黒バス(2012.10~2017.12)
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汗をタオルで拭いながら、真司は冷えた床に腰を下ろした。
放課後の部活。
ずっとトレーニングや筋トレを続けていたとはいえ、やはり部活動はハードに感じる。そして、楽しくて仕方がない。
「烏羽君」
「はい…?」
肩で繰り返していた呼吸を抑えて顔を上げる。
見下ろしているのは、バスケ部の監督であるリコ。毎日続けている練習のメニューは部長である日向と二人で主につくっているのだそうだ。
「ずいぶんと体力あるのね。これだけやらせてバテないの、烏羽君が初めてかも」
「はは…もしかして、意図的にキツいメニューにしてたんですか?」
「ふふふ。最初は皆がどの程度ついて来れるか見たいからねー」
楽しげに笑うリコは、やはりSっ気の強い人間だと思わざるを得ない。
練習メニューも、恐らくほとんどリコの独断だろう。
「それに引き替え…黒子君は体力ないわねぇ」
「テツ君は基本的に並み以下ですから」
「いくらパスが良くっても、これじゃあ考えものだわ」
そう話す真司とリコの視線の先にいる黒子は、うつ伏せに倒れたまま暫く動いていない。
そろそろ心配になるレベルだ。
真司は自分の横に置かれたペットボトルを手に取り、立ち上がった。
「烏羽君、帝光中バスケ部では誰と仲良かったの?」
「え、何ですかいきなり」
「ちょっとした興味よ」
んー、と考えながら黒子に近付き、ちょいちょいと背中をつつく。
黒子はゆっくりと顔を上げて、すみませんと呟いた。
「烏羽君は…本当にすごいですね」
「体力は自慢なもんで。はい、水」
「どうも…」
ちゃぷんとペットボトルの中の水が音を立てる。
黒子の喉が上下に揺れるのを見ながら、真司は薄く口を開いた。
「一番信頼しているのはテツ君です」
「?」
突然の告白に、黒子はきょとんと丸くした目を真司に向けた。
その後ろで、リコはふんふんと頷いている。
「一番遊んだ、という意味で仲が良かったのは…たぶん黄瀬君です」
「黄瀬…キセキの世代の一人、黄瀬涼太?」
「はい」
本当は青峰と言いたいところだったが、最終的なことで言うなら黄瀬で間違いないだろう。
青峰とは、中途半端な関係のまま別れることになってしまったから。
「黄瀬涼太ねぇ…ふふん」
「か、監督?」
「なーんでもない。さ、ホラ。いつまでもバテてんじゃないわよ!」
何やら怪しげにリコが笑ったが、あまり気にしないことにして黒子に手を伸ばす。
黒子が少し寂しげなのは、真司の言葉のせいか。
「テツ君、立てる?」
「はい…。あの、烏羽君」
手を取った黒子がよたよたと真司の横に並んだ。
この後も練習が続くと思うと心配になる程に弱弱しい体。それを支えるように背中に手をやった真司の目を、黒子の丸い瞳がじっと見つめている。
「一番好きだったのは、青峰君ですよね」
「え…うーん…どうかな」
「違うんですか?」
「違わないような、違うような…まぁ、好きだったけどさ」
友人として一番の存在だった青峰。その関係を壊したのは真司の方だ。
それでも、青峰が真司を恋愛の相手として見ることはなかった。それでも尚求めるなんて、真司には出来ない。
欲張りすぎたという自覚もある。今やバスケット界では有名である彼等全員に好いてもらおうだなんて。
「じゃあ、ボクの事はどうですか?」
「勿論、大好きだよ」
「…ありがとうございます」
なんだろう、微妙な反応。
ぱっと放された手に不安を感じながら、真司と黒子は練習に戻った。
既に相当動かされた体は、それから更に一時間継続してムチ打たれ続けることとなった。
当然、入部したばかりの一年生は完全にバテている。
真司と火神を除いて。
「…はぁ…」
腕でぐいっと額を拭う。
こんなに汗をかくのは久しぶりだ。ぺたっと張りついた前髪は、さすがに長いと邪魔に感じられる。
「あ、ちょっと、烏羽」
「?」
とん、と置かれた方に驚いて振り返れば、未だあまり絡んだことのない伊月が立っている。
「何ですか?」
「顔、見えてるぞ」
伊月の指がちょいちょいと真司の前髪を触る。
言葉通りに、前髪は額に張り付いて開けていた視界を塞いだ。
「あの…伊月先輩、は、何かコメントないんですか」
「コメント…?」
「俺の顔、見えたんですよね?」
別に意識しているわけではないが、今までだとたいてい何かしら顔についてコメントを受けた気がするのだ。
がり勉だと思ってた、とか。
綺麗だと褒めてもらったこともしばしばある。
「コメントには気持ちを込めんと…キタコレ!」
「…はい?」
「いや、別に見えたっていうか…眼鏡と前髪で隠せるものなのか?」
細い目をぱちぱちと瞬かせて、伊月が首を傾げる。
それに、真司も目を丸くした。
「隠せてないですか?」
「残念だけど、オレには見えてるよ」
「そんなこと初めて言われました…」
日向だって、雑誌の中の真司と目の前にいる真司を照らし合わせる為に、前髪を避けたはずだ。
伊月に何か特別なものを感じながら、真司は少し湿った前髪を退かした。
「正直言うと、邪魔なんですよね」
「そうだろうなぁ。でも皆に公開しちゃうのももったいないな」
そう言って再び伊月の手が目の前に戻す。
「まだ、オレの特権」
「はぁ…」
日向は知ってるけど。
あえてそれは言わずに、真司はタオルを頭の上に乗せた。
その時には、リコと交わした会話のことなどすっかり忘れていた。
・・・
ハードな練習をした翌日。
真司の学校での印象は今の所、相変わらず真面目っぽそうな奴という感じだ。
日向には根暗と言われたが、頭の良さが先行して“真面目”にぎりぎり留まっている。
そんな程度の認識をされたまま送っていた学校生活。
それで良いと思っていたのだが、そのせいで真司は担任に呼び出されていた。
「もー…早く部活行きたいのに…」
呼ばれて指定された教室に移動してみれば、学級委員をやってみないかというもので。
(別にそういうキャラとは違うんだけどなー…)
