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夢の終わり

 どこまで行っても、どこにいても、やつらのうめき声が聞こえる。明らかに人間でないものが辺りを徘徊している中、俺は祈るように通話ボタンを押した。

「誰か、誰でもいいから返事をしてくれ……! 無事だって言ってくれ……」

 他の国にも俺達のような戦闘部隊が、そうでなくても通信を受けるやつがいるはずだった。それなのに、いつまでたっても返事はない。

「もう無理よ、他の人達はもう……」
「まだだ! きっとどこかで隠れてるはずだ!」

 怪物どもに見つからないよう声を抑えつつ、同じ隊員である恋人を励ます。その甲斐があったのか、ジジ、と通信機からどこかに繋がる音がした。

「……! こちら五七一隊! 壊滅状態で戦闘不能だ! 救援を送ってくれ!」
「…………」
「聞こえてるのか? 救援を、」

 クチャリ、と水っぽい音。何かを引きちぎっては噛み砕いている、そんな音がした。通信機越しに聞こえてきたそれは、俺達の周囲にも鳴り続けている音だ。分かる。これは。

「食われてるんだ……」

 手遅れだった。同時に人類の敗北を悟った。生き残っている俺達だけでは、もはや救えるものなんて無い。生きた人間をすぐに見つけ出し、食い散らかしては仲間を増やすやつらはねずみ算的に増えていく。俺は、俺達は負けたんだ。

「……とりあえず移動しましょ? 怪物どもが集まってきてる」
「どこに行くって言うんだ? この町だけじゃない。国中、世界中に怪物がうようよしてるってのに」
「とにかく遠くに。少し休憩してこれからのことを考えましょうよ」

 行き先すら思い付かない俺の手をひいて、彼女はぼろぼろの町を進んでいく。その手はかすかに震えていた。

     *

「助けてくれっ!!」

 辺りに響きわたる悲鳴。それを耳にした俺達は顔を見合わせ、声の元へと急いだ。
 崩れかけた建物の屋上、怪物に囲まれた青年が助けを求めて声を張り上げている。音を出せば出すほど怪物は引き寄せられてくるが、そんなこと考えている余裕もないのだろう。

「行けるか?」
「助ける気なの? あの人、声が大きいから長生きできないわよ」
「関係ない。もう誰も死なせたくないんだ」

 俺の言葉に、仕方ないわね、と呟いて、彼女は武器を取り出した。


 仕留めた怪物の足がまだピクピクと動いている。警戒しつつも青年に声をかければ、息を切らしながら感謝の言葉を告げられた。まだ俺は感謝されていい立場なのだろうか。青年の息が整うのを待つ。彼以外の生存者はやはりいないようだった。

「……あんた、どこかで……」

 びくりと体が反応する。おそらく新聞にでも顔写真が載っていたのだ。これから彼の態度がどう変わるか想像がついていた。けれど嘘をつく気にもなれず、正直に名乗った。俺が誰だか理解した途端に、彼の顔が憎悪に染まった。

「お前っ、最強なんじゃねえのかよ! なんでこんなことになってんだよ!」

 最強。他のやつより少し強いだけでもてはやされた俺についたあだ名だ。実際はこんなにも弱かった。誰にも負けないなんて、人間相手の話だったのだ。俺に寄り添っていた彼女が声を荒らげて言い返した。

「そんなの周りが勝手に言ったことよ! 彼が望んだんじゃないわ!」
「それでも実際ちやほやされただろ? その分ちゃんと返せよ! もっと強けりゃ勝てたんじゃねえのかよ!」

 お前が弱いせいで皆死んだんだ。お前が、お前が。そうだ。俺が弱かったせいで皆やられてしまった。青年の言うことは全て正しかった。俺がもっと早く倒せていたらあいつは怪物にならなくてすんだ。俺がもっと早く駆け付けていたらあの子は自害を選ばなかった。何も言えずにうつむく俺に、青年の声はさらに尖っていく。

「全部彼に押し付けて準備を怠ったのはあなた達でしょう!」
「強いやつが弱いやつを守るのは当たり前だろうが!」

 こんな俺を彼女は庇ってくれる。もういいんだ、と袖を引っ張れば、途端にくしゃりと顔を歪められてしまった。彼女にそんな顔をさせたかった訳じゃない。俺のために責められる姿は見たくない。そう言ってしまえば彼女はもっと悲しい顔をするのだろう。

「……いいわ。さっさと行きましょう」
「おい待て、オレを置いていく気か?」
「私達のこと憎んでるんでしょう? 連れていく必要なんて無いじゃない」
「オレみたいな力の無いやつを見捨てようだなんて、人の心がないのか? この悪魔め!」
「ありきたりな罵倒だこと。語彙が貧弱なのね」

 青年と言い争う彼女をなんとか宥め、町を駆け抜けていく。どこを見ても怪物がいる中、比較的数が少ない場所を選んで隠れることにした。あっという間に見つかるとしても、少しでも体力を回復させる必要があった。


「……一つ、考えがあるの」

 見張りを交代するとき、彼女はそう言った。暗闇の中、彼女は俺の手を確かめるように握りしめた。何か思い詰めたような静かな瞳が俺の顔を見つめている。側にいた青年が声をあげて急かす。

