藍沢湧太郎(夢色キャスト)
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9.決断
電話がブーッと震え出したのは、アートシアターつばさで行われる千秋楽、開始30分前のこと。
既に会場に到着していた咲哉は、人の疎らな座席の中、心臓をドッと高鳴らせて端末を取り出した。
画面に表示されているのは、これから舞台に立つ役者の名前。『藍沢湧太郎』という男らしく威厳あるそれだった。
電話に出るか、切るかの二択。会場に響く微弱な振動の音が、咲哉の選択を焦らせる。
考えるよりも前に指を重ねた咲哉は、一度深呼吸をしてから電話を耳に近付けた。
「も、もしもし…」
『咲哉くん…久しぶりだね』
咲哉が劇場の手伝いを辞めたのは、一ヶ月程前になる。
だからこの声を聞くのも一ヶ月ぶり。厳密には、一ヶ月ぶりの”藍沢湧太郎としての声”だ。
ステージに立つ彼の姿は見ていても、咲哉は懐かしい気がして息を呑んだ。
「お久しぶりです。あの…どうしたんですか…?もう、本番前、なのに…」
下手なことを言ったら、周りの人に変に思われるかもしれない。
そんな杞憂を抱きながら、しどろもどろに返すと、耳元でフッと優しい吐息が零れた。
『そうだね、でも…。考えていたら、この日を迎えてしまったんだ』
「…考え、ですか…?」
『君に頼みがある。公演が終わったら、あのカフェで待っていて欲しい』
咲哉はいつだったか藍沢と二人で入った、劇場近くの喫茶店を思い出した。
落ち着いた雰囲気の、お洒落なカフェ。劇場に近いこともあり、役者やスタッフが利用することも当然のようにあるという。
再び顔を合わせることに迷いはあったが、彼の誘いを断るという選択肢は、やはり咲哉の中にはなかった。
「分かりました…。あの、公演が終わったら…待ってますね」
忙しいだろう藍沢に気を遣い、二つ返事で頷く。
やはり時間に追われていたのだろう藍沢は『良かった、じゃあ、また後で』と安堵の息を吐いて電話を切った。
…それが、四時間前の出来事。
咲哉は舞台の余韻に身を委ねながら、コーヒーの良い香りに包まれていた。
宙に浮くような気分と、一人カフェで藍沢を待つ緊張が混在している。自分が彼に恋してなんかいなければ…これから舞台の感想を語れると、ただ歓喜していたはずだ。
「…はぁ」
思わずため息が零れる。
舞台に集中出来ていたかどうか、そこに自信は持てなかった。気付けば藍沢湧太郎本人の影がチラついて、それを消すことはもう諦めていた。
電話の事が気になっていた…わけではなかったと思う。それがなくても、咲哉の意識は藍沢へ向いていただろう。それ程に、今はもう強く焦がれているのだ。
頬杖をついて目を閉じると、今までの事がつい昨日の事のように蘇ってくる。
『おはよう。いつも掃除ご苦労様』
初めて藍沢が咲哉へ声をかけたあの日。喜びのあまり浮かれた咲哉の知らないところで、教授が藍沢へ協力を申し出ていたことを知っている。
恐らくそれだけではない。きっと、咲哉の私生活についても聞いていたのだろう。
『ほら見て。ここ、桜並木なんだよ』公園で見せた優しい兄の姿。
『今日はオフだから、たくさん話そう』手を繋いで歩いた温かな時間。
友、もしくは兄。しかし、藍沢の意志に反し、咲哉は恋をした。
(勘違い…、じゃないのは、もう分かってる。俺は藍沢さんが好きだ)
惚れずにはいられなかっただろう。たとえ、彼との時間を巻き戻し、やり直したとしても。
記憶を辿る闇の中、コツンと勇壮な足音が鳴り、咲哉はゆっくりと目を開いた。
「あぁ、良かった…まだ待っていてくれたんだね」
「あ…っ」
藍沢さんっと呼びかけて良いものか迷い、言葉を呑み込み頭を下げる。
藍沢はそんな咲哉の少し気後れした態度を気にすることなく、店員に「コーヒーを」と頼んでから正面に腰かけた。
「すまなかった。すぐに出てくるのは、やはり難しくて」
「い、いえ…。これだって早いくらいで…打ち上げとか、ないんですか?」
「はは、いくらなんでも当日にはしないよ。気を遣わせてしまったね」
咲哉は慌てて首を横に振り、照れ隠しに顔を逸らした。
