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藍沢湧太郎(夢色キャスト)

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10.愛の誓い


 卒業式を間近に控えた平日に、咲哉は相も変わらず大学の図書室を訪れていた。
 むしろ卒論に追われていた日々よりも頻繁に通う咲哉の手元には、既に5冊の参考書が山積みになっている。
 資料の豊富さ、出入りのしやすさ、広さと席の数と空調と。どこを見ても冷え冷えとした自宅より余程快適で、レイは入り浸って読書に耽っていた。
 勿論、これも意味ある学業の一つ。引き続き、この大学の大学院生として日本ミュージカル界の研究をするつもりだから、決して意地になって図書室の本を漁っているわけではないのだ。

 ミュージカルの専門雑誌を手に取った咲哉は、とある特集ページを開いて溜息をつく。『劇団ジェネシス、ブロードウェイへ』という見出しは今朝のテレビでも見た。どこもトップニュースとしてそれを掲載する、ほやほやの最新情報だ。
 それを、咲哉は一週間前から知っていた。
 
咲哉くん、ごめん、また懲りずに連絡なんて入れて』
 
 劇団ジェネシスのメンバーである藍沢湧太郎からの電話は、夜にかかってきた。
 一人ベッドに横たわったところ、鳴り響いた携帯電話。咲哉の携帯に連絡を入れるのなんて、教授か藍沢くらいなものだ。
 ドキッとしつつも「まさかね」なんて思いながら画面を見下ろした咲哉は、絶句することとなった。
 
『いいえ、あの、お疲れ様です。また連絡をいただけるとは思っていなかったので……驚きました』
 
 とっくに切れた縁だと思っていた。口にはしないものの、咲哉の電話に出た雰囲気で察したのだろう、藍沢は「ごめん」と小さく謝った後で本題に入った。
 
『どうしてか、君には言っておきたいと思って。俺は、俺達ジェネシスは、ブロードウェイで一公演打つことが決まったんだ』
 
 ブロードウェイとはニューヨークにある世界一のミュージカル劇場街だ。ミュージカルでトップをとるためには当然目指すべき場所であるし、ミュージカル好きなら一度は行ってみたい地でもある。
 咲哉は思わず「凄い!」と電話を揺らさないようにしながら手を打った。
 
『劇団ジェネシスは、初めから世界を見据えていましたし……それをもう実現させてしまうんだから、やっぱり凄いですね……!』
 
 あまりの感動に頭の中は真っ白だ。それでも何とか冷静を装ってそう返すと、藍沢は肩を竦めてハハと笑った。
 肩を竦めたのは、咲哉の中の彼のイメージだが。
 
『暫く、君に会うことも、たぶん連絡することも……ないと思う。今度こそ、きっと』

 藍沢の言葉は、咲哉からすればとっくにし終わった覚悟の再確認だ。
 しかし藍沢はまるで今ようやく決心したかのように、力強く「きっと」と繰り返した。

『藍沢さん、俺に気を遣う必要なんてないですよ? 日本から、応援してますね』
『……あぁ、有難う』
 
 気丈に振る舞いながら、咲哉は訪れた沈黙に息を震わせた。
 本当は終わりなんて来なければ良いと思う。今でも尚、この感情が間違いで、藍沢と親しい関係を続けられたならと願わずにはいられない。
 電話をもらえるくらい認められながら、この関係を切り捨てた自分への後悔はずっと続く。
 いつ芽生えるか分からない、二度目の恋まで、ずっとだ。

『……、もしも、君が……』

 電話の向こうから、ほとんど吐息に近い声が聞こえてくる。
 咲哉はその吐息すらこの身に焼き付けてしまいたくて、静かに目を閉じた。藍沢の、低いけれど爽やかで男らしく凛々しい声。それなのに艶やかで悩ましげな溜め息。
 
『いや、やっぱりやめておこう。じゃあね、咲哉くん』
『……はい、さようなら』
 
 
 そんなやり取りから1ヶ月、そして更に1ヶ月経った。
 刻々と過ぎていく時間の中、咲哉はひたすら研究に没頭していた。
 ブロードウェイミュージカルに関する本や記事を読み、日本ミュージカルとの違いや、その上での劇団ジェネシスの立ち位置を解き明かしていく。
 もっと明確な根拠を、もっと説得力のある言葉を。正しい日本語を正しい英語を…頭を悩ませてばかりの日常を癒すのは、劇団ジェネシスの今を伝えるニュースだ。

「あっ、もう日本での活動再開したんだ……」

 誰に言うでもなく、咲哉の歓喜の声が零れる。
 劇団ジェネシスはブロードウェイでの公演を終え、日本へ帰国した。現地のメディアの声は賛否様々ではあるが、日本のミュージカルの存在を知らしめるには十分だった。
 彼らの世界へ羽ばたく第一歩は果たされたのだ。

