彼女と彼女の事情①
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今年の蘭は例年よりも長く咲いた。
特に、気温が暖かかったわけでも、花の寿命を延ばすために私が何かしたわけでもない。
冷たい冬の風に煽られても、健気に咲き続けていた。
まるで、誰かの思いに必死に答えようとするかのように。
ただ、それも今日までだ。
「全部、散りましたね」
花が散り、閑散とした庭をゆっくりと歩く。今は物寂しい庭になってしまったけれど、きっと来年には、また美しい花々を見せてくれる。私は見ることは出来ないけど、次に咲く蘭の花達がきっとお蘭様の心を癒してくれるだろう。
「最後の挨拶に行かないとね」
暮れる夕陽を眺めながら、その足でお蘭様の部屋へと向かう。
最初は、豪奢な品々が並んだ廊下を恐る恐る歩いたものだが、今では馴れたもので何も考えずにその横をスタスタと通り過ぎる。
この廊下も……お蘭様と過ごせるのも今日が最後。
与えられた役目に、最初はちょっと面倒だなと思っていた。
私は花の世話が得意なのであって、女人に化粧等は施したことがない。だから、初日は紅を差すだけで終わりにした。その後は同僚や自分の顔を練習台に何度も何度も勉強した。
その甲斐あってか、私の化粧の腕も上達し、それなりな仕上がりに出来るようになった。それに合わせ、お蘭様が信長様の寝所に呼ばれる回数も徐々に増えていく。
そこには何よりも、お蘭様の容姿が優れていることもあっただろう。化粧1つで時には百合のように可憐に、時には牡丹のように妖艶にと、様々な姿に彼女を仕上げることが出来た。
それが、段々と花の世話をしているように楽しくなり、今日は何の花をモチーフに化粧を施すか……と考えるのがとても楽しかった。
お蘭様……。
グスリと鼻をすすり、呼吸を整えた後にお蘭様の部屋に入る。悲しい顔は見せない。最後は笑って別れようと決めていた。
「お蘭様。名無しさんです。失礼致します」
いつものように、お蘭様は化粧台の前で私が来るのを待っていた。そして、いつものように、優しく微笑んで私を出迎える。
うっ……さっそく涙腺がぁ……。
グスッと鼻をすすり、お蘭様の傍へと移動する。今日、どのように仕上げるのかはとうに決めてある。
「お蘭様。今日は紅だけ差していきましょう。やっぱり、お蘭様はそのままの姿でいるのが一番美しいです」
お蘭様の美しい瞳がすっと私を捉える。
「色んな花を参考に化粧をしてきましたが、やっぱり、そのままの姿が一番美しいです。お蘭様という花を咲かせる手伝いが出来たこと、自分の一生の宝とします」
居住まいを正し、ゆっくりと深くお蘭様に頭を下げる。
「私は明日、実家に帰り親の決めた相手の元に嫁ぎます。まだ、相手とは顔も合わせたことないんですけど……。まぁ、何とか、頑張ってみます。お蘭様の御健勝をお祈りしています」
美しい唇に紅を引き終え、涙が溢れぬうちに退室しようと、お蘭様に背を向け出口を目指す。
パシッ
「えっ!?」
力強く捕らわれた右腕。私の腕を捕らえたのは間違いなくお蘭様。こんな美しい御方のどこにこんな力があるのか……。不思議に思ってしまう。
「お蘭様……どうされましたか」
彼女の瞳……。覗き込めば、とてと悲しい色をしている。私との別れを惜しんでおられるのだ。胸がチクリと痛む。
お蘭様は私の腕を引くと、自身の鏡台の前に座らせる。そして、新品の紅の入った貝殻を取り出す。
色は淡い桃色。桜の花弁を思わせる。
「可愛らしい紅ですね」
彼女は真新しい紅を人差し指で掬うと、そのまま指を私の唇に押し当て、ゆっくりと線を引いていく。鏡を見れば紅を引き、艶やかになった自分の姿が映る。そして、お蘭様は残った桃色の紅を私の手に握らせる。
「これを……私に下さるのですか?」
彼女はコクンと頷くと、顔を伏せたまま貝殻を握らせた私の手をそっと包み込む。
その時、折り悪く
「お蘭様。信長様がお呼びです」
と部屋の外から女中の声が掛かる。
いつもなら、声が掛かるとすぐに立つお蘭様が今日は中々立たない。ただ、優しく私の手を包み込み続ける。
やがて、しびれを切らした女中が部屋に入ってきて、信長様のお叱りを受けてしまいますからと泣く泣くお蘭様を説得し、それに答える形で彼女は私の手を放し、部屋を退室していった。
手にポツリと水滴が落ちている。
