったってことだよね?」
「まぁ、そうですね。当時始めて間もないとはいえ、黄瀬君を止めた人ですから」
ということは、二年の春から夏にかけての間、といった頃か。
無意識に試合した時期を考えた真司は、じわじわと湧き上がる驚きに目を見開いた。
「黄瀬君を止めた…?」
「はい。当時のノルマ、一人20点を黄瀬君はその日達成出来ませんでした」
まずそのノルマをどうかと思うが。
当時から黄瀬の実力は確かなものだった。それを止めるということは、やはり正邦のディフェンスは相当のものとなっていることだろう。
それを聞いた先輩達も、映像と共に圧倒的な相手だと認識したのだろう。
特に小金井なんてげっそりとしている。
それでも、リコは力強く言ってみせた。
「ハッキリ言って、正邦、秀徳とも10回やって9回負けるわ。でもその1回を持って来ればいいのよ」
無茶を言っている、しかし不可能なことを言ってはいない。勝てる可能性はゼロではないのだ。
「監督」
「ん?どしたの、烏羽君」
「正邦のディフェンス、俺の足でも突破は難しいんですか」
余りに自信過剰な台詞だったかもしれない。
だとしても、真司はその可能性があると思った。
「今までの相手とはタイプが違うのは確かだから、何とも言えないわ」
「…そう、ですか」
「でも烏羽君なら。私はそう思ってる」
リコが信頼の笑みをこちらに向けてくる。
そうだ。新協相手の時だって、リコは真司を信頼して任せてくれた。
その期待に応えるのが、真司のすべき役割なのだ。
「確かに…烏羽君なら何とか出来てしまうかもしれませんね」
「テツ君」
「君は、いつも壁には強かったですから」
目を細めて笑う黒子は相変わらず綺麗で。
思わず言葉を失って見惚れそうになりながら、真司は強く頷いた。
もし戦わせてもらえるのなら、その時は何が何でも越えてみせよう。
その日、正邦に対してどう挑むか、その方針は確かに固まった。
あとは本番のその時まで少しでも分析していくか。それしか彼等に出来る事は残っていなかった。