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夏目貴志(夏目友人帳)
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2.学校へ
慌ただしくバッグを肩にかけた夏目が家を出ていく。
毎日同じ時間に同じ服を着て出かける行為が、
“学校に行く”ということだと黒は認識していた。
『夏目、どこに行くんだ。俺もついていく』
『が、学校だって!絶対についてきちゃ駄目だからな!』
そんなやりとりを何度も繰り返し、ついに黒が通学路を見守る任に徹することで妥協したのは最近のこと。
そして妥協したと見せかけ、夏目の気配を読み取れる学校のすぐ近くで学校生活の見守りを始めたのは刻下のこと。
今朝の夏目は妙に何かを気にしている様子だった。
案の定、校舎の方から感じるのは嫌な妖気だ。
「夏目、何故俺を呼ばない」
困ったら呼べと、頼れと言った。なのに夏目が黒を呼ぶことは一度もない。
今はその時でないというのか。ならばいつ。
「…もういい」
呼ばないのなら、こっちにも考えがある。
黒は足元から吹き上がった風を体に受けた。
一瞬のうちに長い髪と深緑色の着物が姿を変える。
これで人間と変わらない。
通り過ぎる人達の視線を集めながら、黒は学校へと足を踏み入れた。
・・・
ばたばたと慌しい足音が廊下に響く。
一つは夏目のもの、もう一つは見知らぬ女子生徒のものだ。
異様な体力、足の速さ。
追われる夏目と追いかける女子生徒。
明らかに正常でない彼女に追いつかれるのは時間の問題だろう。
「っうわあ!」
人ならざるような動きで迫る女子生徒の指が肩にかかり、夏目がよろけて床に手をつく。
普段なら殴りかかってKOだが、相手の体は関係のない女子生徒のものだ。
対抗するすべなくきつく目を閉じる。
暗い視界、覚悟した衝撃は一向に来なかった。
「夏目、お前は一体何をしているんだ」
「ぇ、え!?」
聞こえたため息混じりの声に開いた視界には、見覚えのある顔の生徒と思しき男。
そしてその足元に夏目を追い回した女子生徒が横たわっていた。
「な、何がどうなって…ていうか、お前、黒…?」
ずいぶんと大人びた顔つきの男子生徒が、掴んだ黒い塊をぎゅっと押しつぶす。
それから目を細めて笑みを作った男は、ははと低い声で笑った。
「何を驚く?お前と同じ恰好だろう」
「いや、そういう問題じゃ…だって、髪とか、制服だってどうして…」
夏目の視線が黒の体を上から下までたどる。
着物以外は見た事がないし、髪だって男性にしては長く綺麗なものだったはずだ。
それが今は夏目と同じ制服姿で、髪も肩から上にさっぱりと切られている。
「ほかの妖にはあまりできない芸当らしいな。どうだ、すごいか?」
「た、たぶん…。じゃ、なくて!どうして来たんだよ」
「夏目が困っているから来たんだろう?さて、この人間をどうしようか」
困惑する夏目に対し、黒は気にする様子なく女子生徒に手を伸ばす。
瞬間頭に浮かんだのは「周りの人間を喰らうぞ」という脅しの言葉。
夏目は咄嗟に二人の間に体を入れ、黒を牽制するように睨みを利かせた。
「ちょっと待て、一体何する気なんだ…?おれはいいけど、ほかの人には…」
「馬鹿言うな、夏目にしか興味ない。夏目だけだと約束したしな」
「え…っ、」
人間によく似た風貌だからか、黒への警戒心が揺らぐ。
それどころか、目の前の男はその整った顔で無防備に笑みを向けてくる。
精気を吸うとか言ってキスしてくるような面倒な妖だというのに。
夏目は思わず赤らんでしまった頬を隠しながら、ぐったりとした女子生徒の顔を覗き込んだ。
「黒…この子、大丈夫なんだよな」
「中にいた妙なのを追い払っただけだ。直に起きるだろう」
「そっか…なら、保健室に…」
このまま放っておくわけにはいくまい。
夏目は罪悪感にかられつつ、女子生徒の背を手で支え、もう片方の手を膝の下に入れた。
「…、っ、…あ、あれ…?」
決して体格が良いわけではない女子生徒の体はほんの1ミリも床を離れようとしない。
不本意ながら気付くのは、夏目自身の軟弱な細腕だ。
「…?何をしている、夏目」
「…、っ…黒、手伝ってくれないか」
「はは、なんだ夏目、持ち上げられないのか」
馬鹿にしたように黒が笑う。
言い返す言葉も見つからないまま、目の前で黒がひょいと女子生徒を抱き上げてしまい、夏目はますます何も言えなくなってしまった。
「それで、保健室ってのはどこだ?」
「あ…案内するよ」
「頼む」
素直に頭を下げられ、未だ腑に落ちない感覚を拭えないまま歩き出す。
どうにも黒のことを信じきれないのは、出会い方がこれ以上ないくらい最悪だったからだ。
黒は「精気を吸う」というその手段に何の抵抗も感じていない。
今こうして助けてくれたことには感謝しているけれど。
…感謝?
