黒バス(2012.10~2017.12)
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真司はキセキの世代と呼ばれる者達と共にコートに立っていた。
バスケの才能に恵まれた彼等は限界を知らず、日に日に成長し、それを開花させていく。
それに引き替え真司には足しかない。それでも、それを磨くことで食らいついていた。
輝かしい初舞台は、もう一ヶ月前のことだ。
『え…?俺が、次の試合に…?』
緑間に呼ばれてついて行った部室。
そこに待っていたのは、いつもと変わらない凛とした表情で立っている赤司だった。
『あぁ。お前にはオレ達の為に果たせる役割がある』
『俺が…皆の為に…』
『そうだ』
二人きりの時に見せる優しい顔とは違う、真剣な、バスケ部の主将としての顔。
真司は無意識に緊張して、ごくりと喉を鳴らした。
『その結果次第では、お前は今後レギュラーとして戦ってもらう』
『…レギュラー!?』
暫く赤司の言葉が理解出来なかった。というより、頭が真っ白になっていた。
いつの間にか“キセキの世代”と呼ばれるようになっていた彼等。そんな人達と同じ舞台に立つことを許されたのだ。
『いいの?俺なんかで…?』
『まぁ、結果次第だがな』
『…っ』
ぱっと振り返って緑間を見れば、眼鏡の奥の瞳が優しく細められている。
真司は赤司に向かって大きく頷いた。その日、皆と共に舞台に立つ覚悟を決めたのだった。
あの日の決心を、忘れることは無いだろう。
ぼんやりと思い出して真司は息を吐き出した。
あの時の赤司の姿と言葉を思い出すだけで緊張する。それほど、真司にとって大きすぎる出来事だったのだ。
「今日はなかなか調子が良かったな」
「ほ、本当?」
「あぁ。お前らしいプレイが出来ている」
先頭を歩く赤司の隣を歩く。つまり真司も先頭を歩いているのだが、これもレギュラーになって叶ったことだ。
確実に皆との物理的な距離が縮まっている。
「そっスね。真司っち、今日は緊張してなかったし」
「前回だって緊張はしてなかったよ!」
「いや、今日の前半も緊張気味だったのだよ」
「そんなことないし!」
何といっても、本日は二度目の他校との試合だった。
体が震えるのは、緊張だけじゃなくて楽しくてぞくぞくするからだ。
(それに…)
周りを歩く鮮やかな面子を見て、真司はふっと笑った。こんなに心強いメンバーが他に有るだろうか。
大好きで、大切な仲間達だ。
「烏羽君、楽しそうですね」
「うん。すごく楽しいもん」
「良かったです、君が楽しそうで」
何も心配事なんかない。そんな真司の中にある、一つの不安要素が黒子だった。
ふっと微笑む黒子に、何か心がざわつく。
スタメンの皆が頼りになるからか、個性が強すぎる為か。その分、黒子が以前にも増して儚げに見えるようになった。
元々存在感の薄い黒子。隣を歩いているのに、そこに居ないようで。
「…テツ君」
「はい」
「あ、ごめん、なんでもない」
気掛かりなのは、その黒子への妙な不安。
しかし、それ以外は何ということもない、楽しい日々だ。
「何?どしたんスか?二人とも疲れちゃった?」
「ううん。疲れてるとしたらテツ君でしょ」
「何言ってるんですか。あの程度でへばったりしません」
試合後に肩で呼吸を繰り返していた人がよく言う。
余りにも体力の無い黒子に対して、真司の体力は無尽蔵だ。それを知っているからか、黄瀬はケラケラと笑った。
「黒子の体力を考えると、烏羽がレギュラー入りしたのは正解だったのだよ」
「…馬鹿にしないで下さい」
「無理しなくていいっスよ、黒子っち」
「うるさいです」
あれ、考えすぎだったかな。
黒子の様子は思っていたよりも普通で。真司は肩を撫で下ろして赤司の方へ顔を戻した。
