藍沢湧太郎(夢色キャスト)
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3.普通の優しさ
カバーの取れた古びた戯曲。
咲哉は繰り返し読んだそれを、癖のように今日も手に取った。
あまりにも有名なシェイクスピアの悲劇だ。
「またシェイクスピアかい?」
その静かな問いかけに、咲哉は棚に戻しかけた本を掴んだまま振り返った。
教授が両手に持ったコーヒーを机の上に置く。
一つは恐らく咲哉のためのものだろう。
「好きでもないのに、随分と気にかけるね」
「…好きじゃないから、好きになる為に考えるんです」
棚に戯曲を押し込み、咲哉は並んで置かれた本たちを眺める。
どれもこれも一度は読んだもの。だからこそ、咲哉は好きではないと断言できた。
「恋人、妻、夫、それから友人、親、子供、国…皆何かしらに愛情を持っていて、だからこそ憎悪が生まれて」
もしそこに愛がなければ悲劇にはならなかった。
それならば愛がなければ。いや、そもそも愛ってなんだ。
必ず咲哉の思考はそこで巡る。
愛とは。愛なんて。それを理解出来ない自分が腹立たしくて、理解出来る人が妬ましい。
「他人の悲劇なんて、第三者からすればバカバカしいだけですよ。なのになんで…見た人はこれを悲劇だと言って悲観できるんでしょうか」
「咲哉くん…」
「喜劇は好きです。楽しい気持ちは共有できます、でも…愛とか恋とか、そういうの、本当はまだよく分からないんです」
恋もまだしたことないし。
咲哉は内心そう落胆しながら椅子に腰掛けた。
「いつか分かるよ」
「…そうだといいんですけど」
少し不貞腐れた咲哉の顔を見て、教授はなだめるように笑う。
大学に入ればきっと運命の出会いが、なんて期待していたのも遠い記憶だ。
咲哉は淡い願望をかき消すように息を吐き、「いただきます」と一言の後コーヒーを口に運んだ。
濃いめのコーヒーにミルクを少量。教授の入れるコーヒーは、すっかり咲哉好みの味だ。
「そういえば…ジェネシスの藍沢くんに親しくしてもらっているそうだね」
「あっ、はい、そうなんです!」
咲哉の背筋が、途端にピンと伸びた。
薄ら桃色に頬を染めながら、ニヤける口元を隠すように俯く。
「じ、実は…」
咲哉は鞄の中から一枚のはがきを取り出した。
「夢色カンパニー」咲哉が好きな劇団からの招待状だ。
「…これ、藍沢さんからいただいたんです」
はがきを両手で掴み、顔へ寄せる。
ほんのり藍沢湧太郎を感じるのは、たぶん思い込みの強さのせい。
しかし咲哉はそれに鼻先を付けて目を閉じると、まだ鮮明に思い出せるあの瞬間へトリップした。
・・・
・・
「あ、いたいた、咲哉くん」
それは清掃を終えた帰り際。
スタッフルームで着替えを終えて、私服でロビーのポスターを見ていた時だった。
「今度夢色カンパニーの公演があるんだけど、知ってるかい?」
「はい!もちろん!」
「お、いい反応だね」
夢色カンパニーはジェネシスとコンセプトの似た男性だけの劇団だ。
そもそも劇団ジェネシスが、打倒夢色カンパニーで結成されたのだとか。そんな耳を疑う噂が立つほど、互いにライバルを公表する関係にある。
「実は対決公演も見たんですよ、インターネット配信からですけど」
大々的に行われたジェネシスと夢色カンパニーの対決も記憶に新しい。
同じプロットを使用した異なる脚本を演じるというものだった。
「でも、ジェネシスと夢色カンパニーって比較するには役者も演も脚本もタイプが違いますし、あの勝敗は結局審査員の好みで決まったんじゃないかって思ってます。
歌やダンス、一つ一つのパフォーマンスをとるか、ストーリーあり気のステージとして見るか…」
「ちなみに君はどっちに入れたのか、聞いてもいい?」
「あ…っ」
