黒バス(2012.10~2017.12)
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期末テストをひかえたある日。
真司は机に伏せて眠っている青峰の頭を小突いた。
拒否されるのが怖くて、自ら接触することを避けていたここ数日。そのせいか、胸が軋むような嫌な音を立てる。
「ねぇ、青峰君」
反応が無かった為に、ごくりと唾を飲んでから再び青峰の肩を叩く。
今度は、ゆっくりと青峰の頭が上がった。
「あ?」
「おはよ、青峰君」
「…真司」
胸の音がズキズキと痛むものに変わったのは、青峰は真司を視界に映した途端に眉をひそめたから。あからさまに、関わりを拒むような反応。
それでも、真司は青峰から目を逸らさなかった。これは、青峰との関係を修復するチャンスかもしれないから。
「んだよ」
「青峰君、試験来週って分かってる?」
「…」
真司の言葉に、青峰はこの後に続く言葉を察知したらしい。元から寄っていた眉間のシワを深めて思い切り顔を逸らした。
「言っとくけど、教わるつもりはねーぞ」
「俺も青峰君に教える気なんてなかったけど、赤司君に頼まれたからさ」
「あ?赤司?」
こんな理由が無ければ、いつまでも青峰とギスギスした関係を続けていたかもしれない。
それに、実際のところ青峰が真面目に試験勉強をしている様子は見られず、このままでは本当に部活に出れなくなってしまうのだ。自主的ではなく。
「ねぇ、青峰君…。俺、」
「真司」
「え、何?」
真司の言葉を遮るように、青峰は俯いたまま真司の名を呼んだ。
何を言われるのか怖い。それでも、真司は次に続く言葉を待った。
「ならよぉ、うちに来いよ」
「青峰君の家?」
「おう」
ちら、と青峰の視線が真司に移る。
これは、また仲良くしてくれるということの現れなのだろうか。だとしたら、真司にとってこれ以上嬉しいことは無い。
真司は机の上で脱力していた青峰の手を取った。
「うん…!行く!」
「…じゃあ今日の放課後な」
「わかった!」
嬉しくて自然と声が大きくなる。
真司は喜びの気持ちを全面に押し出したまま机に着いた。
・・・
そんな調子でさっさと放課後を迎えてくれればいいものの。
一日終わりの解放感に飛び交う爽やかな声が耳に掠める。それを真司は誰もいない教室で聞いていた。
「もー…早く行きたいのに…」
すっかり教師からの信頼を得てしまった真司は、机の上にびっしりと並べられたプリントをまとめていた。
一枚ずつとってホチキスでとめる。ひたすら続く何の変哲もない作業だ。
「なんで俺が」
という文句も尤もで、帰宅準備をしていたところ教師に目を付けられたのだ。決して係を受け持っていたわけではない。
ただ、こいつならやってくれるだろう的な勝手な解釈により選び抜かれただけだった。
「…春休み、かぁ」
ぱちんぱちんとホチキスを鳴らしながら、プリントされた文字を読み上げる。
期末試験が終われば、あっという間に春が来て、そして最終学年に上がってしまう。
というか、試験前に生徒にこんなことさせるか普通。
そんな苛立ちも相まって、真司の表情はどんどん険しくなっていった。
「痛…」
すっと指にひかれた赤い線。
ぱっとプリントを放して、真司はそこをじっと見つめた。
紙の端によって作られた傷の地味な痛み。それは真司の精神を更に落ち込ませる要素となった。
暫く行動を止めて、大きなため息を吐く。
きゅっと唇を噛んで、真司は手に持っていたホチキスを壁に向かって投げ捨てた。
「アララ~?烏羽ちんご立腹?」
がららっと扉が開いて、気の抜けた声が背後に近付いた。