頭が良いのと仕切れる働けるってのは違うと思うのだが。
なんだかんだで「良いですよ」って頷いてしまった事を後悔しながら、真司は体育館に向かう足を速めた。
「すみません、遅れました…!」
無断で遅刻してしまったことへの謝罪をしながら体育館に足を踏み込む。
「…?」
怒られるどころか、部員達は真司を振り返ってこちらを見るだけ。
そういえば、やけに女子のギャラリーが出来ているが、そんなにバスケ部は人気だっただろうか。
その疑問の答えはすぐに分かることとなった。
「やっぱり、ここに居たんスね」
知っている声、口調。
「会いたかったっスよ、真司っち」
「黄瀬君…?」
誠凛高校バスケ部の部員に紛れてそこに立っているのは、間違いなく黄瀬涼太だった。
・・・
・・
暖かい日差し、それを浴びてキラキラと輝く髪の毛。
軽く手を伸ばして触れると、彼は嬉しそうに目を細めた。
「なーんスか、真司っち」
「黄瀬君の髪の毛、綺麗だね」
「んー?真司っちのが綺麗っスよ」
真司は黄瀬の髪を、黄瀬は真司の髪を梳く。
指の隙間を落ちて行く柔らかな髪は、まるで二人の今後を示しているかのように掴みきれない。
「ねぇ…真司っち、一緒に海常行こう」
ぎゅっと黄瀬の手が真司の手を掴んだ。
海常、黄瀬が行こうと思っている高校の名前だろう。推薦がきている、バスケの強豪校。
「なんで、どこ行くか教えてくれないんスか。真司っちも、赤司っちも」
「むしろ、なんで黄瀬君に教えなきゃいけないの」
「なんでって…真司っち、オレのこと好きじゃないんスか」
「それ、関係なくない?」
黄瀬の目が寂しげに揺れる。
それを見て見ぬふりして、真司は屋上の冷たい地面に背中を預けた。
「俺は黄瀬君の人生にのっかる気はないよ」
「オレは真司っちと離れたくない」
「うん、有難う」
そう言って目を閉じた真司の唇に、暖かい感触がぶつかる。
薄らと開けた視界には今にも泣き出しそうな顔があって。その頬に手を伸ばし、真司はふっと笑った。
罪悪感と優越感がひしめき合う。
ずっと、彼等と過ごす時間は気持ち良くて、同じくらい苦しかった。
「俺、皆のおかげでここまでこれたよ」
「もう、いらねぇって言うんスか…?」
「ううん。もう大丈夫ってこと」
「卑怯っスよ、オレはもう真司っち無しじゃ生きてけない」
いくらなんでも。そう言おうと開かれた口は静かに閉じられた。
先程とはうってかわって、鋭く冷めたような目をした黄瀬の顔が目の前にある。
「黄瀬君…」
「真司っちのこと、他の奴に見せたくない。もう…閉じ込めちゃいたい」
「馬鹿、何言ってんだよ」
「冗談なんかじゃないっスよ」
言葉の通りに、黄瀬の表情は冗談を思わせるものと違って真剣で。
きつく腕を掴まれた真司は、ごくりと唾を飲んで黄瀬を見上げた。
既にバスケ部を引退して、推薦を受けない真司は受験勉強に励む毎日だ。
卒業をしてしまえば、今以上に黄瀬やキセキと呼ばれる皆と会う回数も減ることだろう。
「黄瀬君、好きだよ」
「…オレも」
「だから、ごめん」
「意味分かんねぇよ」
黄瀬が好きだから、また楽しくバスケをしたいから。黄瀬が勝つことが全てでないと気付くまでは、黄瀬の胸に飛び込むことはしない。
本当は縋りつきたいという思いを抑えて、真司は黄瀬の腕を押し返した。
「っ、真司っち」
「きっと、また会うよ」
「…」
バスケを続けていれば、どこかで必ず。
黄瀬が真司の考えをどう思ったのかは知らない。
少なからず納得はしていないようだったが、結局、真司が望んだ通りに卒業してから連絡は一度も来なかった。
・・
・・・
「まさかとは思ってたけど、黒子っちを追ってたなんて」
一歩ずつ、黄瀬が近付いてくる。
少し呆けている部員に、汗を拭いながら悔しそうにしている火神。
ここから察するに、火神は既に黄瀬と1on1でもしたのだろう。
その黄瀬も、ワイシャツを肘まで捲っている。
「真司っち…」
「き、黄瀬君」
緊張するのは、会うのが久々だからか。それとも、別れ方が悪かったからか。
ごくりと唾を飲んで、真司は相変わらず背の高い黄瀬を見上げた。
「あぁもう…っ!真司っち全然変わってないっスね…!」
「うわっ」
先程まで一歩ずつ、ゆっくり近付いてきていたはずの黄瀬が、一気に駆け寄ってきた。
そのまま腕を回されぎゅっと抱き締められる。
一同唖然。ギャラリーからは悲鳴に近い声。
感動の再会にしては過激な男同士の抱擁に、黒子以外が目を白黒とさせて二人を眺めていた。
「ちょ、ちょっと黄瀬君っ!くるしっ、ていうか皆見てる…!」
「だってだって、真司っち全然連絡くれねーし…。オレ、寂しかったんスよ?」
黄瀬の甘ったるい声が耳元に響く。
じわじわと胸が熱くなるのは、久しぶりに愛されていることを感じているからだろう。
嬉しくて、愛しくて。
「黄瀬君、もう離して」
「いやっス。もっと真司っちを感じてたいっス」
「テツ君が構えてるから」
「え?」
黄瀬の真横まで迫っていた黒子が、ぐっと握った手のひらを黄瀬に向けて突き出した。
黒子の技、イグナイトパス使用の悪い例だ。
それを脇腹に受けた黄瀬は、ぐふっと苦しそうな声を上げてそこにうずくまった。
「酷いっスよ、黒子っちぃ…」
「酷いのは君の方です。時と場所を考えて下さい」
そう言って周りに目を向ければ、じとっとした視線が黄瀬に集まっている。
何とも面倒なことをしてくれたものだ。
真司はちらっと見下ろしてから、リコや日向のいる方へと駆け寄った。
「あの、どうして黄瀬君がここに…?」
「敵情視察ってとこじゃない?って、烏羽君は聞いてないのよね」
「えっと?」
「今度、海常高校と練習試合をするのよ」
見覚えのある怪しげな笑みをリコが浮かべている。
なるほど、そういう事か。と気付いたところで、既に再会を果たしてしまったのだから意味などない。
心の準備って奴をさせて欲しかったものだ。
「つか、烏羽。一体アイツとどんな関係なんだよ」
「見ての通りですよ」
日向の質問には曖昧に答えて、ゆっくりと立ち上がった黄瀬に目を向けた。
