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夏目貴志(夏目友人帳)
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9.小さな夏目
アニメ陸 第一話「つきひぐい」参考
妖の仕業で夏目が子供になってしまった。
そう聞いた瞬間、黒は「今だって子供じゃないか」と首を傾げた。
中級妖共が言うには、子供になって藤原家に帰って来れなくなった夏目は、今田沼という友人の元に身を隠しているらしい。
まったく、夏目と共にいたブサ猫は何をしてたんだ。
再会した時にはまず文句を言ってやろうと着物をなびかせ、田沼の家に向かう。
そしてその風情ある家の縁側に座る夏目を見た瞬間、黒はぽかんと口を開いたまま足を止めていた。
「…夏目なのか」
思わずそう呼びかけたのは、その少年の恰好が家を出た時の夏目と同じだったから。
髪の色も目の色も、それから纏う雰囲気まで何もかも一致する少年は、齢10程度の児童だ。
「そうか…こんなにも幼く変えられてしまったのだな」
夏目のような子供を"子供になってしまった"と表現した意味がようやく分かる。
黒は眉を寄せ、可哀そうにと夏目の頬を撫でようと手を伸ばした。
「っ!あ、あなたは、だれですか…?」
夏目の小さな手が、黒の手を弾く。
黒は空を切った自身の手を眺め、それから夏目にずいと顔を近付けた。
間違いなく夏目だ。
「夏目…俺が分からないのか」
確認のために問いかけた黒に、夏目は不安そうに眉を寄せる。
そんな夏目の怯えた様子に気が付いたのか、奥から家主である田沼が顔を覗かせた。
「どうした夏目?まさか、何かいるのか」
「え…っ、この人は…」
田沼の怪訝に細められた目が、夏目の目の前にいる黒の姿をとらえない。
その理由が分かってしまった夏目は、逃げるように田沼の後ろに身を隠した。
「っ…来ないで…知らない、あなたなんて、知りません…」
「夏目、妖がそこに?」
田沼の質問に、夏目は目を黒から離すことなく、こくこくと頷いた。
幼い夏目の拒絶。これが、妖に苦しめられていた頃の夏目。黒のことなど知らない夏目の姿だ。
「…田沼、安心してくれ。俺だ」
「うわ、びっくりした…!なんだ、黒か」
縁側に乗り上げると同時に、姿を人間のものへと切り替える。
それで黒の姿を認識した田沼は、安心したように息を吐いた。
「夏目、大丈夫だよ。あの人は妖だけど、おれたちの友達なんだ」
「え…?オバケなのに、田沼さんにも見えるんですか…?」
「おばけっていうか…半分人間、みたいな感じだから」
自問自答するように「ってことでいいんだよな?」と呟いた田沼に、黒はこくりと頷きながら部屋の中に侵入する。
夏目の黒を嫌悪する視線は変わらない。
今の夏目の中にいる妖という存在は、人間を騙し恐怖させるものでしかないのだろう。
「…思ってたより厄介なことになってるじゃねえか…」
「今、ポン太が原因の妖を探しに行ってくれてるんですけど…」
「ぽん…?ああ、あれのことか。当たり前だ。アイツがしっかりしてれば、こんなことにはなってない」
田沼の独特なニャンコ先生の呼び方に、黒は思わず肩をすくめて笑う。
しかし、すぐに険しい表情に戻した黒はどかっとその場で胡坐をかき、頭を抱えて大きく溜め息を吐いた。
情けない。そもそも自分がついていれば良かったのだ。
「…夏目、こっちへ来い。もっと顔を見せてくれ」
田沼の後ろに隠れている夏目に手を差し伸べ、慣れない笑顔を浮かべてみせる。