たった一ヶ月という時間は、何も解決してくれなかったらしい。忘れようとした恋心は、以前よりも大きくなって咲哉の心を焼き尽くそうとする。
咲哉は勘づかれまいと鼻の近くに手をやり、すんっと啜ってから「お話って?」と切り出した。
「手紙、と言っていいのか分からないけど、君からのメッセージ読んだよ。アンケート用紙に、可愛いラブレターを書いたのは、君だろう?」
咲哉はぽかんと口を開き、それからぶわっと顔を真っ赤に染めた。
もはや何を書いたかなんて覚えていない。前回、公演を観た後、咲哉は溢れる想いを衝動のまま書き殴ったのだ。
思いを全て言葉にしたわけではないが、きっと恥ずかしい事を書いたに違いない。
まさか本当にキャストが目を通すなんて…目と口を開いた咲哉のその露骨な反応に、藍沢は「うん、やっぱり」と頷いた。
「確認するけど、君は、俺の事が好きだと…そう言ってくれたんだよね」
「っ、あ、う…」
「…有難う。嬉しかったよ」
藍沢の優しく穏やかなオトナの声色が、咲哉の心を乱す。焼かれ、爛れた場所を乱暴に摩られている気分だ。
「俺は…君がいなくなって、今ですら寂しいと思ってる。これが最後だなんて、思いたくないんだ」
「…、っ…」
「今のままでは、駄目なのか?」
藍沢の声に揺らぎはない。真っ直ぐな視線も、凛々しい面構えも、咲哉とは正反対だ。
今度は胸を何か鋭いもので抉られたように痛み、咲哉はぎゅっと自身の胸元を押さえた。
「…俺は…おれ、も、最初はそう出来たらって思ってたんです。好きの意味を履き違えてるかもとも思いました、優しくされて、思い上がってるだけだ、とも。」
藍沢は「うん」と優しく相槌を打ち、咲哉の言葉を促した。
「でも、こんな気持ち、初めてなんです。初めだからこその確信もあると思うんです。今はこうして会えるだけで嬉しくても…いつか、俺は耐えられなくなります」
受け入れられない感情を持て余すことだけではない。藍沢に対してこんな感情を抱くことへの劣等感や卑下がいつか自傷に変わる。
男で学生で、それでいて一般人。咲哉自身が誰よりも「藍沢湧太郎の傍にいる自分」を許せなかった。
だからこそ、とうに結論は出ている。咲哉はすうって息を吸い込み、ようやく藍沢としっかり向かい合った。
「藍沢さん、今まで、有難うございました。こんな一学生に親切にして下さって…今日、感謝の気持ちを伝える場を設けて下さったから…もう、思い残すこと、無いです」
「…そう、締め括らないでくれ」
藍沢は心底寂しそうに眉を寄せ、自身の額を押さえた。
はぁ、と小さく零れた吐息も、咲哉の耳には大きく反響する。
「いや、そう言わせてるのは俺なんだよな。俺は…君と最後の挨拶をする事を恐れているんだ、本当に」
「それは、でも…すぐに、どうでも良くなると思います」
「それならきっと君だってそうだ」
言葉をぶつけ合い、互いに口を噤んだ。
本当にそうだろうか。咲哉の描く明日に、藍沢を思い出さない日はあるだろうか。その答えも、咲哉はすぐに導き出すことが出来た。
「俺、今日も、やっぱり藍沢さんのこと見てました。ジェネシスのステージを観ているのに、格好良いな、素敵だなって…。だから、俺には、無理です」
「咲哉くん…」
「藍沢さんがジェネシスである限り、俺がジェネシスを好きでいる限り…どうでも良くなんてなれないです」
藍沢にとって咲哉がただの一ファンになったとしても、咲哉にとって藍沢は唯一無二の存在だ。
劇団ジェネシスの存在は、咲哉の生きがいですらある。そこから目を逸らすことは、死と同等なのだ。
あぁ…と咲哉は小さく喘いだ。まさに喉から手が出る程に求めた感情を今、胸の中に宿している。
「貴方に恋をして、俺は今…生を感じています。失恋は、死ぬほど辛いものなんですね」
「っ、君…」
「死ぬことの辛さなんて知らないのに…死ぬほど辛い、だなんて馬鹿げてますけど」
藍沢は小さく頭を振り、暖かなグリーンを宿した瞳を微かに揺らした。
言葉なく目線を下げると、二人の間に重たい沈黙が流れる。
それもこれも、全ては恋したせい。耐えきれず椅子を引くと、「待ってくれ」と藍沢の手が咲哉の手に重なった。