まだ皆でバスケを続けられると思っていた、三月の終わり。
時は更に流れて彼等を中学三年生へと変えた。
赤司がいてくれればもっと強くなれる。その事実が真司の背中を押している。
キセキなんて怖くなかった。
・・・
チャイムの音を聞いて、真司は腕をぐぐっと伸ばした。
帰る準備の済んだ鞄を手に取って、向かうのは体育館。
三年生になったからって、生活に変化が訪れることは無い。
強いて言えば、クラスに青峰がいないということ。近しい人が同じクラスにいないこと。
「真司っちー」
しかし、そんなことが気にならないくらい、彼等は近くにいてくれた。
「あ、黄瀬君」
「準備出来たっスか?一緒に行こ」
「うん」
たっと駆け寄って黄瀬の横に並ぶ。
毎日のようにやってくる黄瀬のせいか、真司もちょっとした有名人になってしまった。
そもそもの発端は、冬に起こった事件。黄瀬と真司が恋人という関係になった時のこと。(20話参照)
あれ以来、完全に開き直った感があるのは気のせいではないはずだ。
真司がその時に黄瀬を奪った女だとはバレていないようだが。
「はぁ…黄瀬君のせいで俺まで目立ってるじゃん」
「何言ってんスか。今年の体力テストで目立ってたの、誰だっけ?」
「それは…毎年のことだし」
「はは、真司っちてばカッコいー」
青峰が真司に気付く切っ掛けであった体力テスト。
勿論今年も行ったのだが、去年より速くなった真司の足に陸上部の唖然とした姿と言ったら。
「黄瀬君に格好いいとか、言われたくないんだけど」
「え、もしかしてそれ、オレのこと褒めてくれてる?」
「黄瀬君はモテ過ぎ」
ぺしっと軽く黄瀬の背中を叩く。
それに対してケラケラと笑う黄瀬に、真司も何気なく笑った。
「…相変わらずラブラブですね」
「黒子っち!」
突如背後に現れた黒子に、真司と黄瀬は体をびくっと震わせた。
しかし、その驚きよりも黒子の言葉の方が黄瀬の中に大きく残ったらしい。
「ら、ラブラブに見えたっスか!?」
「ジョークですけど」
残念そうに頭を下げる黄瀬はさておいて。
実際のところ、黒子は真司と黄瀬の関係を知っているだろう。
あえて互いにそれを確認し合うことは無いけれど。
「黄瀬君が変なこと言うから、余計な噂立つんだよ」
「へ?余計な噂?」
「黄瀬涼太ホモ疑惑」
「あー…」
黄瀬自身、それが仕事に響くことだと分かっているから、人前でそれを肯定することは無い。
(でも、いつかバレそうだな…)
バレるとしたら、他の誰よりも黄瀬の口からだろう。
真司は小さく溜め息を吐いて、黒子の横に並んだ。
「休憩!」
赤司の声で一斉に皆が一息ついた。
練習試合を用いた練習では、体力の消費も通常時以上だ。
レギュラーとして参加するようになった真司は当然ながら一軍の他のメンバーの上に立つ者となる。
それは身体だけでなく精神もがりがりと削っていくわけで。
「はー…」
タオルを拾い上げて首筋に流れる汗を拭う。それから涼しい空気を吸おうと真司は横に設置された扉から外に出た。
体力には自信があったはずなのだが、さすがに疲労が目立つようになってきた。
「くっそー…何がキセキの世代だ畜生」
周りに皆がいないことを確認して思わず愚痴をこぼす。
神は不公平にも彼等に微笑み過ぎだ。
“キセキの世代”という名前は、本人達の思う以上に話題になっている。
しかも、その中に黄瀬涼太というモデルがいる。それが女子生徒を惹きつける要素となるのに疑う余地などなく。
「あの、烏羽先輩」
ふとかけられた声に振り返る。
そこには見知らぬ女子生徒が立っていて、赤い顔を俯かせていた。
「えーっと…何?」
まず君は誰かと問いたいところをスルーしたのは、もはや慣れた展開だからだ。
はいはい、どうせ黄瀬君呼んで下さいだろ?
