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夏目貴志(夏目友人帳)
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4.人の心
夜、寝ている間に忍び寄る影。
畳に敷いた布団に体重がかかっても、音どころか振動すらも夏目には伝わらない。
しかし、長い髪が顔をくすぐると、夏目は慌てて跳ね起きる。
ほんの少しでも油断して目を閉じていようものなら、恥ずかしげもなく唇を吸われるから。
そんな日々に、夏目が慣れることはない。
人との深い関わりが未経験の夏目にとっては、初めてのことばかりだ。
それでも彼の瞳も触れる手も優しくて、夏目は黒という妖を信頼していた。
彼のいる生活が心地よくて、朝起きて姿が見えなかった時、当然のように夏目は黒を心配した。
「あやつにも一人の時間が必要なのだろう」なんて適当言ったニャンコ先生の言葉は正しかったのか。
気付けば、黒は時々顔を見に来る程度にしか現れなくなっていた。
「なあ、ニャンコ先生」
「ん?どうした夏目」
「黒、最近どうしたんだろう」
昼食を済ませた後、夏目はようやく抱いていた疑問を口にした。
人の家に寝泊まりするような勢いで住み着いていた彼を、数日前から見かけていない。
最近現れる回数が減っていたこともあり、暫く待ってはみたが、いくらなんでも変だ。
「なんだ、あれが気になるのか」
「気になるだろ普通。こんなに姿を見せないなんて…どこで人を食らってるか分からないし」
「ほー、案外信用していないのだな」
昼にたらふく食ったからか、ニャンコ先生はだらしなくゴロっと転がっている。
信用していないなんて、そんなわけがない。
夏目は黒を信用しているし、どこかで別の人を襲っているなど考えていない。
「って、おかしいだろ。なんでおれは襲われてるのにアイツを信用しなきゃいけないんだ」
「ま、あれは夏目にかなり心酔していたからな」
元々人間だったとか言うだけあって、黒は他の妖達より人間らしかった。
話は通じるし、振舞いも。
「…解放されてよかったじゃないか。夏目を狙う厄介なのがいなくなって清々する」
「そ、そう、なんだけど 」
他にもっと良い人間を見つけたとか。
なら気にすることはない、自分はもう関係ないのだから。
「…なんか、」
「夏目?」
「聞いてないのか、ニャンコ先生」
それでも、やはり気になってしまうのは、明らかに様子のおかしくなった日を覚えているからだ。
一定の距離を保ち、後退りをして夏目を拒んだあの日。
「…お人好しだな、夏目。言っておくが奴は人間じゃないぞ」
「でも、人の心を知ってた」
「…」
ニャンコ先生がさりげなく視線をそらす。
それからのっそりと起き上がり、夏目の横にちょこんと座った。
「あれはダメだ夏目、忘れた方が良い」
「…何か、あったのか」
「あれは、人の心を知りすぎている」
ニャンコ先生らしからぬ気遣うような物言い。
夏目は腰をかがめ、ずいとニャンコ先生に顔を近付けた。
じとっと訝しむ視線を送り続けると、ニャンコ先生の頬を伝う冷や汗が次第に増えていく。
「し、知らんぞ!あれの気持ちなんて、聞いとらんからな!」
「…黒は、おれから離れたのか…?」
「な、夏目!あんなセクハラ妖怪のことは忘れた方が良いと…!」
「探してくる」
焦ったように声を荒げるニャンコ先生を横目に、夏目はすっと立ち上がった。
「探せるものか!夏目、やめておけ!」
「嫌だ。どうせ近くにいるんだろ」
足元で声を上げるニャンコ先生を足止めするように、部屋を出て素早く襖を閉める。