黄瀬は薄く横れた膝を払いながら、溜め息を吐いている。
その目は真っ直ぐに真司に向けられた。
「黒子っちと真司っち。二人もなんて、やっぱ見てられないっスよ」
「黄瀬君…?」
「真司っちと黒子っちください」
この黄瀬の発言で、黄瀬が変人だということが確定した。真司と黄瀬の関係を不可解に思う人間もいなくなっただろう。その点は感謝しよう。
「海常においでよ。また一緒にバスケしよう」
しかし、さすがにそれは無理だ。
真司は目を閉じて、憐みを含んだ溜め息を吐き出した。
「黄瀬君、さっきから恥ずかしいんだけど」
真司がぽつりと呟くと、後ろに立っていた日向がぶっと吹き出した。
我ながら直球過ぎたような気もするが、これくらい言っても黄瀬なら問題ないだろう。
中学時代から黄瀬の立ち位置はこんな感じだ。と信じて言葉を続ける。
「下さいとか…普通に無理だよ」
「なんでっスか…?じゃ、じゃあ、なんでもっと強いとこ行かなかったんスか?海常じゃなくてももっと…!」
「俺もテツ君も、勝つことが全てだとは思ってないんだよ」
「らしくねぇっスよ…そんなこと言うなんて」
らしくない、のではない。黄瀬が何も知らなかっただけ。
それがはっきりと分かってしまって、きゅっと胸が締め付けられるように痛んだ。
「本当に黄瀬君は、勝つことが全て。それでいいんだ」
「何言ってるんスか…?真司っち…」
素直で明るい性格。そんな黄瀬だからこそ、真司に抱く不信感が視線となってそのまま真司に伝わる。
その視線は、酷く真司の胸に突き刺さった。
「…っ」
見られたくなくて、俯いて胸を押さえる。
その真司の手を、黒子の手が握り締めていた。
「黄瀬君。ボクは火神君と約束しました。君達、キセキの世代を倒すと」
「…黒子っち」
「その気持ちは、烏羽君も同じです」
真司の手を包む黒子の手に力がこもる。
それを支えるかのように、火神の手が重なった。
「あぁ。お前らキセキの世代、まとめて倒してやるよ!」
力強い火神の言葉は、ここにいる皆の心を代表したようなものだった。
こくりと強く頷いて黄瀬を見据える。
「へぇ。それは楽しみっスね」
それでも黄瀬は負ける気などさらさらないように、自信満々の笑みを浮かべていた。
確かに黄瀬の実力はこの誠凛の先輩達の誰よりも上だろう。そして、真司よりも、黒子よりも。
しかし、火神ならば。黒子が相棒として選んだ火神なら。可能性はゼロじゃない。
「…黄瀬君」
「何スか?真司っち」
「試合、楽しみにしててね」
「オレが勝ったら、二人まとめてもらうっスよ」
「テツ君は駄目。俺は考えてあげる」
おい、と火神が真司の肩を掴んだが無視して黄瀬を見上げ続けた。
それくらいの覚悟を決める必要がある、ということだ。
黄瀬は、キセキの世代の中じゃ一番下。それでも相当のプレイヤーである。
だからこそ、黄瀬に勝てないようでは、緑間や紫原、ましてや青峰、赤司には絶対に敵わない。
「ちょっと、烏羽君。何勝手なこと言ってんのよ」
「いや、だって…」
「そんなこと絶対にさせないから!」
眉を吊り上げているリコが、真司の前に立った。ついでに反対側から日向も出てくる。
「悪ィな黄瀬君。烏羽はオレ達のもんだ」
「きっちり倒してあげるから、首洗って待ってなさい!」
二人の勢いに、真司も黒子も、黄瀬さえも目を丸くしている。
しかし日向の手が真司の肩を抱くと、黄瀬の顔は明らかに不快に歪んだ。
「…そんなこと言ってられるのも今のうちっスよ」
黄瀬はゆっくりと手をこちらに伸ばし、そして人差し指をぴっと真司に向けた。
「次の試合勝って、絶対真司っちもらうっス!」
「だから、やんないって言ってんでしょ!」
この不毛なやり取りはいつまで続くのだろう。
真司は嬉しさ半分と面倒くささ半分で、盛大にため息を吐いた。
・・・
その後、黄瀬は思いの外あっさりと帰って行った。
それを少し寂しく思う頭をぶんぶんと振って、転がったバスケットボールを手に取る。
「ふぅ…」
思わぬところでの黄瀬との再会に、がりがりと精神力を削られた気がする。
これに関しては嫌とか嬉しいとか、そういうこととは別問題だ。
両手に抱えていたボールを片して溜め息を吐く。
その真司の肩にとん、と手が乗せられた。
「烏羽君」
「あ、テツ君、どうしたの?」
黒子は真司と同じようにボールを片し、それから向き合った。
「黄瀬君と会ってなかったんですね」
「そうそう、会わなかったんだよ。連絡も一切しなかったし」
「どうしてですか?」
丸い目がじっと真司を見つめている。
そんなに気になる事だろうか分からないけれど、その質問の答えは決まっていた。
「…覚悟かな」
「覚悟、ですか」
「う、うん」
言ってから何となく恥ずかしくなって、隣に置かれている得点板を意味もなく捲る。
覚悟と言えば聞こえがいいが、単なる自己満足だ。
「会いたいとは思わなかったんですか?」
「その時は…だって、テツ君に会いたくて仕方なかったからさ」
「え…?」
黒子の目が大きく見開かれた。
ずっと会えなかった黒子。それに対して、彼等とは卒業まで顔を合わせていたのだ。
誰に会いたいかって、それは黒子に決まっている。
「では…烏羽君にとって、ボクが一番である時があったんですね」
「うん、そうだよ」
「…そうですか」
小さく呟いた黒子の顔が、少しずつ俯いて行く。ちらっと髪の間から見える耳が赤い。
心配になって覗き込むと、黒子の腕が真司の背中に回されていた。
「テツ君?」
「すみません…嬉しくて…」
ぎゅっと抱き着いて来る黒子の体が熱い。
黒子の気持ちが体を通して伝わってくる。
真司は黒子の気持ちに応えるように、黒子の頭をぽんぽんと撫でた。
「あんた達、何してんの…?」
薄暗い用具室で抱き合っている黒子と真司に向けられた視線は、酷く引きつっていた。
海常との試合の日。
神奈川にある高校ということで、本日はいつもより長く電車に揺られることとなった。
ようやく到着した海常の校舎を見て、ぐぐっと腕を伸ばす。
誠凛よりも明らかに大きな校舎、校庭。リコを先頭に歩きながら、真司は火神の腕を引いた。