思わず熱弁してしまった咲哉は、墓穴を掘ったことに気付いた。
対決を勝者は夢色カンパニーだった。しかも、左右したかもしれない点数を、咲哉は夢色カンパニーへ入れている。
「はは、今の反応で分かった。いいんだよ、確かにあの脚本には驚かされた」
「すみません…ネット配信だと音響や現場での雰囲気はわからないものですから…」
咲哉は小さな声で言い訳をしながら、ちらと上目で藍沢を見た。
一見強面な男性的な輪郭が、柔らかく笑みを作る。
「でも良かった。夢色カンパニーも好きなんだね?」
「はい、それはもう!でも今凄く人気だから、今度の公演の抽選は落ちちゃったんです…」
「それは丁度良かったな。はいこれ」
藍沢の手がジャケットのポケットへ。
連絡先をもらった日を思い出し、ごくりと唾を飲む咲哉の前に封筒が差し出された。
「これは…?」
「実は関係者用の観覧席でね、家族もどうぞって二人分もらったんだ」
「え…っ」
「もし良かったら一緒に行かないか?」
咲哉の目の前には、大好きなジェネシスの藍沢湧太郎がいる。
そして手には、その藍沢からもらった舞台のチケット。
一つ一つ、咲哉は自分の状況を整理した。
「え、ええ!?嬉しいですけど…っ、ど、どうして俺に!?」
「一緒に行きたいと思う人の中で…君が一番喜んでくれると思ったからね」
「で、で、でも…稽古の方は…?」
「毎日根詰めて練習すればいいってものでもないだろ?」
君さえ良ければ。
続けられた誘い文句は、もはや咲哉の耳をすり抜けていた。
有頂天のまま、咲哉はその藍沢の手を取り大きく頷く。
「是非!」
「そうか、良かったよ」
安堵したように微笑む藍沢に、同性ながら咲哉は見惚れていた。
…それは、今思い出しても変わらない。
咲哉はあの瞬間味わった歓びを、再び噛み締めるように目を閉じた。
格好良くて優しい。たかだか学生一人を相手に。
「彼の事…好きになれそうじゃないかい?」
現実へ帰って来た咲哉は、はっとして手を下ろした。
咲哉の目に映るのは、何やら微笑まし気に緩む教授の顔。
「す、好きですよそれは!なんたってファンですから!」
両手に拳を作って、首を縦に大きく何度も動かす。
それを見た教授は表情を変えず、小さく肩をすくめて見せた。
・・・
約束の日、咲哉は劇場前で待ち合わせた藍沢と共に、何度か来た事のある夢色カンパニーの劇場へ足を踏み入れた。
劇の内容は、咲哉の好む爽やかな青春もの。
夢色カンパニーの劇団員はジェネシスに負けず劣らず、若く格好良い人ばかり。
その役者の良さが際立つダンスや登場人物やドラマ。これは演出も脚本も全て劇団関係者だけで行っているからこそのものだろう。
「藍沢さん!来ていただいて有難うございます!」
「お疲れ様。殺陣のシーン、足さばきがすごく良くなったね」
「ほんとですか!」
舞台の終わった劇場のロビーで親しげに話すのは、ジェネシスの藍沢湧太郎と夢色カンパニーの城ヶ崎昂。
城ヶ崎昂は夢色カンパニーの役者で、殺陣やダンスが特に目立っているメンバーだ。
「藍沢さんに教えてもらったトレーニング、ずっと続けてます!」
「そうか、うん、体幹が随分良くなった」
「ですよね!俺も、そんな気がしてて!」
咲哉はさり気なく藍沢から離れ、そのファンとしてたまらない現場を見守った。
どうやら咲哉が思っていたよりも深く親交しているらしい。
テレビや雑誌じゃライバル関係を謳われることが多いから、殊更意外だ。
「藍沢さん、忙しい時期なのに来ていただいて有難うございます」
「ああ、お疲れ様。君の脚本は、本当に惹き込まれるよ。ラストへの持って行き方やセリフ選びが良いね」
「っ、有難うございます!」
綺麗な女性は、会話の感じからして脚本家だろう。
脚本家すら彼のことを慕っている。それが、藍沢の人柄を益々暴くようだ。
