黒バス(2012.10~2017.12)
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海常からの帰り道。
…に立ち寄ったステーキボンバーという名のレストラン。
「…これ、本当に食べるんですか?」
真司の視線の先には皿の上にどんと乗せられた大きなステーキ。
そして、その横には“4kg盛盛ステーキ!30分以内に食べ切れたら無料!”と書かれた貼り紙がある。
「そうよ!さぁ、皆遠慮せずいっちゃって!」
爽やかに微笑んでいるリコに嫌な予感がするのは言わずもがな。
貼り紙の下にはばっちりと“失敗したら全額自腹1万円也”と書いてあるわけで。
さっと青ざめた部員達は、先程に「何か食べて帰ろう」と提案したことを後悔していた。
「烏羽、お前大丈夫か?」
何か食べようと言い出し、お金が無いことに気付き、まさかこんなことになるとは。
リコの暴挙を止められなかった手前、日向は真司の小さな体を心配していた。
「食べ切れる自信はないんですけど…ステーキなんて食べるの初めてで」
「え」
「だから、ちょっと嬉しいです」
「…それは、なんつーか…悪かったな」
嬉しそうに頬を緩めている真司がこの後、ステーキ嫌いになってしまわないか余計に心配だ。
こんなことなら初めに美味しいステーキを食べさせてあげたかった。
なんて今更考えても仕方がないことだ。
日向は目線を下げて目の前のステーキを捕らえた。
「ところでこれ…食えなかったらどーすんの?」
「え?何の為に毎日走り込みしてると思ってんの?」
リコの目はマジだ。もし食べれなかったときは皆で走って逃げろと言い出すに決まっている。
日向は諦めてステーキにナイフを刺した。
「ところでさぁ、烏羽。何で眼鏡かけちゃうの?」
ぱくぱくとまだ余裕そうにステーキを口に運ぶ小金井が、真司の顔を覗き込んだ。
それに気付いて真司が顔を上げる。
その顔はまた眼鏡で覆われていた。
「それ伊達なんでしょ?わざわざかけなくていいじゃん」
「でも…俺の顔目立つんで」
「あ、自分で分かってるんだ」
俯いてステーキを口に運ぶ真司の顔はやはり良く見えない。
しかし、一度見てしまった小金井はまた見たいという思いに駆られていて。口を尖らせてまじまじと真司を眺めている。
「んー…もったいないなぁ。火神もそう思うよね?」
「え、お、オレ、すか。いや、オレは、別に」
「いいから、早く食べなさいよ小金井君」
はーい、と明らかに嫌そうな顔をした小金井がステーキと向き合う。
一方火神は真司の顔をちらちらと確認しつつも手と口の動きが止まることはなかった。
「火神君」
「っ、な、何」
「俺のこと女だと思ってたろ」
「っ!?」
頬をリスのように膨らませた火神が目を見開く。
真司の正面に座っている火神は、真司と目が合うと頬を一気に赤く染めた。
まぁ、そうだろう。間違いなく真司は自分の耳で火神が“女”と言ったのを聞いたのだから。
「まぁ別にもう気にしてないから、いいけど」
ぱくぱくとステーキを口に運ぶ。
初めてのステーキは普通に美味しくて、味わう余裕が無いのが少し惜しい。
それでも頬に手を当てて思わず綻ぶと、伊月がクスッと笑った。
「美味しそうに食べるなぁ、烏羽は」
「だって、美味しいですし」
「可愛い」
「え」
隣に座っている伊月の手が真司の頭を撫でる。
今更だが、伊月はなかなかの美青年だ。携帯に新たに登録された森山と並んでいい勝負だろう。
ふとそんなことを考えてから伊月を見上げると、急に恥ずかしさが込み上げて。
「あの…伊月先輩、恥ずかしいですそれ…」
「おっと、悪い。可愛くてつい」
「伊月、お前もいいから早く食えよ!」
おもむろに、日向がステーキの塊を伊月の口へと突っ込む。
日向の皿のステーキは既に半分ほど減っているが、真司や伊月のはまだ三分の一も減っていない。
「…このステーキ、素敵!」
「今そういうのいらねえから!」
「日向先輩」
「何だ、黒子!?」
「ギブです」
「~~…!!!」
結局、それから十分後には揃って皆が顔を青くすることになった。
減らないステーキ、一杯になったお腹。そして、早く食えと言わんばかりのリコの視線。
そんな中で、真司はかたんとフォークを置いた。
「…ご馳走様でした」
「烏羽、お前…その体で…」
「もったいなかったので…」
げふ、とお腹を押さえてお皿を退かす。
こんなにお腹一杯になるまで食事をしたのは初めてだ。さすがにもう限界をむかえ、テーブルに額を乗せた。
もう、暫くステーキを食べたいとは思わないことだろう。
「うめー。つか、おかわりありかな?」
皆が唸り声しかあげなくなったところ、火神のけろっとした声が通り抜けた。
その火神は口に含んだステーキをもくもくと食べて、しかも自分の皿は空になっている。
「いらないんなら、もらっていい?ですか?」
「是非…!」
火神がいなかったらどうなることだったか。
二、三口しか減っていない黒子のものも含め、火神は残りを一人で処理しきった。
人数分の巨大ステーキが全て無料。
店員の白い目など、もう来ない店だろうから誰一人として気にすることなく。特にリコは満足気に笑っていた。
「じゃあ帰ろっか!全員いる?」
