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夢の先には

 知らないおじさんが化け物に食べられる夢を見る。いかつい顔は苦痛に歪められ、筋肉のついた体は引き裂かれている。弱々しく口にする謝罪の言葉よりも骨の砕かれる音の方が大きい。そんな映像は物心ついたときにはもう頭の中を流れるようになっていて、夜な夜な起きては親に泣きついたものだった。

 夜泣きがひどい子供は口を開けば「おじさんがしんじゃう! いたいいたいってないてるの!」と訳の分からないことを口にした。親の方が泣きたかっただろう。舌ったらずながらに我が子が伝えてくる内容は年齢制限のあるホラー映画のようなもの。見知らぬおじさんが泣きながら化け物に食われているという。最終的に親に連れられて私は病院に通うようになった。しばらくして血生臭い夢の話をやめた私を、親はそっと喜んだ。私は同じ場面を繰り返し見るうちに慣れ、口にすることが無くなっただけ。けれど親を心配させないようにする、ということを覚えていたので口を閉ざす方を選んだ。

 手足を潰されながら泣く知らない中年男性に慣れた子供が思うのは、なんで化け物に謝っているのかという疑問だった。どう考えても言葉が通じそうにない化け物達相手に、彼は顔をぐちゃぐちゃにしてごめんと繰り返す。命乞いにもならないそれに私は情けないとすら感じていた。仮に自分が化け物に齧られたらどうするのかなんて考えることもない、他人事だった。

 定期的に見る血生臭い夢を自分だけの秘密にしてからだいぶたち、とある会社に就職した。
 その頃世界では、私の夢に出てくる化け物のなりそこないみたいなものが蔓延っていて、国だけでは対処しきれていなかった。対抗できる戦闘員を派遣する、化け物駆除が仕事の民間企業が増えていた。私が入った会社もそんな企業の一つだった。
 新入社員の私は銃の扱いがなっていない。戦闘員課だもんね、頑張ってねと事務の先輩が言う。上司に訓練指導をしてもらうように、と続けた。
 銃を扱いが命綱の仕事なのに私のような未経験者でも入れる。この世界で一番重視されるのは隣で仲間が食われたとしても任務を遂行できる精神力だった。

 指定された時間より一時間前にもう装備をつけて準備していた私を、今回指導にあたるという上司は笑った。いかつい顔ではあるが快活な笑顔だった。私は笑えなかった。
 上司の顔は、あの夢に出てくる男を若くしたものによく似ていた。
 強張った顔で固まる私に、上司は「俺の顔はそんなに怖いか?」と困ったように言った。

     *

 彼が私の指導にあたるようになって、私の銃の腕はめきめきと上がった。新入社員ながら社内でも上位層に食い込む私を、彼は嬉しそうに褒めた。出会った時とはまた違う、ほころぶような笑顔に私は確実に惹かれていた。
「俺もうかうかしていられないな」
「あなたにたどり着くのは相当先ですよ」
 私は的を全て撃ち抜き、新しい弾を込める。社内、いや、業界トップとも言われる程の戦闘力の持ち主をちらりと見ると、面白そうな顔をして見つめ返された。
「無理だとは言わないんだな」
「常に上を目指しているので」
「俺の背中を預けられるくらいにはなってくれよ」
 いつか俺が守られる側になっちまうかもな、と言って笑う彼。私も合わせて笑う。彼の背中を預けられるくらい、とはどれ程強くなればいいのか。そのことが頭の中をぐるぐると回っていた。

     *

「食事……ですか」
「そんなにかしこまらなくていい。頑張ってるお前へのご褒美だよ」
 帰り支度をする私を、彼は食事に誘ってきた。なんてことはない、上司から部下への親切だ。他の同期よりは可愛がられている自覚はあるが、彼の方にそれ以上の感情は無いだろう。私は、違う。
 これ以上彼に対する感情を深めたくなかった。もう既に彼の結末は知っている。もしかしたら私の妄想かもしれない。偶然夢と似たような顔をしているだけかもしれない。けれどもし本当にあの結末を迎えるとしたら? 私は、耐えられるのだろうか。
「おーい」
 彼が私の顔の前で手を振っている。気がついた私に、どうだ、と問う。
 絶対に後悔するだろうな、と頭の隅で考えながら、私は微笑んで返事をした。

     *

「もうお前も教える側か……」
 私の部屋で雑誌をめくりながら彼は呟いた。なんとなくつけているテレビからは、完璧な化け物駆除、あなたの家庭を守りますと謳うコマーシャルが流れている。最長一ヶ月立て籠ることが可能だというシェルターのコマーシャルが始まった頃に私は言葉を返す。
「私なんてまだまだ初心者なのにね」
「冗談だろ?」
「冗談だよ」


