その瞳に恋した
.
昔からあなたの弾くピアノが好きだった。
優しいタッチから力強いタッチ、全てをこなしてしまう貴方。
「そういえば、理斗。今月末誕生日だったよね?お祝いしよっか」
そう僕に言ってきたのは若きピアニストー真斗だった。
真斗は僕に優しい。
見た目が弱そうだと言われる僕に優しい。
今まで出会った人は皆同じことを言うんだ。
「理斗といると、なんだか疲れるや」
疲れる…それってどういう意味?とは聞くことができなかった。
見た目が細くて貧弱そうで、いつも青白い顔をしている僕の面倒を見るのが大変な事はわかってる。…でも、僕は僕で自分のことだってできる。それに心配してくれなくても生きていける。
…そんなことを言われていた僕が、初めて。
人生で初めての恋人ができた。
その恋人は僕が昔から憧れ焦がれていた人。
三葉真斗。小さい頃から有名なピアノの大会で優勝していた神童ともいえる人物。
奇跡的な出会いーーと言ってはなんだが、まさか僕と付き合うことになるなんて思わなかったし、それに僕が彼を恋愛的な方で好きになることも想像しなかった。
出会いは今から二年前。
僕の務める音楽会社の飲み会があって、そこにたまたま居合わせた真斗さんが挨拶しにきたことから始まる。
「あ、こんばんは皆さん」
黒のパンツに、ベージュのジャケットを着た長身の格好良い真斗さんが現れた。
音楽会社の先輩たちが挨拶している中で、一瞬だけ目が合った。
その瞬間、惹きつけられたかのように僕は目が離せなくて離した時には体が熱くなって何かを訴えているかのようだった。
「隣、いいですか?」
恥ずかしさで参っていたところに真斗さんがやってきて…という出会いだった。
そのあとはなぜか真斗さんからご飯に誘われることが多くなって、ほぼ毎週末会うようになっていた。
合うようになって約半年、告白してきたのは真斗さんの方からだった。
「理斗くん。実は…恋愛的に君のことが好きなんだ。付き合ってくれないか…?」
前に座る真斗さんからそう言われて、咄嗟に「はい」と答えた。告白したあと視線を外すことなく僕を見つめる先輩の瞳には、偽りが見られなかったから。
誕生日の日、真斗さんと待ち合わせていた。
付き合うようになってからは幸せで、優しくしてくれていて。…自分を唯一理解してくれる、そんな人だった。
「…おかしいな…」
異変に気付いたのはその時。
いつもなら予定時刻の三十分前には着いている真斗さんが今日は見られなかった。
寝坊したとかそんなのだろう、と思った。
「…さすがに遅いよね…」
もう予定時刻から二時間以上経っていて、夜も深くなってきた。
人々は駅へ向かう道に集い、僕だけがその場所に取り残された。
結局その日は真斗さんと連絡がつかなかった。
その翌日、仕事を休みにしていた僕の元に真斗さんがやってきた。
「ごめんな、本当にごめん。急に用事ができて…」
必死に謝る真斗さんが嘘をついているように見えなくて
「あ、ううん…いいよ」
僕は二言で許した。
「お詫びというか、昨日渡すはずだった…」
そう言われて渡されたのが指輪。
綺麗なシルバーの指輪で、無駄な飾りはなく裏に文字が書かれているだけだった。
「…え、これ僕に?…ありがとう…」
感激しすぎて声が出なかった。
僕みたいなのに指輪をくれるなんて。
嵌めてみると少しだけ小さかったけど、それでもその窮屈さが幸せだった。
翌日会社に出勤すると、女の先輩たちが騒がしくしていた。
「どうされたんですか?」
目を丸くした先輩たちが鬼のような顔で僕に迫った。
「じ、実はね!真斗さんに熱愛が出たのよ…しかも相手は既婚者の高梨璃子よ!!」
…頭が真っ白になった。
何を言っているのかわからなくって、何度も自分の頭の中で整理しようとしたけれど全くできなかった。
「一昨日の夜に海外から帰ってきた高梨璃子を空港まで迎えに行って自宅に帰ったそうよ…既婚者に手を出すなんて…そんな人だと思わなかったのに…」
一昨日の夜、一昨日の夜って僕の誕生日の夜だよね、約束してた夜だよね…
「隠れて付き合ってたらしいわよ。高梨璃子が結婚することで別れたらしいけど…」
なんだか絶望に包まれた気がした。
足元が見えなくなって、意識が遠のいていく感覚に襲われた。
足元が見えなくなったのが、目に溜まった涙だということを理解して急いでトイレに逃げ込んだ。