外に出て、リコがぱっと振り返る。
すぐに確認しようと辺りを見渡した日向の顔が引きつった。
「黒子と烏羽がいない」
「え…」
黒子がいないだけなら良くあることだが、まさか真司まで。
これは二人でどこかに行ったと考えるのが妥当だろう。
「…探しに行くわよ」
リコの声には明らかに怒気が含まれていた。
・・・
「こうして話すのも、久しぶりっスねぇ」
先を歩いていた黄瀬が振り返った。
その手には真司の携帯と黄瀬の携帯。
「真司っちのアドレス聞きたかったのも勿論っスけど、ちゃんと黒子っちと話したかったのもホントっスよ?」
「それで、ボクに何を聞きたいんですか?」
「うん…なんで、全中の決勝が終わった後、姿を消したんスか?」
黄瀬の手からとんっと放られた携帯が真司の手に返ってくる。
追加された項目を確認しながら、真司はじゃりっと音を立てて下がった。
「わかりません」
「…え!?」
隣にあるコートからはバスケを楽しそうにしている声が聞こえて来る。
いいなぁ、と眺めつつも、黒子の言葉はしっかりと耳に捕らえていた。
「帝光の方針に疑問を感じたのは決勝が原因です。あの時、ボクは何かが欠落していると思った」
「スポーツなんて、勝ってなんぼじゃないっスか!それより大切なことってあるんスか?」
「分かりません…でも、ボクはあの時、バスケが嫌いだった」
黒子の気持ちを理解したつもりで、同じ気持ちだと思って、真司は黒子の後を追った。
今度こそ、黒子を一人にしない。もう逃げないから、一緒に。
しかし、違っていた。
黒子がそこまで思っていたなんて、バスケを嫌いになる程だったなんて。
「だから、火神君に会ってすごいと思いました」
火神はバスケが大好きで。クサっていた時期があったのも、人一倍バスケに真剣だったからこそで。
「よく…わかんねっス。でも、黒子っちが火神っちを買う理由がバスケに対する姿勢なら、いつか決別するっスよ」
「…」
今の火神は昔の青峰に似ているのだ。
そう思えば思う程、今の黄瀬の言葉の信憑性が増してくる。
「今日の試合で分かったんス。アイツはまだ発展途上。だけど、キセキの世代と同じ才能を秘めてる」
最後のブザービーター。
あの火神のジャンプ力は普通ではなかった。誰の目にも、それは分かったはずだ。勿論、黒子の目にも真司の目にも。
「…でも、そうなると決まったわけでもないじゃん」
「真司っち?」
「そんな風に…テツ君の希望を奪おうとしないでよ…」
「え、え、ちょ、真司っち!?」
ぽろっと目から零れた涙をぐしっと腕で拭う。それでも止まらない涙をどうすることも出来なかった。
黒子の気持ちを理解した気になっていた自分に嫌気がさす。それに、まだ青峰を忘れられない自分にも。
「な、泣かないで、真司っち」
「テツ君、ごめんね…っ」
「どうして烏羽君が謝るんですか」
「なんか、何となく…っ、俺泣き虫でごめん…」
中学の頃から自分が泣き虫だという自覚は持っていたが、まさかこんな所で泣くことになるとは。
黒子も黄瀬も困っている。眼鏡を外して目を擦っても、止まれと思えば思う程治まらなくて。
「真司っち…」
「っ、」
黄瀬の手が真司の頬を覆う。
ぽろぽろと落ちる滴が黄瀬の手に吸い込まれて、何故か唇が頬に触れた。
「流しちゃうの、もったいないっス…」
「う、わ!馬鹿!」
思わず押し退けて、黒子の後ろに身を隠す。
黄瀬の目が一瞬、本当にエロいものになっていた。このままじっとしていたらキスされていた、間違いなく。
「てめぇ…何してんだよ」
辛うじてそんなシーンを見られなかったことに安心するべきか否か。
険しい顏をした火神が後ろに立っていた。
「おい黄瀬、お前か?烏羽泣かせたのは」
「火神君、もっと言ってやって下さい」
「ち、違うっスよ!」
何となく怒ったような顔をしている火神。
それは真司が泣いているから、だけではなかった。
「聞いてたんスか?」
「聞いてたか、じゃねーよ!お前がこいつらが拉致るから帰れねーんだよ!」
「ちょっとくらいいいじゃないっスかあ」
「よくねーよ!こいつ泣いてるし!」
がしっと火神が真司の肩を掴む。
驚き故に涙は既に止まっているが、目元は赤くなったまま。目は軽く潤んでいる。
「…、烏羽…」
「ちょ、ちょっと!いくら火神っちでも真司っちは駄目っスよ!」
「な、何の話だよ…!」
大男二人に挟まれて、真司は唇をきゅっと噛んだ。
これでは本当に自分が女でとあるドラマの修羅場かのようだ。
ぐしぐしと目を擦って気持ちを落ち着かせて。
ふと顔を上げた真司はあることに気が付いた。
「あれ…?テツ君は?」
眼鏡をかけてきょろきょろと見渡す。
大男の影に隠れていると思えばそうでもなく、そこに黒子の姿が見られない。
「あ?黒子?」
「えちょっと待って…。まさか」
黄瀬は何か思い当たったのか、じっと向こうのバスケットコートを見つめた。
ガラの悪い男達が、先程までバスケを楽しんでいた学生を追い出している。
バスケ勝負を持ち出したのかと思えば、乱暴なプレイに暴力まで振っている始末。
「そんなバスケは無いと思います」
そこに、場違いな影の薄い男が。
「て、テツ君!?」
「黒子っち!」
「あンの馬鹿!!」
