黒バス(2012.10~2017.12)
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まだ少し薄暗い道をひたすら真っ直ぐ走る。
吹き付ける風は、この時間だと春とはいえ少し冷える。
しかし、そんなこと気にならないくらい走ることが楽しかった。
これだけはずっと変わらない、小さい頃からの趣味だ。
それが誰にも負けない自分の才能と分かった時は、本当に嬉しかった。
だからこそ、この足では誰にも負けたくない。
もっと速く、もっと先へ。
「公式戦に出れば…皆と戦うことになる」
雲の霞む空の向こうに目を向けて、真司はぎゅっと手に力を込めた。
余りにもあっさりと訪れた彼等との別れ。卒業してからというもの、一度も彼等とは会っていないどころか連絡も取っていない。
「好きだよ。好きだからこそ」
愛しい人達だからこそ、真司は対峙することを選んだ。あの頃の皆とまたバスケをしたいから。
「俺は、戦う」
雲の隙間から覗き出た太陽に目がくらむ。
それを手で遮り、真司は帰路を辿ってスピードを上げた。
「ただいま」
ばたばたと扉を開いて靴を脱ぎ捨てる。
「…おはよ、また走ってきたの?」
家を出た時にはまだ眠っていた母が、丁度起きてきたところだったらしい。
帰宅した真司を出迎えた母はが欠伸をしながらリビングへと入っていく。
「あ、起きてたんだ。おはよう」
「さっさと朝ごはん食べなさいよ」
「うん」
朝、用意されているご飯。持たされる弁当。
何気ない日常が酷く心に染みわたるのは、中学時代の家出があったから。今では、それなりに普通の家族が出来ている気がする。
「何よ、じろじろ見て」
「ううん。頂きます」
パタパタとスリッパが音を立てる。
真司は顔を洗って汗を流すと、食卓についた。
・・・
まだ慣れない学校生活。
午前の授業を終え、真司は鞄から弁当を取り出した。
教室では友人をつくろうと奮闘する生徒同士が机を合わせているが、それに構うことなく教室を出て行く。
それほど興味がないことは確かだが、別に友人をつくる気がないわけではない。
中学の時の屋上のような、お気に入りといえる場所を探したかったのだ。
「烏羽?」
階段を上がったところで、真司は聞こえた声に振り返った。
「あ、こんにちは日向先輩」
「おう。ちゃんと覚えてたな。こんなとこで何してんだ?」
そこにいたのはバスケ部の主将、日向順平。
どうやらこの階には二年生の教室が密集しているらしい。
真司は一歩上がっていた足を戻して日向に体を向けた。
「あの、静かにお弁当食べれる場所ってありますかね」
「はぁ?教室じゃ駄目なのか?」
「あまり人がいない場所が良くて」
「お前なぁ…そんなだから根暗っぽく思われんだよ」
日向が頭をかきながら呆れたきったようなため息を吐く。
「え、俺って根暗っぽいですか…?」
「自覚ないのかよ」
がり勉だとか、真面目っぽいという印象を告げられることの多かった真司にとって、根暗は衝撃だった。
さすがに根暗はマズイ。それは印象として良いものではない。
「…」
「前髪切ったらどうだ?それだけで随分違うと思うぞ」
「そりゃそうでしょうけど…」
日向の指が真司の目にかかる前髪に触れる。
前髪を切らない理由の大きなところは、中学での様々な事件だ。
そして、もう一つあるとすれば、大好きな彼等にあまり素顔を見せるなと言われたこと。
「日向先輩、きっと俺の顔見たら惚れちゃいますよ」
「ダァホ、何言ってんだ一年坊主が」
真司の前髪に触っていた手が、ぎゅっと頬を摘まんだ。
実のところ、真司は自分の顔には足と同じくらいに自信を持っている。
何せ、あの赤司征十郎が欲したものだ。直接言われずとも、それなりに整ったものであることは確かなのだろう。
と、まぁそんなことは良いとして。
「そんな一年坊主がレギュラーって、すぐに取れるものでしょうか?」
「レギュラー?その前にまず入部しないとな」
「え、…あ」
うっかり既に入部した気になっていたが、先日提出したのは仮入部届。
となると本入部届を頂いて提出しないといけないわけだ。
「…それ、どうしたら良いんですか…?」
「監督のところに行けば、本入部届がもらえるはずだけど」
「あ、有難うございます」
ぺこっと軽く頭を下げる。
そのまま去ろうとした真司の手が、日向に掴まれていた。
「…何ですか?」
「一つ、確認しておきたいことがあってさ」
「はぁ…」
日向は有無言わず真司の腕を引いて自分の教室へと戻って行った。
真司が一年であると分かってしまうのだろう、二年生がちらちらと視線を向けてくる。
さすがに居心地の悪さは最悪だ。
そんな真司もお構いなしに日向は自分の机を漁ると、一冊の雑誌を取り出した。
「別に変な意味とかはねーんだけどさ、お前のこと調べたんだよ」
「これって…バスケの…」
日向が広げた雑誌には、帝光中バスケ部の特集が掲載されている。
そこの一ページ。見出しには「期待の新人」と書かれていて。ばっちりと帝光時代の真司が映された写真が載せられていた。
「これ、お前だよな?名前書いてあるもんな」
「えっと…」