ばっと振り返ると、予想通りの大きな体がそこに立っている。お菓子を片手に真司を見下ろした紫原だ。
「なんでここに」
「峰ちんに聞いたらここにいるっていうから~」
「…青峰君、教室にいた?」
「いたけど?」
既に下校時間を20分ほど過ぎている。
ということは、青峰が教室で待っていてくれていると思って良いのだろうか。
(だったら、嬉しい…)
それこそ早く終わらせて青峰の元へ向かわなければ。
今更ながらにやる気が上昇してきて、真司は手元にあるプリントに手を伸ばした。
「…烏羽ちん」
「ん?」
「指、見して」
真司の腕を紫原が掴む。ぐいっと引き寄せられると、そのまま腕が紫原の方へと持って行かれた。
「な、何?」
「舐めていい?」
「…は!?」
驚きで目を丸めた時には、その指は紫原の口の中に吸い込まれていた。
ちゅっと軽く音がして、指に生暖かい感触が触れる。見えない彼の口の中で、自分の指に何が起こっているのかは容易に想像できて。
真司はぼうっと顔を真っ赤に染めて、指を引っ込めた。
「な、な、な…っ」
「あー、烏羽ちんリンゴみたーい」
「何してんのっ」
「烏羽ちんってさぁ…本当に美味しそうだよねぇ」
思わず後ずさろうと下げた足が椅子にぶつかる。よろけた体は今度は机にひっかかって、真司は背中にある机に手を置いた。
「紫原君は…変な事ばっかり言う…」
「変なのは烏羽ちんの方だし」
「意味わかんない」
「つかさ、俺んち来るって約束は?なんで峰ちんと約束してんの?ずるくね」
少しふてくされたような、きつめの言葉。その直後、紫原の手が真司の後ろの机に乗せられた。
それほど力を入れたわけではないのだろうが、紫原の大きな体故かがたんっと大きく机が揺れる。
「烏羽ちん…食べていい?」
「た、食べちゃヤダ…」
「前は食べさせてくれたじゃん」
紫原の大きな手のひらが真司の頬を覆い、唇に触れる。
その瞬間、彼の言う「食べる」という意味を理解してしまった。再び頬に熱が集まり始める。
どうしてこう、疎いのだろう。真司は顔を上げて紫原を見つめ、その胸を押した。
「紫原君、俺のこと…前に好きって言ってくれたよね」
「そうだっけ」
「うん。それってさ、つまり…そういうこと…?」
「よくわかんねーけど、烏羽ちんのこと好きだよ。烏羽が欲しい」
「っ、それ、は…」
「どうしたら烏羽ちんもおんなじになってくれんの?」
見たことがないくらい、真剣な眼差し。
紫原がここまで言うのだ。その気持ちの強さは疑う余地などない。
「あっ…」
大きな体が真司の体を包み込んで、それから優しく背中に手が回された。
紫原の鼓動が真司にも移る。これは、好きな相手と触れ合う時に感じられる高鳴りだ。
「やだ、…ちょっと、離して…」
「烏羽ちんが答えてくれるまで放してやんないもん」
「俺が…っ、おかしくなるから…!」
自制が効かなくなる。好きだという思いが膨らんで、また溢れてしまう。
赤司と黄瀬に答えた気持ち。そして青峰に傾く気持ち。どれもこれも皆同じで、止めることが出来ない。
「いいよ、烏羽ちんもおかしくなって」
「っ、でも…これ以上は…」
「赤ちん言ってたもん。烏羽ちんは皆のものだって」
「…!」
「烏羽ちんが皆のものになれば、皆幸せでしょ?」
真司の腕に入っていた力が抜けていく。
紫原の言うことが正しいとは思えない。
それでも真司は紫原を見上げ、抵抗を止めた。
そう思った方が、真司にとっても気が楽だからだ。
「烏羽ちん」
距離が少しずつ無くなって行く。さすがにこの後どうなるのか分からない真司ではない。
「まっ…」