この温かい水滴はお蘭様の涙だ。
その瞬間、堰を切ったように私の目から涙が溢れ落ちていった。
特に、気温が暖かかったわけでも、花の寿命を延ばすために私が何かしたわけでもない。
冷たい冬の風に煽られても、健気に咲き続けていた。
まるで、誰かの思いに必死に答えようとするかのように。
ただ、それも今日までだ。
「全部、散りましたね」
花が散り、閑散とした庭をゆっくりと歩く。今は物寂しい庭になってしまったけれど、きっと来年には、また美しい花々を見せてくれる。私は見ることは出来ないけど、次に咲く蘭の花達がきっとお蘭様の心を癒してくれるだろう。
「最後の挨拶に行かないとね」
暮れる夕陽を眺めながら、その足でお蘭様の部屋へと向かう。
最初は、豪奢な品々が並んだ廊下を恐る恐る歩いたものだが、今では馴れたもので何も考えずにその横をスタスタと通り過ぎる。
この廊下も……お蘭様と過ごせるのも今日が最後。
与えられた役目に、最初はちょっと面倒だなと思っていた。
私は花の世話が得意なのであって、女人に化粧等は施したことがない。だから、初日は紅を差すだけで終わりにした。その後は同僚や自分の顔を練習台に何度も何度も勉強した。
その甲斐あってか、私の化粧の腕も上達し、それなりな仕上がりに出来るようになった。それに合わせ、お蘭様が信長様の寝所に呼ばれる回数も徐々に増えていく。
そこには何よりも、お蘭様の容姿が優れていることもあっただろう。化粧1つで時には百合のように可憐に、時には牡丹のように妖艶にと、様々な姿に彼女を仕上げることが出来た。
それが、段々と花の世話をしているように楽しくなり、今日は何の花をモチーフに化粧を施すか……と考えるのがとても楽しかった。
お蘭様……。
グスリと鼻をすすり、呼吸を整えた後にお蘭様の部屋に入る。悲しい顔は見せない。最後は笑って別れようと決めていた。
「お蘭様。名無しさんです。失礼致します」
いつものように、お蘭様は化粧台の前で私が来るのを待っていた。そして、いつものように、優しく微笑んで私を出迎える。
うっ……さっそく涙腺がぁ……。
グスッと鼻をすすり、お蘭様の傍へと移動する。今日、どのように仕上げるのかはとうに決めてある。
「お蘭様。今日は紅だけ差していきましょう。やっぱり、お蘭様はそのままの姿でいるのが一番美しいです」
お蘭様の美しい瞳がすっと私を捉える。
「色んな花を参考に化粧をしてきましたが、やっぱり、そのままの姿が一番美しいです。お蘭様という花を咲かせる手伝いが出来たこと、自分の一生の宝とします」
居住まいを正し、ゆっくりと深くお蘭様に頭を下げる。
「私は明日、実家に帰り親の決めた相手の元に嫁ぎます。まだ、相手とは顔も合わせたことないんですけど……。まぁ、何とか、頑張ってみます。お蘭様の御健勝をお祈りしています」
美しい唇に紅を引き終え、涙が溢れぬうちに退室しようと、お蘭様に背を向け出口を目指す。
パシッ
「えっ!?」
力強く捕らわれた右腕。私の腕を捕らえたのは間違いなくお蘭様。こんな美しい御方のどこにこんな力があるのか……。不思議に思ってしまう。
「お蘭様……どうされましたか」
彼女の瞳……。覗き込めば、とてと悲しい色をしている。私との別れを惜しんでおられるのだ。胸がチクリと痛む。
お蘭様は私の腕を引くと、自身の鏡台の前に座らせる。そして、新品の紅の入った貝殻を取り出す。
色は淡い桃色。桜の花弁を思わせる。
「可愛らしい紅ですね」
彼女は真新しい紅を人差し指で掬うと、そのまま指を私の唇に押し当て、ゆっくりと線を引いていく。鏡を見れば紅を引き、艶やかになった自分の姿が映る。そして、お蘭様は残った桃色の紅を私の手に握らせる。
「これを……私に下さるのですか?」
彼女はコクンと頷くと、顔を伏せたまま貝殻を握らせた私の手をそっと包み込む。
その時、折り悪く
「お蘭様。信長様がお呼びです」
と部屋の外から女中の声が掛かる。
いつもなら、声が掛かるとすぐに立つお蘭様が今日は中々立たない。ただ、優しく私の手を包み込み続ける。
やがて、しびれを切らした女中が部屋に入ってきて、信長様のお叱りを受けてしまいますからと泣く泣くお蘭様を説得し、それに答える形で彼女は私の手を放し、部屋を退室していった。
手にポツリと水滴が落ちている。
この温かい水滴はお蘭様の涙だ。
その瞬間、堰を切ったように私の目から涙が溢れ落ちていった。