確かに、写真の下には“烏羽真司”と書かれている。
とはいえ、この写真の真司は眼鏡をしていない。今日向の目の前に立っている真司とは似ても似つかないような状態で。
「別に言いふらしたりはしないから。烏羽が隠したいっていうなら、この雑誌もすぐに持って帰るし」
「…」
隠したいか、と言えば勿論隠しておきたい。
しかし、中学時代とは状況が違うことも分かっていた。
何せ、この誠凛高校には黄瀬涼太みたいなモデルはいない。そして、そのモデルに好かれるようなこともない。
つまり、そこまでムキになって隠すようなことでも無いということだ。
「…そうですよ、俺です」
脳内で事を整理させて、真司はこくりと頷いた。
「でも一応、あえて人に教えるようなことはしないで欲しいです」
どちらかと言えば、望むのは中学一年までのような平穏な日々だ。
ちら、と日向を上目で見る。
日向は暫く雑誌の真司を見て、それから視線を真司に移した。
「ちょっと、いいか」
その質問は、真司の答えを待ってなどいなくて。
真司がきょとんとしている間に、日向の手は真司の顔へと伸ばされていた。
「あ…っ」
「なるほどな。確かに伊月の言ってた通りだ」
前髪をかき分けられ、顔を覗かれる。
頬に日向の手のひらが当たって、指は微かに真司の唇に触れた。
「わ、先輩、ちょっと…」
「烏羽が隠したいのって、過去?それとも顔?」
「え…いや、別に隠したいっていうか…その、めんどくさいのが嫌ってだけで…」
「あー。納得」
ぱっと日向の手が離れる。
日向は色々と質問を重ねた割に、それ程興味があるわけでもなかったらしい。
「悪かったな、行っていいぞ」
「はぁ…。じゃあ、行きますね」
真司は軽く日向に頭を下げると、二年の教室からそそくさと出て行った。
なんだか、むしろ面倒なことになっているような気がする。
端から前髪を短くして眼鏡を外していた方が、そういうものとして受け入れてもらえたのかもしれない。
なんて、今更考えたところでどうしようもないのだが。
「とりあえず…監督のところにも行かなきゃな」
真司は方向転換すると、たたっと駆けだした。
・・・
「…伊月が言った通り、だし…あいつが言った通りでもあったな」
立ち去る真司を横目で見ながら、日向は額に手を当て椅子にどかっと座った。
雑誌で確認出来た時点で目を疑う程ではあったが、まさかここまでとは。
「別に、惚れちゃねーけど」
と言ってられるのも今だけかもしれない。
日向は机に突っ伏して深いため息を吐き出した。
長いこと二年生の教室の周りを歩き回るなんて、本当は避けたい。
それでも、今は本入部届という物を手に入れなくてはならない。
そんな義務感に駆られて、俯きながらも一つずつ教室を覗く。
「…あ」
そんな真司に救世主が現れた。
長く続く廊下の先に見えるのは、大きな体に赤と黒と目立つ髪の毛。
間違いない、火神大我だ。
「火神君!」
「あ?烏羽か」
振り返った火神は、真司を見つけると不思議そうに目を丸くした。
なんでここに、とでも言いたげな顔だが、それを言いたいのはこちらも同じ。
「あ、もしかして、入部届もらいに来た?」
「オマエも?」
「うん。早くちゃんと部活に参加したくて」
「だよな。オレも昨日からうずうずしてんだ」
火神は獲物を見つけた虎かのように目をぎらぎらとさせている。
“キセキの世代”の存在を知ったからだろう。
「俺、監督がどこにいるのか知らないんだけど…火神君分かる?」
「あぁ、たぶんあっちだな」
「たぶん?」
火神は先にある教室に指先を向けた。
火神が虎だったなら、きっと今、鼻をすんすんと鳴らしていたことだろう。
野生の勘なんてものを信じるつもりはないが、なんとなく今は火神について行った。
「あ、本当にいた」
2-Cと書かれた教室。
火神が指した教室を覗き込むと、確かにリコの姿が見える。
火神は躊躇うことなく堂々と入っていき、真司はその後に続いた。
「監督!本入部届くれ!」
「こんにちは、監督。俺にも下さい」
「ちょ…!なんなのよ、アンタ達も!?」
リコは口に運んでいた飲み物を盛大に吹き出し、二人を見上げた。
その反応は、ここに来たのが火神と真司だけでは無かったかのようなもので。続けて呆れたように息を吐いた。
「黒子君もさっき同じこと言いに来たわよ」
「テツ君も…」
「全く、そろってせっかちね。まぁ即戦力だしベンチに空はあるから大歓迎だけど」
そう言いながら、リコは自分の机の中から本入部届を二枚取り出した。
薄い紙っぺら一枚。これで真司の高校生活が始まると言ってもいい。
「…有難うございます」
「っ、可愛…ちょっと、頭撫でていい?」
「今、可愛いって言いかけましたよね」
一度真司の顔を見てしまったリコには、もう完全に真司の姿が見えているようだ。
真司は伸ばされたリコの手から逃れるように一歩下がると、火神を見上げた。
「行こう、火神君」
「あ、あぁ」
「あ!ちょっと待って、二人とも」
既に一歩扉の方へ歩き出していた足を止めて振り返る。
リコは本入部届をこちらに見せながら、ニッと怪しげに笑った。
「これの提出は、月曜朝8時40分、屋上ね!」
何ともピンポイントな場所と時間。