「考えってなんだよ」
「ここから逃げ出す方法よ」

 放たれた言葉に、青年は非難の声を出した。その顔には嘲るような表情が浮かんでいた。俺ですら初耳のそれは、少し離れた場所にあるという。

「やっぱり自分達だけで逃げ出すつもりだったんじゃねえか!」
「知っていたって、逃げ出すなんて私達に許されるはずがないわ」

 でも今なら。許されるはずだと彼女は呟いた。他に行くあても無い俺達に、ようやく希望が見えてきた。逃す訳にはいかない。俺はなんとしてでも生き残り、罪を償わなければならない。

     *

 町外れの小さな建物には隠し扉が存在した。そこを開いて彼女は階段を降りていく。続いて降りる俺は、恋人がこんな場所を知っていることに驚いていた。

「どこでこの情報を得たんだ?」
「先輩の中にここで働いてる人がいたの。もう死んでしまったけど。こっそり教えてくれたことだから、他に知ってる人は少ないわ」

 内緒にしていてごめんね。前を向いたまま謝罪の言葉を口にした彼女の背中はひどく小さく見えた。

「構わない。君のすることに間違いは無いからな」

 俺が冗談めかして言えば、少し間をおいてから彼女は笑ってくれた。


「これは……」
 暗い部屋に数台の機械が並んでいた。横長のそれは、確かに人を収納できる大きさがあった。

「人間をスリープ状態にして、生存可能な場所まで運ぶ機械、ですって。名前をつけられる前にこんなことになってしまったけれど。これから大量生産されるはずだったのよ」
「……ここにある分じゃ、全人類を逃がすのは無理だな」
「ええ。でも今の私達くらいならなんとかなる」

 共に入ってきた青年は彼女の言葉を信じられないようだった。周囲に並ぶ本棚から書類を取り出して確認しながら、ここまで連れてきた彼女に疑問を投げかけた。

「本当に逃げられんのか? どうやって?」
「一旦空に打ち上げるの。一人用ロケットみたいなものね」
「じゃあなんで地下にあるんだ? 打ち上げるのに不便すぎんだろ」

 疑いの目を向けられた彼女は返事をするのをやめて俺の方へと向き直った。瞳を揺らして俺に問う。

「あなたは信じてくれるわよね?」
「もちろん」

 彼女が嘘をついたことなんて無い。今回だって心から俺達のことを思ってこのことを話してくれたのだ。信じるに決まっている。

「心配なら俺達が先に行く。君は後から判断すればいい」

 俺の言葉に彼女は微笑みを浮かべ、青年はそれならば、と頷く。彼女が機械に触れた。非常用電源に繋いで起動されたその機械はゆっくりと蓋を開く。人一人横になれる程度のスペース。彼女に目をやれば、しっかりと頷かれた。

「先に行って」
「君は?」

 俺の顔も見ずに、脇にあるボタンを操作している彼女。何をしているかは分からない。君もいっしょなんだろうな、と言外に伝えれば、ようやく手を止めた。

「あなた達を逃がし終えたら私も入るから。一人で操作することもできたはずだから」
「それなら俺が、」
「だめ。操作方法を教える時間なんて無いの。大丈夫。さあ」

 流されるようにして入った機械の中は思っていたよりふかふかとしていた。途端に眠気が襲ってくる。意識を朦朧とさせながら彼女の顔を見上げたが、閉じかかった瞼が邪魔をする。涙ぐんでいるように見えて手を伸ばした。上手く力が入らない。
 その時、遠くの方で――眠いからそう聞こえただけで実際はもっと近くにいたのだろう――青年の怒鳴り声がした。何かに怒っている。きっと俺が助かることに不満があるのだ。これから、きっと償ってみせるから。どうか今は。

「ええ、大丈夫、大丈夫よ。安心して眠って。起きたらまた会えるわ。きっと素敵な場所にたどり着ける。そこでやり直しましょう」

 この安らぎに身を任せることを許してくれ。

「おやすみなさい」



 ギギギ、と軋みながら蓋が開いていく。俺の意識も覚醒していく。開ききった蓋の向こうに澄みきった青空が見えた。勢いよく起き上がった体に痛みはない。傷が治っている、と気付いたとき、横からの衝撃を感じた。そのまま色とりどりの花の上に倒れこんだ俺に、彼女が抱きついている。

「助かったのよ! 私達!」
「ああ、よかった……ここはどこだ?」
「どこだっていいわ! 少なくとも怪物がいないもの」

 一面に広がる花畑の中にあの機械は突っ込んだらしい。穏やかに吹く風が花びらを揺らしている。あらゆる場所が戦場だったあそこでは、もう花なんて見られないと思っていたのに。
 嬉しそうに話続ける彼女が、口下手な俺の代わりに喜びを表現してくれている。ゆっくりと抱き締め返せば、彼女の腕の力も強くなった。何もかもを失った。でも彼女は、彼女だけは残っている。死んでいった仲間達のために。この笑顔を失わないために、俺は――