そう思いながら、その少女の様子をうかがう。
「あ、部活の後とか、時間有りますか…?」
と思いきや。
真司の目は数回ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「え、俺に用でもあんの?」
「は、はい…少しでもいいんです…」
見たところ下級生だ。
そんな子が用って、もしかしなくてもな予感が駆け巡る。
「いや、用なら今言ってくれないかな。部活終わるの遅いし」
「ゆっくりお話ししたいんです」
「え、っと」
もじもじと手を擦り合わせている女子生徒の頬は真っ赤に染まっていて。
それだけで甘酸っぱい空気って奴が辺りを覆い尽くした。
何だこれは。初めての展開に真司の思考は完全に停止して。
「わ…悪いけど、部活の後は、ちょっと」
「そうですか…。すみませんでした」
別に悪いことは言っていない。
しかし、申し訳なさそうに女子生徒が頭を下げるから、妙な罪悪感が募って、どうしたら良いのか分からなくなる。
真司は名前も知らない女子生徒の背中を見送ってから、自分も体育館の方へ戻った。
「はぁ…」
何ということになってしまったんだ。
首にかかるタオルで汗を拭って、大きく溜め息を吐く。
それからぱっと顔を上げると、黒子が目を丸くしてこちらを見ていた。
「あ、テツ君…聞いてた?」
「すみません。盗み聞きするつもりは無かったのですが」
口元に笑みを浮かべているものの、黒子の視線は少し真司から逸れていて。
真司はあー…と言葉にならない声を発して、数回髪をがしがしとかいた。
「テツ君、は…好きな人とかいる?」
「どうでしょう」
「どうでしょうって」
「正直、良く分かりません」
分からない。確かに、最初はそんなもんだったな。
真司はしみじみと少し前の自分を思い出しながら、壁に背中を預けた。
薄い髪の色、色白な肌。
六人目のキセキの世代。それなのに、こんなに弱そうで寂しそうなのは何故だろう。
「テツ君、今日…一緒に帰らない?」
「え」
突然の真司の提案に、黒子の口がぽかんと開いた。
真司自身、急にこんなことを言った自分に驚いていた。
黒子ともっと話したい。黒子がそんなに寂しそうにしているワケは何だ。
そんな思いがあったせいだろう。
「いいですね。ボクも、久しぶりにゆっくり話したいと思ってたんです」
「ほんと?良かった」
真司は胸に手を置いて、深く息を吐き出した。
今までなら、こんなことで安心したりしなかったのに。いつからか、心の距離を感じてしまっている。
青峰と共に、誰よりも親しいと思っていた友達が。
(なんか…愛情と引き換えに友を失ったみたいだ)
タオルを置いて、少し離れたところでつまらなそうにしている青峰を視界に映す。
真司の視線の先を追った黒子はその時、目を細めて唇を噛んでいた。
・・・
「お疲れ様です」
「テツ君も」
乾杯、とでも言うように手に持ったコップを合わせる。
バニラシェイクとコーラ。二人でマジバに来るときのお約束だ。
「本当に久しぶりですね、この感じ」
「ほんと。最後に一緒に来たの、いつだっけ」
最近黒子と一緒に帰ることが無くなっていたのは、真司が赤司や黄瀬に世話になっていたからだ。
ちなみに今夜は赤司の家に行くことになっている。
それに関しては、学校を出る前に今夜は遅くなると告げておいたから問題ないだろう。
我ながら、夫婦のようで恥ずかしくなったが。
「何か、ボクに話したいことがあったんじゃないですか?」
「ん?」
ごきゅっと喉が鳴った。
炭酸独特の痛みが喉を抜けて、元々眠くなかった目が更に冴えわたる。
黒子の目と真司の目が互いを見つめ合っていた。
「俺は…テツ君の話を聞きたい」
「ボクのですか?」
「最近、なんか辛そうだから」
「…」
黒子の様子が微かに変わった気がした。
