黒バス(2012.10~2017.12)
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「それではこれから、誠凛高校対海常高校の練習試合を始めます!」
海常の五人と誠凛の五人が向かい合う。
黒子と火神と日向と伊月と水戸部の五人。しかし、試合監督であろう海常の生徒は不快そうな視線を誠凛チームに向けた。
「誠凛は早く五人並んで下さい」
「あの…います、五人」
「!?」
お馴染みの展開、黒子の薄さが既に発揮されている。
これは良い具合に黒子がミスディレクションでかき回してくれそうだ。
「ふふ、海常の人達驚いてる」
思わず笑った真司の隣に座っているリコは、そんな黒子の様子などお構いなしに、目を凝らして海常の選手を眺めている。
選手一人一人の数値化された能力を確認しているのだろう。リコには見えているのだ。彼等の身体能力が。
「監督、海常の選手どんな感じですか?」
「さすが全国クラスって感じね…。皆揃って軒並み高すぎ…」
「そんなにですか」
「揃いも揃って平均値高すぎよ…」
確かに全体的に背が高く、当然黒子や真司のような選手はいない。
「でもね、烏羽君」
「はい?」
「貴方の足に勝てる足を持つ人はいないわ」
「まぁ、足だけならキセキの世代にも負けてませんから」
「そうだったわね」
自信満々に返した真司に、リコも満足気に鼻息を漏らす。
そんな会話をしていた為に、二人の視線は試合の方から逸れていた。
突然二人の耳に入ったのは激しいダンクの音。と、何か軋んだ音。
「え、今の何の音ですか?」
バスケの試合で聞こえる音ではない、木の軋み。
よく見ればダンクした張本人であろう火神の手にはバスケのゴールが。
「烏羽、見てなかったの?」
「あ、はい」
「あのゴール年期入ってたしねぇ。火神のダンクで取れちゃったみたい」
「取れちゃった…ですか…」
人差し指を立てて笑って言うのは小金井。
いや、残念ながら笑っていられる状況とは違うと思われるが。
「すみません。ゴール壊れちゃったんで、全面コート使わせてもらえませんか」
淡々と言ってのける黒子に、海常の監督は言葉無く頷いた。
黒子のミスディレクションによる不意打ちパスからの火神のダンク。まさか初っ端からこうも上手くいくとは。
「でもまぁ…これで黄瀬君も出てくるみたいね。ここからが本当の試合開始よ」
がたんと大きなゴールが下ろされ、全面コートに移動する。今度は海常チームに黄瀬も入っていた。
「あ、真司っち!格好いいとこ見せるっスから、しっかり見ててね!」
「…はいはい」
「絶対っスよ!」
ぶんぶんと大きく手を振ってくる黄瀬に、軽く手を振り返す。
確認するまでもないが、黄瀬は有名人だ。
その黄瀬が誠凛の小さな男子生徒にハートを飛ばしているとなれば、当然注目もされるわけで。
そこにいる海常の人達と、黄瀬のファンであろう女の子達の視線が真司に集まっていた。
「…」
「烏羽君。本当に仲が良かったみたいね…?」
「なんか、すみません…」
恥ずかしさから頭を下げて、上目で黄瀬の姿を見つめる。
実際のところ黄瀬は上手くなっているはずだ。そして今、火神のダンクを見てしまった。
きっと、痛い程のお返しをくらうことになるだろう。
真司はごくりと唾を飲み、これから始まる試合に期待と恐怖を感じていた。
「テメーいつまでも手とか振ってんじゃねーよ!」
「いてっ!」
真司へアピールをしていた黄瀬は、突如背中に攻撃を受けた。
蹴られた背中を押さえて振り返ると、海常高校バスケ部主将の笠松幸男が怒りを露わにして黄瀬を見下ろしている。
「す、スマセンっス…」
「ったく。つか、いつも言ってた“真司っち”ってあれかよ」
「そーなんスよ!めっちゃ可愛いでしょ!」
「…可愛い、か?」
笠松は暫く誠凛側のベンチに座っている少年を見て、首を傾げた。
残念ながら、どんな角度から見ようとも可愛いという感想は抱けそうにない。
二人の会話を聞いていた森山も、真司の姿を目に捕らえると誇らしげにふっと笑った。
「なーんだ、黄瀬。お前趣味悪かったのか」
「ち、違うっスよ!」
「オレなんか、もっと可愛い子見つけたぜ」
「森山…お前もいい加減にしろ…」
いい加減試合モードに切り替えなければ、今度こそ軽いとび蹴りでは済まなくなる。
黄瀬はこほんと咳払いしてコートに視線を戻した。
「こっちは盛大な挨拶もらったんだぞ!きっちりお返ししなきゃ失礼だろ」
「そっスね」
笠松の言葉に黄瀬の目が光る。
そう、きっちり返してやらなければ。
コートチェンジも完了し、彼等の空気はぴりぴりしたものへと変わっていた。
・・・
「何よ、あれ…」
ピッという音と共に試合が再開される。
先にボールを取ったのは海常。受け取ったボールを笠松が素早く黄瀬に回した。
「監督?どうしたんですか?」
「黄瀬涼太…。想像を遥かに超えてる…」
火神のマークをかわして、黄瀬がゴール下へと走って行く。
ブロックなんて全く追いついていない。黄瀬の手に回ったボールはそのままゴールへと叩きつけられた。
「平均値がそもそも高い海常の中でもずば抜けてるわ…」
「そうなんですか」
「アンタ達、よくあんなのと一緒にやってたわね」
火神よりも細身に見える黄瀬だったが、ダンクの威力は先程の火神ものを上回っていた。
外側から見て気付く、彼の強さ。
鍛えられた体も、真剣な顔つきも、高さも力も。どれもこれも今になって酷く実感する。
「でも…テツ君や火神君だって負けてないはずです」
黄瀬の仕返しあって、彼等にも相当火がついている。いや、つき過ぎている。
お互いに攻めて、攻撃し続けて。
開始五分、22対25というハイペースな試合展開になっていた。
「弱点…!?」
リコが黒子のカミングアウトによって怒りと焦りを露わにするのは、最初のタイムアウトの時だった。
「ボクのミスディレクションは使いすぎると相手に慣れられてしまうんです」
「だから、テツ君がずっと試合に出続けることは出来ないんだよね?」
「はい。今も予想外のハイスペースで既に効力を失い始めています」
汗を拭いながら、黒子の声色にも若干の焦りが滲んでいる。
久しぶりだったせいで真司も忘れていたが、帝光時代も黒子が一試合に長く出続けたことはなかった。
「そ、そーゆー大事なことは最初に言わんかい!」
「すみません…聞かれなかったので」
「聞かな何も話さんのかい!おのれはー!!」
リコの絞め技が黒子に決まる。
それを笑ってみている余裕は、誠凛の一人にも無かった。
「仕方ないわね…黒子君は点差離されない程度にペースダウンね」
「はい」
ピッと鳴って試合が再開される。
黄瀬を止める為にマークを増やしても、海常の強さが黄瀬に頼っているものではない為に攻撃を抑えることが出来ない。
更には黒子の効力の低下。
点差はじわじわと広がり始めていた。
「そろそろ諦めたらどっスか?」
たんっとボールが落ちて、外に転がった。
火神のダンクをブロックした黄瀬が、冷たい目を火神に向けている。
「今の君じゃ、キセキの世代に挑むとか十年早いっスわ」
「なんだと…?」
「チームとしての陣形や戦略以前に、誠凛と海常じゃ五人のスペックが違いすぎる」
黄瀬の火神に放たれる言葉は、しっかりと真司の耳にも入っていた。勿論、黒子にも。
「唯一対抗できる可能性があったのは君っスけど、それでもオレには及ばない」
火神のプレーは今のところ、全てコピーされ、倍返しにされていた。それが証拠、ということか。