「せめて…コーヒーを飲むまで」
タイミング良く店員が運んできたコーヒーは、湯気を上げてタイムリミットを示す。
咲哉は椅子に座り直し、こくりと躊躇いがちに頷いた。
「…有難う、咲哉くん」
藍沢の言葉に嘘はない。
きっかけは教授の言葉だとしても、藍沢は咲哉を友と認めてくれている。それが余計に苦しくて、咲哉はついに俯き、しとしとと涙を落とした。
これが恋でなければ、と思わずにはいられない。それでも、これが恋だと知った時点でどうにもならない。
「…こちらこそ、有難う、ございました…っ」
咲哉は顔を上げ、藍沢と見つめ合った。
せめてこのコーヒーがなくなるまで、藍沢と話すだけで幸せだったあの頃に戻ろう。
今日の舞台のこと、書き終わった卒論のこと、明日からのこと…咲哉は尽きない話題を頭に描き「そういえば今日の…」と口を開いた。
・・・
他愛のない話に花を咲かせ、明るい顔をして帰っていった。その小さな背中を見送った藍沢は、頬杖をついてフゥッと息を吐いた。
分かりやすい空元気だった。それが分かっても、今の自分に出来ることはない…それが藍沢には苦しくてもどかしかった。
「恋…か」
愛だの恋だのが、分からないほどの子供ではない。相手が同年代の女性なら、迷わず受け入れていたのかもしれない。
藍沢は迷い、困惑していた。原因は明白だ、彼が青年で、弟のように可愛がることに何の疑問もなかったからだ。
それは今でも変わらない、あの子は可愛い。弟のように。
「傍にいて支えてやりたいってのは…本心なんだけどな…」
だからこそ、向かい合い、考える必要があったのだ。勘違いのまま突き進み、いつかギャップに思い悩まないように。
「参ったな…」
ズキズキと胸が軋むように痛い。強い感情を目の当たりにして、昂っている自分に気が付いてしまった。
後は、どれだけ耐えられるか。どれだけ忘れていられるか。彼が忘れるのと自分が気づくのとどちらが早いか。
空になったカップを手に持ち、ほんの一滴を口に流し込む。
恐らく、既に答えは出ていたのだ。
(第九話・終)
追加日:2018/11/18
電話がブーッと震え出したのは、アートシアターつばさで行われる千秋楽、開始30分前のこと。
既に会場に到着していた咲哉は、人の疎らな座席の中、心臓をドッと高鳴らせて端末を取り出した。
画面に表示されているのは、これから舞台に立つ役者の名前。『藍沢湧太郎』という男らしく威厳あるそれだった。
電話に出るか、切るかの二択。会場に響く微弱な振動の音が、咲哉の選択を焦らせる。
考えるよりも前に指を重ねた咲哉は、一度深呼吸をしてから電話を耳に近付けた。
「も、もしもし…」
『咲哉くん…久しぶりだね』
咲哉が劇場の手伝いを辞めたのは、一ヶ月程前になる。
だからこの声を聞くのも一ヶ月ぶり。厳密には、一ヶ月ぶりの”藍沢湧太郎としての声”だ。
ステージに立つ彼の姿は見ていても、咲哉は懐かしい気がして息を呑んだ。
「お久しぶりです。あの…どうしたんですか…?もう、本番前、なのに…」
下手なことを言ったら、周りの人に変に思われるかもしれない。
そんな杞憂を抱きながら、しどろもどろに返すと、耳元でフッと優しい吐息が零れた。
『そうだね、でも…。考えていたら、この日を迎えてしまったんだ』
「…考え、ですか…?」
『君に頼みがある。公演が終わったら、あのカフェで待っていて欲しい』
咲哉はいつだったか藍沢と二人で入った、劇場近くの喫茶店を思い出した。
落ち着いた雰囲気の、お洒落なカフェ。劇場に近いこともあり、役者やスタッフが利用することも当然のようにあるという。
再び顔を合わせることに迷いはあったが、彼の誘いを断るという選択肢は、やはり咲哉の中にはなかった。
「分かりました…。あの、公演が終わったら…待ってますね」
忙しいだろう藍沢に気を遣い、二つ返事で頷く。
やはり時間に追われていたのだろう藍沢は『良かった、じゃあ、また後で』と安堵の息を吐いて電話を切った。
…それが、四時間前の出来事。
咲哉は舞台の余韻に身を委ねながら、コーヒーの良い香りに包まれていた。