そういえば黒子はあんな弱そうな見た目をしながらも正義感溢れる青年だった、かもしれない。
「黄瀬君、火神君も、行こう!」
真司は黒子の姿を追って走り出した。
黒子が乗り込んでいったのは、明らかに不良集団の中。
ラフプレイに暴力をふるう所を見て我慢できなかったのだろうが、さすがに黒子だけでは無理だ。
「暴力は駄目です」
「イマドキいんだな、そんなこと言う奴」
「いーぜ。バスケで勝負してやるよ」
黒子の目は臨むところです、と言っている。
真司は呆れながら、その黒子の肩を掴んだ。
「すみません、俺も仲間に入れてもらえないですか」
「あ?なんだよまた小さいのが…」
不良の男が真司を見て余裕の笑みを浮かべ…そうになった瞬間に停止した。
真司の後ろに立っているのは黄瀬と火神。
「オレらもまざっていいっスか?」
「つか、何いきなりかましてんだテメー」
「…すみません」
遥かに大きな体格をもった二人の登場に、不良たちが青ざめる。
それを見て笑いながら、真司はひょいっとボールを拾い上げた。
「そっち五人いるみたいだし、五対四でいいですよ。ね、テツ君」
「はい」
ふざけたバスケしかしていない奴等に劣るはずがない。
真司は自信満々の笑みを男達に向けて、ボールを放った。
・・・
思った通りに真面目にバスケをしていない人達に負けるはずもなく、真司達は圧勝した。
コートの中に真司達に惨敗した不良たちが転がっている。
正直なところ、相手が弱すぎて物足りなかったくらいだ。それでも確かな満足感が真司にはあった。
「はぁ…やっぱ、真司っちと同じチームでやりたいっス」
「俺も、それは思ったよ」
「はは…!真司っちも、思ってくれたんスか!」
帝光以来、黄瀬と同じチームとしてやった試合。
ただのストリートだけれど、やはりその感動は大きくて。
火神が黒子へ説教をしている。その後ろで、真司は黄瀬の手を掴んだ。
「でも、黄瀬君の気持ちは変わってないんだよね」
「真司っち…?」
「だったら、俺は分かってもらえるまで対峙する」
本当はこの手を放してしまいたくない。もっとずっと一緒にいたい。
しかし、この道を選んだのは自分の意思で、それは簡単に曲がることではないのだ。
「何でそんな悲しいこと言うんスかぁ…」
「黄瀬君のことが好きだからだよ」
「真司っち…。じゃあ、抱き締めてもいい?」
「駄目」
「えぇ!?」
首を回せば火神と黒子がいる。そんなところで黄瀬のねちっこい抱擁は困る。
真司は黄瀬の頬をきゅっと摘まんで、ニッと笑いかけた。
「ふふ、そんな顔しなくても」
「、真司っち…、なんでそんな余裕そうなんスか」
「え」
寂しそうにする黄瀬を元気づけるつもりだったのだが、黄瀬の手は真司の手を掴んで剥した。
その手はそのまま黄瀬の方へと真司を引き寄せる。近くなった距離に、接近する黄瀬の顔。
「え、ちょ…!」
止めろ、そう制止する前に、真司の口が塞がれていた。黄瀬の息が鼻をくすぐる。
小さな手で黄瀬の胸を叩いても、黄瀬はびくともしなくて。
気付けば火神と黒子の会話が聞こえなくなっていた。
「真司っち…」
「何、してんだよ黄瀬君」
「言っとくけど、オレ…待ってあげないっスから」
今度は見せつけるように、ちゅっと音を立てて唇を寄せる。
茫然としたままそれを受け入れてしまった真司の頬は一気に紅潮していった。
「じゃ、オレ行くっス。黒子っちもまたね」
「…」
「二人と試合出来て楽しかったっス。火神っちも」
「え、いや、おい」
黄瀬はぽかんと口を開けたままの三人を気にせずに背中を向けた。
コートの入口の方へと向かって歩き出し、それから「あ」と呟いて振り向く。
「そういえば緑間っちに会ったっスよ。真司っちの可愛い顔、他の奴等に見せたくないって」
「もう黄瀬君帰れ!」
「ふは、じゃあね!」
悪びれる様子の無い黄瀬が、きらきらと輝く笑顔を見せて去って行く。
暫く三人は言葉無くその背中を眺めて、それから同時に息を吐き出した。
「おい、どういうことだよ今の…」
「とりあえず、見なかったことにして欲しいかな」
「いや、だってお前等…」
火神は口を開いたままそこで止まって、頭をがしがしとかいた。
男同士で。そんな当然の疑問が頭に浮かんでいるのだろう。
それを察しながら、黒子も真司も何も言わずに視線を逸らした。
「あ…そうだ、火神君、探しに来てくれたんだよね」
「あ、あぁ…まぁ」
「じゃあ先輩達のところに戻ろう!」
何とか取り繕うと、へらへらと笑って。真司が火神の腕を掴むと、その手はぱしっと弾かれていた。
「あ…悪ィ」
「う、ううん。なんか…ごめん」
今まで真司を真正面から否定する人がいなかったから、この火神の反応はちくりと胸に刺さった。
これが正しい反応だ。火神は何も間違っていない。
「烏羽君…」
ぽつりと黒子が真司を呼ぶ。
黒子はいつでも優しい。その優しさが今は真司の自虐心煽った。
(今まで迷惑をかけてきて…それでも尚テツ君を巻き込む)
これ以上黒子に悪い印象を持たれたくはない。
「テツ君、俺…!」
大丈夫だから。ごめん。言いたいことがたくさんあって逆に言葉に詰まる。
それでも顔を上げれば黒子と向かい合う、はずだった。
「なーに勝手にいなくなってるのかしら?」
