黄瀬と美術室の先輩(黒バス)
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8.掴み捕まれ
「何も買ってあげられなくてごめんね」それは口癖のような母の言葉。
幼いながらに貧しいからだと知っていた咲哉は、入学式で配られた記念の鉛筆と、84点と書かれたテストを掲げて笑ってみせた。
「大丈夫だよ!これがあれば、何だってできるんだから!」
子供なりの気遣いだ。しかし、それで親を騙すことはできなかった。変わらず申し訳なさそうにする両親への証明は、それを事実にすることでしか叶わなかった。
鉛筆と紙を手に、咲哉は目につくものをなんでも描いた。カメラなんて必要ないよと自分の体を描き始めたのもその頃からだ。
日々、鏡の前で自分の体を描き、どれだけ変わったかを両親へ報告する。それが日課になり、気付けば咲哉の画力は同年代のそれを遥かに超えていた。
変化のない自分の体に飽きた頃の中学校入学。
咲哉は迷わず美術部に入部し、そしてすぐに現実を思い知った。
「えぇ、やだ、咲哉くん、人の体描きたいの?それってなんか…」
「裸でしょ…?咲哉くんってそういうのしたいんだ…」
「次の課題は果物のデッサン。咲哉くんもやるんだよ。好きなものだけ描いてたって、上手くならないからね」
人の裸体を描く事を良しとする人はいなかったし、先生は「好きなものだけ描くなんて駄目だ」と咲哉を叱咤した。
咲哉はすぐに美術部を辞め、ひっそりとクラスの筋肉自慢を目に焼き付けた。
それを家に持って帰り、スケッチブックへと描き殴る。それを続け、完成した傑作は、咲哉の妄想の産物でしかなかった。
何故かそれを、いけないことのように感じていた。
このモデルのない絵が、この体が、咲哉の欲しているものだと暴かれるみたいで息苦しかったのだ。
「…鈴木くん、まだ黄瀬涼太懲りてないの?」
ぼんやりと窓の外を眺めていた咲哉は、追想をやめて声の方に目を向けた。
「手を出したらやばいと思うよ。ファンなんて、この前描いてた野球部キャッチャーの比じゃないんだから」
「いやいくら言っても無理だって。コイツ、黄瀬涼太の体に相当惚れ込んでっから」
なんかやらしい、とどこかで声がする。すると連鎖的に笑い声が増え、咲哉は不服そうに眉を寄せた。
斜め前の席に脚を開いて座っているのは、去年から続けて同じクラスになった佐藤。彼は、咲哉の趣味にいち早く気付き、そして咲哉へアドバイスをした男だ。
「男の体?それなら、俺の知り合いに声かけてみよっか?中学からラグビーやってんの」体鍛えてる奴って見せたがるじゃん、と。
その偏見は少なからず事実だったらしく、屈強な肉体を持ったラグビー部員は躊躇わず服を脱いだ。
「でも裸見てっからってエロい気分にはなんないんだって。な、咲哉」
「…誤解がありそうだから言うけど、俺は上裸にしかしてないし、男しか描いてないから」
「その黄瀬涼太の上裸にときめいてたじゃん、今年の春に」
咲哉はそれが入学式の数日後にあったやりとりを指しているのだと気付いた。
「モデルの黄瀬涼太がいる!」と周りが騒々しかった朝。覗き込んだ新入生の集団にそいつはいた。ブレザーの上からでも分かる、彼はきっと「近い」。
女子生徒が持っていた雑誌には、甘やかなシチュエーション…髪をしっとりと濡らし、上裸にタオルを巻き付けただけの黄瀬涼太が、美しい女優と朝を迎えた様が載っていた。
男子高校生に何をさせているんだ、という道徳的な感情はすぐに消えた。彼の体は、成熟な男性のものに他ならなかったからだ。
「目ぇキラッキラさせて、黄瀬涼太を描きたいって言った瞬間、感動したもん俺。あ、これが恋に落ちる瞬間かーって」
「鈴木くん、気を付けなよ?黄瀬くんのファンは1年にも3年にも多いから…」
咲哉は小さく肩を竦め、再び窓の方へ視線を逸らした。
何だかんだ、この佐藤には助けられている。クラスメイトが咲哉を理解してくれているのは、彼が勝手に人の事を話すからなのだ。
「美術部に入んないのは裸体描けないからだって」「別にゲイではないってよ」「コイツ話すと面白いよ」自分の口から話す気はないが、話さなければ誤解されて距離を置かれていただろう。
「そうだ!ねぇ鈴木くん、黄瀬くん描いてるところ、公開したらいいんじゃない?黄瀬くんの裸見放題となれば、ファンの子達も喜ぶかも!」
「お前が見たいだけだろ、それ」
「そりゃ見たいでしょ!あの黄瀬涼太の筋肉拝み放題!」
女子生徒の興奮気味の声に、男子生徒の嘆きのため息が重なる。
「ね、ね、どうかな?」
期待の眼差しを受けながら、咲哉は少しだけ想像した。
女子生徒が集まれば、きっと騒がしくなる。黄瀬涼太は女子生徒に愛想を振りまくだろう。わざわざ咲哉の相手なんてしなくなるはずだ。
「…いや、それは困る。きっと、集中できなくなるから」
がっかりと肩を落とす女子生徒から目を逸らし、咲哉はあれ?と頭を捻った。
自分は黄瀬涼太に相手をしてもらいたかったのか?
