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夏目貴志(夏目友人帳)
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6.外出
一瞬強く吹いた風に、夏目は煽られた髪を押さえた。
友人に遊びに行こうと誘われたのは数日前のこと。
集合場所は最寄りの駅。電車での移動の後、歩いて少し田舎の海の方に行くらしい。
友人と遠出する機会はそう頻繁にないから、少々、いや結構楽しみにしていた予定だ。
それなのに、家を出た夏目は顔をしかめて俯いていた。
「…なんでついてくるんだ、黒」
ちらと後ろを振り返れば、明らかに景色に見合わない着物が視界に映る。
長い髪を揺らしながら首を傾げた男は、いつもと変わらずひょうひょうとした様子で笑った。
「何、夏目が友人に会うと言うから気になってな」
「だからってついて来るなって」
「どうして?」
「ど、どうしてって…気になるだろ」
気になると言うか、気が散るというか。
とにかく落ち着かない夏目は、意味もなく腕を擦って前を向いた。
「気にしなければいいだろうに」
後ろからくっくと笑い声が聞こえてくる。
気にしないなんて、それが出来るならば苦労しない。
夏目は視界から黒を外すと、はーっと大きく息を吐き出した。
明らかに知り合いだという顔をしてついて来る黒を、何も知らない友人二人にどう説明しろと言うのか。
着物は妙だし、見た目にはそこそこ若い男性である黒との関係はいかにも説明しづらい。
「黒、今からでも帰れって」
「なんだよ。別に友人を喰らおうだなんて思ってないぞ」
「そんなこと分かってる。そうじゃなくて…ああ、もう」
ぐだぐだと考えているうちに、集合場所の駅と友人の姿が目に入る。
友人達も夏目に気付いたようで、ぱっと手を上げた。
「夏目!遅かったな!」
「わ、悪い…ちょっと、親戚?が、上手く撒けなくて」
「えっ?親戚?」
クラスメイト二人はどれどれと夏目の後ろを覗き見る。
それでも黒は誤魔化す気がないらしく、変わらず夏目の斜め後ろで笑っている。
ああ、どう説明するんだ。親戚とか言っちゃったぞ。
「なーんだ、結局撒けたって話な!」
「えっ」
「んじゃ、さっさと行こうぜー」
たったと前を歩き出す二人の友人に、夏目は一度目を開いて後ろを振り返った。
黒は間違いなく隣にいる。
その黒は、人差し指を立ててシッと息を吐いた。
「…あ、そっか」
「夏目?どうした?」
「あ、うん、いや、すぐ行く」
忘れていた。今の黒の姿は見えない。
夏目が嘘つき呼ばわりされることになった奴等と同じ、見えないのだ誰にも。
「…」
友人の後ろに続いて駅に入る。
違和感しかない着物の男は、新鮮な景色にきょろきょろとしながらも、やはり夏目にくっ付いて電車に乗り込んだ。
田舎へと下る電車は、休日だというのにかなり空いている。
窓の外、流れる景色は自然豊かな緑ばかりだ。
「それでさー、先生が…って夏目聞いてる?」
「えっ、あ…ごめん、何だっけ?」
その景色に目を向ける黒は、夏目の隣に座っている。
穏やかな雰囲気、時折夏目の方を見て微笑むその優しげな瞳。
ほらやっぱり、気にせずにはいられない。
夏目は膝の上に乗せた自分の手に、重なるもう一つの手をじっと見つめていた。
・・・
見知らぬ田舎の駅で降りる。
ここから暫く歩くことになるらしいが、既に少し疲れた様子の夏目は額に滲む汗を拭っていた。
結局黒が必要以上に手を出してくることはなかった。
窓の外を眺め、ふと夏目や友人たちに目を向けて、再び窓の外へと目を移す。
握って離さない手も相まって、まるで電車が新鮮な子供のようだった。
「…余計な気を張るんじゃなかった」
「ん?どうした夏目?」
「な、何でもない!」
勿論ちょっかい出して欲しかったわけではない。
これでいいのだ。やっぱり黒は良い奴だ。
そう思って顔を上げた夏目は、絶句した。
「やーそれにしても晴れて良かったよな!」
「え?あ、ああ」
「これならちょっと海に足入れられんじゃないかな」