「やっぱり、原因は青峰君?」
以前、黒子が一度だけ真司に相談してくれたことがあった。
その原因は青峰がバスケをしなくなったことにあって。それは今も変わっていない。
真司の出した条件があっても、青峰は週に二回程しか部活に来ないのだ。
「ごめんね、結局俺じゃどうにも」
「違います」
珍しく、少し大きめの黒子の声。
黒子の表情は、最近のどれと比べても一番辛そうに見えた。
「テツ君…?」
「やはり君には分からないんですね」
「え?」
あっという間に無表情に戻った黒子が、目を伏せてシェイクをすすった。
今度は真司だけが黒子を見ている。黒子の目は伏せられたままこちらを見ようともしない。
分からない。何が。
黒子にこんな顔をさせている原因も、黒子が今何を思っているのかも。
「わ、分かんない…俺には…」
「すみません。少し酷い言い方をしましたね」
「え、いや、そういうわけじゃなくて」
どうして分かってあげられないのだろう。
黒子を責める気持ちなんて無い。ただ、分からない自分への自虐的な気持ちだ。
真司はぎゅっと、コーラによって冷え切った両手を重ねて握り締めた。
「ボクは…今の彼等のバスケが好きではありません」
「今の?」
「はい」
細いストローの先が、黒子の小さい口に運ばれ音を立てた。
真司はコーラを置いたまま。
「俺に分からないっていうのは…その、皆のバスケが変わったってこと…?」
「…はい」
青峰が変わったことは、さすがに真司も気付いた。
まさか、他の皆も変わったというのか。黒子の目にはそう見えているのか。
黒子の言う通りだ。真司には分からない。
「皆が、変わった…」
「少しずつ、です。去年の終わりにはもうその片鱗を見せていました」
「俺、全然…」
「気付かないなら、それでいいんです。元々帝光中バスケ部はそういうものだったんですから」
言葉とは裏腹に、黒子の目は微かに揺れていた。
普段ポーカーフェイスの黒子がここまで感情を表している。余程の哀しみを抱えているのだろう。
(俺は…今の部活で楽しいって、感じてたのに)
レギュラーになれて浮かれていたのか。
それとも、本当に真司には分からない程些細なことなのか。
ずっと彼等と共にいた、黒子にしか分からないことなのだとしたら。
「そんなの、辛すぎるじゃん…!」
「烏羽君」
「何で、テツ君だけそんな顔しなきゃいけないんだよ…っ」
結局、真司は近くにいたようで、彼等を全く分かってなどいなかったのだ。
バスケ部は去年入った新参者で、レギュラーになったのも最近のこと。
ずっとバスケ部で彼等との時間を共にしていた黒子には、きっと見えるものが違うのだ。
「むしろ、君までそんな顔をする必要など、これっぽっちもありません」
「テツ君…っ」
「君はバスケを楽しむ心を忘れないで下さい」
そんな顔で笑おうとしないで欲しい。
黒子の優しさが辛くて、真司は何も知らない自分が情けなくて。
店内の明るさと賑やかな声に二人がかき消えて行った。
とぼとぼと、眠気の残る目を擦りながら登校する。
隣を歩く赤司はいつ見ても格好いい。とか自惚れている場合でなく。
昨夜帰宅してから寝るまでの時間、赤司と話した。
自分は帝光中バスケ部を分かっていないのではないかと。
「真司、まだ気にしているのか?」
「あ…そりゃ、まぁ」
真司の問いに対して、赤司は笑った。さも滑稽なことを真司が言ったかのように。
赤司のことだから、どうせ真司の言っていることも、真司が知りたいことも全て理解しているのだろう。
「それでなくてもお前は抱えているものが多いんだ。その一つ一つを気にしていたらキリがないだろ」
「そーかもしれないけど…」
赤司の言っていることは正しいのだろうか。いつも正しい赤司が、今は少し信じられない。
(というより、はぐらかされてる)
