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短編

「しあわせアイス食べない?」
 彼女のその一言で、その日のデザートは決まった。夕飯はハヤシライスにする予定だったので、二人で買い物に出て、いたずらに指先を絡め合って、スーパーに着いてからは手を離した。彼女は人前で触れ合うことをあまり好まない。
 ハヤシライスの材料を次々にかごに放り込んで、ついでにお酒を数本と、おつまみの乾きものも買って、向かったのは製菓コーナーだった。
「しあわせアイスはね、これと、これと、これでできている」
 マシュマロと、アーモンドと、チョコスプレー。あとこれね、とファミリーパックのバニラアイスを手に取るので、じゃあこれは? とチョコレートソースを手に取ると、いいね、と許可が降りたので、それもかごに入れた。
「早く帰ろう、アイス溶けちゃう」
「そうだね。重いほうを貸して、私が持つから」
「イライくんには帰ったら玉ねぎを切ってもらうので、大丈夫です」
「ふふ、どういう理屈だい。大丈夫、持つから」
「あーん、ありがとう」
 このやり取りももう何度目だろうか。彼女の細い腕に、エコバッグの持ち手が赤い線を作るのがどうにも嫌で、いつも私が重いほうを持つ。大丈夫だよ、持てるよ、と言う言葉を振り切って、代わりに、来るときと同じように空いた手の指をいたずらに少し、絡める。
 好きだな、と思う。このひとが好きだな。自分のような男を好きになってくれる、そばにいてくれる、このひとがとても好きだな、と思う。きっと世界中どこを探しても、こんなに魅力的なひとにはもう出会えないだろう。
「イライくん、にやついてる。そんなにしあわせアイス楽しみ?」
 むに、と手の甲を軽くつままれて、痛くはないけれどぎくっとして、こんなに色ボケしたことを考えていたとは知られたくないので、「うん」と返事をしておいた。

 ハヤシライスはとても上手にできた。玉ねぎを切ったら涙がぼろぼろこぼれて、それを親指で優しくぬぐってもらえたし、「頑張っているからご褒美をくれないかい」と言ったら恥ずかしそうに、精一杯背伸びをして目元にキスをくれたので、満足だ。
「イライくんてそういうとこある」
 染まった頬を隠せもしないまま、鍋の灰汁をとる彼女を後ろから抱きしめつつ、「まあね」と言えば「なんでちょっと誇らしげなの」と言われた。

 ハヤシライスは煮込むだけになって、いざ、しあわせアイスを作ろうと、まず彼女は私にアーモンドと麺棒を渡した。
「イライくんは、これでアーモンドをいい感じに砕いてください」
「うん」
「わたしはマシュマロを切ります」
「うん」
 私はアーモンドをこれでもかと力を入れて砕いたし、彼女はべたつくマシュマロを一生懸命切った。下準備はそれだけで、次はバニラアイスをボウルに出してアーモンドとマシュマロを混ぜるだけらしい。
「おいしくなるようにおまじないかけながら混ぜるんだよ」
「おまじない」
「そう、おまじない。イライくんやってみて」
「ええ、難しいなあ」
 木べらで混ぜながら、おいしくなれ、おいしくなれ、と頭の中で考える。このアイスを食べて、彼女が笑ってくれますように。彼女がしあわせになれますように。
「できていると思う、おまじない」
「さすがイライくん」
「次はきみの番」
「うん」
 ぎゅっと目を瞑って一生懸命アイスを混ぜる姿が愛しくて、身をかがめてそっと唇を奪うと、まだアイスを食べていないのに甘い味がした。怒られた。

 しあわせアイスはいったん冷凍庫に戻して、ハヤシライスを食べた。おいしいね、と笑い合いながら、彼女は食後のしあわせアイスで頭がいっぱいのようだった。
 食べ終わって、食器を洗って、透明な器とアイスを取り出す。
「いざ」
「うん」
見た目は普通のアイスに見える。バニラアイスに、マシュマロはよく見えないし、アーモンドはまあなんとなくわかるけれど、でもなにがどうしあわせなのかはよくわからない。
 器に盛られたアイスに、イライくんからどうぞ、とどきどきした様子の彼女がチョコスプレーとチョコレートソースを渡してくれるので、少し笑いながら、ありがとう、とそれを受け取った。
「一気にね、勢いよくね、遠慮なくいったほうがいいよ」
「わかった。遠慮なくいくよ」
 チョコレートソースを思い切りかけて、チョコスプレーをかけすぎじゃないかというくらいにかける。なんだか、その二つが合わさるだけで、ちょっと贅沢な気分だ。
「じゃあ次、わたしいくね」
 彼女も楽しそうに、チョコレートソースとチョコスプレーをアイスの上にかけた。
「これがしあわせアイスなのです」
「ふむふむ」
「食べよう」
「そうだね」
 お互いに向かい合ってテーブルに座って、ぱく、とアイスを口に含む。なるほど、甘くて、アーモンドが香ばしくて、マシュマロの食感が独特で、これは確かにおいしい。
「おいしいねえ」
 彼女はほっぺたをおさえて、にこにこととろけた笑顔を浮かべていた。ほわ、と胸の内が暖かくなるような感覚。
「しあわせアイスってすごいね」
「でしょう。イライくんもわかってくれてうれしい」
「うん。とてもしあわせだ」
 愛しい人と毎日を過ごして、食後のデザートにこんなにおいしいアイスを食べることのできるしあわせ。変わらない日々の中に見つけることのできる、目に見えて、味わうことのできるこのしあわせを、彼女が教えてくれる。
「とてもしあわせだよ」
「そんなにおいしい? おかわりしてもいいよ」
「明日にとっておく。明日も、しあわせアイス、食べようね」
「うん」
 イライくんアイス好きなんだね、と笑われて、そうだね、好きだよ、と答える。しあわせだなあ。好きだなあ。愛しいひとといられる日々の味がする。涙がでるほどおいしいアイスを、一口一口、味わって食べた。
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