「そ、そう、…」
それまで夏目の少し後ろをついてきていた黒が、友人達に近付いている。
近付いているなんてレベルじゃない。顔を思い切り近付けている。
それこそ唇が触れてしまうんじゃないかってくらい、腰をかがめて、距離を縮めて。
「ちょ…っ!」
「夏目?何か言った?」
「あ、いや…」
思わず出てしまった声を抑えて、夏目はじっと黒を見つめた。
夏目の反応には気付いていないのか、黒は友人たちから顔を離そうとしない。
初めて会う人を観察している、とも少し違う。
でも本人が宣言したように、食べようとしているようにも見えない。
「夏目?どうした?腹でも痛いのか?」
「え?」
「今なら駅に戻って行った方が良いんじゃないか?」
「や、大丈夫!」
友人たちは「変な顔してるぞ」と夏目を見て笑っている。
どんな顔だよ、と言い返す余裕すらなくなっていた。
「…、」
黒の顔と友人の顔との距離が近すぎる。
今すぐ腕を引いて、彼等から黒を引き剥がしたい。
こちらを見ない黒い瞳が、他の人を映しているのが、こんなに苦しいなんて。
「夏目?」
「…っ、ごめん!やっぱりその…、お、お手洗い行ってくる!」
夏目はばっと友人達に駆け寄ると、黒の腕をがしと掴んだ。
黒は少し驚いた様子で目を開くが、それを気にすることなく今来た道を戻る。
「おー慌てなくていいからな!」
「ごゆっくりー」
友人の明るい声に背を押され、夏目は振り返ることなく走っていた。
顔が熱い。腕を握る手も汗ばんでいる。
今、黒は一体どんな顔をしているだろう。
とにかく二人きりになりたくて、夏目は駅の手洗い場の個室に黒を押し込んで鍵を閉めた。
「はぁ…ッ」
「おいおい夏目。何考えてるんだ」
「何、考えてる、はそっちだろ…!」
黒の低い声に、夏目はばっと顔を上げた。
先程友人等を見つめていた瞳は今、夏目だけを見つめている。
何故かそれで安堵した夏目は、ようやく自分の胸を掌で撫でた。
「あのな、おかしいだろ。あんな…見えてないからって顔…!」
「何だ、気に障ったのか?別に喰おうとしてたわけじゃないって」
黒はへらと笑って個室のドアに背を預けた。
決してすり抜けたりはしない。確かにここに存在している。
「不思議だなあと思ってな」
「…ふしぎ?」
「なんでコイツ等には見えねぇんだってな。邪魔なくらい近付けば、気付くんじゃないかと思ったんだが」
口元に笑みを浮かべたまま、黒はふっと鼻で息を吐いた。
笑っている、ように見える。
けれど夏目はズキと胸の奥が軋むのを感じていた。違う、今黒は笑ってなんかいない。
「…やっぱり気付かなかったなアイツ等」
どんなに近付いても、いないように扱われる。
それはどれだけ悲しいことなのだろう。
「で?何が気に食わなかった?」
「…」
「…いるだけで邪魔だったか?夏目が迷惑しないように黙ってはいたんだけどな…」
黒が機嫌の悪い夏目を刺激しないようにと、柔らかく微笑んで夏目の頭に手を乗せる。
その暖かい手と優しい声があまりに悲しくて、それから気付いてもらえないことが悔しくて。
夏目はぱしとその手を弾いていた。
「夏目?」
「何で分からないんだ」
「…夏目」
「黒があんなに顔近づけて…そんなの、気になるに決まってるだろ」
黒の手が、行き場を失って彷徨っている。
夏目はその手を掴み取ると、自分の唇へと引き寄せた。
柄でもない、けれど今は黒を見つめている瞳がここにあることに気付いて欲しかったのだ。
「ああ…そうか、夏目は見てくれていたな」
黒の指が、夏目に応えるように唇をなぞる。
官能的な仕草に、ぞくと夏目の肩が揺れた。
「そう、だよ。おれが見てる前で、あれは、酷い」
「そうだな…。悪かった、夏目」
少し腰を折った黒の顔が夏目の顔に近づけられる。
夏目を見つめる目は、他の人へ向けるものと違う。
愛おしいものを見るように細められ、熱に浮かされ濡れる。
黒の手が夏目の頬をなぞり、夏目はその心地よさに目を閉じた。
そんな無防備な夏目に、黒は当然のように唇を重ねる。
「ん…」
鼻から抜けるような声。
