黄瀬と美術室の先輩(黒バス)

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10.きっと二人は


 何となく朝から落ち着かず、気付けば放課後。
 最初こそ時間を犠牲にしていると思っていたモデルは、部活前のストレッチのように生活の一部と化していた。
 それも今日で最後、そう意気込んでいた黄瀬に対し、咲哉はいつも通りに配置についた。

「今日、最後になるんスよね」

 そう分かり切った事を黄瀬が問いかけると、やはり咲哉は淡々と筆を進めながら「そうだな」と軽く返す。
 咲哉は昨日、この時間を早々切り上げた。「もう終わる」それをわざわざ先延ばしにした理由を、黄瀬は昨晩から少しだけ勘ぐっていた。
 何か言いたい事があるのではないか、と。
 
 しかしその時は来ないまま時間が経ち、ついに咲哉が鉛筆を机におろし、自身の絵から一歩下がってそれを眺めた。
 それは、分かりやすい終わりの合図だ。
 
「うん。これで終わり、十分だ。今まで有難う、助かった」
「いやいやそんな。オレの方が楽しんでたっつか……な、なんなら、またモデルやってもいいっスよ?」
「は? いや、別にいい」

 確か、最後の会話はそんなもんだった。
 あまりにアッサリとした終幕に、黄瀬も思わず「そっスか」と受け入れていた。
 
 それからあっという間に一週間と二日。咲哉とはそれきり一度も会っていない。
 黄瀬は何となくもどかしい思いを捨てられないまま、ぼんやりと遠くを眺めていた。

「……会いに行ったらいいんじゃないか、別に」

 唐突に耳に入ってきた声に、黄瀬はハッと突っ伏していた顔を上げた。
 額をほんのりと赤くした黄瀬は、キョロキョロと四方に目を泳がせる。
 1年の教室、自分の机。そして、黄瀬を見下ろしている森山。その先輩は、やれやれと自身の頭をかきながら口を開いた。

「お前が悩んでるみたいだから見て来いってな、笠松からの司令だ」
「はぁ……ご苦労さまっス」

 呆けている黄瀬に、森山は「あのなぁ」と困ったように笑う。
 教室の時計が指し示すのは昼休みから15分程度過ぎた時間。その間、というよりその前の授業から記憶のない黄瀬は、ごしごしと手で目を擦った。
 頭がスッキリしない。それは確かに、ここ最近の黄瀬の悩みだ。

「連絡先、知らないわけじゃないんだろ? 美術室の奴、気になるなら連絡取ればいいじゃないか」

 森山が言ったのは、聞いてもいない黄瀬の悩みへの助言だ。
 黄瀬は一瞬ぱちくりと目を開き、すぐにムッと唇を尖らせた。
 
「そりゃそうっスけど、きっぱりさっぱり用済みなんスよ。話すことだって特にないし……」
「ヤツのことだが、活動をやめているらしいぞ」

 黄瀬が美術室の奴……つまり咲哉と親密な関係であったことは、バスケ部の連中ならば大体知っている。
 とはいえ、変わり者である咲哉自身のことをよく知る者は少ない。
 黄瀬は自分すら知らないことを突きつけられ「えっ」と驚きを零した。 

「というか、モデルを探さなくなったらしい」
「え、それ、なんでっスか」
「さあな。自分で聞けばいいじゃないか。大男が拗ねてたって可愛くないぞ」

 黄瀬は確かにと納得しながら、何故か「でも」と口走った。
 でもー……その先に繋げたかった言葉は、随分とお粗末な文句だ。
 でも、もう関係は終わったのだ。咲哉が必要ないと言ったのだ。その一言に少しだけ傷付いたのだ。

「……なんというか、あれだな。まるで元カノのそれだな」
「へ?」
「お前だよ。美術室の奴とは別にそういう関係にはなってなかっただろ? ……は、まさか振られたのか」

 思わずぶんっと首を横に振る。
 別に距離を置く必要は無いのだ。ないんだよな、と黄瀬は自問しながら、再びあの日を思い出す。

「そ、そうっスよね、そうなんスけど……でもだって、好きだったら一緒にいたいっスよね? オレ、それ断られてん……えっ、ふ、振られてたんスか、オレ」
「い、いや、本人に聞けって」

 それだけ言って「じゃ」とそそくさ立ち去った森山を見送り、黄瀬もすぐさま立ち上がった。

(やめたって何だ? んん~~やっぱ聞きに行くしかねぇ!)

