黄瀬と美術室の先輩(黒バス)
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2.1時間の契約
昇降口、自分の学生番号の書かれたロッカー。
咲哉は慣れた調子で一歩後ろに下がってから、取っ手に指を引っ掻けた。
がこんと開く音と同時に、ばさばさとノートの切れ端が落ちていく。
「…はぁ」
予想通りの光景だ。
もはや朝の日課と化したゴミ拾いを済ませると、咲哉は何か書かれたそれに目を通すことなくグシャと丸めた。
「また嫌がらせか?」
少し遅れてやってきたクラスメイトは、肩をすくめて笑っている。
がこんと開けられた彼のロッカーは綺麗だ。
「いつもより酷い」
「ファンの女子に目ェつけられたんだろ?諦めたら?」
「いや…今回は譲れない」
はっきりと返した咲哉に、クラスメイトは「だよなー」とへらへら笑いながら歩き出す。
慣れてしまえばこんなものだ。
咲哉は鞄を肩にかけ直し、踵を踏んだままの靴をつま先でとんっと叩きながら歩き出した。
「お前、それ」
その矢先、訝しむように潜められた声が耳を掠め、咲哉はぱっと顔を上げた。
「あぁ、笠松さん。おはようございます」
「…はよ。今聞こえたんだけど、もしかしてそれって」
先輩である笠松が、人差し指を咲哉へと向けている。
指が指し示すのは、十中八九かき集めたゴミ達だ。
「よくあることなんで、気にしないでください」
ぺこと軽く頭を下げて、妙に険しい顔を浮かべた笠松の横を通り過ぎる。
咲哉を見下ろす笠松の目には、握られた紙の束がしっかりと映った。そこに書かれたメッセージの一部も。
「なあ、…黄瀬のせい、だよな」
「関係ないとは言えませんけど。別に笠松さんに心配してもらうようなことではないですよ」
「…誰かに相談していないのか?」
笠松の眉間にシワが寄っている。
自分は大して親しくない後輩だというのに、笠松は心底気にかけてくれているようだった。
その優しさを感じつつ、咲哉は首を横に振る。
「悪いのは俺なので」
「は?」
「俺、教師にも嫌われてるんです。お気遣い有難うございます。お先に失礼します」
きょとと目を丸くした先輩の横を、今度こそ通り過ぎ、教室に向かって歩き出す。
廊下に置いてあるゴミ箱に不要な紙を押し込むと、咲哉はぱんぱんと軽く手を打った。
実際のところ、悪口をしたためたメッセージをもらう以外の被害はない。
むしろ良心的な嫌がらせに感謝すらしている咲哉は、平和な教室へと身を隠した。
・・・
バタンッと乱暴に扱われたロッカーが激しく音を鳴らす。
バスケ部の部室、放課後すぐに集まったメンバーが着替え始める中、黄瀬涼太は苛立った様子でロッカーと睨み合っていた。
「ほんっと、なんなんスかあの人!」
わざとらしく大きな声を上げた黄瀬に、近くにいた森山がかわいそうにと眉を寄せる。
笠松を取り返したは良いが、今度は黄瀬がターゲットになった。
それは、詳しい事情をよく知らないバスケ部員の大半が知るところとなった。
「付き纏われてんだって?」
「そうなんスよ…昼休みにいっつも教室来るし…放課後もHRが遅くなると教室の前に…」
頭を抱え、「あー」だの「いー」だの唸り声を上げる。
黄瀬の調子は数日ずっとこんな感じだ。
「…おい黄瀬」
そして見兼ねた笠松が声をかける。ここまでいつも通り。
しかし、笠松の顔色はいつもと違っていた。
「笠松先輩?どうしたんスか?なんか具合悪そう…」
「理由は聞くな。お前今日は美術室行ってこい」
「……へ?」