「…!?」
黒子の体がリコに絞められている。絞められ反らされている。
言わずもがな、見知らぬ土地で勝手に姿を消した黒子と真司が悪い。
それで先輩達が探してくれたことに対しては感謝と謝罪をしたいと思うが。
「次は烏羽君だからね…」
「烏羽く…っ、火神く、助け…!」
黒子の聞いたことのない苦しそうな声に、真司はじりっと後ずさりした。
「逃げんなよ?」
「は…はは…」
とんっとぶつかったのは、後ろに立っていた日向の体。
もう絶対に彼等の前で勝手な行動はとるものか。
その日、新たな決意が真司の胸の中に生まれた。
そして、ようやく近付いたはずの火神との心の距離は開いてしまった。
かたんかたんと音を立てて揺れる車内。
電車の揺れは疲れた体に心地よく、真司を含め誠凛バスケ部の者達はほとんど眠りに落ちていた。
かくんと首が傾いているのが証拠だ。
「火神君」
「…」
「火神君、起きてますよね」
ちら、と真司が寝ていることを確認して、黒子は隣に座っている火神を見上げた。
先程から火神は目をつむっているものの、他の人と比べて首が安定している。
その黒子の勘は正しく、火神はゆっくりと目を開くと黒子を見下ろした。
「何だよ」
「いえその…烏羽君のこと、どう思ったのか気になって」
「烏羽…」
人の多い電車、真司は黒子と火神から少し離れたところに座っている。
その真司の髪は揺れるたびにさらさらと揺れて、時折紫に光った。
「軽蔑しましたか」
「いや…それはねーよ。向こうじゃ別におかしい事じゃ無かったし…」
「アメリカですか?」
「まぁ、オレの周りにはいなかったけどよ…」
火神はぼんやりと真司を見つめたまま、思い返すように呟いた。
しかし、その言葉の割に火神の眉間にはシワが寄っている。
「…ただ、なんつーか…」
「火神君?」
「すげぇイライラする」
火神は真司から目を逸らさずに、手にぎゅっと力を込めた。
イライラはそれだけでなく火神の顔にも現れていて。眉間にシワを寄せてムッとしている様子は、さながら獲物を盗られた虎だ。
それを横目で見ていた黒子もこくりと首を縦に動かした。
「奇遇ですね。ボクもです」
「あ?お前もかよ」
「はい」
真司に向いていた二人の視線は同時に足元に落ちた。
「ボク、負けません」
「は?何に」
「負けません…」
黒子は決意から。火神は戸惑いから。
じっと意味も無く見つめる先には、まだ何も無かった。
・・・
眩しい日差しに、着こんだ制服。
「ふぁ…」
新鮮だった黒い学ランは少し真司の体格より大きめで、欠伸を覆った手は袖にほとんど隠れた。
「眠…」
海常との練習試合の翌日。
疲れは当然通常時よりも真司の体に襲いかかっている。
少し長めの通学時間のその間にも眠ってしまいそうだ。
下を向いて歩くと長い前髪が視界を塞いで、邪魔に思いながら真司は手でそれをかき分けた。
「…あれ」
前髪をかき分けた向こうに見えたのは、見覚えのある背中。
「小金井先輩、水戸部先輩」
二人の名前を呼びかけると、小金井は素早く、水戸部はゆっくりと振り返った。
対照的だった二人の動きだが、同じような笑顔がそこにある。
「烏羽じゃん!おはよー」
「おはようございます、先輩方」
相変わらず口数の無い水戸部はニコニコと微笑み続けている。
きっと、小金井には水戸部の“おはよう”が聞こえているのだろう。
「もー、結局眼鏡かけてくるし!」
「小金井先輩そればっかりですね」
「正直言うと、烏羽の顔がすげータイプっていうか!好きだなーって思ったんだよね」
「はぁ」
「男女関係なく、思わず見ちゃう顔ってあるっしょ?」
確かに、その理屈は分かるような。
うっかり絆されそうになり、眼鏡をかけ直す。その手が水戸部の手とぶつかった。
「水戸部先輩?」
大きな体を屈めて、水戸部は真司の顔の高さに合わせている。
ちょいっと持ち上げた真司の前髪をまじまじと見ているその仕草は何か言いたそうに見えて。
「あの、小金井先輩…。水戸部先輩は何を…?」
この遠回しなコミュニケーションに違和感を覚えたのも最初だけ。
既に慣れてしまった真司は、躊躇わずに小金井に問いかけていた。
「烏羽の髪を切りたいってさ」
「髪ですか」
「水戸部は大家族の長男だからね!」
こくん、と頷く水戸部にさすがは小金井と言ったところか。
つまり弟妹たちの髪を切っているので、真司を見ていると切ってあげたくなる、ということか。
「まぁ、気が乗ったらお願いします」
真司の返事に水戸部がぱっと嬉しそうに笑う。
言葉がない代わりに水戸部の表情は思っていたよりも豊かで。そして綺麗で。
「良かったな、水戸部!」
「…」
「あれ?烏羽どした?」
「…はぁ」
ぱたぱたと手で顔を仰ぎながら、視線を足元に戻す。
全く、厄介なことになってしまった。これだから目立つ顔は面倒だと言っていたのに。
「あ、そうだ烏羽!」
足を速めた真司に呼びかける小金井の声。
振り返ったそこに、何がそんなに楽しいんですか、なんて悪態でも吐いてしまいそうになるほど良い笑顔がある。
「昼休み、二年校舎集合!」
「…え?」
「適当に二年の階に来てくれれば良いから!」
「はぁ…分かりました」
一体何があるのだろう。その時はその程度にしか考えていなくて。