「ねぇ、火神君」
「何だよ」
「なんか目付き悪くない?」
「あ?」
火神の目付きの悪さなど今に始まったことではないのだが、それにしても酷い。
横で黒子も首を縦に振っているのだから間違いないだろう。
そう言われる火神にも、心当たりがあるらしい。頬をぽりぽりとかいてから、照れ臭そうに呟いた。
「あー…ちょっとテンション上がりすぎて寝れなかっただけだ」
「遠足前の小学生ですか」
なるほど、言い得て妙だ。
真司は黒子の突っ込みに頷きながら、視線を感じて火神を見上げた。
「何?火神君」
「いや、お前の目って見たことねーと思って」
「俺の目?だよね、やっぱり見えてないよね」
伊月に見えていると言われてから若干不安だったが、やはり隠せているようだ。
前髪とフレームの厚い眼鏡。風で大きくなびかなければ、暫くは隠せるはずなのだ。
「…なんでそんな隠したがるんだよ」
「見たいの?」
「隠されっと気になる」
「んー…や、でもやっぱ駄目」
「おい」
そんな二人のやり取りを聞きながら納得するのは、勿論まだその素顔を覗いたことのない部員達。
歩いているだけでも、ふわっと一瞬前髪が浮く。その度に一瞬目を凝らしてしまうくらいには気になっている。
「ま、どうせすぐに見れるよ」
「何を根拠に言ってんだ」
「ふふ」
火神が上から手を伸ばせば、簡単にめくれそうな程度の壁。
無意識に緊張しながら伸ばした火神の手は、別の大きな手に掴まれていた。
「なーにしてんスか」
「黄瀬!?」
「せっかく迎えに来たのに、一体真司っちに何しようとしてるんスか」
黄瀬は広い海常で迷わないようにと案内に来てくれたらしい。
しかしその黄瀬の目には、火神が真司に手を出そうとしているところが見えていたようで、若干怒り気味である。
「もー。真司っちもちゃんと拒否しなきゃ駄目っスよ」
「え?ていうか、黄瀬君。この前言いそびれたことがあるんだけど」
「ん?何?」
そんな黄瀬は真司に声をかけられるや否やパッと笑顔になって。真司に合わせるように腰を屈めた。
「黄瀬君が勝ったら俺をもらうとか言ってたじゃん」
「うん」
「俺にもメリットが無いと不公平じゃない?」
こういうのはお互いに何か出し合ってこそ成り立つものだ。
何て適当な理屈を押し付けて、更に真司は黄瀬に拳を突きつけた。
「俺が勝ったら、何でも言うこと聞いてね」
「真司っちの願いなら、何だって聞くっス」
「じゃ、決まりね」
ニッと真司が笑うと、黄瀬も嬉しそうにふにゃっと笑う。
それを何となく気に食わない様子で見つめるのは、黒子を含む誠凛の部員達。
「おい、そろそろ行くぞ」
「あ…すみません。黄瀬君、案内よろしく」
「はいっス」
ついて来てくださーい!と明るく言う黄瀬の後ろをついていく。
日向はさり気なく真司の背中を押しながら、黄瀬の背中を不服そうに睨んでいた。
・・・
既に練習が始まっているのだろう。体育館の中からはドリブルの音や声が聞こえて来る。
「ここっス」
黄瀬の後を追って中に入れば、そこには予想していなかった光景が広がっていた。
体育館を区切るネット。これから練習試合を行うのだという雰囲気は全くない。
「ああ、来たか。今日はこっちだけでやってもらえるかな」
よろしく、と言いながらもふてぶてしい態度をとるのは、海常バスケ部の監督。
本当にバスケを教えられるのか、そんな疑問さえ浮かぶその監督の体型はさておき。
こっち、というのはコートの片面を示していた。
「こちらこそよろしくお願いします。それであの…これはどういうことでしょうか?」
「今日の試合、うちはレギュラーの調整だと思っていてね。見学には学ぶものがないから、他の部員には普段の練習をしてもらってるよ」
だから、片面で。その理屈に当然リコは怒り爆発寸前で、火神も、黒子でさえ眉をひそめた。
それを気にしていないのか気付いていないのか。黄瀬はユニフォームに着替えると、ぴょんっと真司に駆け寄った。
「ね、ね、真司っち!海常のユニフォーム、どっスか?似合ってる?」
「ちょ、今それどころじゃ…」
海常のユニフォームは青に黒の文字。全体的に暗めの色で構成されているユニフォームは、派手な黄瀬と丁度よくマッチしていて。
「(似合ってる…かも)」
悔しくて、口に出すか迷う。
まぁたまには褒めてあげてもいいか、なんて思った真司の言葉を遮ったのは、海常の監督だった。
「黄瀬、オマエは試合には出さんぞ」
「え!?な、なんでっスか!?」
「オマエはレギュラーの中でも格が違うんだからな」
更に黄瀬を出したら試合にならなくなる、なんて呟く監督に、真司の額にもぴきっと何か走った。
「黄瀬君」
「な、なんスか…?」
「誠凛にきなよ。一緒にバスケしよう」
「…っ、そ、のお誘いは…ちょっと嬉しいっス…!」
真司は黄瀬から離れて黒子に寄り添った。
黒子の纏う空気が穏やかでない。視線は真っ直ぐに黄瀬に向けられている。
「すませんっス、誠凛の皆さん。でも、オレもベンチ入るし…ギャフンと言わせてくれれば出させてくれると思うし!」
一方黄瀬も黄瀬で真司と黒子の所属している誠凛には興味があるらしい。
口は笑っているが、目は笑っていない。キセキの世代を倒したいなら、それくらい出来ないと、とでも言いたげな視線だ。
「それでは黄瀬君、アップしといて下さい」
「え?」
「出番、待つとかないんで」
黒子が言い放ち、それを聞いた黄瀬は怪しげな笑みを浮かべた。
「期待してるっスよ。黒子っち、真司っち」
互いに背中を向けて歩き出す。
思っていたよりも早かった“キセキの世代”との試合。今日で、これからの誠凛でのバスケは大きく変わるだろう。
(いくら高い目標があっても、実力が追いつかなければ意味がない)
圧倒的な力を持つ“キセキの世代”。
そして、一秒でも早く取り戻したい関係。
「監督」
「何?真司君」
「先輩達の力を信じてます」
「えぇ。信じて頂戴。勿論、真司君も使うけどね」
「あ、有難うございます…!」
スタメンに選ばれる必要はない。いつだっていい、黄瀬と真剣に試合をしてみたい。