赤司はこういう時、誰よりもポーカーフェイスが上手い。
上手いこと自分の思う通りに動かそうとするのだ。
真司は口を噤んで、赤司から視線も逸らした。
空気はじめっとして、お世辞にも良い天気とはいえない日。真司の気分も何となく晴れていなかった。
・・・
午前の授業を終えて、真司はぐぐっと手を伸ばした。
緑間を習って、ノートはしっかりと付けるようになった。
そのせいで授業で負おう疲労は去年に比べてかなり大きくなっている。
勉強って疲れるんだな…。
なんて他の人間、特に緑間が聞いたら卒倒しそうなことを考えながら、真司は屋上に行こうと立ち上がった。
「烏羽先輩」
なんてこった。
真司はぴたっと足を止めて、目の前に現れた女子生徒を凝視した。
「あの、お時間頂いても…?」
「…え、えっと…」
耳を澄ますまでもなく、教室内がざわついているのが分かる。
何せ、明らかに後輩で、しかも学年を通してもトップクラスの美少女がそこにいるのだから。
しかも頬を赤らめて、真司に誘いをかけているときたもんだ。
「と、とりあえず、移動しよっか…?」
「は、はい!」
恥ずかしさから、彼女の手を引いてそそくさと去る。
こういうのは余りにも慣れていない。ただ、とにかく今は人のいない場所へ行きたい。
真司は人目から逃れる為に、足早に廊下を歩いて行った。
「…烏羽?」
女子生徒を連れて通り過ぎる小さな背中。
季節外れの団扇を手に持った緑間は、怪訝そうにそれを見ていた。
・・・
「はぁああぁ…」
ぼふっと布団に飛び込んだ真司の口から、止めどないため息が流れた。
何とも長い一日だった。それは、精神的疲れから感じているのだろう。
「真司?」
さすがに部活でたまった疲れだけでないことを察した赤司は、真司の横に腰掛けた。
「どうした?今日はやけに疲れてるな」
「赤司君…」
ベッドから赤司を見上げていた真司が赤司の腰へと腕を回す。
赤司も自然にそれ受け入れ、真司の頭に手を乗せた。
「俺、女の子分かんねー…」
「女の子?」
「うん。俺に声かけてきた子がいてさぁ」
「この前、部活中に来た奴か」
「あれ、知ってた?」
さすが赤司だ。もはや赤司が何を知っていても驚くことは無い。
真司は顔をもぞっと上げて、赤司を見つめた。
見下ろしてくる赤い瞳。バスケでは武器となるこの目も、今はとても暖かい。
「何で俺なんか…」
「その子、何という名前なんだ?」
「え…あれ、そういえば聞いてないかも」
何年何組、名前。その子個人の事を何も聞いていない。
「なら、一緒に居てどんな話をしたんだ?」
「えっと…バスケ部のことかな。俺のこともバスケが好きで知ったとかどーこー…」
「なるほどな」
ふっと赤司が鼻で笑った。
なんだろう、何か赤司には分かったことでもあったのだろうか。
真司はごろっと体を転がして壁際で横を向いた。
「寝るのか?」
「うん。もう疲れた」
「少し待っていてくれ。オレもすぐ横になる」
「ん…」
何度床を共にしても慣れない緊張感。
真司は赤司が後ろから抱きしめてくるのを感じるまで、期待と緊張とで冴えた目を鎮めることが出来なかった。
赤司のおやすみの声でようやく眠りにつく。
正直、女の子なんてどうでも良かった。真司には大事な人がもういるのだから。
しかし、翌日もその翌日も、真司を惑わすその問題は無くならなかった。
・・・
昼休み、屋上に小さな円を作っているのは、黒子と黄瀬と青峰。
その三人にどうも覇気が無いのは、そこにいるべき一人の不在が原因だ。
「真司っち…最近つれないっスね」
「今日も例の女子生徒のところでしょうか」
「そうだろーな」
ぽつりぽつりと声を漏らして、三人は同時に息を吐き出した。
真司の人気が少しずつ上がっていたのは間違いない。
それはバスケをするに当たって眼鏡を外したのも大きな要因なのだろう。