(すっかり遠い人になっちゃったな……)

 そんなことを考えることすら恐れ多い。同じ空間で彼等の活動をほんの少しでも手伝えていた日々は、今となっては懐かしくも信じ難いものだ。
 咲哉はふうっと息をつき、切り替えなきゃと頭を左右に振った。
 意識を目の前の分厚い本へと移した矢先、研究室のドアがゆっくりと開かれた。

「お疲れ様、咲哉くん」
「あっ、はい、教授もお疲れ様です」

 少し腰の曲がった教授の腕には、咲哉の手元にある雑誌と同じものが抱えられている。
 教授も随分と劇団ジェネシスの動向を気にかけているらしい。
 その教授は自身の椅子に腰掛けるなり「そうそう」と話題のきっかけを咲哉へ投げかけた。

咲哉くん宛に、アートシアターつばさのスタッフの方から連絡があってね、君の忘れ物があるから取りに来て欲しいって」
「わ、忘れ物ですか? ……なんだろう」

 咲哉は無意味に自身の鞄を覗き込んだ。
 スタッフとして雇ってもらっていたのは、卒論を終えるまでのこと。大学院生としてあまりに代わり映えはしないものの新たな生活を始めている咲哉に、忘れ物など、恐らく取るに足りないものだろう。

「せっかく呼ばれたんだ、行ってきなさい。これから向かわせると、僕から連絡を入れておくよ」
「えっ、あ、有難うございます……そうですね、そうします」

 急な話だが、引き伸ばして良い事でもないだろう。
 咲哉は本の間に付箋を挟み、カバンと上着を持って部屋を出た。 


 通い慣れた……という表現もおこがましいものだが、咲哉は慣れた調子で劇場へ足を運んだ。
 教授が話を通していたおかげだろう、受付の女性が「お待ちしておりました」と咲哉に微笑む。そこにほんの少し優越感にも似た誇らしさを芽生えさせながら、咲哉は案内された待合室の椅子に腰掛けた。
 ホコリひとつ、指紋ひとつ見当たらないテーブル。高そうなお菓子が並んだカゴ。どこもかしこも隙がない。
 それを懐かしみ眺めていると、トントンと程良いノックが鳴った。

「は、はい!」

 慌てて立ち上がり、ドアを正面に背筋を伸ばす。
 開いたドアから顔を覗かせたのは、咲哉の予想に反して、大きな体に整った容姿をした男性だった。
 
「……咲哉くん」

 恐らく彼がそう呼びかけるまで、咲哉の時は静止したままだったろう。
 咲哉の目の前には、遠い遠い世界の人。そうなったはずの、数ヶ月前まで友人だった藍沢湧太郎その人がいた。 
 
「ごめんね、こんな呼び出し方をしてしまって……」
「え、よ、呼び出し……? あの、忘れ物って」
「君のっていうより、実は俺のなんだ……ってのもなんだかクサいな。いや、うん、君に渡さなきゃいけないものがあるのは、本当なんだけど」
 
 独り言ちるトーンで言いながら、藍沢は咲哉に「座って」と天井を向いた掌をソファへと流す。
 それに従ってソファに座り直しながらも、咲哉はすっかり地に足がつかなくなっていた。
 現状を把握するのに全神経が総動員されている。ここはアートシアターつばさ。正面に腰掛けたのは劇団ジェネシスの所属俳優である藍沢湧太郎。二度の別れの挨拶を経て、数ヶ月。咲哉の恋は終わったのだ。
 
咲哉くん、君にこれを」

 正面に腰掛けた藍沢は、テーブルの上に置いた封筒を咲哉へと滑らせた。
 咲哉の目配せに、藍沢は「どうぞ」と意図を汲み取り返答する。
 藍色の瞳はじっと咲哉の奥底まで見透かすようで、咲哉はぱっと目を封筒に落とした。

「……チケット?」

 開いた封筒から覗いたのは長方形の紙。
 以前もこんなことがあった。その時は、大好きな夢色キャストの公演チケット、しかも特等席だ。
 咲哉の目はドキドキしながら書かれた文字を辿る。そして藍沢に視線を戻した咲哉は、言葉を失ったまま今度こそ固まってしまった。 
 
「こうしてもう一度君と会って……いや、君と会わない間にも確信に変わってはいたんだ。でも、改めて間違いないって分かった」
「……ご、ごめんなさい、俺、何のことだか」
「俺の、そばにいて欲しいんだ」