階段を駆け下りるついでに「少し出かけます」と家主に声をかけ、夏目はばたんと家を飛び出した。
彼は人前では出てきたがらない。
それは、妖を見ることのできる夏目が「嘘つき」だ「変」だと罵られ苦しんでいたことを知っているからだ。
だから、なるべく人気のない所へ。
「黒、来い!黒!」
呼べば来る、そう言ったのは黒だ。
「黒…!」
嘗て言った黒の言葉を信じて呼びかける。
普段なら一人では近付かない暗い林に足を踏み込んでも、今は全然怖くなかった。
「はぁ…、っ、黒…」
息が切れ、足を止めながらも彼の名を呼ぶ。
木々がざわめく音。
その中に、低く唸るような声が紛れていた。
「…お前は、馬鹿なのか…」
はっと顔を上げる。
今聞こえたのは、間違いなく黒の声だ。
「黒…!?」
「帰れ、早く帰れ、夏目」
「どこにいるんだ、黒」
「お前に会いたくない。いいから、早く帰れ」
声が辺りに反響する。
途端に木々のざわめきが大きくなるのは、黒の妖としての力に呼応しているからだろうか。
会いたくない。低い声が訴えたその言葉が、夏目の胸に突き刺さる。
夏目はようやく自分が焦っていた理由が腑に落ち、痛みを訴える胸を押さえた。
「嫌だ、おれは…黒に会いたいよ」
声の位置を探って足を進める。
がさと茂みを手でかき分け覗き込むと、そこに黒が座り込んでいた。
「黒…」
「馬鹿な奴だ、お前は」
やっぱり、傍にいてくれた。
その事実に感動しながら、黒の横に膝をつく。
妖に体調などあるのか定かではないが、黒は心なしか痩せて見えた。
「…もしかして、ずっと我慢してたのか…?」
「…」
「どうして…。だってずっと、許可なく吸ってたじゃないか」
寝ている隙だとか、起きている時だって油断すれば口を近付けてきた男だ。
夏目は急に黒が離れた理由を考え、しゅんと眉を下げた。
「おれが…嫌になったのか…?」
「違う、そんなわけないだろ」
「じゃあ、どうしてだよ」
いつもなら、軽いノリで口付けしてくる距離にまで顔を近付ける。
黒は数秒夏目を見つめた後、ゆっくり顔を逸らした。
「…気付いたんだよ、夏目。俺は、お前を傷付けたくない」
「黒…?」
「守りたいのに、俺は、吸わずにはいられない。それが…夏目を傷つけることだと分かっていてもだ」
自信満々の強気の顔は影を潜め、苦しそうに顔を歪ませる。
初めて聞く黒の本音に、夏目は暫く茫然と、その言葉の意味を考えていた。
「…、えっと、黒…」
「分かるだろ。俺は人間に害をなす妖なんだよ。ったく…あのブサ猫は役に立たん」
ニャンコ先生の言っていた「人の心を知り過ぎている」という言葉の意味を理解し、夏目はきゅっと唇を噛んだ。
会いたかった時より、会いたくないと言われた時より胸が痛い。
泣いてしまいそうな程なのに、でも嫌な痛みじゃなくて、むしろ。
「黒…だから、離れたのか」
「そうするしかないだろ」
「なんだそれ、馬鹿はお前じゃないか。黒」
傷つけられている気なんてなかった。
それを伝える為に、黒の大きな手を掴み胸に引き寄せる。
「おれはもう、とっくに許してるよ」
「…許しなど…夏目、お前は…やはり馬鹿だ」
「な、なんでだよ」
それでも態度を変えない黒の着物をぐいと引っ張ると、黒の手が唐突に夏目の首を掴んだ。
驚き息を止めた夏目の目に映るのは、酷く辛そうな黒の顔。
「好きだと、言ってるんだ夏目。これは冗談なんかじゃない。俺は、夏目を愛しく思ってしまったんだよ…!」
「…黒」
「この思いは…どうにもならないんだ夏目…」
鋭い目が、悲痛に細められる。
人間と何も変わりはしない。それなのに、飢えが黒の息を荒くさせる。
「元より可愛い奴だとは思っていたが…こんなことになるだんて、不覚だ。失態だ。想定外だ」
「…お前な」