ガタンと左手がトイレの鍵にぶつかって、カラン…と何かが転がる音がした。
「あ、…指輪…」
床に転がる指輪を拾って、涙が止まらない目を右袖で拭って、指輪を見つめる。
「…R・T 」
"高梨璃子"というイニシャルだということにまた悲しくなって、涙は止まらないまま長い間トイレに引きこもった。
「先輩、あ、はい…すいません。今日は早退させてもらいます」
その後の精神状態が悪くなって、今にでも倒れそうになってしまっていることから仕事ができないと思い家に引き返す。
…なんだか物足りない左手と共に。
帰っている間、指輪をつけることができなかった。…でも何故だかスッキリとした気分になっていた。
返そう、持ち主に返すんだ。
そう考えて袋に入れた指輪を持ち真斗さんがいない時間帯に真斗さんの家に向かった。
…何故だか涙は止まって、そこまで悲しくならなかった。何故だかわからないけれど。
真斗さんの部屋の前に来て、オートロックのナンバーを入力してそこに入った。
変わらない風景、変わらない殺風景。
…今ではそれが今の僕を表しているようで辛かった。
真斗さんがいつも座っている黒の椅子に、目の前にある僕が座る椅子を見つければ昔の記憶が蘇る。
「ねえねえ、真斗さん。真斗さんってコーヒー飲みそうなのに意外だよね」
「そうかなあ…僕は断然紅茶派なんだよね」
ニコニコと笑う真斗さんを見ながら幸せに浸る僕が見えた気がした。
懐かしい…もう過去のように見えてしまう。
「彼の役に立てたのだろうか、それとも彼のいいように使われたのか…答えは両者だ。結果的に僕が僕だから付き合ってくれたわけではないんだよな」一枚の紙を机の上に置いた。
「これも気づいてたよ、……ほんとうに利用されただけなんだ」
目の前にある黒い滑らかな机にその指輪を置いた。横にあったチラシを下に、少しだけメモをした。
ーー持ち主に返してくださいーー
指輪としての利用価値はなく、ただの金属価値でしかなかったそれを外して紙の上に乗せた。
「真斗さん、…ばいばい」
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昔からあなたの弾くピアノが好きだった。
優しいタッチから力強いタッチ、全てをこなしてしまう貴方。
「そういえば、理斗。今月末誕生日だったよね?お祝いしよっか」
そう僕に言ってきたのは若きピアニストー真斗だった。
真斗は僕に優しい。
見た目が弱そうだと言われる僕に優しい。
今まで出会った人は皆同じことを言うんだ。
「理斗といると、なんだか疲れるや」
疲れる…それってどういう意味?とは聞くことができなかった。
見た目が細くて貧弱そうで、いつも青白い顔をしている僕の面倒を見るのが大変な事はわかってる。…でも、僕は僕で自分のことだってできる。それに心配してくれなくても生きていける。
…そんなことを言われていた僕が、初めて。
人生で初めての恋人ができた。
その恋人は僕が昔から憧れ焦がれていた人。
三葉真斗。小さい頃から有名なピアノの大会で優勝していた神童ともいえる人物。
奇跡的な出会いーーと言ってはなんだが、まさか僕と付き合うことになるなんて思わなかったし、それに僕が彼を恋愛的な方で好きになることも想像しなかった。
出会いは今から二年前。
僕の務める音楽会社の飲み会があって、そこにたまたま居合わせた真斗さんが挨拶しにきたことから始まる。
「あ、こんばんは皆さん」
黒のパンツに、ベージュのジャケットを着た長身の格好良い真斗さんが現れた。
音楽会社の先輩たちが挨拶している中で、一瞬だけ目が合った。
その瞬間、惹きつけられたかのように僕は目が離せなくて離した時には体が熱くなって何かを訴えているかのようだった。
「隣、いいですか?」
恥ずかしさで参っていたところに真斗さんがやってきて…という出会いだった。
そのあとはなぜか真斗さんからご飯に誘われることが多くなって、ほぼ毎週末会うようになっていた。
合うようになって約半年、告白してきたのは真斗さんの方からだった。
「理斗くん。実は…恋愛的に君のことが好きなんだ。付き合ってくれないか…?」
前に座る真斗さんからそう言われて、咄嗟に「はい」と答えた。告白したあと視線を外すことなく僕を見つめる先輩の瞳には、偽りが見られなかったから。