逃れようと身をよじるも、手が掴まれて頭の後ろにも手が回って。紫原の力に真司が勝てるはずもなかった。
「っ、ん…」
「烏羽ちん、可愛い」
さっき指に感じたものを、直接舌に感じる。
お菓子を食べていたからだろうか、紫原のキスは甘くて。しかし大きな体と相まって乱暴で。
真司は呼吸をする為に、顔を紫原から逸らした。
扉の隙間、生徒達の声が聞こえなくなった廊下。
真司の目は、そこにあった目と合ってしまった。
「…何してんだよ」
その声が聞こえた途端に、紫原も真司を放して振り返る。
紫原の手による束縛から逃れた烏羽は、そこを見たまま動くことが出来なかった。
不快そうな、怪訝そうな視線。
教室で待っているはずであった青峰が、真司と紫原をじっと見ていた。
「アララ~?峰ちん、何怒ってんの~?」
「何してんだって聞いてんだよ」
「何って、見てわかんねーの?」
紫原が自分の口を人差し指でつんつんと触る。
青峰の額に、ぴきっと線が見えた気がした。そしてそれを真実とするかのように、青峰がずかずかと二人に近付く。
そのまま青峰の手は、紫原の胸倉を掴んでいた。
「真司に何してんだよ!」
「ちょ、青峰君!」
「うっざ…。何も知んねーくせに」
はーっと紫原がため息を吐く。
止めに入ろうとした真司の体がぴたりと動きを止めた。
「ま、待って、紫原君…」
ただでさえ赤司とのことで青峰との距離が開いてしまったのに。
これ以上、余計なことを知られたくない。
そんな真司の願いを、紫原は知ってか知らずか、聞くことは無かった。
「ね、烏羽ちん」
「…やめて…」
「烏羽ちん、好きだもんね。キスも、エッチなことするのも」
「…っ!」
ねっとりと残るような紫原の笑み。それに真司は血の気が引くのを感じて、恐る恐る青峰へと視線を移した。
「はっ…はは」
「青峰君…?」
しかし真司の思いとは裏腹に、本当はとっくに壊れていたのだ。
その証拠に青峰が笑っている。それは驚きからなどではなかった。
「そーだよなぁ、あの赤司があんなこと言うんだもんなァ」
「…ぁ」
「真司…赤司ともそうなのかよ…?」
「それ、は」
「あれか、知らねーのはオレだけだったってのか」
「それは違う!」
「何が違ぇんだよ」
呆れている。怒っている。幻滅している。
青峰の様子はどう取っても真司には救いようのないもので。真司は眉間にシワを寄せたまま目を伏せた。
「…ごめん」
何に対する謝罪だったのか。口をついた言葉に、青峰の表情は更に険しいものへと変わった。
「ハッ、結局オレだけ何も知らずに真司の隣で友達ごっこしてたってわけだろ」
「そんなんじゃ、」
「ヤらせろよ、真司」
「…え」
茫然と動けずにいた真司の胸倉を青峰が掴んだ。二人の距離が急激に縮まる。
青峰の骨ばった手が真司の鎖骨に触れた。
「ま、もともと今日するつもりだったし」
「何を」
「あんなん見せつけられて、オレも気付いたんだわ」
抽象的な青峰の言葉。しかし、理解するには十分足りていた。
「オレも真司とヤりてぇってな」
青峰の声が頭を貫いたようにズキズキと刺激してくる。
青峰の手の熱さよりも、この瞬間に全て壊れてしまった二人の関係が真司の胸を貫いて。
「っ、」
「なんで泣くんだよ。好きなんだろ?」
「最低っ…」
真司の目に涙が浮かぶ。
すきだよ、ずっと。青峰のことを。
しかし、それは青峰に伝わっていない。そして、青峰の思いもこちらに向いていない。
抑えることなど出来ず、そのままぽろぽろと零れ落ちて行く。
それを、紫原の指がすくっていた。
「峰ちん。悪いけど今日はオレのだから」
「あ?何言ってんだよ、そもそもオレん家来る約束なんだよ」