その笠松から告げられた言葉に、黄瀬が間の抜けた声を上げる。
二人を見ていた森山も、疑うような目を笠松に向けた。当然だ、美術室には笠松をも手に掛けようとした変態がいる。
「な、な、なななんでっスか!?あそこに誰がいるか分かってないんスか!?」
「分かってねぇのはお前の方なんだよ…!」
「何を!?」
「いいから行って来い!」
有無言わせない勢いで、笠松は黄瀬の背中を強く蹴り飛ばした。
愛ある鞭…と思っていた笠松からの暴力がこんな形で使用されたのは初めてだ。
「アイツと会ってちゃんと話すまで、部活に参加させねぇからな!」
「え、えぇ、ちょっと…」
ピシャッと締められたドアを前に、黄瀬は言葉なく立ち尽くした。
既に「なんで!」と文句を言う相手すら目の前にいない。
「はぁ…なんスかこの状況…」
ほんの少しも納得できない状況ながら、黄瀬はとぼとぼと来た道を戻り始めていた。
あの笠松があそこまで言うのだ、何か事情があるのだろう。
何か脅され逆らえない…なんてことじゃなければ。
何気なく考えてしまった悪い妄想に首を振り、美術室へと向かう階段を上がっていく。
手すりに掴まりながら上がりきった黄瀬は、深く深く嫌気を含んだ溜め息を吐いた。
「こんちはあ!」
一度躊躇えば決意が揺らぐだろうと、黄瀬の手は勢いよく美術室のドアを開け放つ。
馴染みのない画材のニオイに顔をしかめて見渡した室内。
そこに、嫌悪の原因である男の姿は見当たらなかった。
「なんだ、いねぇじゃん。ラッキー」
思わずそう漏らしたが、会わなければ意味が無い事は理解している。
黄瀬は一息吐き、何気なくいつも男が立っている窓際へ近付いた。
教室の机六つ分くらいある大きな机の上、キャンバスに描きかけの絵がある。
「これは…」
芸術だとかセンスだとか、黄瀬にはよく分からない。
しかし、これが確かな腕のある者の絵だとは何となく感じとれた。
人間の体。筋肉質な男の上半身だ。
「…は?お前、ここで何してんの」
「うわ!」
思わず絵に魅入っていた黄瀬は、背後から聞こえた声にびくっと体を揺らした。
慌てて振り返ったそこには、怪訝そうに眉を寄せた咲哉が立っている。
「び、びっくりした…っ、驚かせんなよも~!」
「やっと付き合ってくれる気になったのか?」
「はぁ!?違うっスよ。つかこれ、もしかしなくてもアンタの?」
咲哉の視線がゆっくりと机の上に移った。
表情の色は変えないまま、キャンバスに気付いた咲哉の目が一瞬見開かれる。
「まあ、そうだけど」
「ちゃんと絵描けるんじゃないスか。いっつもここで何してんのかと思ったら」
黄瀬は近くにある棚に置かれた絵にも目を通し、感嘆の息を漏らしつつ眉を寄せた。
どれもこれも裸体。しかも筋肉質で硬そうな。
「…男の裸ばっかなんスけど」
「人間の体が描きたいんだよ」
「はぁ…そういう…?」
あまり理解する気もないせいか、黄瀬の返事は歯切れが悪い。
が、黄瀬の頭の中は次第に整理されていった。
理解する気など無くともこの状況だ、嫌でもヤツの狙いが明らかになる。
「黄瀬涼太、お前の体が描きたい」
「や、やっぱり!」
「今まで見た中でお前は一番綺麗だ。だから、描いてみたい。俺にどこまでお前の体を表現できるのか確かめたいんだ」
「ちょ…」
熱い視線と、熱のこもった声が真っ直ぐ黄瀬に向けられる。
何故だか気恥ずかしく、黄瀬はほんのり熱くなった頬を手で隠した。
「そ、それって…オレ、どうしたらいいんスか?」
「服脱いで、見せてくれればそれでいい」
「…やぁっぱ、ちょっと変態っぽいんスよね…」