     *

 ブチッ

     *

 淡々と電源装置を抜いた私を、青年は絶句したように見つめた。先程までの、騙された恨みを私にぶつけていた元気を失ってしまったようだった。

「お前、何やってんだよ……」
「見て分かるでしょう」
「その機械、電源落としたら中のやつまで死ぬんだろ? だから量産されなかったって、さっきの書類に」
「ええ、死ぬわ。夢を見たまま」

 もう目覚めることのない愛しの彼は、ずっとストレスによる不眠症にかかっていた。解決してあげたくて作った、強制的に眠ることのできる機械。望んだ夢を見ることのできる素敵な機械になるはずだった。試している最中に停電が起こり、中にいた人が死ぬまでは。彼にサプライズで渡そうと思っていたので、限られた人しかその機械の存在を知らなかった。簡単に事故を揉み消せた。改良する前に戦いが本格化してしまったが、ここで役立つとは。

「あいつ、お前の彼氏じゃなかったのか? なんでそんなに平然としてられるんだ!?」
「最強でもない悪魔だから、かしら」
「……っ!」
「冗談よ。根にもってないから。それより、入らないの?」

 私は他の機械を指差した。作っている最中に生まれた、夢を見られない欠陥品。青年は戸惑いつつも私に言い返す。

「オレにまで死ねってか?」
「どのみち死ぬの、分かってるでしょう」
「……まだお前が残ってる」
「彼がいても不可能なことを私に出来る訳ないじゃない。現状を覆せるほどの力なんて無いのよ」

 青年はほんの少し機械に近づいた。まだ決心できていないようだ。

「生きたまま食われて残骸があいつらみたいになるのと、眠るように死ぬの。どっちがいい?」

 きっと青年も目の前で人が死ぬのを見たのだろう。変わり果てた姿になり動き出す人間を。
 歯をガチガチといわせながら震える手で電源を入れる青年を横目に、私は昔撮った彼との写真を眺めていた。にかっと笑って私の肩に手を回す彼。まだ勇者と呼ばれていない、弱かった頃の写真だ。あんなに彼が追い詰められてしまうのなら、もっと早くにこうしておくべきだっただろうか。全てを彼に背負わせようとした人間なんて知ったことではないのだから。
 彼は私のことを全面的に信頼してくれていた。さすがにさっきはバレるかと思ったけれど、疲れきった彼の判断力は私に味方した。その結果彼の気持ちを踏みにじることになった、と思う。本当によかったのか。
 ぼんやりと後悔していると、青年が私の肩を叩いた。そして小型の銃を差し出してきたが、私の顔を見ようとはしない。

「どうせ一人で操作できるってのも嘘なんだろ。これ使えよ。怪物相手じゃ意味ねえけど、人間なら、さ」
「……ありがとう」

 自害を進められて感謝するなんておかしなことになっている。それでも生きたまま食われるよりはずっと楽にいけるだろう。分かっている。だからこそ。
 誰もいない方向に、銃を撃った。青年は呆然とした顔で私を見た。一発、二発と撃っていき、壁が穴だらけになる頃には銃が空っぽになっていた。

「さあ、早く入って」
「何考えてんだよ! このままじゃ、」
「楽に死ねちゃいけないのよ」

 戦闘部隊なのに自分だけ生き残った。別にそこは気にしていない。けれど彼を騙してしまった。殺してしまった。そんな私に、安らかにいく権利は無い。

「銃があればその決意も揺らいでしまうからこうしたの。善意を無下にしたのは悪かったわ。お礼と言ったらなんだけど、私といっしょに食べられてみる?」
「……そんなのごめんだね」

 青年が開いた機械の中に身を滑り込ませたのを確認して、蓋を閉める。青年が鼻をすする音がした。ぽつりと、寝言のように呟かれた言葉。

「死にたくねえよお……」

 ガチャン。誰もいなくなった部屋に響く蓋の音は結構大きかった。これで青年も眠りについただろう。もう一度電源装置を抜き、私以外の人類が完全に消えた。そして、かすかな音に気付いた。もっと早くに見つかると思っていたから少し意外だった。生きた人間を見つけるなんて朝飯前だろうに。分厚い扉の向こうから、べちゃ、べちゃと湿った音がなっている。一体ではない。雑踏のようなざわめきがあった。少しずつ近づいてくるその音は、扉に阻まれて止まった。
 怪物にはいろんな形のやつがいる。ベタついたやつ、燃えてるやつ、冷たいやつ。今扉を叩いた、いや、変形させたのは鋭い爪のやつだろう。あの体液でぬらりとした爪が何度も振り下ろされる様を目に浮かべた。ヒビが入り、分厚い扉もあっさりとくだけ散った。むわりとした腐臭と共にやってきたそいつらは目的の獲物を見つけてよたよたと動く。もはや人間だったときの面影は無い。
 彼は幸せな夢を見ることができただろうか。ずっと世界のために頑張ってきたのだから、最期くらいいいことがあってもいいと思う。きっと彼のことだから、夢の中でも未来に思いを馳せているのだろうな、と思いながら、てらてらとした牙が迫ってくるのをただ眺めていた。
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