「その前にオレが約束してたの」
「…じゃあ少し待ってろよ、今やっから」
真司の上で大きな男が二人睨み合っている。
元々青峰と紫原が仲良しなイメージはないものの、自分を挟んで険悪な雰囲気を出されると、その威圧感は倍増して感じられた。
そして何よりも、青峰の中の真司が余りにも堕ちてしまった。友人、親友、クラスメイト、どれにも当てはまらない。それが辛くて。
「…やだ」
「あ?んだよ、どうせ他の奴ともやることやってんだろ?」
「青峰君みたいに、軽い気持ちなんかじゃないから…!」
少なくとも、ただしたいからしたとか、そういうものではなかった。皆みんな、愛をくれた。その気持ちがあったのだ。
真司は青峰から視線を逸らして、紫原を見上げた。
「ごめん、青峰君。今日の約束…果たせないよ」
「…そーみてえだな」
真司は机の方に体を向けて、プリントを手に取った。
好きだからこそ、こんな勢いみたいな形で関係を作りたくは無い。
それが、更に青峰の心を遠ざける要因になるとしても。
「真司…」
青峰の低い声が真司を呼ぶ。それに真司は聞こえないフリで返した。
傍に立つ紫原の腕をきゅっと掴む。これ以上青峰に嫌われたくないのに、青峰に応えることもしたくない。
(きっと、もう手遅れだ)
分かっている。だからこそせめて、修復できる状態を壊したくはない。
カチカチと教室にホチキスの音が響く。その後ろで、青峰が立ち去っていく足音と扉の開く音がかすめて行った。
「…ッ」
「烏羽ちん、辛いの?」
「…うん」
「峰ちんのこと、オレより好き…?」
「…分かんないや」
誰が誰より、という比較は出来なかった。皆好きで、皆同じくらい大事で。
ただ違うのは、青峰からの気持ちはこちらに来ていないということ。
「じゃあ、オレのこと好き?」
「…うん」
かち、と最後の一つをまとめる。真司はホチキスを手に持ったまま、その手を紫原の背中に回した。
大きな体からもらえる温もりが心地よい。今はただただそれに縋りたくて、腕に力を込めた。
「…赤司君に、頼まれたの…どうしよう」
「峰ちんに勉強教えろってヤツ?」
「うん」
「いーじゃん、まだ期間あるんだし~」
青峰に勉強を。その目的は間違いなく果たせるだろう。しかしそれが問題なのではなくて。
「…俺、青峰君と…もう笑い合えないのかな…」
「ん?なーに?」
「…紫原君が変なタイミングで来るからいけないんだ」
「はぁ?オレが悪いの?」
それさえも言い訳だ。
いつかは何とかしなければいけなかった問題。それが急速でのしかかってきただけなのだ。
「ねぇ、今はオレのことだけ考えてよ」
「無理…」
「無理じゃねーし。こっち向いて」
ぐっと腰を引き寄せられて、密着した体が擦れ合う。
与えられる熱に弱くなった真司の体は小さく震えて。
しかし流されたくなくて、真司はぎゅっと唇を噛んだ。
「唇切れちゃうよ?」
「切れてもいいよ」
「だーめ」
紫原の指が真司の下唇を挟んだ。
薄らと開いた口の中に紫原の親指が入り込む。
「噛むならオレの指にして」
「なんでよ」
「烏羽ちんになら、オレ喰われてもいいかな~って」
「…はぁ」
さっきと意味変わってるじゃん。
真司は小さく笑って紫原の指を軽く噛んだ。
「美味しい?」
「いや、美味しいわけないから」
「そーなの?烏羽ちんの指は美味しいのに…」
「やっぱ紫原君変だよ」
「烏羽ちん限定だかんね」
「…そ、そう…」
へらっと笑う紫原は、体の割に可愛らしくて。
思わず釣られて笑いながら、真司はまとめたしおりを腕に抱えた。
仕方ないから、今日は紫原に勉強を教えてあげよう。