下心の有無は分からないが、咲哉という男が専らの芸術家脳ということを疑う気にはならなくなっている。
黄瀬は頭を数回かいてから、心なしか輝いている咲哉の顔を見下ろした。
「…オレ、じっとすんの苦手なんスけど」
「動いてもいい。座って、寝ててもいい」
咲哉は焦るように近くの椅子を持ち上げ、ぽんとそこに置いた。
なんとなくイメージにある、咲哉の立っている場所の正面。窓から差し込む光があたる場所だ。
「ま、まぁ……せっかく来たし、少しくらいならいいっスよ」
「大丈夫。所属する部活動に迷惑を…かけ、すぎないようにしてるから」
「は?え?なんスか?」
「…笠松さんが折れてくれたから、チャンスだと思って…。嫌がらせみたいなことして悪かったな」
黄瀬の中にあった、宇宙人じみた咲哉の像が崩れていく。
椅子に腰かけながら、脱いだ服を机に置いた黄瀬は、まじまじと咲哉を見つめた。
「そういえば笠松先輩とはどういう関係なんスか?なんか、確か前に…変なやり取りしてたような…」
「お前を描いていいか交渉してた時のことか?」
「あ、そう…そんな風には見えなかったけど…」
黄瀬は大きく欠伸をしてから、背もたれに寄りかかった。
寝てても良い、なんて言われたら急に眠くなってきた。たぶん、ここ最近の悩みが一つ解消されたせいだ。
笠松のこととか、この変な男の事とか。
睡魔に逆らう気の無かった黄瀬は、自然と眠りに落ちていた。
・・・
「起きろ、黄瀬涼太」
低すぎない穏やかな声と、肩にかかる重み。
ゆっくりと意識を浮上させた黄瀬の視界には、腰を屈めて覗き込む咲哉の顔があった。
「今日はもういい。また都合が良いとき宜しく頼む」
今までなら飛びのいて叫んでいる距離だ。
黄瀬は「はぁ」と気の抜けた声で返事をしつつ、大きく腕を天井に向けて伸ばした。
本当に寝ているだけだったが、これで良いのだろうか。
そう考えた黄瀬の視界に、咲哉の手に握られた千円札が映りこんだ。
「ん…、え?なんスか、これ」
「1時間3000円。そう決めてる」
ぺら、と言葉の通り3枚顔を覗かせる。
金で雇われた気は無い、というか別に金に困ってねぇし、そもそも何もしてない。
瞬時に巡ったものは黄瀬の頭をカッと熱くさせ、がたんと椅子を倒して立ち上がっていた。
「はあ!?いらねぇっスよこんなん!」
「そういうわけにはいかない。お前には何の得もないことを付き合わせてるのに」
背後で倒れた椅子が大きな音を鳴らす。
差し出された咲哉の手を乱暴に叩くと、咲哉は驚き目を開いた。
心底理解できないって顔だ。
「ああ…言い忘れた。俺は自分がただ好きで絵を描いてる。どこかに出展する気は一切ないんだ」
「そういう問題じゃねぇよ…。アンタいっつもこんなことしてんスか?」
「そうでもしないと、協力してくれる人なんていないだろ」
そうあることが当然であるかのように、あっけらかんと言う。
黄瀬は呆然とその咲哉の様子を見つめ、それから大きく息を吐き出した。
「…はぁ、呆れた。アンタよっぽど変っスよ。どうかしてる」
息と一緒に苛立ちも霧散していく。残ったのは咲哉への同情だ。
黄瀬は自分の服を回収しながら、咲哉の頭をぐしゃと掴んだ。
「金はいらない。でも、一日1時間くらいなら付き合う」
「…それは、俺ばかりが得をする」
「アンタはすげぇの描いてくれんだろ?ついでに、アンタにジョウシキっての教えてあげるっスよ」
咲哉がまた不思議そうに目を丸くさせる。
なんだか滑稽だ。それに、コイツ全然怖くねぇし。
黄瀬は悩みのない身軽な体で、軽やかに体育館へと向かって駆け出した。