若干の苛立ちを感じながら、夏目は黒を見上げた。
やんわりと腕に手を重ねれば、首から黒の手が離れる。
痛みはない。何よりも辛いのはこんな気持ちのまま離れていかれることだ。
「…黒、やっぱり、傍にいてくれ」
「お前な…!」
「吸っていい。全部受け入れるから」
黒に向けて手を差し出す。
夏目の手、顔。交互に見た黒の瞳が大きく揺れた。
「俺は、妖の分際でこんな…こんな気持ちをお前にぶつけるなんて許されないと」
「おれが許すって言ってる」
「…、お前は…本当に分かっているのか…?」
いつもの気の強い姿が嘘のように、夏目の手を取ろうともしない。
もしかしたら、人としての黒の本性はこちらなのかもしれない。
夏目は、眉を下げて優しく微笑むと、震えている黒の手を掴み取った。
「黒」
「…」
「黒」
「そんなに優しい声で…俺の名前を呼ぶな、夏目」
それはこちらの台詞だと、頭の片隅で思った。
躊躇いがちに手を伸ばし、夏目の肩を抱く黒の息はあまりにか細く弱弱しい。
吐息混じりに「夏目」と囁いた黒の思いに、夏目は体を震わせて寄り添った。
「夏目、顔を…こっちに」
耳元で囁かれ、顔を黒の方へと向ける。
ハァッと熱い息がかかり、ギラと光る瞳には真っ赤に染まった夏目の顔が映った。
喰われる。それを悟るも、全く嫌悪も恐怖もない。
夏目は目を閉じ、重なった熱に応えた。
『おまえ…夏目レイコだな…?』
その二人の耳に掠めた、低く不気味な声。
顔を上げると、邪悪そうな妖が二人を目掛けて向かってきていた。
『…友人帳を、友人帳を寄こせ…』
聞き飽きたフレーズに、夏目は黒に抱かれたまま立ち上がった。
頭の上で、黒がはーっと大きなため息を吐き出す。
見上げた黒の顔は、目の前の妖よりも凶悪な顔をしていた。
「今のは許されないな…」
血走ったような目。唸るような低い声。
思いの外吸われていたのか、黒の手が離れた夏目はその場にしゃがみこんだ。
力強い足取りで妖怪に向かって行く黒の背中は、あまりに心強い。
夏目は、肩に入った力を抜くと、ゆっくり目を閉じた。
・・・
「…なんだ、お前帰って来たのか」
襖を開けると、ぼてっと座布団の上で寝ころぶニャンコ先生が顔を上げた。
視線の先には黒がいる。それがどういう事か分かっているらしい。
じとっという視線は夏目にも向けられた。
「全く…若いもんはこれだから」
「夏目を取られたからって、妬くんじゃないよブサ猫」
「何を言っている。夏目をやったつもりはないからな!」
ぷいっと頬を膨らませているニャンコ先生に、黒は小さく舌打ちをしてその丸い体を軽く蹴っ飛ばした。
ころころと転がるニャンコ先生を横目に、黒は奪い取った座布団の上にどすっと座る。
大人気ない、と一瞬考えはしたが、年齢的にはニャンコ先生の方が上なのだから、なんというか。
「…夏目、何を考えている」
懐かしくも感じる光景を目の前にぼんやりと眺めていると、黒が不服そうに頬を膨らませた。
「やっぱり、この部屋には黒が必要だと思って」
「…そう、か…?なんだ、急に可愛いことを」
「別に、思った事を言っただけだよ」
伏し目がちに、照れたように笑う黒に、ニャンコ先生が目を丸くして驚いている。
それから「空気が甘い」などと言いながらカラカラと窓を開けた。
「おいブサ猫、そのまま外に出てくれないか」
「夏目、この阿呆をどうにかしてくれんか」
「と…とりあえず二人とも仲良くしないと追い出すからな」
冗談交じりに言ったつもりなのに、黒が目を開いて夏目を見つめる。
なんだか思っていたよりも可愛い人のようだ。
夏目は「嘘だよ」と言って黒の隣に座った。
やはりニャンコ先生が何とも言えない声で唸ったが、嬉しそうに抱き締めてくる黒に夏目は暫く身を任せることにした。