開き直ったかのように笑いながらも、真司の頭の中から青峰が消えることは無かった。
真司は机に伏せて眠っている青峰の頭を小突いた。
拒否されるのが怖くて、自ら接触することを避けていたここ数日。そのせいか、胸が軋むような嫌な音を立てる。
「ねぇ、青峰君」
反応が無かった為に、ごくりと唾を飲んでから再び青峰の肩を叩く。
今度は、ゆっくりと青峰の頭が上がった。
「あ?」
「おはよ、青峰君」
「…真司」
胸の音がズキズキと痛むものに変わったのは、青峰は真司を視界に映した途端に眉をひそめたから。あからさまに、関わりを拒むような反応。
それでも、真司は青峰から目を逸らさなかった。これは、青峰との関係を修復するチャンスかもしれないから。
「んだよ」
「青峰君、試験来週って分かってる?」
「…」
真司の言葉に、青峰はこの後に続く言葉を察知したらしい。元から寄っていた眉間のシワを深めて思い切り顔を逸らした。
「言っとくけど、教わるつもりはねーぞ」
「俺も青峰君に教える気なんてなかったけど、赤司君に頼まれたからさ」
「あ?赤司?」
こんな理由が無ければ、いつまでも青峰とギスギスした関係を続けていたかもしれない。
それに、実際のところ青峰が真面目に試験勉強をしている様子は見られず、このままでは本当に部活に出れなくなってしまうのだ。自主的ではなく。
「ねぇ、青峰君…。俺、」
「真司」
「え、何?」
真司の言葉を遮るように、青峰は俯いたまま真司の名を呼んだ。
何を言われるのか怖い。それでも、真司は次に続く言葉を待った。
「ならよぉ、うちに来いよ」
「青峰君の家?」
「おう」
ちら、と青峰の視線が真司に移る。
これは、また仲良くしてくれるということの現れなのだろうか。だとしたら、真司にとってこれ以上嬉しいことは無い。
真司は机の上で脱力していた青峰の手を取った。
「うん…!行く!」
「…じゃあ今日の放課後な」
「わかった!」
嬉しくて自然と声が大きくなる。
真司は喜びの気持ちを全面に押し出したまま机に着いた。
・・・
そんな調子でさっさと放課後を迎えてくれればいいものの。
一日終わりの解放感に飛び交う爽やかな声が耳に掠める。それを真司は誰もいない教室で聞いていた。
「もー…早く行きたいのに…」
すっかり教師からの信頼を得てしまった真司は、机の上にびっしりと並べられたプリントをまとめていた。
一枚ずつとってホチキスでとめる。ひたすら続く何の変哲もない作業だ。
「なんで俺が」
という文句も尤もで、帰宅準備をしていたところ教師に目を付けられたのだ。決して係を受け持っていたわけではない。
ただ、こいつならやってくれるだろう的な勝手な解釈により選び抜かれただけだった。
「…春休み、かぁ」
ぱちんぱちんとホチキスを鳴らしながら、プリントされた文字を読み上げる。
期末試験が終われば、あっという間に春が来て、そして最終学年に上がってしまう。
というか、試験前に生徒にこんなことさせるか普通。
そんな苛立ちも相まって、真司の表情はどんどん険しくなっていった。
「痛…」
すっと指にひかれた赤い線。
ぱっとプリントを放して、真司はそこをじっと見つめた。
紙の端によって作られた傷の地味な痛み。それは真司の精神を更に落ち込ませる要素となった。
暫く行動を止めて、大きなため息を吐く。
きゅっと唇を噛んで、真司は手に持っていたホチキスを壁に向かって投げ捨てた。
「アララ~?烏羽ちんご立腹?」
がららっと扉が開いて、気の抜けた声が背後に近付いた。
ばっと振り返ると、予想通りの大きな体がそこに立っている。お菓子を片手に真司を見下ろした紫原だ。