それでも夏目は潤んだ目のまま小さく首を横に振った。
柔らかそうな頬、大きな瞳。小さな体、細い肩。
本来ならば出会うことのない夏目の愛らしい姿に胸が高鳴るのに、近付くことすら許されない。
黒は畳にごろと転がると、そのまま腕を枕に目を閉じた。
「…夏目、お前は妖が嫌いなんだろう。俺も、たぶんそうだったよ」
「え…」
「けどな、夏目に出会ってからはむしろ感謝してんだ。妖になったおかげで、こうして夏目と出会えたんだからな」
夏目を怖がらせないように。夏目の歪んだ顔を見ないように。
視界を閉じたまま語る黒の雰囲気に、息を呑んだのは田沼だった。
「俺は、お前もそうだと思ってる。妖を見える目を持っていて良かったと…そう、思ってくれてるんじゃねぇかって」
今の、記憶を曖昧にしてしまった夏目に理解しろというには難しい話だろう。
その証拠に、夏目はペタンとその場に座り込んでしまった。
「でも、正しいよ夏目。そうやって妖とは距離を置いておくべきだ。俺みたいなのに懐かれないようにな」
夏目には平穏であってほしい。そのために妖と距離を置くことが必要であると知っている。
それでも離れられない黒は、そう告げた後、体をぶると震わせた。
小さな夏目の吐息が、恐怖のせいか震える呼吸が、ぞくと背筋をあおる。
「…田沼」
「な、なんですか?」
「こっち来い。手を貸せ」
唐突に矛先を向けられた田沼は、油断していたせいもあり大げさに姿勢を正した。
言われるがまま黒の横に膝をつく。田沼の目に映ったのは、苦しそうに歪んだ黒の顔。
「黒…なんか…調子悪そうだな…?」
「んー?なんだお前、知ったようなことを言ってくれるじゃねぇか」
「あ、いえ、すみません。夏目から話をよく聞くから、知った気になっていたのかも」
心なしか黒の口が悪いのは、人間の姿のときに際立つ特徴だ。
それを夏目が嬉しそうに「そっか、おれにしか分からないのか」と「妖のときの黒はもっと大人びている」と言っていたことを田沼は知っている。
田沼はチラと夏目に目を向け、居たたまれなさも感じながら黒の手を握り締めた。
「これでいいですか?」
「…やっぱりお前も、結構危ういよな…割といい感じだ」
ぎゅっと握り締められた手に、じわと汗がにじむ。
実感のない田沼は、自分の手を見下ろし、小さく首を傾げた。
「この程度で、何か変わりますか?」
「…実は夏目がいない間に厄介者を祓おうと多少無茶をしたんだ。あとで褒美にたくさんもらう気で…」
「な、なるほど。なりふり構ってられないわけか」
繋がった手と手、その間に生まれるやり取りはあまりにも微量だ。
それが体に流れるほどに、乾きを自覚する。
黒は田沼と同じように握った手を見つめた後、小さな夏目を振り返った。
「…夏目」
名を呼ばれた夏目の顔が強ばる。
いや、夏目が怯えていなくとも、今の夏目の小さな体から奪うのは駄目だ。どれほどの負担をかけてしまうのか、分かったもんじゃない。
「田沼、悪い」
そう一言黒が呟く。その直後、黒の姿は田沼の目の前から消えていた。
夏目の目に映るのは、黒の手が田沼の頬に重ねられる光景。
寄せられた顔が何をしたのかは、黒の長い髪のせいでうかがえなかった。
「ん…」
喉の奥で鳴った甘さを帯びた声。
じゅると何か吸うような音が重なり、夏目は居てもたってもいられずその場に立ち上がっていた。
「…黒!」
突然声を上げた夏目に、黒も田沼も驚き振り返る。
赤くなった頬、何かを堪えるみたいに握りしめた小さな手。
「おれ以外からは吸わないって言っただろ!」
二人が重なった部分は見えていなかったが、容易に想像がつく。