宙に浮くような気分と、一人カフェで藍沢を待つ緊張が混在している。自分が彼に恋してなんかいなければ…これから舞台の感想を語れると、ただ歓喜していたはずだ。
「…はぁ」
思わずため息が零れる。
舞台に集中出来ていたかどうか、そこに自信は持てなかった。気付けば藍沢湧太郎本人の影がチラついて、それを消すことはもう諦めていた。
電話の事が気になっていた…わけではなかったと思う。それがなくても、咲哉の意識は藍沢へ向いていただろう。それ程に、今はもう強く焦がれているのだ。
頬杖をついて目を閉じると、今までの事がつい昨日の事のように蘇ってくる。
『おはよう。いつも掃除ご苦労様』
初めて藍沢が咲哉へ声をかけたあの日。喜びのあまり浮かれた咲哉の知らないところで、教授が藍沢へ協力を申し出ていたことを知っている。
恐らくそれだけではない。きっと、咲哉の私生活についても聞いていたのだろう。
『ほら見て。ここ、桜並木なんだよ』公園で見せた優しい兄の姿。
『今日はオフだから、たくさん話そう』手を繋いで歩いた温かな時間。
友、もしくは兄。しかし、藍沢の意志に反し、咲哉は恋をした。
(勘違い…、じゃないのは、もう分かってる。俺は藍沢さんが好きだ)
惚れずにはいられなかっただろう。たとえ、彼との時間を巻き戻し、やり直したとしても。
記憶を辿る闇の中、コツンと勇壮な足音が鳴り、咲哉はゆっくりと目を開いた。
「あぁ、良かった…まだ待っていてくれたんだね」
「あ…っ」
藍沢さんっと呼びかけて良いものか迷い、言葉を呑み込み頭を下げる。
藍沢はそんな咲哉の少し気後れした態度を気にすることなく、店員に「コーヒーを」と頼んでから正面に腰かけた。
「すまなかった。すぐに出てくるのは、やはり難しくて」
「い、いえ…。これだって早いくらいで…打ち上げとか、ないんですか?」
「はは、いくらなんでも当日にはしないよ。気を遣わせてしまったね」
咲哉は慌てて首を横に振り、照れ隠しに顔を逸らした。
たった一ヶ月という時間は、何も解決してくれなかったらしい。忘れようとした恋心は、以前よりも大きくなって咲哉の心を焼き尽くそうとする。
咲哉は勘づかれまいと鼻の近くに手をやり、すんっと啜ってから「お話って?」と切り出した。
「手紙、と言っていいのか分からないけど、君からのメッセージ読んだよ。アンケート用紙に、可愛いラブレターを書いたのは、君だろう?」
咲哉はぽかんと口を開き、それからぶわっと顔を真っ赤に染めた。
もはや何を書いたかなんて覚えていない。前回、公演を観た後、咲哉は溢れる想いを衝動のまま書き殴ったのだ。
思いを全て言葉にしたわけではないが、きっと恥ずかしい事を書いたに違いない。
まさか本当にキャストが目を通すなんて…目と口を開いた咲哉のその露骨な反応に、藍沢は「うん、やっぱり」と頷いた。
「確認するけど、君は、俺の事が好きだと…そう言ってくれたんだよね」
「っ、あ、う…」
「…有難う。嬉しかったよ」
藍沢の優しく穏やかなオトナの声色が、咲哉の心を乱す。焼かれ、爛れた場所を乱暴に摩られている気分だ。
「俺は…君がいなくなって、今ですら寂しいと思ってる。これが最後だなんて、思いたくないんだ」
「…、っ…」
「今のままでは、駄目なのか?」
藍沢の声に揺らぎはない。真っ直ぐな視線も、凛々しい面構えも、咲哉とは正反対だ。
今度は胸を何か鋭いもので抉られたように痛み、咲哉はぎゅっと自身の胸元を押さえた。
「…俺は…おれ、も、最初はそう出来たらって思ってたんです。好きの意味を履き違えてるかもとも思いました、優しくされて、思い上がってるだけだ、とも。」
藍沢は「うん」と優しく相槌を打ち、咲哉の言葉を促した。
「でも、こんな気持ち、初めてなんです。初めだからこその確信もあると思うんです。今はこうして会えるだけで嬉しくても…いつか、俺は耐えられなくなります」
受け入れられない感情を持て余すことだけではない。藍沢に対してこんな感情を抱くことへの劣等感や卑下がいつか自傷に変わる。
男で学生で、それでいて一般人。咲哉自身が誰よりも「藍沢湧太郎の傍にいる自分」を許せなかった。