「なんでここに」
「峰ちんに聞いたらここにいるっていうから~」
「…青峰君、教室にいた?」
「いたけど?」
既に下校時間を20分ほど過ぎている。
ということは、青峰が教室で待っていてくれていると思って良いのだろうか。
(だったら、嬉しい…)
それこそ早く終わらせて青峰の元へ向かわなければ。
今更ながらにやる気が上昇してきて、真司は手元にあるプリントに手を伸ばした。
「…烏羽ちん」
「ん?」
「指、見して」
真司の腕を紫原が掴む。ぐいっと引き寄せられると、そのまま腕が紫原の方へと持って行かれた。
「な、何?」
「舐めていい?」
「…は!?」
驚きで目を丸めた時には、その指は紫原の口の中に吸い込まれていた。
ちゅっと軽く音がして、指に生暖かい感触が触れる。見えない彼の口の中で、自分の指に何が起こっているのかは容易に想像できて。
真司はぼうっと顔を真っ赤に染めて、指を引っ込めた。
「な、な、な…っ」
「あー、烏羽ちんリンゴみたーい」
「何してんのっ」
「烏羽ちんってさぁ…本当に美味しそうだよねぇ」
思わず後ずさろうと下げた足が椅子にぶつかる。よろけた体は今度は机にひっかかって、真司は背中にある机に手を置いた。
「紫原君は…変な事ばっかり言う…」
「変なのは烏羽ちんの方だし」
「意味わかんない」
「つかさ、俺んち来るって約束は?なんで峰ちんと約束してんの?ずるくね」
少しふてくされたような、きつめの言葉。その直後、紫原の手が真司の後ろの机に乗せられた。
それほど力を入れたわけではないのだろうが、紫原の大きな体故かがたんっと大きく机が揺れる。
「烏羽ちん…食べていい?」
「た、食べちゃヤダ…」
「前は食べさせてくれたじゃん」
紫原の大きな手のひらが真司の頬を覆い、唇に触れる。
その瞬間、彼の言う「食べる」という意味を理解してしまった。再び頬に熱が集まり始める。
どうしてこう、疎いのだろう。真司は顔を上げて紫原を見つめ、その胸を押した。
「紫原君、俺のこと…前に好きって言ってくれたよね」
「そうだっけ」
「うん。それってさ、つまり…そういうこと…?」
「よくわかんねーけど、烏羽ちんのこと好きだよ。烏羽が欲しい」
「っ、それ、は…」
「どうしたら烏羽ちんもおんなじになってくれんの?」
見たことがないくらい、真剣な眼差し。
紫原がここまで言うのだ。その気持ちの強さは疑う余地などない。
「あっ…」
大きな体が真司の体を包み込んで、それから優しく背中に手が回された。
紫原の鼓動が真司にも移る。これは、好きな相手と触れ合う時に感じられる高鳴りだ。
「やだ、…ちょっと、離して…」
「烏羽ちんが答えてくれるまで放してやんないもん」
「俺が…っ、おかしくなるから…!」
自制が効かなくなる。好きだという思いが膨らんで、また溢れてしまう。
赤司と黄瀬に答えた気持ち。そして青峰に傾く気持ち。どれもこれも皆同じで、止めることが出来ない。
「いいよ、烏羽ちんもおかしくなって」
「っ、でも…これ以上は…」
「赤ちん言ってたもん。烏羽ちんは皆のものだって」
「…!」
「烏羽ちんが皆のものになれば、皆幸せでしょ?」
真司の腕に入っていた力が抜けていく。
紫原の言うことが正しいとは思えない。
それでも真司は紫原を見上げ、抵抗を止めた。
そう思った方が、真司にとっても気が楽だからだ。
「烏羽ちん」
距離が少しずつ無くなって行く。さすがにこの後どうなるのか分からない真司ではない。
「まっ…」
逃れようと身をよじるも、手が掴まれて頭の後ろにも手が回って。紫原の力に真司が勝てるはずもなかった。