チームよりも、個人の実力。
(そんなもの…持ってしまったから皆は…)
背中を向けて去っていった青峰の姿が頭をチラつく。
追いかけても届きそうにない。掴みたいのに待ってくれない。
そんな、真司の中に生まれたイメージは、火神の笑い声で吹き飛ばされた。
「ハハハハハ…!」
額を押さえて笑っている火神は、本当に嬉しそうに、面白そうにしていて。
それまで火神を見下していた黄瀬も、驚いて目を丸くした。
「ワリーワリー、嬉しくってさ。そーゆーこと言ってくれる奴、久しぶりだったから」
「は、はぁ…?」
「アメリカじゃこれが普通だったんだけどな」
「アメリカ!?」
そういえば、火神は帰国子女。本場のバスケを味わってきた男だった。
光を見失う前の青峰に良く似た、光がそこにいる。
「強ぇ奴がいねーと生きがいになんねーだろ。勝てねェくらいが丁度いい!」
まだ点差は大きく開いていない。
それどころか、今の火神の言葉に誠凛側は図らずもかなり鼓舞された。
「そうね、火神君の言う通りだわ」
「はい…。本当に」
「ふふ。烏羽君、やりたそうね」
「そりゃそうですけど…。でも、二人を見ているのもすごく楽しいです」
相棒だった頃の、黒子と青峰。
それと同じくらいの関係を、黒子と火神は築けそうな気がする。それが、嬉しくて。
まだまだ、負ける気などしない。
再び試合が開始され、今度は冷静になった火神と黒子の連携が上手く試合を運び始めた。
今までは黒子のパスで火神がシュートするだけだった。それが今は火神もパスを出すことで選択肢が増え、攻撃力も増している。
点数も追いつき始め、完全に流れは誠凛に向いた。
そんな状況に、冷静な判断が出来なくなったのは、黄瀬だった。
焦って振り切った腕の先に居たのは黒子。
「「あっ!」」
火神と黄瀬の声が重なる。
黄瀬の腕をもろに顔面に食らってしまった黒子は、そこに倒れてしまった。
「テツ君!」
真司も咄嗟に立ち上がる。
ゆっくりと顔を上げた黒子の額には、痛々しく血が流れていた。
「テツ君、テツ君っ、大丈夫!?」
「大丈夫です。まだまだ試合はこれから…で…しょう…」
「テツ君!」
フラフラと、最後の方はかき消えそうな程の声で。真司は黒子に駆け寄ると、その肩を抱いた。
「烏羽君、血がついてしまいます」
「いいよ、そんなこと気にしなくて…っ」
「すみません…」
申し訳なさそうに、黒子が眉を下げる。
黒子がこんな風に血を流すところなんて初めて見たから、不安で怖くて。むしろ真司の方が泣きそうになっていた。
「おい、黒子。大丈夫…じゃねーな…」
「救急箱用意したから、早く黒子君をこっちに!」
「烏羽、貸せ」
「あ…」
ひょいっと火神が黒子を抱き上げてベンチに連れて行く。
空を切った片手を見つめて、真司は揺らぐ視界に黄瀬を映した。
敵になるということは、こういう事態も起こり得るということだ。
守る対象は、倒す対象に変わる。勿論、こんな展開は黄瀬にとっても不本意だろうが。
「…っ、真司っち…黒子っち…」
「おい、黄瀬。事故だ。自分を責めるなよ」
「分かってるっスけど…」
黄瀬が怪我をした黒子に駆け寄ることはない。
真司は首をぶんぶんと横に振って、ベンチに戻って行った。
「烏羽君。その弱弱しい顔、何とかしなさい」
「え、」
「黒子君は大丈夫だから。勿論、もう試合には出せないけど」
「…テツ君」
「代わりに行けるわね、烏羽君」
とん、と肩にリコの手が乗った。
流れてきた誠凛のペースを今崩すわけにはいかない。しかし、今まで主体だった黒子を失くしてそれが出来るか。
真司の奇襲に賭けてみたい。それがリコの考えのようだ。
「…俺は誠凛高校の烏羽真司」
「烏羽君?」
「やりますよ、やってやりますとも」
真司はすっと立ち上がり、手を自分の顔に持って行った。
「え、ちょ、烏羽君?」
「すみません小金井先輩。これ、お願いします」
「あ、あ、うん!え!?」
小金井の手に乗せられたのは、普段真司の顔を覆っていたもので。
驚いたのは小金井だけでなく、そこにいた全員だった。
「…そんなにジロジロ見ないで下さいよ」
「やだってさ、今まで頑なに見せてくれなかったのに…」
「試合中、邪魔になったらヤなんで」
もし試合に出る時が来たらと、真司はしっかりコンタクトを着用していた。勿論、眼鏡は伊達だ。
邪魔だった黒いフレームが無くなって広くなった視界。ついでに前髪も耳にかけて退かす。
「おい、ちょっと待て、オマエは…」
「はい!烏羽君について言及するのは後!試合に集中しなさいよ!」
茫然としている火神の前で、リコがぱんぱんと両手を叩いた。
火神の頭の中は恐らく、あの時ぶつかった男だと思った女はやっぱり男だった…なんて厄介なことになっているのだろう。
「火神君」
「な、何、だよ」
「ちゃんとついて来てね」
「お、おう…」
コートの向こう側、黄瀬も真司が出てくると気付いたようだ。
交差した目は初めての対面に、戸惑いと敵対心の両方で揺れていた。
「…黄瀬?」
「真司っち」
「あ?」
「笠松先輩。12番、すげぇ速いんで気を付けて下さい」
ピッというタイムアウト終了の合図で黄瀬が立ち上がる。
黄瀬の視線の先には、12番。
「おい待て、あの12番ってまさか」
「真司っちっス」
「まじかよ」
遠目には女にしか見えない。
笠松はごくりと唾を飲んで、頬に伝った冷や汗を拭った。
というのも、笠松がかなり女性を苦手としている人間だからで。
「あ、安心していいっスよ!真司っち、ちゃんと男なんで」
「んなこた分かってんだよ!アホか!」
試合が再開し、すぐにボールは真司の元へ渡された。
黒子も小さかったが、更に小さい。っていうか可愛い。
そんな印象しかない小さな体が、更に屈んで小さくなって。消えた。
「!?」
速攻だった。
気付いた時には真司がゴールの下でシュートをしていた。
ぱさっという音と共に誠凛の得点が追加される。
「ふはっ、やっぱ真司っちスゲェ!」
「喜んでる場合か!」
「痛い!」
黄瀬と仲が良かった元帝光中の選手。
姿を見た時はサイズからそこまで危険視していなかったが、さすがはキセキと共にやっていただけはある。
ようやく海常が真司の存在を認めた。
「…さしずめ…誠凛の女神といったところか…」
「あぁ?」
「運命は残酷だ。まさか女神と敵同士だなんて…」
「森山…お前…」
男でも良いのか。などということを気にしている場合ではない。
海常の選手の目が真司に集中した。
背が低くて、細くて色白で。足だって別に特別筋肉質なわけでもない。
それなのに速さと瞬発力と兼ね備えた足は並はずれていて。
「こうして対面すんのは、初めてっスね」
「うん。こんなに早く黄瀬君と出来て嬉しいよ」
「なんかその台詞エロいっス」
低い姿勢で真司がボールを打つ。
黄瀬程の体格がある人間だと、真司に対応するためには自然と普段より体勢が低くしなければならない。
「分かってると思うけど、黄瀬君に俺は止められないよ」
「それは分からないっスよ」
もう一度ドリブルして、真司の足が一歩動いた。
黄瀬の大きな体が真司の行く先を阻む。しかし真司はそれを左右に揺さぶり軽く越えて行った。
「っ、真司っち…!」
何度もマークをかわす練習を積んだ。ドリブルの練習ばかりしてきた。
一人、二人程度の壁なら、真司にとっては紙同然だ。
しかし、抜けた先で更に壁が張られる。今度は二人。
それでも、真司には見えていた。ゴールへと走る火神が。