真司は多少不思議に思いながらも、こくりと頷いてその場を後にした。
火神の横、廊下を歩く。身長のせいか、それとも纏う空気のせいか、火神といる時は少し懐かしい気がしてくる。
ちらっと前髪の隙間から火神を覗き見ると、目が合ってしまった。
「…なぁ、オマエさ」
「ん?」
「部活じゃなくて、どっかで会ってねーか?」
真司を見下ろす火神の目が細められている。
さすがに前髪と眼鏡だけで顔を完全に隠すことは不可能だ。いつかはバレる、そう思っていたとはいえ。
「(ちょっと、早くない…?)」
「見覚えあるっつか…なんか…」
火神の無骨で大きな手が真司の顔に伸ばされる。手の感じも、ちょっと青峰に似ているかもしれない、なんて。
思わず、火神が前髪に触れるのを許していた。
「あ、待って…っ」
「火神君、セクハラは駄目です」
「せ、セクハラじゃねーだろ!って黒子!?」
真司と火神の間に黒子が立っている。
自然と火神の手は真司から離れて、ひらりと一瞬前髪が浮くだけで済んでいた。
「おま…!いきなり出てくんの止めろよ!」
「気付かない方が悪いんですよ。というか、烏羽君に手を出すのは止めて下さい」
「だ、出してねーし!」
さり気なく、黒子が真司を後ろに下がらせて庇ってくれている。
いや、そこまでしてくれなくても。
過剰な黒子の反応を少し不思議に思いながら、真司は後ろに下がって二人を眺めた。
「やっと、ボクに巡ってきたチャンスなんです。火神君には譲りません」
「はぁ?良く分かんねーんだけど…」
「分かっていないなら、むしろいいです。気にしないで下さい」
「なんだよそれ」
黒子が随分と饒舌に話す。
元々世渡りが上手そうな黒子であるが、この短期間でここまで親しくなるなんて。
「…二人、仲良いね」
「はぁ!?」
「望んだわけではないのですが…同じクラスで席も前後なもので」
「嫌なのかよ」
「別に嫌とは言ってないです」
同じクラスで、席が前後。
それは、初めて真司が青峰と親しくなった時と同じ状況だ。
懐かしくて、少し羨ましい。
言い合いを続けている黒子と火神を見て、真司は前髪の下に優しい笑みを浮かべていた。
月曜日、朝。
先日リコに言われた通りに、本入部届を持って屋上へ向かう。
校庭へと向かう生徒達の流れに逆らって。
「あの、監督」
「何かしら?」
「これから朝礼ですよね」
真司の視線は問いかけたリコではなく、屋上の下に向いている。
広がる景色が良いとか悪いとか、そこは問題ではない。ずらりと整列する生徒達の中に、本来なら真司達も混ざっているべきなのだ。
「朝礼なんてどうだっていいでしょ」
「…まぁ、監督がそう言うなら…」
「つか、とっとと受け取れよ!」
真司の横に立っている火神は、入部届をリコの方へばっと差し出した。
そう、真司や火神、黒子他、ここに来ている一年生の目的は入部届を渡すこと。
しかしリコはそれだけで解放するつもりはないらしい。
「それを受け取る前に、一つ言っておきたいことがあるの」
この屋上に集まった一年生、6人。リコは一人ずつしっかり目に映して、ニッと笑った。
「全国目指してガチでバスケをやること!もし覚悟がなければ同好会の方へどうぞ!」
思わず真司はぽかんと口を開けてしまった。
何を言われるのかと思いきや、まさかそんなこと。端から当然のように決めていた覚悟だ。
火神も同じ気持ちだったようで、抜けた声を漏らした。
「は?そんなん…」
「アンタ達が強いのは知ってるわ。でも、大事なことを確認したいのよ。いつか、出来れば、じゃ駄目だからね」
つまりリコが言いたいのは、今すぐに全国を目指すという覚悟を見せろ、ということだろう。
真司は何となく嫌な予感がして、恐る恐るリコに問いかけた。
「それで、何か条件でも出すつもりなんですか?」
「具体的かつ高い目標と、それを達成しようとする意志が欲しいの。だから…」
リコは柵の手前まで歩いて近づくと、ばっと両手を広げた。
「学年とクラス!名前!今年の目標を宣言してもらいます!」
「!?」
「あ、ちなみに出来なかった場合には全裸で好きな子に告白してもらうから」
勿論ここでね、と付けたしてニヤニヤと笑っているリコに誰も何も言えなくなっていた。
そりゃあ目的としては、これからバスケ部に所属する上での目標を言えということなのだろうが。
何となく白けた空気をどうにかしたくて、真司はすっと片手を挙げた。
「あの、もし出来なかったとして、好きな子がいなかったらどうするんですか」
「そーねぇ。適当に今の所一番の女の子の名前でも挙げれば?」
「…」
何という罰ゲームだ。まぁ、まさか全裸なんて本当にやらせるわけが無いだろうが。
現実的なことを考えながら、目標を何にしようか考えていると、今度は横で火神が手を挙げた。
「もし、名前が分からなかったら、どーすんだよ…ですか」
「は?何、火神君は好きな子の名前が分からないの?」
「も、もしだっつの!!ていうか、言うし、言えばいいんだろ!」
あきらかに図星であるといった反応をしてから、火神はばっと走り出した。
そのまま屋上の柵にひょいっと軽く足を乗せる。