正直、もっと深刻にとらえるべきだったと、後になって後悔することになるのだった。
…に立ち寄ったステーキボンバーという名のレストラン。
「…これ、本当に食べるんですか?」
真司の視線の先には皿の上にどんと乗せられた大きなステーキ。
そして、その横には“4kg盛盛ステーキ!30分以内に食べ切れたら無料!”と書かれた貼り紙がある。
「そうよ!さぁ、皆遠慮せずいっちゃって!」
爽やかに微笑んでいるリコに嫌な予感がするのは言わずもがな。
貼り紙の下にはばっちりと“失敗したら全額自腹1万円也”と書いてあるわけで。
さっと青ざめた部員達は、先程に「何か食べて帰ろう」と提案したことを後悔していた。
「烏羽、お前大丈夫か?」
何か食べようと言い出し、お金が無いことに気付き、まさかこんなことになるとは。
リコの暴挙を止められなかった手前、日向は真司の小さな体を心配していた。
「食べ切れる自信はないんですけど…ステーキなんて食べるの初めてで」
「え」
「だから、ちょっと嬉しいです」
「…それは、なんつーか…悪かったな」
嬉しそうに頬を緩めている真司がこの後、ステーキ嫌いになってしまわないか余計に心配だ。
こんなことなら初めに美味しいステーキを食べさせてあげたかった。
なんて今更考えても仕方がないことだ。
日向は目線を下げて目の前のステーキを捕らえた。
「ところでこれ…食えなかったらどーすんの?」
「え?何の為に毎日走り込みしてると思ってんの?」
リコの目はマジだ。もし食べれなかったときは皆で走って逃げろと言い出すに決まっている。
日向は諦めてステーキにナイフを刺した。
「ところでさぁ、烏羽。何で眼鏡かけちゃうの?」
ぱくぱくとまだ余裕そうにステーキを口に運ぶ小金井が、真司の顔を覗き込んだ。
それに気付いて真司が顔を上げる。
その顔はまた眼鏡で覆われていた。
「それ伊達なんでしょ?わざわざかけなくていいじゃん」
「でも…俺の顔目立つんで」
「あ、自分で分かってるんだ」
俯いてステーキを口に運ぶ真司の顔はやはり良く見えない。
しかし、一度見てしまった小金井はまた見たいという思いに駆られていて。口を尖らせてまじまじと真司を眺めている。
「んー…もったいないなぁ。火神もそう思うよね?」
「え、お、オレ、すか。いや、オレは、別に」
「いいから、早く食べなさいよ小金井君」
はーい、と明らかに嫌そうな顔をした小金井がステーキと向き合う。
一方火神は真司の顔をちらちらと確認しつつも手と口の動きが止まることはなかった。
「火神君」
「っ、な、何」
「俺のこと女だと思ってたろ」
「っ!?」
頬をリスのように膨らませた火神が目を見開く。
真司の正面に座っている火神は、真司と目が合うと頬を一気に赤く染めた。
まぁ、そうだろう。間違いなく真司は自分の耳で火神が“女”と言ったのを聞いたのだから。
「まぁ別にもう気にしてないから、いいけど」
ぱくぱくとステーキを口に運ぶ。
初めてのステーキは普通に美味しくて、味わう余裕が無いのが少し惜しい。
それでも頬に手を当てて思わず綻ぶと、伊月がクスッと笑った。
「美味しそうに食べるなぁ、烏羽は」
「だって、美味しいですし」
「可愛い」
「え」
隣に座っている伊月の手が真司の頭を撫でる。
今更だが、伊月はなかなかの美青年だ。携帯に新たに登録された森山と並んでいい勝負だろう。
ふとそんなことを考えてから伊月を見上げると、急に恥ずかしさが込み上げて。
「あの…伊月先輩、恥ずかしいですそれ…」
「おっと、悪い。可愛くてつい」
「伊月、お前もいいから早く食えよ!」
おもむろに、日向がステーキの塊を伊月の口へと突っ込む。
日向の皿のステーキは既に半分ほど減っているが、真司や伊月のはまだ三分の一も減っていない。
「…このステーキ、素敵!」
「今そういうのいらねえから!」
「日向先輩」
「何だ、黒子!?」
「ギブです」
「~~…!!!」
結局、それから十分後には揃って皆が顔を青くすることになった。
減らないステーキ、一杯になったお腹。そして、早く食えと言わんばかりのリコの視線。
そんな中で、真司はかたんとフォークを置いた。
「…ご馳走様でした」
「烏羽、お前…その体で…」
「もったいなかったので…」
げふ、とお腹を押さえてお皿を退かす。
こんなにお腹一杯になるまで食事をしたのは初めてだ。さすがにもう限界をむかえ、テーブルに額を乗せた。
もう、暫くステーキを食べたいとは思わないことだろう。
「うめー。つか、おかわりありかな?」
皆が唸り声しかあげなくなったところ、火神のけろっとした声が通り抜けた。
その火神は口に含んだステーキをもくもくと食べて、しかも自分の皿は空になっている。
「いらないんなら、もらっていい?ですか?」
「是非…!」
火神がいなかったらどうなることだったか。
二、三口しか減っていない黒子のものも含め、火神は残りを一人で処理しきった。
人数分の巨大ステーキが全て無料。
店員の白い目など、もう来ない店だろうから誰一人として気にすることなく。特にリコは満足気に笑っていた。
「じゃあ帰ろっか!全員いる?」
外に出て、リコがぱっと振り返る。
すぐに確認しようと辺りを見渡した日向の顔が引きつった。