「火神君!」
「おっしゃあ!」
ゴールへ向けて高く投げたボールは空中で火神に捕らえられ、そのままゴールを潜った。
「ナイス、火神君!」
「あ、お、おう。お前もナイスパス」
チームでバスケをしている。自分の存在がチームに役立っている。
「(嬉しい…。楽しい…!)」
自然と顔が緩む。
風を顔に受けながら走るのが好きだ。しかし、それよりも好きなのが、その先にゴールが見えた時。
「俺に、ボール下さい…っ」
「烏羽…?」
「相手に俺を攻略されるのは時間の問題なんです。それまで、俺を使って下さい…!」
真司の速さ、瞬発力は相手の意表をつくのが主な仕事だ。
小さな体は確かにボールを取られにくくするが、大きな体に囲まれたら回避不可。
真司がこうして自由に走れるのは、序盤だけなのだ。
「分かってるよ。烏羽、暫く海常の奴等を振り回してやれ」
「はい!」
日向の手が真司の頭をくしゃっと撫でる。そして、とんっと背中を叩いた。
第二クォーター、第三クォーターと続けて真司が走り回る。
真司の強さは、この無尽蔵な体力にもあった。
「もう一つ、黄瀬君にとって烏羽君は大きな弱点なのよね」
「へ?どういうこと?」
ベンチで小金井がきょとん、と目を丸くする。
リコは誇らしげにふふっと笑い、楽しそうに走っている真司を視界に映した。
「黒子君の影の薄さを彼にコピー出来ないように、烏羽君の足の速さはコピー出来ないのよ」
「あー。なるほど」
「それに、彼の瞬発力。ドリブル。全てに彼の身長もあって効力が増してる」
「背の高さもマネ出来ない!」
「そういうこと」
小金井は納得出来たのか、ふんふんと頷いて真司を見ている。
長い髪が揺れて、ちらちらと真司の大きな目が覗く。
「烏羽の顔も凶器だなぁ」
「は?」
「い、いや!ほら、思わず見惚れちゃいそうだなーって」
「…」
確かに、コートの中に一人美少女が紛れてしまっているようにも見える。
そうなるから隠したかったのに。
むすっとするリコを横目に見つつも、やはり小金井は真司を目で追ってしまうのだった。
「12番抑えるぞ!」
笠松の声と共に、真司の前に壁が作られる。
そろそろ第三クォーターも終わる。さすがに真司が走る余裕は無くなっていた。
誠凛が攻めているようにも見えるが、点は追いついていない。
真司は攻めるしか能が無く、守りはからっきし。海常の攻撃は防ぎ切れていないのだ。
「二人じゃ、俺を止められませんよって」
「さあな、いつか抑えられるかもしれねーだろ」
「そろそろ目も慣れてきたっスよ」
「…む」
笠松と黄瀬の二人が真司につく。それをドリブル死ながら一歩下がり、そして細かく動き揺さぶりをかけた。
やはり余裕だ。
真司がマークを抜けると、その先にまた壁。
「うわ…!」
咄嗟に脇に見えていた伊月にパスを回す。
しかし、既にスピードを出していた真司の体はカバーに入った森山に突っ込むこととなった。
「おっと」
細身ではあるが、真司と比べれば相当体格の良い森山。その手はしっかりと真司を支え、肩をがしっと掴んでいた。
「…!?」
「…今は我慢だ」
「え、え…?」
それだけ言って、森山は何事も無かったかのように戻って行く。
なんだったんだ、今のは。
そう思うのと同時に、真司がもう限界であることが分かってしまった。先程から、もう全然走れていないのだ。
「そろそろ…限界かしら」
相手が真司のマークを最小限にして上手く対応し始めているのと同時に、そもそも真司へパスが通らないようにブロックしている。
「せめて黒子君がいてくれたら…まだ追いつけたかもしれないのにっ」
「分かりました」
「え?」
第四クォーター。このままいったら海常に追いつくことが出来ない。
その焦りを感じとったのか何なのか。リコの後ろで、包帯を額に巻いた黒子が起き上った。
「ちょっと!駄目よ、怪我人でしょ!」
「でも…ボクが出て戦況が変わるなら、お願いします」
「…そうは言っても…」
「それに、約束しました。火神君の影になると」
若干足元ふらついているが、黒子の意志は固い。
それに、この状況から巻き返すには黒子を使う他ないだろう。
「分かったわ。でも、少しでも危険と判断したらスグ交代します!」
「有難うございます」
黒子が立ち上がる。
それは、誠凛の追い上げ開始の合図だった。
・・・
「はぁ…っはぁ…」
坂を上って行く大きなリアカーが左右に揺れる。
こいでいる黒髪の男は、後ろを振り返るとすぐに文句を漏らした。
「信号待ちで交代ジャンケンなのに…お前まだこいでなくね!?」
視線の先にいる男は悠々と“おしるこ”と書かれた缶に口をつけながら笑っている。
さっさとこげと言わんばかりの視線に、男は諦めの溜め息を吐いた。
「つかさぁ…たかだか練習試合でしょ?相当デキんだろうな、オマエの同中!」
「…マネっ子と、カゲ薄い子だね」
「それ強いの!?」
緑の髪が風に吹かれて揺れる。
その表情は楽しげにも寂しげにも見えるような複雑なもので。しかし、それを見ている者は誰一人としてそこにいなかった。
「…恐らく…あいつも…」
「何!?真ちゃん、聞こえない!」
「お前に声などかけていないのだよ」
「ったくもう!」
人を乗せたまま坂を上がって行くリアカー。
それは真っ直ぐに海常高校へと向かっていた。
追いついて追い抜かされて、また追いついて。
得点の入れ合いが続き、ピリピリとした空気で張り詰める。
真司は暫くの間呼吸も忘れて試合に集中していた。
「オレは負けねぇっスよ…誰にも…!」
黄瀬の表情は勝利への執着と、それが崩れる不安とで険しくなっている。
初めて見る顔だ。それほど、黄瀬にとって勝利とは当然ついて回るものだったのだろう。
「時間がねぇぞ!ボール獲れ!」
「守るんじゃ駄目!攻めて!」
日向とリコが声を上げる。
それに応えるように、黒子と火神が走った。
同点にして残り15秒。勝利は目前、だがしかし敗北もまだ目の前にちらつく。
「テツ君、火神君…!」
残りの時間が無くなっていく。
ボールを手に取ったのは黒子だった。
黒子から放たれたボールはゴールへ向かっていくが、黒子のシュートなんてたかがしれている。
しかし、そのボールを追いかけて跳んだ火神の手はしっかりとゴールを捕らえていて。
「アリウープだ!」
「させねぇっスよ!」
追いかけた黄瀬が跳ぶ。
しかし、火神はボールを手から離さなかった。まだ、まだ跳んでいる。後から跳んだ黄瀬よりもまだ、火神は宙にいた。
「テメーのお返しはもういらねーんだよ!これで終わりだからな!」
プレイが黄瀬にコピーされる。
それを回避する方法は、一度きりのブザービーター。
得点が誠凛にプラスされると同時に、試合が終了していた。
「うおっしゃああ!」
火神の雄叫びが耳に入ってきて、じわっと込み上げてきたのは感動だった。
たかだか練習試合。されど、海常との、黄瀬との試合。
茫然とする黄瀬の目から流れる涙を目にしながら、真司はすっと立ち上がった。
「やりましたね!監督!」
「えぇ!よくやったわ皆…!」
さすがに監督も心底喜んでいるようだ。
嬉しいに決まっている。勝利は嬉しくて当然だ。
「テツ君、並ぼ!」
「…はい、烏羽君」
たっと駆け寄って黒子の手を掴む。その横で、黄瀬がぽろぽろと流れ出す涙を手で覆っていた。
初めての敗北は、黄瀬の心に確かな衝撃を与えたらしい。
「…黄瀬君」
「や、ちょ…真司っち…見ないで欲しいっス…っ」