普段夏目が黒にされていることを考えれば、当然だ。
…ふだんってなんだ。
「え、あれ…、なんで」
「待て夏目、やっぱり今俺は黒に吸われてたんだな!?なんか妙な感触が口に…」
考え込むように眉を寄せた黒に対し、田沼は夏目と同じように顔を赤らめ口を手で覆った。
それで更に信憑性の増してしまった行為に、夏目はへたりと再び座り込んだ。
記憶がぐちゃぐちゃだ。
「なんで…こんなにやな気持ちに…」
咄嗟に呼んだ黒という名前も、今の夏目には覚えのないものだ。
夏目は音も立てずに近づいてきた黒を見上げ、困惑と不安から瞳を揺らした。
「おれ、あなたのこと…知ってるんですか…」
「…大丈夫だ、すぐに全部思い出す。あのブサ猫は…使えないが、夏目の為ならやってくれるはずだ」
知っているとも、と。黒がそう言わなかったのは、これ以上夏目に不安な気持ちを抱えて欲しくなかったからだ。
夏目の前で膝をつき、目線を合わせて微笑みかける。
それと同時に夏目の頬へ伸ばした手は、今度は弾かれなかった。
「…可愛い夏目。ああ、でも、そうだな…今の夏目が俺を受け入れてくれるのなら…俺はどっちでもいい」
「え…」
「たったの数年かもしれないが…夏目の生きる時間が伸びるなら今のままでも」
過去の記憶なんかなくても、これからまた作っていけばいい。
そう言って、夏目の頬に自分の頬を重ね合わせる。
肌と肌、確かな感触に、夏目は慌てた様子で立ち上がった。
「夏目?黒はなんて…?」
「何でもない、です…!!」
そう返すが早いか、夏目は小さな足でばたばたと部屋を逃げるように出て行った。
突然のことに引き止めることも叶わなかった田沼は、じとっとした目線を黒に向ける。
夏目の走り去った方を向いて立っている黒は、お決まりのラフな人間の恰好だ。
「黒…おれに見えないところで何したんですか」
「なんだその目は。別に頬を重ねて撫でてやっただけだよ」
「…だけって」
「さて、迎えにいくか」
今の夏目ならともかく、小さな夏目にとっては初めての距離感だろう。
田沼はやれやれと眉を下げたまま黒を見送り、実はずっとカレーを作ってくれている多軌の元へと向かった。
・・・
夏目の後を追い始めて、5分は経ってしまっただろうか。
すぐに追いつけると思っていたが、田沼の家は思いの外広かった。そして、小さな夏目は思っていたよりも身軽で素早かった。
長く続く廊下の先、夏目は立ち尽くしている。
窓の外を見る夏目の目に映るのは、恐らく人ならざるモノだ。
「夏目」
「っ!」
「また厄介なやつに目をつけられたか?」
黒の声に振り返った夏目は、今にも泣きそうな目をしていた。けれど涙は零さない。
男としての意地だとか、そんな可愛いものではない。
この小さな体で、大人に甘えることの許されなかった夏目に沁みついてしまった強がりなのだろう。
「俺が怖いか?」
短な問いに、躊躇いながらも夏目は首を横に振った。
「あなたが、怖くないことが怖いです。嘘になるかもしれないのに」
「嘘?」
「おれと、ずっと一緒にいてくれる?おれの前からいなくならない?」
黒と真っ直ぐ向き合い口を開いた夏目の声は、次第に上ずっていく。
その心の内に潜めていた思いに、黒は息を呑んで聞き入っていた。
「朝起きて、ちゃんとそこにいる?突然帰ってこないなんてことないよね?」
「夏目…」
「黒がおれを騙してるなんて思わないよ、でも、黒はおれに本音を言わないから」
幼い声が、低く甘い声色に重なって聞こえる。そんな錯覚に、黒は目を細めて首を振った。
錯覚、だけど真実だ。