「頑張っている人…」
城ヶ崎昂、夢色カンパニーの脚本家。彼等もまた、藍沢が応援したいと思う『頑張っている』人達なのだろう。
自分が彼等と同じ位置に置かれているなんて、なんて喜ばしい事だろう。
「…?」
しかし、妙な痛みを感じ、咲哉は自分の胸に指を滑らせた。
ドキドキしている。同時にムカムカと苦しくなる。
藍沢は間もなく夢色カンパニーの人達に手を振り、咲哉の方へ振り返った。
「ごめんね、待たせてしまって」
「い、いいえ!藍沢さん、夢色カンパニーの方とも親交があるんですね」
「あぁ、同じ舞台に立つ仲間だからね」
目尻を下げて笑うその表情にも、心優しい藍沢の内面が表れる。
ライバルだとか、ただの学生だとか。藍沢にとっては、そこに壁は存在しないのだ。
「この後時間はある?良ければ、どこか近くの喫茶店にでも入ろう」
「え…、あ、藍沢さんと、俺、が、ですか?」
「勿論。舞台とか映画とかって、見た後語りたくならない?俺は、結構そういうことあるんだけど」
藍沢はまるでそうするのが当然とでも言うように、咲哉に手を差し伸べた。
手を取ることを許されているような仕草に、咲哉の視線が藍沢の手と顔とを行き来する。
「…あ、ゴメン、子供扱いが過ぎたかな」
「い、いえ!すみません、ちょっとびっくりしちゃって…」
眉を下げて笑う藍沢に、咲哉はおずと手を伸ばした。
ドキドキと高鳴る胸をもう片方の手で押さえ、藍沢の服の袖を摘まむ。
「良かった。じゃあ行こうか」
藍沢は咲哉のその手を取り歩き出した。
きゅっと握り締める手は大きく、優しく咲哉を包み込む。
「俺も、いっぱい、しゃべりたい事あります。今日の舞台の事も、まだ、たくさん」
「はは、だろう?今日はオフだから、たくさん話そう」
胸が騒いで気持ちが悪いのに、同時に不思議な心地良さがそこにあった。
離れたくない、まだ一緒に居たい。
咲哉は藍沢の手を握り返し、浮くような気持ちで隣に並んだ。
(第三話・終)
追加日:2018/04/22
カバーの取れた古びた戯曲。
咲哉は繰り返し読んだそれを、癖のように今日も手に取った。
あまりにも有名なシェイクスピアの悲劇だ。
「またシェイクスピアかい?」
その静かな問いかけに、咲哉は棚に戻しかけた本を掴んだまま振り返った。
教授が両手に持ったコーヒーを机の上に置く。
一つは恐らく咲哉のためのものだろう。
「好きでもないのに、随分と気にかけるね」
「…好きじゃないから、好きになる為に考えるんです」
棚に戯曲を押し込み、咲哉は並んで置かれた本たちを眺める。
どれもこれも一度は読んだもの。だからこそ、咲哉は好きではないと断言できた。
「恋人、妻、夫、それから友人、親、子供、国…皆何かしらに愛情を持っていて、だからこそ憎悪が生まれて」
もしそこに愛がなければ悲劇にはならなかった。
それならば愛がなければ。いや、そもそも愛ってなんだ。
必ず咲哉の思考はそこで巡る。
愛とは。愛なんて。それを理解出来ない自分が腹立たしくて、理解出来る人が妬ましい。
「他人の悲劇なんて、第三者からすればバカバカしいだけですよ。なのになんで…見た人はこれを悲劇だと言って悲観できるんでしょうか」
「咲哉くん…」
「喜劇は好きです。楽しい気持ちは共有できます、でも…愛とか恋とか、そういうの、本当はまだよく分からないんです」
恋もまだしたことないし。
咲哉は内心そう落胆しながら椅子に腰掛けた。
「いつか分かるよ」
「…そうだといいんですけど」
少し不貞腐れた咲哉の顔を見て、教授はなだめるように笑う。
大学に入ればきっと運命の出会いが、なんて期待していたのも遠い記憶だ。
咲哉は淡い願望をかき消すように息を吐き、「いただきます」と一言の後コーヒーを口に運んだ。
濃いめのコーヒーにミルクを少量。教授の入れるコーヒーは、すっかり咲哉好みの味だ。