(第四話・終)
追加日:2017/10/19
移動前:2014/10/23
夜、寝ている間に忍び寄る影。
畳に敷いた布団に体重がかかっても、音どころか振動すらも夏目には伝わらない。
しかし、長い髪が顔をくすぐると、夏目は慌てて跳ね起きる。
ほんの少しでも油断して目を閉じていようものなら、恥ずかしげもなく唇を吸われるから。
そんな日々に、夏目が慣れることはない。
人との深い関わりが未経験の夏目にとっては、初めてのことばかりだ。
それでも彼の瞳も触れる手も優しくて、夏目は黒という妖を信頼していた。
彼のいる生活が心地よくて、朝起きて姿が見えなかった時、当然のように夏目は黒を心配した。
「あやつにも一人の時間が必要なのだろう」なんて適当言ったニャンコ先生の言葉は正しかったのか。
気付けば、黒は時々顔を見に来る程度にしか現れなくなっていた。
「なあ、ニャンコ先生」
「ん?どうした夏目」
「黒、最近どうしたんだろう」
昼食を済ませた後、夏目はようやく抱いていた疑問を口にした。
人の家に寝泊まりするような勢いで住み着いていた彼を、数日前から見かけていない。
最近現れる回数が減っていたこともあり、暫く待ってはみたが、いくらなんでも変だ。
「なんだ、あれが気になるのか」
「気になるだろ普通。こんなに姿を見せないなんて…どこで人を食らってるか分からないし」
「ほー、案外信用していないのだな」
昼にたらふく食ったからか、ニャンコ先生はだらしなくゴロっと転がっている。
信用していないなんて、そんなわけがない。
夏目は黒を信用しているし、どこかで別の人を襲っているなど考えていない。
「って、おかしいだろ。なんでおれは襲われてるのにアイツを信用しなきゃいけないんだ」
「ま、あれは夏目にかなり心酔していたからな」
元々人間だったとか言うだけあって、黒は他の妖達より人間らしかった。
話は通じるし、振舞いも。
「…解放されてよかったじゃないか。夏目を狙う厄介なのがいなくなって清々する」
「そ、そう、なんだけど 」
他にもっと良い人間を見つけたとか。
なら気にすることはない、自分はもう関係ないのだから。
「…なんか、」
「夏目?」
「聞いてないのか、ニャンコ先生」
それでも、やはり気になってしまうのは、明らかに様子のおかしくなった日を覚えているからだ。
一定の距離を保ち、後退りをして夏目を拒んだあの日。
「…お人好しだな、夏目。言っておくが奴は人間じゃないぞ」
「でも、人の心を知ってた」
「…」
ニャンコ先生がさりげなく視線をそらす。
それからのっそりと起き上がり、夏目の横にちょこんと座った。
「あれはダメだ夏目、忘れた方が良い」
「…何か、あったのか」
「あれは、人の心を知りすぎている」
ニャンコ先生らしからぬ気遣うような物言い。
夏目は腰をかがめ、ずいとニャンコ先生に顔を近付けた。
じとっと訝しむ視線を送り続けると、ニャンコ先生の頬を伝う冷や汗が次第に増えていく。
「し、知らんぞ!あれの気持ちなんて、聞いとらんからな!」
「…黒は、おれから離れたのか…?」
「な、夏目!あんなセクハラ妖怪のことは忘れた方が良いと…!」
「探してくる」
焦ったように声を荒げるニャンコ先生を横目に、夏目はすっと立ち上がった。
「探せるものか!夏目、やめておけ!」
「嫌だ。どうせ近くにいるんだろ」
足元で声を上げるニャンコ先生を足止めするように、部屋を出て素早く襖を閉める。
階段を駆け下りるついでに「少し出かけます」と家主に声をかけ、夏目はばたんと家を飛び出した。
彼は人前では出てきたがらない。