「なんで相手するんスかね、真司っちも…」
「黄瀬、テメェには言われたくねーだろ」
「お、オレはファンの子を大事にしてるだけっスよ!」
それにしたって、異常だ。
一人の女子生徒に好かれたくらいで、これほど時間を取られるものなのか。
現に、黄瀬は昼休みに彼等と過ごす時間がある。
「やっぱ、おかしっスよ、こんなん…」
黄瀬はばくっとパンを口に運んで唇を尖らせたままもくもくと食べた。
せめて相談くらいしてくれてもいいのに、真司に聞いても誤魔化されるだけ。
「なんだかんだ、真司もおっぱいが好きだったんじゃねーの」
「やめて下さい」
そう言う青峰の手には、毎度おなじみのグラビア雑誌が持たれている。
そういえば真司から女性関係の話は一切聞いたことがなかった。
ふと真面目に考えてみればそれは有り得る線で。
「まさか、女の子の魅力に気付いちゃった、とか…」
「ボクは単純に烏羽君が優しくて断り切れていないだけだと思いますが」
「つか、今までがおかしーんだよ真司は」
黒子の言い分も、青峰の言い分もどちらも正当だ。
だって、そこらの女の子より魅力的なんだもん。
黄瀬はそんなしょうもない事を考えて、また頬をぷくっと膨らませた。
「おい、お前等」
きいっと音をたてて屋上の扉が開かれる。
そこには緑間と、その後ろに赤司と紫原も立っていた。
・・・
教室に二つの影。
ロマンチックなように見えるそのシチュエーションも、真司にとっては全くもって別物だった。
「元気、ないですね」
目の前に座る少女が覗き込んでくる。
誰のせいだと思っているんだ。そんな文句も言えない真司は、今日も彼女から逃げられなかった。
「先輩、私ともう一週間過ごしたんですよ。何も変わりませんか?」
積極的なのはいいことだが、真司の気持ちはこれっぽっちも変わっていない。
勿論、この少女が魅力的でないからではない。
「…ごめん、俺には無理だよ」
「どうしてですか…?」
「好きな人いるんだって、言ったよね」
希望を持たせるわけにもいかないので、早々に断りはいれた。
しかし、折れないこの少女の精神は感服するものがある。
さすがに迷惑を感じざるを得ないレベルだ。
「その人より、私は劣っているんですか?」
「そうじゃなくて、俺の気持ちは変わんないってこと」
「…」
しゅん、と俯いてしまった少女にまた申し訳ない気持ちが募る。
今まで黄瀬やらモテる男のことをまとめて贅沢な奴だと思っていたが、それが違うのだと身を持って感じた。
もう羨ましいなんて絶対に思わない。
「ごめん、俺…もう行くね」
広げるつもりなどなかった弁当を手に持って立ち上がる。
静かな教室。誰も使っていない空き部屋。
「駄目、行かないで」
そこに、その少女の声は酷く重く響いた。
「黄瀬先輩、ですよね」
「…え?」
がしっと掴まれた腕が、きしきしと音を立てる。
彼女はこんなに強い力を持っていたのか。などと悠長に考えている暇などなく。
「行かせません。行くなら…酷いですよ」
目付きを変えた少女の手には携帯電話。
それで何をしようのか、というのは考えるまでもなかった。
そこに書かれている文面は、“やれ”の二文字。何とも分かりやすく、そして完結な文章だ。
「…どういうこと?」
「黄瀬先輩から離れて下さい」
あぁ、そういうことか。
真司はようやく気が付いた自分の鈍感さに呆れながら、少女を見下ろして口を噤んだ。
本当は、違和感は初めからあった。
自分のことを話さない。聞いてくるのはバスケ部の話ばかり。
好きな人のことを知りたいと思う気持ちは真司にもある。しかし、目の前の子からはその思いをこれっぽっちも感じることが無かったのだ。
「貴方のせいです」
「…何が」
「貴方のせいで、黄瀬先輩が誰も相手にしなくなったんです」
がたっと少女も立ち上がって、目線がほとんど同じになる。