彼はただのモデルだ。彼が言うように友人になれるとは思っていない、話し相手なんて求めているわけじゃないのに。
「…噂をすれば、黄瀬涼太が来たぞ」
佐藤がそう呟くと、咲哉はパッと顔を上げた。
黄瀬は教室の外から、ソワソワと落ち着かない様子でこちらを覗き込んでいた。
そんな彼に佐藤が「咲哉だろ?」と笑いかけると、黄瀬はこくこくと首を振って咲哉に目を向けた。
「本当に来たのか…」
「昼も迎えに行くから待ってて!」と黄瀬が言ったのは、朝の昇降口。汗で首元を濡らしながら、咲哉に「おお、おはようございます!」と何故か上ずった挨拶をした。
思い出した咲哉の口元が緩む。それをキュッと結び、腰を上げてコンビニの袋をもった。
「どこに行くんだ?」
「んーっと、どこがいっスか?やっぱ美術室?」
「いや…お前の好きなところがいい」
自然とそう口に出すと、黄瀬は驚いた様子で目を開いた。しかしすぐに花が咲き誇るようにフワッと微笑み、咲哉を先導して歩き出す。
黄瀬の足は向かう先を決めたらしく、迷いなく階段を上り始めた。
らしくない事を言った気がする…と咲哉はまた自分の思考に驚きながら、黄瀬の後ろを続く。
「その…昼まで、何もなかったっスか?アンタは平気って言うけど、やっぱ心配で…」
「大丈夫だって言ってるだろ。何回言えば納得するんだ」
黄瀬が気にするのは、イジメの現状だ。加害者として噂されている手前、黄瀬も気が気でないのだろう。
何度目かのやり取りをしながら階段を上りきり、黄瀬が振り返る。
「ここっスよ!」
咲哉の知らない扉が目の前に現れる。
黄瀬はその重そうな扉に手をかけると、軽く体重をかけて押し開いた。
「あー…風強かったっスね、でもおかげで貸切状態ー」
彼の口振りから、普段はもう少し活気溢れているのだと予想させる、校内で一番空に近い場所。
咲哉は初めて来た屋上からの景色に目を開き、柵の方に駆け寄った。
風でがさがさと手に持った袋が揺れるが、特に支障はない。それこそ人が多いより余程良い。
「へへ、なんかアンタの表情、少し分かりやすくなったっスね。ここ座って食べよ?」
「…、変だったか?悪かったな」
「なんでそうなるんスか!いいなって言ってるんスよ」
どかとその場に胡坐をかいた黄瀬に習い、咲哉もそこに胡坐をかく。
柵に近いそこは、校庭を一望できた。既に昼を食べ終わったのか、快活な男子高校生たちが遊んでいる。
「…こういうの、新鮮だ。たぶんお前と関わらなかったら経験しなかったと思う」
「へ?なんスか、随分大げさ…。っつか、なんで、そういうこと言うんスか…マジで…」
黄瀬はパンを食べていた手をピタと止めた。
咲哉を見下ろし、落ち着かない様子で体を揺らす。
「いや、まだ…オレはまだアンタのことそういう風には見てないっスからね!」
「は?はぁ…」
慌てた様子で声を上げる黄瀬に、咲哉は首を傾げてからビニールを開いた。
コンビニで買ったおにぎりを出し、口に咥える。よく買うおにぎりだ。それが、いつもより少し美味しく感じ、咲哉はふっと笑みを零した。
「…、アンタって…実はイケメンっスよね…。アンタに描かれたいってやつ、結構いるんじゃないスか?」
「お前に言われると腹立つな」
「いやいや、マジで。オレはアンタに描かれて嬉しいし」
黄瀬が何気なく言うと、咲哉の緩んでいた表情がかたまった。
ゆっくりと顔を黄瀬の方へと向け、ぱちぱちと目を瞬かせる。
その瞬間、咲哉の緩んだ手からビニール袋が離れた。
「あっ…」
ふわっと舞い上がったビニール袋に、咲哉が咄嗟に手を伸ばす。
自分でも気付いていなかったのだが、慣れない胡座に咲哉の足はすっかり痺れていたらしい。
立ち上がる瞬間がくんと足首が曲がり、膝から崩れ落ちる。
「咲哉さん…っうわぁ!?」
黄瀬が慌てて腕を伸ばしたが、唐突のことにバランスを崩し、諸共倒れてしまった。