 彼に次ぐ逸材だと呼ばれるようになるまで、私は狂ったように特訓し続けた。腕が上がれば彼と同じチームに配属される可能性も上がる、そう考えての行動だった。

 仕事中、化け物の目の前で弾が切れた時、私の体はまだ動く、とだけ思った。私には彼の死を回避するためにまだまだ強くなる必要があった。まだ死ぬ訳にはいかなかった。
 なんとか化け物を殺して命からがら会社に戻った私を見て、彼はお気に入りのカップを落とした。コーヒーが床に広がる。化け物の体液にまみれた私を、彼は構わず抱き締めた。何も言わなかった。私も腕を回して抱き締め返した。

 入社してから見ていなかったあの夢を見た。子供の頃見たより映像が鮮明になっている気がした。
 食べられているのは見知らぬ中年男性ではなく、私の恋人になっていた。私を抱き締めた腕は原型をとどめていなかった。私に愛をささやいた口から、とめどなく血と嗚咽がこぼれていた。

     *

 彼の腕の中をそっと抜け出した。ふらふらと、足音をたてないようにバスルームに向かう。後ろから彼の寝息が聞こえる。
 初めて彼との事を終えた。愛されているのだと、彼の一挙一動から分かった。私も拙くもしっかりとそれに応え、その一時は無事終わる。夢のような時間。幸せを噛み締めていた。幾多の戦場をくぐり抜けてきた証が残る腕に抱かれ眠る。これ以上に心の落ち着く場所などあるのだろうか、と思う。

 もう見たくなかった。彼の首が食いちぎられるのを眺めていた。彼の命が散るのを、眺めざるを得なかった。絶望と恐怖に染まっていた顔が噛み潰されるのを、すぐそばで見ていた。視点は彼に固定され、目をそらすことは許されない。動かなくなった彼の体をついでとばかりに飲み込んだ化け物を最後に、無理矢理夢を終わらせた。体は先程までとは違う汗にまみれていた。

 バスルームに備え付けられたトイレにすがり付く。吐き気が止まらなかった。彼を起こさないようにと音を最小限にしていたが、気付いたら彼は私の背中を擦っていた。不安げに、そっと抱き締められる。無理させてごめん、と呟かれてハッとする。違う。嫌だった訳じゃないと、きちんと伝えなければならない。いくら否定しても悲しそうに微笑まれる。今私が何を言っても彼は信じないだろう。
 諦めて彼の首に顔を埋める。頭の奥にこびりついたさっきの光景が蘇る。戻ってきた吐き気が、さっきの夢のせいなのか自己嫌悪によるものなのか分からなかった。

     *

 普段来ないような店で、私達は食事を終えた。食事中彼はずっとそわそわとしていて、何か言おうとしては誤魔化すように別の話題を振ってくる。目線もどこかふらふらとしている。私からそれを問いただすようなことはせず、彼から言い出すのを待った。そのまま食事を終えて店を出てしまい、家路につく。帰り道で彼は黙りこんだ。家の近くの公園を通り抜ける時、私を呼び止めた。
 今度は私の目をしっかりと見つめていた。


 薬指の輪を撫でては笑う私に、彼は「もっとかっこよくするはずだったんだ」とかなんとかぶつぶつと呟いた。かっこよくなくてもよかった。私達が幸せであれば、これから先も幸せでいられれば。

     *

 念願の、彼との同じチーム。私と彼が一緒に派遣される、という意味は分かっていた。それほどに危ない状況だということ。他のメンバーも経験豊富で強さが保証されている者ばかりだ。彼は他のメンバーと作戦の確認をしている。浮かれている余裕は無かった。彼が死ぬとするなら、あの夢が現実になるとするなら今日だろう。夢では彼は一人で食べられていた。おそらく囮になったのだ。このメンバーで囮になる程の危機。私は、彼を助けられるのか。私の強さは彼の運命を変えるのに足りるのか。指定された場所まで運ばれている間、私の頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。
「そんなに撫でたらすり減っちゃうよ」
 メンバーの一人からかけられた言葉にはっとする。考えこみながら指輪を撫でる癖がついていた。私を奮い立たせるもの。最後まで、これがある限り私は彼のために立ち上がることができるだろう。
「言ってくれてありがとう。無意識にやっちゃうんだ」
「思い詰めすぎちゃダメだよ! 緊張するのは分かるけどさ、私もそうだし」
 緊張をほぐすために甘いものなんてどう? 彼女はそう言って私に飴を一粒くれた。厚意に甘えて飴を口に放り込む。じんわりと甘い。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 目を細めて笑う彼女に励まされた瞬間、車が止まる。思わず固まる私に、言ったそばから緊張しないの、と苦笑いされた。


