あなたを知りたい
「待った?」
「待ってないよ」
私は誰とも待ち合わせをしていない。それなのに彼女――小学生時代の友人は、あの頃の姿のままで私の元へと駆け寄ってきた。あまりにも嬉しそうだったものだから私はそれ以上の否定が出来ず、彼女と共に街へと歩き出すことになった。
卒業して何年たっただろう。卒業式以来会わなくなった友人は彼女の他に何人もいる。私は小学生の時より何センチも身長が伸びた。髪型だって服の趣味だって変わったのに、隣を歩く彼女は小学生の時と何も変わっていない。成長した私と並んでいるのだから彼女のつむじが見えるはずなのだけど、なぜか視点は同じ高さにあった。当時大人びていた彼女は、今の私からすれば何もかも幼く見えた。にこにこと笑みを浮かべて私に話しかける高めの声も記憶の中と同じままだ。
「ほら、ぼーっとしてないで! そんなんじゃ買い忘れしちゃうよ!」
そう言うと、彼女は片手に持っていたメモを読み上げていく。歯ブラシ、タオル、洗顔セット。家にもあるようなものばかりだ。ふと自分の手にも紙の束があることに気付く。表紙には修学旅行の文字といっしょにクラスメイトの描いた絵が印刷されている。そうか、今の時期は。
「修学旅行か……」
「いやなことでもあるの?」
「いつもと違う場所で寝られるか心配だったんだよね」
「心配だったって……これから行くのに何言ってるの」
クスクスと笑われて、そういやそうだねと私も笑う。なんでこんなこと言ってしまったんだろう。あれ、もう卒業したのなら修学旅行も終わってるんじゃないか。でも今私達はそのための買い物に来ていて、私はまだ小学生で。どうなってるの?
頭の中がぐちゃぐちゃになって自分のことすら分からなくなってきた私を、彼女は心配そうに覗きこんだ。そうして何を思ったのか私の手を握って突然走り出した。私は転びそうになりながらもあわせて走る。同じぐらいの大きさの柔らかい手が私と彼女を繋いでいる。私達は人ごみの合間を縫って走っていく。不思議と、走り抜ける子どもを叱る人はいなかった。周りより頭一つ分小さな私達は店を探すのも一苦労だ。
「まずはあの店に入ろうか!」
あの店ってどこ、と聞く間もなく彼女の手はするりとすり抜けた。あ、と声を出したときにはすでに彼女は後ろ姿になっていた。さらさらした黒髪がちらりと見えたのを最後に彼女は消える。繋ぐ相手のいなくなった私の手は、ゆっくりと自分以外の体温を忘れていく。周りの音が遠ざかっていく。
*
ジリリリと耳障りな音が私を急かしている。叩きつけるように時計を止めた。
ずいぶんと懐かしい夢を見た。同じグループだった彼女と二人きりで遊びに行くことはなかったのに、今日の夢では当たり前のように手を繋いでいた。そこでは当然だと思っていたのだ。確かに繋がれた手には体温があったので変な気持ちになる。振り向いた彼女の顔はもう上手く思い出せない。
懐かしくなった私は、卒業アルバムを引っ張り出した。低学年のとき遊んでいたけど途中で離れた子、グループ内でよく喧嘩をしていた子、私にやたらとつっかかってきた子。皆にっこりと笑ってこちらを見ている。その中に、ついさっき見失った彼女の顔も並んでいた。微笑んだ顔が夢の中の彼女と重なる。記憶の中で薄れかけていたフルネームをなぞる。
今さら連絡をとったらおかしいだろうか。
変に思われるだろうなあと頭の隅で考えつつ、小学生のときの連絡網を探す。携帯での連絡先は知らない。突然家に電話がかかってきたらきっと驚くだろうが、私はそれ以外の方法を知らない。友達の繋がりで再会するという方法を思い出したとき、私はすでに電話番号を押し終わっていた。プルルル、と相手を呼ぶ音が鳴る。私の記憶の中だけに残っている彼女。小さいままの彼女を変えたい。今の彼女のことが知りたいと思ってしまった。少しだけ残っていた躊躇は、もうなかった。
呼び出し音が途切れた。緊張で早まる心臓の音がうるさい。深呼吸を一つ。