「そういえば…ジェネシスの藍沢くんに親しくしてもらっているそうだね」
「あっ、はい、そうなんです!」
咲哉の背筋が、途端にピンと伸びた。
薄ら桃色に頬を染めながら、ニヤける口元を隠すように俯く。
「じ、実は…」
咲哉は鞄の中から一枚のはがきを取り出した。
「夢色カンパニー」咲哉が好きな劇団からの招待状だ。
「…これ、藍沢さんからいただいたんです」
はがきを両手で掴み、顔へ寄せる。
ほんのり藍沢湧太郎を感じるのは、たぶん思い込みの強さのせい。
しかし咲哉はそれに鼻先を付けて目を閉じると、まだ鮮明に思い出せるあの瞬間へトリップした。
・・・
・・
「あ、いたいた、咲哉くん」
それは清掃を終えた帰り際。
スタッフルームで着替えを終えて、私服でロビーのポスターを見ていた時だった。
「今度夢色カンパニーの公演があるんだけど、知ってるかい?」
「はい!もちろん!」
「お、いい反応だね」
夢色カンパニーはジェネシスとコンセプトの似た男性だけの劇団だ。
そもそも劇団ジェネシスが、打倒夢色カンパニーで結成されたのだとか。そんな耳を疑う噂が立つほど、互いにライバルを公表する関係にある。
「実は対決公演も見たんですよ、インターネット配信からですけど」
大々的に行われたジェネシスと夢色カンパニーの対決も記憶に新しい。
同じプロットを使用した異なる脚本を演じるというものだった。
「でも、ジェネシスと夢色カンパニーって比較するには役者も演も脚本もタイプが違いますし、あの勝敗は結局審査員の好みで決まったんじゃないかって思ってます。
歌やダンス、一つ一つのパフォーマンスをとるか、ストーリーあり気のステージとして見るか…」
「ちなみに君はどっちに入れたのか、聞いてもいい?」
「あ…っ」
思わず熱弁してしまった咲哉は、墓穴を掘ったことに気付いた。
対決を勝者は夢色カンパニーだった。しかも、左右したかもしれない点数を、咲哉は夢色カンパニーへ入れている。
「はは、今の反応で分かった。いいんだよ、確かにあの脚本には驚かされた」
「すみません…ネット配信だと音響や現場での雰囲気はわからないものですから…」
咲哉は小さな声で言い訳をしながら、ちらと上目で藍沢を見た。
一見強面な男性的な輪郭が、柔らかく笑みを作る。
「でも良かった。夢色カンパニーも好きなんだね?」
「はい、それはもう!でも今凄く人気だから、今度の公演の抽選は落ちちゃったんです…」
「それは丁度良かったな。はいこれ」
藍沢の手がジャケットのポケットへ。
連絡先をもらった日を思い出し、ごくりと唾を飲む咲哉の前に封筒が差し出された。
「これは…?」
「実は関係者用の観覧席でね、家族もどうぞって二人分もらったんだ」
「え…っ」
「もし良かったら一緒に行かないか?」
咲哉の目の前には、大好きなジェネシスの藍沢湧太郎がいる。
そして手には、その藍沢からもらった舞台のチケット。
一つ一つ、咲哉は自分の状況を整理した。
「え、ええ!?嬉しいですけど…っ、ど、どうして俺に!?」
「一緒に行きたいと思う人の中で…君が一番喜んでくれると思ったからね」
「で、で、でも…稽古の方は…?」
「毎日根詰めて練習すればいいってものでもないだろ?」
君さえ良ければ。
続けられた誘い文句は、もはや咲哉の耳をすり抜けていた。
有頂天のまま、咲哉はその藍沢の手を取り大きく頷く。
「是非!」
「そうか、良かったよ」
安堵したように微笑む藍沢に、同性ながら咲哉は見惚れていた。
…それは、今思い出しても変わらない。
咲哉はあの瞬間味わった歓びを、再び噛み締めるように目を閉じた。
格好良くて優しい。たかだか学生一人を相手に。
「彼の事…好きになれそうじゃないかい?」
現実へ帰って来た咲哉は、はっとして手を下ろした。