「おれに隠して…おれを守ろうとしないで…」
夏目には言わずに、妖を祓う。夏目に言わずに、弱った体を癒しに外へ出る。
黒はそんな自分の行動を思い出し、額を押さえて俯いた。
「夏目、俺にとって夏目は唯一無二だ。でも夏目にとって俺は違う。家族と友人がいて、頼りないがあの猫もいる。愛しているから…傷つける前に去ろうとしたこともあった」
「そんなの…」
「そうだよな、悪かった、夏目。俺がお前を不安にさせてたんだな」
夏目の腕の下に手を入れ、ひょいと抱き上げる。
小さな見た目通りに夏目の体は軽く、抱いている実感がない。
それでも暖かい温もりと、しっとりと肩が濡れるのを感じて、黒はぽんとその柔らかい髪の毛を撫でた。
「大丈夫だ。ずっと、傍にいるからな」
その声は夏目の耳に届いただろうか。
ぐずぐずと泣いていた夏目は、次第にゆっくりと、一定の呼吸を繰り返し始めた。
・・・
真っ赤な顔した夏目の背中に、とんと背中を預けて座る。
肩の位置は黒より低いものの、何だか馴染む気がするのは、小さな夏目を見た後だからだろう。
「夏目」
優しさを帯びた黒の声が夏目に囁きかける。
夏目はぴくと畳に乗せた手を揺らし、軽く握り締めた。
「照れることないだろう?素直な夏目の言葉が聞けて、俺は嬉しかったよ」
今の夏目と違い、素直に叫んだ小さな夏目。
戸惑い走り泣いた少年は黒の腕の中で寝息を立てた。
その間にニャンコ先生が元凶となった妖の説得に成功したのだろう、目が覚めた夏目の体は元に戻っていた。
その時の記憶は、今の夏目にしっかりと残っているらしい。
夏目は恥ずかしそうにしたまま、黒の顔を見ようとしない。
「夏目?何をそんなに落ち込んでいるんだ」
「フン、下手に妙な妖と関わるからこういうことになるのだ。暫く反省させておけ、黒」
「まあそれには賛成だが、一番珍妙な貴様に言えたことではないな」
「何ぃ!?」といつもの調子で飛び上がるニャンコ先生など視界の隅だ。
黒は夏目の手が力んだのに気が付き、肩越しに夏目を見つめた。
「そ、その…迷惑かけて悪かった。それは、本当に…」
「良いんだよ夏目。むしろ一緒にいておきながら何も出来ないアレが悪い」
「でも、違うんだ。おれが一番、気にしてるのは…その…」
段々と小さくなる夏目の声。
基本的に落ち着いた声色の青年だが、こうもはっきりしないのは珍しい。
大丈夫だ、なんでも言ってくれ。そう伝えるために夏目の手を握り締めると、夏目は意を決したように口を開いた。
「黒…おれがいなかったら、田沼でもいいんだな」
「…ん?」
「田沼にしてた…。田沼も、なんか、慣れてたじゃないか」
今までだって、あったんだろ。
そう言い切った後、夏目は膝を抱えて頭を埋めてしまった。
一方それを聞いていたニャンコ先生は、放心した様子で後ろに倒れたきりコロンコロンと転がっている。
「…夏目、それは」
「い、言うなよ!わかってるんだから、おれだってこんなー…」
「嫉妬か」
「言うなって…っ!」
黒は居ても立ってもいられず、夏目の背を抱き締めていた。
やっぱりこれでこそ愛しい夏目だ。
密着した肌と、摺り寄せた頬。夏目の髪から覗く耳は、真っ赤に染まっている。
「小さな夏目に負担をかけたくなかっただけだ。いつだって欲しいのは夏目だけだよ」
「でも…田沼に、」
「そうだな、悪かった。もうしない、絶対に」
黒は夏目の赤らんだ耳と首筋に口づけ、柔らかな髪に指を入れた。
「夏目も誓えよ、絶対に…俺のことを忘れないって」
「そんなの…忘れるわけないだろ」
「信じるよ」
いつか夏目だけが老いて黒を置いていくのだと分かっていても。
