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金魚といっしょ!

  一匹の金魚と目があった。僕に向かって「何見てんだよ!」と吐き捨ててきたので、そいつをすくうことにした。
「おじさん、ポイちょうだい」
「あいよ! 人間は……300円だな」
 屋台のおじさんに小銭を渡し、浴衣の袖をまくる。僕の目当ての金魚は目をぐりぐり動かして煽ってくる。周りの金魚の声もうるさいけれど、こいつは特別大声を出していた。
「おい! ちゃんと狙えよへたくそ! まあどうしたってオレは捕まんねえけどな! あっ」
 ポチャン。満足した僕はおじさんに渡して袋に入れてもらう。なんでも餌は僕の体の一部でいいらしい。髪の毛でも大丈夫かと聞くと、それで十分だと言われた。袋の中の金魚は一日腕一本を要求していた。まああげる気はないけど。

 人混みを避けつつ鮮やかな屋台を物色する。笛やら太鼓やらの祭り囃子が周りの声を差し置いてひときわ耳に響く。カラフルな浴衣に下駄の音。どこかで山車も出ているようで、掛け声も微かに聞こえてきた。お祭りに来ているのだという実感がわき、少しそわそわしてしまう。そわそわしすぎて袋を振り回したら金魚に怒鳴られた。

 まあるいボールのようなものが水に浮いた屋台が目につき足を止めた。近寄ると屋台番に声をかけられる。
「そこの人間さん人間さん! おひとつどうです?人間サイズも取り揃えてますよ!」
 サイズが関係するとは何なんだ、と覗きこむ。目があう。むしろ目しかない。大小様々な眼球がぷかぷかと浮かんでいた。
「嘘つきが分かる目、なんでも見通せる目、細胞レベルでよく見える目! 今なら、ええと……400円ですくい放題ですよ!」
「どうやって使うの?」
 僕が聞くと耳まで裂けた笑顔で屋台番は答えた。
「もちろん元々あった目を取り外して、そこにはめこむんですよ。きちんと説明書もつけますから安心してくださいね!!」
 僕の知らない文字で書かれた紙を持ってにっこりと笑う屋台番。
 僕もにっこりと笑って、今の目に愛着があるからいいや、とだけ言った。

*

 金魚は不思議そうな目で僕を見る。
「お前、ずいぶん落ち着いてるな」
 人の顔を模したお面を眺めていた僕は、金魚の呟きに上の空で返事をする。
「なにが?」
「お前みたいにこの祭りに迷いこんできたやつはたくさんいたよ。だが他のやつはもっと焦ったり泣いたりしてた」
「でも人間向けの値段が設定されてたよ?お祭りを楽しんでる人、それなりにいるでしょ」
 アジア系美人のお面を覗きこむ。どことなくテレビで見た覚えのある顔だった。真面目に答えない僕を金魚は少し睨んだのだろうけど、僕はお面屋さんに使い方を聞いて気付かないふりをした。
「あれはこっちから帰れなくなった人間が楽しむためのやつだ。元の世界の金が無くなったとき、完全に縁が切れるだろうがな」
「元の世界との縁かあ」
 お面の毛穴に集中していてオウム返ししてしまった。やばい。金魚をちらりと見ると、魚とは思えない形に変形しかかっている。即座に謝るとしぶしぶ許してくれた。

 まだ興味はあったのだけど、このままでは愛想を尽かされてしまうのでお面屋から足を遠ざけた。神社というには禍々しい造形の建物の前に座りこみ、目の高さになるところに金魚の袋を置いた。生ぬるい風が僕の襟足をなでる。

 金魚は、僕が自分の話に興味を持ったことが分かると、どことなくご機嫌になって話を再開した。
「なんでそいつらが帰れなくなったか分かるか?」
「え……そもそも帰れるの?」
 帰れないのだと思っていた。帰り方が分からなかった。
「……帰れるかも分からねえのによく平然としてられたな」
「どうせここで死ぬなら楽しんだ方がいいかなって」
「…………」
 金魚は水の中でくるりと回ると僕をまっすぐに見つめた。もっとも見えているか分からないし目は真横に向いている。金魚すくいの金魚にしては豪華なヒレがゆらゆらと揺れた。
「お前はまだ帰れる」
僕は黙っていた。
「帰れなくなったやつらはみんな何かを食べていた。でもお前はまだだろう」
「うん」
 ぎゅるぎゅるとお腹は鳴っている。僕と金魚は無視して進む。
「前に聞いたことがあるんだ。普通にこの境内から出ればそれぞれの元の世界に帰れるんだって。」
「前に……」
「ああそうさ、うんと昔。お前がまだ生まれていない頃から俺は金魚すくいの金魚だった。」
 周りの金魚がすくわれていく中、この金魚だけは、僕の金魚だけは残り続けたのだろうか。鮮やかなヒレを武器にして。
「誰かにすくわれるぐらいならいっそここで死んでやると思ってたが、お前はこの俺をすくった」
 なぜか熱くなってきた金魚を眺める。小さな口をパクパクさせながらいい声で熱く語っている。
「お前のような見所があるやつが野垂れ死ぬのは気に食わねえ! 絶対に帰れよ」