 藍沢の手がチケットを掴んだままの手を包み込む。
 大きな手にすっぽりと覆われると、ひやと冷たさが手の甲に触れた。

「前に君がくれたチケット、ごめんね、無駄にしてしまって」
「えっ、い、いえ……」 
「俺が一緒に行きたいと思ったのは君なんだ。まだ君の想いが変わっていなければ、俺と付き合って欲しい」
 
 咲哉は端正な顔とパークチケットを交互に視線を泳がせた。
 頭が上手く働かないし、何が起きているかもイマイチ分からない。緊張感のある手の温度と力強さが、何とか咲哉を現実に引き止めている。
 いや、まさかこれは夢……と、現実味のない事を考えるほどに追い詰められた咲哉は、静かに首を横に振った。

「す、すみません俺ー……なんか、頭がおかしくって、ごめんなさい、理解が……」
「あっ、あぁ、すまない。少し急ぎ過ぎたね」

 藍沢の手がパッと咲哉から離れる。
 上がっていた腰を深く椅子に沈めて腕を組んだ藍沢は、ふーっと息を吐き、少しだけ身体を斜めに傾けた。

「今の……フラれた、わけじゃない、んだよな?」 

 彼らしくない沈めた声が、咲哉の耳に届く。
 そばにいて欲しい、付き合って欲しい、フラれた……藍沢の言葉をぐるりと頭の中で辿り、ガタッと後ろへ仰け反った。

「あ、藍沢さん、それ、それって……そ、」
「……君が好きだよ。君がいてくれないと、寂しいんだ」

 咲哉の一番好きな人。離れたくなかった人。死と同等だと思える程に、彼からの拒絶を恐れた。内に眠らせた思いが蘇る。
 それでも尚、言葉一つ出てこない咲哉に頬を緩めた藍沢は、すっと立ち上がり、咲哉の横で膝をついた。

「決断が遅くなってごめん。どうしても……君への思いが確かなものか、俺自身、向き合う必要があったんだ」
「まって、やめてください、こんなこと」

 首を小刻みに振る咲哉の瞳からポロと雫が落ちる。
 もう終わった恋だ。そう頭の中で繰り返すのに、それを藍沢が「俺を見て」と遮断する。

「君を弟のようだと、確かにそう言った。友だとも。あの時、それは確かに本心だったんだ」
「そうです、そのはずです。だから俺、」
「でも……君がいないと寂しかった。一緒にいて欲しかった。あと……君の好意が俺から離れていくのが怖かった」

 藍沢のそれは、咲哉の恋心とは違った。
 しかし、藍沢は咲哉の膝の上にある手を握り締め、まるで誓を立てるかのように、手の甲へ唇を押し当てた。

「君が好きだ」
「嘘です、俺なんかのこと、好きになるわけないです」
「……君が可愛いんだ。ずっと俺の癒しだった。君のその笑顔も、明るい声も、真面目なところも……泣き顔も」

 藍沢の手が、咲哉の手から頬へと移動する。その手はしっとりと濡れた咲哉の頬を包み込み、確かめるように唇の傍を撫でた。
 もう現実から目をそらすことは許されない。咲哉の目をじいと見つめる藍の瞳が、少しずつ近付いてくる。

「頑張り屋で前向きなんだけど、本当は寂しがり屋で愛に飢えている。そういう君だから、俺は愛したいと思ったんだ」

 好きだよ、という声が再び耳を掠める。
 まるで封印を解く呪文だった。咲哉の心の蓋を開き、影のかかった視界に光がさす。
 ぱちくりと大きな瞳を瞬かせた咲哉は、恐る恐る、藍沢の手の上に自分の手を重ねた。その肌の感触を確かめ、一回り小さい自分の手で彼の小指をきゅっと握る。
 その瞬間、忘れ去ろうとした恋心が再び胸の奥に炎を宿した。

「……また、一緒に、手を繋いで歩いてくれますか?」
「あぁ。これからはきっと、それだけじゃ足りないけど」
「っ、じゃあ、抱き締めてくれますか……?」

 藍沢の腕が、そっと咲哉の背中へ回される。布擦れの音が耳をくすぐり、頬には藍沢の短な髪の毛が触る。
 ぞわと全身が震えたのを、咲哉自身も感じ取っていた。
 喜びと、感動と、熱による昂りと、ごちゃ混ぜになったものが涙となって溢れ出す。

「ずっと、好きです……。忘れられるはず、ないじゃないですか……」
「有難う。君を愛すよ、ずっと」

 共に同じ季節を、手を繋いで歩いていく。
 まだ実感のない夢のような日々だ。
 生きていて良かった。二度目の生の実感に胸を震わせながら、咲哉は逞しい藍沢の胸に寄りかかった。


(終)

追加日:2019/01/21
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