夏目はぼんやりと考えながら歩いていた足をぴたと止めた。
「あ、あの、さ…黒」
「どうした」
「いや、その…ありがとな。助かったよ」
自分の行動を顧みて、眉を下げたまま黒を振り返る。
助けてもらっておいて、こんな態度は筋違いだろう。
しかし、黒はやはり特に気にしていない様子で、「そうか」と口元を緩めただけだった。
それだけだったのに。
瞬間、耳に入ってきたのは黄色い声だった。
「夏目、なんだこれは」
黒が怪訝そうに眉を寄せる。
気付けば廊下には、モーセの逸話かのような女子生徒による道が出来ていた。
「ちょ、ちょっと、これどういうことなの!?そこにいるの夏目君!?」
そんな騒ぎの遠くから聞こえてくるのは、よく知る真面目な女子生徒の声。
夏目はサッと青ざめると、慌てて黒の腕を掴んだ。
「い、急ごう!」
夏目の声に頷いた黒の歩幅が大きくなる。
女子生徒を軽く腕に抱き、姿勢良く堂々と歩く姿は漫画に出てくるヒーローさながらだ。
突然校内に現れたモデルみたいな男への好奇の視線は尽きることなく、保健室に到着した頃には、人一人抱えて歩いた黒よりも夏目の方が疲れ切っていた。
・・・
「布団に寝かせた。これでいいんだろう?」
「ああ、有難う」
既に始業のチャイムの後だ。
騒ぎの鎮圧に一翼担ってくれていそうな友人に感謝をしつつ、夏目は黒を眺めていた。
「やっぱり…人間なんだな」
女子生徒を扱う時の繊細さだとか。言葉をちゃんと聞いてくれるところとか。
その振舞いは、明らかにただの妖とは思えないものだった。
「どうした?俺が気になるか」
「…き、気になるっていうか…。まあやっぱり、他の妖たちとは違うなって」
「そうか。感謝の言葉ならいらないぞ夏目。俺が欲しいのは一つだけだからな」
黒が夏目に近付き、その頬に手を重ねる。
ぼんやりと見惚れていた夏目は、不覚にもその手を弾き損ねていた。
「夏目…少しだけ、いいだろう?」
「い、いやだ」
「久々じゃないか。夏目が呼ばないから…」
「こ、こら、黒ー…っ」
腰をかがめた黒の鼻先が頬に触れる。
嫌なのに、動けない。その間にも腰を抱かれ、体が密着する。
その体温の低さにハッとした瞬間、背後でがらっとドアが音を立てた。
「夏目!」
「夏目くん!」
飛び込んできた声は、夏目の友人…田沼と多軌のものだった。
咄嗟に黒を突き飛ばし、平静を装い二人を振り返る。
二人の友人に視線は、呆然と夏目の後ろに立つ黒へと向けられていた。
「また、変なことに巻き込まれてるのかと…思ったんだけど…」
「う…噂通りのイケメン…夏目くんの知り合い…?」
「ここの生徒じゃないよな?」
田沼も多軌も、突然現れた見知らぬ男が生徒ではないと察しているらしい。
そんな二人の勘繰りに、黒は驚いた様子で目を見開いた。
「夏目と同じには見えないか?何が間違っている?」
手を左右に少し広げ、自分の体を見下ろす。
黒の目に映るのは、夏目やほかの人間と何ら変わらない恰好。
「あ、見た目が変ってわけじゃないんです。なんていうか、こんなに目立つ人なのに、誰も貴方を知らないみたいだったので変だなと…」
「それだ。俺はどうしてあんなに目立ったんだ?」
「はは、自覚ないんですか?格好良すぎるからですよ」
面白い人だな、と田沼が夏目に向けて言う。
それを苦笑いで誤魔化した夏目に対し、黒はふっと笑みを作り田沼に一歩近づいていた。
「お前、名は?」
「え、おい黒…」
「心配するな。夏目の友人と話してみたいだけだよ」
黒の言葉に、謀るような良くない感情は見えない。
しかし、妖に友人の名前を教えるという行為の危うさに、夏目は躊躇いがちに田沼を見上げた。
「二人とも、聞いてくれ。この人は…」
妖だ。
正体を伝えた上で二人にどうするか問おう。
そう決心して開いた口は、黒の言葉に遮られていた。
「お前達は妖に精通しているな?」