 よしっと腰の横で拳を作ると、黄瀬は小走りで教室を飛び出した。
 気分は全力疾走だが、教師に呼び止められないよう、長い足を駆使しての小走りだ。

 階段を上がり、廊下の突き当たり。
 手をかけたドアは、かららと小さく音を立てる。
 黄瀬はなぜか吐息で「失礼します」と言葉にしてから美術室へ踏み込んだ。

「あれ、いない……?」

  人の気配はないが、本来、昼休みなら施錠されているはずの部屋。開いているということは、利用者がいるはずなのだ。そして利用者は、恐らくただ一人。 

 四人がけの机の群れを超えて、“いつもの”窓際へと足を運ぶ。
 鍵が開いている時点で察してはいたが、作業中だったようで、咲哉の画材が机の上に広がっていた。

「描きかけ……ってことは、やっぱ来てんだ」
 
 スケッチブックに描きかけの裸体は、程よく筋肉のついた女性が好みそうなそれだ。
 一体誰の体だろう。何気なく疑問を抱きながら、ぱらぱらとページを捲った黄瀬は「ん?」と首を捻った。

「……なんか、似たようなのが、いっぱい……?」

 一枚、二枚、ページを遡れど、そこに描かれた体は、同じ人物を描いたのかと疑うほどに似ている。
 咲哉の体でないのは確かだ。彼の上半身なら知っている。
 なら、この絵のモデルは一体。
 絵を見下ろして呆然としていた黄瀬は、そのスケッチブックを奪い取られて、ようやく意識を現実に戻した。

「何勝手に見てるんだ」
「あっ、咲哉さん……!」

 足音なく忍び寄っていたらしい咲哉がスケッチブックを胸に抱いている。
 黄瀬は思わずゴクリと唾を呑み、自分とは対照的に艶のある黒髪を見下ろした。

「ひ、久しぶりっス」
「別に、久しぶりってほどじゃないだろ」

 咲哉は黄瀬から視線を外し、スケッチブックを閉じた。
 あまり感情の乗らない声と、一聴には棘のある話し方。そこに変化はないが、黄瀬は妙な胸騒ぎを憶えて、咲哉を目で追った。
 目が合わない。あの吸い込まれるような黒い瞳が、黄瀬をとらえようとしないのだ。

「それ、最近描いたやつっスよね? さっきまでも描いてたんスか?」
「だったらなんだ」
「あの、今、誰を描いてるんスか……?」

 反射的に口をついた問いに、咲哉の腕がぴくと揺れた。
 悪くなかったはずの会話のテンポが、錆び付いた歯車のように遅くなる。

「い、いや、名前が知りたいとかじゃなくって……咲哉さんにとって、どんな人かっつか、めっちゃ描いてるから気になっただけなんスけど……や、言いたくなければいいんスけど!」

 空気感に耐えきれず矢継ぎ早に言い切った黄瀬は、意味もなく大げさに動かしていた手を下ろした。
 それでも尚、咲哉からの返答はない。
 まるで下手なドッチボールだ。投げたボールは相手に当たること無く空を切っている。

「……、え、えっと……咲哉さん……?」

 せめて目が合えば、何を考えているか分かるのに。
 自然と腰を屈めて咲哉の顔を覗き込む。その黄瀬の動きを視界のすみにとらえたのか、咲哉はふいっと顔を逸らした。

「な、なんで!? え、ちょっと、なんでこっち見てくんないんスか!?」
「見られたくないからに決まってるだろ」
「だ、だから、それがなんで!」

 黄瀬が机の横を回ると、咲哉もまた距離を保って机を回る。
 それを数回繰り返したところで、黄瀬は我慢できずに「もー!」と声を上げた。

「分かったっスよ! そのモデルに惚れてんだろ!」

 根拠は一つ、その体を咲哉が繰り返し描いているということだけ。
 黄瀬がモデルを終えてから、その人だけを繰り返し何回も……と、黄瀬は自身のその根拠に違和感を憶えた。
 短い期間とその回数。まず一回描くのにかかる時間がおかしい。
 そもそも描き込み方とか、線の丁寧さとか、全然違った気がする。

「……この、スケッチブックの絵に、モデルはいない」
「えっ」
「お前が見たのは、俺が、ただ、好きなように描いただけの……俺の、妄想だ」

 黄瀬はあんぐりと口を開けたまま、微かに震えている声と、その声が紡ぐ言葉を噛み砕こうとした。
 つまりは、どういうことだ。

「俺はずっと、頭の中にしかない理想の体に惚れてたんだ」
「えっと……男の体がスキってこと……?」
「はは、まあそれはそれで一つ正解かもな。自分の理想を現実にしたかったんだけど……現実は理想より遥かに良くて、困ってたんだ」