「っ、ん…」
「烏羽ちん、可愛い」
さっき指に感じたものを、直接舌に感じる。
お菓子を食べていたからだろうか、紫原のキスは甘くて。しかし大きな体と相まって乱暴で。
真司は呼吸をする為に、顔を紫原から逸らした。
扉の隙間、生徒達の声が聞こえなくなった廊下。
真司の目は、そこにあった目と合ってしまった。
「…何してんだよ」
その声が聞こえた途端に、紫原も真司を放して振り返る。
紫原の手による束縛から逃れた烏羽は、そこを見たまま動くことが出来なかった。
不快そうな、怪訝そうな視線。
教室で待っているはずであった青峰が、真司と紫原をじっと見ていた。
「アララ~?峰ちん、何怒ってんの~?」
「何してんだって聞いてんだよ」
「何って、見てわかんねーの?」
紫原が自分の口を人差し指でつんつんと触る。
青峰の額に、ぴきっと線が見えた気がした。そしてそれを真実とするかのように、青峰がずかずかと二人に近付く。
そのまま青峰の手は、紫原の胸倉を掴んでいた。
「真司に何してんだよ!」
「ちょ、青峰君!」
「うっざ…。何も知んねーくせに」
はーっと紫原がため息を吐く。
止めに入ろうとした真司の体がぴたりと動きを止めた。
「ま、待って、紫原君…」
ただでさえ赤司とのことで青峰との距離が開いてしまったのに。
これ以上、余計なことを知られたくない。
そんな真司の願いを、紫原は知ってか知らずか、聞くことは無かった。
「ね、烏羽ちん」
「…やめて…」
「烏羽ちん、好きだもんね。キスも、エッチなことするのも」
「…っ!」
ねっとりと残るような紫原の笑み。それに真司は血の気が引くのを感じて、恐る恐る青峰へと視線を移した。
「はっ…はは」
「青峰君…?」
しかし真司の思いとは裏腹に、本当はとっくに壊れていたのだ。
その証拠に青峰が笑っている。それは驚きからなどではなかった。
「そーだよなぁ、あの赤司があんなこと言うんだもんなァ」
「…ぁ」
「真司…赤司ともそうなのかよ…?」
「それ、は」
「あれか、知らねーのはオレだけだったってのか」
「それは違う!」
「何が違ぇんだよ」
呆れている。怒っている。幻滅している。
青峰の様子はどう取っても真司には救いようのないもので。真司は眉間にシワを寄せたまま目を伏せた。
「…ごめん」
何に対する謝罪だったのか。口をついた言葉に、青峰の表情は更に険しいものへと変わった。
「ハッ、結局オレだけ何も知らずに真司の隣で友達ごっこしてたってわけだろ」
「そんなんじゃ、」
「ヤらせろよ、真司」
「…え」
茫然と動けずにいた真司の胸倉を青峰が掴んだ。二人の距離が急激に縮まる。
青峰の骨ばった手が真司の鎖骨に触れた。
「ま、もともと今日するつもりだったし」
「何を」
「あんなん見せつけられて、オレも気付いたんだわ」
抽象的な青峰の言葉。しかし、理解するには十分足りていた。
「オレも真司とヤりてぇってな」
青峰の声が頭を貫いたようにズキズキと刺激してくる。
青峰の手の熱さよりも、この瞬間に全て壊れてしまった二人の関係が真司の胸を貫いて。
「っ、」
「なんで泣くんだよ。好きなんだろ?」
「最低っ…」
真司の目に涙が浮かぶ。
すきだよ、ずっと。青峰のことを。
しかし、それは青峰に伝わっていない。そして、青峰の思いもこちらに向いていない。
抑えることなど出来ず、そのままぽろぽろと零れ落ちて行く。
それを、紫原の指がすくっていた。
「峰ちん。悪いけど今日はオレのだから」
「あ?何言ってんだよ、そもそもオレん家来る約束なんだよ」
「その前にオレが約束してたの」
「…じゃあ少し待ってろよ、今やっから」