咲哉の目に映るのは、何やら微笑まし気に緩む教授の顔。
「す、好きですよそれは!なんたってファンですから!」
両手に拳を作って、首を縦に大きく何度も動かす。
それを見た教授は表情を変えず、小さく肩をすくめて見せた。
・・・
約束の日、咲哉は劇場前で待ち合わせた藍沢と共に、何度か来た事のある夢色カンパニーの劇場へ足を踏み入れた。
劇の内容は、咲哉の好む爽やかな青春もの。
夢色カンパニーの劇団員はジェネシスに負けず劣らず、若く格好良い人ばかり。
その役者の良さが際立つダンスや登場人物やドラマ。これは演出も脚本も全て劇団関係者だけで行っているからこそのものだろう。
「藍沢さん!来ていただいて有難うございます!」
「お疲れ様。殺陣のシーン、足さばきがすごく良くなったね」
「ほんとですか!」
舞台の終わった劇場のロビーで親しげに話すのは、ジェネシスの藍沢湧太郎と夢色カンパニーの城ヶ崎昂。
城ヶ崎昂は夢色カンパニーの役者で、殺陣やダンスが特に目立っているメンバーだ。
「藍沢さんに教えてもらったトレーニング、ずっと続けてます!」
「そうか、うん、体幹が随分良くなった」
「ですよね!俺も、そんな気がしてて!」
咲哉はさり気なく藍沢から離れ、そのファンとしてたまらない現場を見守った。
どうやら咲哉が思っていたよりも深く親交しているらしい。
テレビや雑誌じゃライバル関係を謳われることが多いから、殊更意外だ。
「藍沢さん、忙しい時期なのに来ていただいて有難うございます」
「ああ、お疲れ様。君の脚本は、本当に惹き込まれるよ。ラストへの持って行き方やセリフ選びが良いね」
「っ、有難うございます!」
綺麗な女性は、会話の感じからして脚本家だろう。
脚本家すら彼のことを慕っている。それが、藍沢の人柄を益々暴くようだ。
「頑張っている人…」
城ヶ崎昂、夢色カンパニーの脚本家。彼等もまた、藍沢が応援したいと思う『頑張っている』人達なのだろう。
自分が彼等と同じ位置に置かれているなんて、なんて喜ばしい事だろう。
「…?」
しかし、妙な痛みを感じ、咲哉は自分の胸に指を滑らせた。
ドキドキしている。同時にムカムカと苦しくなる。
藍沢は間もなく夢色カンパニーの人達に手を振り、咲哉の方へ振り返った。
「ごめんね、待たせてしまって」
「い、いいえ!藍沢さん、夢色カンパニーの方とも親交があるんですね」
「あぁ、同じ舞台に立つ仲間だからね」
目尻を下げて笑うその表情にも、心優しい藍沢の内面が表れる。
ライバルだとか、ただの学生だとか。藍沢にとっては、そこに壁は存在しないのだ。
「この後時間はある?良ければ、どこか近くの喫茶店にでも入ろう」
「え…、あ、藍沢さんと、俺、が、ですか?」
「勿論。舞台とか映画とかって、見た後語りたくならない?俺は、結構そういうことあるんだけど」
藍沢はまるでそうするのが当然とでも言うように、咲哉に手を差し伸べた。
手を取ることを許されているような仕草に、咲哉の視線が藍沢の手と顔とを行き来する。
「…あ、ゴメン、子供扱いが過ぎたかな」
「い、いえ!すみません、ちょっとびっくりしちゃって…」
眉を下げて笑う藍沢に、咲哉はおずと手を伸ばした。
ドキドキと高鳴る胸をもう片方の手で押さえ、藍沢の服の袖を摘まむ。
「良かった。じゃあ行こうか」
藍沢は咲哉のその手を取り歩き出した。
きゅっと握り締める手は大きく、優しく咲哉を包み込む。
「俺も、いっぱい、しゃべりたい事あります。今日の舞台の事も、まだ、たくさん」
「はは、だろう?今日はオフだから、たくさん話そう」
胸が騒いで気持ちが悪いのに、同時に不思議な心地良さがそこにあった。
離れたくない、まだ一緒に居たい。
咲哉は藍沢の手を握り返し、浮くような気持ちで隣に並んだ。
(第三話・終)
追加日:2018/04/22