黒は抱き締めた夏目の体に顔を埋めた。
(第九話・終)
追加日:2017/11/12
移動前:2017/05/21
アニメ陸 第一話「つきひぐい」参考
妖の仕業で夏目が子供になってしまった。
そう聞いた瞬間、黒は「今だって子供じゃないか」と首を傾げた。
中級妖共が言うには、子供になって藤原家に帰って来れなくなった夏目は、今田沼という友人の元に身を隠しているらしい。
まったく、夏目と共にいたブサ猫は何をしてたんだ。
再会した時にはまず文句を言ってやろうと着物をなびかせ、田沼の家に向かう。
そしてその風情ある家の縁側に座る夏目を見た瞬間、黒はぽかんと口を開いたまま足を止めていた。
「…夏目なのか」
思わずそう呼びかけたのは、その少年の恰好が家を出た時の夏目と同じだったから。
髪の色も目の色も、それから纏う雰囲気まで何もかも一致する少年は、齢10程度の児童だ。
「そうか…こんなにも幼く変えられてしまったのだな」
夏目のような子供を"子供になってしまった"と表現した意味がようやく分かる。
黒は眉を寄せ、可哀そうにと夏目の頬を撫でようと手を伸ばした。
「っ!あ、あなたは、だれですか…?」
夏目の小さな手が、黒の手を弾く。
黒は空を切った自身の手を眺め、それから夏目にずいと顔を近付けた。
間違いなく夏目だ。
「夏目…俺が分からないのか」
確認のために問いかけた黒に、夏目は不安そうに眉を寄せる。
そんな夏目の怯えた様子に気が付いたのか、奥から家主である田沼が顔を覗かせた。
「どうした夏目?まさか、何かいるのか」
「え…っ、この人は…」
田沼の怪訝に細められた目が、夏目の目の前にいる黒の姿をとらえない。
その理由が分かってしまった夏目は、逃げるように田沼の後ろに身を隠した。
「っ…来ないで…知らない、あなたなんて、知りません…」
「夏目、妖がそこに?」
田沼の質問に、夏目は目を黒から離すことなく、こくこくと頷いた。
幼い夏目の拒絶。これが、妖に苦しめられていた頃の夏目。黒のことなど知らない夏目の姿だ。
「…田沼、安心してくれ。俺だ」
「うわ、びっくりした…!なんだ、黒か」
縁側に乗り上げると同時に、姿を人間のものへと切り替える。
それで黒の姿を認識した田沼は、安心したように息を吐いた。
「夏目、大丈夫だよ。あの人は妖だけど、おれたちの友達なんだ」
「え…?オバケなのに、田沼さんにも見えるんですか…?」
「おばけっていうか…半分人間、みたいな感じだから」
自問自答するように「ってことでいいんだよな?」と呟いた田沼に、黒はこくりと頷きながら部屋の中に侵入する。
夏目の黒を嫌悪する視線は変わらない。
今の夏目の中にいる妖という存在は、人間を騙し恐怖させるものでしかないのだろう。
「…思ってたより厄介なことになってるじゃねえか…」
「今、ポン太が原因の妖を探しに行ってくれてるんですけど…」
「ぽん…?ああ、あれのことか。当たり前だ。アイツがしっかりしてれば、こんなことにはなってない」
田沼の独特なニャンコ先生の呼び方に、黒は思わず肩をすくめて笑う。
しかし、すぐに険しい表情に戻した黒はどかっとその場で胡坐をかき、頭を抱えて大きく溜め息を吐いた。
情けない。そもそも自分がついていれば良かったのだ。
「…夏目、こっちへ来い。もっと顔を見せてくれ」
田沼の後ろに隠れている夏目に手を差し伸べ、慣れない笑顔を浮かべてみせる。
それでも夏目は潤んだ目のまま小さく首を横に振った。
柔らかそうな頬、大きな瞳。小さな体、細い肩。