真司は青いユニフォームに身を包んだ黄瀬を見て、ぐっと拳に力を入れた。
放課後の部活。
ずっとトレーニングや筋トレを続けていたとはいえ、やはり部活動はハードに感じる。そして、楽しくて仕方がない。
「烏羽君」
「はい…?」
肩で繰り返していた呼吸を抑えて顔を上げる。
見下ろしているのは、バスケ部の監督であるリコ。毎日続けている練習のメニューは部長である日向と二人で主につくっているのだそうだ。
「ずいぶんと体力あるのね。これだけやらせてバテないの、烏羽君が初めてかも」
「はは…もしかして、意図的にキツいメニューにしてたんですか?」
「ふふふ。最初は皆がどの程度ついて来れるか見たいからねー」
楽しげに笑うリコは、やはりSっ気の強い人間だと思わざるを得ない。
練習メニューも、恐らくほとんどリコの独断だろう。
「それに引き替え…黒子君は体力ないわねぇ」
「テツ君は基本的に並み以下ですから」
「いくらパスが良くっても、これじゃあ考えものだわ」
そう話す真司とリコの視線の先にいる黒子は、うつ伏せに倒れたまま暫く動いていない。
そろそろ心配になるレベルだ。
真司は自分の横に置かれたペットボトルを手に取り、立ち上がった。
「烏羽君、帝光中バスケ部では誰と仲良かったの?」
「え、何ですかいきなり」
「ちょっとした興味よ」
んー、と考えながら黒子に近付き、ちょいちょいと背中をつつく。
黒子はゆっくりと顔を上げて、すみませんと呟いた。
「烏羽君は…本当にすごいですね」
「体力は自慢なもんで。はい、水」
「どうも…」
ちゃぷんとペットボトルの中の水が音を立てる。
黒子の喉が上下に揺れるのを見ながら、真司は薄く口を開いた。
「一番信頼しているのはテツ君です」
「?」
突然の告白に、黒子はきょとんと丸くした目を真司に向けた。
その後ろで、リコはふんふんと頷いている。
「一番遊んだ、という意味で仲が良かったのは…たぶん黄瀬君です」
「黄瀬…キセキの世代の一人、黄瀬涼太?」
「はい」
本当は青峰と言いたいところだったが、最終的なことで言うなら黄瀬で間違いないだろう。
青峰とは、中途半端な関係のまま別れることになってしまったから。
「黄瀬涼太ねぇ…ふふん」
「か、監督?」
「なーんでもない。さ、ホラ。いつまでもバテてんじゃないわよ!」
何やら怪しげにリコが笑ったが、あまり気にしないことにして黒子に手を伸ばす。
黒子が少し寂しげなのは、真司の言葉のせいか。
「テツ君、立てる?」
「はい…。あの、烏羽君」
手を取った黒子がよたよたと真司の横に並んだ。
この後も練習が続くと思うと心配になる程に弱弱しい体。それを支えるように背中に手をやった真司の目を、黒子の丸い瞳がじっと見つめている。
「一番好きだったのは、青峰君ですよね」
「え…うーん…どうかな」
「違うんですか?」
「違わないような、違うような…まぁ、好きだったけどさ」
友人として一番の存在だった青峰。その関係を壊したのは真司の方だ。
それでも、青峰が真司を恋愛の相手として見ることはなかった。それでも尚求めるなんて、真司には出来ない。
欲張りすぎたという自覚もある。今やバスケット界では有名である彼等全員に好いてもらおうだなんて。
「じゃあ、ボクの事はどうですか?」
「勿論、大好きだよ」
「…ありがとうございます」
なんだろう、微妙な反応。
ぱっと放された手に不安を感じながら、真司と黒子は練習に戻った。
既に相当動かされた体は、それから更に一時間継続してムチ打たれ続けることとなった。
当然、入部したばかりの一年生は完全にバテている。
真司と火神を除いて。
「…はぁ…」
腕でぐいっと額を拭う。
こんなに汗をかくのは久しぶりだ。ぺたっと張りついた前髪は、さすがに長いと邪魔に感じられる。
「あ、ちょっと、烏羽」
「?」
とん、と置かれた方に驚いて振り返れば、未だあまり絡んだことのない伊月が立っている。
「何ですか?」
「顔、見えてるぞ」
伊月の指がちょいちょいと真司の前髪を触る。
言葉通りに、前髪は額に張り付いて開けていた視界を塞いだ。
「あの…伊月先輩、は、何かコメントないんですか」
「コメント…?」
「俺の顔、見えたんですよね?」
別に意識しているわけではないが、今までだとたいてい何かしら顔についてコメントを受けた気がするのだ。
がり勉だと思ってた、とか。
綺麗だと褒めてもらったこともしばしばある。
「コメントには気持ちを込めんと…キタコレ!」
「…はい?」
「いや、別に見えたっていうか…眼鏡と前髪で隠せるものなのか?」
細い目をぱちぱちと瞬かせて、伊月が首を傾げる。
それに、真司も目を丸くした。
「隠せてないですか?」
「残念だけど、オレには見えてるよ」
「そんなこと初めて言われました…」
日向だって、雑誌の中の真司と目の前にいる真司を照らし合わせる為に、前髪を避けたはずだ。
伊月に何か特別なものを感じながら、真司は少し湿った前髪を退かした。
「正直言うと、邪魔なんですよね」
「そうだろうなぁ。でも皆に公開しちゃうのももったいないな」
そう言って再び伊月の手が目の前に戻す。
「まだ、オレの特権」
「はぁ…」
日向は知ってるけど。
あえてそれは言わずに、真司はタオルを頭の上に乗せた。
その時には、リコと交わした会話のことなどすっかり忘れていた。
・・・
ハードな練習をした翌日。
真司の学校での印象は今の所、相変わらず真面目っぽそうな奴という感じだ。
日向には根暗と言われたが、頭の良さが先行して“真面目”にぎりぎり留まっている。
そんな程度の認識をされたまま送っていた学校生活。
それで良いと思っていたのだが、そのせいで真司は担任に呼び出されていた。
「もー…早く部活行きたいのに…」
呼ばれて指定された教室に移動してみれば、学級委員をやってみないかというもので。
(別にそういうキャラとは違うんだけどなー…)
頭が良いのと仕切れる働けるってのは違うと思うのだが。
なんだかんだで「良いですよ」って頷いてしまった事を後悔しながら、真司は体育館に向かう足を速めた。