それと同時に自分の中の何かが黒の体に流れていくのが分かり、夏目は無意識に黒の腕を強く掴んだ。
「ま…、待て、黒…、おれ」
「分かってる、あと、少しだけ…」
少しだけ、という言葉の通り、舌を一度強く吸われて唇が離れる。
本当はもっとキスしたい、人間だとか妖だとか考えられなくなるくらい、混ざり合ってしまいたいのに。
「悪かった、夏目」
「もう、いいよ」
「いや…全部、悪かった」
全部、なんて悲しいことを言わないでくれ。
そう開こうとした口は、再び塞がれた。
駄目だ、これ以上は、我慢がきかなくなる、全て与えてしまう。
夏目は自分から黒の首に腕を回し、彼の熱い抱擁を受け入れていた。
・・・
景色があまり変わらないせいか、どれほど時間が経ったのかイマイチ分からない。
楽しく話していたから短く感じるが、それにしても遅くはないだろうか。
慌てた様子で駅に戻って行った友人をそろそろ心配に思い始める二人。
その彼等のもとに、近付いて来る人影があった。
「君達―…」
驚く二人の視界には、すらりと背の高い一人の男性。
見知らぬ人だが、明らかにその声と左右に振られる手はこちらに向いている。
「夏目君からの伝言なんだけど」
「あ、えっと、夏目の知り合い…ですか?」
「いや。さっきそこの駅で具合が悪そうだったから声をかけたんだ」
夏目君が言っている男子学生二人は、君達のことだよね?と。
そう問われ、二人はこくりと首を立てに動かした。
なんだか緊張してしまうのは、真っ黒な瞳のせいか、整った容姿のせいか。
「少し休んでから行くから、先に行っててくれ…だそうだ」
「す、すみません、有難うございます」
「いや。すまないね」
何故か申し訳なさそうに眉を下げる男性に、二人はもう一度「有難うございます」と返して歩き出す。
全く、夏目の奴は本当に軟弱なんだから。
ひょろりと儚げな友人のことだ、こういうことは今までも結構あった。
だから違和感を覚えることなく「んじゃ、先行くか」と歩き出す二人は少し振り返っただけ。
次の瞬間消えていた黒い男に、気付くこともなかった。
(第六話・終)
追加日:2017/10/25
移動前:2016/05/03
一瞬強く吹いた風に、夏目は煽られた髪を押さえた。
友人に遊びに行こうと誘われたのは数日前のこと。
集合場所は最寄りの駅。電車での移動の後、歩いて少し田舎の海の方に行くらしい。
友人と遠出する機会はそう頻繁にないから、少々、いや結構楽しみにしていた予定だ。
それなのに、家を出た夏目は顔をしかめて俯いていた。
「…なんでついてくるんだ、黒」
ちらと後ろを振り返れば、明らかに景色に見合わない着物が視界に映る。
長い髪を揺らしながら首を傾げた男は、いつもと変わらずひょうひょうとした様子で笑った。
「何、夏目が友人に会うと言うから気になってな」
「だからってついて来るなって」
「どうして?」
「ど、どうしてって…気になるだろ」
気になると言うか、気が散るというか。
とにかく落ち着かない夏目は、意味もなく腕を擦って前を向いた。
「気にしなければいいだろうに」
後ろからくっくと笑い声が聞こえてくる。
気にしないなんて、それが出来るならば苦労しない。
夏目は視界から黒を外すと、はーっと大きく息を吐き出した。
明らかに知り合いだという顔をしてついて来る黒を、何も知らない友人二人にどう説明しろと言うのか。
着物は妙だし、見た目にはそこそこ若い男性である黒との関係はいかにも説明しづらい。
「黒、今からでも帰れって」
「なんだよ。別に友人を喰らおうだなんて思ってないぞ」
「そんなこと分かってる。そうじゃなくて…ああ、もう」
ぐだぐだと考えているうちに、集合場所の駅と友人の姿が目に入る。
友人達も夏目に気付いたようで、ぱっと手を上げた。
「夏目!遅かったな!」
「わ、悪い…ちょっと、親戚?が、上手く撒けなくて」
「えっ?親戚?」
クラスメイト二人はどれどれと夏目の後ろを覗き見る。
それでも黒は誤魔化す気がないらしく、変わらず夏目の斜め後ろで笑っている。