 咲哉が顔を上げる。
 言葉通りに眉の下がった顔は、仄かに赤を宿している。

「だからもう一回、妄想の中に戻ろうとしてた。それを欲していることを自認して、それが妄想よりやばいことだって気付いたんだよ」
「も、もーちょっと噛み砕いてから言葉にして! 意味わかんないっス!」
「分かんなくていい。お前はもう来んな」

 迷いない拒絶の言葉が、黄瀬の胸に突き刺さる。
 しかし、黄瀬は意外にも冷静に、咲哉の真意を探ろうと、彼の言葉を再び手繰り寄せた。

「……理想より遥かに良かったって、オレのこと? じゃあ、オレを描けばいいじゃないスか」
「なんで描かせたいんだよ」
「だってさっきから……っ、アンタの目に、オレが映んないのが嫌なんスよ……!」

 黄瀬は自身のシャツのボタンを外し、脱いだそれを咲哉の方に放り投げた。
 それを慌ててキャッチした咲哉に、続いてインナーを放り投げる。
 咲哉の頭にぱさっと乗ったインナーが咲哉の視界を覆い隠すと、黄瀬は一気に距離を縮めた。

「妄想なんて、する必要ねーじゃん。オレがいんだし」

 ずり、と黒い服が咲哉の上から落ちる。
 咲哉は視界に広がる肌色に気付くと、分かりやすく顔を背けた。

「なんで顔逸らすんスか! 今までずっと見てきたのに……!」
「言わなきゃ分かんないのか」

 馬鹿にするように吐き出した咲哉の目が、ようやく黄瀬をとらえる。
 鋭い目付きと、力強く深い黒。
 それが黄瀬の胸の奥をわし掴むと同時に、咲哉の手がその胸の中心に重なった。

「お前の体に勃起しそうだってことだよ」

 一切の掠れもない、聞き心地の良い声。
 すっと耳に入った言葉に、黄瀬はしばらく目を丸くしたまま静止し、今度はしっかりと頭の中で噛み砕いた。

「ぼっー……、あ、あんた、下ネタとか言うんスね!?」
「は? 清廉潔白とでも思ってたのか? ていうかお前、まず嫌がれよ」

 咲哉の細い掌が、撫でるように黄瀬の肌を伝う。
 そのわざとらしく艶かしい手付きに、黄瀬は身震いしながらハァッと息を吐いた。

「……や、なんつーか、オレも、アンタがオレに興奮すんだと思ったら……」

 黄瀬の指が自身の下半身を指さす。
 咲哉はその指の動きの意図を察し、一瞬だけ視線を下げてから顔をしかめた。

「変態かよ」
「アンタに言われたくないんスけど」

 咲哉の顔は心底嫌そうだが、その顔の火照りは冷めないまま。
 それが咲哉の内なる熱情をまざまざと見せつけ、黄瀬は咲哉の頬をするりと撫でた。
 かちゃ、と咲哉のメガネが音を立てる。外せと急かされているようで、黄瀬は自然と彼のメガネを両手で取った。

「……なんか、ドキドキするっスね」
「どうせ慣れてんだろ? 流れるようにメガネ取りやがって」

 それでなくとも印象的だった瞳が、更に大きく黒々と見える。
 それは黄瀬の意識を飲み込み、黄瀬は吸い寄せられるように自然と唇にキスをしていた。

「ね、オレたち両想いなら……付き合わないっスか……?」

 男同士だとか、そういう迷いは一切ない。
 ほんの少しの緊張が黄瀬の声を細くさせたが、確信を持って咲哉の手を握りしめた。
  
「……両想い?」

 数秒の間があって、咲哉がこてんと首を斜めに傾けた。
 その「何言ってるんだ?」とでも言いたげな態度に、黄瀬は意表を突かれて咲哉から手を離した。

「へ? え、今の、だって好きって話じゃ……」
「好き? 恋愛対象として? 俺と黄瀬涼太が? どうしてそんな飛躍をしたんだ、お前の頭は」

 咲哉の指先が、確かめるように黄瀬と咲哉自身とを交互にさす。
 まるで考えもしなかったという反応。愛しい相手から告白された後に見せるものとしては有り得ないものだ。

「なんでっスか、絶対オレのこと好きじゃん……そういう流れだったじゃないスか……」
「はぁ、そうなのか?」
 
 黄瀬はゆっくりと咲哉から体を離し、この男の変人さを再認識して項垂れた。


(第十話 終)

追加日:2019/02/18
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