「黒子と烏羽がいない」
「え…」
黒子がいないだけなら良くあることだが、まさか真司まで。
これは二人でどこかに行ったと考えるのが妥当だろう。
「…探しに行くわよ」
リコの声には明らかに怒気が含まれていた。
・・・
「こうして話すのも、久しぶりっスねぇ」
先を歩いていた黄瀬が振り返った。
その手には真司の携帯と黄瀬の携帯。
「真司っちのアドレス聞きたかったのも勿論っスけど、ちゃんと黒子っちと話したかったのもホントっスよ?」
「それで、ボクに何を聞きたいんですか?」
「うん…なんで、全中の決勝が終わった後、姿を消したんスか?」
黄瀬の手からとんっと放られた携帯が真司の手に返ってくる。
追加された項目を確認しながら、真司はじゃりっと音を立てて下がった。
「わかりません」
「…え!?」
隣にあるコートからはバスケを楽しそうにしている声が聞こえて来る。
いいなぁ、と眺めつつも、黒子の言葉はしっかりと耳に捕らえていた。
「帝光の方針に疑問を感じたのは決勝が原因です。あの時、ボクは何かが欠落していると思った」
「スポーツなんて、勝ってなんぼじゃないっスか!それより大切なことってあるんスか?」
「分かりません…でも、ボクはあの時、バスケが嫌いだった」
黒子の気持ちを理解したつもりで、同じ気持ちだと思って、真司は黒子の後を追った。
今度こそ、黒子を一人にしない。もう逃げないから、一緒に。
しかし、違っていた。
黒子がそこまで思っていたなんて、バスケを嫌いになる程だったなんて。
「だから、火神君に会ってすごいと思いました」
火神はバスケが大好きで。クサっていた時期があったのも、人一倍バスケに真剣だったからこそで。
「よく…わかんねっス。でも、黒子っちが火神っちを買う理由がバスケに対する姿勢なら、いつか決別するっスよ」
「…」
今の火神は昔の青峰に似ているのだ。
そう思えば思う程、今の黄瀬の言葉の信憑性が増してくる。
「今日の試合で分かったんス。アイツはまだ発展途上。だけど、キセキの世代と同じ才能を秘めてる」
最後のブザービーター。
あの火神のジャンプ力は普通ではなかった。誰の目にも、それは分かったはずだ。勿論、黒子の目にも真司の目にも。
「…でも、そうなると決まったわけでもないじゃん」
「真司っち?」
「そんな風に…テツ君の希望を奪おうとしないでよ…」
「え、え、ちょ、真司っち!?」
ぽろっと目から零れた涙をぐしっと腕で拭う。それでも止まらない涙をどうすることも出来なかった。
黒子の気持ちを理解した気になっていた自分に嫌気がさす。それに、まだ青峰を忘れられない自分にも。
「な、泣かないで、真司っち」
「テツ君、ごめんね…っ」
「どうして烏羽君が謝るんですか」
「なんか、何となく…っ、俺泣き虫でごめん…」
中学の頃から自分が泣き虫だという自覚は持っていたが、まさかこんな所で泣くことになるとは。
黒子も黄瀬も困っている。眼鏡を外して目を擦っても、止まれと思えば思う程治まらなくて。
「真司っち…」
「っ、」
黄瀬の手が真司の頬を覆う。
ぽろぽろと落ちる滴が黄瀬の手に吸い込まれて、何故か唇が頬に触れた。
「流しちゃうの、もったいないっス…」
「う、わ!馬鹿!」
思わず押し退けて、黒子の後ろに身を隠す。
黄瀬の目が一瞬、本当にエロいものになっていた。このままじっとしていたらキスされていた、間違いなく。
「てめぇ…何してんだよ」
辛うじてそんなシーンを見られなかったことに安心するべきか否か。
険しい顏をした火神が後ろに立っていた。
「おい黄瀬、お前か?烏羽泣かせたのは」
「火神君、もっと言ってやって下さい」
「ち、違うっスよ!」
何となく怒ったような顔をしている火神。
それは真司が泣いているから、だけではなかった。
「聞いてたんスか?」
「聞いてたか、じゃねーよ!お前がこいつらが拉致るから帰れねーんだよ!」
「ちょっとくらいいいじゃないっスかあ」
「よくねーよ!こいつ泣いてるし!」
がしっと火神が真司の肩を掴む。
驚き故に涙は既に止まっているが、目元は赤くなったまま。目は軽く潤んでいる。
「…、烏羽…」
「ちょ、ちょっと!いくら火神っちでも真司っちは駄目っスよ!」
「な、何の話だよ…!」
大男二人に挟まれて、真司は唇をきゅっと噛んだ。
これでは本当に自分が女でとあるドラマの修羅場かのようだ。
ぐしぐしと目を擦って気持ちを落ち着かせて。
ふと顔を上げた真司はあることに気が付いた。
「あれ…?テツ君は?」
眼鏡をかけてきょろきょろと見渡す。
大男の影に隠れていると思えばそうでもなく、そこに黒子の姿が見られない。
「あ?黒子?」
「えちょっと待って…。まさか」
黄瀬は何か思い当たったのか、じっと向こうのバスケットコートを見つめた。
ガラの悪い男達が、先程までバスケを楽しんでいた学生を追い出している。
バスケ勝負を持ち出したのかと思えば、乱暴なプレイに暴力まで振っている始末。
「そんなバスケは無いと思います」
そこに、場違いな影の薄い男が。
「て、テツ君!?」
「黒子っち!」
「あンの馬鹿!!」
そういえば黒子はあんな弱そうな見た目をしながらも正義感溢れる青年だった、かもしれない。