「1-B 5番!火神大我!“キセキの世代”を倒して日本一になる!」
身軽にも人が乗る為に造られていない柵の上で、火神は大きな声を上げた。
ざわつき始める校庭の生徒達。それも構わず、火神はひょいっと屋上内へと戻る。
「これでいいんだろ!」
「うん。火神君、合格!次は誰行く?」
リコが視線を彷徨わせる。
すると、黒子がどこから持って来たのかメガホンを顔の前に持って行った。
「すみません。ボク、声張るの苦手なんで。これ使ってもいいですか?」
「…いいけど」
あ、いいなそれ。次借りよう。
そんなことを考えながら、黒子が何を言うのか期待に胸が膨らむ。
しかし、すっと黒子が息を吸った瞬間、屋上の扉がばんっと開け放たれた。
「コラー!またかバスケ部!」
「あら!?今年は早い!」
あっという間に強制終了を余儀なくされ、しかもそこにいた全員がくどくどと説教を受けることとなってしまった。
実行したのは火神だけだというのに、他の皆は完全にただのとばっちりだ。
そんなこんなで、初の教師からの説教というイベントをこなした翌日。
真司は校舎の中から校庭を見て、思わず吹き出すこととなった。
“日本一にします”
大きく書かれた文字、その宣言に名前は書かれていなかったが、間違いなく黒子のものだろう。
「やるなー…テツ君」
真司は教室の窓に手を当てて、その文字をなぞっていた。
・・・
「で?烏羽君は何をしてくれるのかな?」
体育館、学ランを腕から抜いた状態で、真司は唖然とした。
声をかけてきた監督であるリコは、腕を組んで怪しげに口角を上げている。
「え…え…?」
「まさか、自分は何もせずに終われると思ってたの?」
「え、火神君とテツ君以外の皆は?」
「朝早く、校門でしっかり宣言したわよ」
黒子の校庭に書かれた文字が衝撃的すぎて全く気が付かなかった。
真司の頬に冷や汗が流れる。
「えっと、今から…」
「真似は駄目。ちゃんと自分流の意志を見せて欲しいなぁ」
恐らく、いや間違いなくリコは楽しんでいるだけだ。
真司にはその期待に答えられる程の何かがない。
「…」
「ほら、出来なきゃ全裸で告白が待ってるわよ」
「…!」
リコの言葉に真司の目がぱっと開かれた。
「じゃあ、脱ぎますね」
「…え?」
一斉に、そこにいた部員の視線が真司に集まった。
脱いでいる途中だった学ランを脱ぎ、ワイシャツにも手をかける。
別に男であるし、脱ぐことに左程抵抗はない。それに、下着を脱ごうとすればさすがに監督が止めるだろうという確信があったからだ。
「ちょ、ちょっと、何?烏羽君、頭大丈夫?」
「え、監督が提案したんじゃないですか」
「そーだけど」
まさか本当にやると思っていなかったのだろう、リコが焦り始める。
ワイシャツを床にぽいっと脱ぎ捨てると、それを駆け寄ってきた黒子が拾い上げていた。
「烏羽君、ボクも反対です」
「テツ君…。ごめんね、俺にはこんなことしか出来なくて…」
「監督、烏羽君を止めて下さい」
「下着までは許すわ」
あ、データを見たいだけだな。
二年生一同は即座に察し、黒子はさっと青ざめた。
「烏羽君…そんな恰好で誰に告白するというんですか…?」
「そこかよ!」
「大丈夫だよ、テツ君」
我慢出来ずに突っ込んでしまった日向はさておき、真司はリコに向き合った。
「俺が今、一番好きな女性は監督です」
「え…」
「だから、リコ先輩が好きです」
「そーくるか…」
リコは確かに真司に言ったのだ。
適当に一番を挙げろ、と。つまりこれでもノルマは達成しているはずだ。
「却下」
なんて甘くいかないことも想定済み。
真司は自分の眼鏡に手をかけた。
「じゃあもう…全てさらけ出しましょうか」
「合格」
「それでいいのかよ!」
未だにリコは真司の顔を隠し通したいらしい。
屋上で叫んだ一名、火神だけは納得いかない様子で突っ込みをいれたが、とりあえず真司はこれだけで免れた。
それにホッと一安心し、真司は黒子に向き直った。
「ね、大丈夫だったしょ?」
「全く君は…もっと自分の体がどんなものか自覚すべきです」
はぁ、と黒子がため息を吐く。その黒子の目は、前髪も眼鏡もすべて無視して真司の素顔をじっと捕らえている。
見透かされているような視線。一体どこまで、黒子は真司を知っているのだろう。
「どうぞ、早く着て下さい」
「あ、うん…」
自分のしたことが急に恥ずかしくなって、真司はワイシャツを受け取り黒子から目を逸らした。
全く躊躇わずに脱いでしまったが、晒される肌は白く、細く貧相だ。バスケ部の皆とは見比べる必要などない程に違う体つき。
「ちょ、ちょっと待てよ、監督。烏羽だけ目標とか言ってなくねーか…ですか」
「あ、そうね。烏羽君、それだけ聞かせて」
ワイシャツを着こんで、リコに目を向ける。
リコだけでなく、一年生も二年生も、皆が真司を見ていた。
今さっきの自分の行動を引きずって、若干頬が赤くなっている。
そのまま、真司は顔をしっかりと前に向けた。
「打倒キセキの世代、です」
火神と黒子の目標を聞いて、考えた。
考えた結果、真司の中に“日本一”という考えが無いことに気が付いたのだ。
キセキの世代を倒せば自ずと日本一になるのかもしれないが、あえてそれは言わない。