 その場に踏み込んだ時、ここだと分かった。何度も何度も見た、彼が死ぬ場所。でも違う。私がいる。私が変える。
 縦にも横にも広い空間に、化け物がうようよといた。今回初めてチームを組んだ男性がうわぁという顔をする。一斉に来られてはいくら私達でも勝ち目は無いので、二人一組で散らばってから仕事が始まった。一発で急所を撃ち抜いていく。こちらにたどり着く前に撃ち殺す。けれど殺しても殺してもきりがなかった。他の組からもうすぐ弾が無くなるとのメッセージ。それを確認した彼は爆弾を用意し始めた。
 化け物は急所を撃ち抜かない限り生き続ける。硬い皮膚と皮膚の間にある隙間、それが急所。爆弾では皮膚を吹き飛ばせず、足止めにしかならない。だが今は撤退が最優先だ。爆弾でも十分だと私も同意した。

 合図の後爆弾を投げる。化け物は怯む、はずだった。
化け物達は何もなかったかのように進み続けた。あのスピードでは私達は逃げ切れない。彼はいかつい顔をしかめて、他のメンバーに叫ぶ。
「俺が引き付けるから先に行け!」
 メンバー達は頼んだと叫び返して去っていく。彼は私を振り返った。口を開く前に私は言った。
「上手く逃げ切ろうね」
 あなた一人で残す気はない、私も残る。私の一言にそれを感じとった彼は何か言おうとしてやめた。私は決めたら何を言っても変えない女だと彼は分かっていた。


 逃げ回っては撃ち殺すことを繰り返している最中、視界が歪み始めた。全身も痛んでいる。まるで内側から私を切り裂いて何かが出てくるかのように。
 痛みに耐えて彼の後ろを走り続ける。痛みを訴えたところで彼にも私にもどうしようもないのだ。この場を切り抜けることだけを考えようとする。
 そういえば、なぜ彼はあの化け物に食べられたのだろうか。あの程度であれば、彼は弾がきれていたって銃で急所を殴りつけるだろう。例え一人でいても諦めて終わるような人じゃない。なんで。なんで。最後の弾を込めて考える。頭が割れるように痛い。いたい。
 彼が振り向いた。振り向かず走って、と言おうとした。私じゃない声が出た。

     *

 振り向いた時、彼女は彼女で無くなっていた。彼女の体のいたるところが割れ、そこから見覚えのある、手足と思わしき部位が出てきた。見覚えがあるなんてレベルじゃない、今俺を、俺達を追ってきている奴らのもの。俺は認めたくなかった。愛を誓った相手が化け物に変わる姿なんて見たくなかった。けれど体は反射的に銃の引き金に手をかけていた。今まで数えきれないほどした動作。引き金は自然と引ける。

「たす、け、て」
 それは彼女の、妻の声に似ていた。喋ったというにはあまりにも人間から遠ざかったものだったが、妻であることは間違いなかった。
 俺の手が緩んだ隙に銃は奪われた。バリバリと噛み砕くが、肉で無いことに気が付いたのか吐き捨てていた。
 既に手足を尋常ではない力で掴まれていた。骨が軋む音がする。うめき声を噛み殺して、妻、妻だったものを見つめる。それはそこらの化け物より一回りほど大きな体になっていた。
「なあ!」
 話かけようと口を開くと、それは腕らしき部位で俺の顔を殴り付けた。体の力が抜けた瞬間に手足を掴んでいたやつらが歯をたてて、
「ぎっ……!!」
 痛い痛い痛い痛い!! 俺の頭が真っ白になったのが分かったのか、やつらは噛み進める。骨にあたるのが分かる。砕け、砕けていく。動けない。もう無理だと、俺はようやくそれを認めた。

 彼女の変化に気が付けなかった自分が、変わり始めた時点で仕留めてやれなかった自分が、今目の前にいる彼女だったものに恐怖と吐き気を感じている自分が情けなくて、申し訳なくて。謝罪の言葉を繰り返すことしかできなかった。
 「それ」はそんな俺に構いもせず、大きく口を開いた。