「隠さなくていいよ、黄瀬君。勝ったときよりも良い顔してるから」
「何…言ってんスか…」
ぐずぐずと目を擦っている黄瀬に笑いかける。
黄瀬はそれでも止まらない涙に俯いて。その背中を笠松が蹴り上げていた。
「メソメソしてんじゃねーよ!つか、今まで負けたことねーってのがナメてんだよ!」
「いでっ、せんぱ、痛いっ」
「そのスッカスカの辞書に、ちゃんと“リベンジ”って単語追加しとけ!」
そう、負けたら終わりなのではない。負けたからこそ次に繋がるものがある。
黄瀬は良い先輩に恵まれたんだ。それが分かって、真司は笠松に対して小さく頭を下げた。
「整列!100対98で誠凛高校の勝ち!」
「ありがとうございました!」
まさかの結果に海常の監督が青ざめている。対して、リコは溢れんばかりの満足感をその顔に表していた。
「じゃあ、皆帰る準備さっさとして!」
海常はこの後もこの試合の反省やら何やらで部活を続けることだろう。
リコの叩く手の音に反応して、真司もベンチに置いたままだったジャージを着こんで、帰る準備をする。
「真司君」
「はい?」
ふとかけられた声に、真司はきょとんと目を丸くして振り返った。
「黄瀬の元中、真司君」
「あ、はい、そうですが」
試合中にぶつかってしまった海常の選手、森山だ。
勿論真司は彼のことなどよく知らない。見上げて、更に首を傾げた。
「この出会いは運命…君もそう思うだろう?」
「え、っと?」
「今ここで手を放してしまえば、もう次は無いかもしれない」
「そうでしょうか…?」
言葉と同時にぎゅっと手を握られる。
海常くらいの高校となら、また公式に試合する機会くらいありそうなものだが。どうやらそういうことでは無いらしい。
「まずは連絡先の交換をしよう!」
そう言って森山が取り出したのは携帯電話だった。
さすがに森山のしていることに気が付いた黄瀬がどたどたと足音を立てて駆け寄ってくる。
そのまま庇うように真司と森山の間に割り込んだ。
「ちょ、ちょっともー!森山先輩何してんスか!」
「なんだ、黄瀬。もう泣き止んだのか」
「っ!そ、そんなことより、オレの趣味が悪いとか言ってたの、なんだったんスか!」
森山はさらさらの自分の髪を撫でつつ、鼻息をすっと漏らした。
見えなかったんだから仕方ないだろ、なんて開き直ったかのような笑み。
ちなみに今、真司の眼鏡は顔ではなくその手に持たれている。堂々とそこにある容姿は、やはり綺麗で、可愛くて。
「…ていうか!真司っちは携帯持ってないんスよ!ね!」
「持ってるけど」
「え…!?」
「持ってるけど」
「嘘!?」
黄瀬の傍を離れて、真司が壁際に置いていた鞄から真新しい携帯を取り出す。
それを見た瞬間、黄瀬だけでなく、黒子まで目を大きく見開いた。
「烏羽君、いつの間に」
「真司っち、買ったなら言ってよお!」
「え…。だって聞かれなかったし…」
手に持った携帯を素早く森山に取られ、携帯同士が近付けられる。
これが、赤外線というものだろう。初めてみるその行動に少し感動しつつ、黒子に手を引かれた。
次はボクと、と言いたいらしい。
「ちょ、ちょ…オレも!」
「黄瀬君もいいよ?」
「携帯取ってくるっス!」
たたっと黄瀬が走り出して、部室があるだろう扉の向こうにいなくなる。
それを見計らってか、リコがばっと手を挙げた。
「迷惑になるから早く帰るわよ!あと、烏羽君は連絡先教えなさい」
「烏羽、オレにも教えろよ」
リコの後に続いて日向も体育館を出て行く。それを見れば当然誠凛のメンバーは一人一人と出て行ってしまう。
真司はちらっと携帯を奪ったままの森山を見上げた。
「あの…携帯」
「あぁ。今度、連絡する」
「えっと、」
「だああ!ったく、お前いい加減にしろっての!」
つかつかと後ろから近付いてきた笠松が森山の背中を叩いた。
さすがに他の海常の人達も眉をひそめて森山に非難の目を向けている。
「全く。自分達が奥手だからって僻むなよ」
「僻んでねーよ!」
森山は不服そうに笠松を見てから、真司の手に携帯を返した。
手に戻ってきた携帯の画面を見ると、電話帳に“森山由孝”と新しく追加されている。
「悪かったな、えっと…真司?」
「いえ。では、失礼します」
「また会おうな!」
ぺこと頭を下げて、真司を待っている黒子を追う。
笠松も森山も、その後ろに立っている先輩達も、皆優しく目を細めて見送ってくれていた。
「烏羽君、一番初めにボクに教えて欲しかったです」
「え?あ、携帯?」
「はい。知りませんでした」
隣を歩く黒子が少し寂しげに俯いている。
そんな大事なものだと知っていたなら、それは勿論黒子に教えたのに。
「…一番じゃなきゃ駄目?」
「いえ。仕方ありません。二番目で我慢します」
顔を上げた黒子は優しく微笑んでいて。
安心すると同時にその携帯はひょいっと日向に取られていた。
「烏羽」
「は、はい」
「まずは部長と監督だよな?」
「…は」
真司の携帯が手元を離れて回されている。
唖然としながら、真司は黒子にごめんと小さく呟いた。
・・・
「うそ!真司っち帰っちゃったんスか!?」
自分の携帯を手にしたまま、黄瀬は体育館の外に飛び出した。が、そこに真司の姿はもうない。というより誠凛高校バスケ部の姿はすっかり消えてしまっていた。
「はぁ…森山先輩にいいとこ取られただけじゃないっスか」
しゅんと頭を下げて、軽く目を擦る。
真司の前で泣くし、引き止めることも出来ないし、負けるし。
「…」
込み上げる切なさと悔しさ。せっかく真司に会えたというのに良いとこなしだ。
黄瀬はゆっくり歩き出すと、外に設置されている水道の蛇口をひねった。
流れ出す水に頭を突っ込む。ひやりとした水に、落ち込んだ心と自分の失敗が全て流されてしまえばいいのに。
「オマエの双子座は今日の運勢最悪だったのだが…まさか負けるとは思わなかったのだよ」
耳に掠めた声に独特な話し方。
黄瀬はゆっくりと顔を上げると、そこに立っている男を視界に映した。
「見に来てたんスか、緑間っち」
「まぁ…どちらが勝っても不快な試合だったが」
緑間、帝光以来の再会だ。
とはいえ真司や黒子と会った時程の感動はそこにない。
出会い頭から占い結果を言い出すあたり緑間らしいとも言えるが、もう少し他に挨拶一つも無いものか。
「つーか、オレよりも黒子っちとか…真司っちと話さなくていいんスか?」
「…烏羽は黒子の後を追うと思ってはいたが…誠凛などという無名の新設校に行ったのは頂けない」
そういう緑間は、バスケ部強豪の秀徳高校へと行った。
その秀徳と誠凛は地区予選で間違いなく当たるだろう。
「残念だが、秀徳が誠凛に負けるという運命は有り得ない」
「…緑間っち」
「リベンジは諦めるんだな」
地区予選で勝ち残った高校と海常はいづれ戦うこととなる。
どちらにせよ、キセキの世代の集結は免れない。
「それと…黄瀬」
「何スか」
「もし烏羽と会うことがあったら言っておけ。眼鏡は外すなと」
「やっぱ気になってんじゃないっスかもー」
緑間はそのまま後ろを向いてしまった。
本当は真司に会いたくて仕方がないくせに。この久々に見せた緑間のツンツン具合に笑いつつも、黄瀬は携帯をぎゅっと握りしめた。
こうして一人一人と再会していく。
その中で、今黄瀬は一番先に再会出来た、幸運な人間なのだ。
「緑間っち!オレ、待たないっスからね!」
「…勝手にしろ」
「勝手にするっス」
本当はずっと一人占めしたかった。
他の人間は勿論、キセキの世代の誰にも渡したくなんてなかったのだ。