それは、妖を見ることのできる夏目が「嘘つき」だ「変」だと罵られ苦しんでいたことを知っているからだ。
だから、なるべく人気のない所へ。
「黒、来い!黒!」
呼べば来る、そう言ったのは黒だ。
「黒…!」
嘗て言った黒の言葉を信じて呼びかける。
普段なら一人では近付かない暗い林に足を踏み込んでも、今は全然怖くなかった。
「はぁ…、っ、黒…」
息が切れ、足を止めながらも彼の名を呼ぶ。
木々がざわめく音。
その中に、低く唸るような声が紛れていた。
「…お前は、馬鹿なのか…」
はっと顔を上げる。
今聞こえたのは、間違いなく黒の声だ。
「黒…!?」
「帰れ、早く帰れ、夏目」
「どこにいるんだ、黒」
「お前に会いたくない。いいから、早く帰れ」
声が辺りに反響する。
途端に木々のざわめきが大きくなるのは、黒の妖としての力に呼応しているからだろうか。
会いたくない。低い声が訴えたその言葉が、夏目の胸に突き刺さる。
夏目はようやく自分が焦っていた理由が腑に落ち、痛みを訴える胸を押さえた。
「嫌だ、おれは…黒に会いたいよ」
声の位置を探って足を進める。
がさと茂みを手でかき分け覗き込むと、そこに黒が座り込んでいた。
「黒…」
「馬鹿な奴だ、お前は」
やっぱり、傍にいてくれた。
その事実に感動しながら、黒の横に膝をつく。
妖に体調などあるのか定かではないが、黒は心なしか痩せて見えた。
「…もしかして、ずっと我慢してたのか…?」
「…」
「どうして…。だってずっと、許可なく吸ってたじゃないか」
寝ている隙だとか、起きている時だって油断すれば口を近付けてきた男だ。
夏目は急に黒が離れた理由を考え、しゅんと眉を下げた。
「おれが…嫌になったのか…?」
「違う、そんなわけないだろ」
「じゃあ、どうしてだよ」
いつもなら、軽いノリで口付けしてくる距離にまで顔を近付ける。
黒は数秒夏目を見つめた後、ゆっくり顔を逸らした。
「…気付いたんだよ、夏目。俺は、お前を傷付けたくない」
「黒…?」
「守りたいのに、俺は、吸わずにはいられない。それが…夏目を傷つけることだと分かっていてもだ」
自信満々の強気の顔は影を潜め、苦しそうに顔を歪ませる。
初めて聞く黒の本音に、夏目は暫く茫然と、その言葉の意味を考えていた。
「…、えっと、黒…」
「分かるだろ。俺は人間に害をなす妖なんだよ。ったく…あのブサ猫は役に立たん」
ニャンコ先生の言っていた「人の心を知り過ぎている」という言葉の意味を理解し、夏目はきゅっと唇を噛んだ。
会いたかった時より、会いたくないと言われた時より胸が痛い。
泣いてしまいそうな程なのに、でも嫌な痛みじゃなくて、むしろ。
「黒…だから、離れたのか」
「そうするしかないだろ」
「なんだそれ、馬鹿はお前じゃないか。黒」
傷つけられている気なんてなかった。
それを伝える為に、黒の大きな手を掴み胸に引き寄せる。
「おれはもう、とっくに許してるよ」
「…許しなど…夏目、お前は…やはり馬鹿だ」
「な、なんでだよ」
それでも態度を変えない黒の着物をぐいと引っ張ると、黒の手が唐突に夏目の首を掴んだ。
驚き息を止めた夏目の目に映るのは、酷く辛そうな黒の顔。
「好きだと、言ってるんだ夏目。これは冗談なんかじゃない。俺は、夏目を愛しく思ってしまったんだよ…!」
「…黒」
「この思いは…どうにもならないんだ夏目…」
鋭い目が、悲痛に細められる。
人間と何も変わりはしない。それなのに、飢えが黒の息を荒くさせる。
「元より可愛い奴だとは思っていたが…こんなことになるだんて、不覚だ。失態だ。想定外だ」
「…お前な」
若干の苛立ちを感じながら、夏目は黒を見上げた。
やんわりと腕に手を重ねれば、首から黒の手が離れる。