真司は、ただ、皆を取り戻したいだけなのだ。
今でも愛している彼等を。
吹き付ける風は、この時間だと春とはいえ少し冷える。
しかし、そんなこと気にならないくらい走ることが楽しかった。
これだけはずっと変わらない、小さい頃からの趣味だ。
それが誰にも負けない自分の才能と分かった時は、本当に嬉しかった。
だからこそ、この足では誰にも負けたくない。
もっと速く、もっと先へ。
「公式戦に出れば…皆と戦うことになる」
雲の霞む空の向こうに目を向けて、真司はぎゅっと手に力を込めた。
余りにもあっさりと訪れた彼等との別れ。卒業してからというもの、一度も彼等とは会っていないどころか連絡も取っていない。
「好きだよ。好きだからこそ」
愛しい人達だからこそ、真司は対峙することを選んだ。あの頃の皆とまたバスケをしたいから。
「俺は、戦う」
雲の隙間から覗き出た太陽に目がくらむ。
それを手で遮り、真司は帰路を辿ってスピードを上げた。
「ただいま」
ばたばたと扉を開いて靴を脱ぎ捨てる。
「…おはよ、また走ってきたの?」
家を出た時にはまだ眠っていた母が、丁度起きてきたところだったらしい。
帰宅した真司を出迎えた母はが欠伸をしながらリビングへと入っていく。
「あ、起きてたんだ。おはよう」
「さっさと朝ごはん食べなさいよ」
「うん」
朝、用意されているご飯。持たされる弁当。
何気ない日常が酷く心に染みわたるのは、中学時代の家出があったから。今では、それなりに普通の家族が出来ている気がする。
「何よ、じろじろ見て」
「ううん。頂きます」
パタパタとスリッパが音を立てる。
真司は顔を洗って汗を流すと、食卓についた。
・・・
まだ慣れない学校生活。
午前の授業を終え、真司は鞄から弁当を取り出した。
教室では友人をつくろうと奮闘する生徒同士が机を合わせているが、それに構うことなく教室を出て行く。
それほど興味がないことは確かだが、別に友人をつくる気がないわけではない。
中学の時の屋上のような、お気に入りといえる場所を探したかったのだ。
「烏羽?」
階段を上がったところで、真司は聞こえた声に振り返った。
「あ、こんにちは日向先輩」
「おう。ちゃんと覚えてたな。こんなとこで何してんだ?」
そこにいたのはバスケ部の主将、日向順平。
どうやらこの階には二年生の教室が密集しているらしい。
真司は一歩上がっていた足を戻して日向に体を向けた。
「あの、静かにお弁当食べれる場所ってありますかね」
「はぁ?教室じゃ駄目なのか?」
「あまり人がいない場所が良くて」
「お前なぁ…そんなだから根暗っぽく思われんだよ」
日向が頭をかきながら呆れたきったようなため息を吐く。
「え、俺って根暗っぽいですか…?」
「自覚ないのかよ」
がり勉だとか、真面目っぽいという印象を告げられることの多かった真司にとって、根暗は衝撃だった。
さすがに根暗はマズイ。それは印象として良いものではない。
「…」
「前髪切ったらどうだ?それだけで随分違うと思うぞ」
「そりゃそうでしょうけど…」
日向の指が真司の目にかかる前髪に触れる。
前髪を切らない理由の大きなところは、中学での様々な事件だ。
そして、もう一つあるとすれば、大好きな彼等にあまり素顔を見せるなと言われたこと。
「日向先輩、きっと俺の顔見たら惚れちゃいますよ」
「ダァホ、何言ってんだ一年坊主が」
真司の前髪に触っていた手が、ぎゅっと頬を摘まんだ。
実のところ、真司は自分の顔には足と同じくらいに自信を持っている。
何せ、あの赤司征十郎が欲したものだ。直接言われずとも、それなりに整ったものであることは確かなのだろう。
と、まぁそんなことは良いとして。
「そんな一年坊主がレギュラーって、すぐに取れるものでしょうか?」
「レギュラー?その前にまず入部しないとな」
「え、…あ」
うっかり既に入部した気になっていたが、先日提出したのは仮入部届。
となると本入部届を頂いて提出しないといけないわけだ。
「…それ、どうしたら良いんですか…?」
「監督のところに行けば、本入部届がもらえるはずだけど」
「あ、有難うございます」
ぺこっと軽く頭を下げる。
そのまま去ろうとした真司の手が、日向に掴まれていた。
「…何ですか?」
「一つ、確認しておきたいことがあってさ」
「はぁ…」
日向は有無言わず真司の腕を引いて自分の教室へと戻って行った。
真司が一年であると分かってしまうのだろう、二年生がちらちらと視線を向けてくる。
さすがに居心地の悪さは最悪だ。
そんな真司もお構いなしに日向は自分の机を漁ると、一冊の雑誌を取り出した。
「別に変な意味とかはねーんだけどさ、お前のこと調べたんだよ」
「これって…バスケの…」
日向が広げた雑誌には、帝光中バスケ部の特集が掲載されている。
そこの一ページ。見出しには「期待の新人」と書かれていて。ばっちりと帝光時代の真司が映された写真が載せられていた。
「これ、お前だよな?名前書いてあるもんな」
「えっと…」
確かに、写真の下には“烏羽真司”と書かれている。
とはいえ、この写真の真司は眼鏡をしていない。今日向の目の前に立っている真司とは似ても似つかないような状態で。