背中を打った黄瀬が「イテッ」と声を上げ、咲哉は黄瀬の胸に顔をぶつける。
「うぅ、すませんっス…支えらんなくって…」
「いや…助かった。悪い…」
気恥しさを感じながら、咲哉はゆっくりと体を起こした。
捻った足はズキズキと痛むが、それ以外は無事だ。むしろ黄瀬涼太の方が…と咲哉は慌てて黄瀬の上を降りようとした。
それを止めたのは、咲哉の腰を掴んだ黄瀬の手だった。
「黄瀬涼太?」
「あ…、咲哉さん、オレ…」
驚き目を見開いた咲哉の下には、同じように目を丸くした黄瀬が咲哉を見上げている。
しかし黄瀬は確かめるようにもう一度、咲哉の硬い腰を撫でた。
こそばゆさに咲哉が腰を捻り、黄瀬の喉が上下に動く。
「っ、な、何だよ、くすぐったいな…」
「や、なんか無意識に…!び、ビニール、捕まえられた、っスか…!?」
咲哉が顔をしかめると、黄瀬は跳ねるように体を起こした。肩を押されて退かされた咲哉は、益々訝しげに眉を寄せる。
その咲哉の手には、捕まえたビニール袋。
「よ、良かった…。あ、今の!変な意味はないっスからね!」
「…はぁ」
取り繕って座り直した黄瀬を横目に、咲哉は自身の腰をさすった。
大きな手だった。それに、やけに熱かった。
咲哉は黄瀬の隣に座り直し、ズキと痛んだ足のことも忘れて、ビニール袋を意味もなく見つめていた。
(第八話 終)
追加日:2018/11/04
「何も買ってあげられなくてごめんね」それは口癖のような母の言葉。
幼いながらに貧しいからだと知っていた咲哉は、入学式で配られた記念の鉛筆と、84点と書かれたテストを掲げて笑ってみせた。
「大丈夫だよ!これがあれば、何だってできるんだから!」
子供なりの気遣いだ。しかし、それで親を騙すことはできなかった。変わらず申し訳なさそうにする両親への証明は、それを事実にすることでしか叶わなかった。
鉛筆と紙を手に、咲哉は目につくものをなんでも描いた。カメラなんて必要ないよと自分の体を描き始めたのもその頃からだ。
日々、鏡の前で自分の体を描き、どれだけ変わったかを両親へ報告する。それが日課になり、気付けば咲哉の画力は同年代のそれを遥かに超えていた。
変化のない自分の体に飽きた頃の中学校入学。
咲哉は迷わず美術部に入部し、そしてすぐに現実を思い知った。
「えぇ、やだ、咲哉くん、人の体描きたいの?それってなんか…」
「裸でしょ…?咲哉くんってそういうのしたいんだ…」
「次の課題は果物のデッサン。咲哉くんもやるんだよ。好きなものだけ描いてたって、上手くならないからね」
人の裸体を描く事を良しとする人はいなかったし、先生は「好きなものだけ描くなんて駄目だ」と咲哉を叱咤した。
咲哉はすぐに美術部を辞め、ひっそりとクラスの筋肉自慢を目に焼き付けた。
それを家に持って帰り、スケッチブックへと描き殴る。それを続け、完成した傑作は、咲哉の妄想の産物でしかなかった。
何故かそれを、いけないことのように感じていた。
このモデルのない絵が、この体が、咲哉の欲しているものだと暴かれるみたいで息苦しかったのだ。
「…鈴木くん、まだ黄瀬涼太懲りてないの?」
ぼんやりと窓の外を眺めていた咲哉は、追想をやめて声の方に目を向けた。
「手を出したらやばいと思うよ。ファンなんて、この前描いてた野球部キャッチャーの比じゃないんだから」
「いやいくら言っても無理だって。コイツ、黄瀬涼太の体に相当惚れ込んでっから」
なんかやらしい、とどこかで声がする。すると連鎖的に笑い声が増え、咲哉は不服そうに眉を寄せた。
斜め前の席に脚を開いて座っているのは、去年から続けて同じクラスになった佐藤。彼は、咲哉の趣味にいち早く気付き、そして咲哉へアドバイスをした男だ。
「男の体?それなら、俺の知り合いに声かけてみよっか?中学からラグビーやってんの」体鍛えてる奴って見せたがるじゃん、と。