「黄瀬君、火神君も、行こう!」
真司は黒子の姿を追って走り出した。
黒子が乗り込んでいったのは、明らかに不良集団の中。
ラフプレイに暴力をふるう所を見て我慢できなかったのだろうが、さすがに黒子だけでは無理だ。
「暴力は駄目です」
「イマドキいんだな、そんなこと言う奴」
「いーぜ。バスケで勝負してやるよ」
黒子の目は臨むところです、と言っている。
真司は呆れながら、その黒子の肩を掴んだ。
「すみません、俺も仲間に入れてもらえないですか」
「あ?なんだよまた小さいのが…」
不良の男が真司を見て余裕の笑みを浮かべ…そうになった瞬間に停止した。
真司の後ろに立っているのは黄瀬と火神。
「オレらもまざっていいっスか?」
「つか、何いきなりかましてんだテメー」
「…すみません」
遥かに大きな体格をもった二人の登場に、不良たちが青ざめる。
それを見て笑いながら、真司はひょいっとボールを拾い上げた。
「そっち五人いるみたいだし、五対四でいいですよ。ね、テツ君」
「はい」
ふざけたバスケしかしていない奴等に劣るはずがない。
真司は自信満々の笑みを男達に向けて、ボールを放った。
・・・
思った通りに真面目にバスケをしていない人達に負けるはずもなく、真司達は圧勝した。
コートの中に真司達に惨敗した不良たちが転がっている。
正直なところ、相手が弱すぎて物足りなかったくらいだ。それでも確かな満足感が真司にはあった。
「はぁ…やっぱ、真司っちと同じチームでやりたいっス」
「俺も、それは思ったよ」
「はは…!真司っちも、思ってくれたんスか!」
帝光以来、黄瀬と同じチームとしてやった試合。
ただのストリートだけれど、やはりその感動は大きくて。
火神が黒子へ説教をしている。その後ろで、真司は黄瀬の手を掴んだ。
「でも、黄瀬君の気持ちは変わってないんだよね」
「真司っち…?」
「だったら、俺は分かってもらえるまで対峙する」
本当はこの手を放してしまいたくない。もっとずっと一緒にいたい。
しかし、この道を選んだのは自分の意思で、それは簡単に曲がることではないのだ。
「何でそんな悲しいこと言うんスかぁ…」
「黄瀬君のことが好きだからだよ」
「真司っち…。じゃあ、抱き締めてもいい?」
「駄目」
「えぇ!?」
首を回せば火神と黒子がいる。そんなところで黄瀬のねちっこい抱擁は困る。
真司は黄瀬の頬をきゅっと摘まんで、ニッと笑いかけた。
「ふふ、そんな顔しなくても」
「、真司っち…、なんでそんな余裕そうなんスか」
「え」
寂しそうにする黄瀬を元気づけるつもりだったのだが、黄瀬の手は真司の手を掴んで剥した。
その手はそのまま黄瀬の方へと真司を引き寄せる。近くなった距離に、接近する黄瀬の顔。
「え、ちょ…!」
止めろ、そう制止する前に、真司の口が塞がれていた。黄瀬の息が鼻をくすぐる。
小さな手で黄瀬の胸を叩いても、黄瀬はびくともしなくて。
気付けば火神と黒子の会話が聞こえなくなっていた。
「真司っち…」
「何、してんだよ黄瀬君」
「言っとくけど、オレ…待ってあげないっスから」
今度は見せつけるように、ちゅっと音を立てて唇を寄せる。
茫然としたままそれを受け入れてしまった真司の頬は一気に紅潮していった。
「じゃ、オレ行くっス。黒子っちもまたね」
「…」
「二人と試合出来て楽しかったっス。火神っちも」
「え、いや、おい」
黄瀬はぽかんと口を開けたままの三人を気にせずに背中を向けた。
コートの入口の方へと向かって歩き出し、それから「あ」と呟いて振り向く。
「そういえば緑間っちに会ったっスよ。真司っちの可愛い顔、他の奴等に見せたくないって」
「もう黄瀬君帰れ!」
「ふは、じゃあね!」
悪びれる様子の無い黄瀬が、きらきらと輝く笑顔を見せて去って行く。
暫く三人は言葉無くその背中を眺めて、それから同時に息を吐き出した。
「おい、どういうことだよ今の…」
「とりあえず、見なかったことにして欲しいかな」
「いや、だってお前等…」
火神は口を開いたままそこで止まって、頭をがしがしとかいた。
男同士で。そんな当然の疑問が頭に浮かんでいるのだろう。
それを察しながら、黒子も真司も何も言わずに視線を逸らした。
「あ…そうだ、火神君、探しに来てくれたんだよね」
「あ、あぁ…まぁ」
「じゃあ先輩達のところに戻ろう!」
何とか取り繕うと、へらへらと笑って。真司が火神の腕を掴むと、その手はぱしっと弾かれていた。
「あ…悪ィ」
「う、ううん。なんか…ごめん」
今まで真司を真正面から否定する人がいなかったから、この火神の反応はちくりと胸に刺さった。
これが正しい反応だ。火神は何も間違っていない。
「烏羽君…」
ぽつりと黒子が真司を呼ぶ。
黒子はいつでも優しい。その優しさが今は真司の自虐心煽った。
(今まで迷惑をかけてきて…それでも尚テツ君を巻き込む)
これ以上黒子に悪い印象を持たれたくはない。
「テツ君、俺…!」
大丈夫だから。ごめん。言いたいことがたくさんあって逆に言葉に詰まる。
それでも顔を上げれば黒子と向かい合う、はずだった。
「なーに勝手にいなくなってるのかしら?」
「…!?」
黒子の体がリコに絞められている。絞められ反らされている。