「別に言いふらしたりはしないから。烏羽が隠したいっていうなら、この雑誌もすぐに持って帰るし」
「…」
隠したいか、と言えば勿論隠しておきたい。
しかし、中学時代とは状況が違うことも分かっていた。
何せ、この誠凛高校には黄瀬涼太みたいなモデルはいない。そして、そのモデルに好かれるようなこともない。
つまり、そこまでムキになって隠すようなことでも無いということだ。
「…そうですよ、俺です」
脳内で事を整理させて、真司はこくりと頷いた。
「でも一応、あえて人に教えるようなことはしないで欲しいです」
どちらかと言えば、望むのは中学一年までのような平穏な日々だ。
ちら、と日向を上目で見る。
日向は暫く雑誌の真司を見て、それから視線を真司に移した。
「ちょっと、いいか」
その質問は、真司の答えを待ってなどいなくて。
真司がきょとんとしている間に、日向の手は真司の顔へと伸ばされていた。
「あ…っ」
「なるほどな。確かに伊月の言ってた通りだ」
前髪をかき分けられ、顔を覗かれる。
頬に日向の手のひらが当たって、指は微かに真司の唇に触れた。
「わ、先輩、ちょっと…」
「烏羽が隠したいのって、過去?それとも顔?」
「え…いや、別に隠したいっていうか…その、めんどくさいのが嫌ってだけで…」
「あー。納得」
ぱっと日向の手が離れる。
日向は色々と質問を重ねた割に、それ程興味があるわけでもなかったらしい。
「悪かったな、行っていいぞ」
「はぁ…。じゃあ、行きますね」
真司は軽く日向に頭を下げると、二年の教室からそそくさと出て行った。
なんだか、むしろ面倒なことになっているような気がする。
端から前髪を短くして眼鏡を外していた方が、そういうものとして受け入れてもらえたのかもしれない。
なんて、今更考えたところでどうしようもないのだが。
「とりあえず…監督のところにも行かなきゃな」
真司は方向転換すると、たたっと駆けだした。
・・・
「…伊月が言った通り、だし…あいつが言った通りでもあったな」
立ち去る真司を横目で見ながら、日向は額に手を当て椅子にどかっと座った。
雑誌で確認出来た時点で目を疑う程ではあったが、まさかここまでとは。
「別に、惚れちゃねーけど」
と言ってられるのも今だけかもしれない。
日向は机に突っ伏して深いため息を吐き出した。
長いこと二年生の教室の周りを歩き回るなんて、本当は避けたい。
それでも、今は本入部届という物を手に入れなくてはならない。
そんな義務感に駆られて、俯きながらも一つずつ教室を覗く。
「…あ」
そんな真司に救世主が現れた。
長く続く廊下の先に見えるのは、大きな体に赤と黒と目立つ髪の毛。
間違いない、火神大我だ。
「火神君!」
「あ?烏羽か」
振り返った火神は、真司を見つけると不思議そうに目を丸くした。
なんでここに、とでも言いたげな顔だが、それを言いたいのはこちらも同じ。
「あ、もしかして、入部届もらいに来た?」
「オマエも?」
「うん。早くちゃんと部活に参加したくて」
「だよな。オレも昨日からうずうずしてんだ」
火神は獲物を見つけた虎かのように目をぎらぎらとさせている。
“キセキの世代”の存在を知ったからだろう。
「俺、監督がどこにいるのか知らないんだけど…火神君分かる?」
「あぁ、たぶんあっちだな」
「たぶん?」
火神は先にある教室に指先を向けた。
火神が虎だったなら、きっと今、鼻をすんすんと鳴らしていたことだろう。
野生の勘なんてものを信じるつもりはないが、なんとなく今は火神について行った。
「あ、本当にいた」
2-Cと書かれた教室。
火神が指した教室を覗き込むと、確かにリコの姿が見える。
火神は躊躇うことなく堂々と入っていき、真司はその後に続いた。
「監督!本入部届くれ!」
「こんにちは、監督。俺にも下さい」
「ちょ…!なんなのよ、アンタ達も!?」
リコは口に運んでいた飲み物を盛大に吹き出し、二人を見上げた。
その反応は、ここに来たのが火神と真司だけでは無かったかのようなもので。続けて呆れたように息を吐いた。
「黒子君もさっき同じこと言いに来たわよ」
「テツ君も…」
「全く、そろってせっかちね。まぁ即戦力だしベンチに空はあるから大歓迎だけど」
そう言いながら、リコは自分の机の中から本入部届を二枚取り出した。
薄い紙っぺら一枚。これで真司の高校生活が始まると言ってもいい。
「…有難うございます」
「っ、可愛…ちょっと、頭撫でていい?」
「今、可愛いって言いかけましたよね」
一度真司の顔を見てしまったリコには、もう完全に真司の姿が見えているようだ。
真司は伸ばされたリコの手から逃れるように一歩下がると、火神を見上げた。
「行こう、火神君」
「あ、あぁ」
「あ!ちょっと待って、二人とも」
既に一歩扉の方へ歩き出していた足を止めて振り返る。
リコは本入部届をこちらに見せながら、ニッと怪しげに笑った。
「これの提出は、月曜朝8時40分、屋上ね!」
何ともピンポイントな場所と時間。
真司は多少不思議に思いながらも、こくりと頷いてその場を後にした。