誕生日の日、真斗さんと待ち合わせていた。
付き合うようになってからは幸せで、優しくしてくれていて。…自分を唯一理解してくれる、そんな人だった。
「…おかしいな…」
異変に気付いたのはその時。
いつもなら予定時刻の三十分前には着いている真斗さんが今日は見られなかった。
寝坊したとかそんなのだろう、と思った。
「…さすがに遅いよね…」
もう予定時刻から二時間以上経っていて、夜も深くなってきた。
人々は駅へ向かう道に集い、僕だけがその場所に取り残された。
結局その日は真斗さんと連絡がつかなかった。
その翌日、仕事を休みにしていた僕の元に真斗さんがやってきた。
「ごめんな、本当にごめん。急に用事ができて…」
必死に謝る真斗さんが嘘をついているように見えなくて
「あ、ううん…いいよ」
僕は二言で許した。
「お詫びというか、昨日渡すはずだった…」
そう言われて渡されたのが指輪。
綺麗なシルバーの指輪で、無駄な飾りはなく裏に文字が書かれているだけだった。
「…え、これ僕に?…ありがとう…」
感激しすぎて声が出なかった。
僕みたいなのに指輪をくれるなんて。
嵌めてみると少しだけ小さかったけど、それでもその窮屈さが幸せだった。
翌日会社に出勤すると、女の先輩たちが騒がしくしていた。
「どうされたんですか?」
目を丸くした先輩たちが鬼のような顔で僕に迫った。
「じ、実はね!真斗さんに熱愛が出たのよ…しかも相手は既婚者の高梨璃子よ!!」
…頭が真っ白になった。
何を言っているのかわからなくって、何度も自分の頭の中で整理しようとしたけれど全くできなかった。
「一昨日の夜に海外から帰ってきた高梨璃子を空港まで迎えに行って自宅に帰ったそうよ…既婚者に手を出すなんて…そんな人だと思わなかったのに…」
一昨日の夜、一昨日の夜って僕の誕生日の夜だよね、約束してた夜だよね…
「隠れて付き合ってたらしいわよ。高梨璃子が結婚することで別れたらしいけど…」
なんだか絶望に包まれた気がした。
足元が見えなくなって、意識が遠のいていく感覚に襲われた。
足元が見えなくなったのが、目に溜まった涙だということを理解して急いでトイレに逃げ込んだ。
ガタンと左手がトイレの鍵にぶつかって、カラン…と何かが転がる音がした。
「あ、…指輪…」
床に転がる指輪を拾って、涙が止まらない目を右袖で拭って、指輪を見つめる。
「…R・T 」
"高梨璃子"というイニシャルだということにまた悲しくなって、涙は止まらないまま長い間トイレに引きこもった。
「先輩、あ、はい…すいません。今日は早退させてもらいます」
その後の精神状態が悪くなって、今にでも倒れそうになってしまっていることから仕事ができないと思い家に引き返す。
…なんだか物足りない左手と共に。
帰っている間、指輪をつけることができなかった。…でも何故だかスッキリとした気分になっていた。
返そう、持ち主に返すんだ。
そう考えて袋に入れた指輪を持ち真斗さんがいない時間帯に真斗さんの家に向かった。
…何故だか涙は止まって、そこまで悲しくならなかった。何故だかわからないけれど。
真斗さんの部屋の前に来て、オートロックのナンバーを入力してそこに入った。
変わらない風景、変わらない殺風景。
…今ではそれが今の僕を表しているようで辛かった。
真斗さんがいつも座っている黒の椅子に、目の前にある僕が座る椅子を見つければ昔の記憶が蘇る。
「ねえねえ、真斗さん。真斗さんってコーヒー飲みそうなのに意外だよね」
「そうかなあ…僕は断然紅茶派なんだよね」
ニコニコと笑う真斗さんを見ながら幸せに浸る僕が見えた気がした。
懐かしい…もう過去のように見えてしまう。
「彼の役に立てたのだろうか、それとも彼のいいように使われたのか…答えは両者だ。結果的に僕が僕だから付き合ってくれたわけではないんだよな」一枚の紙を机の上に置いた。
「これも気づいてたよ、……ほんとうに利用されただけなんだ」
目の前にある黒い滑らかな机にその指輪を置いた。横にあったチラシを下に、少しだけメモをした。
ーー持ち主に返してくださいーー
指輪としての利用価値はなく、ただの金属価値でしかなかったそれを外して紙の上に乗せた。
「真斗さん、…ばいばい」
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