本来ならば出会うことのない夏目の愛らしい姿に胸が高鳴るのに、近付くことすら許されない。
黒は畳にごろと転がると、そのまま腕を枕に目を閉じた。
「…夏目、お前は妖が嫌いなんだろう。俺も、たぶんそうだったよ」
「え…」
「けどな、夏目に出会ってからはむしろ感謝してんだ。妖になったおかげで、こうして夏目と出会えたんだからな」
夏目を怖がらせないように。夏目の歪んだ顔を見ないように。
視界を閉じたまま語る黒の雰囲気に、息を呑んだのは田沼だった。
「俺は、お前もそうだと思ってる。妖を見える目を持っていて良かったと…そう、思ってくれてるんじゃねぇかって」
今の、記憶を曖昧にしてしまった夏目に理解しろというには難しい話だろう。
その証拠に、夏目はペタンとその場に座り込んでしまった。
「でも、正しいよ夏目。そうやって妖とは距離を置いておくべきだ。俺みたいなのに懐かれないようにな」
夏目には平穏であってほしい。そのために妖と距離を置くことが必要であると知っている。
それでも離れられない黒は、そう告げた後、体をぶると震わせた。
小さな夏目の吐息が、恐怖のせいか震える呼吸が、ぞくと背筋をあおる。
「…田沼」
「な、なんですか?」
「こっち来い。手を貸せ」
唐突に矛先を向けられた田沼は、油断していたせいもあり大げさに姿勢を正した。
言われるがまま黒の横に膝をつく。田沼の目に映ったのは、苦しそうに歪んだ黒の顔。
「黒…なんか…調子悪そうだな…?」
「んー?なんだお前、知ったようなことを言ってくれるじゃねぇか」
「あ、いえ、すみません。夏目から話をよく聞くから、知った気になっていたのかも」
心なしか黒の口が悪いのは、人間の姿のときに際立つ特徴だ。
それを夏目が嬉しそうに「そっか、おれにしか分からないのか」と「妖のときの黒はもっと大人びている」と言っていたことを田沼は知っている。
田沼はチラと夏目に目を向け、居たたまれなさも感じながら黒の手を握り締めた。
「これでいいですか?」
「…やっぱりお前も、結構危ういよな…割といい感じだ」
ぎゅっと握り締められた手に、じわと汗がにじむ。
実感のない田沼は、自分の手を見下ろし、小さく首を傾げた。
「この程度で、何か変わりますか?」
「…実は夏目がいない間に厄介者を祓おうと多少無茶をしたんだ。あとで褒美にたくさんもらう気で…」
「な、なるほど。なりふり構ってられないわけか」
繋がった手と手、その間に生まれるやり取りはあまりにも微量だ。
それが体に流れるほどに、乾きを自覚する。
黒は田沼と同じように握った手を見つめた後、小さな夏目を振り返った。
「…夏目」
名を呼ばれた夏目の顔が強ばる。
いや、夏目が怯えていなくとも、今の夏目の小さな体から奪うのは駄目だ。どれほどの負担をかけてしまうのか、分かったもんじゃない。
「田沼、悪い」
そう一言黒が呟く。その直後、黒の姿は田沼の目の前から消えていた。
夏目の目に映るのは、黒の手が田沼の頬に重ねられる光景。
寄せられた顔が何をしたのかは、黒の長い髪のせいでうかがえなかった。
「ん…」
喉の奥で鳴った甘さを帯びた声。
じゅると何か吸うような音が重なり、夏目は居てもたってもいられずその場に立ち上がっていた。
「…黒!」
突然声を上げた夏目に、黒も田沼も驚き振り返る。
赤くなった頬、何かを堪えるみたいに握りしめた小さな手。
「おれ以外からは吸わないって言っただろ!」
二人が重なった部分は見えていなかったが、容易に想像がつく。
普段夏目が黒にされていることを考えれば、当然だ。
…ふだんってなんだ。
「え、あれ…、なんで」