黒の問いに、言って良いものかと躊躇った二人が目配せをする。
嘗て妖沙汰に巻き込まれ、夏目と協力し合った経験がある二人だ。
「普段から妖どもが見えるのか?」
「いや、おれ達は夏目ほどでは…」
「夏目の猫のことは知っているか?」
そもそもここに来たのも、夏目がまた何か妖に関わっていると思ってのこと。
自然と黒を“ その手のことの関係者”と認識し、二人はこくりと頷いた。
二人ともニャンコ先生が妖だと知っている。
それが分かると、黒は首を縦に数回振った。
「ならば、話しても問題ないだろう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ…!いくらなんでもお前とニャンコ先生じゃ話が違うー…」
「何が違う。俺もアイツと同じ、妖だ」
夏目の制止を聞かず、黒が迷うことなく正体を明かす。
一瞬の沈黙。
直後「えええ!?」と多軌が高い声を上げた。
「まさか、こんなにはっきり見える妖なんて…!」
「う、嘘だろ…!?人間にしか見えないぞ…!」
明らかに顔色を変えた二人に、黒はくくっと楽し気に笑う。
夏目の肩に腕を乗せ、細めた目は「今の顔見たか?」などと馬鹿にしているかのようだ。
「黒、二人を混乱させるようなことは言わないでくれ…!」
「ああ、はは。安心しな、俺みたいなのは例外だ。そういるもんじゃないのだろう」
「そ、そう…なんですか?」
「あぁ。それに、普段はこうじゃない。今は人の目に入るようにしているだけだ」
それでなくても、いつも何かと巻き込まれる夏目を気にかける二人だ。
これ以上の心配をかけるつもりは無いのに。
「夏目はさっきまで妖に追われていたんだよ」
「え!?夏目くん大丈夫なの?」
「あぁ、俺が追い払った。今は嫌な気配を感じないから大丈夫だろう」
言うつもりのなかったことを、黒が次々に語ってしまう。
それが不服で黒を見上げた夏目は、思わず言葉を失っていた。
黒の友人へ向ける表情は、夏目に向けるものとも少し違う。
安心させるための微笑み。優しそうな大人の男性の顔。
「…っ、」
思わず息を飲んだのは、夏目だけではなかった。
田沼と多軌ですら、初対面かつ妖と知ったばかりの黒に目を奪われている。
色白で、儚げな雰囲気。
同じ制服を身に纏っているのに、黒から感じるのは大人の色気。
「なんだそんな可愛い顔して。…あぁ、そういえば夏目、まだ礼をもらってないぞ。いいのか?」
うっかり見惚れたのが運の尽き。黒は嬉々として夏目の腕を掴んだ。
黒の顔つきがいつもの雰囲気に戻っている。
それもそのはず、黒は人の姿をとり、更には妖退治に力を使ってしまった。
枯渇した精気を求めずにはいられない。
「…っ、悪い!田沼、多軌、こいつの紹介はまた今度にさせてくれないか!?」
「そ、それはいいけど、どうかしたのか?」
「ちょっと…そ、外の空気吸わせてくる!」
田沼と多軌を巻き込むわけにはいかない。
夏目は黒の腕を引っ張ると、そのまま無理矢理引っ張って保健室から飛び出した。
・・・
がさがさと木々の間を抜ける。
とにかく人がいないところへと宛もなく向かった先は、通常の生活を送っていれは行くことも見ることもない校舎裏だった。
「はぁ、はぁ…」
「ここは人が少ないな、夏目」
「っ、黒…何考えてるんだよ…」
顔を上げた夏目の目がキッと黒を見上げる。
大したことない目力では夏目の怒りが伝わらず、黒はむしろ微笑ましげに夏目を見下ろした。
「はは、何って何がだ?」
「二人に心配かけるようなこと話したり…。最後のは確信犯だっただろ。おれ以外に手を出すのは絶対にダメだからな!」
「ああ…なるほど、信用ないな。呼んでもくれないわけだ」
はあ、と悩ましげなため息一つ。
黒は夏目の顎に手をやると、そのままその唇に食らいついた。
「…っ!ん、んん…!?」
不意をつかれた夏目が息苦しそうに声を漏らす。
