「名無しさん。ちょっと、来なさい」

夕食を終え、寝る準備をしていると女中頭から声を掛けられる。こんな、夜中に呼び出しがかかるなんて……。思い当たることは、ただ一つ……。

「な、何でしょうか」

叱るにしても、こんな夜中じゃなくてもいいじゃないか。寝る前に叱責だなんて、これじゃ落ち込んで眠れなくなること確実だ。

「貴女に、さる御方から声が掛かりました。夜中はあの御方にお仕えなさい」

「あの御方とは……？」

んっ？これは、予想外の展開。

「お蘭様です。信長様が一番の寵愛を与えている方です」

「お蘭様……。私が手掛ける蘭の庭にちなんだ御方ですか!？」

「そうです。お蘭様が貴女をご所望なのです。早く来なさい」

まさか、自分が庭を手掛けることになった由来となった方に仕えるとは……。急ぎ女中頭の後を追い、安土城の中枢へと歩を進める。進めば進むほど、見たことのない豪奢な壺や皿、見たことのない品々が目に入ってくる。

目をチカチカさせながら進んでいくと、やがて一室の前で女中頭は立ち止まる。

「さぁ、ここです。貴女は今日から信長様の寝所に侍る、お蘭様のお支度を手伝うのです」

「あの!具体的には何を？」

「化粧の手伝いや肌着に香を炊き込ませたり、後は情交後のお蘭様を労えばよいのです。ほら、早く行きなさい」

ぐいっと後ろから押され、心の準備もままならぬまま、部屋へと押し込まれる。

「ちょっ!押さないで下さいよ!って、嫌ぁ～」

抵抗むなしく、つんのめって部屋の畳に顔を擦り付ける。あれ、これ、ちょっと鼻の皮めくれたんじゃない？痛い……。

ん～っと唸りながら顔を上げた時、こちらを驚いた表情で見る美しい女性と目があった。

可憐な顔。美しく整った唇。絹のような艶を放った黒髪。女である私も見惚れる程の美しさ。

お蘭様だ……。

急ぎ、佇まいを直し、その場に正座する。

「名無しさんです。お呼びにかかり、参上致しました」

深く頭を下げると、それを労うようにポンと肩を叩かれる。見上げれば、人形のような完璧な容姿を持つお蘭様の顔がそこにあった。

「お蘭様……。本当にそのような落ち着きのない娘でよろしいのでしょうか」

女中頭は何とも言えない顔で私とお蘭様を見つめる。

すると、お蘭様は強く肯定するかのように大きく頷く。

「貴方様がそうおっしゃるのであれば……。では、名無しさん。しっかり自分の職務に励みなさい」

女中頭は一礼すると、部屋を退室する。気付けば、部屋にお蘭様と２人っきりになっていた。