彼女と彼女の事情①
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秋が深まる。
深まる秋は冷たい風と共に、もうじき冬を運んでくる。
そうなれば、ここのお庭ともお別れね。
安土城の一画に広がる美しい蘭の花々。城主、織田信長の命で作られたこの空間は、信長が「蘭」の名を持つ愛妾のために作らせたともっぱらの噂だ。
そして、花の知識がある私は、この蘭の花を美しく咲かせるため、自分から進んで奉公に願い出た。冬が来て、蘭が散れば生家に帰り、親が決めた顔も知らぬ相手との結婚が待っている。
別に結婚が嫌なわけじゃない。
みんな、やっていることだ。
でも、独身最後の年に1人になってみたかったのかもしれない。親の困った顔が見たかったのかもしれない。
暮らし慣れた家を離れ、自分の知らない場所で過ごす……。
それは、少し不安でもあったけど、自分の知らない世界を垣間見られ、とても楽しい毎日でもあった。
日がゆっくりと傾く。
そろそろ室内へ戻ろう。
廊下に上がった時、奥から鎧特有の金属音と足音、それに人々のざわめきが耳に届いた。
「信長さま、何故、このようなところに……」
信長、という声が廊下の向こうから聞こえた気がした。まだ姿は見えないが、急いでその場に叩頭する。
信長様は苛烈な御方。怒りを買えば仏に仕える僧侶でさえ、寺ごと切り捨てられる。
まだ、信長様に直に会ったことはない。そのため、伏した身体は自分の意思に反して細かく震えた。
重厚な鎧の擦れる音と数人の足音が、ゆっくりと近付いてくる。やがて、それは蘭の花々の前で立ち止まった。
「見事……ぞ」
頭上から聞こえる声は低く、重厚さを併せ持つ。おそらく、この御方が信長様。
「真に。これほどに美しい蘭の花々は見たことがありません」
信長様の隣から少年のような声が響く。
自分よりも、若そうな印象だ。
「うぬが育手か?」
「はっ、はい……」
信長様から声が掛けられ、伏せた自分の身体がより一層強く震える。声も裏返っている。何とか震えを止めなきゃ……。こんな姿を見られて信長様の不況を買ったら……。焦れば焦るほど、自分の身体はいうことをきかない。
その時、ポンと肩に手をかけられた。
「大丈夫ですよ。信長様は貴女が育てた花をとても気に入っています」
先程の少年が、震える私を落ち着かせるために声を掛けてくれたようだ。その言葉に、自然と心が落ち着く。
「はい。ここの蘭は正に今が見頃。冬が来て、花弁が散る前に存分に愛でてやって下さいませ」
顔を伏せたまま、一通りの口上を述べる。今度は声は裏返っていない。
「花は散るが定め……か。後日、またここに来よう。蘭が散る前に……な」
信長様一行が再び廊下を歩きだす音が聞こえる。
「花は散るが定め、ですか……」
先程の少年の声がする。彼はまだ庭を見ているようだ。信長様がいないなら、頭を上げてもいいのかなとも思ったが、どうもタイミングがつかめない。
「願わくば……老いさらばえていく前に美しく、散りたいものです。あの蘭の花々のように……」
酷く悲しい少年の物言いに心を打たれる。
「お言葉ですが、花は散ったら死ぬわけではありません」
思わず、声を掛けてしまった。廊下が軽く軋む。きっと少年が蘭の花から私へ視線を移したからだ。
「花は芽吹き、蕾をつけ、花を咲かし、散っていきます。そして、その後には種を成し次世代に命を繋いでいきます。人も同じです。美しい盛りを持ち、その後は子供を生み、老いていく。同じ摂理を歩いています」
秋の冷たい風が庭から廊下に流れる。この風で数枚の花びらが散ったことだろう。私は言葉を続ける。
「人は花にはなれません。花も人にはなれません。でも、両者の根本は一緒なのです。ただ、人は散ったところで何も残せないのです。花の真似事など出来ぬのです。しっかりと老いて死んでいく。それが一番美しいのです」
一気に口上を述べてから、次第に身体が火照り、後悔に襲われる。信長様の従者に説教するなんて……。あぁ……身分的に有り得ない……。
「貴女……名前は?」
「名無しさんです」
あっ、名前控えられちゃった……。
「いつから此処に居るのでしょうか?」
「春から……。此方の庭の花の手入れを任されてきました。冬になり、花が散れば婚姻のため生家に戻る身です」
「分かりました。此処の花達は貴女に面倒を見てもらえて幸せでしょう。では、花がすべて散るまで、蘭のことは貴女にお任せしますよ」
「はい。お任せを」
少年が信長様の後を追い、廊下を進んでいく。伏した頭をゆっくり上げると、長い黒髪が一本に結わえられ、美しく揺れながら遠ざかる少年の後ろ姿が見えた。