「すみません、遅れました…!」
無断で遅刻してしまったことへの謝罪をしながら体育館に足を踏み込む。
「…?」
怒られるどころか、部員達は真司を振り返ってこちらを見るだけ。
そういえば、やけに女子のギャラリーが出来ているが、そんなにバスケ部は人気だっただろうか。
その疑問の答えはすぐに分かることとなった。
「やっぱり、ここに居たんスね」
知っている声、口調。
「会いたかったっスよ、真司っち」
「黄瀬君…?」
誠凛高校バスケ部の部員に紛れてそこに立っているのは、間違いなく黄瀬涼太だった。
・・・
・・
暖かい日差し、それを浴びてキラキラと輝く髪の毛。
軽く手を伸ばして触れると、彼は嬉しそうに目を細めた。
「なーんスか、真司っち」
「黄瀬君の髪の毛、綺麗だね」
「んー?真司っちのが綺麗っスよ」
真司は黄瀬の髪を、黄瀬は真司の髪を梳く。
指の隙間を落ちて行く柔らかな髪は、まるで二人の今後を示しているかのように掴みきれない。
「ねぇ…真司っち、一緒に海常行こう」
ぎゅっと黄瀬の手が真司の手を掴んだ。
海常、黄瀬が行こうと思っている高校の名前だろう。推薦がきている、バスケの強豪校。
「なんで、どこ行くか教えてくれないんスか。真司っちも、赤司っちも」
「むしろ、なんで黄瀬君に教えなきゃいけないの」
「なんでって…真司っち、オレのこと好きじゃないんスか」
「それ、関係なくない?」
黄瀬の目が寂しげに揺れる。
それを見て見ぬふりして、真司は屋上の冷たい地面に背中を預けた。
「俺は黄瀬君の人生にのっかる気はないよ」
「オレは真司っちと離れたくない」
「うん、有難う」
そう言って目を閉じた真司の唇に、暖かい感触がぶつかる。
薄らと開けた視界には今にも泣き出しそうな顔があって。その頬に手を伸ばし、真司はふっと笑った。
罪悪感と優越感がひしめき合う。
ずっと、彼等と過ごす時間は気持ち良くて、同じくらい苦しかった。
「俺、皆のおかげでここまでこれたよ」
「もう、いらねぇって言うんスか…?」
「ううん。もう大丈夫ってこと」
「卑怯っスよ、オレはもう真司っち無しじゃ生きてけない」
いくらなんでも。そう言おうと開かれた口は静かに閉じられた。
先程とはうってかわって、鋭く冷めたような目をした黄瀬の顔が目の前にある。
「黄瀬君…」
「真司っちのこと、他の奴に見せたくない。もう…閉じ込めちゃいたい」
「馬鹿、何言ってんだよ」
「冗談なんかじゃないっスよ」
言葉の通りに、黄瀬の表情は冗談を思わせるものと違って真剣で。
きつく腕を掴まれた真司は、ごくりと唾を飲んで黄瀬を見上げた。
既にバスケ部を引退して、推薦を受けない真司は受験勉強に励む毎日だ。
卒業をしてしまえば、今以上に黄瀬やキセキと呼ばれる皆と会う回数も減ることだろう。
「黄瀬君、好きだよ」
「…オレも」
「だから、ごめん」
「意味分かんねぇよ」
黄瀬が好きだから、また楽しくバスケをしたいから。黄瀬が勝つことが全てでないと気付くまでは、黄瀬の胸に飛び込むことはしない。
本当は縋りつきたいという思いを抑えて、真司は黄瀬の腕を押し返した。
「っ、真司っち」
「きっと、また会うよ」
「…」
バスケを続けていれば、どこかで必ず。
黄瀬が真司の考えをどう思ったのかは知らない。
少なからず納得はしていないようだったが、結局、真司が望んだ通りに卒業してから連絡は一度も来なかった。
・・
・・・
「まさかとは思ってたけど、黒子っちを追ってたなんて」
一歩ずつ、黄瀬が近付いてくる。
少し呆けている部員に、汗を拭いながら悔しそうにしている火神。
ここから察するに、火神は既に黄瀬と1on1でもしたのだろう。
その黄瀬も、ワイシャツを肘まで捲っている。
「真司っち…」
「き、黄瀬君」
緊張するのは、会うのが久々だからか。それとも、別れ方が悪かったからか。
ごくりと唾を飲んで、真司は相変わらず背の高い黄瀬を見上げた。
「あぁもう…っ!真司っち全然変わってないっスね…!」
「うわっ」
先程まで一歩ずつ、ゆっくり近付いてきていたはずの黄瀬が、一気に駆け寄ってきた。
そのまま腕を回されぎゅっと抱き締められる。
一同唖然。ギャラリーからは悲鳴に近い声。
感動の再会にしては過激な男同士の抱擁に、黒子以外が目を白黒とさせて二人を眺めていた。
「ちょ、ちょっと黄瀬君っ!くるしっ、ていうか皆見てる…!」
「だってだって、真司っち全然連絡くれねーし…。オレ、寂しかったんスよ?」
黄瀬の甘ったるい声が耳元に響く。
じわじわと胸が熱くなるのは、久しぶりに愛されていることを感じているからだろう。
嬉しくて、愛しくて。
「黄瀬君、もう離して」
「いやっス。もっと真司っちを感じてたいっス」
「テツ君が構えてるから」
「え?」
黄瀬の真横まで迫っていた黒子が、ぐっと握った手のひらを黄瀬に向けて突き出した。
黒子の技、イグナイトパス使用の悪い例だ。
それを脇腹に受けた黄瀬は、ぐふっと苦しそうな声を上げてそこにうずくまった。
「酷いっスよ、黒子っちぃ…」
「酷いのは君の方です。時と場所を考えて下さい」
そう言って周りに目を向ければ、じとっとした視線が黄瀬に集まっている。
何とも面倒なことをしてくれたものだ。
真司はちらっと見下ろしてから、リコや日向のいる方へと駆け寄った。
「あの、どうして黄瀬君がここに…?」
「敵情視察ってとこじゃない?って、烏羽君は聞いてないのよね」
「えっと?」
「今度、海常高校と練習試合をするのよ」
見覚えのある怪しげな笑みをリコが浮かべている。
なるほど、そういう事か。と気付いたところで、既に再会を果たしてしまったのだから意味などない。
心の準備って奴をさせて欲しかったものだ。
「つか、烏羽。一体アイツとどんな関係なんだよ」
「見ての通りですよ」
日向の質問には曖昧に答えて、ゆっくりと立ち上がった黄瀬に目を向けた。
黄瀬は薄く横れた膝を払いながら、溜め息を吐いている。
その目は真っ直ぐに真司に向けられた。