「…まだ、諦めないっスよ、真司っち」
黄瀬は首を横にぶんぶんと振って、体育館に戻って行った。
海常の五人と誠凛の五人が向かい合う。
黒子と火神と日向と伊月と水戸部の五人。しかし、試合監督であろう海常の生徒は不快そうな視線を誠凛チームに向けた。
「誠凛は早く五人並んで下さい」
「あの…います、五人」
「!?」
お馴染みの展開、黒子の薄さが既に発揮されている。
これは良い具合に黒子がミスディレクションでかき回してくれそうだ。
「ふふ、海常の人達驚いてる」
思わず笑った真司の隣に座っているリコは、そんな黒子の様子などお構いなしに、目を凝らして海常の選手を眺めている。
選手一人一人の数値化された能力を確認しているのだろう。リコには見えているのだ。彼等の身体能力が。
「監督、海常の選手どんな感じですか?」
「さすが全国クラスって感じね…。皆揃って軒並み高すぎ…」
「そんなにですか」
「揃いも揃って平均値高すぎよ…」
確かに全体的に背が高く、当然黒子や真司のような選手はいない。
「でもね、烏羽君」
「はい?」
「貴方の足に勝てる足を持つ人はいないわ」
「まぁ、足だけならキセキの世代にも負けてませんから」
「そうだったわね」
自信満々に返した真司に、リコも満足気に鼻息を漏らす。
そんな会話をしていた為に、二人の視線は試合の方から逸れていた。
突然二人の耳に入ったのは激しいダンクの音。と、何か軋んだ音。
「え、今の何の音ですか?」
バスケの試合で聞こえる音ではない、木の軋み。
よく見ればダンクした張本人であろう火神の手にはバスケのゴールが。
「烏羽、見てなかったの?」
「あ、はい」
「あのゴール年期入ってたしねぇ。火神のダンクで取れちゃったみたい」
「取れちゃった…ですか…」
人差し指を立てて笑って言うのは小金井。
いや、残念ながら笑っていられる状況とは違うと思われるが。
「すみません。ゴール壊れちゃったんで、全面コート使わせてもらえませんか」
淡々と言ってのける黒子に、海常の監督は言葉無く頷いた。
黒子のミスディレクションによる不意打ちパスからの火神のダンク。まさか初っ端からこうも上手くいくとは。
「でもまぁ…これで黄瀬君も出てくるみたいね。ここからが本当の試合開始よ」
がたんと大きなゴールが下ろされ、全面コートに移動する。今度は海常チームに黄瀬も入っていた。
「あ、真司っち!格好いいとこ見せるっスから、しっかり見ててね!」
「…はいはい」
「絶対っスよ!」
ぶんぶんと大きく手を振ってくる黄瀬に、軽く手を振り返す。
確認するまでもないが、黄瀬は有名人だ。
その黄瀬が誠凛の小さな男子生徒にハートを飛ばしているとなれば、当然注目もされるわけで。
そこにいる海常の人達と、黄瀬のファンであろう女の子達の視線が真司に集まっていた。
「…」
「烏羽君。本当に仲が良かったみたいね…?」
「なんか、すみません…」
恥ずかしさから頭を下げて、上目で黄瀬の姿を見つめる。
実際のところ黄瀬は上手くなっているはずだ。そして今、火神のダンクを見てしまった。
きっと、痛い程のお返しをくらうことになるだろう。
真司はごくりと唾を飲み、これから始まる試合に期待と恐怖を感じていた。
「テメーいつまでも手とか振ってんじゃねーよ!」
「いてっ!」
真司へアピールをしていた黄瀬は、突如背中に攻撃を受けた。
蹴られた背中を押さえて振り返ると、海常高校バスケ部主将の笠松幸男が怒りを露わにして黄瀬を見下ろしている。
「す、スマセンっス…」
「ったく。つか、いつも言ってた“真司っち”ってあれかよ」
「そーなんスよ!めっちゃ可愛いでしょ!」
「…可愛い、か?」
笠松は暫く誠凛側のベンチに座っている少年を見て、首を傾げた。
残念ながら、どんな角度から見ようとも可愛いという感想は抱けそうにない。
二人の会話を聞いていた森山も、真司の姿を目に捕らえると誇らしげにふっと笑った。
「なーんだ、黄瀬。お前趣味悪かったのか」
「ち、違うっスよ!」
「オレなんか、もっと可愛い子見つけたぜ」
「森山…お前もいい加減にしろ…」
いい加減試合モードに切り替えなければ、今度こそ軽いとび蹴りでは済まなくなる。
黄瀬はこほんと咳払いしてコートに視線を戻した。
「こっちは盛大な挨拶もらったんだぞ!きっちりお返ししなきゃ失礼だろ」
「そっスね」
笠松の言葉に黄瀬の目が光る。
そう、きっちり返してやらなければ。
コートチェンジも完了し、彼等の空気はぴりぴりしたものへと変わっていた。
・・・
「何よ、あれ…」
ピッという音と共に試合が再開される。
先にボールを取ったのは海常。受け取ったボールを笠松が素早く黄瀬に回した。
「監督?どうしたんですか?」
「黄瀬涼太…。想像を遥かに超えてる…」
火神のマークをかわして、黄瀬がゴール下へと走って行く。
ブロックなんて全く追いついていない。黄瀬の手に回ったボールはそのままゴールへと叩きつけられた。
「平均値がそもそも高い海常の中でもずば抜けてるわ…」
「そうなんですか」
「アンタ達、よくあんなのと一緒にやってたわね」
火神よりも細身に見える黄瀬だったが、ダンクの威力は先程の火神ものを上回っていた。
外側から見て気付く、彼の強さ。
鍛えられた体も、真剣な顔つきも、高さも力も。どれもこれも今になって酷く実感する。
「でも…テツ君や火神君だって負けてないはずです」
黄瀬の仕返しあって、彼等にも相当火がついている。いや、つき過ぎている。
お互いに攻めて、攻撃し続けて。
開始五分、22対25というハイペースな試合展開になっていた。
「弱点…!?」
リコが黒子のカミングアウトによって怒りと焦りを露わにするのは、最初のタイムアウトの時だった。
「ボクのミスディレクションは使いすぎると相手に慣れられてしまうんです」
「だから、テツ君がずっと試合に出続けることは出来ないんだよね?」
「はい。今も予想外のハイスペースで既に効力を失い始めています」
汗を拭いながら、黒子の声色にも若干の焦りが滲んでいる。
久しぶりだったせいで真司も忘れていたが、帝光時代も黒子が一試合に長く出続けたことはなかった。
「そ、そーゆー大事なことは最初に言わんかい!」
「すみません…聞かれなかったので」
「聞かな何も話さんのかい!おのれはー!!」
リコの絞め技が黒子に決まる。
それを笑ってみている余裕は、誠凛の一人にも無かった。
「仕方ないわね…黒子君は点差離されない程度にペースダウンね」
「はい」
ピッと鳴って試合が再開される。
黄瀬を止める為にマークを増やしても、海常の強さが黄瀬に頼っているものではない為に攻撃を抑えることが出来ない。
更には黒子の効力の低下。
点差はじわじわと広がり始めていた。
「そろそろ諦めたらどっスか?」
たんっとボールが落ちて、外に転がった。
火神のダンクをブロックした黄瀬が、冷たい目を火神に向けている。
「今の君じゃ、キセキの世代に挑むとか十年早いっスわ」
「なんだと…?」
「チームとしての陣形や戦略以前に、誠凛と海常じゃ五人のスペックが違いすぎる」
黄瀬の火神に放たれる言葉は、しっかりと真司の耳にも入っていた。勿論、黒子にも。
「唯一対抗できる可能性があったのは君っスけど、それでもオレには及ばない」
火神のプレーは今のところ、全てコピーされ、倍返しにされていた。それが証拠、ということか。
チームよりも、個人の実力。
(そんなもの…持ってしまったから皆は…)