それでも容赦なく口内へ舌を滑り込ませた黒は、更にその薄いシャツの隙間から手を挿し込んだ。
「ッ、んー!」
冷たい掌に触られているのに、何故だか全身が熱くなるような錯覚に陥る。
知らない感覚、妙な反応をする体に感じるのは恐怖だ。
しかし、振り上げた夏目の腕は、サッと飛び退いて避けた黒に掴まれてしまう。
「あっぶねぇなあ…。夏目、乱暴は良くないぞ」
「…っら、乱暴はどっちだっ」
「聞き捨てならないな。俺は夏目を愛しているだけなのに」
「っ!変なこと言うな!」
荒い息を整えながら、夏目が手の甲で口を拭う。
それを見ていた黒は、苛立った様子で夏目の腕をぐいと引っ張った。
されるがまま、夏目の体は黒の胸にぽすんとぶつかる。それだけでは飽き足らず、黒は夏目の体をひょいと担ぐように持ち上げた。
「うわ!?な、なにするんだ!?」
「あー…精気を吸い過ぎたかもしれない。夏目もさっきの部屋に連れて行ってやる」
「い、いい!おれは大丈夫だから…って、怒ってるのか?何怒ってるんだよ!」
「怒っていない。ちょっと腹立たしいだけだ」
受け入れてくれないところ、呼ばないところ。
気を遣い過ぎるところ、迷惑かけまいとするところ。
挙げ出したらキリがない夏目の腹立つ行動の数々。それを愛しいと言って何がいけないのか。
黒は高校生に見えるはずもない学生服姿のまま再び校舎の方へ歩き出す。
夏目の抵抗は、駆け付けた友人二人に救い出されるまで続いていた。
(第二話・終)
追加日:2017/09/30
移動前:2012/01/18
慌ただしくバッグを肩にかけた夏目が家を出ていく。
毎日同じ時間に同じ服を着て出かける行為が、
“学校に行く”ということだと黒は認識していた。
『夏目、どこに行くんだ。俺もついていく』
『が、学校だって!絶対についてきちゃ駄目だからな!』
そんなやりとりを何度も繰り返し、ついに黒が通学路を見守る任に徹することで妥協したのは最近のこと。
そして妥協したと見せかけ、夏目の気配を読み取れる学校のすぐ近くで学校生活の見守りを始めたのは刻下のこと。
今朝の夏目は妙に何かを気にしている様子だった。
案の定、校舎の方から感じるのは嫌な妖気だ。
「夏目、何故俺を呼ばない」
困ったら呼べと、頼れと言った。なのに夏目が黒を呼ぶことは一度もない。
今はその時でないというのか。ならばいつ。
「…もういい」
呼ばないのなら、こっちにも考えがある。
黒は足元から吹き上がった風を体に受けた。
一瞬のうちに長い髪と深緑色の着物が姿を変える。
これで人間と変わらない。
通り過ぎる人達の視線を集めながら、黒は学校へと足を踏み入れた。
・・・
ばたばたと慌しい足音が廊下に響く。
一つは夏目のもの、もう一つは見知らぬ女子生徒のものだ。
異様な体力、足の速さ。
追われる夏目と追いかける女子生徒。
明らかに正常でない彼女に追いつかれるのは時間の問題だろう。
「っうわあ!」
人ならざるような動きで迫る女子生徒の指が肩にかかり、夏目がよろけて床に手をつく。
普段なら殴りかかってKOだが、相手の体は関係のない女子生徒のものだ。
対抗するすべなくきつく目を閉じる。
暗い視界、覚悟した衝撃は一向に来なかった。
「夏目、お前は一体何をしているんだ」
「ぇ、え!?」
聞こえたため息混じりの声に開いた視界には、見覚えのある顔の生徒と思しき男。
そしてその足元に夏目を追い回した女子生徒が横たわっていた。
「な、何がどうなって…ていうか、お前、黒…?」
ずいぶんと大人びた顔つきの男子生徒が、掴んだ黒い塊をぎゅっと押しつぶす。
それから目を細めて笑みを作った男は、ははと低い声で笑った。
「何を驚く?お前と同じ恰好だろう」
「いや、そういう問題じゃ…だって、髪とか、制服だってどうして…」
夏目の視線が黒の体を上から下までたどる。