逃がさんと言わんばかりに腕を掴んだまま、携帯が軽くピッと音を立てた。
「私だけじゃない、皆言ってるんです」
「それで、何で」
「貴方が私に夢中になってくれれば、また黄瀬先輩がフリーになります」
「はは…なるほど」
理不尽もいいところだ。
しかし、確かにそうなのかもしれない。恋する少女たちの夢を、真司が根こそぎ奪ったのだ。
だからといって、どうしてあげることも出来ない。
「ごめんね」
「謝るくらいなら…皆の黄瀬涼太を返して下さい」
「ごめん、それは無理」
元々、黄瀬涼太は皆のものなんかじゃない。
それはモデルの黄瀬涼太しか見ていない人間の言う台詞だ。
真司は女子生徒の肩を掴んで軽く押した。
思っていたよりもずっと細くて、柔らかい女性の感触。
それに少し戸惑いながら、真司はゆっくり、掴まれた手を解いた。
「今ならまだ間に合います。お願いだから、黄瀬先輩から離れて下さい」
「それだけは出来ない」
「どうなってもいいんですか!?」
「仕方ないよ」
思いきり痛めつけられたって構わない。それで彼女たちの気が済むのなら。
それで解決する問題ではないのだろうが。彼女がそう願うのなら仕方がないだろう。
「貴方が黄瀬先輩をたぶらかさなければ…っ」
俯いてしまった少女にかけてやる言葉が見つからない。
ただただ申し訳ないと思う。それを伝えようと、真司は薄く口を開いた。
「…ごめ…」
「それは違うっスよ」
再び頭を下げた真司の代わりに答える声。
ばっと振り返ると、扉に手をついて立っている黄瀬がこちらを見ていた。
「黄瀬君…!?」
「全く。だーからさっさとオレに相談すれば良かったのに」
かつかつと黄瀬が近付いて来る度に、女子生徒の息が小さく切れる。
耳を澄まさなければ聞こえない程小さく漏れるのは、なんで、どうしてという疑問ばかり。
「君さ、入学してすぐオレに告白してきた子っしょ」
「あ…」
「さすがにこんなことする子だとは思わなかったっスよ」
真司の肩に、とんと黄瀬の手が乗せられた。
黄瀬の表情は、薄く笑みを浮かべているものの、笑ってはいない。見たことが無いくらいに怒っていた。
「残念だけど、オレが真司っちをたぶらかしたんスよ」
「黄瀬君…」
「真司っちに今度妙な手かけてきたら…許さねぇから」
普段より低い黄瀬の声。
それにびびったのは少女だけでなく。ぶるっと肩を震わせた真司は、黄瀬の手によって引っ張られていた。
「真司っち、行こ」
「え、でも」
「ほら」
有無言わせんといった様子で黄瀬が足早に行ってしまう。
真司は一週間共にした名も知らない女子生徒に軽く頭を下げてから、黄瀬を追いかけて行った。
きっと悪い子ではなかった。携帯を押す手は確かに震えていたのだ。
「…っ」
悪くない。巻き込まれたのは自分だ。
それが事実であっても、真司の罪悪感が治まることは無かった。
・・・
違和感にいち早く気付いたのは緑間だったという。
その女子生徒を調べてみた結果、毎日多くの女子を見ている黄瀬でさえ覚えている程、しつこい黄瀬涼太ファンだと分かった。
「お前、女子に好かれて実は嬉しかったんだろ」
「ちっがうし!青峰君と一緒にしないでよ」
「じゃ、なんで断らなかったんだよ」
「こ、断ったってば…」
黄瀬に連れられて行った屋上には、皆勢ぞろいしていて。
さすがに鈍感だった真司も事態の大きさを把握せざるを得なかった。
「真司は危機感がなさすぎだ」
「っ、でも、そんなことになってるとは思わないじゃん…」
真司に声をかけてきた女子生徒は一学年のマドンナ的存在に当たる者で、背後に男子生徒も付いていたのだ。
もし真司が言う事を聞かないようなら、暴力的なことになっていた可能性もあったとか。
間違いなくあの携帯だろう。
「とにかく…烏羽が無事で良かったのだよ」
「安心してね~。男どもは潰しといたから」
