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妖精の国

ガヤガヤと声が聞こえる。
人ではないモノたちの声だ。
何故此処にいるのだろうかとロランは考える
ロランはどこにでもいる普通の子供で…いや、少し違う。人より少しだけ見えるものが違う子供だった。
ロランはここに来る前いつも通り、
もう日常となってしまった自分にしか見えないモノ達から逃げ回っていた。
霞がかった記憶はだんだんと戻ってきていた。…そうだ、あの時もいつものように逃げていた。赤い目が追いかけてきて逃げ回って、全く知らないところに来たと思って見上げたら黒い影に……
そこまで考えて思考を止める。これ以上思い出してはいけないと本能がストップをかけた。代わりに自らの周囲を見渡すようにした。ロランは檻のようなものに入れられている様で周りは暗くてよく見えない。
檻のようなものというのは鉄で出来ているのではなく僅かに暖かな植物のようなもので出来ていたからだ。ロランを傷つけないようにという配慮なのだろうか。檻に入れられているからか手枷などはないが近くに、この地上では見たこともない生き物が鎖に繋がれていた。その獰猛そうな顔と鋭い牙と爪を見てしまうとたとえ檻の中だろうと少なくとも外で鎖に繋がれているよりはマシだと思った。
暫くじっといているとなんだか外が騒がしくなった。ドタドタ、バタバタと足音が聞こえる。部屋の中に異形のモノが入ってきて檻に入れられモノやよくわからない物たちを持ち出していく。その作業がくり返し行われ時折わぁっ、と歓声が鳴り響く。結構な時間が経ちここにはもうロランだけしか残っていない。少し寂しく思っていたところに突然、檻が動いた。どうやら自分からは見えないモノに動かされているらしい。目的地に着いたようで檻が止まると先程まで暗かった周囲には灯りが見えるようになった。灯りの数は1、2、3…13個。灯りは見上げるほどに高い場所にあったり逆に膝下までしかないような小柄な影を映していた。そのどれもが奇妙な形をしていたが、一つだけ人間と同じぐらいの大きさと形の影があった。少年はその影に目を惹かれじっと見つめている。
カァン、と甲高い音が鳴る。続いて何やら聞き取れない音が会場いっぱいに広がる。ザワザワと音の奔流によって混沌とした空間に時に怒ったような重低音や笑ったかのような高音が聞こえる。会話の様なものを繰り広げていくのできっとこれは彼らの言葉なのだろう。ロランは興味無さげに考える。どうせ自分には理解できないものだ、意味などわからなくても支障はない。投げやりな思考をしながら影たちを見ていた時、一際大きな声がして次に辺りがしぃんと静まりかえった。一つの影がロランに近づいていく。その影はあの時ロランが惹かれ見つめていた影だった。
「やあ、初めまして。言葉、通じているかな?」
いきなり発せられた言葉にロランは目を見開き固まってしまった。驚きもするだろう。このわけがわからない場所に連れてこられてから初めて聞く理解できる言語なのだから。
「ん?あれっ?おーい、大丈夫かい?」
ロランの目の前で手、らしきものが振られている。と言ってもそれは黒い影に覆われていて形状から判断したに過ぎないのだが。その手、らしきものがものすごい速さで打ち合いパァンと盛大に音がする。いわゆる猫だましである。ただ音を出すだけのそれは、しかしロランを正気に戻すのには効果的であった。
「え……あっ、こ、ことば……なんで…?」
「ことば?言葉がどうし……あぁ、そうか自信はなかったが、その分じゃ聞き取れているようだ。君の分かる言葉で喋ってたんだけど、大丈夫な様だね」
ヒトのような影はひとりで自己完結するようにうんうん頷いたりしながら言葉を吐き出す。その中から必死に情報をかき集めるとどうやらこちらを配慮しての事だというとこは分かった。
「…っ、………………」
ロランは咄嗟に何か言おうとするが言葉が出てこない。目にじわりと涙が浮かぶ。異形には言葉が通じるとは思ってもおらず混乱して何も考えていなかった。あちらは考えることを終えたのだろう、こちらに向かって来る。
「とりあえずこの檻から出ようか。こっちにおいで…立てるかい?ああ、無理そうだったらそうだな…よし」
檻を開けたと思ったら腕を引かれ立ち上がらされる。混乱していた事といきなりの事でうまく踏ん張りが効かずふらついた所を立てないと判断したらしいヒトのような影はロランの体を容易く持ち上げて歩き出す。
「なっ!………」
「大丈夫だよ、大丈夫。私達の家に向かうだけさ」
ロランを安心させるように背をさすり大丈夫と繰り返しながら向かう先には闇が広がっていた。自分の足先さえも見えない闇を見つめるのはひどく恐ろしく、つい目を閉じてしまう。足音も聞こえない闇の中を影は迷わず進んでいく。暫くしたところで不意に影が立ち止まりロランの肩を叩く。どうやら目的地にたどり着いたようだ。
「もう大丈夫。さ、少し眩しいだろうが目を開けて」