*

 金魚の言葉通りに境内の出入り口を目指す。混んでいてなかなか進めない。金魚はふと思い付いたように僕に話しかけた。
「……念のため、俺を置いていけ」
 僕はその言葉が上手く飲み込めず何も言えなかった。
「異界のものを持ち帰ろうとしたらどうなるか分からねえからな、一応だ」
「いやだよ」
「おい」
 すぐに断る僕を怒る金魚。怒りでぐるぐると高速回転している。でも置いていく気なんてさらさらない。袋の紐をしっかりと握って石畳を進む。
「無事に帰りたいだろ! その辺に捨ててけ! それがいやなら店に返せ!」
「いやだ。僕のおこづかいで買った金魚だ。家でちゃんと育てるんだ」
 僕の固い意志に気が付いたのか、金魚はぐるぐる回るのをやめた。
「……知らねえからな」
 境内のはじっこまで来た僕に金魚は言う。目の前に続く下り階段。
「大丈夫だよ」
 僕は一歩を踏み出した。

*

 金魚は立ち上がれないほど衰弱した少年を見ていた。袋の口は緩んでいたが、金魚に出来ることはなかった。

*

 境内から出た金魚達は無事だった。何事もなく帰れるのだと、お母さんに水槽を買ってもらうまで空いてるケースで我慢してねと話していた少年。安心からか涙目になっているのを、金魚は見ない振りをしてやったのに。
 金魚すくいの水槽から出たことのなかった金魚は見るもの全てが新しかった。何かを見るたび少年に話しかけた。けれど少年の口数は少なくなっていった。
 金魚もその異変に気が付いた。人がいないのだ。さっきいたところのような異形がいる訳でもない。ただ静まりかえった町を金魚達はさ迷っていた。

 少年が足を止めた。
 なんてことのない一軒家。他の家と同様明かりはない。
 少年の震えが金魚の袋にまで伝わってきていた。少年は震える手で鍵を取りだし差し込もうとする。空振りして入らない。いや、そもそも鍵があっていなかった。
「え……なんで」
 少年は焦りを抑えつつもう一度試す。鍵穴は少年の鍵を拒んだ。
「鍵を間違えてんじゃねえのか」
「そんなはずない! お母さんからもらったんだよ、この鍵しかない。僕の家なんだよ、僕の……」
 諦めきれない少年は試し続けるが、一向に入る気配がない。


 差し込もうとするたびに、入らないことが分かるたびに、少年は自分の生まれ育った家が変わっていくような気がした。いつも自分を受け入れ守ってくれた家が、今自分を突き放していく。


 そのうち少年は力尽きてその場に崩れ落ちた。金魚は少年を励ますように話しかける。
「いや……他に人を探しにいこうぜ。お前、人が多いところ分かんだろ」
「……うん」
 ふらふらと立ち上がり歩き出す少年。疲れからか足どりは重くなっていた。


――それが、数日前。正確な日にちは分からない。この世界はいっこうに夜が明けなかった。
シャッターのしまった商店街、門の固く閉じられた学校、光のない信号。少年の見知った町の形をした別物がそこにあった。
 食べ物を探そうにも店はどうやっても開かないし、畑なんてものもない。草木を食べて凌ごうにも、知識の無い少年にはあまり意味がなかった。公園の蛇口すらも本来の働きをしない。極度の緊張状態と栄養不足で、少年はすぐに動けなくなった。
 金魚は言った。自分の袋の中の水を飲めと。汚いだろうが、このまま見てはいられなかった。
 少年は金魚の言葉を聞いてもゆるゆると首を振るばかりだった。そしてかすかに笑って目を閉じた。
 それきり、動かなくなった。


 残された金魚は、後悔だけが募っていた。自分がついてこなければ、まともな、元の少年の世界に帰れたのかもしれない。異界のものである自分によって、何かがおかしくなったのだ。

 金魚も限界を迎えようとしていた。餌も空気も水もまともにない。死を感じながら金魚は、少年の体が変色しかけていることに気が付いた。このまま、少年を置いて死んだらこの死体はどうなるのだろうか。異界で誰にも知られずに腐っていくのか。
 それだけは金魚は許せなかった。せめてきれいに。


 そうだ。
 食べてしまおう。
 跡形もなく、全て自分と共に。
 金魚はそれが一番の償いだと思ったから、ありもしない力を振り絞って袋から飛んだ。
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