その偏見は少なからず事実だったらしく、屈強な肉体を持ったラグビー部員は躊躇わず服を脱いだ。
「でも裸見てっからってエロい気分にはなんないんだって。な、咲哉」
「…誤解がありそうだから言うけど、俺は上裸にしかしてないし、男しか描いてないから」
「その黄瀬涼太の上裸にときめいてたじゃん、今年の春に」
咲哉はそれが入学式の数日後にあったやりとりを指しているのだと気付いた。
「モデルの黄瀬涼太がいる!」と周りが騒々しかった朝。覗き込んだ新入生の集団にそいつはいた。ブレザーの上からでも分かる、彼はきっと「近い」。
女子生徒が持っていた雑誌には、甘やかなシチュエーション…髪をしっとりと濡らし、上裸にタオルを巻き付けただけの黄瀬涼太が、美しい女優と朝を迎えた様が載っていた。
男子高校生に何をさせているんだ、という道徳的な感情はすぐに消えた。彼の体は、成熟な男性のものに他ならなかったからだ。
「目ぇキラッキラさせて、黄瀬涼太を描きたいって言った瞬間、感動したもん俺。あ、これが恋に落ちる瞬間かーって」
「鈴木くん、気を付けなよ?黄瀬くんのファンは1年にも3年にも多いから…」
咲哉は小さく肩を竦め、再び窓の方へ視線を逸らした。
何だかんだ、この佐藤には助けられている。クラスメイトが咲哉を理解してくれているのは、彼が勝手に人の事を話すからなのだ。
「美術部に入んないのは裸体描けないからだって」「別にゲイではないってよ」「コイツ話すと面白いよ」自分の口から話す気はないが、話さなければ誤解されて距離を置かれていただろう。
「そうだ!ねぇ鈴木くん、黄瀬くん描いてるところ、公開したらいいんじゃない?黄瀬くんの裸見放題となれば、ファンの子達も喜ぶかも!」
「お前が見たいだけだろ、それ」
「そりゃ見たいでしょ!あの黄瀬涼太の筋肉拝み放題!」
女子生徒の興奮気味の声に、男子生徒の嘆きのため息が重なる。
「ね、ね、どうかな?」
期待の眼差しを受けながら、咲哉は少しだけ想像した。
女子生徒が集まれば、きっと騒がしくなる。黄瀬涼太は女子生徒に愛想を振りまくだろう。わざわざ咲哉の相手なんてしなくなるはずだ。
「…いや、それは困る。きっと、集中できなくなるから」
がっかりと肩を落とす女子生徒から目を逸らし、咲哉はあれ?と頭を捻った。
自分は黄瀬涼太に相手をしてもらいたかったのか?
彼はただのモデルだ。彼が言うように友人になれるとは思っていない、話し相手なんて求めているわけじゃないのに。
「…噂をすれば、黄瀬涼太が来たぞ」
佐藤がそう呟くと、咲哉はパッと顔を上げた。
黄瀬は教室の外から、ソワソワと落ち着かない様子でこちらを覗き込んでいた。
そんな彼に佐藤が「咲哉だろ?」と笑いかけると、黄瀬はこくこくと首を振って咲哉に目を向けた。
「本当に来たのか…」
「昼も迎えに行くから待ってて!」と黄瀬が言ったのは、朝の昇降口。汗で首元を濡らしながら、咲哉に「おお、おはようございます!」と何故か上ずった挨拶をした。
思い出した咲哉の口元が緩む。それをキュッと結び、腰を上げてコンビニの袋をもった。
「どこに行くんだ?」
「んーっと、どこがいっスか?やっぱ美術室?」
「いや…お前の好きなところがいい」
自然とそう口に出すと、黄瀬は驚いた様子で目を開いた。しかしすぐに花が咲き誇るようにフワッと微笑み、咲哉を先導して歩き出す。
黄瀬の足は向かう先を決めたらしく、迷いなく階段を上り始めた。
らしくない事を言った気がする…と咲哉はまた自分の思考に驚きながら、黄瀬の後ろを続く。
「その…昼まで、何もなかったっスか?アンタは平気って言うけど、やっぱ心配で…」
「大丈夫だって言ってるだろ。何回言えば納得するんだ」
黄瀬が気にするのは、イジメの現状だ。加害者として噂されている手前、黄瀬も気が気でないのだろう。