(第二話 終)
追加日:2018/01/31
移動前:2017/05/07
昇降口、自分の学生番号の書かれたロッカー。
咲哉は慣れた調子で一歩後ろに下がってから、取っ手に指を引っ掻けた。
がこんと開く音と同時に、ばさばさとノートの切れ端が落ちていく。
「…はぁ」
予想通りの光景だ。
もはや朝の日課と化したゴミ拾いを済ませると、咲哉は何か書かれたそれに目を通すことなくグシャと丸めた。
「また嫌がらせか?」
少し遅れてやってきたクラスメイトは、肩をすくめて笑っている。
がこんと開けられた彼のロッカーは綺麗だ。
「いつもより酷い」
「ファンの女子に目ェつけられたんだろ?諦めたら?」
「いや…今回は譲れない」
はっきりと返した咲哉に、クラスメイトは「だよなー」とへらへら笑いながら歩き出す。
慣れてしまえばこんなものだ。
咲哉は鞄を肩にかけ直し、踵を踏んだままの靴をつま先でとんっと叩きながら歩き出した。
「お前、それ」
その矢先、訝しむように潜められた声が耳を掠め、咲哉はぱっと顔を上げた。
「あぁ、笠松さん。おはようございます」
「…はよ。今聞こえたんだけど、もしかしてそれって」
先輩である笠松が、人差し指を咲哉へと向けている。
指が指し示すのは、十中八九かき集めたゴミ達だ。
「よくあることなんで、気にしないでください」
ぺこと軽く頭を下げて、妙に険しい顔を浮かべた笠松の横を通り過ぎる。
咲哉を見下ろす笠松の目には、握られた紙の束がしっかりと映った。そこに書かれたメッセージの一部も。
「なあ、…黄瀬のせい、だよな」
「関係ないとは言えませんけど。別に笠松さんに心配してもらうようなことではないですよ」
「…誰かに相談していないのか?」
笠松の眉間にシワが寄っている。
自分は大して親しくない後輩だというのに、笠松は心底気にかけてくれているようだった。
その優しさを感じつつ、咲哉は首を横に振る。
「悪いのは俺なので」
「は?」
「俺、教師にも嫌われてるんです。お気遣い有難うございます。お先に失礼します」
きょとと目を丸くした先輩の横を、今度こそ通り過ぎ、教室に向かって歩き出す。
廊下に置いてあるゴミ箱に不要な紙を押し込むと、咲哉はぱんぱんと軽く手を打った。
実際のところ、悪口をしたためたメッセージをもらう以外の被害はない。
むしろ良心的な嫌がらせに感謝すらしている咲哉は、平和な教室へと身を隠した。
・・・
バタンッと乱暴に扱われたロッカーが激しく音を鳴らす。
バスケ部の部室、放課後すぐに集まったメンバーが着替え始める中、黄瀬涼太は苛立った様子でロッカーと睨み合っていた。
「ほんっと、なんなんスかあの人!」
わざとらしく大きな声を上げた黄瀬に、近くにいた森山がかわいそうにと眉を寄せる。
笠松を取り返したは良いが、今度は黄瀬がターゲットになった。
それは、詳しい事情をよく知らないバスケ部員の大半が知るところとなった。
「付き纏われてんだって?」
「そうなんスよ…昼休みにいっつも教室来るし…放課後もHRが遅くなると教室の前に…」
頭を抱え、「あー」だの「いー」だの唸り声を上げる。
黄瀬の調子は数日ずっとこんな感じだ。
「…おい黄瀬」
そして見兼ねた笠松が声をかける。ここまでいつも通り。
しかし、笠松の顔色はいつもと違っていた。
「笠松先輩?どうしたんスか?なんか具合悪そう…」
「理由は聞くな。お前今日は美術室行ってこい」
「……へ?」
その笠松から告げられた言葉に、黄瀬が間の抜けた声を上げる。