言わずもがな、見知らぬ土地で勝手に姿を消した黒子と真司が悪い。
それで先輩達が探してくれたことに対しては感謝と謝罪をしたいと思うが。
「次は烏羽君だからね…」
「烏羽く…っ、火神く、助け…!」
黒子の聞いたことのない苦しそうな声に、真司はじりっと後ずさりした。
「逃げんなよ?」
「は…はは…」
とんっとぶつかったのは、後ろに立っていた日向の体。
もう絶対に彼等の前で勝手な行動はとるものか。
その日、新たな決意が真司の胸の中に生まれた。
そして、ようやく近付いたはずの火神との心の距離は開いてしまった。
かたんかたんと音を立てて揺れる車内。
電車の揺れは疲れた体に心地よく、真司を含め誠凛バスケ部の者達はほとんど眠りに落ちていた。
かくんと首が傾いているのが証拠だ。
「火神君」
「…」
「火神君、起きてますよね」
ちら、と真司が寝ていることを確認して、黒子は隣に座っている火神を見上げた。
先程から火神は目をつむっているものの、他の人と比べて首が安定している。
その黒子の勘は正しく、火神はゆっくりと目を開くと黒子を見下ろした。
「何だよ」
「いえその…烏羽君のこと、どう思ったのか気になって」
「烏羽…」
人の多い電車、真司は黒子と火神から少し離れたところに座っている。
その真司の髪は揺れるたびにさらさらと揺れて、時折紫に光った。
「軽蔑しましたか」
「いや…それはねーよ。向こうじゃ別におかしい事じゃ無かったし…」
「アメリカですか?」
「まぁ、オレの周りにはいなかったけどよ…」
火神はぼんやりと真司を見つめたまま、思い返すように呟いた。
しかし、その言葉の割に火神の眉間にはシワが寄っている。
「…ただ、なんつーか…」
「火神君?」
「すげぇイライラする」
火神は真司から目を逸らさずに、手にぎゅっと力を込めた。
イライラはそれだけでなく火神の顔にも現れていて。眉間にシワを寄せてムッとしている様子は、さながら獲物を盗られた虎だ。
それを横目で見ていた黒子もこくりと首を縦に動かした。
「奇遇ですね。ボクもです」
「あ?お前もかよ」
「はい」
真司に向いていた二人の視線は同時に足元に落ちた。
「ボク、負けません」
「は?何に」
「負けません…」
黒子は決意から。火神は戸惑いから。
じっと意味も無く見つめる先には、まだ何も無かった。
・・・
眩しい日差しに、着こんだ制服。
「ふぁ…」
新鮮だった黒い学ランは少し真司の体格より大きめで、欠伸を覆った手は袖にほとんど隠れた。
「眠…」
海常との練習試合の翌日。
疲れは当然通常時よりも真司の体に襲いかかっている。
少し長めの通学時間のその間にも眠ってしまいそうだ。
下を向いて歩くと長い前髪が視界を塞いで、邪魔に思いながら真司は手でそれをかき分けた。
「…あれ」
前髪をかき分けた向こうに見えたのは、見覚えのある背中。
「小金井先輩、水戸部先輩」
二人の名前を呼びかけると、小金井は素早く、水戸部はゆっくりと振り返った。
対照的だった二人の動きだが、同じような笑顔がそこにある。
「烏羽じゃん!おはよー」
「おはようございます、先輩方」
相変わらず口数の無い水戸部はニコニコと微笑み続けている。
きっと、小金井には水戸部の“おはよう”が聞こえているのだろう。
「もー、結局眼鏡かけてくるし!」
「小金井先輩そればっかりですね」
「正直言うと、烏羽の顔がすげータイプっていうか!好きだなーって思ったんだよね」
「はぁ」
「男女関係なく、思わず見ちゃう顔ってあるっしょ?」
確かに、その理屈は分かるような。
うっかり絆されそうになり、眼鏡をかけ直す。その手が水戸部の手とぶつかった。
「水戸部先輩?」
大きな体を屈めて、水戸部は真司の顔の高さに合わせている。
ちょいっと持ち上げた真司の前髪をまじまじと見ているその仕草は何か言いたそうに見えて。
「あの、小金井先輩…。水戸部先輩は何を…?」
この遠回しなコミュニケーションに違和感を覚えたのも最初だけ。
既に慣れてしまった真司は、躊躇わずに小金井に問いかけていた。
「烏羽の髪を切りたいってさ」
「髪ですか」
「水戸部は大家族の長男だからね!」
こくん、と頷く水戸部にさすがは小金井と言ったところか。
つまり弟妹たちの髪を切っているので、真司を見ていると切ってあげたくなる、ということか。
「まぁ、気が乗ったらお願いします」
真司の返事に水戸部がぱっと嬉しそうに笑う。
言葉がない代わりに水戸部の表情は思っていたよりも豊かで。そして綺麗で。
「良かったな、水戸部!」
「…」
「あれ?烏羽どした?」
「…はぁ」
ぱたぱたと手で顔を仰ぎながら、視線を足元に戻す。
全く、厄介なことになってしまった。これだから目立つ顔は面倒だと言っていたのに。
「あ、そうだ烏羽!」
足を速めた真司に呼びかける小金井の声。
振り返ったそこに、何がそんなに楽しいんですか、なんて悪態でも吐いてしまいそうになるほど良い笑顔がある。
「昼休み、二年校舎集合!」
「…え?」
「適当に二年の階に来てくれれば良いから!」
「はぁ…分かりました」
一体何があるのだろう。その時はその程度にしか考えていなくて。
正直、もっと深刻にとらえるべきだったと、後になって後悔することになるのだった。