何度目かのやり取りをしながら階段を上りきり、黄瀬が振り返る。
「ここっスよ!」
咲哉の知らない扉が目の前に現れる。
黄瀬はその重そうな扉に手をかけると、軽く体重をかけて押し開いた。
「あー…風強かったっスね、でもおかげで貸切状態ー」
彼の口振りから、普段はもう少し活気溢れているのだと予想させる、校内で一番空に近い場所。
咲哉は初めて来た屋上からの景色に目を開き、柵の方に駆け寄った。
風でがさがさと手に持った袋が揺れるが、特に支障はない。それこそ人が多いより余程良い。
「へへ、なんかアンタの表情、少し分かりやすくなったっスね。ここ座って食べよ?」
「…、変だったか?悪かったな」
「なんでそうなるんスか!いいなって言ってるんスよ」
どかとその場に胡坐をかいた黄瀬に習い、咲哉もそこに胡坐をかく。
柵に近いそこは、校庭を一望できた。既に昼を食べ終わったのか、快活な男子高校生たちが遊んでいる。
「…こういうの、新鮮だ。たぶんお前と関わらなかったら経験しなかったと思う」
「へ?なんスか、随分大げさ…。っつか、なんで、そういうこと言うんスか…マジで…」
黄瀬はパンを食べていた手をピタと止めた。
咲哉を見下ろし、落ち着かない様子で体を揺らす。
「いや、まだ…オレはまだアンタのことそういう風には見てないっスからね!」
「は?はぁ…」
慌てた様子で声を上げる黄瀬に、咲哉は首を傾げてからビニールを開いた。
コンビニで買ったおにぎりを出し、口に咥える。よく買うおにぎりだ。それが、いつもより少し美味しく感じ、咲哉はふっと笑みを零した。
「…、アンタって…実はイケメンっスよね…。アンタに描かれたいってやつ、結構いるんじゃないスか?」
「お前に言われると腹立つな」
「いやいや、マジで。オレはアンタに描かれて嬉しいし」
黄瀬が何気なく言うと、咲哉の緩んでいた表情がかたまった。
ゆっくりと顔を黄瀬の方へと向け、ぱちぱちと目を瞬かせる。
その瞬間、咲哉の緩んだ手からビニール袋が離れた。
「あっ…」
ふわっと舞い上がったビニール袋に、咲哉が咄嗟に手を伸ばす。
自分でも気付いていなかったのだが、慣れない胡座に咲哉の足はすっかり痺れていたらしい。
立ち上がる瞬間がくんと足首が曲がり、膝から崩れ落ちる。
「咲哉さん…っうわぁ!?」
黄瀬が慌てて腕を伸ばしたが、唐突のことにバランスを崩し、諸共倒れてしまった。
背中を打った黄瀬が「イテッ」と声を上げ、咲哉は黄瀬の胸に顔をぶつける。
「うぅ、すませんっス…支えらんなくって…」
「いや…助かった。悪い…」
気恥しさを感じながら、咲哉はゆっくりと体を起こした。
捻った足はズキズキと痛むが、それ以外は無事だ。むしろ黄瀬涼太の方が…と咲哉は慌てて黄瀬の上を降りようとした。
それを止めたのは、咲哉の腰を掴んだ黄瀬の手だった。
「黄瀬涼太?」
「あ…、咲哉さん、オレ…」
驚き目を見開いた咲哉の下には、同じように目を丸くした黄瀬が咲哉を見上げている。
しかし黄瀬は確かめるようにもう一度、咲哉の硬い腰を撫でた。
こそばゆさに咲哉が腰を捻り、黄瀬の喉が上下に動く。
「っ、な、何だよ、くすぐったいな…」
「や、なんか無意識に…!び、ビニール、捕まえられた、っスか…!?」
咲哉が顔をしかめると、黄瀬は跳ねるように体を起こした。肩を押されて退かされた咲哉は、益々訝しげに眉を寄せる。
その咲哉の手には、捕まえたビニール袋。
「よ、良かった…。あ、今の!変な意味はないっスからね!」
「…はぁ」
取り繕って座り直した黄瀬を横目に、咲哉は自身の腰をさすった。
大きな手だった。それに、やけに熱かった。
咲哉は黄瀬の隣に座り直し、ズキと痛んだ足のことも忘れて、ビニール袋を意味もなく見つめていた。
(第八話 終)
追加日:2018/11/04