着物以外は見た事がないし、髪だって男性にしては長く綺麗なものだったはずだ。
それが今は夏目と同じ制服姿で、髪も肩から上にさっぱりと切られている。
「ほかの妖にはあまりできない芸当らしいな。どうだ、すごいか?」
「た、たぶん…。じゃ、なくて!どうして来たんだよ」
「夏目が困っているから来たんだろう?さて、この人間をどうしようか」
困惑する夏目に対し、黒は気にする様子なく女子生徒に手を伸ばす。
瞬間頭に浮かんだのは「周りの人間を喰らうぞ」という脅しの言葉。
夏目は咄嗟に二人の間に体を入れ、黒を牽制するように睨みを利かせた。
「ちょっと待て、一体何する気なんだ…?おれはいいけど、ほかの人には…」
「馬鹿言うな、夏目にしか興味ない。夏目だけだと約束したしな」
「え…っ、」
人間によく似た風貌だからか、黒への警戒心が揺らぐ。
それどころか、目の前の男はその整った顔で無防備に笑みを向けてくる。
精気を吸うとか言ってキスしてくるような面倒な妖だというのに。
夏目は思わず赤らんでしまった頬を隠しながら、ぐったりとした女子生徒の顔を覗き込んだ。
「黒…この子、大丈夫なんだよな」
「中にいた妙なのを追い払っただけだ。直に起きるだろう」
「そっか…なら、保健室に…」
このまま放っておくわけにはいくまい。
夏目は罪悪感にかられつつ、女子生徒の背を手で支え、もう片方の手を膝の下に入れた。
「…、っ、…あ、あれ…?」
決して体格が良いわけではない女子生徒の体はほんの1ミリも床を離れようとしない。
不本意ながら気付くのは、夏目自身の軟弱な細腕だ。
「…?何をしている、夏目」
「…、っ…黒、手伝ってくれないか」
「はは、なんだ夏目、持ち上げられないのか」
馬鹿にしたように黒が笑う。
言い返す言葉も見つからないまま、目の前で黒がひょいと女子生徒を抱き上げてしまい、夏目はますます何も言えなくなってしまった。
「それで、保健室ってのはどこだ?」
「あ…案内するよ」
「頼む」
素直に頭を下げられ、未だ腑に落ちない感覚を拭えないまま歩き出す。
どうにも黒のことを信じきれないのは、出会い方がこれ以上ないくらい最悪だったからだ。
黒は「精気を吸う」というその手段に何の抵抗も感じていない。
今こうして助けてくれたことには感謝しているけれど。
…感謝?
夏目はぼんやりと考えながら歩いていた足をぴたと止めた。
「あ、あの、さ…黒」
「どうした」
「いや、その…ありがとな。助かったよ」
自分の行動を顧みて、眉を下げたまま黒を振り返る。
助けてもらっておいて、こんな態度は筋違いだろう。
しかし、黒はやはり特に気にしていない様子で、「そうか」と口元を緩めただけだった。
それだけだったのに。
瞬間、耳に入ってきたのは黄色い声だった。
「夏目、なんだこれは」
黒が怪訝そうに眉を寄せる。
気付けば廊下には、モーセの逸話かのような女子生徒による道が出来ていた。
「ちょ、ちょっと、これどういうことなの!?そこにいるの夏目君!?」
そんな騒ぎの遠くから聞こえてくるのは、よく知る真面目な女子生徒の声。
夏目はサッと青ざめると、慌てて黒の腕を掴んだ。
「い、急ごう!」
夏目の声に頷いた黒の歩幅が大きくなる。
女子生徒を軽く腕に抱き、姿勢良く堂々と歩く姿は漫画に出てくるヒーローさながらだ。
突然校内に現れたモデルみたいな男への好奇の視線は尽きることなく、保健室に到着した頃には、人一人抱えて歩いた黒よりも夏目の方が疲れ切っていた。
・・・
「布団に寝かせた。これでいいんだろう?」
「ああ、有難う」
既に始業のチャイムの後だ。
騒ぎの鎮圧に一翼担ってくれていそうな友人に感謝をしつつ、夏目は黒を眺めていた。
「やっぱり…人間なんだな」
女子生徒を扱う時の繊細さだとか。言葉をちゃんと聞いてくれるところとか。
その振舞いは、明らかにただの妖とは思えないものだった。