背中を向けて去っていった青峰の姿が頭をチラつく。
追いかけても届きそうにない。掴みたいのに待ってくれない。
そんな、真司の中に生まれたイメージは、火神の笑い声で吹き飛ばされた。
「ハハハハハ…!」
額を押さえて笑っている火神は、本当に嬉しそうに、面白そうにしていて。
それまで火神を見下していた黄瀬も、驚いて目を丸くした。
「ワリーワリー、嬉しくってさ。そーゆーこと言ってくれる奴、久しぶりだったから」
「は、はぁ…?」
「アメリカじゃこれが普通だったんだけどな」
「アメリカ!?」
そういえば、火神は帰国子女。本場のバスケを味わってきた男だった。
光を見失う前の青峰に良く似た、光がそこにいる。
「強ぇ奴がいねーと生きがいになんねーだろ。勝てねェくらいが丁度いい!」
まだ点差は大きく開いていない。
それどころか、今の火神の言葉に誠凛側は図らずもかなり鼓舞された。
「そうね、火神君の言う通りだわ」
「はい…。本当に」
「ふふ。烏羽君、やりたそうね」
「そりゃそうですけど…。でも、二人を見ているのもすごく楽しいです」
相棒だった頃の、黒子と青峰。
それと同じくらいの関係を、黒子と火神は築けそうな気がする。それが、嬉しくて。
まだまだ、負ける気などしない。
再び試合が開始され、今度は冷静になった火神と黒子の連携が上手く試合を運び始めた。
今までは黒子のパスで火神がシュートするだけだった。それが今は火神もパスを出すことで選択肢が増え、攻撃力も増している。
点数も追いつき始め、完全に流れは誠凛に向いた。
そんな状況に、冷静な判断が出来なくなったのは、黄瀬だった。
焦って振り切った腕の先に居たのは黒子。
「「あっ!」」
火神と黄瀬の声が重なる。
黄瀬の腕をもろに顔面に食らってしまった黒子は、そこに倒れてしまった。
「テツ君!」
真司も咄嗟に立ち上がる。
ゆっくりと顔を上げた黒子の額には、痛々しく血が流れていた。
「テツ君、テツ君っ、大丈夫!?」
「大丈夫です。まだまだ試合はこれから…で…しょう…」
「テツ君!」
フラフラと、最後の方はかき消えそうな程の声で。真司は黒子に駆け寄ると、その肩を抱いた。
「烏羽君、血がついてしまいます」
「いいよ、そんなこと気にしなくて…っ」
「すみません…」
申し訳なさそうに、黒子が眉を下げる。
黒子がこんな風に血を流すところなんて初めて見たから、不安で怖くて。むしろ真司の方が泣きそうになっていた。
「おい、黒子。大丈夫…じゃねーな…」
「救急箱用意したから、早く黒子君をこっちに!」
「烏羽、貸せ」
「あ…」
ひょいっと火神が黒子を抱き上げてベンチに連れて行く。
空を切った片手を見つめて、真司は揺らぐ視界に黄瀬を映した。
敵になるということは、こういう事態も起こり得るということだ。
守る対象は、倒す対象に変わる。勿論、こんな展開は黄瀬にとっても不本意だろうが。
「…っ、真司っち…黒子っち…」
「おい、黄瀬。事故だ。自分を責めるなよ」
「分かってるっスけど…」
黄瀬が怪我をした黒子に駆け寄ることはない。
真司は首をぶんぶんと横に振って、ベンチに戻って行った。
「烏羽君。その弱弱しい顔、何とかしなさい」
「え、」
「黒子君は大丈夫だから。勿論、もう試合には出せないけど」
「…テツ君」
「代わりに行けるわね、烏羽君」
とん、と肩にリコの手が乗った。
流れてきた誠凛のペースを今崩すわけにはいかない。しかし、今まで主体だった黒子を失くしてそれが出来るか。
真司の奇襲に賭けてみたい。それがリコの考えのようだ。
「…俺は誠凛高校の烏羽真司」
「烏羽君?」
「やりますよ、やってやりますとも」
真司はすっと立ち上がり、手を自分の顔に持って行った。
「え、ちょ、烏羽君?」
「すみません小金井先輩。これ、お願いします」
「あ、あ、うん!え!?」
小金井の手に乗せられたのは、普段真司の顔を覆っていたもので。
驚いたのは小金井だけでなく、そこにいた全員だった。
「…そんなにジロジロ見ないで下さいよ」
「やだってさ、今まで頑なに見せてくれなかったのに…」
「試合中、邪魔になったらヤなんで」
もし試合に出る時が来たらと、真司はしっかりコンタクトを着用していた。勿論、眼鏡は伊達だ。
邪魔だった黒いフレームが無くなって広くなった視界。ついでに前髪も耳にかけて退かす。
「おい、ちょっと待て、オマエは…」
「はい!烏羽君について言及するのは後!試合に集中しなさいよ!」
茫然としている火神の前で、リコがぱんぱんと両手を叩いた。
火神の頭の中は恐らく、あの時ぶつかった男だと思った女はやっぱり男だった…なんて厄介なことになっているのだろう。
「火神君」
「な、何、だよ」
「ちゃんとついて来てね」
「お、おう…」
コートの向こう側、黄瀬も真司が出てくると気付いたようだ。
交差した目は初めての対面に、戸惑いと敵対心の両方で揺れていた。
「…黄瀬?」
「真司っち」
「あ?」
「笠松先輩。12番、すげぇ速いんで気を付けて下さい」
ピッというタイムアウト終了の合図で黄瀬が立ち上がる。
黄瀬の視線の先には、12番。
「おい待て、あの12番ってまさか」
「真司っちっス」
「まじかよ」
遠目には女にしか見えない。
笠松はごくりと唾を飲んで、頬に伝った冷や汗を拭った。
というのも、笠松がかなり女性を苦手としている人間だからで。
「あ、安心していいっスよ!真司っち、ちゃんと男なんで」
「んなこた分かってんだよ!アホか!」
試合が再開し、すぐにボールは真司の元へ渡された。
黒子も小さかったが、更に小さい。っていうか可愛い。
そんな印象しかない小さな体が、更に屈んで小さくなって。消えた。
「!?」
速攻だった。
気付いた時には真司がゴールの下でシュートをしていた。
ぱさっという音と共に誠凛の得点が追加される。
「ふはっ、やっぱ真司っちスゲェ!」
「喜んでる場合か!」
「痛い!」
黄瀬と仲が良かった元帝光中の選手。
姿を見た時はサイズからそこまで危険視していなかったが、さすがはキセキと共にやっていただけはある。
ようやく海常が真司の存在を認めた。
「…さしずめ…誠凛の女神といったところか…」
「あぁ?」
「運命は残酷だ。まさか女神と敵同士だなんて…」
「森山…お前…」
男でも良いのか。などということを気にしている場合ではない。
海常の選手の目が真司に集中した。
背が低くて、細くて色白で。足だって別に特別筋肉質なわけでもない。
それなのに速さと瞬発力と兼ね備えた足は並はずれていて。
「こうして対面すんのは、初めてっスね」
「うん。こんなに早く黄瀬君と出来て嬉しいよ」
「なんかその台詞エロいっス」
低い姿勢で真司がボールを打つ。
黄瀬程の体格がある人間だと、真司に対応するためには自然と普段より体勢が低くしなければならない。
「分かってると思うけど、黄瀬君に俺は止められないよ」
「それは分からないっスよ」
もう一度ドリブルして、真司の足が一歩動いた。
黄瀬の大きな体が真司の行く先を阻む。しかし真司はそれを左右に揺さぶり軽く越えて行った。
「っ、真司っち…!」
何度もマークをかわす練習を積んだ。ドリブルの練習ばかりしてきた。
一人、二人程度の壁なら、真司にとっては紙同然だ。
しかし、抜けた先で更に壁が張られる。今度は二人。
それでも、真司には見えていた。ゴールへと走る火神が。
「火神君!」
「おっしゃあ!」
ゴールへ向けて高く投げたボールは空中で火神に捕らえられ、そのままゴールを潜った。