「つ、潰したんだ…」
後ろから抱き込むように紫原が覆いかぶさって、正面からは黄瀬がぎゅっぎゅと手を握ってくる。
どうやら本当に心配をかけてしまっていたようだ。
「緑間君、気付いてくれて有難う」
「お、オレは別に…」
「皆も、迷惑かけてごめんね」
そして、悲しませてしまった女子生徒にも。
心の中で本当にごめんなさいと改めて謝る。彼女は皆の代表となって出てきただけだ。
もっと多くの人が、恋愛感情や憧れを真司のせいで諦めることになっている。
「でも、俺…皆のこと女の子に譲ったりしたくない」
ぱっと顔を上げて、一人ずつ視界に映す。
赤司も緑間も紫原も、黄瀬も青峰も黒子も。皆みんな大切で大好きな人達だ。
「俺が誰よりも、皆の事好きだし」
告げてから、なんとなく恥ずかしくなって顔を下げる。
しかし、そんな暇も与えんとばかりに黄瀬に抱きかかえられていた。
「うわ…!」
「オレも、誰よりも真司っちのこと好きっスよ!」
「はぁ?黄瀬ちん何言ってんの~?オレのが好きだしー」
「お前等…烏羽が苦しそうなのだよ」
暖かい。
大好きな皆がここにいる。
真司は満面の笑みを彼等に向けて、その気持ちに応えていた。
ほのぼのとした時間はあっという間に過ぎ去って、昼休みの終了を表すチャイムが鳴り響く。
それを聞きながら、真司はごろっと体を横にした。
真面目な黒子と赤司と緑間は何の躊躇もなく教室に戻って行ったが、残りの面子は辺りで転がっている。
「烏羽ちんでも授業サボったりするんだね~」
「するよー結構してるよー」
反対側に寝返りを打つと、目の前に紫原の顔が現れた。
紫原は眠そうに目を擦りながら、真司の方に腕を伸ばしてくる。
真司はそれに素直に従って、紫原の腕に頭を乗せた。
「え、ちょ!紫っちズルい!」
「黄瀬ちんうっせー」
オレもオレもと言いながら黄瀬も真司の横に寝っころがる。
「青峰っちはいいんスか?」
「見てるだけで暑苦しいっつの」
「素直じゃないっスねぇ」
大きな体に挟まれて、ほかほかと心も体も満たされて行く。
ふと、真司は黒子の言っていたことを思い出した。
「ねぇ、黄瀬君」
「何スか?」
「バスケやっててどう思う?」
「…どうって言われると」
黄瀬はうーん、と考えるように眉を寄せて、それから考えがまとまったのかニコッと笑って見せた。
「楽しいっスよ!いっぱい点取れるし、何よりも絶対に勝てるし!」
「絶対に?」
「だって、負けるわけないじゃないっスか」
けらけらと笑う黄瀬に、思うところは別にないのだろう。
しかし、真司の感覚と明らかに違っていた。
真司は勝てる度に嬉しくて、次も負けないようにと強く思っていた。
そこに、絶対なんて思いは無かった。
「む、紫原君は…?」
「オレ?オレは別に~…背が高いからやってるだけだし」
「そう、なんだ」
「そーだよ」
紫原に聞いたのは間違いだった。
真司は恐る恐る、向こうで一人座っている青峰に視線を向けた。
青峰は、今どう思っているのだろう。
「突然どうしたんスか?真司っち」
「あ…ううん、別に何でもないよ」
「どーでもいいーから寝ようよ烏羽ちん」
「うん…」
二人に囲まれて穏やかだった気持ちは一気に冷めてしまった。
黒子の言う、変わってしまったというのは彼等のバスケへの気持ちなのだろう。
強くなり過ぎた彼等にもはや敵はいない。
なら、黒子や真司の存在価値は。
「黄瀬くん、俺、ここに居ていいよね」
「何言ってんスか、当たり前でしょ」
言い様も無い不安が心に渦巻いて止まらなくなる。
真司は何も考えないように、ゆっくりと目を閉じた。
結局、彼等とは違う。こんなに近くにいたって、彼等と同じになれる日は来ない。
(テツくんの気持ち…俺にも分かるかもしれない)
眠りに落ちる中、見えたのは黒子の寂しそうな姿だった。