邪恋
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あなたが求めた幸せは私とじゃないのでしょう?
そんな事初めからわかっていたよ。
それでも少しでもあなたのそばにいたかった。
月並みの言葉だけど……
あなたを愛していたから。
「東京本社から札幌支社に赴任してきた花形です。よろしくお願いします」
真面目そうな人。
これが4月に赴任してきた彼に対する第一印象だった。
メガネがよく似合っていて、高身長で…少しだけとっつきにくそう。
私が働いている会社は全国規模で展開している会社で、北海道はここ札幌と他にも何ヶ所か支社がある。
自分で言うのもなんだけれど、そこそこ有名な会社だ。
そんな会社に大学を卒業後に入社して4年。
彼氏とは先月別れた。
別れてからは『彼氏が欲しい!!!』と強く思うこともなく…
結婚願望が全くない訳ではないれけど、強がっている訳でもない。
機会があればしてみたいかなぁ…ぐらい。
誰かと生きていきたい
そんな風に思ったことがなかったから。
「花形くんは酒けっこう飲むのかい?」
「まぁ…たしなむ程度、ですかね」
歓迎会の席でそう言ってグラスを持つ彼の手に私は目がいった。
細くて長い指、すごく綺麗だった。
そして左手の薬指には指輪が光っている。
「でもでも!その歳でこっちに来たってことは、出世コースってことですよね?!」
後輩の女の子がグイグイと踏み込んで来るのを、少しだけ困った顔で笑う花形さん。
「そう、だといいかな」
花形さんの転勤はいわゆる、昇進試験のようなもの。
うちの会社は入社して5.6年目に、出世の可能性がある職員はどこか地方へ飛ばされる。
そこで試され、本当に出世するのであれば1年後に本社でめくるめく出世コースへと飛び込むのだ。
「え…隣じゃないですか」
花形さんの歓迎会の帰り、同じ方向だと言う彼とタクシーに乗った。
運転手へ告げた行き先は私のアパートの隣のアパートだったのだ。
「すごい偶然だな」
「ホントですね」
私たちはもちろん一緒にタクシーから降りる。
「じゃあまた来週」
「はい、お疲れ様でした」
そんな必要最低限の会話をして私たちは隣同士のアパートの自分の部屋へと帰っていった。
お互い1人の部屋へと。
「金曜日はありがとう」
月曜日、出社してきた花形さんにそう言われる。
……ありがとう?
お礼を言われるようなことした?
私は身に覚えがないまま「あ、はい…」と返事をした。
すると花形さんはくつくつと笑いだした。
「その返事の仕方…さてはわかってないだろう」
見透かされていた。
フロアには私と花形さんの2人だけ。一気にバツが悪くなる。
「金曜日はオレの歓迎会、だったんじゃないのか?」
「あ」
「はは、さては単なる飲み会だと思っていたんだろ」
メガネの奥で目を細め、優しそうに笑う花形さんから私は目が離せなくなった。
ーーこんな顔で笑うんだ。
金曜日にみんなの前で見せた笑顔とは違う柔らかい表情に、私は釘付けになってしまったのだ。
ドキドキと心臓の鼓動が早くなっている事に気付いた私は、慌てて話題を探す。
「は、花形さんてけっこうお酒強いんですね」
「飲むのは嫌いじゃないからな」
「東京でもけっこう飲みに行ったりしていたんですか?」
「仕事の付き合いが多いけどな…そうだ、この辺でいい店を知らないか?」
「私がよく行く店は近所にありますよ」
「よければ今度連れて行ってくれないか?お隣さん同士として」
私の心臓が決定打のようにドクン、とひとつ大きな音を立てる。
別に社交辞令。
社会人同士の当たり障りのない会話ーー、なのに私は自分の顔が緩んでいくのを必死で抑えていた。
予感がした。
この人にハマったら1度くっつくとなかなか取れない、蜘蛛の糸のようになるって。
そんな予感は的中するーーー。
それから私たちの距離はみるみるうちに縮んでいく。
花形さんは大学院を出てからの入社で、年齢は私より3歳年上だった。
私の行きつけの店を紹介すると、偶然その店で会うこともあった。
もちろん、仕事帰りに「ちょっと寄っていくか?」と一緒に行くこともある。
そしてーー
ピンポーン
「お疲れ様です」
「お、ありがとう」
私が作ったご飯を花形さんへおすそ分けをするようにもなった。