深まる秋は冷たい風と共に、もうじき冬を運んでくる。
そうなれば、ここのお庭ともお別れね。
安土城の一画に広がる美しい蘭の花々。城主、織田信長の命で作られたこの空間は、信長が「蘭」の名を持つ愛妾のために作らせたともっぱらの噂だ。
そして、花の知識がある私は、この蘭の花を美しく咲かせるため、自分から進んで奉公に願い出た。冬が来て、蘭が散れば生家に帰り、親が決めた顔も知らぬ相手との結婚が待っている。
別に結婚が嫌なわけじゃない。
みんな、やっていることだ。
でも、独身最後の年に1人になってみたかったのかもしれない。親の困った顔が見たかったのかもしれない。
暮らし慣れた家を離れ、自分の知らない場所で過ごす……。
それは、少し不安でもあったけど、自分の知らない世界を垣間見られ、とても楽しい毎日でもあった。
日がゆっくりと傾く。
そろそろ室内へ戻ろう。
廊下に上がった時、奥から鎧特有の金属音と足音、それに人々のざわめきが耳に届いた。
「信長さま、何故、このようなところに……」
信長、という声が廊下の向こうから聞こえた気がした。まだ姿は見えないが、急いでその場に叩頭する。
信長様は苛烈な御方。怒りを買えば仏に仕える僧侶でさえ、寺ごと切り捨てられる。
まだ、信長様に直に会ったことはない。そのため、伏した身体は自分の意思に反して細かく震えた。
重厚な鎧の擦れる音と数人の足音が、ゆっくりと近付いてくる。やがて、それは蘭の花々の前で立ち止まった。
「見事……ぞ」
頭上から聞こえる声は低く、重厚さを併せ持つ。おそらく、この御方が信長様。
「真に。これほどに美しい蘭の花々は見たことがありません」
信長様の隣から少年のような声が響く。
自分よりも、若そうな印象だ。
「うぬが育手か?」
「はっ、はい……」
信長様から声が掛けられ、伏せた自分の身体がより一層強く震える。声も裏返っている。何とか震えを止めなきゃ……。こんな姿を見られて信長様の不況を買ったら……。焦れば焦るほど、自分の身体はいうことをきかない。
その時、ポンと肩に手をかけられた。
「大丈夫ですよ。信長様は貴女が育てた花をとても気に入っています」
先程の少年が、震える私を落ち着かせるために声を掛けてくれたようだ。その言葉に、自然と心が落ち着く。
「はい。ここの蘭は正に今が見頃。冬が来て、花弁が散る前に存分に愛でてやって下さいませ」
顔を伏せたまま、一通りの口上を述べる。今度は声は裏返っていない。
「花は散るが定め……か。後日、またここに来よう。蘭が散る前に……な」
信長様一行が再び廊下を歩きだす音が聞こえる。
「花は散るが定め、ですか……」
先程の少年の声がする。彼はまだ庭を見ているようだ。信長様がいないなら、頭を上げてもいいのかなとも思ったが、どうもタイミングがつかめない。
「願わくば……老いさらばえていく前に美しく、散りたいものです。あの蘭の花々のように……」
酷く悲しい少年の物言いに心を打たれる。
「お言葉ですが、花は散ったら死ぬわけではありません」
思わず、声を掛けてしまった。廊下が軽く軋む。きっと少年が蘭の花から私へ視線を移したからだ。
「花は芽吹き、蕾をつけ、花を咲かし、散っていきます。そして、その後には種を成し次世代に命を繋いでいきます。人も同じです。美しい盛りを持ち、その後は子供を生み、老いていく。同じ摂理を歩いています」
秋の冷たい風が庭から廊下に流れる。この風で数枚の花びらが散ったことだろう。私は言葉を続ける。
「人は花にはなれません。花も人にはなれません。でも、両者の根本は一緒なのです。ただ、人は散ったところで何も残せないのです。花の真似事など出来ぬのです。しっかりと老いて死んでいく。それが一番美しいのです」
一気に口上を述べてから、次第に身体が火照り、後悔に襲われる。信長様の従者に説教するなんて……。あぁ……身分的に有り得ない……。
「貴女……名前は?」
「名無しさんです」
あっ、名前控えられちゃった……。
「いつから此処に居るのでしょうか?」
「春から……。此方の庭の花の手入れを任されてきました。冬になり、花が散れば婚姻のため生家に戻る身です」
「分かりました。此処の花達は貴女に面倒を見てもらえて幸せでしょう。では、花がすべて散るまで、蘭のことは貴女にお任せしますよ」
「はい。お任せを」
少年が信長様の後を追い、廊下を進んでいく。伏した頭をゆっくり上げると、長い黒髪が一本に結わえられ、美しく揺れながら遠ざかる少年の後ろ姿が見えた。