このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

憧れを燃やす

 隣の家に住んでいる彼女は、昔から私の憧れだった。いつだって優しくて、きらきらしていて、何でもできるお姉さん。今日も彼女のところに遊びに来た私に、待ってたよ、とワンピースを着た彼女が声をかけた。
「今日は川まで行こうか」
「濡れるんだったらタオルとか持ってこなくちゃ……」
「こんなに暑いんだからすぐに乾くでしょ。行こう!」
 白いワンピースをひるがえして笑う彼女につられて、太陽の照りつける外へと繰り出した。


 透き通った水がさらさらと流れていく。川を覗いていると、長い黒髪を耳にかけつつ彼女が隣に座りこんだ。揺らぐ水面に映る彼女も美しい。ふと彼女の頭に乗った麦わら帽子に気が付いた。そういえば帽子を被ってくるのを忘れてしまった。意識してしまうと頭のてっぺんが熱く感じる。試しに頭を触ってみればやっぱり熱を持っていて。どうしようかな、と思っていると彼女もその事に気付き、迷わず自分の帽子を私に被せてくれた。優しい手つきで行われたその行為がなんとなく照れくさかった。
「これ、君の方が似合うねえ。あげるよ」
「いいの!? 大切にする!」
 かわいいよ、と微笑む彼女が太陽よりも眩しくて、思わず目を細めた。ずっとこんな時間が続いてほしいと強く願った。一緒にいられるだけでいいから、それだけで構わないから。

     *

 貰った麦わら帽子が数年使ってぼろぼろになってきた頃、都会で一人暮らしするつもりなの、と彼女の口から飛び出した。私の体からすうっと体温が消えた。どうして、と絞り出した声に、彼女は苦笑するだけだった。
「君ならそう言うと思った」
「分かってるならなんで、」
「行きたい学校があったから、ごめんね」
 学校? 私は学校に負けたの?
「学校なんて、近くのじゃだめなの? わざわざ遠くに行かなくたって」
「行きたいところが遠くにしかなかったんだし、仕方ないでしょ? どうしてそんなに怒ってるの? 連絡なら手紙でも電話でも、メールでだってとれるじゃない」
 会えなくなるのに、彼女は全く寂しくなさそうに見えた。半泣きで問い詰めてくる私をどうやって説得しようか困ってるって顔。私はこんなに必死に止めているのに、彼女は変わらない。どうして。どうして。
 長期休みには帰ってくるからさ、なんて慰めてくる彼女の言葉を信じられなかった。都会に行った人は皆ここに帰ってこなくなる。彼女も、きっと。

     *

 あの日から塞ぎこんでいる私に、母が部屋の外から声をかけてきた。
「今日、あの子引っ越しちゃうらしいよ。見送りに行かなくていいの?」
「行かない」
 私を置いていく彼女にかける言葉なんてない。私がどれだけ大事に思っていても彼女はそうでもなかった、それだけの話だ。分かっている。自分の進路を、やりたいことを優先するのは当たり前のことだと。分かっていても駄々をこね続ける自分が嫌になって、悲しくて。何度も泣いてもう出ないと思っていた涙がぽろぽろ落ちて、拭っているうちに眠ってしまったようだった。
 起きたときには既に窓から夕日が差し込んでいた。もうこんな時間になったのか、と顔を上げるとポールハンガーに引っかけられた麦わら帽子が目に入る。どろりとした感情を抑えきれずに、乱暴に帽子を掴んで外へと走り出した。


「本当にいいのかい? ずいぶん大切にしてたみたいだけど」
「いいの。燃やしてください」
 道端で草を燃やしていたおじさんに許可を取って、草の束の中に帽子を放りこむ。すでに燃えていた草から帽子に火が移った。チリチリと端から焦げていく、火の勢いは増していく。
「そんなに近くにいたら煙たいだろう、早く離れなさい」
 おじさんはそう言って気にかけてくれたけど、煙なんて私にはどうでもよかった。あの人に貰った麦わら帽子は半分以上が火に飲まれて黒焦げになった。ぼろぼろになって崩れていく。あの人への気持ちも少しずつ消えていく。あんなに気に入っていた赤いリボンが汚ならしいものに見えて、途端に興味を失った。なんでこんなものを大切にしていたのか分からない。
 おじさんにお礼を言ってその場を立ち去った。夕焼けに照らされた私の影が伸びていく。夏の終わり、耳障りな蝉の声が頭の中に響いている。
1/1ページ
スキ