「黒子っちと真司っち。二人もなんて、やっぱ見てられないっスよ」
「黄瀬君…?」
「真司っちと黒子っちください」
この黄瀬の発言で、黄瀬が変人だということが確定した。真司と黄瀬の関係を不可解に思う人間もいなくなっただろう。その点は感謝しよう。
「海常においでよ。また一緒にバスケしよう」
しかし、さすがにそれは無理だ。
真司は目を閉じて、憐みを含んだ溜め息を吐き出した。
「黄瀬君、さっきから恥ずかしいんだけど」
真司がぽつりと呟くと、後ろに立っていた日向がぶっと吹き出した。
我ながら直球過ぎたような気もするが、これくらい言っても黄瀬なら問題ないだろう。
中学時代から黄瀬の立ち位置はこんな感じだ。と信じて言葉を続ける。
「下さいとか…普通に無理だよ」
「なんでっスか…?じゃ、じゃあ、なんでもっと強いとこ行かなかったんスか?海常じゃなくてももっと…!」
「俺もテツ君も、勝つことが全てだとは思ってないんだよ」
「らしくねぇっスよ…そんなこと言うなんて」
らしくない、のではない。黄瀬が何も知らなかっただけ。
それがはっきりと分かってしまって、きゅっと胸が締め付けられるように痛んだ。
「本当に黄瀬君は、勝つことが全て。それでいいんだ」
「何言ってるんスか…?真司っち…」
素直で明るい性格。そんな黄瀬だからこそ、真司に抱く不信感が視線となってそのまま真司に伝わる。
その視線は、酷く真司の胸に突き刺さった。
「…っ」
見られたくなくて、俯いて胸を押さえる。
その真司の手を、黒子の手が握り締めていた。
「黄瀬君。ボクは火神君と約束しました。君達、キセキの世代を倒すと」
「…黒子っち」
「その気持ちは、烏羽君も同じです」
真司の手を包む黒子の手に力がこもる。
それを支えるかのように、火神の手が重なった。
「あぁ。お前らキセキの世代、まとめて倒してやるよ!」
力強い火神の言葉は、ここにいる皆の心を代表したようなものだった。
こくりと強く頷いて黄瀬を見据える。
「へぇ。それは楽しみっスね」
それでも黄瀬は負ける気などさらさらないように、自信満々の笑みを浮かべていた。
確かに黄瀬の実力はこの誠凛の先輩達の誰よりも上だろう。そして、真司よりも、黒子よりも。
しかし、火神ならば。黒子が相棒として選んだ火神なら。可能性はゼロじゃない。
「…黄瀬君」
「何スか?真司っち」
「試合、楽しみにしててね」
「オレが勝ったら、二人まとめてもらうっスよ」
「テツ君は駄目。俺は考えてあげる」
おい、と火神が真司の肩を掴んだが無視して黄瀬を見上げ続けた。
それくらいの覚悟を決める必要がある、ということだ。
黄瀬は、キセキの世代の中じゃ一番下。それでも相当のプレイヤーである。
だからこそ、黄瀬に勝てないようでは、緑間や紫原、ましてや青峰、赤司には絶対に敵わない。
「ちょっと、烏羽君。何勝手なこと言ってんのよ」
「いや、だって…」
「そんなこと絶対にさせないから!」
眉を吊り上げているリコが、真司の前に立った。ついでに反対側から日向も出てくる。
「悪ィな黄瀬君。烏羽はオレ達のもんだ」
「きっちり倒してあげるから、首洗って待ってなさい!」
二人の勢いに、真司も黒子も、黄瀬さえも目を丸くしている。
しかし日向の手が真司の肩を抱くと、黄瀬の顔は明らかに不快に歪んだ。
「…そんなこと言ってられるのも今のうちっスよ」
黄瀬はゆっくりと手をこちらに伸ばし、そして人差し指をぴっと真司に向けた。
「次の試合勝って、絶対真司っちもらうっス!」
「だから、やんないって言ってんでしょ!」
この不毛なやり取りはいつまで続くのだろう。
真司は嬉しさ半分と面倒くささ半分で、盛大にため息を吐いた。
・・・
その後、黄瀬は思いの外あっさりと帰って行った。
それを少し寂しく思う頭をぶんぶんと振って、転がったバスケットボールを手に取る。
「ふぅ…」
思わぬところでの黄瀬との再会に、がりがりと精神力を削られた気がする。
これに関しては嫌とか嬉しいとか、そういうこととは別問題だ。
両手に抱えていたボールを片して溜め息を吐く。
その真司の肩にとん、と手が乗せられた。
「烏羽君」
「あ、テツ君、どうしたの?」
黒子は真司と同じようにボールを片し、それから向き合った。
「黄瀬君と会ってなかったんですね」
「そうそう、会わなかったんだよ。連絡も一切しなかったし」
「どうしてですか?」
丸い目がじっと真司を見つめている。
そんなに気になる事だろうか分からないけれど、その質問の答えは決まっていた。
「…覚悟かな」
「覚悟、ですか」
「う、うん」
言ってから何となく恥ずかしくなって、隣に置かれている得点板を意味もなく捲る。
覚悟と言えば聞こえがいいが、単なる自己満足だ。
「会いたいとは思わなかったんですか?」
「その時は…だって、テツ君に会いたくて仕方なかったからさ」
「え…?」
黒子の目が大きく見開かれた。
ずっと会えなかった黒子。それに対して、彼等とは卒業まで顔を合わせていたのだ。
誰に会いたいかって、それは黒子に決まっている。
「では…烏羽君にとって、ボクが一番である時があったんですね」
「うん、そうだよ」
「…そうですか」
小さく呟いた黒子の顔が、少しずつ俯いて行く。ちらっと髪の間から見える耳が赤い。
心配になって覗き込むと、黒子の腕が真司の背中に回されていた。
「テツ君?」
「すみません…嬉しくて…」
ぎゅっと抱き着いて来る黒子の体が熱い。
黒子の気持ちが体を通して伝わってくる。
真司は黒子の気持ちに応えるように、黒子の頭をぽんぽんと撫でた。
「あんた達、何してんの…?」
薄暗い用具室で抱き合っている黒子と真司に向けられた視線は、酷く引きつっていた。
海常との試合の日。
神奈川にある高校ということで、本日はいつもより長く電車に揺られることとなった。
ようやく到着した海常の校舎を見て、ぐぐっと腕を伸ばす。
誠凛よりも明らかに大きな校舎、校庭。リコを先頭に歩きながら、真司は火神の腕を引いた。
「ねぇ、火神君」
「何だよ」
「なんか目付き悪くない?」
「あ?」