痛みはない。何よりも辛いのはこんな気持ちのまま離れていかれることだ。
「…黒、やっぱり、傍にいてくれ」
「お前な…!」
「吸っていい。全部受け入れるから」
黒に向けて手を差し出す。
夏目の手、顔。交互に見た黒の瞳が大きく揺れた。
「俺は、妖の分際でこんな…こんな気持ちをお前にぶつけるなんて許されないと」
「おれが許すって言ってる」
「…、お前は…本当に分かっているのか…?」
いつもの気の強い姿が嘘のように、夏目の手を取ろうともしない。
もしかしたら、人としての黒の本性はこちらなのかもしれない。
夏目は、眉を下げて優しく微笑むと、震えている黒の手を掴み取った。
「黒」
「…」
「黒」
「そんなに優しい声で…俺の名前を呼ぶな、夏目」
それはこちらの台詞だと、頭の片隅で思った。
躊躇いがちに手を伸ばし、夏目の肩を抱く黒の息はあまりにか細く弱弱しい。
吐息混じりに「夏目」と囁いた黒の思いに、夏目は体を震わせて寄り添った。
「夏目、顔を…こっちに」
耳元で囁かれ、顔を黒の方へと向ける。
ハァッと熱い息がかかり、ギラと光る瞳には真っ赤に染まった夏目の顔が映った。
喰われる。それを悟るも、全く嫌悪も恐怖もない。
夏目は目を閉じ、重なった熱に応えた。
『おまえ…夏目レイコだな…?』
その二人の耳に掠めた、低く不気味な声。
顔を上げると、邪悪そうな妖が二人を目掛けて向かってきていた。
『…友人帳を、友人帳を寄こせ…』
聞き飽きたフレーズに、夏目は黒に抱かれたまま立ち上がった。
頭の上で、黒がはーっと大きなため息を吐き出す。
見上げた黒の顔は、目の前の妖よりも凶悪な顔をしていた。
「今のは許されないな…」
血走ったような目。唸るような低い声。
思いの外吸われていたのか、黒の手が離れた夏目はその場にしゃがみこんだ。
力強い足取りで妖怪に向かって行く黒の背中は、あまりに心強い。
夏目は、肩に入った力を抜くと、ゆっくり目を閉じた。
・・・
「…なんだ、お前帰って来たのか」
襖を開けると、ぼてっと座布団の上で寝ころぶニャンコ先生が顔を上げた。
視線の先には黒がいる。それがどういう事か分かっているらしい。
じとっという視線は夏目にも向けられた。
「全く…若いもんはこれだから」
「夏目を取られたからって、妬くんじゃないよブサ猫」
「何を言っている。夏目をやったつもりはないからな!」
ぷいっと頬を膨らませているニャンコ先生に、黒は小さく舌打ちをしてその丸い体を軽く蹴っ飛ばした。
ころころと転がるニャンコ先生を横目に、黒は奪い取った座布団の上にどすっと座る。
大人気ない、と一瞬考えはしたが、年齢的にはニャンコ先生の方が上なのだから、なんというか。
「…夏目、何を考えている」
懐かしくも感じる光景を目の前にぼんやりと眺めていると、黒が不服そうに頬を膨らませた。
「やっぱり、この部屋には黒が必要だと思って」
「…そう、か…?なんだ、急に可愛いことを」
「別に、思った事を言っただけだよ」
伏し目がちに、照れたように笑う黒に、ニャンコ先生が目を丸くして驚いている。
それから「空気が甘い」などと言いながらカラカラと窓を開けた。
「おいブサ猫、そのまま外に出てくれないか」
「夏目、この阿呆をどうにかしてくれんか」
「と…とりあえず二人とも仲良くしないと追い出すからな」
冗談交じりに言ったつもりなのに、黒が目を開いて夏目を見つめる。
なんだか思っていたよりも可愛い人のようだ。
夏目は「嘘だよ」と言って黒の隣に座った。
やはりニャンコ先生が何とも言えない声で唸ったが、嬉しそうに抱き締めてくる黒に夏目は暫く身を任せることにした。
(第四話・終)
追加日:2017/10/19
移動前:2014/10/23