けれど、絶対にアパートの部屋に入ることはない。
私たちはもう子供じゃない。
お互い惹かれあっているのはわかっている。
だからこそ、1歩を踏み出すことは許されないのだ。
そう思っていたのに。
はじまりは夏だった。
花形さんがこっちへ来て4ヶ月ほどだった頃、私は週末に職場の人たちとビアガーデンへと来ていた。
もちろん花形さんもいる。
「しっかし花形くんには助かってるよ!けど、これだけ仕事ができると来年にはまた本社戻りなんだろうなぁ~」
「でもそうじゃないと花形さんが困りますよねぇ?結婚したばかりの奥さんを東京に置いてきてるのに、単身赴任なんて寂しいじゃないですかぁ!」
「馬鹿野郎!単身赴任がちょーどいいんじゃねぇか!なぁ、花形ぁ?!」
こんな会話を聞くと嫌でも現実が突き刺さる。
『既婚者』
見て見ぬふりをして本気になるほど子供じゃないし、割り切って関係を持つほど軽い想いでもない。
「ちょっと、トイレ行ってくるね」
私は後輩の女の子にそう声をかけ、席を立った。
そしてそのまま声をかけた後輩にLINEを送る。
『ちょっと体調悪いからこのまま帰るね』
いよいよだな、私……。
やるせなくなって帰るとか。
バカみたい。先なんてないのに。
「おねーさん!」
そんな事を思っていると若い男の人に声をかけられた。
……ナンパなんて久々だよ。
なんか、もうこのままついて行っちゃおうかな。
そんな考えが頭によぎる。これもひとつの出会いだし。
「いいよ、どこ行く?」
「まじ?!じゃあさーーー」
その男の人が私の手を握ろうとした時、私は誰かに腕をつかまれグイッと身体を引き寄せられた。
その人物とは花形さんだった。
「すまない、この人はオレと約束があったんだ。他をあたってくれ」
花形さんはナンパをしてきた男にそう言うと、私の腕を掴んだまま歩き出した。
少しだけ早歩きで。
「は、花形さん?!ちょっと……」
「どうして断らないんだ」
歩きながら花形さんは私へ問いかけてくる。
「ど、どうしてって…」
「見るからに下心しかなかったろ、アイツ」
厳しい口調で話す花形さん。
明らかに怒っている。
「具合が悪いんじゃなかったのか?」
きっと花形さんは後輩から私が帰ることを聞いたのだろう。
それで追いかけて来てくれたんだ……。
だから、それだよ。そういうのなんだよ…。
そんな事をされるとますます蜘蛛の糸は絡みついて、離れられなくなる。
「……花形さんには関係ないじゃないですか」
私の言葉を聞いた花形さんはピタリと歩くのをやめ、私に向き合った。
「本当にそう思っているのか?」
真剣な表情で花形さんは私の目を見つめてくる。
今までに見たことの無いような瞳で、私の心を全て見透かしているかのように。
もう、逃げられないーー。
「……思ってませんよ。花形さんへの想いから逃げるためについて行こうとしたんです」
「……」
花形さんは黙って私の話を聞いている。
「もし…もし、花形さんが私から逃げない覚悟があるのなら、この後うちに来てください」
「佐藤…」
そうして私は1人でビアガーデン会場をあとにした。
きっと花形さんは来ない。
家に帰ってから私はさっきの花形さんを思い出していた。
私とそういう関係になる事にためらいがないのであれば、とっくのとうにそういう関係になっている。
本当は今までのままでよかったんだ。
きっと花形さんは来年には東京に戻るだろうし、お互いフワフワした気持ちでいればよかったんだ。
けれど、堕ちるのならあなたと堕ちたい。
私はそう思ってしまった。
絶対に思ってはいけないのに。
欲しいと願ってはいけないのに、願ってしまったんだ。
花形さんが欲しいと。
時刻は夜の11時過ぎ。
もう寝室へ行こうと、リビングのソファから立ち上がったその時だった。
ピンポーン
部屋に響き渡るインターホンの音。
私は慌てて玄関へと走り、ドアをあける。
そこに立っているのは愛しいその人。
「誰かも確認しないで開けるとは、無用心だな」
そう言って花形さんは玄関の中へと入り、きつく私を抱きしめた。
私たちは玄関で抱き合い、何度も口付けを交わした。
言葉なんていらなかった。
これがはじまりーーー。
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