二人を見ていた森山も、疑うような目を笠松に向けた。当然だ、美術室には笠松をも手に掛けようとした変態がいる。
「な、な、なななんでっスか!?あそこに誰がいるか分かってないんスか!?」
「分かってねぇのはお前の方なんだよ…!」
「何を!?」
「いいから行って来い!」
有無言わせない勢いで、笠松は黄瀬の背中を強く蹴り飛ばした。
愛ある鞭…と思っていた笠松からの暴力がこんな形で使用されたのは初めてだ。
「アイツと会ってちゃんと話すまで、部活に参加させねぇからな!」
「え、えぇ、ちょっと…」
ピシャッと締められたドアを前に、黄瀬は言葉なく立ち尽くした。
既に「なんで!」と文句を言う相手すら目の前にいない。
「はぁ…なんスかこの状況…」
ほんの少しも納得できない状況ながら、黄瀬はとぼとぼと来た道を戻り始めていた。
あの笠松があそこまで言うのだ、何か事情があるのだろう。
何か脅され逆らえない…なんてことじゃなければ。
何気なく考えてしまった悪い妄想に首を振り、美術室へと向かう階段を上がっていく。
手すりに掴まりながら上がりきった黄瀬は、深く深く嫌気を含んだ溜め息を吐いた。
「こんちはあ!」
一度躊躇えば決意が揺らぐだろうと、黄瀬の手は勢いよく美術室のドアを開け放つ。
馴染みのない画材のニオイに顔をしかめて見渡した室内。
そこに、嫌悪の原因である男の姿は見当たらなかった。
「なんだ、いねぇじゃん。ラッキー」
思わずそう漏らしたが、会わなければ意味が無い事は理解している。
黄瀬は一息吐き、何気なくいつも男が立っている窓際へ近付いた。
教室の机六つ分くらいある大きな机の上、キャンバスに描きかけの絵がある。
「これは…」
芸術だとかセンスだとか、黄瀬にはよく分からない。
しかし、これが確かな腕のある者の絵だとは何となく感じとれた。
人間の体。筋肉質な男の上半身だ。
「…は?お前、ここで何してんの」
「うわ!」
思わず絵に魅入っていた黄瀬は、背後から聞こえた声にびくっと体を揺らした。
慌てて振り返ったそこには、怪訝そうに眉を寄せた咲哉が立っている。
「び、びっくりした…っ、驚かせんなよも~!」
「やっと付き合ってくれる気になったのか?」
「はぁ!?違うっスよ。つかこれ、もしかしなくてもアンタの?」
咲哉の視線がゆっくりと机の上に移った。
表情の色は変えないまま、キャンバスに気付いた咲哉の目が一瞬見開かれる。
「まあ、そうだけど」
「ちゃんと絵描けるんじゃないスか。いっつもここで何してんのかと思ったら」
黄瀬は近くにある棚に置かれた絵にも目を通し、感嘆の息を漏らしつつ眉を寄せた。
どれもこれも裸体。しかも筋肉質で硬そうな。
「…男の裸ばっかなんスけど」
「人間の体が描きたいんだよ」
「はぁ…そういう…?」
あまり理解する気もないせいか、黄瀬の返事は歯切れが悪い。
が、黄瀬の頭の中は次第に整理されていった。
理解する気など無くともこの状況だ、嫌でもヤツの狙いが明らかになる。
「黄瀬涼太、お前の体が描きたい」
「や、やっぱり!」
「今まで見た中でお前は一番綺麗だ。だから、描いてみたい。俺にどこまでお前の体を表現できるのか確かめたいんだ」
「ちょ…」
熱い視線と、熱のこもった声が真っ直ぐ黄瀬に向けられる。
何故だか気恥ずかしく、黄瀬はほんのり熱くなった頬を手で隠した。
「そ、それって…オレ、どうしたらいいんスか?」
「服脱いで、見せてくれればそれでいい」
「…やぁっぱ、ちょっと変態っぽいんスよね…」
下心の有無は分からないが、咲哉という男が専らの芸術家脳ということを疑う気にはならなくなっている。