火神の横、廊下を歩く。身長のせいか、それとも纏う空気のせいか、火神といる時は少し懐かしい気がしてくる。
ちらっと前髪の隙間から火神を覗き見ると、目が合ってしまった。
「…なぁ、オマエさ」
「ん?」
「部活じゃなくて、どっかで会ってねーか?」
真司を見下ろす火神の目が細められている。
さすがに前髪と眼鏡だけで顔を完全に隠すことは不可能だ。いつかはバレる、そう思っていたとはいえ。
「(ちょっと、早くない…?)」
「見覚えあるっつか…なんか…」
火神の無骨で大きな手が真司の顔に伸ばされる。手の感じも、ちょっと青峰に似ているかもしれない、なんて。
思わず、火神が前髪に触れるのを許していた。
「あ、待って…っ」
「火神君、セクハラは駄目です」
「せ、セクハラじゃねーだろ!って黒子!?」
真司と火神の間に黒子が立っている。
自然と火神の手は真司から離れて、ひらりと一瞬前髪が浮くだけで済んでいた。
「おま…!いきなり出てくんの止めろよ!」
「気付かない方が悪いんですよ。というか、烏羽君に手を出すのは止めて下さい」
「だ、出してねーし!」
さり気なく、黒子が真司を後ろに下がらせて庇ってくれている。
いや、そこまでしてくれなくても。
過剰な黒子の反応を少し不思議に思いながら、真司は後ろに下がって二人を眺めた。
「やっと、ボクに巡ってきたチャンスなんです。火神君には譲りません」
「はぁ?良く分かんねーんだけど…」
「分かっていないなら、むしろいいです。気にしないで下さい」
「なんだよそれ」
黒子が随分と饒舌に話す。
元々世渡りが上手そうな黒子であるが、この短期間でここまで親しくなるなんて。
「…二人、仲良いね」
「はぁ!?」
「望んだわけではないのですが…同じクラスで席も前後なもので」
「嫌なのかよ」
「別に嫌とは言ってないです」
同じクラスで、席が前後。
それは、初めて真司が青峰と親しくなった時と同じ状況だ。
懐かしくて、少し羨ましい。
言い合いを続けている黒子と火神を見て、真司は前髪の下に優しい笑みを浮かべていた。
月曜日、朝。
先日リコに言われた通りに、本入部届を持って屋上へ向かう。
校庭へと向かう生徒達の流れに逆らって。
「あの、監督」
「何かしら?」
「これから朝礼ですよね」
真司の視線は問いかけたリコではなく、屋上の下に向いている。
広がる景色が良いとか悪いとか、そこは問題ではない。ずらりと整列する生徒達の中に、本来なら真司達も混ざっているべきなのだ。
「朝礼なんてどうだっていいでしょ」
「…まぁ、監督がそう言うなら…」
「つか、とっとと受け取れよ!」
真司の横に立っている火神は、入部届をリコの方へばっと差し出した。
そう、真司や火神、黒子他、ここに来ている一年生の目的は入部届を渡すこと。
しかしリコはそれだけで解放するつもりはないらしい。
「それを受け取る前に、一つ言っておきたいことがあるの」
この屋上に集まった一年生、6人。リコは一人ずつしっかり目に映して、ニッと笑った。
「全国目指してガチでバスケをやること!もし覚悟がなければ同好会の方へどうぞ!」
思わず真司はぽかんと口を開けてしまった。
何を言われるのかと思いきや、まさかそんなこと。端から当然のように決めていた覚悟だ。
火神も同じ気持ちだったようで、抜けた声を漏らした。
「は?そんなん…」
「アンタ達が強いのは知ってるわ。でも、大事なことを確認したいのよ。いつか、出来れば、じゃ駄目だからね」
つまりリコが言いたいのは、今すぐに全国を目指すという覚悟を見せろ、ということだろう。
真司は何となく嫌な予感がして、恐る恐るリコに問いかけた。
「それで、何か条件でも出すつもりなんですか?」
「具体的かつ高い目標と、それを達成しようとする意志が欲しいの。だから…」
リコは柵の手前まで歩いて近づくと、ばっと両手を広げた。
「学年とクラス!名前!今年の目標を宣言してもらいます!」
「!?」
「あ、ちなみに出来なかった場合には全裸で好きな子に告白してもらうから」
勿論ここでね、と付けたしてニヤニヤと笑っているリコに誰も何も言えなくなっていた。
そりゃあ目的としては、これからバスケ部に所属する上での目標を言えということなのだろうが。
何となく白けた空気をどうにかしたくて、真司はすっと片手を挙げた。
「あの、もし出来なかったとして、好きな子がいなかったらどうするんですか」
「そーねぇ。適当に今の所一番の女の子の名前でも挙げれば?」
「…」
何という罰ゲームだ。まぁ、まさか全裸なんて本当にやらせるわけが無いだろうが。
現実的なことを考えながら、目標を何にしようか考えていると、今度は横で火神が手を挙げた。
「もし、名前が分からなかったら、どーすんだよ…ですか」
「は?何、火神君は好きな子の名前が分からないの?」
「も、もしだっつの!!ていうか、言うし、言えばいいんだろ!」
あきらかに図星であるといった反応をしてから、火神はばっと走り出した。
そのまま屋上の柵にひょいっと軽く足を乗せる。
「1-B 5番!火神大我!“キセキの世代”を倒して日本一になる!」
身軽にも人が乗る為に造られていない柵の上で、火神は大きな声を上げた。
