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悪いことをしたからね

 その日の僕は外で本を読みたい気分だった。親にねだって買ってもらった本がようやく届いたのだ。
 使い慣れた肩かけ鞄に真新しい本を入れる。あとは体に悪いからと買うのを渋られた新発売のお菓子。それだけ入れて僕は玄関に向かう。途中でお母さんに声をかけられた。
「どこ行くの?」
「公園!」
 僕の短い返事でお母さんは納得して、いってらっしゃいと見送った。
 別に詳しいことを聞かなくても、僕の中にはチップが埋め込まれているのですぐに行き先は分かる。このやり取りは僕にやましいことがないかを簡単に確認しているのだ。嘘をついたら頭の中のチップが反応して、悪いことを企んでいるんじゃないか、と思われる訳だ。下手に悪いことなんて考えるなよ、と生まれた時から言われているようなものだが、別に不便ではない。このチップが僕らを守っている。
「高橋家長男、外出します」
 ドアに付いた機械が僕の外出を告げる。ピピッと軽い音と共にドアが開いた。
 後ろからお母さんの声が飛んでくる。
「あ、そうだ! さっき何かセンサーに引っかかったみたいだから気をつけてね」
「……はあい」
 センサー。防犯の役割を果たすもの。見れば確かにうちの庭で何かが死んでいる。たぶん餌を求めて迷いこんできた動物だろう。チップ無しの生き物が勝手に敷地に入ると、とてもすごい光線とやらがそいつを丸焼きにするらしい。不法侵入に厳しい国だ。今日も僕らの安全はこうして守られている。僕は死体を踏まないように庭を通り抜けていく。

     *

 公園には珍しく先客がいた。ぎぃぎぃとブランコを軋ませて、ゆらゆら揺れている。古びたこの公園は遊具もボロボロで面白くないからと避けられることが多いのに。一番嫌がられているのは、公園の入り口に僕の家にもあるあのセンサーが取り付けられていないところだ。安心して子供を遊ばせられない、とお母様方から不評らしい。僕のお母さんも、この公園に通う僕を微妙な目で見る。親心を察してほしいようだけれど、それは学校で習っていないので知ったことではない。

 自分以外にこの公園にいる人を久しぶりに見た僕は、本を後回しにして話しかけてみることにした。
 近づくと、その人は僕と同じくらいの女の子だった。パサパサの髪、小汚ない服。どことなく肌つやも悪いように見える。何かある子なのかもしれない。そんなことを思いだした時には、もう向こうも僕に気が付いていた。
 軋むブランコを止めて彼女は僕を見た。僕がなんて話しかけようか迷っている間に彼女は話し出す。
「何か用?」
「この公園に僕以外の人がいるの珍しいなと思って」
 もし良ければ、僕とお話してくれないかな。僕がそう言うと、彼女は頷いて隣のブランコを指差した。
 僕もブランコを軋ませながら腰掛ける。少しだけ揺れる。彼女は僕が座ったのを確認するとひとりでに喋り始めた。
「私なんかと話していていいの?」
「なんで?」
「私、普通じゃないよ」
 彼女はブランコの鎖を撫でている。僕は彼女の普通じゃないところを探したけれど見つからなくて、彼女に訊ねる。
「どこが普通じゃないのさ」
「頭の中だよ、無いんだ」
 にや、と笑う彼女は今までで見てきた人の中で一番不気味だった。頭の中。僕の頭にあって、無いと普通じゃないもの。
「……チップ?」
「当たり」
 おそるおそる言う僕を見て彼女はけらけらと笑う。馬鹿にされている気がする。
「そういうことだよ坊や、怖いだろう。早くおうちに帰りな」
「君だって僕と同じくらいの年だろ」
「なんだ、帰らないのか」
 居座ることに決めた僕をつまらなそうに眺める彼女。目の色は僕と似ているのに、彼女は僕と違う。僕は疑問をぶつける。
「それは……不便じゃないの?」
「別に。生まれたときからこうだもの」
 彼女はパサついた髪をくるくるともてあそぶ。僕が気にしていることなんてどうでもいいみたいだ。僕は理解できなかった。だってそれはあまりにも恐ろしい。彼女のことが、ではない。チップというお守りが無いことが。
「君が迷子になったらどうやって見つけてもらうの? 犯罪に巻き込まれそうになったら? 学校にだって行けないよ!」
「全部自分でできることじゃない。自分でたどり着いて、自分で守って。まあ勉強は他の人に教えてもらうけど」
 管理されるのではなく、自分で。支配される安心と引き換えに彼女は自由を手にしていた。
 そして、他にも彼女と同じように暮らす人がいるのだ。同じように、頭にチップの無い人々が僕らの知らないところで共同生活をしている。どうにも理解できないそれはとても恐ろしくて、そして。
「面白い」
「面白い? 何が?」
「僕らと違う世界だ! すぐそばにいるのに生活は全く違うなんて!」
 未知の世界に僕の心はときめいている。自分の生活を面白いと言われた彼女は不思議そうな顔をしていたが、すぐににんまりと笑った。
「私達のこと、誰にもばらさないって約束できる?」
「もちろん! あ、君たちが僕らに危害を与えないなら、だけど」
「少なくともあなたの家には迷惑かけないよ」
 僕は勢いよくうなずく。未知の世界の知り合いができたことに喜びを感じていた。僕の頭の中のチップは、この喜びの原因を持ってきた本だと思うだろう。なにせチップの無い彼女はGPSに映らない。
「僕と、友達になって!」
 僕はこの縁を手放したくなかった。驚いたのか彼女は少し目を見開いてから、くすくすと笑いだす。馬鹿にする、というよりは思わずこぼれた感じがする。
「私のこと教えるから君のことも教えてよ」
 そう言って手を差し出した彼女。握り返した僕には、自分の手が汗ばんでいないかという心配が頭の隅に芽生えていた。
 僕は彼女を知らない。彼女も僕を知らない。僕らは友達と遊んでいるだけなのだ。