「どうした?俺が気になるか」
「…き、気になるっていうか…。まあやっぱり、他の妖たちとは違うなって」
「そうか。感謝の言葉ならいらないぞ夏目。俺が欲しいのは一つだけだからな」
黒が夏目に近付き、その頬に手を重ねる。
ぼんやりと見惚れていた夏目は、不覚にもその手を弾き損ねていた。
「夏目…少しだけ、いいだろう?」
「い、いやだ」
「久々じゃないか。夏目が呼ばないから…」
「こ、こら、黒ー…っ」
腰をかがめた黒の鼻先が頬に触れる。
嫌なのに、動けない。その間にも腰を抱かれ、体が密着する。
その体温の低さにハッとした瞬間、背後でがらっとドアが音を立てた。
「夏目!」
「夏目くん!」
飛び込んできた声は、夏目の友人…田沼と多軌のものだった。
咄嗟に黒を突き飛ばし、平静を装い二人を振り返る。
二人の友人に視線は、呆然と夏目の後ろに立つ黒へと向けられていた。
「また、変なことに巻き込まれてるのかと…思ったんだけど…」
「う…噂通りのイケメン…夏目くんの知り合い…?」
「ここの生徒じゃないよな?」
田沼も多軌も、突然現れた見知らぬ男が生徒ではないと察しているらしい。
そんな二人の勘繰りに、黒は驚いた様子で目を見開いた。
「夏目と同じには見えないか?何が間違っている?」
手を左右に少し広げ、自分の体を見下ろす。
黒の目に映るのは、夏目やほかの人間と何ら変わらない恰好。
「あ、見た目が変ってわけじゃないんです。なんていうか、こんなに目立つ人なのに、誰も貴方を知らないみたいだったので変だなと…」
「それだ。俺はどうしてあんなに目立ったんだ?」
「はは、自覚ないんですか?格好良すぎるからですよ」
面白い人だな、と田沼が夏目に向けて言う。
それを苦笑いで誤魔化した夏目に対し、黒はふっと笑みを作り田沼に一歩近づいていた。
「お前、名は?」
「え、おい黒…」
「心配するな。夏目の友人と話してみたいだけだよ」
黒の言葉に、謀るような良くない感情は見えない。
しかし、妖に友人の名前を教えるという行為の危うさに、夏目は躊躇いがちに田沼を見上げた。
「二人とも、聞いてくれ。この人は…」
妖だ。
正体を伝えた上で二人にどうするか問おう。
そう決心して開いた口は、黒の言葉に遮られていた。
「お前達は妖に精通しているな?」
黒の問いに、言って良いものかと躊躇った二人が目配せをする。
嘗て妖沙汰に巻き込まれ、夏目と協力し合った経験がある二人だ。
「普段から妖どもが見えるのか?」
「いや、おれ達は夏目ほどでは…」
「夏目の猫のことは知っているか?」
そもそもここに来たのも、夏目がまた何か妖に関わっていると思ってのこと。
自然と黒を“ その手のことの関係者”と認識し、二人はこくりと頷いた。
二人ともニャンコ先生が妖だと知っている。
それが分かると、黒は首を縦に数回振った。
「ならば、話しても問題ないだろう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ…!いくらなんでもお前とニャンコ先生じゃ話が違うー…」
「何が違う。俺もアイツと同じ、妖だ」
夏目の制止を聞かず、黒が迷うことなく正体を明かす。
一瞬の沈黙。
直後「えええ!?」と多軌が高い声を上げた。
「まさか、こんなにはっきり見える妖なんて…!」
「う、嘘だろ…!?人間にしか見えないぞ…!」
明らかに顔色を変えた二人に、黒はくくっと楽し気に笑う。
夏目の肩に腕を乗せ、細めた目は「今の顔見たか?」などと馬鹿にしているかのようだ。
「黒、二人を混乱させるようなことは言わないでくれ…!」
「ああ、はは。安心しな、俺みたいなのは例外だ。そういるもんじゃないのだろう」
「そ、そう…なんですか?」
「あぁ。それに、普段はこうじゃない。今は人の目に入るようにしているだけだ」
それでなくても、いつも何かと巻き込まれる夏目を気にかける二人だ。