「待て夏目、やっぱり今俺は黒に吸われてたんだな!?なんか妙な感触が口に…」
考え込むように眉を寄せた黒に対し、田沼は夏目と同じように顔を赤らめ口を手で覆った。
それで更に信憑性の増してしまった行為に、夏目はへたりと再び座り込んだ。
記憶がぐちゃぐちゃだ。
「なんで…こんなにやな気持ちに…」
咄嗟に呼んだ黒という名前も、今の夏目には覚えのないものだ。
夏目は音も立てずに近づいてきた黒を見上げ、困惑と不安から瞳を揺らした。
「おれ、あなたのこと…知ってるんですか…」
「…大丈夫だ、すぐに全部思い出す。あのブサ猫は…使えないが、夏目の為ならやってくれるはずだ」
知っているとも、と。黒がそう言わなかったのは、これ以上夏目に不安な気持ちを抱えて欲しくなかったからだ。
夏目の前で膝をつき、目線を合わせて微笑みかける。
それと同時に夏目の頬へ伸ばした手は、今度は弾かれなかった。
「…可愛い夏目。ああ、でも、そうだな…今の夏目が俺を受け入れてくれるのなら…俺はどっちでもいい」
「え…」
「たったの数年かもしれないが…夏目の生きる時間が伸びるなら今のままでも」
過去の記憶なんかなくても、これからまた作っていけばいい。
そう言って、夏目の頬に自分の頬を重ね合わせる。
肌と肌、確かな感触に、夏目は慌てた様子で立ち上がった。
「夏目?黒はなんて…?」
「何でもない、です…!!」
そう返すが早いか、夏目は小さな足でばたばたと部屋を逃げるように出て行った。
突然のことに引き止めることも叶わなかった田沼は、じとっとした目線を黒に向ける。
夏目の走り去った方を向いて立っている黒は、お決まりのラフな人間の恰好だ。
「黒…おれに見えないところで何したんですか」
「なんだその目は。別に頬を重ねて撫でてやっただけだよ」
「…だけって」
「さて、迎えにいくか」
今の夏目ならともかく、小さな夏目にとっては初めての距離感だろう。
田沼はやれやれと眉を下げたまま黒を見送り、実はずっとカレーを作ってくれている多軌の元へと向かった。
・・・
夏目の後を追い始めて、5分は経ってしまっただろうか。
すぐに追いつけると思っていたが、田沼の家は思いの外広かった。そして、小さな夏目は思っていたよりも身軽で素早かった。
長く続く廊下の先、夏目は立ち尽くしている。
窓の外を見る夏目の目に映るのは、恐らく人ならざるモノだ。
「夏目」
「っ!」
「また厄介なやつに目をつけられたか?」
黒の声に振り返った夏目は、今にも泣きそうな目をしていた。けれど涙は零さない。
男としての意地だとか、そんな可愛いものではない。
この小さな体で、大人に甘えることの許されなかった夏目に沁みついてしまった強がりなのだろう。
「俺が怖いか?」
短な問いに、躊躇いながらも夏目は首を横に振った。
「あなたが、怖くないことが怖いです。嘘になるかもしれないのに」
「嘘?」
「おれと、ずっと一緒にいてくれる?おれの前からいなくならない?」
黒と真っ直ぐ向き合い口を開いた夏目の声は、次第に上ずっていく。
その心の内に潜めていた思いに、黒は息を呑んで聞き入っていた。
「朝起きて、ちゃんとそこにいる?突然帰ってこないなんてことないよね?」
「夏目…」
「黒がおれを騙してるなんて思わないよ、でも、黒はおれに本音を言わないから」
幼い声が、低く甘い声色に重なって聞こえる。そんな錯覚に、黒は目を細めて首を振った。
錯覚、だけど真実だ。
「おれに隠して…おれを守ろうとしないで…」
夏目には言わずに、妖を祓う。夏目に言わずに、弱った体を癒しに外へ出る。