ああ、どう説明するんだ。親戚とか言っちゃったぞ。
「なーんだ、結局撒けたって話な!」
「えっ」
「んじゃ、さっさと行こうぜー」
たったと前を歩き出す二人の友人に、夏目は一度目を開いて後ろを振り返った。
黒は間違いなく隣にいる。
その黒は、人差し指を立ててシッと息を吐いた。
「…あ、そっか」
「夏目?どうした?」
「あ、うん、いや、すぐ行く」
忘れていた。今の黒の姿は見えない。
夏目が嘘つき呼ばわりされることになった奴等と同じ、見えないのだ誰にも。
「…」
友人の後ろに続いて駅に入る。
違和感しかない着物の男は、新鮮な景色にきょろきょろとしながらも、やはり夏目にくっ付いて電車に乗り込んだ。
田舎へと下る電車は、休日だというのにかなり空いている。
窓の外、流れる景色は自然豊かな緑ばかりだ。
「それでさー、先生が…って夏目聞いてる?」
「えっ、あ…ごめん、何だっけ?」
その景色に目を向ける黒は、夏目の隣に座っている。
穏やかな雰囲気、時折夏目の方を見て微笑むその優しげな瞳。
ほらやっぱり、気にせずにはいられない。
夏目は膝の上に乗せた自分の手に、重なるもう一つの手をじっと見つめていた。
・・・
見知らぬ田舎の駅で降りる。
ここから暫く歩くことになるらしいが、既に少し疲れた様子の夏目は額に滲む汗を拭っていた。
結局黒が必要以上に手を出してくることはなかった。
窓の外を眺め、ふと夏目や友人たちに目を向けて、再び窓の外へと目を移す。
握って離さない手も相まって、まるで電車が新鮮な子供のようだった。
「…余計な気を張るんじゃなかった」
「ん?どうした夏目?」
「な、何でもない!」
勿論ちょっかい出して欲しかったわけではない。
これでいいのだ。やっぱり黒は良い奴だ。
そう思って顔を上げた夏目は、絶句した。
「やーそれにしても晴れて良かったよな!」
「え?あ、ああ」
「これならちょっと海に足入れられんじゃないかな」
「そ、そう、…」
それまで夏目の少し後ろをついてきていた黒が、友人達に近付いている。
近付いているなんてレベルじゃない。顔を思い切り近付けている。
それこそ唇が触れてしまうんじゃないかってくらい、腰をかがめて、距離を縮めて。
「ちょ…っ!」
「夏目?何か言った?」
「あ、いや…」
思わず出てしまった声を抑えて、夏目はじっと黒を見つめた。
夏目の反応には気付いていないのか、黒は友人たちから顔を離そうとしない。
初めて会う人を観察している、とも少し違う。
でも本人が宣言したように、食べようとしているようにも見えない。
「夏目?どうした?腹でも痛いのか?」
「え?」
「今なら駅に戻って行った方が良いんじゃないか?」
「や、大丈夫!」
友人たちは「変な顔してるぞ」と夏目を見て笑っている。
どんな顔だよ、と言い返す余裕すらなくなっていた。
「…、」
黒の顔と友人の顔との距離が近すぎる。
今すぐ腕を引いて、彼等から黒を引き剥がしたい。
こちらを見ない黒い瞳が、他の人を映しているのが、こんなに苦しいなんて。
「夏目?」
「…っ、ごめん!やっぱりその…、お、お手洗い行ってくる!」
夏目はばっと友人達に駆け寄ると、黒の腕をがしと掴んだ。
黒は少し驚いた様子で目を開くが、それを気にすることなく今来た道を戻る。
「おー慌てなくていいからな!」
「ごゆっくりー」
友人の明るい声に背を押され、夏目は振り返ることなく走っていた。
顔が熱い。腕を握る手も汗ばんでいる。
今、黒は一体どんな顔をしているだろう。
とにかく二人きりになりたくて、夏目は駅の手洗い場の個室に黒を押し込んで鍵を閉めた。
「はぁ…ッ」
「おいおい夏目。何考えてるんだ」
「何、考えてる、はそっちだろ…!」
黒の低い声に、夏目はばっと顔を上げた。
先程友人等を見つめていた瞳は今、夏目だけを見つめている。
何故かそれで安堵した夏目は、ようやく自分の胸を掌で撫でた。
「あのな、おかしいだろ。あんな…見えてないからって顔…!」
「何だ、気に障ったのか?別に喰おうとしてたわけじゃないって」
黒はへらと笑って個室のドアに背を預けた。