「ナイス、火神君!」
「あ、お、おう。お前もナイスパス」
チームでバスケをしている。自分の存在がチームに役立っている。
「(嬉しい…。楽しい…!)」
自然と顔が緩む。
風を顔に受けながら走るのが好きだ。しかし、それよりも好きなのが、その先にゴールが見えた時。
「俺に、ボール下さい…っ」
「烏羽…?」
「相手に俺を攻略されるのは時間の問題なんです。それまで、俺を使って下さい…!」
真司の速さ、瞬発力は相手の意表をつくのが主な仕事だ。
小さな体は確かにボールを取られにくくするが、大きな体に囲まれたら回避不可。
真司がこうして自由に走れるのは、序盤だけなのだ。
「分かってるよ。烏羽、暫く海常の奴等を振り回してやれ」
「はい!」
日向の手が真司の頭をくしゃっと撫でる。そして、とんっと背中を叩いた。
第二クォーター、第三クォーターと続けて真司が走り回る。
真司の強さは、この無尽蔵な体力にもあった。
「もう一つ、黄瀬君にとって烏羽君は大きな弱点なのよね」
「へ?どういうこと?」
ベンチで小金井がきょとん、と目を丸くする。
リコは誇らしげにふふっと笑い、楽しそうに走っている真司を視界に映した。
「黒子君の影の薄さを彼にコピー出来ないように、烏羽君の足の速さはコピー出来ないのよ」
「あー。なるほど」
「それに、彼の瞬発力。ドリブル。全てに彼の身長もあって効力が増してる」
「背の高さもマネ出来ない!」
「そういうこと」
小金井は納得出来たのか、ふんふんと頷いて真司を見ている。
長い髪が揺れて、ちらちらと真司の大きな目が覗く。
「烏羽の顔も凶器だなぁ」
「は?」
「い、いや!ほら、思わず見惚れちゃいそうだなーって」
「…」
確かに、コートの中に一人美少女が紛れてしまっているようにも見える。
そうなるから隠したかったのに。
むすっとするリコを横目に見つつも、やはり小金井は真司を目で追ってしまうのだった。
「12番抑えるぞ!」
笠松の声と共に、真司の前に壁が作られる。
そろそろ第三クォーターも終わる。さすがに真司が走る余裕は無くなっていた。
誠凛が攻めているようにも見えるが、点は追いついていない。
真司は攻めるしか能が無く、守りはからっきし。海常の攻撃は防ぎ切れていないのだ。
「二人じゃ、俺を止められませんよって」
「さあな、いつか抑えられるかもしれねーだろ」
「そろそろ目も慣れてきたっスよ」
「…む」
笠松と黄瀬の二人が真司につく。それをドリブル死ながら一歩下がり、そして細かく動き揺さぶりをかけた。
やはり余裕だ。
真司がマークを抜けると、その先にまた壁。
「うわ…!」
咄嗟に脇に見えていた伊月にパスを回す。
しかし、既にスピードを出していた真司の体はカバーに入った森山に突っ込むこととなった。
「おっと」
細身ではあるが、真司と比べれば相当体格の良い森山。その手はしっかりと真司を支え、肩をがしっと掴んでいた。
「…!?」
「…今は我慢だ」
「え、え…?」
それだけ言って、森山は何事も無かったかのように戻って行く。
なんだったんだ、今のは。
そう思うのと同時に、真司がもう限界であることが分かってしまった。先程から、もう全然走れていないのだ。
「そろそろ…限界かしら」
相手が真司のマークを最小限にして上手く対応し始めているのと同時に、そもそも真司へパスが通らないようにブロックしている。
「せめて黒子君がいてくれたら…まだ追いつけたかもしれないのにっ」
「分かりました」
「え?」
第四クォーター。このままいったら海常に追いつくことが出来ない。
その焦りを感じとったのか何なのか。リコの後ろで、包帯を額に巻いた黒子が起き上った。
「ちょっと!駄目よ、怪我人でしょ!」
「でも…ボクが出て戦況が変わるなら、お願いします」
「…そうは言っても…」
「それに、約束しました。火神君の影になると」
若干足元ふらついているが、黒子の意志は固い。
それに、この状況から巻き返すには黒子を使う他ないだろう。
「分かったわ。でも、少しでも危険と判断したらスグ交代します!」
「有難うございます」
黒子が立ち上がる。
それは、誠凛の追い上げ開始の合図だった。
・・・
「はぁ…っはぁ…」
坂を上って行く大きなリアカーが左右に揺れる。
こいでいる黒髪の男は、後ろを振り返るとすぐに文句を漏らした。
「信号待ちで交代ジャンケンなのに…お前まだこいでなくね!?」
視線の先にいる男は悠々と“おしるこ”と書かれた缶に口をつけながら笑っている。
さっさとこげと言わんばかりの視線に、男は諦めの溜め息を吐いた。
「つかさぁ…たかだか練習試合でしょ?相当デキんだろうな、オマエの同中!」
「…マネっ子と、カゲ薄い子だね」
「それ強いの!?」
緑の髪が風に吹かれて揺れる。
その表情は楽しげにも寂しげにも見えるような複雑なもので。しかし、それを見ている者は誰一人としてそこにいなかった。
「…恐らく…あいつも…」
「何!?真ちゃん、聞こえない!」
「お前に声などかけていないのだよ」
「ったくもう!」
人を乗せたまま坂を上がって行くリアカー。
それは真っ直ぐに海常高校へと向かっていた。
追いついて追い抜かされて、また追いついて。
得点の入れ合いが続き、ピリピリとした空気で張り詰める。
真司は暫くの間呼吸も忘れて試合に集中していた。
「オレは負けねぇっスよ…誰にも…!」
黄瀬の表情は勝利への執着と、それが崩れる不安とで険しくなっている。
初めて見る顔だ。それほど、黄瀬にとって勝利とは当然ついて回るものだったのだろう。
「時間がねぇぞ!ボール獲れ!」
「守るんじゃ駄目!攻めて!」
日向とリコが声を上げる。
それに応えるように、黒子と火神が走った。
同点にして残り15秒。勝利は目前、だがしかし敗北もまだ目の前にちらつく。
「テツ君、火神君…!」
残りの時間が無くなっていく。
ボールを手に取ったのは黒子だった。
黒子から放たれたボールはゴールへ向かっていくが、黒子のシュートなんてたかがしれている。
しかし、そのボールを追いかけて跳んだ火神の手はしっかりとゴールを捕らえていて。
「アリウープだ!」
「させねぇっスよ!」
追いかけた黄瀬が跳ぶ。
しかし、火神はボールを手から離さなかった。まだ、まだ跳んでいる。後から跳んだ黄瀬よりもまだ、火神は宙にいた。
「テメーのお返しはもういらねーんだよ!これで終わりだからな!」
プレイが黄瀬にコピーされる。
それを回避する方法は、一度きりのブザービーター。
得点が誠凛にプラスされると同時に、試合が終了していた。
「うおっしゃああ!」
火神の雄叫びが耳に入ってきて、じわっと込み上げてきたのは感動だった。
たかだか練習試合。されど、海常との、黄瀬との試合。
茫然とする黄瀬の目から流れる涙を目にしながら、真司はすっと立ち上がった。
「やりましたね!監督!」
「えぇ!よくやったわ皆…!」
さすがに監督も心底喜んでいるようだ。
嬉しいに決まっている。勝利は嬉しくて当然だ。
「テツ君、並ぼ!」
「…はい、烏羽君」
たっと駆け寄って黒子の手を掴む。その横で、黄瀬がぽろぽろと流れ出す涙を手で覆っていた。
初めての敗北は、黄瀬の心に確かな衝撃を与えたらしい。
「…黄瀬君」
「や、ちょ…真司っち…見ないで欲しいっス…っ」
「隠さなくていいよ、黄瀬君。勝ったときよりも良い顔してるから」
「何…言ってんスか…」
ぐずぐずと目を擦っている黄瀬に笑いかける。