だからこそ、とうに結論は出ている。咲哉はすうって息を吸い込み、ようやく藍沢としっかり向かい合った。
「藍沢さん、今まで、有難うございました。こんな一学生に親切にして下さって…今日、感謝の気持ちを伝える場を設けて下さったから…もう、思い残すこと、無いです」
「…そう、締め括らないでくれ」
藍沢は心底寂しそうに眉を寄せ、自身の額を押さえた。
はぁ、と小さく零れた吐息も、咲哉の耳には大きく反響する。
「いや、そう言わせてるのは俺なんだよな。俺は…君と最後の挨拶をする事を恐れているんだ、本当に」
「それは、でも…すぐに、どうでも良くなると思います」
「それならきっと君だってそうだ」
言葉をぶつけ合い、互いに口を噤んだ。
本当にそうだろうか。咲哉の描く明日に、藍沢を思い出さない日はあるだろうか。その答えも、咲哉はすぐに導き出すことが出来た。
「俺、今日も、やっぱり藍沢さんのこと見てました。ジェネシスのステージを観ているのに、格好良いな、素敵だなって…。だから、俺には、無理です」
「咲哉くん…」
「藍沢さんがジェネシスである限り、俺がジェネシスを好きでいる限り…どうでも良くなんてなれないです」
藍沢にとって咲哉がただの一ファンになったとしても、咲哉にとって藍沢は唯一無二の存在だ。
劇団ジェネシスの存在は、咲哉の生きがいですらある。そこから目を逸らすことは、死と同等なのだ。
あぁ…と咲哉は小さく喘いだ。まさに喉から手が出る程に求めた感情を今、胸の中に宿している。
「貴方に恋をして、俺は今…生を感じています。失恋は、死ぬほど辛いものなんですね」
「っ、君…」
「死ぬことの辛さなんて知らないのに…死ぬほど辛い、だなんて馬鹿げてますけど」
藍沢は小さく頭を振り、暖かなグリーンを宿した瞳を微かに揺らした。
言葉なく目線を下げると、二人の間に重たい沈黙が流れる。
それもこれも、全ては恋したせい。耐えきれず椅子を引くと、「待ってくれ」と藍沢の手が咲哉の手に重なった。
「せめて…コーヒーを飲むまで」
タイミング良く店員が運んできたコーヒーは、湯気を上げてタイムリミットを示す。
咲哉は椅子に座り直し、こくりと躊躇いがちに頷いた。
「…有難う、咲哉くん」
藍沢の言葉に嘘はない。
きっかけは教授の言葉だとしても、藍沢は咲哉を友と認めてくれている。それが余計に苦しくて、咲哉はついに俯き、しとしとと涙を落とした。
これが恋でなければ、と思わずにはいられない。それでも、これが恋だと知った時点でどうにもならない。
「…こちらこそ、有難う、ございました…っ」
咲哉は顔を上げ、藍沢と見つめ合った。
せめてこのコーヒーがなくなるまで、藍沢と話すだけで幸せだったあの頃に戻ろう。
今日の舞台のこと、書き終わった卒論のこと、明日からのこと…咲哉は尽きない話題を頭に描き「そういえば今日の…」と口を開いた。
・・・
他愛のない話に花を咲かせ、明るい顔をして帰っていった。その小さな背中を見送った藍沢は、頬杖をついてフゥッと息を吐いた。
分かりやすい空元気だった。それが分かっても、今の自分に出来ることはない…それが藍沢には苦しくてもどかしかった。
「恋…か」
愛だの恋だのが、分からないほどの子供ではない。相手が同年代の女性なら、迷わず受け入れていたのかもしれない。
藍沢は迷い、困惑していた。原因は明白だ、彼が青年で、弟のように可愛がることに何の疑問もなかったからだ。
それは今でも変わらない、あの子は可愛い。弟のように。
「傍にいて支えてやりたいってのは…本心なんだけどな…」
だからこそ、向かい合い、考える必要があったのだ。勘違いのまま突き進み、いつかギャップに思い悩まないように。
「参ったな…」
ズキズキと胸が軋むように痛い。強い感情を目の当たりにして、昂っている自分に気が付いてしまった。
後は、どれだけ耐えられるか。どれだけ忘れていられるか。彼が忘れるのと自分が気づくのとどちらが早いか。
空になったカップを手に持ち、ほんの一滴を口に流し込む。
恐らく、既に答えは出ていたのだ。
(第九話・終)
追加日:2018/11/18