     *

 彼女が飴を口に入れるのを見て、私はひそかにほくそ笑む。彼女は素質がある。そこらのなりそこないとは違う、完璧な存在になり得るのだ。彼女はその事に気が付いてはいない。ならば私が導くべきだと思った。
 世間では化け物の発生源はまだ解明されていないが、私はそれを知っている側の人間だった。少し、薬を体内に入れればいい。それだけで相手は時限爆弾と化し、どこかで突然変わりはてる。大抵は素質のない一般人なので不出来な存在となり、簡単にやられてしまう。
 彼女は違う。選ばれた存在だ。その上強さまで兼ね備えている。きっとなりそこない達を率いて、これまでにないほどの大量虐殺を起こしてくれるだろう。
 私は純粋な力による破壊が見たかった。それを叶えてほしくて、彼女にきっかけを渡した。甘い甘い飴に混ぜた薬に彼女は気が付かなかった。あまりにも上手くいって興奮でくらくらとする。私は上手に彼女に笑いかけられただろうか。

 彼女が彼女の夫と囮になると聞いた時、私は素晴らしい愛だと思った。完璧になった彼女が最初に食べるのは最愛の人。夫の方も愛した人に食べられるなら本望だろう。そして彼さえ消してしまえば彼女に敵はいない。彼女は世界最強の存在となる。自分が成し遂げたことが本当に誇らしい。私は一応不安げな顔で彼女らを見送った。
「ごめんなさい……僕がもっと強ければ……」
「それを言うなら私だって同じだよ。誰も悪くない」
 生真面目なメンバーが自分を責めるのを慰める。彼も彼女には遠く及ばないけれど、それなりの力は持てるだろう。どのタイミングで薬を打とうか迷う。傷にきくと言えば、彼が簡単に私の処置を受けることは予想できた。
 走り続けて少したつと彼が息を弾ませながら私に言った。
「何か聞こえませんか?」
「まさか……」
 まさか。彼女達が追い付いてきたのか。彼に薬を打つ前に死ぬにも、死なれる訳にもいかない。私にはまだ力を与える義務がある。車にたどり着くまで耐えてと言うと、彼は頷いて走るスピードを上げた。

 シャッターを閉めて車に乗り込む。他のメンバーも集まっていた。囮になった夫婦は、この場にいない。それが何を意味するのかみんな分かっていた。すぐに気持ちを切り替えてエンジンをかける。
 ガンッ、ガンッ、ガンッ。
 分厚いシャッターがへこむ。すぐそこまで来ている。エンジンがかかりすぐさまアクセルを最大に踏み込んだ。
 車が勢いよく発進した直後にシャッターがめくれる音がした。めくれる、としか言い様がない音。加速していく車の中で私達は止めていた息を吐き出した。次の瞬間ひしゃげたシャッターが助手席にぶちこまれた。

 助手席の彼はシャッターが直撃して即死だった。地面にじわじわと広がる血を見ながら、惜しいことをしたなとぼんやり思った。後ろの席にいたメンバーの安否を確認しようと起き上がる。どっ、と体に衝撃が走り私の腹から棒状のものが突きだした。耐えきれない痛みと共に、それが腕だということに気が付く。私の腹を貫いた化け物、完璧になった彼女はあっさりと私から腕を抜いた。倒れこむ私に化け物のなりそこないが群がる。やめて! お前らは私を食うに値しない!! 完璧な彼女だけが私に触れることを許されるのに!!
「あ……ぅ」
 もはや声すら出せない。私には見向きもせず彼女は立ち去っていく。置いていかないで。私を食べて。最後の力を振り絞って私が伸ばした腕を、醜い化け物が食いちぎった。

     *

 自分はさっき食べたから、と彼女だった“それ”は半殺しにした人間を仲間に譲った。自分より一回り小さい仲間がわらわらと集まって我先にと食らいつく。
 いつから自分が仲間としてあったのか、全く記憶が無い。あるのは人間の女と男の記憶だけ。そういう生き物の記憶がなぜ自分にあるのかはよく分からなかった。この記憶を辿れば、自分の元が分かるのだろうか。体が求めるままに、「町」に向かう。「町」が何かも分からない。ただ、その記憶はふわふわと暖かいもので満ちている。それに触れてみたい。何かをしたいという感覚は自分が自分となってから初めてだった。みんなといっしょに「町」に向かうのだ。みんなといっしょにふわふわになろう。
 ふと、腕が痛いことに気が付いた。なぜだかわっかがついている。傷だらけのそれは「町」には合わない。ぽい、とその辺に放り捨てた。
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