黄瀬はそれでも止まらない涙に俯いて。その背中を笠松が蹴り上げていた。
「メソメソしてんじゃねーよ!つか、今まで負けたことねーってのがナメてんだよ!」
「いでっ、せんぱ、痛いっ」
「そのスッカスカの辞書に、ちゃんと“リベンジ”って単語追加しとけ!」
そう、負けたら終わりなのではない。負けたからこそ次に繋がるものがある。
黄瀬は良い先輩に恵まれたんだ。それが分かって、真司は笠松に対して小さく頭を下げた。
「整列!100対98で誠凛高校の勝ち!」
「ありがとうございました!」
まさかの結果に海常の監督が青ざめている。対して、リコは溢れんばかりの満足感をその顔に表していた。
「じゃあ、皆帰る準備さっさとして!」
海常はこの後もこの試合の反省やら何やらで部活を続けることだろう。
リコの叩く手の音に反応して、真司もベンチに置いたままだったジャージを着こんで、帰る準備をする。
「真司君」
「はい?」
ふとかけられた声に、真司はきょとんと目を丸くして振り返った。
「黄瀬の元中、真司君」
「あ、はい、そうですが」
試合中にぶつかってしまった海常の選手、森山だ。
勿論真司は彼のことなどよく知らない。見上げて、更に首を傾げた。
「この出会いは運命…君もそう思うだろう?」
「え、っと?」
「今ここで手を放してしまえば、もう次は無いかもしれない」
「そうでしょうか…?」
言葉と同時にぎゅっと手を握られる。
海常くらいの高校となら、また公式に試合する機会くらいありそうなものだが。どうやらそういうことでは無いらしい。
「まずは連絡先の交換をしよう!」
そう言って森山が取り出したのは携帯電話だった。
さすがに森山のしていることに気が付いた黄瀬がどたどたと足音を立てて駆け寄ってくる。
そのまま庇うように真司と森山の間に割り込んだ。
「ちょ、ちょっともー!森山先輩何してんスか!」
「なんだ、黄瀬。もう泣き止んだのか」
「っ!そ、そんなことより、オレの趣味が悪いとか言ってたの、なんだったんスか!」
森山はさらさらの自分の髪を撫でつつ、鼻息をすっと漏らした。
見えなかったんだから仕方ないだろ、なんて開き直ったかのような笑み。
ちなみに今、真司の眼鏡は顔ではなくその手に持たれている。堂々とそこにある容姿は、やはり綺麗で、可愛くて。
「…ていうか!真司っちは携帯持ってないんスよ!ね!」
「持ってるけど」
「え…!?」
「持ってるけど」
「嘘!?」
黄瀬の傍を離れて、真司が壁際に置いていた鞄から真新しい携帯を取り出す。
それを見た瞬間、黄瀬だけでなく、黒子まで目を大きく見開いた。
「烏羽君、いつの間に」
「真司っち、買ったなら言ってよお!」
「え…。だって聞かれなかったし…」
手に持った携帯を素早く森山に取られ、携帯同士が近付けられる。
これが、赤外線というものだろう。初めてみるその行動に少し感動しつつ、黒子に手を引かれた。
次はボクと、と言いたいらしい。
「ちょ、ちょ…オレも!」
「黄瀬君もいいよ?」
「携帯取ってくるっス!」
たたっと黄瀬が走り出して、部室があるだろう扉の向こうにいなくなる。
それを見計らってか、リコがばっと手を挙げた。
「迷惑になるから早く帰るわよ!あと、烏羽君は連絡先教えなさい」
「烏羽、オレにも教えろよ」
リコの後に続いて日向も体育館を出て行く。それを見れば当然誠凛のメンバーは一人一人と出て行ってしまう。
真司はちらっと携帯を奪ったままの森山を見上げた。
「あの…携帯」
「あぁ。今度、連絡する」
「えっと、」
「だああ!ったく、お前いい加減にしろっての!」
つかつかと後ろから近付いてきた笠松が森山の背中を叩いた。
さすがに他の海常の人達も眉をひそめて森山に非難の目を向けている。
「全く。自分達が奥手だからって僻むなよ」
「僻んでねーよ!」
森山は不服そうに笠松を見てから、真司の手に携帯を返した。
手に戻ってきた携帯の画面を見ると、電話帳に“森山由孝”と新しく追加されている。
「悪かったな、えっと…真司?」
「いえ。では、失礼します」
「また会おうな!」
ぺこと頭を下げて、真司を待っている黒子を追う。
笠松も森山も、その後ろに立っている先輩達も、皆優しく目を細めて見送ってくれていた。
「烏羽君、一番初めにボクに教えて欲しかったです」
「え?あ、携帯?」
「はい。知りませんでした」
隣を歩く黒子が少し寂しげに俯いている。
そんな大事なものだと知っていたなら、それは勿論黒子に教えたのに。
「…一番じゃなきゃ駄目?」
「いえ。仕方ありません。二番目で我慢します」
顔を上げた黒子は優しく微笑んでいて。
安心すると同時にその携帯はひょいっと日向に取られていた。
「烏羽」
「は、はい」
「まずは部長と監督だよな?」
「…は」
真司の携帯が手元を離れて回されている。
唖然としながら、真司は黒子にごめんと小さく呟いた。
・・・
「うそ!真司っち帰っちゃったんスか!?」
自分の携帯を手にしたまま、黄瀬は体育館の外に飛び出した。が、そこに真司の姿はもうない。というより誠凛高校バスケ部の姿はすっかり消えてしまっていた。
「はぁ…森山先輩にいいとこ取られただけじゃないっスか」
しゅんと頭を下げて、軽く目を擦る。
真司の前で泣くし、引き止めることも出来ないし、負けるし。
「…」
込み上げる切なさと悔しさ。せっかく真司に会えたというのに良いとこなしだ。
黄瀬はゆっくり歩き出すと、外に設置されている水道の蛇口をひねった。
流れ出す水に頭を突っ込む。ひやりとした水に、落ち込んだ心と自分の失敗が全て流されてしまえばいいのに。
「オマエの双子座は今日の運勢最悪だったのだが…まさか負けるとは思わなかったのだよ」
耳に掠めた声に独特な話し方。
黄瀬はゆっくりと顔を上げると、そこに立っている男を視界に映した。
「見に来てたんスか、緑間っち」
「まぁ…どちらが勝っても不快な試合だったが」
緑間、帝光以来の再会だ。
とはいえ真司や黒子と会った時程の感動はそこにない。
出会い頭から占い結果を言い出すあたり緑間らしいとも言えるが、もう少し他に挨拶一つも無いものか。
「つーか、オレよりも黒子っちとか…真司っちと話さなくていいんスか?」
「…烏羽は黒子の後を追うと思ってはいたが…誠凛などという無名の新設校に行ったのは頂けない」
そういう緑間は、バスケ部強豪の秀徳高校へと行った。
その秀徳と誠凛は地区予選で間違いなく当たるだろう。
「残念だが、秀徳が誠凛に負けるという運命は有り得ない」
「…緑間っち」
「リベンジは諦めるんだな」
地区予選で勝ち残った高校と海常はいづれ戦うこととなる。
どちらにせよ、キセキの世代の集結は免れない。
「それと…黄瀬」
「何スか」
「もし烏羽と会うことがあったら言っておけ。眼鏡は外すなと」
「やっぱ気になってんじゃないっスかもー」
緑間はそのまま後ろを向いてしまった。
本当は真司に会いたくて仕方がないくせに。この久々に見せた緑間のツンツン具合に笑いつつも、黄瀬は携帯をぎゅっと握りしめた。
こうして一人一人と再会していく。
その中で、今黄瀬は一番先に再会出来た、幸運な人間なのだ。
「緑間っち!オレ、待たないっスからね!」
「…勝手にしろ」
「勝手にするっス」
本当はずっと一人占めしたかった。
他の人間は勿論、キセキの世代の誰にも渡したくなんてなかったのだ。
「…まだ、諦めないっスよ、真司っち」
黄瀬は首を横にぶんぶんと振って、体育館に戻って行った。