火神の目付きの悪さなど今に始まったことではないのだが、それにしても酷い。
横で黒子も首を縦に振っているのだから間違いないだろう。
そう言われる火神にも、心当たりがあるらしい。頬をぽりぽりとかいてから、照れ臭そうに呟いた。
「あー…ちょっとテンション上がりすぎて寝れなかっただけだ」
「遠足前の小学生ですか」
なるほど、言い得て妙だ。
真司は黒子の突っ込みに頷きながら、視線を感じて火神を見上げた。
「何?火神君」
「いや、お前の目って見たことねーと思って」
「俺の目?だよね、やっぱり見えてないよね」
伊月に見えていると言われてから若干不安だったが、やはり隠せているようだ。
前髪とフレームの厚い眼鏡。風で大きくなびかなければ、暫くは隠せるはずなのだ。
「…なんでそんな隠したがるんだよ」
「見たいの?」
「隠されっと気になる」
「んー…や、でもやっぱ駄目」
「おい」
そんな二人のやり取りを聞きながら納得するのは、勿論まだその素顔を覗いたことのない部員達。
歩いているだけでも、ふわっと一瞬前髪が浮く。その度に一瞬目を凝らしてしまうくらいには気になっている。
「ま、どうせすぐに見れるよ」
「何を根拠に言ってんだ」
「ふふ」
火神が上から手を伸ばせば、簡単にめくれそうな程度の壁。
無意識に緊張しながら伸ばした火神の手は、別の大きな手に掴まれていた。
「なーにしてんスか」
「黄瀬!?」
「せっかく迎えに来たのに、一体真司っちに何しようとしてるんスか」
黄瀬は広い海常で迷わないようにと案内に来てくれたらしい。
しかしその黄瀬の目には、火神が真司に手を出そうとしているところが見えていたようで、若干怒り気味である。
「もー。真司っちもちゃんと拒否しなきゃ駄目っスよ」
「え?ていうか、黄瀬君。この前言いそびれたことがあるんだけど」
「ん?何?」
そんな黄瀬は真司に声をかけられるや否やパッと笑顔になって。真司に合わせるように腰を屈めた。
「黄瀬君が勝ったら俺をもらうとか言ってたじゃん」
「うん」
「俺にもメリットが無いと不公平じゃない?」
こういうのはお互いに何か出し合ってこそ成り立つものだ。
何て適当な理屈を押し付けて、更に真司は黄瀬に拳を突きつけた。
「俺が勝ったら、何でも言うこと聞いてね」
「真司っちの願いなら、何だって聞くっス」
「じゃ、決まりね」
ニッと真司が笑うと、黄瀬も嬉しそうにふにゃっと笑う。
それを何となく気に食わない様子で見つめるのは、黒子を含む誠凛の部員達。
「おい、そろそろ行くぞ」
「あ…すみません。黄瀬君、案内よろしく」
「はいっス」
ついて来てくださーい!と明るく言う黄瀬の後ろをついていく。
日向はさり気なく真司の背中を押しながら、黄瀬の背中を不服そうに睨んでいた。
・・・
既に練習が始まっているのだろう。体育館の中からはドリブルの音や声が聞こえて来る。
「ここっス」
黄瀬の後を追って中に入れば、そこには予想していなかった光景が広がっていた。
体育館を区切るネット。これから練習試合を行うのだという雰囲気は全くない。
「ああ、来たか。今日はこっちだけでやってもらえるかな」
よろしく、と言いながらもふてぶてしい態度をとるのは、海常バスケ部の監督。
本当にバスケを教えられるのか、そんな疑問さえ浮かぶその監督の体型はさておき。
こっち、というのはコートの片面を示していた。
「こちらこそよろしくお願いします。それであの…これはどういうことでしょうか?」
「今日の試合、うちはレギュラーの調整だと思っていてね。見学には学ぶものがないから、他の部員には普段の練習をしてもらってるよ」
だから、片面で。その理屈に当然リコは怒り爆発寸前で、火神も、黒子でさえ眉をひそめた。
それを気にしていないのか気付いていないのか。黄瀬はユニフォームに着替えると、ぴょんっと真司に駆け寄った。
「ね、ね、真司っち!海常のユニフォーム、どっスか?似合ってる?」
「ちょ、今それどころじゃ…」
海常のユニフォームは青に黒の文字。全体的に暗めの色で構成されているユニフォームは、派手な黄瀬と丁度よくマッチしていて。
「(似合ってる…かも)」
悔しくて、口に出すか迷う。
まぁたまには褒めてあげてもいいか、なんて思った真司の言葉を遮ったのは、海常の監督だった。
「黄瀬、オマエは試合には出さんぞ」
「え!?な、なんでっスか!?」
「オマエはレギュラーの中でも格が違うんだからな」
更に黄瀬を出したら試合にならなくなる、なんて呟く監督に、真司の額にもぴきっと何か走った。
「黄瀬君」
「な、なんスか…?」
「誠凛にきなよ。一緒にバスケしよう」
「…っ、そ、のお誘いは…ちょっと嬉しいっス…!」
真司は黄瀬から離れて黒子に寄り添った。
黒子の纏う空気が穏やかでない。視線は真っ直ぐに黄瀬に向けられている。
「すませんっス、誠凛の皆さん。でも、オレもベンチ入るし…ギャフンと言わせてくれれば出させてくれると思うし!」
一方黄瀬も黄瀬で真司と黒子の所属している誠凛には興味があるらしい。
口は笑っているが、目は笑っていない。キセキの世代を倒したいなら、それくらい出来ないと、とでも言いたげな視線だ。
「それでは黄瀬君、アップしといて下さい」
「え?」
「出番、待つとかないんで」
黒子が言い放ち、それを聞いた黄瀬は怪しげな笑みを浮かべた。
「期待してるっスよ。黒子っち、真司っち」
互いに背中を向けて歩き出す。
思っていたよりも早かった“キセキの世代”との試合。今日で、これからの誠凛でのバスケは大きく変わるだろう。
(いくら高い目標があっても、実力が追いつかなければ意味がない)
圧倒的な力を持つ“キセキの世代”。
そして、一秒でも早く取り戻したい関係。
「監督」
「何?真司君」
「先輩達の力を信じてます」
「えぇ。信じて頂戴。勿論、真司君も使うけどね」
「あ、有難うございます…!」
スタメンに選ばれる必要はない。いつだっていい、黄瀬と真剣に試合をしてみたい。
真司は青いユニフォームに身を包んだ黄瀬を見て、ぐっと拳に力を入れた。