     *

 最近私は男の子と友達になった。私達とは違う、普通の子。さすがの私も、普通では無い生活をしていることは分かっている。私は変な子。
 口が固い彼は、私に興味があるのだという態度を隠しもしないのでなんだか面白い。彼は本を読むのが好きだそうで、私にも読ませてくれる。それどころか貸してくれるというのだから驚きだ。どこの誰とも知らない私に、と言えば彼は不思議そうな顔で返す。
「君は大事に扱ってくれるだろう?」
 当たり前のように向けられた信頼に私は戸惑った。それと同時に、この信頼に答えたいという気持ちが生まれていた。
 大事に大事に読んだ。分からないところは大人達に聞いた。彼と会うことに彼らはいい顔をしなかったが、私があまりにも楽しそうだから、と許してくれていた。自分達のことがバレてしまうかもしれないのに私を優先してくれる。そんな彼らの優しさに、私は気が付かなかった。
 この前借りた本を読み終えた。彼が持ってくる本はどれも面白くて、この本も例外では無い。すぐにでも続きが読みたい。その気持ちは、私の足を動かすには十分だった。
 そうだ。彼の家まで行ってみよう。一度彼のあとをつけた時に、彼の家は分かっていた。私が変な子だとバレないように一番いい服を着て、髪をしっかり整える。いかにも普通の子です、というふうにインターホンを押そう。建物に入るとバレてしまうと聞いたから、決して入らないように。
 彼に借りた本を強く抱き締めて、こっそりと彼の家への道を辿っていく。

     *

 僕らの交流は密やかに続けられた。お母さんにもお父さんにも言わない。以前より外に出るようになった僕をお父さんは褒める。以前より本をねだり、よく読むようになった僕をお母さんは褒める。本当は彼女に会いに行っているだけなのに。彼女に貸すため、彼女との話題にするために読んでいるのに。まあ、嘘をついている訳じゃないから怒られることも無いはずだ。僕はきちんと両親に「公園に行く」と連絡し、実際に公園で本を読んでいる。たまたま彼女がそこにいただけだ。それに僕も彼女も両親もみんな幸せなのだからいいんじゃないかな、と思う。
 今日も僕は鞄を用意していた。昨日読みきった本を貸そう。この前貸した本はもう読み終わっただろうか。あれはシリーズものだから続きが気になるに違いない。続編の本も持っていってあげよう。
 いろんな本を詰め込む僕の耳に、テレビの音が流れこむ。今日のニュースはチップ無しで生活する人々を追いかけたものだった。話の流れはあまり彼らに優しくない。否定的な言葉ばかりが飛び交う。
「彼らは生きているだけで罪を犯しているようなものです」
 偉い先生が偉そうな口調で吐き捨てる。チップ無しの人間を見つけたら、すぐにこちらの機関に連絡してください、と電話番号が映ってこのコーナーは終わった。もやもやした疑問のまま鞄のチャックを閉める。お母さんが嫌ねえ、とため息をこぼす。
「変な人に関わっちゃだめよ」
「関わらないよ」
 彼女は変な人じゃないから大丈夫だな、と判断して返事をする。嘘ではない。チップ無しの人々と関わるな、とは言われていないのだから。
 こんな話彼女に知られないようにしなくては。きっと傷ついてしまうから。そう思って玄関に向かう。その時、庭で何か動く音がした。
「ギャアッ!」
 短く、それでいて耳に残る音。前に映画でこんな音を聞いたことがある。人間の、断末魔の叫びだ。バクバクと心臓が音をたてる。頭から足の先まで冷えきっている。彼女は、建物に入ってはいけないことを知っていた。じゃあ庭は?
 機械が喋り終わるのも待たずにドアを開ける。黒焦げの何か。僕と同じくらいの大きさの何か。抱き締めるようにして持っているのは、この前彼女に貸した本のはずが無い。そんなはずが無いんだ。
 後ろからお母さんの声が聞こえる。何が死んだの、といつも通りの声で僕に聞く。
「死体回収車が来るまで、脇に寄せておいてね」
 お母さんはいつものように言った。玄関のドアが閉まる。肉の焦げた臭いがする。
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