促されて恐る恐るといった風に瞼を開いていく。一番最初に目に入ったのは足元に咲き乱れる色とりどりの花。糸で引かれたように顔を上げるとそこは、一面の花畑だった。少年は絶句してしまう。とても言葉では表せられないほどの美しさだった。世界中を探したところでこの美しさに叶う場所はそうはないだろうことは子供にだってわかるだろう。風が吹く度淡い色の花弁が揺れ、匂いたつばかりの美しさを見せ、近くに花はないはずなのに感じる香りは甘く、クラクラと眩暈がするほどだ。地平線の彼方までも続いているような花畑の向こうには青々と茂った神秘的な森が続いている。空は蒼く雲一つなく、太陽の光は柔らかく全身を包み込んでくれる。
「どうやらここを気に入ってくれたみたいだね」
そう言って少年の方に顔を向け笑いかけた、影だったはずものは青年に姿を変えていて、その笑顔は花畑に負けないくらい輝いていた。この時の笑顔をロランは生涯をかけて忘れることはないだろう。そんなふうに思った
「もう歩けるだろう?私の見えるところであればどこに行ってもいいよ」
少年の体がゆっくりと地面と近づいていく。丁寧に降ろされ花畑の中に足を入れるが歩くのをためらってしまう。せっかく綺麗な花なのに踏んで潰してしまうのは可愛そうだ。そんな考えが顔に出ていたのか青年は少し笑って教えてくれる。
「ここの花は多少踏んだぐらいでダメになるほど弱くはないよ」
ご覧……そう言って青年は一本の花を手折るとロランに渡してくる。次いで折られ地面に残った茎の方を指さす。残った茎は光を放ちまた元の美しい花へと戻っていた。ロランは今度こそ駆け出した。実を言うと青空の下思いっきり走り回るのは随分と久しぶりのことだったのだ。いつもは俯いているか、必死になって逃げるしかできないロランが誰に追われることもなく走り回る事が出来る。ごく普通の幸せは彼にとって尊いものだった。ロランだいぶ走り回り疲れてきた頃、丁度よく青年が声をかけた。
「気持ちよかったかい?ここがこれから私と君が暮らす場所さ。家はあの森の中にある。獣たちもいるが皆いい奴らだ、怯える必要は無い」
指さされた森は大きな木によって日が遮られ少し薄暗かった。青年と二人で近づいていくと入口のようなものはあまり人が通らないであろう獣道一歩手前のような道が1本あるだけだった。先に進む青年のあとを追い真っ直ぐ進むとまもなく小さなレンガの家が見えてきた。青年は迷わず入っていくのでロランも続いて入っていった。
「まぁ、そこのソファにでも座って待っていてくれ」
そう言って青年は奥に引っ込んでしまった。時おりバンっ!ガチャン!と何やら物騒な音が聞こえてくるが、しばらくすると青年が手にマグカップを二つ持って戻ってきた。一つを少年に渡し青年は反対側のソファに座る。
「さて、自己紹介がまだだったね。私はティルドレードと現世の境界の管理人であり門番。守護者のリンメル」
君の名は?と笑顔でそう問われて少し言い淀む。ティルドレードとはなんだ?守護者とは?分からないことだらけだったが、なんとなく思うことはあった。この青年に名前を知られてはいけない。人外のモノたちに名を教えてはいけないと知らず知らずの内に分かっていた。だが、すぐに教えてしまおうという考えに変わる。果たしてこの青年、リンメルを信用していいものか?という疑問がない訳でもないが、あの花畑での笑顔を見た時から、ロランの中ではリンメルは信用できるものとなっている。
「僕は…ロラン・メルクート…です」
「ロラン…か。うん、いい名だ」
リンメルはニコニコしたまま。ロランには不思議でならない。なぜの迫の人はこうも笑顔でいるのだろうか。人の笑顔をこんなにもまじかで見るのは久しぶりだった。他の人たちはみな一様にロランを見かけると一目散に逃げて行くか遠巻きに見てくるだけ。ロランに触れる、ましてや抱き上げるなど一度だってされたことがなかった。相手の目を見ながら話すことだってもしかしたら初めてかもしれない。
「あ、あの。その………」
話しかけようとしても声が出ない。今まで話す相手などいなかったのだから仕方の無いことかもしれない。
「ロラン」
「は、はい!」
名前を呼ばれ、肩がビクッと跳ね上がり上ずったような声が出る。自分の名前を呼ばれる事と視線をまっすぐに目を見つめられる事の慣れなさに目が泳ぐ。しかし赤面しながらもなんとかリンメルに目線を合わせようと努める。
少ししてなんとか一瞬でも目を合わせる。
「ロラン、君は君のペースでいい。いくら時間をかけてもいいから自分が疑問に思うこと、尋ねたいこと、すべて言ってくれ。私はそのすべてに応えよう。けして君を無知だなどと馬鹿にはしないよ」
言われた言葉を聞いた瞬間緊張にこわばっていた体が弛緩する。ロランはどのような言葉でなじられるか、怒鳴られるか、ビクビクと怯えていた。人とあまり接したことのないロランは言葉を紡ぐことがひどく苦手だ。自分のペースでいい、馬鹿にしない。その何気ない言葉がロランの心を救っていた。
どもりながら言葉を紡いでいくロラン、それに応えていくリンメル。長い時間をかけ二人は日が落ち、フクロウが鳴くまで話し込んでいた。最後はリンメルが寝てしまったロランを抱え移動してベットに下ろす。めまぐるしく変わった1日は呆気ないほどゆったりとその日を終わらせた。
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