ざわつき始める校庭の生徒達。それも構わず、火神はひょいっと屋上内へと戻る。
「これでいいんだろ!」
「うん。火神君、合格!次は誰行く?」
リコが視線を彷徨わせる。
すると、黒子がどこから持って来たのかメガホンを顔の前に持って行った。
「すみません。ボク、声張るの苦手なんで。これ使ってもいいですか?」
「…いいけど」
あ、いいなそれ。次借りよう。
そんなことを考えながら、黒子が何を言うのか期待に胸が膨らむ。
しかし、すっと黒子が息を吸った瞬間、屋上の扉がばんっと開け放たれた。
「コラー!またかバスケ部!」
「あら!?今年は早い!」
あっという間に強制終了を余儀なくされ、しかもそこにいた全員がくどくどと説教を受けることとなってしまった。
実行したのは火神だけだというのに、他の皆は完全にただのとばっちりだ。
そんなこんなで、初の教師からの説教というイベントをこなした翌日。
真司は校舎の中から校庭を見て、思わず吹き出すこととなった。
“日本一にします”
大きく書かれた文字、その宣言に名前は書かれていなかったが、間違いなく黒子のものだろう。
「やるなー…テツ君」
真司は教室の窓に手を当てて、その文字をなぞっていた。
・・・
「で?烏羽君は何をしてくれるのかな?」
体育館、学ランを腕から抜いた状態で、真司は唖然とした。
声をかけてきた監督であるリコは、腕を組んで怪しげに口角を上げている。
「え…え…?」
「まさか、自分は何もせずに終われると思ってたの?」
「え、火神君とテツ君以外の皆は?」
「朝早く、校門でしっかり宣言したわよ」
黒子の校庭に書かれた文字が衝撃的すぎて全く気が付かなかった。
真司の頬に冷や汗が流れる。
「えっと、今から…」
「真似は駄目。ちゃんと自分流の意志を見せて欲しいなぁ」
恐らく、いや間違いなくリコは楽しんでいるだけだ。
真司にはその期待に答えられる程の何かがない。
「…」
「ほら、出来なきゃ全裸で告白が待ってるわよ」
「…!」
リコの言葉に真司の目がぱっと開かれた。
「じゃあ、脱ぎますね」
「…え?」
一斉に、そこにいた部員の視線が真司に集まった。
脱いでいる途中だった学ランを脱ぎ、ワイシャツにも手をかける。
別に男であるし、脱ぐことに左程抵抗はない。それに、下着を脱ごうとすればさすがに監督が止めるだろうという確信があったからだ。
「ちょ、ちょっと、何?烏羽君、頭大丈夫?」
「え、監督が提案したんじゃないですか」
「そーだけど」
まさか本当にやると思っていなかったのだろう、リコが焦り始める。
ワイシャツを床にぽいっと脱ぎ捨てると、それを駆け寄ってきた黒子が拾い上げていた。
「烏羽君、ボクも反対です」
「テツ君…。ごめんね、俺にはこんなことしか出来なくて…」
「監督、烏羽君を止めて下さい」
「下着までは許すわ」
あ、データを見たいだけだな。
二年生一同は即座に察し、黒子はさっと青ざめた。
「烏羽君…そんな恰好で誰に告白するというんですか…?」
「そこかよ!」
「大丈夫だよ、テツ君」
我慢出来ずに突っ込んでしまった日向はさておき、真司はリコに向き合った。
「俺が今、一番好きな女性は監督です」
「え…」
「だから、リコ先輩が好きです」
「そーくるか…」
リコは確かに真司に言ったのだ。
適当に一番を挙げろ、と。つまりこれでもノルマは達成しているはずだ。
「却下」
なんて甘くいかないことも想定済み。
真司は自分の眼鏡に手をかけた。
「じゃあもう…全てさらけ出しましょうか」
「合格」
「それでいいのかよ!」
未だにリコは真司の顔を隠し通したいらしい。
屋上で叫んだ一名、火神だけは納得いかない様子で突っ込みをいれたが、とりあえず真司はこれだけで免れた。
それにホッと一安心し、真司は黒子に向き直った。
「ね、大丈夫だったしょ?」
「全く君は…もっと自分の体がどんなものか自覚すべきです」
はぁ、と黒子がため息を吐く。その黒子の目は、前髪も眼鏡もすべて無視して真司の素顔をじっと捕らえている。
見透かされているような視線。一体どこまで、黒子は真司を知っているのだろう。
「どうぞ、早く着て下さい」
「あ、うん…」
自分のしたことが急に恥ずかしくなって、真司はワイシャツを受け取り黒子から目を逸らした。
全く躊躇わずに脱いでしまったが、晒される肌は白く、細く貧相だ。バスケ部の皆とは見比べる必要などない程に違う体つき。
「ちょ、ちょっと待てよ、監督。烏羽だけ目標とか言ってなくねーか…ですか」
「あ、そうね。烏羽君、それだけ聞かせて」
ワイシャツを着こんで、リコに目を向ける。
リコだけでなく、一年生も二年生も、皆が真司を見ていた。
今さっきの自分の行動を引きずって、若干頬が赤くなっている。
そのまま、真司は顔をしっかりと前に向けた。
「打倒キセキの世代、です」
火神と黒子の目標を聞いて、考えた。
考えた結果、真司の中に“日本一”という考えが無いことに気が付いたのだ。
キセキの世代を倒せば自ずと日本一になるのかもしれないが、あえてそれは言わない。
真司は、ただ、皆を取り戻したいだけなのだ。
今でも愛している彼等を。