これ以上の心配をかけるつもりは無いのに。
「夏目はさっきまで妖に追われていたんだよ」
「え!?夏目くん大丈夫なの?」
「あぁ、俺が追い払った。今は嫌な気配を感じないから大丈夫だろう」
言うつもりのなかったことを、黒が次々に語ってしまう。
それが不服で黒を見上げた夏目は、思わず言葉を失っていた。
黒の友人へ向ける表情は、夏目に向けるものとも少し違う。
安心させるための微笑み。優しそうな大人の男性の顔。
「…っ、」
思わず息を飲んだのは、夏目だけではなかった。
田沼と多軌ですら、初対面かつ妖と知ったばかりの黒に目を奪われている。
色白で、儚げな雰囲気。
同じ制服を身に纏っているのに、黒から感じるのは大人の色気。
「なんだそんな可愛い顔して。…あぁ、そういえば夏目、まだ礼をもらってないぞ。いいのか?」
うっかり見惚れたのが運の尽き。黒は嬉々として夏目の腕を掴んだ。
黒の顔つきがいつもの雰囲気に戻っている。
それもそのはず、黒は人の姿をとり、更には妖退治に力を使ってしまった。
枯渇した精気を求めずにはいられない。
「…っ、悪い!田沼、多軌、こいつの紹介はまた今度にさせてくれないか!?」
「そ、それはいいけど、どうかしたのか?」
「ちょっと…そ、外の空気吸わせてくる!」
田沼と多軌を巻き込むわけにはいかない。
夏目は黒の腕を引っ張ると、そのまま無理矢理引っ張って保健室から飛び出した。
・・・
がさがさと木々の間を抜ける。
とにかく人がいないところへと宛もなく向かった先は、通常の生活を送っていれは行くことも見ることもない校舎裏だった。
「はぁ、はぁ…」
「ここは人が少ないな、夏目」
「っ、黒…何考えてるんだよ…」
顔を上げた夏目の目がキッと黒を見上げる。
大したことない目力では夏目の怒りが伝わらず、黒はむしろ微笑ましげに夏目を見下ろした。
「はは、何って何がだ?」
「二人に心配かけるようなこと話したり…。最後のは確信犯だっただろ。おれ以外に手を出すのは絶対にダメだからな!」
「ああ…なるほど、信用ないな。呼んでもくれないわけだ」
はあ、と悩ましげなため息一つ。
黒は夏目の顎に手をやると、そのままその唇に食らいついた。
「…っ!ん、んん…!?」
不意をつかれた夏目が息苦しそうに声を漏らす。
それでも容赦なく口内へ舌を滑り込ませた黒は、更にその薄いシャツの隙間から手を挿し込んだ。
「ッ、んー!」
冷たい掌に触られているのに、何故だか全身が熱くなるような錯覚に陥る。
知らない感覚、妙な反応をする体に感じるのは恐怖だ。
しかし、振り上げた夏目の腕は、サッと飛び退いて避けた黒に掴まれてしまう。
「あっぶねぇなあ…。夏目、乱暴は良くないぞ」
「…っら、乱暴はどっちだっ」
「聞き捨てならないな。俺は夏目を愛しているだけなのに」
「っ!変なこと言うな!」
荒い息を整えながら、夏目が手の甲で口を拭う。
それを見ていた黒は、苛立った様子で夏目の腕をぐいと引っ張った。
されるがまま、夏目の体は黒の胸にぽすんとぶつかる。それだけでは飽き足らず、黒は夏目の体をひょいと担ぐように持ち上げた。
「うわ!?な、なにするんだ!?」
「あー…精気を吸い過ぎたかもしれない。夏目もさっきの部屋に連れて行ってやる」
「い、いい!おれは大丈夫だから…って、怒ってるのか?何怒ってるんだよ!」
「怒っていない。ちょっと腹立たしいだけだ」
受け入れてくれないところ、呼ばないところ。
気を遣い過ぎるところ、迷惑かけまいとするところ。
挙げ出したらキリがない夏目の腹立つ行動の数々。それを愛しいと言って何がいけないのか。
黒は高校生に見えるはずもない学生服姿のまま再び校舎の方へ歩き出す。
夏目の抵抗は、駆け付けた友人二人に救い出されるまで続いていた。
(第二話・終)
追加日:2017/09/30
移動前:2012/01/18