真司の上で大きな男が二人睨み合っている。
元々青峰と紫原が仲良しなイメージはないものの、自分を挟んで険悪な雰囲気を出されると、その威圧感は倍増して感じられた。
そして何よりも、青峰の中の真司が余りにも堕ちてしまった。友人、親友、クラスメイト、どれにも当てはまらない。それが辛くて。
「…やだ」
「あ?んだよ、どうせ他の奴ともやることやってんだろ?」
「青峰君みたいに、軽い気持ちなんかじゃないから…!」
少なくとも、ただしたいからしたとか、そういうものではなかった。皆みんな、愛をくれた。その気持ちがあったのだ。
真司は青峰から視線を逸らして、紫原を見上げた。
「ごめん、青峰君。今日の約束…果たせないよ」
「…そーみてえだな」
真司は机の方に体を向けて、プリントを手に取った。
好きだからこそ、こんな勢いみたいな形で関係を作りたくは無い。
それが、更に青峰の心を遠ざける要因になるとしても。
「真司…」
青峰の低い声が真司を呼ぶ。それに真司は聞こえないフリで返した。
傍に立つ紫原の腕をきゅっと掴む。これ以上青峰に嫌われたくないのに、青峰に応えることもしたくない。
(きっと、もう手遅れだ)
分かっている。だからこそせめて、修復できる状態を壊したくはない。
カチカチと教室にホチキスの音が響く。その後ろで、青峰が立ち去っていく足音と扉の開く音がかすめて行った。
「…ッ」
「烏羽ちん、辛いの?」
「…うん」
「峰ちんのこと、オレより好き…?」
「…分かんないや」
誰が誰より、という比較は出来なかった。皆好きで、皆同じくらい大事で。
ただ違うのは、青峰からの気持ちはこちらに来ていないということ。
「じゃあ、オレのこと好き?」
「…うん」
かち、と最後の一つをまとめる。真司はホチキスを手に持ったまま、その手を紫原の背中に回した。
大きな体からもらえる温もりが心地よい。今はただただそれに縋りたくて、腕に力を込めた。
「…赤司君に、頼まれたの…どうしよう」
「峰ちんに勉強教えろってヤツ?」
「うん」
「いーじゃん、まだ期間あるんだし~」
青峰に勉強を。その目的は間違いなく果たせるだろう。しかしそれが問題なのではなくて。
「…俺、青峰君と…もう笑い合えないのかな…」
「ん?なーに?」
「…紫原君が変なタイミングで来るからいけないんだ」
「はぁ?オレが悪いの?」
それさえも言い訳だ。
いつかは何とかしなければいけなかった問題。それが急速でのしかかってきただけなのだ。
「ねぇ、今はオレのことだけ考えてよ」
「無理…」
「無理じゃねーし。こっち向いて」
ぐっと腰を引き寄せられて、密着した体が擦れ合う。
与えられる熱に弱くなった真司の体は小さく震えて。
しかし流されたくなくて、真司はぎゅっと唇を噛んだ。
「唇切れちゃうよ?」
「切れてもいいよ」
「だーめ」
紫原の指が真司の下唇を挟んだ。
薄らと開いた口の中に紫原の親指が入り込む。
「噛むならオレの指にして」
「なんでよ」
「烏羽ちんになら、オレ喰われてもいいかな~って」
「…はぁ」
さっきと意味変わってるじゃん。
真司は小さく笑って紫原の指を軽く噛んだ。
「美味しい?」
「いや、美味しいわけないから」
「そーなの?烏羽ちんの指は美味しいのに…」
「やっぱ紫原君変だよ」
「烏羽ちん限定だかんね」
「…そ、そう…」
へらっと笑う紫原は、体の割に可愛らしくて。
思わず釣られて笑いながら、真司はまとめたしおりを腕に抱えた。
仕方ないから、今日は紫原に勉強を教えてあげよう。
開き直ったかのように笑いながらも、真司の頭の中から青峰が消えることは無かった。