決してすり抜けたりはしない。確かにここに存在している。
「不思議だなあと思ってな」
「…ふしぎ?」
「なんでコイツ等には見えねぇんだってな。邪魔なくらい近付けば、気付くんじゃないかと思ったんだが」
口元に笑みを浮かべたまま、黒はふっと鼻で息を吐いた。
笑っている、ように見える。
けれど夏目はズキと胸の奥が軋むのを感じていた。違う、今黒は笑ってなんかいない。
「…やっぱり気付かなかったなアイツ等」
どんなに近付いても、いないように扱われる。
それはどれだけ悲しいことなのだろう。
「で?何が気に食わなかった?」
「…」
「…いるだけで邪魔だったか?夏目が迷惑しないように黙ってはいたんだけどな…」
黒が機嫌の悪い夏目を刺激しないようにと、柔らかく微笑んで夏目の頭に手を乗せる。
その暖かい手と優しい声があまりに悲しくて、それから気付いてもらえないことが悔しくて。
夏目はぱしとその手を弾いていた。
「夏目?」
「何で分からないんだ」
「…夏目」
「黒があんなに顔近づけて…そんなの、気になるに決まってるだろ」
黒の手が、行き場を失って彷徨っている。
夏目はその手を掴み取ると、自分の唇へと引き寄せた。
柄でもない、けれど今は黒を見つめている瞳がここにあることに気付いて欲しかったのだ。
「ああ…そうか、夏目は見てくれていたな」
黒の指が、夏目に応えるように唇をなぞる。
官能的な仕草に、ぞくと夏目の肩が揺れた。
「そう、だよ。おれが見てる前で、あれは、酷い」
「そうだな…。悪かった、夏目」
少し腰を折った黒の顔が夏目の顔に近づけられる。
夏目を見つめる目は、他の人へ向けるものと違う。
愛おしいものを見るように細められ、熱に浮かされ濡れる。
黒の手が夏目の頬をなぞり、夏目はその心地よさに目を閉じた。
そんな無防備な夏目に、黒は当然のように唇を重ねる。
「ん…」
鼻から抜けるような声。
それと同時に自分の中の何かが黒の体に流れていくのが分かり、夏目は無意識に黒の腕を強く掴んだ。
「ま…、待て、黒…、おれ」
「分かってる、あと、少しだけ…」
少しだけ、という言葉の通り、舌を一度強く吸われて唇が離れる。
本当はもっとキスしたい、人間だとか妖だとか考えられなくなるくらい、混ざり合ってしまいたいのに。
「悪かった、夏目」
「もう、いいよ」
「いや…全部、悪かった」
全部、なんて悲しいことを言わないでくれ。
そう開こうとした口は、再び塞がれた。
駄目だ、これ以上は、我慢がきかなくなる、全て与えてしまう。
夏目は自分から黒の首に腕を回し、彼の熱い抱擁を受け入れていた。
・・・
景色があまり変わらないせいか、どれほど時間が経ったのかイマイチ分からない。
楽しく話していたから短く感じるが、それにしても遅くはないだろうか。
慌てた様子で駅に戻って行った友人をそろそろ心配に思い始める二人。
その彼等のもとに、近付いて来る人影があった。
「君達―…」
驚く二人の視界には、すらりと背の高い一人の男性。
見知らぬ人だが、明らかにその声と左右に振られる手はこちらに向いている。
「夏目君からの伝言なんだけど」
「あ、えっと、夏目の知り合い…ですか?」
「いや。さっきそこの駅で具合が悪そうだったから声をかけたんだ」
夏目君が言っている男子学生二人は、君達のことだよね?と。
そう問われ、二人はこくりと首を立てに動かした。
なんだか緊張してしまうのは、真っ黒な瞳のせいか、整った容姿のせいか。
「少し休んでから行くから、先に行っててくれ…だそうだ」
「す、すみません、有難うございます」
「いや。すまないね」
何故か申し訳なさそうに眉を下げる男性に、二人はもう一度「有難うございます」と返して歩き出す。
全く、夏目の奴は本当に軟弱なんだから。
ひょろりと儚げな友人のことだ、こういうことは今までも結構あった。
だから違和感を覚えることなく「んじゃ、先行くか」と歩き出す二人は少し振り返っただけ。
次の瞬間消えていた黒い男に、気付くこともなかった。
(第六話・終)
追加日:2017/10/25
移動前:2016/05/03