黒はそんな自分の行動を思い出し、額を押さえて俯いた。
「夏目、俺にとって夏目は唯一無二だ。でも夏目にとって俺は違う。家族と友人がいて、頼りないがあの猫もいる。愛しているから…傷つける前に去ろうとしたこともあった」
「そんなの…」
「そうだよな、悪かった、夏目。俺がお前を不安にさせてたんだな」
夏目の腕の下に手を入れ、ひょいと抱き上げる。
小さな見た目通りに夏目の体は軽く、抱いている実感がない。
それでも暖かい温もりと、しっとりと肩が濡れるのを感じて、黒はぽんとその柔らかい髪の毛を撫でた。
「大丈夫だ。ずっと、傍にいるからな」
その声は夏目の耳に届いただろうか。
ぐずぐずと泣いていた夏目は、次第にゆっくりと、一定の呼吸を繰り返し始めた。
・・・
真っ赤な顔した夏目の背中に、とんと背中を預けて座る。
肩の位置は黒より低いものの、何だか馴染む気がするのは、小さな夏目を見た後だからだろう。
「夏目」
優しさを帯びた黒の声が夏目に囁きかける。
夏目はぴくと畳に乗せた手を揺らし、軽く握り締めた。
「照れることないだろう?素直な夏目の言葉が聞けて、俺は嬉しかったよ」
今の夏目と違い、素直に叫んだ小さな夏目。
戸惑い走り泣いた少年は黒の腕の中で寝息を立てた。
その間にニャンコ先生が元凶となった妖の説得に成功したのだろう、目が覚めた夏目の体は元に戻っていた。
その時の記憶は、今の夏目にしっかりと残っているらしい。
夏目は恥ずかしそうにしたまま、黒の顔を見ようとしない。
「夏目?何をそんなに落ち込んでいるんだ」
「フン、下手に妙な妖と関わるからこういうことになるのだ。暫く反省させておけ、黒」
「まあそれには賛成だが、一番珍妙な貴様に言えたことではないな」
「何ぃ!?」といつもの調子で飛び上がるニャンコ先生など視界の隅だ。
黒は夏目の手が力んだのに気が付き、肩越しに夏目を見つめた。
「そ、その…迷惑かけて悪かった。それは、本当に…」
「良いんだよ夏目。むしろ一緒にいておきながら何も出来ないアレが悪い」
「でも、違うんだ。おれが一番、気にしてるのは…その…」
段々と小さくなる夏目の声。
基本的に落ち着いた声色の青年だが、こうもはっきりしないのは珍しい。
大丈夫だ、なんでも言ってくれ。そう伝えるために夏目の手を握り締めると、夏目は意を決したように口を開いた。
「黒…おれがいなかったら、田沼でもいいんだな」
「…ん?」
「田沼にしてた…。田沼も、なんか、慣れてたじゃないか」
今までだって、あったんだろ。
そう言い切った後、夏目は膝を抱えて頭を埋めてしまった。
一方それを聞いていたニャンコ先生は、放心した様子で後ろに倒れたきりコロンコロンと転がっている。
「…夏目、それは」
「い、言うなよ!わかってるんだから、おれだってこんなー…」
「嫉妬か」
「言うなって…っ!」
黒は居ても立ってもいられず、夏目の背を抱き締めていた。
やっぱりこれでこそ愛しい夏目だ。
密着した肌と、摺り寄せた頬。夏目の髪から覗く耳は、真っ赤に染まっている。
「小さな夏目に負担をかけたくなかっただけだ。いつだって欲しいのは夏目だけだよ」
「でも…田沼に、」
「そうだな、悪かった。もうしない、絶対に」
黒は夏目の赤らんだ耳と首筋に口づけ、柔らかな髪に指を入れた。
「夏目も誓えよ、絶対に…俺のことを忘れないって」
「そんなの…忘れるわけないだろ」
「信じるよ」
いつか夏目だけが老いて黒を置いていくのだと分かっていても。
黒は抱き締めた夏目の体に顔を埋めた。
(第九話・終)
追加日:2017/11/12
移動前:2017/05/21