黄瀬は頭を数回かいてから、心なしか輝いている咲哉の顔を見下ろした。
「…オレ、じっとすんの苦手なんスけど」
「動いてもいい。座って、寝ててもいい」
咲哉は焦るように近くの椅子を持ち上げ、ぽんとそこに置いた。
なんとなくイメージにある、咲哉の立っている場所の正面。窓から差し込む光があたる場所だ。
「ま、まぁ……せっかく来たし、少しくらいならいいっスよ」
「大丈夫。所属する部活動に迷惑を…かけ、すぎないようにしてるから」
「は?え?なんスか?」
「…笠松さんが折れてくれたから、チャンスだと思って…。嫌がらせみたいなことして悪かったな」
黄瀬の中にあった、宇宙人じみた咲哉の像が崩れていく。
椅子に腰かけながら、脱いだ服を机に置いた黄瀬は、まじまじと咲哉を見つめた。
「そういえば笠松先輩とはどういう関係なんスか?なんか、確か前に…変なやり取りしてたような…」
「お前を描いていいか交渉してた時のことか?」
「あ、そう…そんな風には見えなかったけど…」
黄瀬は大きく欠伸をしてから、背もたれに寄りかかった。
寝てても良い、なんて言われたら急に眠くなってきた。たぶん、ここ最近の悩みが一つ解消されたせいだ。
笠松のこととか、この変な男の事とか。
睡魔に逆らう気の無かった黄瀬は、自然と眠りに落ちていた。
・・・
「起きろ、黄瀬涼太」
低すぎない穏やかな声と、肩にかかる重み。
ゆっくりと意識を浮上させた黄瀬の視界には、腰を屈めて覗き込む咲哉の顔があった。
「今日はもういい。また都合が良いとき宜しく頼む」
今までなら飛びのいて叫んでいる距離だ。
黄瀬は「はぁ」と気の抜けた声で返事をしつつ、大きく腕を天井に向けて伸ばした。
本当に寝ているだけだったが、これで良いのだろうか。
そう考えた黄瀬の視界に、咲哉の手に握られた千円札が映りこんだ。
「ん…、え?なんスか、これ」
「1時間3000円。そう決めてる」
ぺら、と言葉の通り3枚顔を覗かせる。
金で雇われた気は無い、というか別に金に困ってねぇし、そもそも何もしてない。
瞬時に巡ったものは黄瀬の頭をカッと熱くさせ、がたんと椅子を倒して立ち上がっていた。
「はあ!?いらねぇっスよこんなん!」
「そういうわけにはいかない。お前には何の得もないことを付き合わせてるのに」
背後で倒れた椅子が大きな音を鳴らす。
差し出された咲哉の手を乱暴に叩くと、咲哉は驚き目を開いた。
心底理解できないって顔だ。
「ああ…言い忘れた。俺は自分がただ好きで絵を描いてる。どこかに出展する気は一切ないんだ」
「そういう問題じゃねぇよ…。アンタいっつもこんなことしてんスか?」
「そうでもしないと、協力してくれる人なんていないだろ」
そうあることが当然であるかのように、あっけらかんと言う。
黄瀬は呆然とその咲哉の様子を見つめ、それから大きく息を吐き出した。
「…はぁ、呆れた。アンタよっぽど変っスよ。どうかしてる」
息と一緒に苛立ちも霧散していく。残ったのは咲哉への同情だ。
黄瀬は自分の服を回収しながら、咲哉の頭をぐしゃと掴んだ。
「金はいらない。でも、一日1時間くらいなら付き合う」
「…それは、俺ばかりが得をする」
「アンタはすげぇの描いてくれんだろ?ついでに、アンタにジョウシキっての教えてあげるっスよ」
咲哉がまた不思議そうに目を丸くさせる。
なんだか滑稽だ。それに、コイツ全然怖くねぇし。
黄瀬は悩みのない身軽な体で、軽やかに体育館へと向かって駆け出した。
(第二話 終)
追加日:2018/01/31
移動前:2017/05/07