「もしもし――」
「待ってないよ」
私は誰とも待ち合わせをしていない。それなのに彼女――小学生時代の友人は、あの頃の姿のままで私の元へと駆け寄ってきた。あまりにも嬉しそうだったものだから私はそれ以上の否定が出来ず、彼女と共に街へと歩き出すことになった。
卒業して何年たっただろう。卒業式以来会わなくなった友人は彼女の他に何人もいる。私は小学生の時より何センチも身長が伸びた。髪型だって服の趣味だって変わったのに、隣を歩く彼女は小学生の時と何も変わっていない。成長した私と並んでいるのだから彼女のつむじが見えるはずなのだけど、なぜか視点は同じ高さにあった。当時大人びていた彼女は、今の私からすれば何もかも幼く見えた。にこにこと笑みを浮かべて私に話しかける高めの声も記憶の中と同じままだ。
「ほら、ぼーっとしてないで! そんなんじゃ買い忘れしちゃうよ!」
そう言うと、彼女は片手に持っていたメモを読み上げていく。歯ブラシ、タオル、洗顔セット。家にもあるようなものばかりだ。ふと自分の手にも紙の束があることに気付く。表紙には修学旅行の文字といっしょにクラスメイトの描いた絵が印刷されている。そうか、今の時期は。
「修学旅行か……」
「いやなことでもあるの?」
「いつもと違う場所で寝られるか心配だったんだよね」
「心配だったって……これから行くのに何言ってるの」
クスクスと笑われて、そういやそうだねと私も笑う。なんでこんなこと言ってしまったんだろう。あれ、もう卒業したのなら修学旅行も終わってるんじゃないか。でも今私達はそのための買い物に来ていて、私はまだ小学生で。どうなってるの?
頭の中がぐちゃぐちゃになって自分のことすら分からなくなってきた私を、彼女は心配そうに覗きこんだ。そうして何を思ったのか私の手を握って突然走り出した。私は転びそうになりながらもあわせて走る。同じぐらいの大きさの柔らかい手が私と彼女を繋いでいる。私達は人ごみの合間を縫って走っていく。不思議と、走り抜ける子どもを叱る人はいなかった。周りより頭一つ分小さな私達は店を探すのも一苦労だ。
「まずはあの店に入ろうか!」
あの店ってどこ、と聞く間もなく彼女の手はするりとすり抜けた。あ、と声を出したときにはすでに彼女は後ろ姿になっていた。さらさらした黒髪がちらりと見えたのを最後に彼女は消える。繋ぐ相手のいなくなった私の手は、ゆっくりと自分以外の体温を忘れていく。周りの音が遠ざかっていく。
*
ジリリリと耳障りな音が私を急かしている。叩きつけるように時計を止めた。
ずいぶんと懐かしい夢を見た。同じグループだった彼女と二人きりで遊びに行くことはなかったのに、今日の夢では当たり前のように手を繋いでいた。そこでは当然だと思っていたのだ。確かに繋がれた手には体温があったので変な気持ちになる。振り向いた彼女の顔はもう上手く思い出せない。
懐かしくなった私は、卒業アルバムを引っ張り出した。低学年のとき遊んでいたけど途中で離れた子、グループ内でよく喧嘩をしていた子、私にやたらとつっかかってきた子。皆にっこりと笑ってこちらを見ている。その中に、ついさっき見失った彼女の顔も並んでいた。微笑んだ顔が夢の中の彼女と重なる。記憶の中で薄れかけていたフルネームをなぞる。
今さら連絡をとったらおかしいだろうか。
変に思われるだろうなあと頭の隅で考えつつ、小学生のときの連絡網を探す。携帯での連絡先は知らない。突然家に電話がかかってきたらきっと驚くだろうが、私はそれ以外の方法を知らない。友達の繋がりで再会するという方法を思い出したとき、私はすでに電話番号を押し終わっていた。プルルル、と相手を呼ぶ音が鳴る。私の記憶の中だけに残っている彼女。小さいままの彼女を変えたい。今の彼女のことが知りたいと思ってしまった。少しだけ残っていた躊躇は、もうなかった。
呼び出し音が途切れた。緊張で早まる心臓の音がうるさい。深呼吸を一つ。
「もしもし――」